『ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany's)』を
思い出してしまうわたくし(とほほ)。
どうも。
トド柳鉄子です(しつこい)。
JR東海のダイヤ改正のCM、便利になるはずなのにバックに流れている音楽が"But not for me"なもんだから、「ひょっとして、おいらだけその恩恵を蒙ることができんのでは?」といらぬ心配をしております(ウソウソ)。
中年メタボ鉄子のヲタルポの前に、またぞろ先週のシンポジウム(映画と敵)に関連した話を。
当日の三澤先生のご発表の中で、1960年に台北で催された日本電影欣賞会(日本映画見本市)における新東宝の出品作が『明治大帝と乃木将軍』だったというお話を伺って、「なるほど。『明治天皇と日露大戦争』が台湾でバカ受けしたもんだから(拙ブログでもちょこっと取り上げたことがあります)、二匹目のどじょうを狙ったのか?」と思い、休憩時間に三澤先生に直接ご質問したところ、やはりそうだったらしいのですが、『明治天皇と日露大戦争』は香港でも上映されていて、その折のエピソードが姫宮栄一の『香港 その現状と案内』(中公新書52、1964年、中央公論社)に出てまいります。
・・・この『明治天皇と日露大戦争』は東宝の大作などと違って、三流館で上映されたものであるが、意外なほどの大当たりであった。映画の中に御製の朗詠があり、これだけは中国人にとっては理解しにくいものであったが、戦争場面、とくにロシア兵を日本兵がやっつける場面には、文字どおり嵐のような拍手であった。この拍手は、帝国主義国家の同志討ちなどといううがったことで与えられたのではなく、黄色人種が白人をやっつけるということに対してのようであった。私には、香港住民の白人支配者に対する鬱積した不満が、この映画にはけ口を見いだしたように思えてならなかった。
この映画を見終わったとき、同行の中国人の友人は「むかしの日本人は偉かった。いまの日本人はまったくだらしがない。アメリカのいいなりになっているかと思えば、国府に背を向け、中共と貿易したりする。まるでコウモリのようだ」と私に皮肉ったが、これは香港の国府系あるいは反共の中国人が、日本ならびに日本人につねに感じていることのようである。
後半の日本人に対する論評は先だってご紹介した洪洋のそれと驚くほどよく似ておりますが、いずれにしても、映画の中の日本兵にブーイングどころか拍手喝采だったとは。
わからんものです。
ちなみに、新東宝がこの手の催しに戦争映画を出品するのはこれが初めてのことではなく、1955年、まだ戦争の傷痕も生々しいシンガポールで開催された第2回東南アジア映画祭(現・アジア太平洋映画祭)に『人間魚雷 回天』を出品しようとして映画祭事務局及びシンガポール当局から待ったがかかり、出品を取り下げたという事件がありました。
で、ヲタルポ。
ご存知の通り、台湾新幹線は日本の新幹線のように在来線(台鐵)と同じ会社が運営しているのではなく、まったく別会社(高鐵)の運営によるもので、そのためでしょう、在来線との接続が恐ろしく悪いのでありやす。
せんきちが降り立った高鐵台中駅も野中の一軒家状態でありましたが、それでもここはラッキーなことに新烏日駅という在来線の駅と接続していますた。
てなわけで、台中駅を出たせんきちは、今度は新烏日駅で在来線(台鐵の区間車)に乗り換えて、台鐵台中駅を目指すことにいたしました。
ま、最近開通する日本の新幹線の場合、JRは新幹線に平行して走る不採算確実な在来線を自治体の第3セクターに押し付けて知らん顔をしていますので、それに比べれば多少不便でも台湾の方が互いに共存共栄できそうですから、いいのかも知れません。
日本では、新幹線の駅ができたところとそうでないところの地域間格差も広がるばかりですし。
高鐵の駅も今でこそ不便ですが、そのうち駅周辺の開発も進んで、いずれは便利になるのでしょう、きっと。
はっきり言って「掘っ立て小屋」。
バリアフリーなんかクソ食らえ!の
段差ばりばり電車。
個人的には新幹線に乗っている時間も楽しかったけれど、区間車でのんびりまったり旅している時間も同じぐらい楽しかったです。
いつか暇ができたら、用もないのに電車に乗ってよさげな駅で降りてぶらぶらする、という旅もしてみたいなあと思いますた。
裏側もきれい。
台中駅そばのAVショップ。
潰れてました。
(おしまい)
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