2009年9月27日日曜日

香港の水

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕

メタドン飲んでパパはヤク中を克服した
らしいんだが、最後までどこか荒んでるな。

どうも。
トド@崖っぷちです。

さて、ただいま放映中の『元祖!大食い王決定戦』(テレビ東京)。
毎度おなじみ海外ロケの舞台(テレ東的には精一杯気張ってます)は、今回、なんと澳門だそうです。
今現在別のチャンネルを観ている方も、大食いが大嫌いな方も、今日ばかりは観ましょう!
ちなみに、不肖せんきちは大食い番組が大好きです。
でも、魔女不在なのはさみしーなあ。
観たかったよ、澳門の魔女。

というわけで、本題。

木本正次の小説『香港の水 日本人の記録』というと、張曼玉が出演した1991年のNHKドラマ『ホンコン・ドリーム 私の愛した日本人』の原作として、ご記憶の方も多いことと思います。

講談社刊行の初版本。
1991年にはドラマ放映に合わせて
日本放送出版協会から新たな単行本が
出ました。


ところがこれ、1967年の初版当時には石原裕次郎率いる石原プロが映画化を予定しており、初版本の帯にはこんな記載(下記参照)があるのみならず、


裕次郎自身が推薦文を寄せています。
以下に、その推薦文を引用してみましょう。


骨の太い真のロマンを 石原裕次郎

毎日新聞連載中にこの作品を読んで、私は壮大なロマンに感銘した。日本映画の復興には、骨格の太く逞しい、真のロマンが必要で、そのために私はいま三船敏郎氏と協力して、「黒部の太陽」の製作に全力を傾注しているのだが、同じ著者による本書は、その上にさらに国際的な規模の雄大さを加えて、感動の振幅は一そう大きい。私は次作をこの原作と決めて、欧米の一流映画製作者との提携を準備中である。日本では始めて(原文ママ)の、本当の意味での国際的映画の実現を決意している。



裕次郎の推薦文にもある通り、この小説を書いた木本正次は『黒部の太陽』の原作者でもあり、香港の上水道建設のために命をかける日本の男たちのドラマを読んだ裕次郎が「日本のダムの次は香港のダムだ!」と閃いても一つもおかしくはないのですが、結局、この映画化は実現することがありませんでした。
小説を読んだ方ならおわかりかと思いますが、内容的に中国が絡んでくることも映画製作を困難にしたでしょうし(なんたって当時は文革の真っ最中)、何よりも予算面でかなり厳しかったのではないかと思います。

仮に映画化が実現していたとすれば、裕次郎は工事半ばで殉職する西松建設(!)の技術者・藤沢功の役を演じていたはずで、そうなると、彼と恋に落ちる香港女性・何麗芬は誰が演じる予定だったのかなあとも思いますし、裕次郎の言う「欧米の一流映画製作者」もいったい誰のことを指しているのか、ひじょーに気になりますです。
ま、キャスティングだの何だのといった、そんな段階まで行く以前に計画が頓挫してしまったのかもしれませんけどね。

2009年9月21日月曜日

海魔(陸を行く、じゃなくて)

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕

香港公開時の新聞広告(1976年3月)。

どうも。
トド@SUNTORY×暴れん坊将軍のCM(店頭ヴァージョン)、ワロタです。

ここのところ、「貧乏暇なし」状態が続いておりまして、この連休もちょこちょこと仕事をこなしております。
そんなこんなで更新も滞りがちですが、7日に1遍でも10日に1遍でもこつこつと更新していく心積もりでおりますゆえ、皆さま辛抱強くお付き合い下されば幸いです。

さて、前回の記事で特撮映画が出てきたので、今回も特撮ネタを。
ただし、最初にお断りしておくと、不肖せんきち、いわゆる特撮物に関しては明るくありません。
その道のエキスパートによる継続調査を期待して、無理を承知で敢えて執筆する次第です。
その旨、ご了承下さい。

