2015年5月9日土曜日

孤女凌波

〔えいが〕

台湾映画を代表するカメラマンの1人、
林贊庭が撮影を担当。


どうも。
トド@なんだかだるいです。

さて、今日も台湾語映画のご紹介。

1964年、台湾(大都)。金超白監督。小燕、小娟(陳秋燕)、英英、他。
台湾における凌波の爆発的な人気にあやかって、本人に無断(!)で製作された伝記映画。
黃仁の『悲情台語片』(1994年、萬象圖書)にこの作品の詳しい紹介が掲載されており、十数年前にそれを読んで以来、ずーっと観たい観たいと思い続けていた映画でありますた。
あらすじ(今日は詳しいよ!)は、下記の通り。

黄小妹(小燕)は歌のうまい小学生でしたが、父を失ったため、母(英英)、おじ(父の弟。洪流)と共にもう1人のおじ(末弟)を頼って汕頭へ向かいます。
しかし、汕頭のおじも半年前にこの世を去った後でした。
旅の疲れとショックで倒れた母は入院しますが、入院費を払えないため、小妹は身を売ることを決意、これを哀れに思った君(楊渭溪)は彼女を援助、君に感謝した母とおじは小妹を君に託し、姿を消すのでした。
こうして君の養女となった小妹でしたが、君が養女の面倒ばかり見ていることを面白く思わない君夫人は、なにかと小妹に辛く当たります。
やがて国共内戦となり、君夫人と小妹は一足先に香港に逃れるものの、相変わらず夫人は小妹のことを苛め、使用人同然にこき使うのでした。
そんな中、小学校時代の恩師・程先生と再会した小妹は、先生の紹介で廈門語映画の監督・袁と知り合い映画デビュー、人気スターとなります。
小妹から女優・小娟となって人気スターの仲間入りをした彼女でしたが、彼女の美貌に目を付けた初老の富商・史(フィリピン華僑。賴德南)は、君夫人に100万香港ドルをやると持ちかけて彼女との結婚を迫ります。
結局、養母の意向を受け入れ、やむなく年の離れた史と結婚した小娟でしたが、実は史には本妻がいたのでした。
史の本妻から執拗な嫌がらせを受けながら、史の家を出ることも許されない小娟。
ようやく汕頭から香港に辿り着いた君と今までの行いを悔い改めた君夫人は、小娟を離縁してくれるよう頼みますが、史の本妻は頑として受け付けません。最終的に、史の身を挺した行い(小娟を開放しなければ自分は死ぬ!と本妻を脅す)により、小娟は自由の身となったのでした。
再び親子3人の暮らしを始めたものの、香港では君に仕事もなく、家族の生活は困窮していきます。
やがて小娟は袁監督の斡旋で今度は北京語映画の製作会社である邵氏の面接を受けますが、女優としては採用されず、黄梅調映画の代唱歌手(インド映画でいうところのプレイバックシンガー)として契約することになりました。
そんな折、新作『梁山伯與祝英台』に新人を起用したいと思っていた李翰祥監督は、レコーディングスタジオで彼女の姿を見て梁兄哥に起用することを決意、凌波という新しい芸名を彼女に与えます。
やがて映画は完成、試写会で凌波の演技は絶賛を浴びるのでした。(おしまい)

凌波本人に無断なだけでなく、樂蒂や李翰祥も実名そのままで登場する(もちろん無断)この映画、今なら大問題になるところでしょうが(というか、それ以前に作らないわな)、なんとなーくそのまま公開されちゃった辺り、のんびりした時代だったのだなあと思います。
実際の凌波の祖籍は汕頭で、幼少期に廈門の君家に引き取られて養女になった、という経緯から、彼女の前半生に関しては当時さまざまな報道がなされており、この作品もそれらの報道を元にして作られたもののようです。

「石切場で働く男が誤って転落死→男のシャツのポケットからは娘らしい女の子の写真が→その写真を手にいずこかへ疾走する別の男→タイトル」という冒頭の展開はなかなかイケていたものの、それ以降は思い入れたっぷりのダラダラ芝居が続き、

饅頭を手に入れるため、
着ていた服を手放したはずが、

次のシーンではちゃっかり
また服を着て登場

という、アバウトな編集もあったりして、その点がちょいと残念でした。
ですが、ストーリーそのものは波乱万丈で面白く、何より、今となっては当時の凌波人気を知る上でかなり貴重な作品であると言えるでしょう。
 
ちなみに、こちらのサイトでは子供時代(小妹)を演じた小燕のことを後の陳秋燕(『油麻菜籽』で金馬奨を受賞した名女優)としていますが、これは間違いで、少女時代から凌波として成功するまでを演じた小娟が後の陳秋燕です。
たしかに、陳秋燕の子役時代の芸名も小燕なのですけれど、この作品が撮られた時点では彼女は既に18歳になっており、計算が合いません。
実際の作品を観ていれば、このような間違いはないはずなのですが……(おまけに「小娟即凌波」とか書いてあるし。これだと凌波が自分自身を演じたことになっちゃうよ)。
(本作で子供時代を演じた二代目(とでも呼ぶべきでしょう)小燕は、以前こちらでもご紹介した『地獄新娘』にも出演しています。)
 
邵氏ファンの方にもぜひ一度観て頂きたい映画です。
 
小娟を演じる小娟(陳秋燕)。

樂蒂には、台湾語映画を
代表する女優の1人・
何玉華が扮しています。
 
なんちゃって李翰祥。
大橋巨泉じゃないよ。
ハッパフミフミ。
井脇ノブ子でもないよ。
やる気!元気!いわき!

なんちゃって邵逸夫。

『梁山伯與祝英台』製作中の一こまを再現。

医者役で王俠も出演。
彼も後に邵氏で活躍しました。

映画の舞台は廈門から汕頭、
汕頭から香港に移動するのですが、
もちろん全て台湾で撮影。
でもこの汕頭、香港じゃね?

そして香港は、なんと数寄屋橋交差点!

身を売ることを決意した小妹は、
こんな紙を前に置いて路上に座り込みます。
そういえば、尤敏の『桃花淚』にも
これと似たようなシーンがありました。

国共内戦の件で出る字幕。
あくまでも悪いのは毛沢東という国府の姿勢は、
こういった台湾語映画にも影響を及ぼしています。
 
おまけ:呂訴上の『臺灣電影戲劇史』
(1961年、銀華出版部)に掲載されている
小娟時代の凌波の写真(矢印が凌波)。
 以前読んだ本に、台湾で『梁祝』が大ヒットしたのは、
故郷を懐かしんだ外省人が何遍も観たから、
とか書いてあった記憶があるのですけれど、
決してそれだけではなく、小娟時代の彼女の廈門語映画が
台湾でも公開されていたことや、『梁祝』が歌仔戯でも
ポピュラーなレパートリーになっている、
という、本省人にも馴染のある配役&素材
だったことも大きかったのだと思います。
 
(そんなこんなで終了)
 
もひとつおまけ:東京が香港として登場する台湾映画、1980年代になっても実は作られていました。

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