〔えいが〕
上海の影視楽園で撮影したシーンがあると聞き、『広島・昭和20年8月6日』を観ておりましたが、あまりにも現在からの視点であの時代を描きすぎだなあと思い、いささか辟易。
灯火管制やら、軍事郵便の検閲やら、こまかい部分の考証がどうにも気になり・・・・。
劇中、なぜか『虹の彼方に』を口ずさむ件がありましたが、『オズの魔法使』(1939年)って、日本で公開されたのはたしか1950年代に入ってからのはず。
歌だけは入ってきていたってことなのかしらん?
で、問題の影視楽園部分ですけど、朝鮮人女学生と彼女をかばうヒロインの1人(3人姉妹の3女。下に1人弟がいます)を被服工場の教官(軍人)が「気に入らん!」と追い掛け回す件もここで撮影されており、「中国人の住んでいるところよ」と叫びつつ2人の娘っ子は里弄へ逃げ込むのでありました。
広島の街に里弄・・・・。
里弄を逃げ惑ういたいけな娘っ子たち。
それを執拗に追い回すサイドカーに乗った帝国軍人(ちょび髭はないけど)。
まるで抗日映画のようだわ。
さてさて。
便乗企画第3弾。
ちょっこし前に調べたまま塩漬けになっていたネタを、いまさら掘り起こしてみました。
以前、メインサイトのほうで、早稲田大学演劇博物館にある邵氏作品の日本語シナリオに関しての報告を執筆しましたが、今回はその他の日港合作映画のシナリオに関する報告ざます。
『鬼仇』(日活・香港榮華)
裏表紙に「44.11.10 30部」とのペン書があります。
内部には「監督 森永健次郎 撮影 松橋梅夫 助監督 飯塚二郎」との記載がありました。
おおまかなストーリー:仙霞領飛雲洞から宝剣・寒雲剣を盗み、霊雲剣客・張分域を殺害した劉昌を捕らえようとした張の弟子・馮は劉に敗れて傷を負いますが、ある老人に助けられます。
が、老人の住まいは、若い女性の幽霊が住む化け物屋敷でした。
幽霊の正体は、かつて劉昌に手ごめにされて亡くなった娘・顧柴蘭。
ここから、馮と柴蘭の不思議な関係が始まり、2人は力を合わせて劉に復讐するのでした。
タイトル及び監督名、さらにストーリーからみて、このシナリオは1971年の『一劍勾魂(The Ghost's Revenge)』のものと考えられます。
が、今日のデータでは、 『一劍勾魂』は日活と榮華の合作ではなく、榮堅(吳「榮」華と關志「堅」で「榮堅」。わかりやすいね)の製作で、監督も森永健次郎と楚原の共同監督になっています。
これはいかなることやらんと思うに、「44(昭和44年=1969年).11.10」とシナリオに書かれたこの作品が、じっさいに完成して公開されたのが、1971年5月27日のこと。
つまり、1年半以上も時間がかかったということになります。
その1年半の間に経営が左前になった日活はこの映画から「イチ抜けた!」と手を引き、榮華サイドは仕方がないので楚原を後釜に据えて撮影を続け、關志堅にもバックアップを仰いでどうにかこうにか公開にこぎつけた、というのが実態ではないかと、あっしは踏んでおります。
シナリオにキャストの記載はありませんが、上映データから類推するに陳思思が顧柴蘭、狄娜が顧家に仕えるちょっぴりエッチな侍女、で、田青が・・・・おそらく馮なのだと思うのですが、劉昌の可能性もあり、どっちなんだかよくわかりません。
ストーリー的にはコミック武侠映画なので、それじゃあやっぱり馮かな。
ということで、今日はこの辺で(なんとなく続く)。
せんきちさん、こんにちは。
返信削除昨日たまたまテレビをつけたら中国映画やドラマでよく見る上海・影視楽園の街が映っていました。なんのドラマかなと思って新聞の番組欄を見ると『広島・昭和20年8月6日』。なんで広島なのに上海?広島に来る前に姉妹は上海にいたの?途中から見たので「???」でした。一応「中国人の住んでいるところよ」というせりふはあったんですね。でもエキストラの通行人は中国人にしか見えなかったし、やっぱりへんでした。
紅紅さん
返信削除こんにちわ。
不思議でしたねえ、あれ。
表通りはともかく、裏通りにまでカメラを入れちゃうとはなんと大胆な!と、びっくりいたしました。
一応台詞はあったんですけど、無理やり感は否めず・・・・。
エキストラ、もちろん皆真性チャイニーズでした。
とほほ。