2006年1月31日火曜日

足ながお姉さん

〔ちょっとお耳に〕


ぼーっとしていてチェックするのを忘れていましたが、キャセイのDVDシリーズ、『長腿姐姐』が1月21日に発売になりました(DVDはこちら。VCDはこちら)。

"Daddy Long Legs"ならぬ、"Sister Long Legs"ざます。

本作でタイトル通りの足ながお姉さんを演じたのが、葉楓。
『星星 月亮 太陽』の「太陽」です。
他のキャセイの女優さんたちに比べると圧倒的にバタ臭い、というか、イタリアーンな感じ(どんな感じじゃ)のする美女です。

この後、映画のタイトルである「長腿姐姐」はそのまま彼女の代名詞となりましたが、彼女には他にも「睡美人」なんていうキャッチフレーズもあって、それは1960年の『睡美人』から来ています。

『睡美人』から。葉楓と雷震。


彼女はその後邵氏に移籍しますが、1965年には東映との合作映画に出演するという企画が持ち上がります。
しかし、それは製作中止となって、けっきょく、彼女の出演映画が日本で紹介されることはありませんでした。
ただ、彼女自身は1961年に日本の週刊誌(週刊公論)の表紙を飾っており、実は日本にもお目見えしていたのでした。

妹役は林翠。
この2人、『四千金』と『蘭閨風雲』でもフェロモン垂れ流しの次女(葉楓)と活発で真っ直ぐな性格の三女(林翠)という組み合わせで姉妹役を演じていました。

それにしても、このジャケットの写真の喬宏、ほっぺたのつっぱり具合がどこか舞の海チックですわ・・・・。

2006年1月30日月曜日

Oh、ヴァカ、ヴァカ~

〔しようもない日常〕

お休みでした。

帰ってきました。
京都と大阪に行ってました。
今年最初の京都行きでしたが、着いた日は小雪が舞い、北風ピープー吹いている極寒のお天気。
いつものように京都市郊外(あともう少しで亀岡市)で秘密会議を行った後、翌日は大阪で調べ物があるためH急電車で移動、南方駅前のビジネスホテル(妙に天井が低いホテルでした)に泊まりました。

そして翌日。
前日とは打って変わって、おだやかな晴天です。
地下鉄に乗って淀屋橋で下車、大阪府立中之島図書館へ行くと・・・・。

休館日だって。

とほほ・・・・。

以前、やはり調べ物があって通っていた頃はたしか月曜休館だった記憶があり、ついネットで休館日を調べずに行き当たりばったりで訪れたらこの結果でした。

しようがないわね。


せっかくなので『上海社會檔案』に出てきた中央公会堂の写真(↑)を撮った後、

こちらは映画の方。25年も経つと木も育つわね。

近くの店でコーヒーを飲みながら、今後の作戦を練り直し。
とりあえず、もう一つ気になっていた京都府立総合資料館に行くことにして、ぶらぶら歩いて大阪駅へ。
地下街にあったNTT西日本のショールームにあるパソコンで念のため開館日を確認、今度こそきちんと開いていることを確かめてから新快速で京都に戻りました。

目的地の京都府立総合資料館は、北山にあります。
ここを訪れるのは、2度目です。
名前だけ聞くと「18歳以下入館お断り」のお堅い施設のようですが、基本的には誰でもOKなので、小学生も来館していました。
しかし、ここも都立中央図書館同様、(図書館の資料を閲覧するのではなく)自分の宿題だけやりに来ている方が多いのが難点ですね。
いちおう閲覧室とは別に自習室もあるのですけれど、自習室に入りきれなかった皆さんが閲覧室にも押し寄せていました。

開館時間は午後4時30分まで、コピーの申し込みは午後4時までだったのですが、何とか目的の資料の調査とコピーを済ませることができました。
閲覧やコピーの申し込み方法は、いつも行く国会図書館に比べるとおおらか、というか、あんまりシステマチックではなかったものの、係りの方はみな総じて親切でした。
よほどのレアな資料でない限り、和本も原本のままガンガン閲覧させてくれますし。

そういえば、香港電影資料館で資料を閲覧したとき、「前日の申し込みが必要」と言われたのでその日は書類だけ出して帰り、翌日再訪したら出てきたのはあんまり画質のよくないコピーだった、ということがありました。
いろいろな人が原本をそのまま閲覧すると(紙質のよくないものは特に)劣化が早まってしまうのは確かですけれど、逆に原本そのものに触れることによって、それがいかに貴重な資料であるかを実感する、いわゆる教育的効果も見逃せないのではないかとあっしは思います。

また、和本の複写に関しても図書館ごとにけっこう揺れがあって、府立総合資料館では江戸期までのものはマイクロ複写、明治期以降はコピー機OK(セルフコピーは不可)というスタンスでしたが、某私立T大学の図書館なんか、

あ、そこのコピー機でコピーして下さい。

と、江戸期の和本もセルフコピーし放題でしたわ。

・・・・話が横道に逸れました。

さて、調べ物もぶじに終わり、もう一つ懸案だった岩茶房京都を探訪すべく、地下鉄で四条へ向かいました。
不肖せんきち、目黒の岩茶房へはときどき寄せていただいているのですが、先だって立ち寄ったさい「今度京都に行くんですよ」という話をしたところ、「京都の店にもぜひ寄ってみて」と言われたもので、今回、よっこらせと訪ねることにしたのでありました。

場所は大丸の裏あたり。蛸薬師通沿いにあります。
以前あった京都店の内装は割と金属質な感じでしたが、今度の京都店の内装は目黒の本店に近い感じ。
スタッフの方にご挨拶した後、白毛猴を飲みながら店にあった雑誌をゆっくり読み、結局2時間近く寛いでしまいました。

店を出てから錦小路を河原町方面へ歩いていきましたが、tetorapotさんによると、この近辺の東宝系の映画館もいよいよ閉館との由。
近くにある成人映画専門の八千代館は、戦前の芝居小屋の趣を残す映画館ですけれど(入ったことないが)、ここもそのうち取り壊しになるのでしょうか。
文化財に指定してほしいけど。

てなわけで、あとは晩飯食べて新幹線に乗って帰宅いたしました。

以上、ご報告まで。

2006年1月27日金曜日

ちょっと出かけてきます

〔しようもない日常〕

2代目女王蜂、参上!

