2005年6月12日日曜日

香港の古新聞、あな探し

〔ちょっとお耳に〕


英語吹替に中文字幕ということは、インド人や欧米人も殺到したのか?

すいません、今日も古新聞ネタです。

一昨日、例の検索で探し出した尤敏の記事を読んでいたところ、同じ面(芸能面)に松竹のグラマー女優・泉京子に関する記事があるのを発見しました(1960年5月1日付『香港工商日報』)。
それによると(以下、超訳&超要約)、「日本映画は香港において既に一定の人気を獲得しているが、その原因として作品の水準の高さの他、大胆な性描写が観客に歓迎されている」といった点を指摘した上で、「日本の映画界で『肉弾』(グラマーのことでせうか?)として知られている女優・泉京子の新作『裸體女海盗』(原題『人魚昇天』)が、香港島及び九龍で上映される」とあり、彼女の1958年の主演作『人魚昇天』が、この時期香港で公開されていたことがわかりました。

ま、同時期の香港映画が「キスをする、しない」で大問題になるような状況だったのに比べて、美しい女優さんたちがあんなことやこんなこと、あんな格好やこんな格好までしてしまう日本映画は、きっと香港の殿方のハートをわしづかみにしたに違いありません。

そこで、ちょっくら興味を抱いたわたくしは、泉京子に関する記事を検索、すると、驚くなかれ、同じ年の6月、『紅衭子』(原題『続々禁男の砂 赤いパンツ』)の公開に合わせて彼女は来港、舞台挨拶や記者会見をこなしていたのでした(いずれも『香港工商日報』による)。
ちなみに、記者会見時の記事の見出しには「日本のマリリン・モンロー」とあります。

褒めすぎや、あんた。

しかも、この映画を配給して泉京子を香港へ呼んだのは、あの電懋。
ショウ・ブラザーズの宿敵、キャセイ・オーガニゼーションであります。

電懋って、オトナの会社だったのね。

泉京子がどうも香港でかなりメジャーな存在だったらしいことは、以前、1961年の『週刊サンケイ』グラビア記事(「香港の中の日本」。すいません。何月何日号だったか失念しました)に、彼女の出演映画の看板を食い入るように見つめる香港のオッサンの写真が掲載されているのを見て以来、うすうす感じてはいましたが、まさか映画の宣伝のためにわざわざ香港まで行っていたとは。

「ジャパニーズ・エロス、おそるべし」ですわ。

で、さらに興が乗ったわたくしは、グラマーついでに前田通子(新東宝代表)や筑波久子(日活代表)でも検索をかけてみましたが、残念ながら記事はありませんでした。
前田通子の人気は、どうやら台湾限定だったみたいです(くわしくは、川本三郎氏の『君美わしく』をご参照下さい)。

でも、三原葉子こちらもどうぞ)の記事はありましたよ。
一番早い時期が1961年5月17日付『香港工商日報』で、うそかまことか記者さんが三原葉子の自宅を訪問、単独取材に成功しています。
日本のどこかのスポーツ新聞からパクったのか、それともほんとに訪ねていったのか、謎は残るものの、香港でもちゃんと彼女の名前が知られていたことを示す記事です。
その後、かなり長期に亘って彼女の記事が香港の新聞にも掲載されていますが、一番最後は1978年7月24日付『華僑日報』にある記事。
女囚701号 さそり』での彼女の演技が取り上げられていました。
中文タイトルは『蠍女七零一』(そのまんまや)。
この頃、香港で公開されたようです。

なんだかキリがないので、最後に「とどめの一発!」とばかり、呉宇森(ジョン・ウー)監督が師と仰ぐ石井輝男監督に関する記事がないか探してみたところ、 1965年7月17日付『華僑日報』に『雙雄喋血記』の紹介記事がありました。
そう、この映画こそ、呉監督の『狼 男たちの挽歌・最終章(喋血雙雄)』のルーツである『ならず者』の中文タイトルであります。

ちいとばかり、感激いたしました。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

せんきちさん、今晩は。
【香港日本関係年表/陳湛頤 楊詠賢/香港教育圖書公司】1960年の《文化交流・出版─民間活動・其它》を見てみると、
2.11 日本女星野添瞳、矢島弘子等随電影《藝術春潮》来港登台、同行者有大映電影公司的副総裁永田秀雅。
2.11 日本電影《手車夫之戀》在港公映。
3月 作曲家服部良一来港電影《野(王攵)瑰之戀》作曲。
6.21 日本女星泉京子随《紅衭子》一片来港登台。
11.2 日本東寶電影公司舉行東寶電影節、常務董事川喜多長政、影星司葉子、劇作家石原慎太郎等来港主持開幕。
11.15 日本影星小林旭、白木瑪利、浅井信子等来港拍撮電影外景。
12.12 東寶歌舞団在京華戲院演出。
と書いてありました。
こう見てみると、結構交流があったんですね。

せんきち さんのコメント...

胤雄さん

こんにちわ。
ご教示ありがとうございます。
うわあ、こんな素晴らしい本があったのですね。
さっそく注文します。

・『手車夫之戀』というのは、三船版『無法松の一生』でしょうか。
たしか、4月にアジア映画祭で来日した尤敏も「観た」と言っていました。
・11月の東宝映画祭のとき、藤本真澄は尤敏に会い、合作映画出演を要請したのでした。
・11月の旭と白木マリのロケは『波涛を超える渡り鳥』ですね。この前か後にタイでもロケをしているはずです。浅丘ルリ子もいたのですけど・・・・。
・東宝歌舞団は、1962年にも公演を行っています。SKDはたしか1958年に公演をしていますね。

すいません。気付いたまま、いろいろ書いてしまいました。