2009年4月3日金曜日

台湾は招くよ (その6)

〔ちょっとお耳に〕

小林悟監督がメガホンを取った日台合作映画
沖縄怪談 逆吊り幽霊 支那怪談 死棺破り(試妻奇寃)』の
台湾上映時の新聞広告。

どうも。御無沙汰してすいません。
トド@不景気っていやあねです。
金策に走っていました(半分ホント)。

こんなつもりはなかったのに、回を重ねて第6回となってしまった出稼ぎネタ、一応今回で終了ということにしたいと思うのですが、のちほどもう1回だけ「番外編」をお届けしたいと思います。
では、さっそく本題。

・小林悟監督

小林悟監督の台湾での活動に関しては、薩摩剣八郎氏のオフィシャルサイト(http://www.fjmovie.com/satsuma/menu.html)内にある小林監督へのインタビュー「追悼・小林悟監督」(http://www.fjmovie.com/satsuma/kobayashi/kobayashi1.html)に詳しい記述があり、また、不肖せんきちも小林監督が1982年に台湾で撮ったという『終戰後的戰争』(鶴田浩二主演)についてちょっこし取り上げたことがありますが、台湾映画のデータベースである「台灣電影資料庫」において小林悟監督作品とされている映画をピックアップしてみると、下記の6本が該当しました。

『神龍飛俠』(1967年、新高有限公司。台湾語映画)
『月光大俠』(1967年、新高有限公司。邵寶輝監督との共同監督。脚本も担当。台湾語映画)
『飛天怪俠』(1967年、新高有限公司。邵寶輝監督との共同監督。脚本も担当。台湾語映画)
『孽情』(1968年、天祥有限公司。葉春伸監督との共同監督。台湾語映画)
『望你早歸』(1969年、彩虹有限公司。脚本も担当。台湾語映画)
『太太的煩惱』(1971年、南亞有限公司。台湾語映画)

また、『台灣電影百年史話』上(2004年、中華影評人協會)所収の台湾語映画のリストでは、1966年の欄にある『孫田水』という作品が小林監督の映画とされており、主演は何と、

松井康子

だそうです。
この映画、台北の國家電影資料館にフィルムがあるそうですので、観てみたいですねえ。

と、ここまで挙げた映画(『終戰後的戰争』を除く)は、いずれも台湾語映画ですが、前掲の「追悼・小林悟監督」には、1970年の北京語映画『紅豔女飛龍』(華興有限公司。韓湘琴、 唐威、 雷鳴主演)が小林監督の作品とされています。
しかし、「台灣電影資料庫」にある監督名は「徐天榮」で、小林監督の名前はありません。

これはおそらく、前にも書いた通り、台湾語映画と北京語映画における日本人監督の氏名表記の扱いの違い(台湾語映画:実名、北京語映画:中国風の変名ないしはノンクレジット)に由来するものと思われ、そうなると、小林監督は『紅豔女飛龍』以外にも北京語映画を撮っていたと考えられます。
事実、「追悼・小林悟監督」には、


― 台湾で何本くらい撮られたんですか?

小林 ええとねえ。北京語映画が7本くらいと、その前に台湾語映画っていうのをね。これ全部白黒ですけどね、これも日本円にすると300万くらいですがね(笑う)。それが7、8本くらいかな。カンフーとか、喜劇なんかも撮りましたよ。今、台湾語映画って一切全くないんですよ。北京語映画は最低でも3000万くらいですし、カラーでしたから太刀打ちできないんですよ。



とあり、『紅豔女飛龍』の他にも6本の北京語映画を監督したようです。
これらの作品群のタイトルを特定することも、今後の課題でしょう。

そんなわけで、まずはひとまずこれぎりにて。

付記:『台灣電影百年史話』下・519頁に掲載された『終戰後的戰争』とされる写真は、東宝の『連合艦隊』(1981年)の誤りで、「中立者鶴田浩二」とある人物は、実際には小林桂樹です。
しかし、どこをどう間違ったら、鶴田浩二と小林桂樹を取り違えられるんだろか。

(ひとまずおしまい。番外編は次回以降に)

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