2010年9月22日水曜日

チャコの海底物語 補遺

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕


どうも。
トド@昨日もカレー食べ放題に行きますたです。

猫のいない淋しさが日に日に増す今日この頃ですが、ちょっとだけ更新。

前回の記事で「筑波久子の海女映画は裕次郎やアキラ映画の影に隠れて、香港や台湾で上映されることはなかったようです」と書きましたが(注1)、そんな彼女が訪台するチャンスが一度だけありました。
それは、1960年3月に台北で開催された日本映画見本市(日本電影欣賞會)。
1960年2月2日付『読売新聞』(夕刊)掲載の記事「台北で日本映画見本市」には、日活の派遣女優として筑波久子の名前が見えます。
ところが、実際に日活から派遣されたのは浅丘ルリ子と香月美奈子で、筑波久子が台湾へ行くことはありませんでした(注2)。
何ゆえに台湾行きがおじゃんになったのか、その理由は不明ですが、この年の3月から5月まで彼女の出演映画が1本もないことから見て、どうもこの時期日活といろいろあったのではないかと思われ、そんなこんなで派遣が見送られたのではないでしょうか。

追記:1960年3月から彼女はブラジルとアメリカを訪問しており、そのせいで台湾行きが流れたようです(帰国後ほどなくして彼女は日活を退社、しかししばらくは他社作品には出られず、その間に出演したのが伝説のテレビドラマ『怪獣マリンコング』でした・注3)。

1960年というと、台湾では前年に前田通子の『女真珠王の復讐』が上映されてセンセーションを巻き起こしていた時期に当たります。
ですから、もしも筑波久子が台湾へ派遣されていれば、「前田通子と並ぶグラマー女優(台湾風に言えば「肉彈」)」としてマスコミの注目を集めたに違いありません。

まあ、縁がなかったといえばそれまでですが、やっぱりなんだか惜しい気がするのであります(そう思っているのは私だけかも知れんけど)。

注1:筑波久子の出演映画の内、台湾で上映された作品は『海から来た流れ者(挑戰火山島)』のみのようですが、この映画の彼女は脇役(二本柳寛の秘書で宍戸錠の情婦←でも結局二本柳寛ともヤッちゃう。パツキンに紫色のスーツという強烈なカラーコーディネートで登場)ですので、主演作は1本も公開されていません。
注2:そのときの上映作品(短編除く)と派遣女優は下記の通り。
日活:『南国土佐を後にして』東宝:『暗黒街の対決』大映:『千姫御殿』新東宝:『明治大帝と乃木将軍』(当初の予定は『女奴隷船』!)東映:『独眼竜政宗』松竹:『朱の花粉』。
日活:浅丘ルリ子、香月美奈子、東宝:北あけみ、大映:岸正子、新東宝:万里昌代、東映:佐久間良子、松竹:芳村真理。
注3:帰国後、1960年5月の雑誌対談で「次回作は今村昌平先生」と語っているところから見て、この時退社しなければ『豚と軍艦』に出ていたのではないか…と思われます。あらら。

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