明日からちょっと出かけます。
帰ってきたらまた再開します。
では皆様、よい春節を。

2006年1月26日木曜日

似てるけど違う

〔ちょっとお耳に〕


寒いです。
朝方、いつも首筋がスースー涼しくて目が覚めます。
「頭寒足熱」といいますが、首は温めないといけませんね。

さて。

クラーク・ゲーブルの香港ロケ映画、というよりは、葛蘭の出たハリウッド映画と呼びたい『一獲千金を夢見る男(Soldier of Fortune、江湖客)』の話をちょっこしだけ。
葛蘭が出てるといっても、最初の方にそれこそちょっこしだけ水上生活者の役で登場するだけなんですが、お下げ髪がなかなか可愛いです。

が、映画のストーリー自体は対して面白くもないです。
クラーク・ゲーブルはバトラー船長入ってるし、スーザン・ヘイワードはスカーレット・小原、もとい、オハラを演じ損ねた女優なので、初対面のスーザン・ヘイワードにクラーク・ゲーブルが無理やりキスしちゃうとこなんか、なんとなく例の映画を思い出しちゃいます。
それに、失踪した亭主を探してはるばる香港までやって来たのに、あっという間にクラーク・ゲーブルの虜になっちゃうその心理が今ひとつわかりません。

てなわけで、いきおい、楽しみは香港ロケの映像ということになるのですけれど、これがまた残念なことにセット撮影ばっかり。
特に、スーザン・ヘイワードの出てくる件はほとんどがセット撮影。
見せ場は、人力車に揺られて徳輔道を行く場面(永安百貨が映ります)ぐらい。

クラーク・ゲーブルが住んでいる高台のお屋敷は、この後の『慕情』でも使われた景賢里ですが、『ホノルル・東京・香港』に出てくるお屋敷もここなのでしょうか。
似てるんですけど、どこか違う気もするんですよねえ。

他にはピークトラムの駅(あれ、どこ?)やペニンシュラの玄関なんかも出てきますが、クラーク・ゲーブルのオフィスのある場所が石塘咀の辺り(たぶん)だったのが興味深いと言えるでしょうか。

というわけで、さっさと寝ます。

2006年1月25日水曜日

金瓶梅與武則天

〔ちょっとお耳に〕


以前、旧ブログに邵氏の『金瓶梅(金瓶雙艶)』日本版チラシの紹介を載せたことがありました。
そのとき、

ビクターからサントラレコード、角川書店から原作本も発売された模様です。

と書きましたが、つい最近サントラレコードを発見しましたので、ちょっとばかしご報告を。

このレコード、かつてよくあったEPサイズのやつで、レコード会社が出しているリストには、

A面 金瓶梅のテーマ
B面 金瓶梅第2のテーマ

とありましたが、実際には、

A面 金瓶梅のテーマ
B面 武則天のテーマ(モノラル)

という、『金瓶梅』に『武則天』の音楽をむりやりカップリングした不思議なレコードでした。

なんで『金瓶梅』と『武則天』をくっつけちゃったんでしょう?

映画はともかく、音楽は
日本上陸を果たしていました。


と、まあ、なんだか奇妙なサントラですが、解説もふるっています。


★欲望の華「金瓶梅」
76年も映画界は「続エマニエル夫人」の大ヒットで開幕した。
この種のファッション・ポルノは続々と待機している。まず「O嬢の物語」「ローラ夫人」「ブラック・エマニエル(仮題)」等々。
何はともあれ、76年はポルノ全盛の年と云えるかも。ポルノ解禁間近とも云える。
でも、でも、男性諸君にとってはやはり少しものたりないのが、真実ではなかろうか。と云うのは、ファッション・ポルノは名の通り、女性を対象にしているから当然。ズバリ、男性にとってはこれでもか、これでもかと見せてくれるハード・コアでなければ・・・・と思う。この映画「金瓶梅」がまさにそれ。制作は香港、香港と云えば今は亡きブルース・リーを生んだ所。日本で香港映画が公開されるのも珍しいが、ポルノ映画は初めて。しかも、「蛇」(蛇姦。『蛇殺手』のこと。この映画も日本で公開されました・せんきち注)などがつづいて公開される。(略)
制作は香港最大の映画会社、ショー・ブラザーズで、スタッフ、キャストも一流の人たちが担っている。特に監督のリー・ハン・シャンは、「江山美人」「傾国傾城」などを撮って時代劇の巨匠と云われている人である。


『金瓶梅』=ハード・コア」(全然そんなんじゃないんですけどね)

と書いたすぐ後で、いきなり

香港と云えば今は亡きブルース・リーを生んだ所

と、あさっての方向に話題を持っていく、この素晴らしすぎる解説を書いた方って、いったい誰なんでしょ。

気になる音楽に関する解説も、


★音楽(「金瓶梅のテーマ」)
生ピアノのイントロで始まるこの曲は、一聴、ソウルっぽく、バタ臭い印象を与えるが、映画の中で不思議な程とけ合っていて相乗効果を出している。映画の中ではオープニングなどに使われているが、特に、主人公の西門慶と潘金蓮とのベッド・シーンでは、その激情のひとときの感情を見事に盛り上げ、同時にシタールの奏でる後半部分はファンタスティックにさえ感じさせてくれる。


と、やたらとハイテンションなくせに、肝心の作曲者(陳勲奇)への言及もないし、B面も全く無視。

つくづく、不思議なサントラです。

2006年1月24日火曜日

ついてねえよ

〔しようもない日常〕

いただきまーす!

今朝、小銭入れがなくなっていることに気づきました。
200円しか入ってなかったけど、元日に引いた「大吉」のおみくじを大事にしまっておいたので、ショックは大きく・・・・。

さては、運に見放されたか。

そして。

先ほどがんばってシコシコ書いた記事を全部吹っ飛ばしてしまいました。

ショック倍増。

今日は更新諦めます。

とりあえず、19日の記事にデータを追加しておきました。
張徹監督の『大盗歌王』(林沖主演)が、ヒッチ先生の『泥棒成金』の翻案だったことを思い出したもんで。

タイトルを地でいく映画なのね。


持ってけ泥棒!

2006年1月23日月曜日

いま、貞夫が熱い!

〔ちょっとお耳に〕


shimizu4310さんのブログで知りました。
HOTWAX』Vol.4、中島貞夫監督の特集です。
おまけにこんなCDも出ちゃうらしいっす。


1曲目が頭脳警察の『ふざけるんじゃねえよ!』ですか。ふーむ。

昨年の『en-taxi』第11号に続き、中島監督、時の人ですね。
その源はやはり一昨年の新文芸坐における特集上映と、ワイズ出版からのインタビュー本刊行にあるのでしょうか。
内容は下記の通りです。


作品完全ガイド
「893愚連隊」「現代やくざ 血桜三兄弟」「鉄砲玉の美学」「ポルノの女王 にっぽんSEX旅行」「女番長 感化院脱走」「東京=ソウル=バンコック 実録麻薬地帯」「ジーンズブルース 明日なき無頼派」「唐獅子警察」「安藤組外伝 人斬り舎弟」「実録外伝 大阪電撃作戦」「狂った野獣」「沖縄やくざ戦争」

インタビュー
●中島貞夫インタビュー 
●脚本家・野上龍雄インタビュー
●荒木一郎インタビュー

主要人物紹介
渡瀬恒彦/荒木一郎/千葉真一/安藤昇/梶芽衣子/クリスチナ・リンドバーグ/杉本美樹/伊吹吾郎/小池朝雄/成田三樹夫/室田日出男/川谷拓三/広瀬義宣/片桐竜次/地井武男/三上寛/片桐夕子/新藤恵美/賀川雪絵/橘麻紀/森みつる/日下部五朗/天尾完次/野上龍雄/広瀬健次郎/山下毅雄/増田敏雄/赤塚滋

