2014年12月21日日曜日

尤敏ゆかりの土地巡り in 吉隆坡 (その三)

〔尤敏〕〔えいが〕〔たび〕

1962年当時のパヴィリオン・シアター。


どうも。
トド@あらまあ、もうすくお正月!です。

なんだか年を跨いでの企画になっちまいそうですけれど、とりあえず、前回の続き。
 
・パヴィリオン・シアター(Pavilion Theatre、光藝戲院)跡
 
かつてブキッ・ビンタン通りにあった映画館。
1936年、陸運濤の母である林淑佳(広東省から裸一貫でマレー半島に渡り、やがて巨万の富を築いた陸佑の第四夫人)が聯營戲院集團有限公司を設立、この地にパヴィリオン・シアターを建てて、映画産業に参入します。
その後、 日本軍のマレー半島侵攻による苦難の時代を経て、日本の敗戦後、再び事業を開始、やがて映画製作にも乗り出し、陸運濤はアジア映画史に残る大きな功績を残すことになるのでした。
 
そんな電懋創業の地とも言えるこの映画館ですが、惜しくも21世紀に入って閉館、 現在はクアラルンプールで敷設中のMRTの建設予定地になっているらしく、どっかんどっかんと工事中でおました。
 
 
昔の面影は皆無orz
 
これが開通するとさらに
便利になるのでしょう、きっと。

1962年4月9日、このパヴィリオン・シアターで『香港の夜(香港之夜)』のプレミア上映会が開催され、『香港の星(香港之星)』のマレーシアロケで当地を訪れていた尤敏と宝田明も出席、舞台挨拶を行いました。
 
舞台挨拶を行う尤敏と宝田明。

 
マレーシアの記者と記念撮影をする尤敏。
 

パヴィリオン・シアターの外で
尤敏の出待ちをする人々。

なお、現在でもブキッ・ビンタン通りには同名の巨大ショッピングモール及び映画館がありますが、こことは無関係です。

(例によって続く)

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