1970年代前半、香港や台湾でも『ウルトラマン』や『仮面ライダー』等といった日本の特撮ヒーロー物が人気を集めましたが、1972年の日台断交以降、台湾で日本映画の上映が禁止(日本とその他の国との合作映画、日本人が投資した香港映画も含む)になると、香港映画界では苦肉の策として日本の特撮物から特撮場面を流用し、演技部分のみは香港の役者を使って撮影、これらを繋いだ作品を「國片」と称して台湾へ持って行くという抜け道を編み出しました(注1)。
しかし、1975年には長弓が製作した『鐵超人』が「ニセ國片」の疑いをかけられ、上映後に再審査を命ぜられるという事件が発生(注2)、この抜け道は曲がり角を迎えます。
ちょうど同じ頃(1975年8月)、三上睦男が特技(クレジットなし)、西本正(賀蘭山)が撮影をそれぞれ担当した『中国超人インフラマン(中國超人)』が台湾で上映されているところから考えると、この再審査事件は「姑息な手段を使うよりは、日本人を呼んでもいいから自前の企画で特撮映画を撮れ」という台湾当局のサインのようにも受け取れますが、それ以後、日本人スタッフが参加した香港映画の台湾での上映や台湾映画への日本人スタッフの参加に関しても、徐々に規制が緩和されていったようです(注3)。

このような流れの中、台湾の製作会社である美鴻企業機構有限公司は、高野宏一を招いて『海魔』という特撮映画を製作、撮影に当たって高野宏一は日本から20人ほどのスタッフを引き連れて参加、その技術は高く評価されました(注4)。
当時の報道(注5)によれば、『海魔』は民間故事に基づく古装片で、人間に災いをもたらす妖魔との戦いを描いた作品のようですが、しかし、どういうわけか台湾映画のデータベースである「台灣電影資料庫」にはこの映画のデータがありません。
仔細に調べてみると、どうやら1975年の『金刀斬怪魔』がそれに当たるのでは?と見られますが、新聞局のデータでは(『金刀斬怪魔』は)1980年製作となっています。

追記:上記の件に関して、「孟飛城」の管理人・JUNOさんより貴重なご教示を賜りました。
孟飛ご本人によれば、『海魔』と『金刀斬怪魔』はやはり同一作品だそうです。
JUNOさん、そして孟飛さん、ありがとうございました。


以上、わからないままに高野宏一が特技を担当した映画『海魔』をちらりとご紹介しましたが、『海魔』と同時期には同じような特撮物古装片が何本か製作されており、それらの作品との関連や(『海魔』が)台湾で公開されたのか否かについて、今後調査していく必要があると考えております。

(尻切れトンボのまま終了)

(注1)『跨世紀台灣電影實錄 1898-2000』中巻(2005年、文建會・國家電影資料館)及び1975年7月26日付『聯合報』(「特技鐵超人原屬改頭換面」)による。ちなみに、邵氏はフィルムを繋ぐのも面倒だったのか、チャイヨの『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団(The 6 Ultra Brothers vs. the Monster Army)』を輸入、これにに広東語吹替を施した作品を『飛天超人』の中文タイトルで上映しています(下の画像)。
キネ旬データベース」で『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』の原題が『飛天超人』となっているのは、おそらくここからきているものと考えられます。
また、前回の記事で触れた『火星人』(1976年、太子)の「チャイヨ特撮+台湾俳優」という組み合わせ(?)は、香港映画における「日本特撮+香港俳優」の悪しき応用と言えましょう。

「正宗電影並非電視片集」とあるのが笑えます。

(注2)注1に同じ。
(注3)西本正(賀蘭山)の会社が製作した『風流女福星(勾魂艶星)』は、「日本人が投資した香港映画は日本映画と見做す」との理由で、1974年4月に台湾での上映が禁止されており(『跨世紀台灣電影實錄 1898-2000』中巻による。しかし、なぜか今村昌平等の日本人スタッフは問題にされていないのですが。あるいはクレジットなしでの参加だったのでしょうか)、その西本が撮影を担当した『中國超人』が台湾で上映されたという点からも、規制緩和の兆しが伺えます。
(注4)1976年3月25日付『華僑日報』(「『海魔』特技出色 孟飛子可觀」)及び1976年3月26日付『香港工商日報』(「海魔特技比美超人」)による。
(注5)1976年3月19日付『華僑日報』(「余漢祥費盡惱筋 導演新奇特技片海魔」)による。

おまけ:『クレヨンしんちゃん』の父・臼井儀人氏の訃報、なんとも痛ましい限りですが、「決して顔出ししない漫画家」であるはずの臼井氏の「写真」が、なぜか中華圏の新聞報道やテレビニュースでは露わに。
こ、これって、本当にご本人なんですか…?(お答え:いいえ

2009年9月12日土曜日

嗚呼、プラパ!