●ピラニア軍団 in 中島ムーヴィー 
●フィルモグラフィ


『日本暗殺秘録』や『暴動島根刑務所』、あるいはセックス・ドキュメンタリーがないな、と思っていたら、これってPART1ですって。
3回ぐらい続くのか知らん。

千葉ちゃんのはちゃめちゃアジア三都巡り映画『東京=ソウル=バンコック 実録麻薬地帯』(なぜかタイトルに香港がないっす)が、取り上げられていますね。
いまだにこの映画の金子信雄がよくわかりません。
日本版だけでなく、拓ぼんが悪逆の限りをつくす(らしい)タイ版や、嘉禾がイッチョカミしてきたためにできた香港版も観てみたいものです。

そういえば、ジャッキーの『香港国際警察 NEW POLICE STORY』における「暴走する2階建てバス」、あれって『狂った野獣』を思い起こさずにはいられませんわね、奥様。

付記:
1、ジャッキーの名前が出たついでに。
ジャッキー&タッキーで映画製作らしいっすが、スペシャルゲストがチャッキーで監督が于仁泰なんてことは・・・・ないか。
2、『SAYURI』、中国で上映禁止になるみたいです。
危惧したとおりの結果になっちまったか。はあ・・・・。

2006年1月22日日曜日

金玉良縁紅樓夢

〔えいが〕


1977年、香港(邵氏)。李翰祥監督。林青霞、張艾嘉主演。

昨年の2月に香港で購入して以来、1年近く塩漬けになっていましたが、ようやく観ました。

一言で言えば、ゴージャス。
同じ邵氏が1962年に作った樂蒂版が豪華キャストの無駄遣いに終わっていたのに対し、こちらはさすがに李翰祥監督、贅沢な仕上がりです。
ああ、これを樂蒂主演で撮っていてくれれば・・・・。

ただ、話の持って行き方が『梁祝』にクリソツなので、

ここで祭壇がぱっくり割れるんじゃないか。

だの、

ここで嵐が来るのじゃないか。

だの、

やっぱり2人は蝶々になるのじゃないか。

だのと、『紅樓夢』とは全く違う方向に想像が膨らんでしまいました。

音楽は黄梅調ながら交響組曲的な色彩の濃いもので、これはやはり、王福齢と共に音楽を担当した齊藤一郎によるところが大きいと思われます。
陳煒智氏の「絲竹中國・古典印象-邵氏黄梅調電影初探」(『邵氏電影初探』所収。2003年、香港電影資料館)によると、齊藤一郎はこの他にも『楊貴妃』や『武則天』の音楽を担当しているようですが、実はまだどちらのDVDも購入していないため、じっさいの確認が取れていません。
既に購入なさった方で、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示下されば幸いです。
また、香港映画のほかに台湾映画でも音楽を担当していたらしく、李行監督の『秋決』の音楽も齊藤一郎だそうです。

香港映画の音楽というと何と言っても服部良一が有名で、他には『妲己』の伊福部昭あたりが挙げられていましたが、今後は齊藤一郎に関しても調査を進めていく必要があるかなあと思います。
(自らに宿題を課してひとまづ終了)

付記:陳氏の上記論考によると、アメリカのワシントン国会図書館には『楊貴妃』のビデオがあって、再生時間は約79分との由。この間出たDVD(72分)よりも長いじゃん。なんで?

2006年1月21日土曜日

今夜は混浴

〔しようもない日常〕

草津温泉・地蔵の湯源泉

今日は雪でした。
午後、地下上映会に参加した後、麻布十番の台湾料理屋で夕食を摂り、午後9時過ぎに帰宅。

そう、今夜は土曜ワイド劇場名物企画「混浴露天風呂」シリーズの放映日なのです。

地下上映会で観た『上海社會檔案』の見えそで見えない陸小芬のオパーイに不満が堪っていたのですが(おいおい)、さすがは「混浴露天風呂」シリーズ。
のっけから(午後9時過ぎ)オパーイギャルの洪水、今回は白人ギャルも参戦していましたよ。
子供の頃、「お風呂に入るときは、きちんと肩まで浸かりなさい!」と母に叱られたものですが、このドラマでは肩まで浸かると却って叱られてしまうようです。
常にみぞおちまで、がポイント。
しかし、全く水をはじかないかさかさしわしわお肌のおじさんたちと、これ見よがしにオパーイを誇示するピチピチギャルの対比には、ある種残酷なものがあるような気も。

ところで。

先週観た予告には古谷一行と木の実ナナの混浴シーンもあったんですけど、本編には出てきましたか?
おかしいな・・・・。
別に観たくないからいいけどさ。

〔おまけ〕

一昨年の夏、湯河原温泉に行きました。
おじいちゃんとおばあちゃんがやっている鄙びた旅館に荷を解きましたが、通された部屋は、

牡丹の間。

そして部屋には、

薔薇の絵が!

これがほんとの「牡丹と薔薇」。

射的に興じるヴァカ独り。

他人の金なら惜しくない

〔しようもない日常〕


近所の飲み屋で飲んだくれて、先ほど帰宅しました。
ぐうぜん一緒になった見ず知らずの方に、お勘定を払ってもらいました。
たまにはこんなこともあるのね。

というわけで(?)、明日は掲示板の方でお知らせした地下上映会の開催日です。
興味のある方は、ぜひお越し下さい。

では。おやすみなさいませ。

2006年1月19日木曜日

あれと同じのをください

〔ちょっとお耳に〕

なんちゃってヒッチコック

中国語を習い始めたばかりの頃、一番役に立ったのが、

あれと同じのをください。

という表現。
見知らぬ土地の見知らぬレストランでメニューも読めず困ったとき、お向かいや隣りのテーブルでホカホカ湯気を立てているおいしそうな料理を指差してはこの台詞を連発、飢えをしのいだものでした。
しかし、その当座は「今、飯を食らうこと」で頭の中がいっぱいだったため、いつもボーイさんに料理の名前を聞くのを忘れてしまい、2度と同じものを食べることができないという間抜けなせんきちでありました。

そして、「あれと同じのがほしい」といえば、思い出すのが邵逸夫と井上梅次監督のこんなエピソード(強引な持っていき方やね)。

邵逸夫が井上監督に3人のスチュワーデスが出てくるアメリカ映画(注)を見せて、「これと同じのを作ってくれ」と迫りましたが、井上監督は「著作権というものがあるのですよ」と拒否、それを聞いた邵逸夫は、

香港に著作権はない。

と豪語、その結果生まれたのが、3人娘が主人公の映画『釣金龜』だったそうです。

じっさい、邵氏の作品にはどこかで観たような映画がけっこうあって、井上監督は(オリジナルに)似たような別の映画や自作のリメイクをもっぱら撮っていましたが、同じ日本人監督でも村山三男監督などは『ダイヤルMを廻せ!』の翻案である『殺機』を撮っています。

他にもちょっと変わったところでは、旧ブログで紹介した『紅粉煞星』はパム・グリアの『コフィー』の翻案ですし、張徹監督の『大盗歌王』はヒッチコックの『泥棒成金』の翻案、また、これは邵氏作品ではありませんが、同じく張徹が脚本を書いた『桃花涙』(羅維監督。尤敏主演)の元ネタは、アメリカ映画『わが愛は終りなし』だそうです。

最近、巷では話題のドラマ『輪舞曲』のパクリ問題で論議白熱のようですけれど、かつては「あれと同じの」を作る側だった香港映画が、いまや翻案される側になったという、それはそれでまた感慨深いものがございますです、はい。

