2006年3月31日金曜日

帰ってきたマキ

〔ちょっとお耳に〕

こちらも上映されます(DVD、好評発売中)。
倉田さんの迷台詞:椿俊輔。『アンコ椿は恋の花』の椿だ!

いまだラピュタ阿佐ヶ谷の「女番長特集」(中川信夫特集もよろぴくね)にも参戦できていないせんきちですが、またぞろ今さら情報を。

4月8日(金)から28日(土)まで、シネマート六本木にて「日本空手映画祭」が開催されます(レイトショー)。

くわしくはこちらをご参照頂きたいのですが、せんきち一押しの『若い貴族たち 13階段のマキ』も上映されます。
昨年のラピュタ阿佐ヶ谷のレイトショーを見逃した方は、ぜひご覧になってみて下さい。

すごいよ、悦ちゃん。

付記:『女必殺拳 危機一発』で悦ちゃんのお姉さん役をやっているのが、台湾出身の女優・光川環世こと李月隨さんです。

『香港の夜』ロケ地めぐり in 柳川 (おまけ)

〔たび〕

御花の雛飾り。

ロケ地めぐりはあっけなく2回で終了ですが、ちょっとおまけを。

柳川では2月半ばから4月3日まで、だらだらと雛祭りを開催中。
こちらではぱちもん、もとい、さげもんという吊り下げ式の雛人形が名物らしく、あちこちでさげもんが待ちかまえていました。

御花のさげもん。


旧戸島家住宅(武家屋敷)のさげもんと雛飾り。

春休みとあって柳川は団体客を中心に大変な人出でしたが、それは沖端地区だけのこと。
他の地区は閑散としていました。
団体の皆さんはたいてい大型バスでやってきて、舟遊びを楽しんだ後に御花を見学、それから沖端地区で買物というスケジュールのようです。
ただ、同じ沖端地区でも、北原白秋記念館はそこそこの入りでしたが、旧戸島家住宅は人もまばらでした。

今回のお泊りは福岡東映ホテル。
三角マークの浴衣です。


さすがは東映ホテル。
有料放送のトップは東映チャンネルでした。

(おしまい)

2006年3月29日水曜日

『香港の夜』ロケ地めぐり in 柳川 (その二)

御花(柳川藩主遊息処)洋館。
2005年の地震で損壊したため、
現在は公開停止中。

(前回のつづき)
劇中、松山家を訪ねる宝田明と、お花の稽古の後松山家へ帰ろうとする尤敏が町を歩く場面がありますが、そのロケは柳川一の観光名所である沖端地区で行われました。
当時発行されていた現地紙『フクニチ』には、その折の様子がこんな風に報道されています。


日本、香港合作の「香港の夜」 柳川ロケ
着物が似合う尤敏 "ここは中国みたい"
宝田と結ばれぬ悲恋の一コマ


東宝と香港のキャセイ・オーガニゼーションの合作映画「香港の夜」(千葉泰樹監督)のロケが八日柳川市沖端で行なわれた。この柳川ロケに出演する香港の人気女優尤敏(ユーミン)や宝田明、笹るみ子らを一目でも見ようとはるばる飯塚、福岡、佐賀あたりから貸し切りバスでかけつけた団体もまじって、現場はゴッタ返しの混雑ぶり。整理員の声もすっかりかれていた。(後略)
(1961年5月11日付『フクニチ』より)


沖の端橋。
向かって左側の建物の前で、宝田明が
松山家の場所を尋ねる場面がありました。
映画では沖端地区と鶴味噌は至近距離に
あるように描かれていましたが、じっさい
には徒歩20分ほどかかります。

尤敏がお花の稽古の帰りに歩いていたのは、おそらく

こんなところや、

こんなところ

だったと思いますが、残念ながらきちんと特定できませんでした。
また、異父妹の笹るみ子が寄り道していた文房具屋さん(ナンバ堂)も、現存しませんでした。
撮影当時のことをご存知の方がいないかと思い、観光協会からご紹介いただいた土地の古老の方をお訪ねしましたが、こちらもご記憶にないとの由。
ま、この映画における柳川は「閉鎖的で排他的な町」というネガティヴなイメージでしか登場しませんので、そんなこんなで忘れ去られてしまったのかも知れません。

