許鞍華監督の『生きていく日々(天水圍的日與夜)』のエンディングでは、
彼女の代表曲「明月千里寄相思」が使われていました
(『半生縁』では「斷腸紅」が使われていましたね)。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
どうも。
トド@年賀状作成中です。
えー、昨日の記事の第2回に行く前に、以前取り上げた「台湾映画を撮った日本人監督」に関する記事(その1、その2、その3、その4、その5、その6)の補遺を。
件の記事(台湾は招くよ)の第1回で、1969年の台湾映画『我恨月常圓』の監督・陶南凱が「田中」姓の日本人監督である可能性を示唆しましたが、先だって黄仁氏の『日本電影在臺灣』(2008年、秀威資訊)を読んでいたところ、その謎が解けました。
謎の映画監督・陶南凱の正体は、
田中重雄監督
でした。
んー、なるほど、たしかに「田中」だ。
この映画、楊麗花主演の歌仔戯…じゃなくて、文芸映画(北京語)で、彼女のお相手は關山が勤めました。
ちなみに、共同監督としてクレジットされている黄銘は、1971年の『新座頭市 破れ!唐人剣(獨臂刀大戰盲俠)』では香港側のプロデューサーを勤めている人物で、『新座頭市 破れ!唐人剣(獨臂刀大戰盲俠)』は『我恨月常圓』の製作会社である永聯と勝プロの合作映画なのであります(嘉禾は配給担当)。
ということは、この黄銘なる人物、日本映画界とかなり太いパイプを持つ人物のようです。
ところで、先ほども述べた通り、『我恨月常圓』の主演は楊麗花と關山ですが、黄仁氏の前掲書ではなぜか、
唐菁と若尾文子
主演になっていますた。
どっから出てきたんだ、そのありえねーキャスト?
0 件のコメント:
コメントを投稿