2005年7月31日日曜日

吉右衛門とオパーイ

〔しようもない日常〕

今日は、フィルムセンターで『一谷嫩軍記(熊谷陣屋)』と『菅原伝授手習鑑(寺子屋)』を観てきました。
どちらも初代中村吉右衛門の当たり役をフィルムに記録したもの。
杵屋栄二さんの姿を拝めたのももうけものでした。

その後、銀座でお酒と食事を楽しんで帰宅。

が!

合間に上映された記録映画『歌麿』の意味なし実写映像(いけてないギャルのオパーイ、大氾濫)があまりに強烈で、酔っ払い状態のあっしの頭の中は、オパーイの洪水になっております。

頭冷やして寝るとするか。

2005年7月30日土曜日

尤敏、駄々をこねる

〔ちょっとお耳に〕

目下、お尻についた火を消すべく奮闘中です。

さてさて。

今日も知られざるB級芸能ニュース。
尤敏が、美智子妃殿下(当時)に会わせろと駄々をこねた(?)という記事です。


美智子妃と尤敏

東宝が二千五百万円の現ナマを使って、ハデに売りまくった香港女優尤敏は、藤本(真澄・せんきち注)東宝重役にいわせると、「戦後の日本で、美智子妃についでマスコミを騒がせた女性」という。
ところが、この話をきいた尤敏が、「そんならぜひ、プリンセス美智子に会わせてちょうだい」といい出した。
これには藤本重役もおおあわて。そのうちきっと会わせてあげるからと急場をしのいだが、それからというもの、藤本重役の顔をみるたびに、「まだか、まだか」ときつい催促。
七月七日までの尤敏の滞在中にはこの顔合わせは実現しなかったが、「このつぎ日本に来たときには」ということで、九月来日予定にあわせて、その筋の関係者に折衝中というから、秋には実現するかもしれない。
(『週刊平凡』1961年7月19日号所収)


あの謙虚な尤敏が「会わせてちょうだい」などとわがままを言ったのか、にわかには信じがたい記事ですが、記事本文中にある「戦後の日本で、美智子妃についでマスコミを騒がせた女性」という形容は、尤敏の日本における人気を物語るエピソードとしていまだに香港で語り継がれているもので、なるほど、これの発信元は藤本真澄だったのですね。
ちなみに、記事には「九月来日予定」とありますが、じっさいに尤敏が来日したのは翌1962年の2月。
しかし、このときにも対面はなく、結局、彼女が美智子妃と会うことはありませんでした。

やっぱりこれって、東宝の宣伝用デマなのかしらん?

2005年7月29日金曜日

萬世流芳 (萬世流芳)

〔えいが〕

1942年(公開は43年)、中国(中聯・中華電影・満映)。卜萬蒼、朱石麟、馬徐維邦、張善琨、楊小仲監督。高占非、陳雲裳、袁美雲、王引、李香蘭主演。

今日は蒸し暑かったですね。
蒸し暑いので、フィルムセンターに行ってきました(かんけーないけど)。

午前中、本業の方の用事があったのですが、そこを途中でフケて(すいません)、駅のコンビニでおにぎりとパンを買い、急ぎ京橋へ。
絶対に混むと思っていたので、早め早めにと考え、午後1時15分過ぎに着きました。

しかし。

すでに20人ほどの老老(老若じゃなくて)男女が待っておられました。
あっしも列の最後尾に加わり、そのときはまだ椅子に腰掛けられたのでそそくさと昼食を摂ります。
そうしている間にも人は増え続け、今度は玄関ホールに移動、並んで待つことになりました。

でも、こうやって立ちっぱなしで待ち続けるのって、あっしのような中年女子はまあいいとしても、他のお客様(70代~80代が大半)にはかなりしんどかったのではないかと思います。
玄関ホールから階段に移動したところで、老老男女の皆様は案の定口々に「しんどい」とつぶやき始めましたが、それに対するケアは特になし。