沖端地区を往く舟。
「水郷」にふさわしい風景です。


おまけ。沖端地区ではありませんが、
柳川市内で見つけた貸本屋さん。
まだ商売が成り立つんですねえ。

(おまけにつづく)

2006年3月28日火曜日

『香港の夜』ロケ地めぐり in 柳川 (その一)

〔たび〕
柳川城堀水門。

衝撃スクープを一発かましたところで、本題に入ります。

博多から柳川へは、西鉄福岡(天神)駅から西鉄の特急に乗って約50分、うとうと寝ている間に到着します。

1961年の日港合作映画『香港の夜』において、柳川は尤敏演じる呉麗紅の母・好子(小暮実千代)が住む町として登場します。

映画の中で、再婚した好子の嫁ぎ先として使われていたのが鶴味噌醸造。
西鉄柳川駅からぶらぶら歩いて15分ほどの所にある、古い蔵が印象的な建物です。

映画に出てくるのはこの角度からのショット。
当時は屋根の上に大きな看板がありましたが、
現在では撤去されています。

こちらは、正面から見た図。
現在でも工場が稼動中。

側面。

裏から見た図。
ここの蔵は「並倉」と呼ばれ、
柳川名所の一つとなっています。


(つづく)

2006年3月27日月曜日

『香港の夜』ロケ地めぐり in 柳川 (序章)

〔たび〕

うちのは一味違うよー。

というわけで、福岡は柳川での『香港の夜』ロケ地めぐりをだらだらと。

まずは本題に入る前に、柳川で発見した衝撃のスクープ写真。

なんと、あの

梅蘭芳は生きていた!

中国から密かに日本へ渡り、柳川で中華料理店を営んでいました。

京劇から皿うどんへ。
華麗なる転身。

今回の衝撃スクープは、11年前、台湾台南市でこっそりバイク屋を営んでいた金日成を発見して以来の大事件でした。

向かって右のバイク屋の
YAMAHAの看板下にご注目。
小さい文字ですがたしかに「金日成」とあります。

本場の京劇を学びたい方は、今すぐ柳川へGO!

2006年3月26日日曜日

McQuarter開店

〔ちょっとお耳に〕

マクダル&マクマグファンの皆様にお知らせ(そういや映画の入り、どうなんだろか)。

灣仔活道にあったファンの総本山「春田花花幼稚園」(3月12日に閉店)に代わり、4月1日(土)から銅鑼灣に「McQuarter (home of Mcdull & Mcmug)」 なる新しいお店がオープンします。
お店の詳細は、下記の通りです。

住所:銅鑼灣告士打道280號 世貿中心4樓 P405

電話:2891‐5211

開店時間:正午から夜9時まで

地図です。


繁華な場所に移転して、ショッピングのついでに立ち寄るのにもより便利になったと思います。

香港へお出でのさいはぜひ。

2006年3月24日金曜日

経過報告

〔しようもない日常〕

あやしい。

まだまだ引越作業中のせんきちです。
お家まるごとお引越がこんなに大変なものだとは・・・・。

で。

一昨日、ようやく新居(という名のボロ家)のネットが開通しました。

が。

本やら資料やらDVDやら、それら全てのものがいまだ梱包状態にあるため、本格復帰はもうしばらく先のことになるかと存じます。

このクソ忙しい最中、友人の結婚式で博多に行き、そのついでに柳川に立ち寄って『香港の夜』のロケ地めぐりもしてきたのですが、それもまた後ほど改めてご報告したいと思います。

ではでは。

お口直しに。

2006年3月10日金曜日

お知らせ

〔お知らせ〕

せんきちのパソコンの壁紙。一昨年からずっとこれ。
このようなステキな壁紙は、こちらのサイト
からダウンロードできます(要会員登録)。

というわけで、明日から本格的な引越作業に入るため、当分の間、こちらとメインサイトの更新をお休みします。

電話の移設工事が13日、ネット開通はその後になりますが、引越後のお片づけ等もありますので、いつになったらカムバックできるのやら。
遅くとも今月中には戻ってきたいと思います。