(注)伊藤卓氏は、このスッチー映画のことを「『ボーイング・ボーイング』(65)だろう」としていますが(『アジアの風2005』カタログより)、あっしはてっきり『翼のリズム』だと思ってましたわ。

2006年1月18日水曜日

『玉堂春』明日、発売

〔ちょっとお耳に〕


眠いです。
なんだかぼうっとしていたせいか、橘ますみたんがゲスト出演した『銭形平次』第85回(小判と簪)の録画を忘れてしまいました。
今日が放送日だったのに。
思い出したのは、午後7時。
放送回数は1日2回あるのですが、午前5時と午後5時からなので、万事休す。
嗚呼・・・・。

気を取り直して(直んないけどさ、そう簡単には)。

明日19日、かねて予告しておりました樂蒂主演作品『玉堂春』のDVD&VCD(DVDはこちら。VCDはこちら)が発売になります。天映からリリースされる邵氏における樂蒂主演作のDVD&VCDは、どうもこの後3月に出る『大地兒女』で打ち止めになりそうなんですが、電懋(國泰)の方の樂蒂ものDVD&VCDはいっこうにリリースされる気配がありませんねえ。

何やってんのかしらん。

2006年1月17日火曜日

王女と私

〔ちょっとお耳に〕


尤敏ネタのついでに。

東宝の『香港の夜』が大当りした後、大映が尤敏を使って『王女と私』なる映画を撮ろうとしたものの断念したという話は、以前メインサイトでも書きました。
その後、この企画は尤敏の代わりにチャリト(チェリト)・ソリスを起用することになるのですが、雑誌『週刊女性』1961年7月第5週号にはその間の経緯が記されています。


「王女と私」にソリス主演
大映がホンコンの名花ユーミンの主演作品として企画中の「王女と私」が、永田雅一社長のツルの一声でフィリピンのチェリト・ソリスに決まった。
というのは、アジア映画祭の会長で、ユーミンの所属するキャセイ・オーガニゼーションともつきあいのある永田社長は、二年前からユーミンの日本映画出演を計画していたが、東宝が一足おさきに「香港の夜」で売り出したため、彼女の主演で企画した「王女と私」も、東宝への道義上、ユーミンを断念し、かわって「釈迦」に出演したチェリト・ソリスにふりかえたもの。(略)
「王女と私」は、松浦健郎がシナリオを担当し、近く東南アジア各国のシナリオ・ハンティングに出発するが、東南アジアのある国の王女が、ホンコン-東京を訪問し、その取材に派遣された日本人記者と恋におちるという、「ローマの休日」の"東南アジア版"である。
ソリスの相手役の日本人記者には、「釈迦」ですっかり意気投合した本郷功次郎が出演を予定されている。


「東南アジアのある国の王女が、ホンコン-東京を訪問し、その取材に派遣された日本人記者と恋におちる」とは、なんだか冴えないストーリーですが、『香港の夜』だって「『慕情』の翻案プラス『東京-香港蜜月旅行』の趣向(日中ハーフ女性が生き別れた日本人の親を探し、これに日本人記者が協力)」でしたから、ま、お互い様の企画でしょう。

上記の報道を見る限り、「尤敏の代わりにチャリト・ソリス」というキャスティングは、いかにもすんなり決まったかのように思えますが、中華圏の報道に目を通すと王女役の候補としてもう1人香港のビッグネームが登場しています。

1961年8月24日付『聯合報』には、


香港邵氏公司の責任者・邵逸夫は今月20日東京へ飛び、『江山美人』の日本での上映手配の他、大映の永田雅一と合作映画に関する会談を行う。両者はすでに香港を舞台にした映画『王女と私』の製作に合意しており、李麗華が王女を演じることになるだろう。脚本は大映の松浦健郎が執筆中で、9月か10月にクランクイン予定。(超訳)


とあり、李麗華が王女を演じることを示唆しています。
でも、李麗華と本郷功次郎じゃねえ・・・・。
釣り合いが取れないと思うんですけど。

邵氏もその点に難色を示したのか、けっきょく李麗華が王女を演じる案はボツとなり、邵氏は「香港ロケに協力するだけ」ということに落ち着いて、その結果生まれたのが1962年の映画『熱砂の月』でした。
ストーリー自体も、王女と記者の恋から王女と科学者の恋に変わっています。

大映との合作計画が頓挫した邵氏は、同じ時期に東映との合作も模索しており(二股かけてたのね)、こちらは1962年2月に『香港旅情』の製作発表にこぎつけますが、しかし、これも樂蒂のおめでたによって全てがパーになってしまったのでした。

つくづく合作運がなかったのね、邵氏って。

付記:李麗華は、それ以前にも東宝が新華との合作映画で主演女優に起用する予定があったそうですが、張善琨の死でおじゃんになったようです。

2006年1月16日月曜日

『香港の夜』前夜

〔ちょっとお耳に〕


なんだか妙なタイトルですが、尤敏ネタです。

ご周知の通り、尤敏が日本で爆発的な人気を得るきっかけとなったのは、1961年、日港合作映画『香港の夜(香港之夜)』に主演したことにありますが、実はそれ以前にも、日本のマスコミが尤敏を取り上げたことがありました。

1960年、東京で開催された第7回アジア映画祭(現・アジア太平洋映画祭)で主演女優賞を受賞したさい、朝日新聞は写真入りで彼女の紹介記事を掲載しています。


こまかい演技 女優主演賞のユー・ミンさん
東京で開かれた第七回アジア映画祭では、香港映画がすばらしい成績で、作品、監督、脚本などの主な賞をひとりじめにしたかたちだった。女優主演賞も香港のユー・ミンさん。去年につづく二度目の主演賞だし、ちょうど代表団の一員として来日中でもあったので、授賞式ではひとしおうれしそう。大きな目を輝かせて「ありがとう、ありがとう」の連発だった。
彼女は香港生まれ。マカオのミッションスクールを出てすぐ映画入りしてから八年、約二十本の作品に主演したそうだが、「主演ばかりで、ほとんど助演をしたことがありません」という幸運のスター。文芸作品への出演が多く、アジア映画祭審査委員長今日出海氏は彼女の演技を評して「こまかいところまで実にうまい。日本の女優さんよりうまい」としきりにほめていた。
「日本映画はあまりみたことありませんが、"無法松の一生"はみました。いい映画でした。外国の俳優ではイングリッド・バーグマンがいちばんすきです。男優?さア・・・・」と首をひねって笑ってみせた。今度の受賞をいちばんよろこんでくれるのは両親だとのこと。記者会見を終えて帰りしなに「おなかがすいた」と細い体をおさえてひとこと。明るい女優さんだ。
(1960年4月11日付『朝日新聞』夕刊)


この翌年に掲載された「『香港の夜』の主演女優 尤敏を売り出す(東宝) 近く日本で撮影続行」(1961年3月27日付『朝日新聞』夕刊)が尤敏を「広東生まれ」としていたのに比べて、こちらではちゃんと「香港生まれ」と正確な情報を載せています。

