1981年、台湾(永昇)。王菊金監督。陸小芬、崔守平、彭君暉主演。
陸小芬の出世作にして、先日の東京国際映画祭及び早稲田大学における台湾映画シンポジウムで上映された『台湾黒電影』で取り上げられていた作品。
原作は内地の人である王靖(卜安利)が1979年に発表した、いわゆる「傷痕文学」に属する脚本『在社會的檔案裡』で、これが香港の『爭鳴』誌上に転載された後、本作の製作者である江日昇が映画化の意思を固め、当時の新聞局長・宋楚瑜に直談判してその名も『上海社會檔案』と改めた脚本を『假如我是真的』の脚本と共に提出、審査をパスさせちゃったのだそうです。
おおまかなストーリーは、下記の通り。
共産党の大物である「首長」(葛天)の長男・王海南(崔守平)は香港への密出国を計り当局に逮捕されますが、首長の息子ということでお咎めを免れて上海へ流れ着きます。
上海の街を当てもなく彷徨う海南は、かつての恋人・李麗芳(陸小芬)と再会しますが、麗芳は昔の面影を留めぬほど堕落し荒んだ生活を送っていました。
海南は、麗芳の不良仲間によって暴行を加えられ、瀕死の重傷を負います。
この罪により麗芳と仲間は逮捕され、公安局の尚琪(彭君暉)が捜査に当りますが、海南はひたすら麗芳の身を案じ、自分と彼女との関係を尚琪に話し、自分の日記を尚琪に託します。
海南の日記を読んだ尚琪は、この事件には何か重大な秘密が隠されていると睨み、周辺人物への聞き込みを進めるものの、その矢先に海南が死亡、激怒した首長と海南の腹違いの弟・小京は即裁判を開いて麗芳を処刑せよと迫るのでした。
そして裁判の日。
今まで頑として供述を拒んでいた麗芳に、尚琪は海南が亡くなったことを告げます。
麗芳はようやく口を開き、自分が転落するきっかけとなった忌まわしい出来事について語り始めるのでした・・・・。
この脚本には一応モデルがあり、首長は林彪、海南は林彪の私生児(ほんとにいたのかよくわからんのですが)、小京は林彪の息子である林立果、麗芳は林立果の妻になるべく選抜された女性たちの内の1人、だそうです(梁良著『看不到的電影 百年來禁片大觀』〔2004年、時報文化出版〕による)。
ただ、モデル問題で揉めることを恐れたのか、台詞の中には首長とは別の人物として「林副主席」の名前が登場、てきとーにカモフラージュ(?)してありました。
で、全編観ての感想ですが、思っていたよりもフツーの映画でした。
エロ描写はそれほど大したことない(せいぜい乳首が透けて見える程度)、というか、日本や香港のそれに比べるとかなりおとなしいものでしたし、まあ、暴力描写が少し痛い程度です。
あっしにとってはむしろそんなことよりも、事件の捜査をしていた尚琪が浜辺で一言、
もう長いこと、海水浴もしていないなあ。
と同行の部下につぶやくと、やおらむくつけき男2人(うち1人大デブ)がパンツ一張になって海に飛び込んでいく、そのホモヲタ臭プンプンの展開の方が衝撃的でしたわ。
何もそんなところまで撮らなくても・・・・。
傷痕を見せる陸小芬。
でも、すぐに後姿になっちゃうのよ。
自らの身体に刃物を突き立てる陸小芬。
この映画の陸小芬は首長に頭カチ割られ、ならず者に腹部を刺され、自分で自分の胸を突き刺して、それでも元気ピンピンの不死身の女でした。
映画の主な舞台は1970年の上海でしたが、当時はもちろん上海ロケなんて不可能だったので(今でもこの中身じゃ不可能だろうけど)、上海らしさを出すためになぜか日本でロケを行っています。
タイトルの背景に映るのは大阪市中央公会堂。
この雪景色も東北か北海道ですね。
内容的には「共産中国では女は男たち(権力者)に食い物にされ、正義を貫いた者も処罰される」ということにしたかったんでしょうが、正義を貫いた者が処罰されちゃうのは国民党独裁時代の台湾でも似たようなもんだったしねえ。
でもさ、抹殺されてたと言う割には、あの名作(なのか?ほんとに。「迷」の方じゃないのか?)『梅花』よりはずっとトンデモ度が低いような・・・・。
あるいは、『皇天后土』よりも低いかもよ。
正直、なんであんなトンデモ国策映画がきちんと記録されてるのに、この映画が抹殺されていたのかがよくわかりません。
へんなの。
御一報、ありがとうございます。
返信削除もはや二度と観ることができないかと思われた場面の数々や撮影地が日本だったことなど、貴重な情報まで盛りだくさんでありがたいかぎりです。
池玲子さん関連など他の記事も濃いですね。前も検索してたらこちらに行き当たったことがあったのですが、今後ともよろしくお願いします。
ジェイさん
返信削除こんにちわ。
おこし下さり、ありがとうございます。
一応、サイト内検索を設置してありますので、他に使えそうな記事がありましたらお役に立てて下さい。
今後ともよろしくお願いいたします。