2005年7月30日土曜日

尤敏、駄々をこねる

〔ちょっとお耳に〕

目下、お尻についた火を消すべく奮闘中です。

さてさて。

今日も知られざるB級芸能ニュース。
尤敏が、美智子妃殿下(当時)に会わせろと駄々をこねた(?)という記事です。


美智子妃と尤敏

東宝が二千五百万円の現ナマを使って、ハデに売りまくった香港女優尤敏は、藤本(真澄・せんきち注)東宝重役にいわせると、「戦後の日本で、美智子妃についでマスコミを騒がせた女性」という。
ところが、この話をきいた尤敏が、「そんならぜひ、プリンセス美智子に会わせてちょうだい」といい出した。
これには藤本重役もおおあわて。そのうちきっと会わせてあげるからと急場をしのいだが、それからというもの、藤本重役の顔をみるたびに、「まだか、まだか」ときつい催促。
七月七日までの尤敏の滞在中にはこの顔合わせは実現しなかったが、「このつぎ日本に来たときには」ということで、九月来日予定にあわせて、その筋の関係者に折衝中というから、秋には実現するかもしれない。
(『週刊平凡』1961年7月19日号所収)


あの謙虚な尤敏が「会わせてちょうだい」などとわがままを言ったのか、にわかには信じがたい記事ですが、記事本文中にある「戦後の日本で、美智子妃についでマスコミを騒がせた女性」という形容は、尤敏の日本における人気を物語るエピソードとしていまだに香港で語り継がれているもので、なるほど、これの発信元は藤本真澄だったのですね。
ちなみに、記事には「九月来日予定」とありますが、じっさいに尤敏が来日したのは翌1962年の2月。
しかし、このときにも対面はなく、結局、彼女が美智子妃と会うことはありませんでした。

やっぱりこれって、東宝の宣伝用デマなのかしらん?

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