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕

カエル、ウマ、ヒト。
トリオ漫才の新しい形。
(んなわけないない!)

どうも。
トド@腰痛です。

知人のKさん(いつものKさんです)から頼まれて録画したディスカバリーチャンネルの番組『知られざる台湾(Unknown Taiwan、謎樣台灣)』の第1回「金瓜石」を観ていたところ、先だって公開された金瓜石のドキュメンタリー映画(『雨が舞う~金瓜石残照~(雨絲飛舞~金瓜石殘照~)』)でもちらりと触れられていた連合軍捕虜のことがこの番組ではかなり詳しく取り上げられており、台湾に住んでこの問題の調査を続けているハースト氏や元捕虜の方も登場していますた。
番組によれば、毎年、捕虜の慰霊祭を行っているとのことで、気になって調べてみたら、"Taiwan P.O.W. Memorial Society"なる団体のサイトに辿り着きますた(中文ウィキペディア内には「金瓜石戰俘營」の項目あり)。
番組自体のメインは「金瓜石でもう一度金を掘る」という川口浩探検隊ノリの企画だったものの、捕虜のことがわかっただけでもわたくしにとっては大いに意義のある番組ですた。
Kさん、録画を押し付けてくれてありがとう。

さて。

本日は、某ミクシィ日記において7月に書いたネタの増補改訂版。

日台合作映画『バンコックの夜(曼谷之夜)』で、張美瑤扮する美蘭のけなげな侍女・プラパを演じていたタイ人女優プリム・プラパポーンたん。
それはまるで、『ベルサイユのばら』におけるロザリーたんのようでありますた。

この方ね。

しかし、この方、どんな女優さんなのか気になりながらもついそのままにしていますたが、先日、一念発起して調査を開始。
すると、下記チャイヨ映画サイト(君はチャイヨー特撮を見たか!?)にこんな記述が。

http://asia.geocities.com/fanclub_chaiyo/09_actor_list/actor_list_ha.htm
http://asia.geocities.com/fanclub_chaiyo/03_chaiyo_movie/02_Tatien/tatien_main.htm

(以下、上記サイトからの引用)

「昔は結構有名だった女優。
悪女役や露出度の高い役柄が多かった
ターティエンでも蛇を頭に乗っけた色気を見せてます(笑)」


「ええっ?あの可愛いプラパちゃんが?」と、不肖せんきち、動揺しつつもうっかり購入してしまいますた、『ターティエン(Tah tian)』(1973年)のVCD。

さっそく観てみたところ…。


何せ字幕がないので、画面の流れでテキトーにストーリーを推測せざるを得なかったのですが、わからないなりに想像した範囲では、

深海に住む大蛇が、卵抱えてえっさほいさと地上へ上陸、卵を産み落として海へ帰っていくと、それを見つけたカエルがせっせと卵を温めて無事に孵化、人間の娘(いきなり成人。この方〔名前失念〕、ミスコン出身の女優さんらしい)が生まれるものの、カエルは力尽きて昇天してしまいます。
それを見た娘は、息絶えた恩人…じゃなくて恩カエルと同化、超能力カエル娘となり、とある農民の家に身を寄せますが、やがて…

とかいうお話のようです。

で、我らがプラパちゃんは、どうやら深海に住むカエル娘の生みの母の役みたいっす。
一瞬しか出てきません。
卵の行く末を案じた父親が地上に出て娘を探しますが、途中で死んじゃった模様(その辺、眠くて前後不覚に陥っていますた)。