何卒、あしからずご了承下さい。

あ、そうそう、11日から『マクダル パイナップルパン王子』が公開です。
せんきちは残念ながら初日には伺えませんが、皆さま、ぜひとも足をお運び下さいまし。

ではでは。
ちょっくらおやすみなさい。

スーベニール香港 最終話

〔たび〕


2月15日(水)

午前8時起床。
ホテルの隣りにある旺角熟食中心内の茶餐廰にて朝食。
食後、近くの店を経巡り、お土産を購入。
そういや今回、ちっとも買い物してないわ。

ホテルへ戻って荷造りを済ませ、ウェルカムドリンクのチケットが残っていたのでポーターさんに荷物を預けてからラウンジでお茶、正午前にチェックアウトを済ませてだらだらと空港へ向かいます。

チェックイン、出国後に昼食。
大家樂のチキンカレーライス。
せんきちの定番B級グルメ。
その後、搭乗口で落ち合うことにして、各々最後のお買い物。

ほぼ時間通りに搭乗手続きが始まったのでとっとと乗り込み、離陸後は爆睡。
ハナコさんの映画をやっていたけど、寝たので観られずじまい。

目覚めて夕食。
お腹が空いていなかったので、サラダとおかずを少しだけ食べて後は残してしまいました。
もったいない。
食後に強制配布されたアイスクリームを食べた後、また爆睡して午後7時40分頃成田にぶじ到着。

入国手続き、税関を通過、おばの車で家まで送ってもらいました。

めでたしめでたし。

(おつかれさま)

2006年3月9日木曜日

スーベニール香港 第3話

〔たび〕

中文大学からの眺め。
遥かに海が望めます。

今日も発掘してました。

ワールドミュージックブーム&バブル景気たけなわの1990年8月、アジアのミュージシャンが集まって「こどもえいど for Asia」というチャリティコンサートが行われたことがありました。
当時、上々颱風に夢中だったせんきちは彼ら目当てで聴きに行った・・・・はずなのですが、覚えているのは人間椅子とディック・リーのことだけ。 
今日、パンフレットが発掘されたので目を通してみると、

うひょっ

達明一派が出演していました。

そういえば、男の人が2人、香港代表として出てきたような記憶が。

ちなみに、このパンフでは、

アンソニー・ウォング、タツ・ローの2人から成るユニット。

となっておりました。

タツ・ロー、タツロー、達朗


2月14日(火)

午前8時起床。
昨日1日で鼠楽園を制覇したおば&おば友は(何せ、ガラガラだったらしいし)、今日は海洋公園へ行くというので(つくづくテーマパークの好きな人たち)、朝食後、金鐘まで送っていきました。
地下鉄金鐘駅で降りて、バス停入り口にある切符売り場でバスの切符と海洋公園の入場券を2人分買い、おば&おば友に渡してから手を振ってお見送り、わたくし1人ホテルへ帰ります。

ホテルへ戻り、せん友ご所望の「中國冰室」へ。
広東道の活気あふれる雰囲気の中、死んだようなたたずまいを見せる茶餐廰でおました。
2階の席に落ち着き、まずは注文。
せん友はアイス「レモン」ティーが飲みたかったらしいのですが、せんきちの頭の中ではなぜかそれがアイス「ミルク」ティーに誤変換され、けっきょく注文したのは、

いっがーふぇ とん とんらいちゃー

になってしまいました。

スマソ。

で、コーヒーのお味ですが、生きているのが嫌になるほど

まずかった

です。

11時20分頃店を出てせん友と別れ、KCRの旺角駅に向かいました。
途中、劉徳華という名のお医者さんの看板がありましたが、写真は撮らずにそのまま素通りし、『ワンナイト・イン・モンコック』に出てくる陸橋を通って駅に入り、KCRに乗って大学駅で下車。
電車に乗っている間に、雨が降り出してきました。

待ち合わせの時間にはまだ早かったので、駅のベンチに座って本など読みながら時間をつぶし、正午少し前に駅を出て、「呉偉明的知日部屋」の屋主である呉偉明先生の研究室へ。

香港中文大学のキャンパスは広く、そして坂ばかり。

駅前キャンパス&山というロケーションは、多摩都市モノレール開通後の中央大学に似ているような気もしますが、中文大学の場合、海も近いので、ちょっと比較にならないかも。

