えー、例のタスキ、「なんだか粤っぽい ~小心ものは地を滑る」の胤雄さんと「ごった煮の記-徒然なるまま-」のkatetakeさんもお引き受けくださいました。
ありがとうございます。
自主引き受け、まだまだ募集中ですので、コメント欄かミニBBSにて参戦表明してください。
よろしくお願いいたします。
さて(いつもこれだよ)。
昨日の続きです。
あと一歩でジウ姫になり損ねた李媚華さんのことですが、いつもお世話になっている「DAY FOR NIGHT」の映画館主・Fさんから、「李嬪華(イ・ビナ〔イ・ビンファ〕)では?」とのご教示を賜りました。
で、調べてみたところ、はい、たしかに、
李嬪華さんでした。
『週刊平凡』、字、間違ってるぞ。
その後ハングル表記もわかったので、韓国のサイトを検索、翻訳ソフトのとほほな訳を深読みしながら得たのが、下記のプロフィールです。
李嬪華(이빈화)
1934年2月3日ソウル生まれ。本名は李淑翰(리숙한)。
女学校時代から舞踊と音楽に才能を示し、その後、国立国楽院古典舞踊研究所に在籍、ここでの3年間の修練によって彼女は優雅さを備えただけでなく、映画に出演するチャンスも得ることとなりました。
1952年、『成仏寺(성불사)』のヒロイン役でスクリーンにデビュー(って、ここでも『週刊平凡』、間違ってるじゃん)。
1956年、『青春双曲線(청춘쌍곡선)』で演じた奔放な金持ち娘の役が好評を得、翌1957年の『殉愛譜(순애보)』で女優としての地位を確固たるものとしました。
彼女が1961年に来日したとき、ちょうど『青い目の蝶々さん』の撮影で日本に滞在していたイヴ・モンタンと対面、モンタンが「韓国にも、あなたのように背の高い女性が多いのでしょうか?」と質問したというほど長身の東洋人離れしたプロポーションで、あるときにはジーナ・ロロブリジダ、あるときにはソフィア・ローレンに喩えられました。
しかし、古典的なメロドラマにおいては、彼女の現代的でグラマーなスタイルはヒロインのそれとはマッチせず、次第に脇役に甘んじることが多くなっていきました。
1969年までの彼女の女優としてのキャリアの内、今日そのピークと考えられているのは、(登場時間は決して長くはありませんが)1967年の『霧(안개)』だそうです。
その他の出演作品には、『雨降る日の午後3時(비 오는 날의 오후 3시)』(1959年)、『土(흙)』(1960年)、『殺人魔(살인마)』(1965年)等があります(フィルモグラフィは、こちら)。
2002年11月4日から8日にかけて、韓国映像資料院において回顧上映が行われました(「韓国映画名優回顧展」の一環)。
なんだ、すごい女優さんじゃん。
でも、写真やプロフィールから類推するに、どうやら若林映子タイプみたいだから、日本ではあまり受けなかったかも知れん。
にしても、惜しいことしたな、東宝。
2005年7月28日木曜日
ごめんね、李嬪華さん
〔ちょっとお耳に〕
せんきちさん、こんにちわ。
返信削除いやぁ、思ってたよりも大した女優さんでしたね。驚きました。
もっと驚いたのが、決して大きな役ではなかったはずの「霧」が彼女の演技歴のピークだったというくだり。どういう事なんでしょうか?作品的にはどれもあまり質が高いと思われてなかったのでしょうかね。
今そのフィルモグラフィーを見ると、「殺人魔」とかいうのはちょっと見てみたいですね。韓国のサスペンスやスリラーは面白そうです。
ともあれ、日本映画への主演が話だけで終わったのはまことに残念な気がします。
それと、「霧」はとてもムードのある映画なんで、ソフト化して欲しいんですけどね。
Fさん
返信削除こんにちわ。
>「霧」
主演ではないけれど、その演技は高く評価されている(韓国限定)ということではないかと。
観てないんで、何とも言えないのですが。
ただ、他の映画の質が低いということではないと思います。
あの時代ですから、日本映画に出るなんていう話だけで大変なことになったはずです。
尤敏も一部の人たちから漢奸呼ばわりされたそうですし。