そのあたり、もう少し工夫できませんか?フィルムセンターさま。

その後、通常の開場時間(2時30分)よりちょっとだけ早めにようやく入場可となり、さっさとお金を払って入場、真ん中より少し前の席に陣取りました。

で、映画です。

内容その他については、山口淑子の『李香蘭 私の半生』に詳しいので、そこからちょこっと引きます。


一九四二年(昭和十七年)は、阿片戦争で中国がイギリスに敗れ、屈辱の南京条約締結を強いられて百周年にあたる。それにちなんだ企画で、阿片撲滅のためイギリスと闘った林則徐を描いた古装片(時代劇)である。タイトルは、"林則徐の義挙は永遠(萬世)に薫りつづける(流芳)"-という史劇のサワリから引用し、『萬世流芳』と決まった。(略)
物語の中心は高占非演ずる林則徐で、袁美雲はその貞淑な妻の役。陳雲裳扮する張静嫻は林則徐に恋をするが、思いがかなわず、阿片の害を防ぐ薬作り(戒煙丸。阿片中毒を治す薬・せんきち注)に励むことによって林則徐を支援する。そして最後には男装してイギリスに対するレジスタンス運動の先頭に立つという『木蘭従軍』ばりの活躍である。私の役は、阿片窟でアメを売りながら阿片の害毒を歌でキャンペーンする人気娘、というサイド・ストーリーのヒロインだった。


多くの文献で触れられている通り、本作は、日本人が観れば野蛮な西洋人に立ち向かう東洋人の映画となり、中国人が観れば日本軍に蹂躙されている祖国を救うために中国人よ立ち上がれという映画になる、いわゆる「借古諷今」の作品です。
そう考えてみると、あのほとんどギャグと言いたくなるほど徹底的に戯画化されたイギリス人(うち1名厳俊)の姿も、もしかしたら日本人に対する痛烈な皮肉なのかも知れないと思いました。

タイトルバックから、あっしの大好きな「賣糖歌」がインストルメンタルで流れ、老老男女お目当ての李香蘭は中盤になって登場(ここで会場内沸く)、名曲「賣糖歌」を華麗に歌い上げます。
劇中の李香蘭は、父が阿片中毒になって身代をつぶし、ために飴売りをして生計を立てている鳳姑という可憐な娘の役で、愛する潘達年(王引。林則徐の友人)の阿片中毒を治すために献身的に尽くします。
ただ、尽くすといっても、かいがいしく仕えると言うよりはむしろ彼を叱咤激励して阿片の罠から救い出すという、主動的な役割を演じています。

陳雲裳演じる張静嫻も、林則徐との縁談が破談になった後、悲しみにくれるのではなくそこから逆に自分の人生を積極的に切り開き、最後は義勇軍のリーダーとして敵弾に倒れるりりしい女性ですし、袁美雲演じる林夫人も単なる貞淑な妻ではなく張静嫻と夫との過去を知りながら彼女を高く評価し、林が振った女性がどれほど素晴らしい人物であったかを改めて彼に認識させるという度量の大きな女性です。

つまりこの映画、林則徐が主人公とは言いながら、実は彼(及びその友人・潘)を巡る女性たちを描いた映画でもあったのでした。
だもんで、タイトルの由来となった"林則徐の義挙は永遠(萬世)に薫りつづける(流芳)"も、劇中では張静嫻の行為を称える言葉として使われています。

ところで。

『李香蘭 私の半生』の中に、李香蘭が王引の潜む山小屋に駆けつけるシーンを撮影するさい、卜萬蒼の上海訛りのきつい北京語が聞き取れず李香蘭が困っていると、王引がノックをする仕草をして「敲門(ちゃおめん)」と言っていると教えてくれたという件が出てきますが、じっさいの作品ではこのような場面はなく、阿片窟で騒動を起こして逃げてきた李香蘭と王引が、彼女の祖父が住む家に身を寄せる、そのときに李香蘭が祖父の家の扉をノックをする芝居がありました。
おそらくは、ここのことなのだと思います。

(於:フィルムセンター)