呉先生の研究室に着き、ノックをしましたが不在なので、廊下にある椅子に座って待つことしばし。
先生がお見えになりました。
先生にお土産を渡し、そのまま昼食を摂るため外へ出ました。
雨はまだ降っています。

近くの教職員用中華レストランで飲茶をごちそうになりながら、昨日観た映画の話などをひとしきりして、食後は構内を散策。
池のある中国庭園に心和みます。
野鳥のさえずりも美しく、街中の喧騒が嘘のようです。

散歩の後は、先生の車に乗せてもらい、キャンパス全体を一回り。
邵逸夫の名前がいたるところに・・・・。
「キャンパスまるごと邵逸夫」だったりもします。
他には、ナショナルでおなじみ蒙民偉の名を冠した校舎もありました。
もしもホリエモンが香港人で、「活力門樓」なんてのがあったら今ごろどうなっていたことやら。

一周後、駅まで送っていただき、お礼を述べて先生とはお別れ。

KCRで尖東に出て、尤敏が海景大廈に引っ越すまで家族と住んでいた香檳大廈(くわしくはメインサイトをご覧下さい)や、『神火101 殺しの用心棒』で吉村実子が住んでいた金巴利大廈などを巡り、写真撮影。

金巴利大廈。


同じく。


ビルの前にはこんなものが。
あれ?これも見覚えがあるぞ。

ああ、やっぱりそうだ。
『神火~』の冒頭、ヒルトンホテルから始まる
銃撃戦&カーチェイスでここが出てきたんだった。
映画の中では(金巴利大廈とは)全く別の場所
での出来事にしか見えなかったけど。

写真撮影の後、通りすがりの天地図書で『我愛黄梅調』など本を数冊購入し、地下鉄で銅鑼灣に出ました。
ここで旧知のお茶の先生に電話して、先生のオフィスのあるビルへGO。

おいしい中国茶を頂きながら、おしゃべり。

文山包種茶がうまかったわあ。

先生から伺って初めて知ったけど、樂道の茶藝樂園がなくなっちゃったそうです(この目で確かめていないが)。
ここには「首振り名人」こと呉美玲さん(今日、お片づけをしていたら呉さんからの年賀状が出てきました)がいた頃よくお邪魔して、おしゃべりしながらお茶を飲んだものですが、呉さんが辞めてからは自然と足が遠のいていました。
でも、残念ですね。

5時45分過ぎにこちらを撤収、急いで待ち合わせ場所である中環のスターフェリー乗り場へ。
皆と合流して、これからのスケジュールを検討。
おばはビクトリアピークに行きたかったらしいんですが、悪天候のため断念、蘭桂坊の杏花樓で飯食って甘いもん食ってホテルへ帰りました。

で、西洋情人節にふさわしく(?)、店の前にはこんなおのこが。

がんばれ!セイシくん!
『残虐13大淫魔術』の徐錦江の息子かも。
ジュニアだけに。

ホテルへ帰ってから少し休憩して再び外出、せん友と一緒に『春田花花同學會』を鑑賞。

正直言って、かなりがっかりしました。

あんな豪華キャストじゃなくていいから(旧正月映画だからしようがないんだけど)、OLに憧れるマクダル君の内面をもっと掘り下げて欲しかったです。

無言でホテルへ戻り、シャワーを浴びて寝ました。

(もうすぐゴール)

2006年3月7日火曜日

女殺片付け地獄

〔しようもない日常〕

今日の発掘品の目玉はこれ。發哥のシャンプー広告ビラ。
發と髪をかけてるのね、簡体字だとどっちも发だから。

相変らず片付けてました。
だいぶ片付きました、と言いたいところですが、むしろ収拾がつかなくなっています。
今日は新居(といっても、築ウン十年の貸家)の方にガスを通してもらったり、ウォシュレットを設置してもらったりと、なんだかバタバタしておりました。

さて、李安導演のオスカー受賞から一夜明けて、李安といえば李崗(弟)だよなあと、つまらん連想を働かせてGoogle News(台湾版)で李崗ネタを探したところ、李安導演が糖尿病&白内障を患っているという記事を見つけました。

