陳湛頤、楊詠賢編著。2004年、香港教育圖書公司。
ようやく届きました。
1842年から1999年までの香港と日本との交流をまとめた年表。
新聞記事からこまめにトピックを拾っているようですが、いかんせん、漏れがあるのも事実。
ま、この手の本の常として、下調べ及びデータ入力は院生その他教え子にやらせて、ご当人はその結果をチェックするだけでしょうから、いたし方ないですね。
それに、香港大学所属の日本学者の共編著なのに、人名誤記があるのはいただけません。
佐田啓二が啓義になってますけど、こんなのネットで調べられますよん。
と、つい辛口の評価になってしまいましたが、それでもこれ、大変な労作です。
下調べをした(であろう)教え子の皆さん、お疲れ様でした。
当方、まだ戦後の部分をざっと読んだだけですが、ちょっと気付いた事項を取り上げてみましょう。
まずは、1960年8月20日。
テレビドラマ『怪傑ハリマオ』のロケ隊が香港で撮影を行っております。
これが、日本で最初に香港ロケをしたテレビドラマだそうです。
テレビもかなり早い時期から香港でロケしてたんですね。
1962年2月1日には、柳内滋氏と伊達正之氏(詳細不詳)が、日本語の専門学校を香港で開校していますが、その場所がなんと九龍砵蘭街(ポートランド・ストリート)。
今じゃ考えられない立地条件です。
同じ年の10月30日、津川雅彦と原知佐子が『夫婦的秘密』の香港ロケのため来港。
えっ?そんな映画、知らないけど。
ということで、さっそくチェック。
『空と海の結婚』という松竹映画でした。
でも、主役は田村高廣と水谷良重(二代目八重子)なんだけど。
ふーん、こういう香港ロケ映画もあったんだ。
衛星劇場にリクエストしよう。
時代はとんで、1971年11月18日。
『サインはV(青春火花)』映画版の宣伝のため、中山麻理が来港。
『サインはV』、香港でも大人気でした。
だから、岡田可愛は『冷面虎』に出たのね。
翌1972年1月25日。
今度は『美しきチャレンジャー(紅粉健兒)』のヒロイン、新藤恵美が来港。
ちなみに、新藤恵美は『姿三四郎(柔道龍虎榜)』にも出ていました。
きっと『チャイナスキャンダル 艶舞(狂情)』は、「あの新藤恵美が脱ぐ!」と話題になったんでしょうな、香港でも。
そういや、あさってから香港では山田洋次の特集上映があるようですが、1992年にも「山田洋次作品展」なる特集があった模様。
日本映画祭も断続的に開催されており、特に1970年代半ばから80年代にかけては、ほぼ毎年行われていました。
じゃ、なんで、今度の特集上映は「第1回香港日本映画祭」なの?
・・・・この本読んで下さい。
付記:この本読んでようやく思い出したけど、1982年って、教科書問題勃発の年だったのね。つまり、同年製作の『レスリー・チャン 嵐の青春(烈火青春)』の反日ネタの裏には、この問題が隠されていたのだわ。ふふん。ついでにいうと、日本赤軍は香港でも悪さしようとしてたみたい。これもこの本で知りました。
おお!面白そうな本ですね。今度香港行く友人にお願いしてしまおうっと。香港人の日本人に対するLove and Hateが伝わってくるよう。新藤恵美、そういや香港でも人気ありましたっけ。おかげさまでいきなり思い出しました。
返信削除もにかるさん
返信削除こんにちわ。
面白いです、この本。
芸能関係は漏れが多いですが、教えられることも多いです。
>新藤恵美
『ゴルゴ13 九龍の首』にほんのちょっとだけ意味なく出てるのも、香港向けだったのでしょうか。
こんな濃すぎるスレもあります。
http://www.discuss.com.hk/viewthread.php?tid=297913&page=2&extra=page%3D1