〔ちょっとお耳に〕
今日のテレビ朝日。
午後7時から、
帰ってきた昭和の名曲 美空ひばり秘蔵VTR&懐かし大ヒット33曲
という、テレビ東京がまんまお引っ越ししてきたような番組をやっていました。
午後8時頃まで観るとはなしに観ていましたが、黛ジュンはアップで映るのにその後に出てきた弘田三枝子はロングショットばかりだったりと、こういう細かい配慮に却って恐ろしさを感じた歌番組でおました。
で。
「ムード歌謡コーナー」に和田弘亡き後のマヒナスターズが登場しましたが、そういやマヒナも松尾和子と台湾公演してるんだよなあと思い、古新聞を引っ張り出してきたのが今日のネタです。
1966年2月2日付『聯合報』によると、松尾和子とマヒナが台湾にやってきたのは、その前日の2月1日。
台北、台中、台南で公演を行った後、今度は沖縄へ渡って、そこでも公演を行うというスケジュールだったようです。
松尾和子は初めての、そしてマヒナは1965年6月に次ぐ2度目の来台でした(この後、1968年2月にも来台)。
公演ではおなじみのヒット曲(『誰よりも君を愛す』『再会』『お座敷小唄』等)の他、『薔薇處處開』のような北京語曲や、『雨夜花』のような台湾語曲も歌ったそうです。
当時、日本の歌手がどこで公演を行っていたかといえば、その多くはホテル内の施設もしくは市内のナイトクラブを利用していたみたいで、松尾和子とマヒナも台北では国賓大飯店内のナイトクラブで公演を行った模様です(このクラブでは美空ひばりや雪村いづみも公演を行いました)。
記事にはこの他、日本で既に台湾語曲のレコードを1枚出している彼らは(ほんとか?)、この度の来台のさいに北京語曲のレコードを製作する予定、だの、この3月にクランクインする新星電影公司の映画『求愛的條件』(白蘭、柯俊雄主演)の主題歌を歌い、ゲスト出演もする、だのといった初耳ネタが満載でしたが、「台湾電影資料庫」には『求愛的條件』という映画は存在しませんでした。
やっぱりこれも、双子の方くん映画と同様にお蔵入りしちゃったのかしらん?
ちなみに、松尾和子とマヒナの来台は政治とは無関係のものでしたが、この時代、日本の芸能人が来台する場合、蒋介石の誕生日や総統就任式の時期にやってくることが多く、美空ひばりは誕生日(1965年10月)、鶴田浩二や小林旭は就任式(1966年5月)に合わせて来台、祝賀行事にも駆り出されたようです。
「日本からはるばる総統様のお祝いにやって来た大物芸能人」というシチュエーションが、独○者(1字自粛)の自尊心をくすぐるものだったのでしょうが、どこぞの将○様(1字自粛)と考えることは変わんないんですね、ほとんど。
せんきちさん、こんにちは。
返信削除ナツメロ好きのhoisamです。生涯、初めて買ったLPは「灰田勝彦 ~歌よ永遠に~」です。
弘田さんはロングショットばっか…、というのに大ウケしてしまいました。そういえば市丸さんがご健在のころもよくこの手の番組に出られてましたが、やはりロングショットばかりでしたね~(^^)。
日本の歌手がその昔はよく台湾に公演に行っていたんですね。興味深く読ませていただきました。そういえば、劉家昌の「海鴎」という歌を内山田洋とクールファイブがカバーしてるんですが、これはどういう事情でこうなったのか、以前から疑問に思ってました。ひょっとして彼らが台湾公演に行って、劉家昌と交流が生まれたんでしょうか…?
hoisamさん
返信削除こんにちわ。
弘田さん、最近は安定してきましたが(?)、一時期はすごかったです、お肌のつっぱり。
市丸さん、晩年に舞台で端唄を聴いたことが
あるのですが、妹さんの三味線の調弦が全然合っていなくて、客席からどよめきが起こったことがありました。
そう考えると、越路大夫は立派だったなあと思います。
「海鴎」、もともとはジュディさん(翁倩玉)の歌なので、その辺から来ているのではないでしょうか?
作曲も劉家昌だし、彼の歌だとばかり思っていましたが、そうかー、ジュディさんも歌っていたんですね。
返信削除たしかジュディさん主演、劉家昌監督の映画「愛的天地」の主題歌だったでしょうか。
映画の冒頭で歌っていたのは、劉家昌だったか、ジュディさんだったか、覚えていません。映画を見たのは17年くらい前です(笑)。ガンになったジュディさんが最後、孤児院でがんばる話でしたが、ジュディさんが自分がガンだと知るくだりがあまりにも安易で(たしか看護婦同士のおしゃべりを立ち聞きしてしまう)、「もうひと工夫ほしいー」と思った覚えがあります。
ひょっとしてこの映画、日本でも公開されたのでしょうかネ。それでクールファイブが…?
弘田さんて、ケミカルピーリング? ですか?
hoisamさん
返信削除こんにちわ。
>たしかジュディさん主演、劉家昌監督の映
>画「愛的天地」の主題歌だったでしょうか。
はい、そうです。
劇中、ジュディさんが浜辺を歩くシーンで、ジュディさんバージョンが流れた記憶があります。
この映画の元ネタは、『サウンド・オブ・ミュージック』で、そこに不治の病ネタをぶちこんだのではないかと思います。
この映画、一昨年の東京国際で上映されました。
同じ劉家昌の『純純的愛』は、『ある愛の詩』のパクリだと思います。
>弘田さん
たぶん、もっと本格的なお直しをしているのではないかと・・・・(以下自粛)。