李安已患有糖尿病和白內障

くれぐれも、お身体だけは大切になさって下さいまし。

つるつる李安ファミリー。

香港旅行記もとっとと終わらせなきゃならんのですが、それはまた明日ということにして、今日もこんなもんが出てきたよ、というご報告。

上に掲げた広告ビラの他、『明報周刊』の30周年紀念号なんかが出てきて、またしてもつい見入ってしまい・・・・。

これも今日の発掘物。
つるつるラウチン。

明日は旅行記の続きを書きます、たぶん。

2006年3月6日月曜日

無目的双六

〔しようもない日常〕

微妙な色味。

お片づけ停滞中のせんきちです。

とりあえず、李安導演、おめでとうございます。

『SAYURI』の衣裳デザイン賞と美術賞受賞は、喜んでいいのか悲しんでいいのか、正直言ってわからんのですけど。

さて、今日も発掘物情報。

昨日ご紹介した雑誌やCDの他にも、古新聞の類が多数出てきまして、つい、

こんな伝言や、


はたまたこんな伝言に

見入ってしまい、果てしなく時間をロスし続けております。

どーでもいいけど、你的女人、個人情報垂れ流しだぞ。

こんな診療科があるのですなあ。

そして、観光地で買った「いやげもの」も多数出土、海南島で採集したあやしい「『還珠格格』双六」も出てまいりました。

こちら、全体像。


中身。ぺらぺらの紙切れと不揃いのコマ&サイコロ。
粗悪な印刷に気分は盛り下がります。


振り出し。のっけから「振り出しに戻る」
なんて、なんだか意地悪。


途中にも落とし穴がいっぱい。


ようやく終点なれど、双六に付き物のストーリー性は
皆無。何のためにやっていたのかがわからないまま。
達成感ゼロの無目的双六。


原作者が浮かばれませんわ。


これを手に入れたのは海南島の山の中、五指山市の青空市で、他にも数点採集物があり、店番をしていたおばあちゃんは全部で2元5角と言ったのですが、なんでも値切らないと気が済まない同行の運転手・C君が、

两块!

と強引に主張、そのままごり押しして2元だけ払って逃げてきました。

ごめんね、おばあちゃん。

ああ、やっぱりお片づけが進まない・・・・。

2006年3月5日日曜日

じぇんじぇん片付きましぇーん!!!

〔しようもない日常〕

『春田花花幼稚園』下敷きも発掘。

我が家の立ち退き交渉がようやく決着、来たる11日、12日にいよいよ引っ越すこととなりました。
片付けられない女であるせんきちも重い尻、じゃなかった(いや、じじつ重いんだけど)、重い腰を上げ、引っ越し前のお片づけを始めましたが、なにしろ「お部屋」の「お」は汚辱の「お」状態にあると言っても過言ではないほどの乱雑な部屋、しかも自室だけでは物(ほとんどガラクタ)が納まりきらず、隣りの空き部屋まで占拠しているという有様ゆえ、作業は難航を極めております。

当然、片づけ作業は、

発掘あるある大事典

状態となり、「こんなもん買ってたのか」と思うようなものがどんどん出土、


↑何を目当てに買ったのか、もはや思い出せない『台北ウォーカー』が真っ先に発掘されました。

ふーん。2001年か。


へっ?あんた誰?


こんな雑誌もありました。

永年贔屓にしている小倩(呉倩蓮)ものも続々出土、


行方不明になっていたセカンドアルバムも出てきました。

ちょっと見難いけど、3人のプロデューサーの中に
トー先生(杜琪峰)の名前もあります。愛弟子だったからね。


小倩が表紙の『銀色世界』(1995年)。
なんだか妙なへアースタイルの人が・・・・。


元祖・ギター侍。
というか、バタヤン?

お片づけの道は険しい・・・・。

付記:あすた、NHK-BSのハイビジョン特集で『中国映画を支えた日本人 「満映」映画人 秘められた戦後』が放映されるみたいっすが、うちにハイビジョンテレビなんてねーよ!(っつーか、BS自体、今観られないのよ)
そのうちBS-2でやるかしらん。