そして、さらにここから遡ること5年、1955年の『キネマ旬報』6月下旬号の「第2回東南アジア映画祭(東南アジア映画祭→アジア映画祭→アジア太平洋映画祭と名称変更・せんきち注)特集グラフィック」にも尤敏の写真が掲載されているのですが、まだ日本では何の知名度もなかったため、写真のキャプションには、


上図の見開き写真は授賞式直後の各国代表、2頁目左より山崎松竹専務、小林トシ子、一人おいて岸恵子、一人おいて喜多川千鶴、一人おいて三原葉子、一人おいて田代百合子、久慈あさみ


となっており、岸恵子と喜多川千鶴の間にいた尤敏は、見事なまでに無視されております。

しかし、このとき彼女に注目した1人の日本人男性がいました。
それは東宝の森岩雄です。
この出会いが巡り巡って『香港の夜』誕生へと結びつくわけですが、森自身は後年、尤敏との出会いをこんな風に書き残しています。


前の年(1955年・せんきち注)、シンガポールの映画祭で私は可愛いくて清純な中国女優を見いだした。好みが日本人向きで、きっと日本でも人気を得ると思ったので交渉をした。その人は尤敏といってショウ兄弟(正確にはショウ&サンズ〔邵氏父子〕・せんきち注)の契約下にあり、十九歳ということであった。ショウ兄弟は尤敏を大スターとして売り出す準備中なので、とても日本には貸せないと断りを言ったので、そのときは諦めざるを得なかったが、尤敏はその後ショウ兄弟を離れて、カセイ映画に移ったので早速藤本真澄に話をし、藤本さんは香港に飛んで本人に会ったところ、私以上の熱の入れ方となり、カセイ映画と合作の話をまとめ、「香港の夜」その他数本の映画を作ったが、尤敏が日本の見物にも大いに迎えられ、映画は全て成功を納(ママ)めた。
(『私の藝界遍歴』1973年、青蛙房)


藤本真澄が尤敏に会うのは1960年のことですから、足掛け5年もの間、森岩雄は尤敏のことを待ち続けていたということになります。
待っている方もたいしたものですが、それだけ森岩雄に対して深い印象を残した尤敏という女優も、やはりたいした女優さんだと思います。

2006年1月15日日曜日

激殺!邪道拳

〔えいが〕

キャスティングも「邪道」。

1977年、シネシンク。野田幸男監督。千葉真一、山下タダシ、鹿村泰祥、志穂美悦子主演。

「邪道拳」のタイトル通り、千葉ちゃんが電気仕掛けの拳法で最強男を目指す、いろいろな意味で壮絶な映画
タイとの提携作品ですが、タイ側の製作会社である「ピチャイ・フィルム」というのが、どのような会社なのかがどうしてもわかりません。
小道具担当の人がピチャイさんという名前だったので、この人の会社でしょうか。
タイでは『キイ・ハンター』が放映されて千葉ちゃんが大人気だったらしいので、企画も持って行きやすかったのかも知れません。

冒頭、どっかの戦争に巻き込まれた主人公・無音笛とその両親がバンコックへ逃れる途中、兵士に見つかって両親が惨殺されるという場面から映画は始まります。
子供心に「強い男になって仇とったる!」と誓った無音笛は、その足で孤児院の院長兼拳法道場の師匠である華人・陳坤漢に入門、やがて20年の歳月が流れ、立派に成人します。
この成人した無音笛(変な名前)が千葉ちゃんなんですけど、子供の頃に彼が巻き込まれた戦争って、ラオスの内戦かなんかでしょうかねえ。

で、驚きなのが千葉ちゃんの師匠・陳坤漢を演じている役者さん(上の写真)。
香港映画史に残るメーキャップ・アーティストにして、男優・金峰の父である方圓ですよ。
方圓といってもピンとこない方のためにどんな映画でメークを担当していたのか、そのほんの一例を下記にあげると、

『四千金』


『空中小姐』


『野玫瑰之戀』


『星星 月亮 太陽』


『千嬌百媚』


『紅樓夢』


『香港ノクターン(香江花月夜)』
方圓の上に見える李治華って、黒沢治安の変名でしょうか。

てな具合。

はじめっから役者兼メークだったのか、それともメークで来てもらったらその風貌に「いける!」と思った千葉ちゃんが急遽師匠役に起用したのか、その辺はよくわかりません。

さて、師匠の高弟として日々修行に励んでいた無音笛でしたが、ある日師匠が弟子のサモハン、じゃなかった、サムアン(鹿村泰祥)に殺されるという事件が発生、無音笛はサムアン求めて三千里の旅に出、意外とすんなり見つけ出します。
しかし、サムアンの口から師匠が実は麻薬組織のボスであることを聞かされます。
信じられない無音笛はサムアンに戦いを挑むもののあえなく玉砕、谷底に突き落とされるのでした。

と、ここから師匠の仇討&サムアンへのリベンジという個人的な感情に燃える千葉ちゃんの信じられない修業が始まる・・・のですが、その前に山下タダシ演じる麻薬捜査官と香港からやって来た運び屋との兄弟涙の再会のエピソードが入ります。

この兄弟のお母さんはタイ人、お父さんは中国人で、戦後、母国へ帰る決意をした父親は次男を連れてタイを去り、残された長男と兄弟の妹が母親とともにタイで暮らしていたらしいんですけど、母親が運び屋のことを生き別れになった息子と気づく、そのきっかけが子供の頃背中に入れた刺青だったという辺りが、むりやりですわ。
それから、お父さんはなぜいかにもタイ人な見た目の弟を連れて中国へ帰ったのか。
きっとさんざん迫害された末に香港へ逃げてきたのだろうと、勝手な想像をしてしまいました。

一方、山岳少数民族(推定)の娘・リーホ(悦ちゃん)に助けられた無音笛は、彼女が中国人の父から教わったという治療法によって健康を回復しつつありました。
山岳少数民族のタイ人と結婚した中国人ということは、悦ちゃんのお父さんはきっと国府軍の残党だな。

秘薬による治療の後、微弱な電流を患部に通す、漢方というよりは街の接骨院みたいな電気治療を施された千葉ちゃん、「これからはオール電化ね!(BY:東京電力)」と閃いたのかこの電流を悪用、強力な電流を体内に通すことによって肉体改造を目指します。

この後、サムアンが差し向けた殺し屋によってリーホは亡くなり、リーホの仇討という新たな任務も請け負うことになった千葉ちゃん、エレキテル(違うって)にますますのめりこみますが、肉体と精神に過大な負担をかけた結果、それを紛らわすために麻薬漬け(怪しい目つきで麻薬の粉をじかに食らってます。龍角散みたい)になってしまうのでした。

と、そんな無音笛を訪ねてきたのがくだんの麻薬捜査官。
麻薬組織撲滅への執念に燃える月見おぼん、もとい山下タダシと千葉ちゃんの利害が一致、2人は団結して組織のアジトに乗り込むことになるのですが、無音笛の修業(エレキテル)のあまりの凄まじさに思わず目を背ける山下タダシは、なんだか弟の一人エッチを見てしまった姉のようでした。

てなわけで、なんだかんだいいながら、最終的にはサムアンを倒すんですけど(その前にお約束の楊斯も登場)、死んだはずの師匠が実は生きていてしかも日本人だったというオチには千葉ちゃんならずともあぜんぼーぜん。
この日本人、雲南省あたりでドンパチやってたのか、あるいは泰緬鉄道に関わっていたのか、いずれにしても戦後のどさくさでタイに居残った人なのでしょう。

