2007年1月29日月曜日

『香港の夜』でこける

〔しようもない日常〕


というわけで、昨日、フィルムセンターで『香港の夜』を観てきました。

念のため、開場の約1時間前(午前11時30分頃)に到着すると、既に10人ほどの先客がお見えでした。
最後尾に加わって持ってきたおにぎりを食べ、しばし読書をした後でいつもの1階ロビーエレベータ前整列の時間に。
今回は松葉杖使用というハンデがあるゆえ、階段ではなく特別にエレベータで大ホールのある2階まで上らせてもらいました。
がらがらだったらどうしようかなあと思いましたが、日曜の昼下がりという時間帯も手伝ってか客席の4分の3ほどが埋まるまずまずの入り。
よかったわん。

でもねえ、ここ(フィルムセンター)って、公の施設の割にはお年寄りやハンディキャップのある人には冷たい構造ですわね。
トイレ行くにもいちいち階段を上り下りせにゃならんし、そこらじゅう段差や階段だらけだし。

あへあへいいながらなんとかトイレを済ませて席に戻ると、お友達とばったり。
午前中に今日観に行くかどうかのメールを送ってきてくれていたそうなのですが、うっかりチェックするのを忘れておりました。
許せ。

ちょうどよく隣の席が空いていたので、お友達と並んで鑑賞。
フィルムセンター所蔵フィルムによる上映でした。
いつの間に収蔵していたのか。
2002年に初めて観たときにはあせあせぼろぼろのプリントでしたが(全てがオレンジ色の世界)、CS放映以後はきれいなプリントで観られるようになり、うれしい限り。

もう何べんも観ているはずなのに、未だにチェックしていなかった事項が多くて、今回それらを再チェック。

澳門の王千里(王引)のお家は、美珊枝街にあるのね。
でも、55号なんていう住居表示はあるのか?
とりあえず、こんど澳門に行ったら探してみましょう。

呉麗紅(尤敏)が住んでいるアパートは、手前の門の所に「○○台」と書いてあって、「○○テラス」といった類いの地名なのかしらん、と思いましたが、よくわかりませんでした。
近くに教会があるので、やはり次回香港に行ったら、それらしい地形のところを捜索してみます。

麗紅の勤める薬局は、今も実在する安康寧藥房。
これも香港での宿題ね。

鑑賞後、4時のおやつにふぐ料理を食べに行くというお友達と別れ、1人帰途に。
宝町駅の改札に降りる長い長い階段でけつまづいて転倒、危うく2度目の骨折をするところでした。
都営地下鉄も、もう少しバリアーフリー率が高ければよいのになあと思いますです。

そこで、今回の反省。

フィルムセンターで映画を観るのは、松葉杖使用者にとってかなり障害の多いことがわかったので、以後、完治するまで観に行くのは我慢することにします。

身体で学習しました。

2007年1月26日金曜日

一生分のスピッツ

〔しようもない日常〕

いらっしゃ~い!(桂三枝風に)

こんにちわ。
おかげさまで、折れた骨がくっついてきました。
といっても、まだまだ完全ではないので、当分の間、松葉杖生活が続きそうです。

さて。

骨折以来、初めて映画館へ行ってきました。
ユーロスペースでのレイトショー、『海でのはなし』。

まず映画の前に同行の知人・Kさん(こちらこちらの日記にも登場した台湾系華僑の方)と、映画館近くにある台湾料理屋へ。
「台湾料理」といいながら従業員のほぼ全員が大陸の方というありがちな店でしたが、これも骨折以来ひさびさとなる台湾ビールや紹興酒をぐびぐび。
つまみはお約束の香腸など。
Kさんも暮れに虫垂炎を患っていたので、彼女にとってもひさびさのお酒となりました。

ホール係のねーちゃんの巻き舌のきつい國語(ほぼ全てアール化)を聞いたKさん、それが國語だとはまるでわからなかったらしく、

「ねーねー、あれ、何語?」

と尋ねてくるので、

「國語だよ。巻き舌がきつ過ぎて、何言ってるのかさっぱりわかんないけど」

と返答、しばらく耳を澄ませた結果、Kさんもようやく國語だと気付いたらしく、

「ああ、ほんとだ」

と納得しておりました。

ある意味、台湾國語とは対極の國語でしょうなあ、あれは。

そして、映画。

「はじめにスピッツありき」の映画だということはわかっていたものの、はっきり言って、

うるせーよ!音楽!

無理やり音楽をはめ込むんじゃねーよ!

もう一生スピッツは聴かないでいいな。
お腹いっぱい。

あおいちゃんがCDウォークマンで『ロビンソン』を聴く迷場面(一応、あれがクライマックスなのか?)は、molmotさんのブログで読んで既に知っていたので、思わず、

ロビンソン キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!

とほくそえんでしまいますた。

それから、「しがない非常勤講師」のくせに個人研究室を持ち、両親にも相応の仕送りをしている西島さん演じる博士、

お前はどうみても専任講師にしか見えんぞ!(百歩譲って助手)

とまあ、ここまでくさしておきながらなぜこの映画を観たのかといえば、あおいちゃんの母親役でとんちゃん(毬谷友子)が出ていたから。
とんちゃん、母親役をやる年になったのねえ。
でも、相変らずとんちゃんはとんちゃんでした。

(おしまい)

付記:館内で購入したブックレットに載っていたとんちゃんのプロフィール、出演映画が『夢二』だけだったけど、『東京上空いらっしゃいませ』は彼女の中では封印作品になっているのだろうか。・・・・なにゆえに。

2007年1月20日土曜日

おしりのでんぼ

〔しようもない日常〕

これは中扉。


先ほど、テレ東のドラマ『李香蘭』のメイキングを観ましたが、製作発表記者会見での山口淑子と上戸彩のやりとりは、まるで、

女学校の校長先生と新入生

のようでしたわ。

どんなドラマになることやら・・・・。

さて。

足がこんな調子ゆえ仕事の用事以外は外出しないようにしているので、その鬱憤晴らし(?)にネットでのお買い物に励んでおります。
そんな中、購入したのがこちらの1冊、『社長洋行記(三紳士艶遇)』のノベライズ本ざます。

装幀は、岡村夫二。


ついでながら
DVD
、好評発売中!


著者は、映画の脚本を執筆した笠原良三。
奥付を見ると、

昭和37年6月20日印刷
昭和37年6月25日発行

とあります。
映画『社長洋行記』の正編が同年4月29日、続編が6月1日に公開されたところから見て、続編の公開を待って出版されたもののようです。
この手の映画のノベライズが日本ではいつ頃から始まったのか、浅学にしてわからないのですが、少なくともこの頃(今から45年前)には既に行われていたのですね。

ふーむ。

東京で中華料理店「香港亭」、香港で日本料理店「東京亭」を
営む悦子が英之助(社長)と一緒にスターフェリーに乗って
九龍半島から香港島に渡るさいの台詞。
映画で悦子を演じた新珠三千代は「クーロン」と言ってましたが、
ノベライズでは「カウルーン」と英語読みを採用。


英之助(森繁久彌)率いる桜堂製薬の看板商品
「サクランパス」のライバル商品である「椿パスター」が、
なぜか「パスター」になるという大誤植。


ちなみに、ノベライズの中で尤敏演じる柳秀敏は、

りすのように美しいチャーミングな目を持った女性

と描写されていました。

りすですか?
しかし、
そもそもりすの目って美しいのか?


貸本屋から流れてきたらしく、こんな印記が。


さらに、衝撃の落書きを発見!

おしりのでんぼ(=おしりのおでき)

って、このイラストに従えば、

いぼ○のこと

なんですかー!?

かつて香港にもあったね、このネオン


借りた本に落書きするのはやめましょう。

付記:このノベライズ版『社長洋行記』、昭和43年(1968)春陽堂から文庫版で再発されますが、そちらは未入手です。

2007年1月17日水曜日

十萬青年十萬軍 (The Commander Underground)

〔えいが〕

いつも通り(?)、切れてます。

1967年、台湾(國聯)。李翰祥監督。楊群、朱牧、洪波、劉維斌、伍秀芳主演。

またまたご無沙汰しております。
まずは、足のご報告なんぞを。

脛に開けた穴は無事塞がり、包帯も取れました。

が。

折れた骨はまだくっつきません。

気長に待つしかなさそうね・・・・(とほほ)。

では本題。

國聯製作の抗日映画。
日中戦争時における重慶特務(楊群、他)と日本軍(朱牧、他)との息詰まる攻防を描いた作品です(別題:『地下司令』)。
タイトルの『十萬青年十萬軍』は、1944年、蒋介石が中国の知識青年に向けて抗日戦への従軍を呼びかけたさいのスローガン「一寸山河一寸血、十萬青年十萬軍」からきていますが、作品の内容から考えるとむしろ別題である『地下司令』の方がしっくりくると思います。

基本的に神経戦中心のスパイ物なので、派手なドンパチはなし。
日本軍幹部をお色気で手玉に取るスパイも出てきますが、大してサービスカットもないので(入浴シーンぐらいか?)、そちら方面のお楽しみ(?)もございません。

で、結果的には当たり前のことながら重慶特務の勝利!に終わるのですが、この後いきなり爆竹がバンバン炸裂して抗日戦もおしまいになる、という展開は、かなり唐突。
ありがたいことに、

侵略者は必ず滅びる

というお説教まで垂れて、あっけなく劇終。

もう悪さはしません。

登場人物の中でちょいと気になったのが、この方↓。


日本軍将校・林中尉と言いながら、実は重慶特務なのですが、林という苗字から見てやっぱり台湾籍の抗日青年なのかなあ、と思ったのですけれど、その辺りの説明はいっさいなし。
なんかようわかりませんでした。

抗日映画名物(?)の、

ちょび髭


あやしい和服


とほほな日本語

は、ここでも健在でしたが、日本軍の皆さんは、

おしなべてスケベ

ではあるものの、

必ずしも極悪非道ではありません

でした。

てなわけで、以下、例によって関連情報。

こんなの作って何になるのかと思ったのが、伊賀忍者屋敷も真っ青の重慶特務屋敷。
水洗トイレのタンクが、あら不思議、






隠し扉に早変わり!

でも、トイレの水はどうやって流すんだ?
タンクが偽物なのにさ・・・・。

本作の監督は李翰祥になっていましたが、


もう1人、


洪波が「執行導演」を務めておりました。

『菟絲花』もそうだったけれど、李翰祥が途中まで撮って投げ出しちゃったということなのでしょうかねえ。
これもようわからん。

2007年1月5日金曜日

菟絲花 (Dodder Flower)

〔えいが〕

タイトル、切れてますしー!

1965年、台湾(國聯)。張曾澤監督。汪玲、楊群、朱牧、李湄主演。

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
足は治りませんが、そこそこ元気に生きております。
ささやかですが、新年のプレゼントをどうぞ。

さて、新年1発目は暮れから持ち越しになっていた國聯作品。
瓊瑤作品の映画化です。
例によって、超大ざっぱなストーリーは下記の通り。

高雄に住む少女・憶湄(汪玲)は、母の死後、その遺言に従って台北に住む羅教授(朱牧)の家に引き取られます。
羅教授には精神に異常をきたした夫人(李湄)と2人の子供がいました。
羅教授の家に下宿する教授の教え子・中枬(楊群)は彼女の家庭教師となり、2人はやがて恋に落ちるのでした。
しかし、羅教授の息子・皓皓(劉維斌)は憶湄を愛しており、また、教授の娘である皚皚(艾黎)も中枬のことを慕っていました。
皓皓は自分と憶湄が交際することを固く禁じる父親に対し、教授こそ憶湄のことを愛しているのだと父を詰りますが、中枬は憶湄の実の父親は教授なのではないかと疑い始めるのでした・・・・。

『婉君表妹』『唖女情深』『煙雨濛濛』と共に、瓊瑤小説の映画化の最初期の作品の1つです。
タイトルの「菟絲花」とは寄生植物である「ネナシカズラの花」のことで、男性に頼らなければ生きていけないか弱い女性、ここでは特に羅夫人のことを暗示しています。
脚本は、皓皓を演じた劉維斌(昨年亡くなりました)が執筆しています。

「美しい孤児が引き取られてきたことによって起こる、ある家族の悲劇」というパターンは、『婉君表妹』とほぼ同じですが、ラストに明かされる羅家の血の秘密はというと・・・・(以下、完全にネタバレ)。

1938年、裕福な資産家の息子だった羅教授(当時は教授じゃないけどさ)は、大学を卒業後、地質学の研究のために赴いた貴州省の湄潭(当然ながら〔?〕外省人のお話)で美しい女性と巡り合い結婚します。
2人の間には皓皓という男の子が生まれますが、羅教授は妻が妹のように可愛がっていた娘とも関係を結び、やがて彼女も教授の子を身ごもるのでした。
教授は正直に全てを話せば妻も許してくれると思い妻に打ち明けるものの、妻は夫の子を身ごもった娘のことを激しく詰り、それが原因で娘は精神に異常をきたしてしまいます。
その後、娘は女の子を出産、皚皚と名付けられます。
一方、教授のもとを去った妻も女の子を生みますが、その子こそ憶湄であり、つまり皓皓と憶湄は実の兄妹だったのでした。
国共内戦の中で台湾へ渡った羅教授は、ある日、住所の書かれていない1通の手紙を受け取ります。
それはかつての妻からのものでした(どうやって住所を調べたんだか)。
妻も台湾にいることを知った教授はその行方を捜し求めますが、果たせずにいた時、ちょうどそこへ現われたのが我が子・憶湄だったのでした・・・・。

なんのこたーない、よーするに、教授の

さまよえる下半身

が招いた、言ってみれば、

身から出たサビ

なお話なんですけど、

子供はいい迷惑だよ!

それでも、そんなお父ちゃんを最後には許す憶湄の姿を見ていると、女の不義密通はご法度だけれど男のそれは全然OKという、男にとって都合のいいゆるーい倫理観が透けて見えてしまい・・・・なんだかなあ。
だいたい、「正直に話せば妻は許してくれるだろう」って、お前、いくらなんでも

おめでたすぎるよ!

ネタバレついでにもう1つ加えておくと、教授の色ざんげの後、一部始終を盗み聞きしてしまった羅夫人(皚皚のお母さんね)は、菟絲花の絡みついた樹木で首を括って死んじまうのでありました。

憶湄、そんなお父ちゃん許すんじゃないぞ!

ということで、以下は関連情報。

本作の監督は張曾澤ですが、

「執行導演」とあります。

李翰祥にも、

「導演」の肩書きがついていました。

ストーリーのほとんどが羅家の屋敷の中で展開するかなり閉じたお話なので、高雄や台北が舞台なのにロケ撮影はほとんどなし。
せいぜい高雄の国民学校や駅のホーム、そして

台北駅が出てくるのみ。

羅教授は台大の先生らしく、お住まいは

羅斯福路三段357巷55号。

でも、邸内のシーンは別の場所で撮っているようでありました。