2005年6月20日月曜日

池玲子 in 香港

〔ちょっとお耳に〕



先日、「香港の古新聞、あな探し」なる記事で、日本のグラマー女優(死語)の香港に於ける認知度を探りましたが、その後、「ああ、そういえば、嘉禾(ゴールデン・ハーベスト)の『心魔(悪魔の生首)』に出た池玲子、彼女に関する記事もあるはずだよなあ、きっと」と思い捜索したところ、いろいろ面白いことがわかりましたので、さっそくご報告いたしますです。

池さんに関する最初の記事が登場するのは、1974年8月8日付『香港工商日報』。
池さんの紹介兼『心魔』の撮影ルポですが、まだ香港に来て間もない池さんが言葉も通じず淋しい思いをしている、なんてことが書いてあります。
記事中、なぜか池さんの名前は池田玲子と本名で書かれており、そこにはごていねいにも「このたび嘉禾が池玲子と改名」(例によって超訳)と注記してあって、思わず、

うそこけ

と言いそうになりました。

この後、8月15日付同紙には、撮影の休みを利用して記者さん同行で郊外へのピクニック兼写真撮影会を行うという記事があり、また、8月27日付同紙には「池玲子は語学の天才」(短期間で広東語・北京語をかなり覚えた)という記事も見えますが、後者に関しては8月24日付『華僑日報』にも同様の記事があるので、どうやら嘉禾が宣伝用に流したネタのようです。
さらに、9月6日付『香港工商日報』には、池さんが香港で早くも「外国人男性と親しいお友達になった」というご当地初ゴシップ記事が登場しており、また、『香港工商日報』の楊翠さんという記者はよほど彼女のことが気に入ったらしく、コラムで何度か彼女のことを取り上げています(例:池玲子は親しみやすい女性)。

『心魔』の撮影も終わり、無事日本へ帰国した池さんでしたが、11月に入って、彼女の主演作品である『女番長ゲリラ』が、嘉禾の配給により香港で公開されました。

中文タイトルは、『十三太妹』。

新聞記事(『香港工商日報』)にある解説には、「女番長(スケバン)とは飛女の意味であり、飛女のことを台湾では太妹と呼ぶので、このようなタイトルになった」と、もっともらしい理由が書いてありましたが、あきらかに『十三太保(英雄十三傑)』のパクリですね、このタイトル。


↑おっ!油麻地戯院でも上映してますぜ。にしても、杉本美樹子って・・・・。

映画の公開に合わせて宣伝のために再度来港するはずだった池さんでしたが、日本での映画撮影に追われて実現は叶わなかったようです。
しかし、ちょうど呉宇森(ジョン・ウー)監督の『女子跆拳群英會(ジョン・ウーの龍を征する者)』に出演のため香港に滞在していた衣麻遼子(やはり『女番長ゲリラ』に出演)が宣伝に協力できるのではないか、といったことが11月14日付『香港工商日報』にはあります。

なるほど、ウー先生の映画って、この時期に撮影してたんだ。

というわけで、主役不在のまま公開が始まった『女番長ゲリラ』でしたが、84分の作品が当地の検閲によりばっさばっさと鋏が入って60分程に大幅短縮、結果、「『十三太妹』は最低映画」(11月16日付『香港工商日報』)との烙印を押されて上映終了となりました。

『女番長ゲリラ』公開時に来港できなかった池さんは、12月初めに香港で開催された「日本映画祭」(『男はつらいよ』等4作品を上映)に合わせて再び香港を訪れテレビにも出演、歌を歌い(何の曲か気になります)簡単な広東語会話も披露しました。
「日本の女優が香港のテレビに出て広東語をしゃべった」という点は、彼の地のお茶の間にも好意的に受け止められた模様です。

この滞在中、池さんは『心魔』で共演した柯俊雄(クー・ジュンション)の近況をしきりと知りたがり(撮影中、2人は日本語でおしゃべりしていたそうです)、また、苗可秀(ノラ・ミャオ)と機会があったらぜひ共演したいと語っています(12月6日付『香港工商日報』)。

香港での池さんの知名度が比較的高くなったと見た嘉禾は、先に上映する予定だった『女子跆拳群英會』を後回しにして『心魔』を上映することに決め、かくして、1975年1月1日から上映が始まりました。
映画の宣伝のため、嘉禾は「特製池玲子カレンダー」を10万枚作成、切符を買った人に進呈するという荒業に出ましたが、これを知った池さんは大感激、「記念に1枚ほしい」と嘉禾におねだりしています(1975年1月1日付『香港工商日報』)。

が、残念なことに、映画自体は評もよくなく(1月5日付『香港工商日報』)、観客動員も伸び悩んで、池さんの香港映画初主演はあまりよくない結果に終わったのでした。
当初の予定では『心魔』の後にも香港で映画を撮るプランがあったようですが、日本での仕事が忙しかったため(決して『心魔』の出来が悪かったからと言うわけではなかったようです)、結局、彼女の出た香港映画はこれ1本きりとなりました。

以降、しばらくの間、彼女の名前は香港の新聞から消えるものの、1977年6月に入って突如、彼女の1971年の作品である『現代ポルノ伝 先天性淫婦』が「池玲子の新作映画」として上映されています。



この頃、日本での彼女は覚醒剤に賭博とスキャンダルまみれで、最悪の状態にありましたが、香港の皆さんはそんなこととは露知らず、彼女の「新作」を堪能していたのでありました。

めでたしめでたし。


おまけ。『女囚701号 さそり』、香港公開時の広告。
梶芽衣子の名前が尾芽衣子になってます。
ひらがなでは書けないわ、あぶな過ぎて。

2 件のコメント:

  1. いつもいつも笑い死にしそうな楽しいお話をありがとうございます!せんきちさんについて行きます。
    池玲子…いきなり思い出してのけぞりました。
    >梶芽衣子の名前が尾芽衣子に
    ぐわぁっはっはっは!新聞の誤植ツッコミはキリなく楽しいですね。ひとつ前の記事の「六月のはなよみ」。ちゃんと確認しろよっ!って、このアバウトなセンスだ大好きでーす。

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  2. もにかるさん

    こんにちわ。
    今回の捜索で、池さんが香港のテレビ(無線でしょうか?)にまで出ていたことを知り、びっくらこきました。
    『十三太妹』ってタイトル、まさに「ゲリラ」的なネーミングで、嘉禾のセンスに脱帽です。
    >尾芽衣子
    本人が知ったら、どんな顔をするか・・・・。
    関西方面では、禁じられた名前になりますね。
    >「六月のはなよみ」
    この映画に出てる劉恩甲も馬力も日本語ができるので、彼らの訛り(?)でしょうか(おいおい)。
    でも、電懋の映画はけっこう日本に好意的なので、観ていて救われます。

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