意外なところで歴史のお勉強ができました。

付記:お色気要員として参加したくせに、しっかり乳首をガードしていた劉雅英は、香港ではこんな映画こんな映画に出演しています。

2006年1月14日土曜日

ブタでお勉強

〔しようもない日常〕


ひどい雨ですね。
お腹の具合はだいぶよくなりましたが、本業の方の会議が入ってしまったため、蒲田のフリマには行けませんでした。残念です。

昨日、ブタの話をしたついでに今日もブタネタを。

一時期、香港へ行くと必ず麥嘜(マクマグ)&麥兜(マクダル)グッズを買っていたことがありました。
その頃は雑誌『黄巴士』も定期購読していて、雑誌に毎月付いてくる付録と香港で買ってきたグッズがかなりの量になってしまい、けっきょく雑誌の講読は止めました。
それにグッズといっても、いい大人がぬいぐるみやらトートバッグやらそんなものばかり買うわけにもいかず、いきおい、カードや書籍類の購入が多くなりました。

そんな中である日見つけたのが、『廣州話對普通話』なる本。
いわゆる広東語と北京語(普通話)の対照本ですが、かわゆい麥兜のイラスト入りなので、迷わず購入、楽しみながら広東語のお勉強ができるわい、と思いました。

が・・・・。

生来怠惰なせんきちは、ときどき気が向いた時に本を開くのみで、今ではほとんど死蔵本と化しております。

しかし、勤勉なあなたでしたらきっとこの本がお役に立つことと思います。
「実際の発音が聞けたら、もっといいのになあ」という向きには、CD付きのセット(上巻下巻があります)も発売されております。

あっしももう一遍勉強してみるか。

2006年1月13日金曜日

まだ壊れ中

〔しようもない日常〕


まだお腹の調子が悪いです。
今朝薬を飲んだので、昼間はどうにか乗り切れましたが、夕食後またなんだかすっきりしません。

で。

なんとなくだらだらとあちこちのサイトをのぞいていたら、『麥兜故事』のフランス語版サイトというのがありました。
サイト内に予告編(BANDE ANNONCE)もあったので観ましたが、台詞はもちろん挿入歌までフランス語でしたわ。

OH、トレビアーン!

2006年1月12日木曜日

お腹壊しました

〔しようもない日常〕


お腹壊しました。
悪いもの食べたかな・・・・。

そんなこんなで、軽めのネタで失敬。

写真は、1937年8月6日付『申報』から。
樂蒂の母方の祖父・顧竹軒が経営していた「天蟾舞台」(現・逸夫舞台)の広告です。
後に香港で中國戯劇學校を主宰した于占元の名前が見えます。

この後、13日に第2次上海事変が勃発、お芝居も一時休演となり、23日には樂蒂の父・奚兆年氏が空襲の犠牲となるのでした。

奚兆年氏の死亡広告(1937年8月25日付『申報』)。


拡大してみますた。


樂蒂のおじいちゃんが経営していた劇場が、巡り巡って邵逸夫の名を冠した劇場になる。
これも運命の不思議と言えましょう。

2006年1月11日水曜日

虎の尾を踏む女たち

〔えいが〕


遅ればせながら、『SAYURI』、観てまいりました。

考証が無茶苦茶なのはあらかじめ了解しておりましたので、都の町並みが麗江みたいだったことや、なぜか「六段」の三曲合奏が流れる中、牛鍋屋の入れ込みの座敷みたいなスペースで繰り広げられる宴会シーンもさして苦にはなりませんでした。
鳥居をくぐってお参りすると鐘の音が「ゴーン」と鳴る大間違いも(だってお寺で撮ってるんだもん)、ま、神仏習合ということで。

ただ、相撲のシーンはいただけませんな。
舞の海には申し訳ないけど、ああまともに引いちゃあ、本物の相撲(あれが偽物というわけではないけど)だったらすぐに押し込まれて負けですよ。
せっかく三十代庄之助も呼んだのにね。

一番ウケたのが、さゆりちゃんが一躍脚光を浴びることになる都おどりならぬ華おどり(こんなような名前だったはず。ポスターの字読んだけど)の件。
当方、写真と予告だけ観て、あれは

なんちゃって鷺娘

なのだと思っていたところ、聴こえてきた三味線の旋律は

勧進帳」の「滝流しの合方」

おいおい、

なんちゃって弁慶

かい。

ストーリー的には陳腐なシンデレラ物語で、ヒロインのさゆりにも何の魅力も感じませんでしたが、工藤夕貴が思いのほかよかったので、彼女目当てに観てましたわ。
桃井さんは、屋形(置屋)のおかあさんというよりは女郎屋の遣り手婆だったものの、これはこれでまあよいのではないかと。

以前はさんざん貶していたくせに、今じゃやけに寛容なせんきちですが(でも、決して褒めてるわけじゃないよん)、この映画を観て「京都の花柳界って、あんな風にいけずな人たちの集合体なのかしらん」と思った方は、下記の本などお読みになるとよいでしょう。

京都 舞妓と芸妓の奥座敷

お茶屋遊びを知っといやすか

「祇園」うちあけ話―お茶屋のこと、お客様のこと、しきたりのこと


ではでは。これにて退散。

(於:丸の内プラゼール)

追記:タイトル変えました。黒沢ファンには怒られるかも知れんが。(1月12日)

2006年1月10日火曜日

香港の純情歌手

〔ちょっとお耳に〕


BBSにも書きましたが、こちらでもお知らせ。
なんだかMybloglistがなくなってドリコムRSSに統合されるそうですが(勝手に決めるなよ)、どうもこちらとの愛妾、もとい、相性が悪くて新しいリストがうまく表示されません。
よって、全てのデータをBlogpeopleに一本化、表示方法も別窓で開くように変えましたので、ポチッとしていただきますとリストが出るようになっております。
ご不便をおかけいたしますが、何卒よろしくお願いいたします。

さて。

昨日、午後10時からの『名曲の時間』(テレビ東京)。
「外国人歌手特集」なる、日本にやって来た外国人歌手の特集とのことでしたが、チョー・ヨンピルからアグネス・ラム(歌手だったのか!)、レイフ・ギャレットまで、テレ東ならでは「なんでもあり」の1時間でおました。
番組スタッフがわざわざLAくんだりまで今のレイフ・ギャレットを訪ねていましたが、見た目はすっかり

ブルース・ウィリスのパッチもん

になっていました。
「また日本で歌いたいです」とか言いつつ、ど太い声で『ダンスに夢中』を歌っていましたが、

もう来ないでよろしい。

気になる中華勢は、

台湾代表:菲菲姐、ジュディさん、テレサ
香港代表:リンリン・ランラン留園、アグネス

と、順当な(?)セレクト。
なかば蝋人形化した菲菲姐(歐陽菲菲)、怖かったっす。

で、香港の歌手(戦前から中国で活躍していた歌手は別にして)が日本語で歌って日本でリリースした曲で一番古い例って何か知らんと考えてみたところ、はっきりとこれだ!というような結論には至らなかったのですけれど、1962年に尤敏が出した『香港の花」はかなーり古いケースなのではないかと思います。