2005年7月28日木曜日

ごめんね、李嬪華さん

〔ちょっとお耳に〕


えー、例のタスキ、「なんだか粤っぽい ~小心ものは地を滑る」の胤雄さんと「ごった煮の記-徒然なるまま-」のkatetakeさんもお引き受けくださいました。
ありがとうございます。
自主引き受け、まだまだ募集中ですので、コメント欄かミニBBSにて参戦表明してください。
よろしくお願いいたします。

さて(いつもこれだよ)。
昨日の続きです。

あと一歩でジウ姫になり損ねた李媚華さんのことですが、いつもお世話になっている「DAY FOR NIGHT」の映画館主・Fさんから、「李嬪華(イ・ビナ〔イ・ビンファ〕)では?」とのご教示を賜りました。
で、調べてみたところ、はい、たしかに、

李嬪華さんでした。

『週刊平凡』、字、間違ってるぞ。

その後ハングル表記もわかったので、韓国のサイトを検索、翻訳ソフトのとほほな訳を深読みしながら得たのが、下記のプロフィールです。


李嬪華(이빈화)
1934年2月3日ソウル生まれ。本名は李淑翰(리숙한)。
女学校時代から舞踊と音楽に才能を示し、その後、国立国楽院古典舞踊研究所に在籍、ここでの3年間の修練によって彼女は優雅さを備えただけでなく、映画に出演するチャンスも得ることとなりました。
1952年、『成仏寺(성불사)』のヒロイン役でスクリーンにデビュー(って、ここでも『週刊平凡』、間違ってるじゃん)。
1956年、『青春双曲線(청춘쌍곡선)』で演じた奔放な金持ち娘の役が好評を得、翌1957年の『殉愛譜(순애보)』で女優としての地位を確固たるものとしました。
彼女が1961年に来日したとき、ちょうど『青い目の蝶々さん』の撮影で日本に滞在していたイヴ・モンタンと対面、モンタンが「韓国にも、あなたのように背の高い女性が多いのでしょうか?」と質問したというほど長身の東洋人離れしたプロポーションで、あるときにはジーナ・ロロブリジダ、あるときにはソフィア・ローレンに喩えられました。
しかし、古典的なメロドラマにおいては、彼女の現代的でグラマーなスタイルはヒロインのそれとはマッチせず、次第に脇役に甘んじることが多くなっていきました。
1969年までの彼女の女優としてのキャリアの内、今日そのピークと考えられているのは、(登場時間は決して長くはありませんが)1967年の『霧(안개)』だそうです。
その他の出演作品には、『雨降る日の午後3時(비 오는 날의 오후 3시)』(1959年)、『土(흙)』(1960年)、『殺人魔(살인마)』(1965年)等があります(フィルモグラフィは、こちら)。
2002年11月4日から8日にかけて、韓国映像資料院において回顧上映が行われました(「韓国映画名優回顧展」の一環)。

なんだ、すごい女優さんじゃん。
でも、写真やプロフィールから類推するに、どうやら若林映子タイプみたいだから、日本ではあまり受けなかったかも知れん。
にしても、惜しいことしたな、東宝。

2005年7月27日水曜日

李媚華さん、連絡ください

〔ちょっとお耳に〕

今日は暑かったですね。
せっかく治りかけたあせもが・・・・。
ああ、汗が沁みるし、痛痒いわ。

ここんとこ、ギリギリまで手を付けていなかった案件の締切が迫っておりまして、尻に火がついてる状態なんですが、それなのに、今日も紙くず漁り(芸能雑誌の調査)をしてしまいました。