プラパちゃん清純神話崩壊。


「あたしたちの子供は?」とか言いながら
悲嘆に暮れているんでしょう、たぶん。
その割には笑顔だな、あんたら。


でも、あんたらの娘はこんな姿に。
安楽椅子で煙草をくゆらす巨大カエル。

この映画、最後はバンコクに舞台を移して巨大化したワット・ポーの関羽とワット・アルンの鬼が大喧嘩をするんですけれど、

鬼です。


関羽です。

巨大化した関羽といえば、思い出すのは1976年の台湾映画『戰神(關公大戰外星人)』。
『戰神』を撮った太子公司は、チャイヨの『ジャンボーグA&ジャイアント(Mars Men,Mars Adam)』(1974年)のフィルムを流用した『火星人』(1976年)なんていう映画も作っているので、ひょっとして『戰神』の関羽もこれにヒントを得たのではないかしらん?

巨大化した関羽と鬼がバンコックの街を壊しまくる映像にゆるーいボーカルの歌が被るタイトルバックから、てっきりお子様向け特撮映画かと思いきや、いきなり全裸娘の水浴びシーンが延々と続いたりして、

よい子が観てはいけない特撮映画

ですた。

また、映画の冒頭、ワット・アルンから仏像を盗み出そうとした不逞の輩を鬼が押しつぶす描写が出てきますが、この「仏教を冒涜するものには鉄槌を!」というテーマはその後のチャイヨ作品にも受け継がれている(らしい)ので、そんなこともちょいと興味深かったっす。

ちなみに、カエル娘の相手役であるソムバット・メタニー(Sombat Metanee)はタイ映画を代表する男優さんですが(といっても、タイ映画には明るくないオレ)、中影のタイロケ映画『牡丹涙』では汪萍と恋に落ちる名家の御曹司を演じています(この映画もいづれ取り上げます)。

最後にもう一度、プラパちゃんの麗しき御姿を。
プリム・プラパポーンたんに関して、タイ語はもちろん英文
表記もわからないので、これ以上詳しい情報を得られずにおります。
どなかたご教示下されば幸いです。

2009年9月7日月曜日

金沢のひげちょう、通販開始!(実食編)

〔ちょっとお耳に〕

今なら、弁当箱も付いてくる!(数量限定)

どうも。
トド@大好きなクリス・コナー(Chris Connor)が亡くなってがっくりです。

さて。

届きましたよ、金沢のひげちょうから。

レ・ト・ル・ト(『異常性愛記録 ハレンチ』の若杉英二の口調〔お・ト・イ・レ〕でどうぞ)。

せんきちが注文したのは、5パック入りセット。
きれいな箱に入って、掛紙も掛かっています。


こちらがそのレトルト。
スーパーでも売ってくれ…。


正式名称はなんと「どんぶりもののもと」。


沸騰したお湯で温めること3分。
崎陽軒のシウマイと共に頂きました。

気になるお味はと言うと…。

うん、この味!(続けて読まないようにして下さい)

ひさびさに胆嚢、もとい、堪能いたしました。

2009年9月1日火曜日

金沢のひげちょう、通販開始!

〔ちょっとお耳に〕

ついにレトルトになりますた。

どうも。
トド@押尾学の黒い人脈白日の下に曝してくれ!です。

えー、今日もお知らせ、というか、勝手に宣伝を。

昨年9月、一部の人々から惜しまれつつこの世を去った、じゃなくて、東京から撤退した「ひげちょうるうろうはん(鬍鬚張魯肉飯)」。
その後、神戸店も閉店してついに日本では絶滅したかと思いきや、金沢の2店舗別資本だったおかげで日本から全面撤退という事態は免れておりました。
が、いかんせん、不肖せんきちにとっては台北よりも(心の距離が)遠い金沢。
未だに探索の機会に恵まれずにいたところ、こんな朗報が!

奥さん、できたんですよ、魯肉飯のレトルトが!

くわしくはこちらの通販専用ページをご参照いただくとして、今後はぜひとも「ほほ肉真空パック」や「煮玉子詰め合わせ」の開発もお願いしたいものです。

全国の皆様、奮ってご注文を(関係者でも何でもないんだけどさ)。

今日の一句。