また、レコードデビューこそしなかったものの、同じ年に香港から1人の歌手が来日、3ヶ月間だけですが日本で歌手活動を行いました。
『週刊平凡』1962年8月16日号には、次のような記事が見えます。


来日した香港の純情歌手・沈夢
「恋人はまだいません。これから三か月間、日本にいますから、その間に日本の男性のなかからさがします。日本の男性って、ステキですもの」
こう語るのは、二十九日来日した、香港の美人歌手沈夢(20歳)。(略)
彼女は香港の藤本二三代といわれる純情歌手。(略)
これから三か月間、日本の各地で公演をつづけるが、その間テレビにも出演する予定だ。
「映画で成功した尤敏のように日本でりっぱな仕事を残して帰りたい」と、美しい瞳をかがやかせ、さいごに「ドウゾヨロシクオネガイシマス」と覚えたての日本語で頭をさげた。


この沈夢さんについて、せんきちは残念ながら詳しい情報を持っていないのですが、こちらのサイトによると1971年に麗風で吹込(「圓床美夢、橫衝直撞七色狼」のレコードをご参照下さい)を行っていますから、香港へ帰ってからもずっと歌手として活躍を続けたもののようです。

香港から沈夢さんが来る1年前の1961年には、韓国から来日したキムチ・シスターズ(何度聞いてもすごい名前だ)が『アリラン』でレコードデビューを果たしていますので、はるか40年以上も前から華流と韓流の熱いバトルが日本では繰り広げられていたのですね。

なるほど。

2006年1月9日月曜日

三人の博徒

〔えいが〕

1967年、東映京都。小沢茂弘監督。鶴田浩二、池部良、待田京介主演。

一応、マカオロケ作品・・・・なのですが、期待して観ていたらそのほとんどがセット撮影で、タイトルバックとラスト、そして折々にマカオの風景&街を闊歩する鶴田浩二の姿が挿入されるのみで、これならわざわざマカオまで撮影に行かなくてもよかったのになあ、というのが正直な感想でした。
おそらく、現地の映画会社(例えば邵氏とか)の協力を得ていないため、大規模なロケーションが行えず、ゲリラ撮影に近いものだったのではないかと思われます。
マカオに連れて行ってもらえたのも、鶴田浩二の他には子役の男の子と遠藤辰雄だけだったし。
遠藤辰雄なんか、鶴田浩二を乗せて車(人力車)を引っ張るためだけにマカオへ渡ったと思われ・・・・。

ストーリー的にも、台湾との提携作品である『大陸流れ者(龍虎雙俠)』では日本人博徒と中国人博徒が一致団結して悪と闘うという相手側に配慮した内容になっていたのに対して、単独製作のこちらは中国人への遠慮など皆無、マカオの悪徳中国人が悪徳日本人ヤクザと結託して日本に阿片を横流ししようとしたばかりか、鶴田浩二の女房をかっさらってマカオへ連れ去り、飽きたらポイ捨てして娼妓として働かせるというやりたい放題の暴挙に出ております。

で、まあ、最終的には現地法人の意(日本人の面汚しを退治してほしい)を汲んだ鶴田浩二が、皆まとめて大掃除するわけですが、昭和初期という日本が中国大陸に食指を伸ばしていた時期にこのストーリーって、なんだか無理ありすぎ。
しかもマカオが舞台といいながら現地の日本人社会の一部という閉じた世界の中でしかお話が展開しないので、なぜマカオなのかという必然性が、正直なところほとんど感じられませんでした。
鶴田浩二が、「この間(『大陸流れ者』)は台湾と香港だったから、次はマカオがいいなあ」とでもつぶやいたのかしらん。 

悪徳中国人の役は小松方正でしたが、彼も日中ハーフの人力車夫に扮した遠藤辰雄も、なぜかどじょう髭をたくわえています。
「日本人=ちょび髭」に対して、「中国人=どじょう髭」なのね。

(於:東映チャンネル)

2006年1月8日日曜日

浅草の「最長的一夜」

〔えいが〕

1964年7月21日付『華僑日報』から。

というわけで、行ってまいりました「宝田明ワンマンショー」。
午後8時過ぎに浅草駅着、会場である浅草東宝へ向かいましたが、午後8時40分開場とのことでしたので、近くのマクドナルドでマズコーヒー飲みながら時間をつぶし、8時25分頃再び映画館へ。
しばしの後、開場となり「ホームページ見ました」と申告して1200円で入場。

9時から、宝田さんのトークショー。司会は小谷承靖監督。
「香港3部作」ネタに関しては、2002年の国際交流基金フォーラムの時の内容とほとんど同じでした。
ちらりと、この間の香港での「早期港、日電影交流展」のとき、尤敏のお墓参りをした話が出ましたが、中華ネタ好きのせんきちとしては、台湾映画人との交流に関するお話も伺いたかったところです。
会場には、先日お亡くなりになった藤木悠さんのご遺族もいらっしゃり、なごやかな雰囲気の中トークショーは終了。
30分のはずが、いつの間にやら1時間に延長しておりました。

その後、ロビーでの即席サイン会を経て、10時15分から上映開始。
皆様、それぞれの貴重なお宝を持参して、宝田さんからサインを貰っていました。
1本目の『香港の夜』の後、一度はお帰りになるとおっしゃっておられた宝田さんと藤木さんチームでしたが、結局2本目の『香港の星』までご覧になり、観客の拍手の中、手を振って会場を去っていかれました。
続いて、『100発100中』『放浪記』の上映があって、午前6時過ぎに全てのプログラムが終了。
途中、眠りに落ちることもなく、最後まで観続けることができました。

トークショーの時にも少しお話が出ましたが、宝田さんが単身香港へ渡って樂蒂と共演した『最長的一夜』、これもできれば日本で上映していただきたいものです。
この映画の中で宝田さんが演じている役名は、『香港の夜』と同じ「田中」。
『香港の夜』を意識して付けた名前なのかと思いきや、途中、樂蒂(農家の嫁)に向かって「田中という名前は田の中で働いていたということに由来する。だから自分も元々は君たちと同じだったのだ」云々と説明する場面があり、ちゃんとした意図があったのでした。

また、『最長的一夜』で村人に扮して宝田さんと共演した王琛は、先だっての『2046』にも登場、木村拓哉と王菲の恋(『香港の星』を想起させます)に猛反対する父親の役を演じています。

ま、そんなこんなで長い長い一夜でしたが、とても素晴らしい一夜でした。
(於:浅草東宝)

『最長的一夜』撮影のため来台した宝田さん。
張美瑤が出迎えました。
(1964年9月5日付『聯合報』)

2006年1月6日金曜日

明日の告示です

〔ちょっとお耳に〕


またしても風邪引いたみたいなので更新を休もうかと思いましたが、とりあえずこれだけは。

いよいよ明日、「宝田明ワンマンショー」が開催されます。
皆様、奮ってご参加下さい。

21:00~ 宝田明トークショウ
21:30~23:30 『香港の夜』
23:40~1:30 『香港の星』
1:40~3:15 『100発100中』
3:25~5:30 『放浪記』

