2008年7月14日月曜日

彷徨う観客たち

〔しようもない日常〕


どうも。
トド@酒浸りです。

昨日の午後。
婆さんに昼飯を食わせた後、新宿バルト9へ。
東京国際L&G映画祭の上映作品『彷徨う花たち(漂浪青春)』(周美玲監督)を鑑賞しますた。

昨年の同映画祭では、周監督の『刺青』が「日本語字幕無しで上映するかも騒動」に巻き込まれましたが、

今年もやってくれました!

途中で日本語字幕が消えちゃいましたよ(中英文字幕も無し。全くの無字幕状態)。

上映を一時ストップして現われた係の方の説明によると、日本語字幕作成用に借りたプリントと実際の上映用プリントでは異なる編集がなされていたため、途中で台詞が合わなくなっちゃったのだそう。

おーい・・・・。

幸い騒ぎ出す観客も無く(東○国際映画祭〔伏字及び仮名〕だったら絶対に罵声が飛び交っていたところ)、チケットの払い戻し・振り替え等の措置は上映後に行う、ということになり、見切り発車的に上映再開。
再開後の字幕はどうにかこうにかきちんと出たものの、3話からなるオムニバスの内、第1話の最後と第2話の大半が字幕無しでした。
不肖せんきち、北京語の台詞は大丈夫でしたが、何せ(台詞の)3分の2が台湾語だったので、そこは前後の繋がりで類推するに留まり・・・・。

でも、なかなかおもろかったっす。

『刺青』よりも台湾本土色の強い仕上がりで、布袋戯を取り上げている辺りは周監督の35ミリデビュー作(豔光四射歌舞團)からの引き続きのテーマかしらん。
劇中、古典的な人形を使う布袋戯が廃れていき、霹靂系の現代的なカシラを持つ大型の人形を用いた布袋戯が、同時上演(?)のセクシー歌謡ショウ(班主の娘がスケスケ衣裳で歌い踊る)のおかげもあって人気を得る、という対比を観ながら、1995年に中正紀念堂(現・台湾民主紀念館)前の広場で小西園の舞台を観た時のこと(小西園の観客はまばらだったのに、すぐ近くでやっていた伍佰のステージは黒山の人だかり)を思い出していますた。
正直、霹靂の人形は布袋戯のそれというよりは、棒人形に近いと思います。

その折の写真。
小西園の許王班主。


しかし、時間の経過の整合性に対して無頓着、というか、全く意に介していない点が、すごーく気になりますです。
だいいち、あの陸奕静、いくらなんでも急速に老けすぎじゃあーりませんか?

上映後、21日に上映される陳俊志監督の新作を観に行けたらそれと振り替えにしようと思ったせんきちは払い戻しをするのは止めにして、受付で係の方にアンケートを渡しつつ、

「中英文字幕入りの上映用プリントは借りられなかったのですか?」

と、かねてから疑問に思っていたことを尋ねてみたところ(去年の『刺青』も中英文字幕無しのプリント。英文字幕は後から入れてあったけど)、そもそもそのようなプリントの存在すらご存知ありませんでした。
てなわけで、港台映画における字幕の慣習から説明し、「仮に日本語字幕がダウンしても、中英文字幕さえあれば、観客の方もある程度の台詞の意味は取れるはずですよ」とお話ししておきますた。

係の方は「今後、検討しておきます」とおっしゃっておられましたが、果たして、来年や如何に?

付記:音楽を(せんきち的には「お懐かしや」の)許景淳さんがご担当になっておられました。

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