2006年9月6日水曜日

行くだけ行った in 台北 (その5)

〔たび〕

真ん中に写ってるハゲ子供さんが
成龍だということは、前に書きましたね。

8月27日(日)つづき
車中でAさんと他愛ないおしゃべりをするうち、10分ほどで國家戯劇院に到着。
地下の駐車場に車を停め、劇場へ。

國家戯劇院に来るのは3度目。
1度目は学生時代(だいぶ前)、大学の先生のお供で「劇場機構の見学」というもっともらしい名目のもとに潜入、係の人に案内してもらいながら、舞台の寸法やら、照明のことやら、いろいろ説明を受けた記憶があります(ほとんど覚えていない)。
2度目は1996年12月、ちょうど「梅花獎大集合 金獎京劇團訪台公演」の千秋楽(22日)に間に合ったので、葉少蘭の『周仁獻嫂』を観ました。

入場後、Aさんの友人でやはり樂蒂ファンであるFさん、そしてAさんのお父さんを紹介され、出演者の皆さんの写真撮影をするというAさんは楽屋裏に消えて(出入りできるのね)、1人残された私はFさんと会話をすることに。
Fさんからは、

「なんで京劇を観るの?」

と外国人が京劇を観ることに対する率直な質問が出ましたが、当方の場合、歌舞伎や文楽との比較から京劇及びその他の地方劇(含む人形戯)を観るようになった(最近どれもとんとご無沙汰だけど)というのが正直なところなので、その旨説明すると、Fさん自身はもともと京劇になど興味はなかったのだけれど、Aさんに影響されたのと例の白先勇の『青春版 牡丹亭』(これは崑劇ですが)を観たのとで古典演劇に目覚めた、という話をしてくれました。

ほどなくして、開演。
10年前にここで京劇を観た時は開演前に起立させられて国歌斉唱に付き合わされたのですが、今はもうそんなことはなし。
この日の演目は、『長坂坡・漢津口』。
日本人大好き『三国志』の中のエピソードでおます。
途中、休憩のさいにAさんが戻ってきて『漢津口』はAさんと一緒に鑑賞。
以前は京劇の公演があるとそれなりに観に行ってたんですが、ここ数年はすっかり足が遠のいておりましたので、久しぶりに堪能いたしました。

終演後、劇場地下にある怒りコーヒー、もとい、イカリコーヒーで軽い食事とお茶。
終わってみたら、Aさん、Fさん、Aさんのお父さんの他にも、Aさんのお母さん、お祖母さん、妹さんまでお見えで、Aさんの家族は一家揃って京劇好きだったことが判明(ご主人とお子さんは欠席でしたけど)、総勢7名によるお食事タイムとあいなりました。

まずはAさんとFさんにお土産の進呈。
日本の女優では三田佳子がお好きだというAさんにマルベル堂で買ってきたブロマイドを差し上げると、大層喜んでいただけたご様子。
台湾における三田佳子は『いのち』のイメージが強いらしく、Fさんも「あのお医者さんのドラマ、よかったねえ」とおっしゃっていましたが、まさかそんな場所で彼女の息子がとんでもないヴァカであるのみならず、母親である彼女もそれに輪をかけたヴァカで・・・・という話もできず、ただ喜んでいただけて何よりと微笑むほかありませんでした。
それから、出発の数日前に仕込んでおいたとっておきのプレゼント(中身は内緒)を切り札として差し出しましたが、案の定、これが一番喜んでもらえました。

三田佳子のブロマイドが出たところでひとしきり日本明星の話になり、Aさんから「いま日本で一番人気のある明星は誰?」と聞かれたので、口から出まかせで「伊東美咲」と返答、他にも松嶋菜々子だの木村拓哉だの浜崎あゆみだのの名前が出ましたが、松嶋菜々子は北京語だとなんだか間抜けな名前になることにこの日ようやく気づきました(広東語だともっと変か)。
浜崎あゆみ(濱崎歩)も「おならを我慢している人」みたいな響きになりますけど。
この他、「東京で一番の繁華街は銀座」「銀座は東京の南にある」と大嘘ばかりついておりました(前者はあながち嘘ではないか。私自身はそう思っているし)。
(大嘘といえば、Aさんがご家族に私のことを「せんきちは日本の伝統楽器を演奏する芸術家なのよ」と紹介してくれて、半分は合っているけれど半分は大間違いだったので「いえいえ」とは言ったものの、訂正するのも面倒になり特に否定もしないままスルーしてしまいました)

食後、妹さんの案内で隣接する誠品書店の映画本とDVDの売り場へ。
これも中文字幕で観たかった『恋人たちの食卓(飲食男女)』と『感恩歳月』のDVDを購入しました。
『恋人たちの食卓(飲食男女)』は、梁おばさんのキョーレツな北京語を中文字幕で解明したかったのですが、梁おばさんっていつも「没有」とは言わずに「冇」と言ってますねえ。
これもやっぱり湖南訛りなんだろか。

Aさんのお父さんとお祖母さんは一足さきに席を外して、残る5人でおしゃべりの続き。
といっても、中身はほとんど京劇の話で、やれ誰が太っているだの、誰の歌はよくないだのという品評会になり、私の北京語能力&京劇の知識では半分もわかりませなんだ。
時折、妹さんが申し訳なさそうに、

「今、台湾では京劇を観る機会がほんとに少ないの。だからこういう機会があるとつい話に夢中になっちゃって、ごめんなさいね」

と話していましたが、なるほど、確かに日本にいれば年に何回かはどこかしらの京劇団が来日公演を行っているけれど、本土化した今の台湾ではそうもいかないのだろうなと思いました。
かつての蒋氏王朝時代に、「京劇(平劇)=國劇」なんていう虚構が堂々と罷り通っていたことを考えると、隔世の感があります。
しかしながら、当時、台湾の京劇好きの人々は内地の京劇を観ることが適わなかったのに対して、その禁が解かれた現在、台湾における京劇は数ある古典演劇の一種でしかなくなっているとは、なんとも皮肉なものです。

「女3人寄れば姦しい」と申しますが、Aさん、Aさんの妹さん、Fさんの「かしまし元娘」にAさんのお母さんを加えた4人のおしゃべりは留まるところを知らず、私もがんばって時折「梅葆玖を観たことあるよ(訪台メンバーの一員である李勝素が彼の弟子だったもんで)」だの「楊赤(やはり訪台メンバーの一員)は日本にもよく来ているよ」だのと発言、その後何気なく、

「10年前、ここで葉少蘭を観たことがある」

と洩らしてしまったところ、Aさんの妹が大興奮、

「あたし、葉少蘭の大ファンなの!DVD観る?」

と発言、続いてAさんのお母さんまでもが、

「あたしは葉盛蘭(少蘭の父)の舞台を観たことがあるよ」

と参戦、そこですかさずAさんが、

「せんきち、今夜は何か予定があるの?」

と聞いてきました。
本来ならば昼の部を観ただけで失礼するはずだったのですが、

「特に何もないけど・・・・」

と答えると、

「だったら、夜の部も観ていかない?」(正確には「聴いていかない?」だったのですが、夜の部〔名段名家清唱會〕は)

とすすめられ、妹さんも「観ていきなさいよ!」とすすめるので、

「じゃあ、観ます」

と返答、その場でAさんがキップを買いに行ってくれ、結局、その日は一日中京劇漬けになったのでありました。

(つづく)

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