不肖せんきちも、もちろん参加いたします。
料金は1500円均一ですが、「ホームページを見ました」と申告すると300円割引(1200円)になります。

それにしても、寒いわ・・・・。

2006年1月5日木曜日

新・金瓶梅のなぞ 再び

〔ちょっとお耳に〕


1977年11月、東映の配給により日本公開された香港映画『新・金瓶梅』(併映はこれ)について、これが従来言われてきたような『撈家邪牌姑爺仔』ではなく、実は『官人我要』のことであろう、との指摘をかつて行いました。
その後、しつこいせんきちは懲りずにこつこつと継続調査をしていたのですが、この映画(『官人我要』即ち『新・金瓶梅』)、どうもエロ描写だけでなく拷問シーンが目玉の1つだったようで、中華圏(特に内地)における色情片研究においては、これを後年の三級片『女淫地獄絵巻 (満清十大酷刑)』(1994年、嘉禾)のルーツと位置づけていることがわかりました。
しかし、そうなりますと、石井輝男監督の『徳川女刑罰史』と『新・金瓶梅』との影響関係なども気になってまいりますし、また、『徳川女刑罰史』を製作した東映が、拷問がウリのこの映画を配給したという点にも、なにやら奇しき因縁を感じるものではあります。

そして先日、遅ればせながら気づいたことが一つ。

『新・金瓶梅』で邵音音演じるヒロインの名前、「キネ旬データベース」では「スーザン(Suzan)」となっていますが、これって、ほんとは「蘇三(Susan。この方のファンにはおなじみの名前かと)」なんですね。
つまりこの映画、『金瓶梅』などではなく、

ポルノ版『玉堂春

だったのですよ。
ただ、オチは通常のようなハッピーエンドではなく、悲劇なのですけれど。

誰だ?邦題付けたの。

この映画で邵音音のお相手(王金龍〔景隆))をつとめているのは于洋ですが、邵音音と于洋といえば、彭浩翔の『ユー・シュート、アイ・シュート(買兇拍人)』にも夫婦役(阿玲〔方子璇〕の両親)で顔を見せていました。
特に邵音音、見事なまでの「怪演」でおました。

ということで、突然ですが、リリース情報です。

『玉堂春』樂蒂ヴァージョンのDVDが、1月19日に発売されます。
中華圏においては胡金銓の監督デビュー作などと言われている本作ですが、胡監督自身は生前にこのことをはっきり否定しておられます(詳しくは『キン・フー 武侠電影作法』をご参照下さい)。
胡監督が李翰祥監督の代わりに撮ったこの映画、撮影途中で樂蒂がおめでたになったりといろいろ騒動があったようです。
で、胡監督が「私の最初の作品」とおっしゃる『大地兒女』(これも樂蒂主演)も、3月23日にDVDが出ます。
撮影は、西本さんです。

(他に話題を摩り替えたところで終了)

2006年1月4日水曜日

夜の最前線 女狩り

〔えいが〕

2日にお泊りしたウェスティン東京の客室からの眺め。

1969年、日活。井田探監督。和田浩治、藤竜也、岡崎二朗、佐藤サト子主演。

帰ってきました。
で、新年一発目です。
「女狩り」と書いて、「すけがり」と読みます。

以前購入した『別冊近代映画 春のムードグラマー特集号』(1969年4月号)に本作の記事が載っていて、なんとなく気になっていたのですが、このたび鑑賞することができましたので、取り上げてみることにいたしました。
ちなみに、『別冊近代映画』にはこの映画に関して、

若者の街!新宿の夜の盛り場に拡がる、GOGOクラブ、アングラバー、デイトクラブをバックに、そこにうごめくセックスと悪と執念に賭ける男どものリアルなアクション篇

とありますが、実際の作品にGOGOクラブは一切出てきませんでした。

おおまかなストーリーはこちらをご参照して頂くとして、つまりは工場でせっせと働いて貯めた金を握り締め恋人と駆け落ち、夢の大都会・新宿へやって来たものの、やくざに因縁つけられて恋人を拉致された上有り金巻き上げられた挙句、自分は傷害罪でムショに送り込まれるという不幸に見舞われた純情青年が、臭い飯食う中で大変貌を遂げ、かつて自分をどん底に陥れた街・新宿の夜の世界でのし上がってゆく、というお話のようです。
そんな中で、夜の世界を牛耳る大物華僑・康成哲(「こう」「こう」と言ってるので、てっきり「黄」かと思ったら「康」でした)との対決に突入するわけですが、あの日拉致された恋人が今では康の愛人になっていた(浮気ができないように貞操帯で拘束されています。『責め地獄』みたいに鍵が折れるというベタなギャグはなし)というおまけも付いて、「下克上プラス復讐」な展開となります。

全体としては、無国籍アクションの残り香漂う任侠物(でいいのかしらん?藤竜也なんか、最初はスーツなのに後半は着流しにドスというルックスに変貌)に現代の風俗とエロ風味を加えた映画・・・・のような感じでしたが、それにしても、拉致された恋人の両親、娘が行方不明になって捜索願とか出さなかったんだろうか。わからん。

岡崎二朗が学生運動崩れのフーテン役で「カストロ」というニックネームなのですが、見た目は「ゲバラ」でした。
で、最後はこの岡崎率いるフーテングループがヘルメットにゲバ棒握り締めて駆けつけ和田浩治に加勢、投石や火炎瓶攻撃で康一味を蹴散らします。
和田浩治はなんか暗いだけでいいとこ無し。
さらに、流しにして藤竜也の子分である矢吹健(うちの近所でカラオケスナックやってました)の歌声と、恋人役・佐藤サト子の地味なルックスがその暗さにいっそうの拍車をかけておりまして、なんというか、どことなく裏淋しい心持のする映画でおました。

で。『別冊近代映画』では本作のことを「夜の最前線シリーズの第1弾」と書いていまして、いろいろ調べてみたところ、2作目もちゃんと製作されておりました。

最後にもう一言だけ付け加えると、悪役=華僑という図式もワンパターンのような。
新宿歌舞伎町だから、これって台湾華僑なのでしょう、きっと。
なんだかなあ。

付記:ラスト、岡崎扮するフーテンはガールフレンドの故郷である北海道で暮らす道を選びますが、この人、今頃は環境保護運動(自らも無農薬野菜を栽培)とかに深入りしてそうな予感が・・・・。

2日の午前中、なじみの料理屋さんのご主人が
お刺身を持ってきてくれました。
さっそくお昼に頂きました。

2006年1月1日日曜日

新春残酷物語

〔しようもない日常〕

石の五百羅漢だ!まいったか!


あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

朝8時半過ぎに起きて、まずお汁粉でお餅を3個食した後、昼前に来客、近所の中華料理店による超豪華中華おせち料理は来客に供されたため、あっしはお預け状態に。
その後、午後3時過ぎ、初詣に行った先でようやく磯辺焼きを2個(やっぱりお餅)。
結局、近所のコンビニに駆け込んで、パンを買って食べました。

夜になってようやく超豪華おせちを食べましたが、なんだか普通の料理が食べたいっす。
後で「出前一丁」でも食うか・・・・って、お前の言う普通の料理ってそれかよ!

明日からちょっとお出かけします。
帰ってきたらまたお会いしましょう。