2005年8月19日金曜日

尤敏小姐、お誕生日おめでとう@で、いいの?

〔ちょっとお耳に〕

尤敏小姐@第1回金馬影后

また今日も飲んじまいました。

はあ・・・・。

さて、今日、8月19日は香港のファンサイト「尤敏紀念網頁」によると、尤敏小姐のお誕生日(1936年8月19日)です。

天国の尤敏小姐、お誕生日おめでとう!

・・・・と、言いたいところなのですが、我らが尤敏小姐の生年月日には諸説ありまして、香港電影資料館のデータでは1935年4月25日、また、『國泰故事』(2002年、香港電影資料館)では1935年5月7日となっております。
あっしも初めて「尤敏紀念網頁」を閲覧したとき、そのことに疑問を抱いたもんで管理人さんにお尋ねしたところ、尤敏小姐が母親の借金に絡んで訴訟沙汰に巻き込まれたとき、裁判所に届け出た生年月日が1936年8月19日だったので、これを採用したとのお答えを頂きました。
というわけで、拙サイトでも1936年8月19日という生年月日を採用しているのですが、1961~63年にかけての日本の報道を見てみると、尤敏小姐の生年月日がこりゃまた実に様々と出てくるのでございます。

まずは1961年4月30日付『報知新聞』8面。

東宝「香港の夜」(監督千葉泰樹)に出演のため滞日中の香港女優ユー・ミンをかこんで、彼女の誕生日のお祝パーティーを開こうという計画がある。
今月はじめ同作品で香港ロケしたとき、東宝司葉子、宝田明、藤木悠、上原謙らが個人的にユー・ミンの自宅へ招かれごちそうになったので、その返礼というわけ。ユー・ミンの本当の誕生日は五月十九日だが、日本には十二日までしかいないので、くり上げてお祝いしようというもの。(以下略)

なるほど、5月生まれのおうし座ですか。
これが翌1962年になると、下記のように変わります。

ゆう・みん 本名・畢玉儀。1937年(旧暦)5月4日生まれ。(以下略)
(「宮田輝おしゃべりジャーナル ボーイフレンド」より。『週刊平凡』1962年5月31日号所収)

おお!今度は旧暦で来ましたね。
芸能人の常として2歳はサバ読んでいると踏んで、新暦(太陽暦)におきかえると、

1935年6月4日生まれ。

になり、1936年だと6月22日生まれ、37年だと6月12日生まれとなります。
双子座か・・・・。
ところが、1963年にはまたまた別の誕生日になります。

尤敏さんが、香港でも有数のゼントルマン、高福球さんと婚約したことは、すでに知られています。(略)
尤敏さんが、この高さんの愛情の深さを、身にしみて感じたのは、日本で迎えた彼女の誕生日のこと。彼女の誕生日をちゃんと覚えていた高さんが香港から直接、生きいきしたバラの花(ローズ)を贈ってきたのです。ローズは彼女がいちばん愛している花でした。(以下略)
(「尤敏さんが9月に結婚!? バラの花は愛のシンボル」より。『明星』1963年9月号より)

1963年、彼女は4月半ばに来日して5月30日には帰国していますので、高氏からバラが届いたのはその間、4月下旬から5月中ということになります。
ということは、おうし座か双子座。

以上、諸説をまとめてみると、尤敏小姐は「おうし座説」が最も多く、次いで「双子座説」、そして最後に「しし座説」ということになるのであります。

これはあくまであっしの直感ですが、尤敏小姐の性格及び言動から見て、どうもおうし座というのが一番しっくりくるように思えてなりません。
ということは、もしかしたらかつて日本にもあったような、実際の誕生日と公的機関に出生届を出した日が違うことからきた混乱なのではないか、ともあっしは思うのですけれど、ま、そんなことよりも、ビデオやDVD、あるいはVCDで彼女の在りし日の姿を偲ぶのが、ファンとして一番ふさわしい態度なのかも知れませんね。


尤敏小姐、いつもありがとう。

付記:ついでに書き添えておくと、キネマ旬報社の『日本映画人名辞典 女優編 下巻』の「尤敏」の項では、「1936年8月生」になってます。ファンサイトと同じだけど、この本の刊年は1995年(サイトの開設は1999年)。何を参考にしたの?

0 件のコメント: