2007年8月28日火曜日

ハレンチなずべ公が好きです

〔橘ますみ〕

ハレンチなずべ公さん。

どうも。
あせも完治目前で足踏み中のトドです。

最近、よく行く(というか、ほぼ毎日行く)スーパーのレジに周迅に似た顔立ちのお姉ちゃんが新加入、先日、お会計の時に目が合ってしまい、訳も無くドキドキしてしまいました。

アフォか。

・・・・恵まれない男子中学生の恥多き日常でした。

ということで(?)、誰も書かなきゃオレが書く!の橘ますみたんネタ、久々の登場です。
といっても、単なる告知の羅列なんですけど。

いつもすてきな企画をかましてくれるラピュタ阿佐ヶ谷で、9月1日(土)から「不良性感度100%のオンナノコ列伝 ズベ公青春物語」なるレイトショーが始まります。
せんきち的に何より快挙なのが、

「ずべ公番長」シリーズ全作上映

でおま。

まともじゃない人たち。
ヒッキーママも赤城卒。

ますみたんが主人公リカの盟友・八尾長子役で出演した第1作(夢は夜ひらく)、第2作(東京流れ者)、第4作(ざんげの値打ちもない)の上映日程は下記の通り。
『ざんげの値打ちもない』は、先だってお亡くなりになった阿久悠先生の名曲ですわ。

9月8日(土)~14日(金)『ずべ公番長 夢は夜ひらく』
9月29日(土)~10月5日(金)『ずべ公番長 東京流れ者』
10月20日(土)~26日(金)『ずべ公番長 ざんげの値打ちもない』

ちなみに、その他の上映作品はというと・・・・。

9月1日(土)~7日(金)『三匹の牝蜂』
9月15日(土)~21日(金)『女子学園 悪い遊び』
9月22日(土)~28日(金)『高校生番長 ズベ公正統派』
10月6日(土)~12日(金)『ずべ公番長 はまぐれ数え唄』
10月13日(土)~19日(金)『すっぽん女番長』
10月27日(土)~11月2日(金)『不良少女 魔子』
11月3日(土)~9日(金)『番格ロック』

東映ズベ公(女番長)物と日活夏純子物と大映八並映子物という、三つ巴のバトルの様相を呈しております。
大映の「高校生番長」シリーズでは、今回上映される『ズベ公正統派』よりも『棒立てあそび』の方がバカバカしくて楽しめます。
ただし、日活と大映はこの当時(70年代初頭)ダイニチ映配でタッグを組んでいた(というか、もたれあっていた)ので、東映VSダイニチってことになるのでせうか。
これに、特別上映『飛女正傳』が加わったら、堪えられないラインナップになるんですけど。

とりあえず、東映物には全て足を運ぼうかと思っております。

で。

昨年夏の奇跡のレイトショーに続き、今年もやって来ましたハレンチ祭り!
9月8日(土)からシネマヴェーラ渋谷で始まる「妄執、異形の人々II」で、『異常性愛記録 ハレンチ』が上映されます。
昨年はレイトでしたが、今年は白昼堂々ハレンチ三昧です(みんなで「幸せ」になろう!)。

その他のラインナップはこちらをご参照いただきたいのですけれど、東映「動物」シリーズ(そんなの、ないない)第1作『二匹の牝犬』がありますわね。
三匹だと「牝蜂」で、二匹だと「牝犬」ってところが奥深いです・・・・。

東映セックスドキュメント第1作『ニッポン'69 セックス猟奇地帯』は新文芸坐でやった時に観ちゃったので、今度は『性倒錯の世界』か『エロスの女王』が観たいもんです。

それから、すでにあちこちで話題になっていますが、今回の特集のトークショーに真魚八重子さんとモルモット吉田さんがご登場なさいます(22日〔土〕17:50~)。
不肖せんきち、八重子さんには2度ほどお目にかかったことがあるのですけれど、モルモットさんとはつまんない宮﨑あおい映画のレイトショーのさいにニアミスしたことがあるのみですので、都合が合えば聞きに行こうかと思っております。

最後にもう一発。

9月14日(金)から金沢21世紀美術館シアター21、駅前シネマ、シネモンドを会場として開催される「カナザワ映画祭2007 青いオトコまつり」にて、ますみたんがぶりっ子(死語)お嬢様を演じた『シルクハットの大親分 ちょび鬚の熊』が上映されます(9月15日(土)10:00~、金沢21世紀美術館シアター21にて)。

華族令嬢のますみさんが若山富三郎に「お女郎さんって何ですの?」と真顔で聞く場面があるんですけれど、映画デビュー作(『博奕打ち』)で飛田の女郎役やってた人の台詞だけに、かなり笑えた記憶があります。
「緋牡丹博徒」シリーズの外伝なので、もちろんお龍さんも出てくるんですが、これも何か藤純子のセルフパロディに見えて、思わず笑っちゃった記憶が・・・・。

以上、単なる告知の羅列でした。

付記:他にも、東映チャンネルでますみたんがゲスト出演した『素浪人 月影兵庫』第43話「空前絶後の敵だった」が放映されたりするのでありますが、お好きな方はホームページでお調べ下さい。

2007年8月26日日曜日

陳曼玲やら『太極門』やら

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕

今のところ、陳曼玲の國泰物で
ソフト化されているのはこれのみの模様。
(DVDはこちら、VCDはこちら

どうも。
あせも完治目前のトドです。

ここのところ、検索ワード「陳曼玲」でお越しになる方が多いので、メインサイトにある以外の情報をてきとーに。

これは旧ブログでも取り上げたことがありますが、1963年、陳曼玲が台湾で開催された電懋のオーディション(彼女は台中出身)に合格した時の映像が「国家文化資料庫」にあります(←そちらのリンクで見られないときはこちらからどうぞ)。
このとき彼女と一緒に合格しながら兵役の関係で香港に行くことができずに台湾に残留、しかし、後に台湾が誇る「亞洲影帝」になったのが柯俊雄。
もしも柯俊雄が電懋に加入していたなら、その後の電懋の歴史も少しは違ったものになっていたのではないかとせんきちは思うのですけれど、大げさすぎるでしょうか・・・・。

『レッツゴー!若大将(足球健将)』の香港・澳門ロケは1966年11月に行われました。
一行は11月16日深夜に香港到着、翌朝から早速ロケを開始、10日間の予定で撮影を行いました・・・・って、10日もいて、あんなにおざなりな場面しか出てこないって、どーよ?
ドライブ場面でちょっとだけ景賢里が映るのが、今回の発見でした。
『ホノルル・東京・香港(香港・東京・夏威夷)』で、尤敏の妹が養女に行った先の邸宅もこの景賢里じゃなかろうかとせんきちは思うんですけれど、今ひとつ確信が持てません。

11月17日夜に行われた記者招待会にて。
向かって左から陳曼玲、加山雄三、星由里子。

せんきちが陳曼玲の映画を観たのはもちろんこの作品が初めてでしたけれど、その後、香港で『應召女郎』を観て彼女のチ○コ斬り演技に大変な衝撃を受け(便所で赤ん坊産み逃げ!も、かなり衝撃的だったけど)、以来、

陳曼玲=チ○コ斬り女優

のイメージがせんきちの中で固定化してしまい、そのせいで『レッツゴー!若大将』の彼女なんか物足りなくて物足りなくてしようがないですわ、おほほ。

東宝スタジオにて。
お目付役(?)として一緒に来日した羅蘋と。

あ、そうだ!
通信社社員(『香港の夜』)に始まり、中国育ちの日本人(『最長的一夜』)、日中ハーフ(『香港の白い薔薇』)を経て、ついに生粋の中国人になってしまった宝田明のしゃべる北京語も、よーく聞いてみてね。

ということで、次の話題。

本家Amazonに注文しておいたDVDが届いたので、観ましたよ、『太極門』。

DVD本体も石堅大フューチャー。
樂蒂は隅っこでひっそり。


ちっちぇー!

監督が袁秋楓なので、さぞかしつまんないだろうと思っていたところ、果たしてその期待を裏切らない(?)ぬるーい武侠映画でおました。

物語は、太極門の宝物である金剣・魔鏡及びその秘伝書を巡る争いにまつわるもろもろの出来事・・・・なんですけれど、悪役として大暴れしてくれるはずの石堅が娘(樂蒂)可愛さのあまり途中からいい人になっちゃって、雷震にあっけなく殺されて退場というのはいかにも中途半端。

てなわけで、この映画で一番悪い人は雷震。

でもねえ、なんか、カッコ悪いというか、様になんないのよ。
しかも、前歯がヘン。
『教我如何不想她』のナマ歌同様(?)、イタ過ぎる雷震なのでありました。

で、金劍・魔鏡を使った秘技というのが、魔鏡を使って目くらましをしたところへ金劍をブスリ!という、かなり邪道な技。
しかし、悪いお父ちゃんのせいで盲目になっていた樂蒂にはこの技は通じなかったのでした。
めでたしめでたし。

樂蒂の『めくらのお市』な演技はそれなりに面白かったけれど、同じ盲目演技なら『暗くなるまで待って(Wait Until Dark)』の方がしっくりきたような気もします、彼女の場合。

ジャケットの裏面。
オリジナル予告編がおまけに付いてます。

2007年8月24日金曜日

検索ワード「陳曼玲」でお越しの皆様へ

〔ちょっとお耳に〕

今こそ観たい!『若大将VS番長』(むりむり)。

とりあえずの告示。

昨夜『レッツゴー!若大将』がBSで放映されたせいか、検索ワード「陳曼玲」でお越しになる方が急増なのですけれど、こちらのブログの記事ではたいした役にも立たないと思いますので、メインサイトの記事をご参照下さい。

よろしくお願いします。

2007年8月23日木曜日

續 酒豪

〔ちょっとお耳に〕

最近、こんな団扇も購入。
もったいなくて仰げません。

どうも。
あせもで悩むトドです。

昨日、特集のタイトルに惹かれてつい購入してしまった『"Newsweek"日本版』。


昔も今も日本人が世界最低の観光客だと思っていたら、今や中国人にその座を奪われて(?)しまったようです。
否、それどころか、欧州のホテル経営者1万5000人への聞き取り調査によれば、日本人観光客は、

最も品行方正で、

最も礼儀正しく、

最も静かで控えめで、

最も不平の少ない、

世界のベスト観光客


ですってよ、奥様。

とはいえ、この調査には東南アジアで買春してるオヤジのデータは加味されていないだろうからな。
話半分ということで(オヤジのデータが加味されたら世界最低行きは必至)。

特集記事中、最も興味深かった、というか、「そりゃそうだ、そんなことも起こるよねえ、きっと」と納得したのが、


あるとき中国人の宿泊客がホテル内で台湾人と鉢合わせし口論になった。
「何を言っているかわからなかったが、それ以来、同じ日に中国人と台湾人を泊めないことにした」と、山梨県の石和温泉にあるホテル君佳の池田政伽津専務は語る



という件。
「石和温泉で台湾海峡危機勃発」にならないでよかったっす。


ちなみに、房祖名に関する記事もあったよん。特集とは別口で。

さて。

以前、高峰秀子の『私の梅原龍三郎』に尤敏のことが出てくるという旨の記事を書きましたが、その折の資料として用いたのは文庫版の方。
その後、「やっぱり単行本の方が、写真もおっきいんじゃないの?」と思ったせんきちは、さっそく単行本を購入、いそいそとページを繰ったのでありましたが・・・・。

こちらが単行本。函入、布装。


せっかくなので、サイン本をゲット。


あれ?こんだけ?


かたや文庫版はといえば。


見開き全面。

写真の寸法を比較してみると、

単行本:タテ5.4cm、ヨコ11cm
文庫版:タテ9.9cm、ヨコ19㎝


なんだい、単行本の方がちっちゃいじゃんよ!

Oh、ヴァカ、ヴァカ~・・・・。

ま、文庫版の方は見開きにしたせいで尤敏の身体が真っ二つになっているのが大いに不満だったので、単行本にはそれがないだけよしとしましょう。

サイン本だったしね。

2007年8月21日火曜日

今さらですが (その二)

〔たび〕

まるでせんきちが来るのを待ちかまえて
いたかのようなワキワキ広告@西灣河。

ほれほれ。ツルワキだとさ。

どうも。
甲状腺を腫らしたトドです。

いやあ、びっくらこきましたね、昨日の中華航空機事故。
でも、もっとびっくらこいたのが、中華航空を中国の航空会社と間違えていた皆様の多かったこと。
台湾ですから。

不肖せんきち、4年ぶりに那覇空港の国際線ターミナルを目の当たりにしましたけど、相変らず掘っ立て小屋のまんまですね。
4年前、台北行きの日本アジア航空機に乗っていたところ、エンジンカバーに穴が開いて那覇空港に緊急着陸、国際線ターミナルに強制収容(?)の上出国取消、代わりの機体が来るまでのあいだ那覇の街に放り出されたことがありました。

その折のお写真。
穴がぼっこり。

以来、日本アジア航空は利用していません(中華航空機にも12年乗ってないわ)。

・尤敏の墓参り

実は今回の旅の最大の目的がこれでした。
といっても、せんきち1人の力ではちょいと難しいので、香港のお友達にご協力いただきました、というか、ほとんどおんぶにだっこでしたわ。
暑い中、ほんとにありがとさんでした。

尤敏のお墓は、香港某所の天主教墓地にあります(正確な場所を書くのはご容赦)。
タクシーで墓地に着いた後、お友達が事務所のおじさんにお墓の番号を聞いてくれたので、それに従い、墓碑を探します。
15分ほど墓地内をうろうろして、ようやく発見。
かつての大スターの墓とは思えないような、小さな小さなお墓でした。

まずはお参りということで、お参りを済ませた後、間抜けなせんきちははたと気付きました。
お花を買ってくるのを忘れたわ。

ここでもお友達が花屋さんの場所を聞いてくれて、徒歩10分ほどの所にある花屋さんでお供えのお花を購入。
一目見て「これよ!」と閃いた、白地にピンクのトルコキキョウにしました。
花言葉は「優美」「希望」「よい語らい」「清々しい美しさ」。
尤敏にぴったりだわ。

花を買って再びお墓に舞い戻り、改めてお参り。
しばし墓前に佇んだ後、「また来ます」といってその場を離れました。

ところで。

以前、尤敏の誕生日の謎について書きましたが、今回の墓参の折、墓碑に刻まれていた彼女の誕生日を確認したところ、

1937年4月17日

でした。

今までに無かった誕生日だよ。
しかも1937年だって。

・・・・謎は深まるばかりです。

(つづく)

2007年8月18日土曜日

今さらですが (その一)

〔たび〕

ホテルそばの寿司屋に群がる人々。
半額セール中だったらしい。

トドです。
1週間のご無沙汰でした。

11日の夜、冷蔵庫の扉を閉めるさい誤って扉の角に顎を強打、「あざになってたらやだなあ」と思いつつ鏡を見たところ唇が切れて大出血、口を開ければ口内も血まみれ。
「とりあえず、血を止めなきゃ」ということで保冷材を使って止血を行い、20分ほどで出血は収まりましたが、何しろ夜の11時前だしお盆休み期間だしで、医者に診てもらおうにもタクシーで救急に駆け込むしかない。
「さて、どうしたものか」と思案した結果、とりあえず様子を見ることにしてその日は就寝。
しかしよくしたもので、医者にも行かずにたったの1週間できれいに治りましたよ、唇。
それよりも、その後にできた口内炎の方が痛かった。

今回の教訓:唇を切って大出血することよりも、口内炎の方がはるかに痛い(よい子のみんなは真似しないでね!)。

で。

早いもので、すでに2ヶ月の歳月が流れようとしていますが、6月の香港・澳門の旅のメモを少しだけ。
時系列で書くのも面倒なので(もう何もかもが面倒なのよ!)、てきとーにテーマを拵えて書いていくことにします。

・樂蒂ゆかりの宿に泊まる

このたびの旅で、不肖せんきちが荷を解いたのが百樂酒店。
1961年開業の老舗(と言っていいのだろうなあ)ホテルでおます。

1962年1月31日、樂蒂は当時ここの最上階にあったレストランで陳厚との結婚披露宴を行い、そのまま当ホテルに宿泊、翌日日本へ新婚旅行に旅立ったのでありました(くわしくはこちらをご参照下さい)。

てなわけで、せんきちにとってここはある意味「聖地」でありまして、いつかは泊まってみたいホテルだったのでした。
今回、客室の改装も全て済み(一部公共スペースは現在も改装中)、しかもお値段はあいかわらずリーズナブルな上にサービスもばっちり、という情報をキャッチしたせんきちはさっそく某サイトを通じて予約を入れ、念願のお泊りを果たしたという次第です。

気になる改装後のお部屋はこんな感じ(ツインのシングルユースでした)。



なんせ昔のホテルなのでお部屋は広々、ここよりも狭い君怡酒店の方が値段が高いなんて、信じられねーよ。

テレビはチャンネルVなんかは映りません。
でもニュースが観られればいいせんきちは、そんなことあまり関係なし。
鳳凰が映んない代わりに(?)CCTV4は映ります。
つまんないNHKワールドも映るので、日本が恋しいお年寄りも安心。

スリッパは使い捨てタイプを常備、セーフティボックスもあり、バスルームのアメニティも一通り揃っていました。
徒歩3分の地点にはコンビニ、お向かいにはジューススタンドがあったので、せんきちはそこで毎日マンゴージュースを買って飲んでおりました。
場所も比較的便利(金馬倫道と漆咸道南のぶつかる所。つまり、金馬倫道のどん詰まりね)で地下鉄の駅へも徒歩5分程、そんなこんなのよいこと尽くしで、これからはここを定宿にしようと思ったせんきちなのでありました。

めでたし、めでたし。

(きっとこれもだらだらとつづく)

2007年8月11日土曜日

ちまちましたお買い物

〔しようもない日常〕


こんにちわ。
陸に上ったトド・せんきちです。

「暑い、暑い」と言っていたらさらに気温が上昇、今日なんか

最高気温36.4度

ですってよ、奥様。
トドの平熱(35.8度。あ、あたしのことね)よりも高いわ。

えー、ここんとこ、すっかり更新が滞っておりますが、夏バテのせいではありません。
ただ単に

面倒くさいから

なだけです(スマソ)。

でもまあ、古本屋さんでのちまちましたお買い物は継続中でして、先日も冒頭に掲げたような本を購入いたしました(1973年、ホーチキ出版)。


知らなかったよ、こんな本。

まだきちんと読んでいないのですけれど、なんでも、著者(頓宮慶蔵)が記録映画『香港』を撮影するさい、彼の地で知り合った様々な人や物に関して書きとめたものらしいです(巻末には『香港』のシナリオも抄録)。

本も知らなかったけど、映画も知らないや。

どっかで公開されたのかな、この映画。
フィルムが残っていたら、観てみたいものですが。


こちらは新宿の京王百貨店であった古書展で購入。
弘前の古本屋さんのブースでした。
当時日本で修業に励んでいた陳芬蘭が表紙です(1965年12月10日号)。

陳芬蘭というと、せんきちはすぐに『孤女的願望(花笠道中)』を思い出すので、演歌な方かと思っていたら、意外や意外、石井好子に師事していたのだそうです(『アサヒグラフ』本文による)。
ずいぶんとバタ臭い先生についていたんですねえ。


ここから先はスチール群。
東急東横店の古書展(現在も開催中)で購入。

まずは『ならず者』から。
鹿内タカシ(孝)と悪巧みの算段をする三原葉子。
この件は路面電車やバス、人力車といった香港の乗り物満載の場面で、乗り物好きの方にはたまらないと思います。


澳門での健さんと丹波さん。
澳門と言えば丹波哲郎。


香港から澳門に流れて(流されて?)きた日本人娼婦・南田洋子と健さん。
内港での切ないラストシーンを思い出します。


こちらは『戦後秘話 宝石略奪』(以下同じ)。
上のスチールは、本編にはない1コマ。
モンテの砦での文太と賀川雪絵。
賀川雪絵は戦時中日本軍に両親を惨殺された中国人娼婦という役どころで、日本人憎さのあまり、文太にヤクを打ってしまいます。
その後、文太が意外といい人だったことがわかり、雪絵たんは後悔するのですが、時すでに遅し。
文太はすっかりぶぶ漬け、じゃなくて、シャブ漬けになっていたのでした。

この映画でも大三巴の場面でお約束(?)の丹波哲郎が登場しますが、丹波さん本人は澳門へは行っていないみたいで、アップでごまかしています。


これも本編にはない場面。
モンテの砦で八名さんに脅される文太。
八名さんはたしか丹波さんの手下の役だったはずです(記憶が既にあいまい)。


撮影中のスナップ。
中島貞夫監督も映っています。
「何やってんだ?」と興味津々で群がる澳門の皆さんの姿が貴重な1枚。


菅原文太、シャブを求めて三千里の図。
格子越しに「あんた誰?」といった感じで婆ちゃんが見つめています(手前左)。

ということで、どうってことないちまちましたお買い物報告でした。

2007年8月6日月曜日

よみがえる腋毛

〔しようもない日常〕


どうも。
忘れた頃に帰ってくるムダ毛研究家・せんきちです。

それにしても、暑いですね。
前回の記事で、「例年より涼しい」なんて書いたとたんに暑くなりやがったぜ。
昨日も息苦しくなるぐらい暑いので、「どうしてこんなに暑いんだ?」と思っていたら、

最高気温34度

でしたよ。
どうりで。

さて。

以前、『黒線地帯』から『黄線地帯』に至る三原葉子の腋の下の変遷を通して、戦後日本女子の腋毛処理事情を考察いたしましたが、4日深夜、新文芸坐のオールナイトにて久しぶりに『徳川女系図』を観たところ、な、なんと、入浴シーンにおいて垣間見えた葉子たんの腋の下にはふさふさとした腋毛が生い茂っているじゃあーりませんか!

