〔えいが〕
1966年、東映京都。山下耕作監督。鶴田浩二、藤純子、丹波哲郎、楊群、兪鳳至主演。
「香港でコテコテの仁侠映画を作っちゃいました」な1本。
「日本人と中国人、力をあわせて悪い白人をやっつけろ!」という、まるで戦時中の国策映画みたいなストーリーでしたが、悪い白人がいわゆるマフィアで、植民地行政に関わる人間でなかったのは、香港政庁に対する配慮が働いたのでしょう。
しかしこの映画、国籍や民族を超えた男の友情(鶴田、丹波&楊群)という側面から見ると、ややインパクト薄でした。
反目し合っていた男たちがやがて固い絆で結ばれていく、その過程をもう少し丹念に描いて欲しかったところです。
中国の廟で鶴田浩二と楊群が兄弟分の盃を交わす、その件は何となく香港ノワールのルーツのような匂いがしましたが。
また、全編を通じて鶴田浩二の自己陶酔ぶりが少々鼻に付く点が残念。
丹波ちゃんの投げやりな演技(?)が、一服の清涼剤の役割を果たしていました。
劇中、時代設定は「昭和8年」ということになっていたものの、撮影当時の香港の街を背景に「昭和八年 香港」なる字幕が出る東映ならではのアバウトさはあいかわらずでした。
他にも、すでに公娼廃止令が出ていた時代なのに藤純子たんが(香港で)身売りをしちゃったり(無茶やなあ)、十五年戦争突入後なのにそれほど派手な排日運動が起こっていなかったり、香港なのに晴天白日満地紅旗が大々的にフューチャーされていたり等、ちいとばかし首をかしげたくなる部分がありました。
ところで、本作の撮影協力としてクレジットされていた「永昌影業股份有限公司」は、よくよく調べてみると、香港ではなく台湾の、それも東映映画の代理店であることが判明、さらに調査を進めたところ、台湾側のデータでは日台合作映画の扱いになっていました。
それを踏まえた上で、もう一度本編を仔細に観てみたら、あらら、香港と言いながら、冒頭の街並みの遠景や鶴田浩二と藤純子が香港島の高台から街を見下ろす場面、ラスト近くの鶴田浩二が船着場へ疾走する場面等の他は、みんな台湾で撮ってるじゃあーりませんか。
日本統治時代の木造家屋の屋根までばっちり映ってますよ。
なぜこんなねじれ現象が起こったのか、その理由は不明ですが、台湾で公開されたときにも香港でのお話になってたんでしょうか、これ。
ちょっと変わった合作映画だったのね。
付記:『徳川いれずみ師 責め地獄』で怪しい中国人をやってた簑和田良太が、ここでも楊群の子分の中国人をやってました。実は中華濃度の高い男優?
追記:「台灣電影資料庫」に、下記のような記事がありました(6月5日記)。
1966-05-20 日本著名影星鶴田浩二來台慶賀我第四任總統副總統就職大典,並參加中日合作彩色片「龍虎雙俠」台灣外景部分的拍攝。
(於:東映チャンネル)
兪鳳至は楊群夫人で、夫妻でプロダクション・鳳鳴を経営していたんですよね。
返信削除ところで私の周囲でも風邪が流行気味ですが、お体は大丈夫ですか?
吉田さん
返信削除>兪鳳至は楊群夫人で・・・・
はい、そうです。
この映画は鳳鳴設立前の映画だと思います。
身体の具合はだいぶよくなりましたが、まだ鼻と喉がおかしいです。
今年の風邪はほんとにしつこいですね。
せんきちさん、貴重な情報ありがとうございます。
返信削除たしかに台湾のようですね。
ところで、私が観たのは2年前に録画したものなんですが、トリミングで字幕が切れまくっていました。今回もそうだったのでしょうか?
しゃおがんさん
返信削除こんにちわ。
そうなんです。台湾なんですよ、これが。
>トリミングで字幕が切れまくっていまし
>た。今回もそうだったのでしょうか?
切れまくってました。字幕を付け忘れたのかと思ったくらいです。観ているこっちもキレまくりそうに・・・・。