2006年9月25日月曜日

魔都・香港の密航ルートを探る

〔ちょっとお耳に〕

えー、約1週間のご無沙汰でした。
まだまだバテバテ中ですが、そろそろ再開いたします。

はじめにお知らせ。
メインサイト、超お久しぶりにおニューの記事を書きました。
某有名ブログではすでに取り上げ済みのネタらしいんですけど、ま、改めて仔細に検討ということで。

さて、本題。
前回に引き続き、今回も古本ネタ。
『週刊読売』1958年1月26日号の巻頭特集「魔都・香港を探る 読売記者の密航ルート潜入記」のご紹介。
この記事、大阪読売新聞社会部・曽我部道太記者が密航者に化けて香港に潜入、1ヶ月間彼の地に潜伏した、その間の取材記録であります。

先ず前段として、


神戸、大阪、横浜など日本の主要港湾都市を不良外人たちは"ハニー・ポート"と呼ぶ。密入国は思いのまま、荒かせぎは仕放題、そしてあぶなくなれば、いつでも"犯罪者の安全地帯"香港へ飛べるところから、このカゲ口が生れた。
だが、不良外人だけではない。ここ数年来日本人の犯罪者、ヤミ商人たちが港湾当局の目をかすめてヤミ船でドシドシ香港通いをしている。



なんていうセンセーショナル(でもないか)な現状を提示、続いて香港への密航の手段に関する記述に入ります。
曰く、

1、貨物船に荷物となって潜り込む。
2、客船の船員と結託して海上で落ち合い、こっそり船に乗せてもらう。
3、遠洋漁船に乗り込む。

の3種類の手段が紹介されていますが、このうち曽我部記者が選択したのは第1の方法。

1957年10月某日、関西の某港から貨物船に乗りこんだ曽我部記者の触れこみは、

欧州生まれの台湾人・李泰明

だったそうですけど、なぜわざわざ台湾語の出来ない台湾人に化けたのか、その理由は謎のまま。

約1週間後、香港に着いた船から無事脱出(脱出手段の説明もなし。この記者さん、肝心なところは全て省略する人のようです)して今度は香港市民に化けた曽我部記者をまず驚かせたのは、公称250人とされている在港日本人の人口よりもさらに多くの日本人が香港にいた、という事実でありました。
曽我部記者によればその人数は約1500人で、ほとんどが女性。
彼女たちは主にダンスホールの踊り子やマッサージ師として働いているものの、中には生活のため売春に手を染める者もおり、自分の意志で密航してきた者もいれば男に騙されて売り飛ばされた者もいるとの由。

記事中には密輸船で香港に売られてきた茨城出身の女性(王惠。日本名不詳)へのインタビューが掲載されていますが、そこには一緒に売られてきた友人のシゲ子はマカオに転売されて娼婦をしている旨の記述があり、『ならず者』の南田洋子もあながち絵空事ではないのだなあと実感いたしました。

この他、九龍城砦への潜入ルポや黒社会(三合会)に関するかんたんな解説もありましたが(14Kも登場)、当時すでに

香港には九龍城砦という一度入ったら生きて出て来られないとっても怖いところがあって、三合会というとっても怖いヤクザさんの組織がある。

という、この後大部分の日本人が共有することになる香港に対しての基本認識が出来上がっていたのには、正直びっくり(と言うべきか、がっかりと言うべきか)しました。

記事は曽我部記者のルポの後、「わたしたちの見た『香港』」のタイトルのもと、野村芳太郎や十返肇等々、香港を訪れたことのある著名人がコメントを寄せておしまいになりますが、気になったのは曽我部記者がどうやって日本に帰ったのか、そのことに関する記述が全くなかったこと。

先ほども述べたとおり、「肝心なことを省略する」傾向のある曽我部記者ですが、荷物になって潜り込んだのならば帰りも荷物にならなければならないはずで、そうでないのならば正直に警察に出頭して強制送還されたのか、あるいは領事館に泣きついたのか、それとも実のところは読売サイドからあらかじめ香港政庁に取材許可を申請済の、いわば出来レースによる密航だったのか、大きな謎が残る潜入取材でありました。

っつーことは、取材内容もみんなヤラセなのか?

2 件のコメント:

  1. ヤラセでは無い!! 「帰りは、正々堂々と帰ってきた。」と聞いています。
    曽我部の娘より。

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  2. わざわざご教示ありがとうございます。

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