腋毛ぼうぼう大復活!

いやはや、あまりのことに衝撃を隠しきれなかったせんきちでありましたが、よくよく考えてみると、だいたいさあ、江戸時代なんだから、つるつるしてる方が変なんですよね。
たしか、五渡亭国貞の春画などでも腋毛はぼうぼうだったような・・・・(つい下半身に目が釘付けになりがちですけど)。

となると、やはりこれは、

役作りの一環

と考えるべきなのでしょうか?

ただ単にズボラだっただけなのかも知れんが。

話は変わりますが、これも以前ちょいと書いたように、この映画が公開される約1ヶ月前、テレビの『大奥』(今日言うところの「元祖『大奥』」。東映・関西テレビ制作)が既に放送を開始しておりまして、テレビドラマで大奥における女の暗闘を楽しみにしていた殿方の皆さんが、よりエロ味を加味したこちらの作品に殺到したであろうことは、想像に難くありません。
『大奥』の第1話で見せ場として用いられていた新参舞が本作に於いても冒頭に裸満載で登場しますし、対立する2派による将軍のご寵愛争奪合戦も『大奥』の第1エピソード(家光時代)と被るネタです。
また、この第1エピソードでヒロイン(お楽の方)を演じていた橘ますみたんが、「家光の見染めた娘」(第1話のタイトル)ならぬ「輝男の見染めた娘」として異常性愛路線映画のミューズとなるのも、なにやら因縁めいた話ではあります。
そう考えると、東映もなかなかうまいことやったもんだなあと思いますです、はい。

2007年8月1日水曜日

続 大人だってマット運動がしたいの!

〔しようもない日常〕

和菓子を頂きました。

ようやく東京も梅雨が明けました。
でも、例年に比べると涼しいですねえ。

不肖せんきち、週末は恒例の(?)秘密会議出席のため、京都に行っておりました。
会議の会場は京都市内といっても京都駅からバスで40分ほどかかる郊外のため(渋滞時は1時間以上かかることもザラです)、往復するだけでも疲れます。
その後、夜まで会議をして疲労困憊の状態でようやくホテルに到着、ということになるのですけれど、今回はホテルの方のはからいでツインのシングルユースにして下さいました。

こんなお部屋。

といっても、寝に帰るだけなので部屋の広さはあんまり重要ではないのですが。

明けて翌日も朝から会議をこなし、宿題を沢山貰って帰京しましたわ。
この夏は遊んでいる場合じゃなさそうね・・・・。

そうそう、お風呂大好きせんきち君は、2日目の午後、こんな日帰り湯へ行ってみましたけれど、当局の指導により(推定)塩素臭ぷんぷんの露天風呂に浸かっていると、心なしかお肌が漂白されたような気分になりました(キッチンハイターかい!)。

・・・・と、強引に話題をお風呂に持っていったところで、お待ちかね(誰も待ってないよ)マット運動ネタの続報です。

前回は上海の男性専用サウナにおける意外なマット利用状況についてお知らせしましたが、今回、ついに

あの椅子を発見

しました(掲載誌は前回に同じ)。

和室の隣りにスケスケお風呂。
洗い場には例のマットと・・・・


あの椅子が!

皆さんご存知のオーソドックスな「有楽町マリオン型」ではありませんが、真ん中にもっこり、もとい、ぼっこり亀裂が入っております(いわゆる「くぐり椅子」というやつらしい)。
しかも、

こんなそのものズバリの惹句まで!

ちなみに、他のお店の広告には写真こそないものの、

そっちが吉原なら、


こっちは堀の内(堀之内)だぜ!

と、おなじみの地名でお客様を誘うといったあんばい(そのうち金津園や福原なんてのも出てくるんだろか)。

ここに至って不肖せんきち、上海ではサウナと書いてソ○プと読むことをようやく悟ったのでありました(気付くの遅すぎ)。

またひとつ大人になったわ(って、もうババアだろ!)。