反省。

で、見つけたのがこんな記事。


韓国女優"李媚華"で『京城の夜』

香港のピカ一女優尤敏を主演にした、『香港の夜』は、七月のお盆興行を独走するヒットぶりをみせたが、これに勢いを得た東宝では、こんどは韓国との合作映画『京城の夜』を企画している。
『香港の夜』が、尤敏を中心にして考えられたように、『京城の夜』も韓国映画界の第一線女優を起用する。彼女の名は李媚華。スラリとした長身は、児島明子(元ミス・ユニバースにして宝田明の元奥さん。当時は恋人同士でした。今じゃ何の説得力もない喩えになっちまったな・せんきち注)を少し小柄にしたような美人だが、韓国ではつねに人気投票の上位を占めている人。ソール(原文ママ)(京城)の京城大学出身というから、日本流にいえばインテリ女優。しかし、インテリ的な線の細さはないそうで、七年前『青春双曲線』でデビューしてから、もう百本を数える作品に出演しているというたくましさだ。ウワサによると、六本の作品を同時にカケもちして、いささかのネもあげなかったという。(略)
「日本映画には、前から出演したいと思っていた。ミスター・クロサワと同じ東宝で働けるとは、思いもしなかった光栄です」といまからたいへんな張りきりようだというが、再び尤敏ほどの話題を呼ぶことができるかどうか。
(『週刊平凡』1961年8月9日号所収)


東宝ったら、「柳の下のどじょうを総すくいするぞ!」とばかりに、香港の次は韓国の女優さんを担ぎ出してきて一発当てようとしていたんですね。
いやはや、びっくり。
ただし、香港の場合と違い、韓国となるといろいろ難しい問題もあったようで、この企画、結局は実現しなかったようです。

「早すぎた韓流」だったのか。

で、このジウ姫のご先祖様みたいな女優さんである・李媚華さんとはいかなる人なりやと思い、ちょっこし調べてみたのですが、残念ながらデータを見つけることができませんでした。
というか、あっしが韓国映画にはそれほど明るくないのと、ハングルがてんで駄目なせいもあるんですけどね。
ちなみに、デビュー作の『青春双曲線』は、韓瀅模(ハン・ヒョンモ)監督の作品。

というわけで、ここで呼びかけ。

李媚華さんについてお心当たりのある方、コメント欄にご連絡ください。
よろしくお願いいたします。

付記:『京城の夜』といえば、同じ年(1961年)に こんな2人組が同名の歌を歌ってレコードデビューしています。

2005年7月26日火曜日

台風が来る前に

〔えいが〕

昨日の「観たい映画をつなぐタスキ」、DriftingcloudsのKEIさんがお持ち帰りくださいました。
ありがとうございます。
てなわけで、ひとまずこちらからのご指名は無しということで。

さて。

台風が来る前に、フィルムセンターに行ってきました。

『民族の叫び』
1928年、松竹蒲田。野村芳亭監督(白黒・無声・不完全)。

解説曰く「親子二代に渡って日中友好に尽くした日本人と中国人の物語」なのだけれど、つまりは、

日本人と中国人、仲良く手を携えて満蒙開拓に邁進しようぜ!ベイベー!

という(ありえねー!)映画でした。
中国人男性に嫁いだ日本人女性が出てくるんですが、多かったんですかね、留学生と結婚して大陸へ渡る女性って。
で、舅の世話をかいがいしく焼く嫁(日本人)の姿を描いた後、駄目押しで「日本の娘さんの孝行なことには云々」という台詞がかぶさるのは、貞節なる日本女性をアピールする目的だったのかしらん。
途中、大連のヤマトホテルらしきところが出てきたのですが、今回も、途中で昇天(沈没改め)してしまったため、きちんと確認がとれず・・・・。

『九條武子夫人 無憂華』
1930年、東亜京都。根津新監督(白黒・トーキー版・不完全版)。

九條武子夫人の生涯を描いた作品。
エキストラとして参加している真宗の信徒の皆さんの顔を見ながら、「日本人の顔って、実は大して変わってないのね」と妙に納得。
敗血症に倒れた武子夫人が入院した病室の美術、すっごいわ。
武子夫人の奉仕活動にスポットがあてられていましたが、調べてみたら、京都女子大の前身(京都女子高等専門学校)を設立したのも武子夫人なのね。
ここって、『女の園』のモデルじゃない?
・・・・ふーん(勝手に納得)。

以下は、おまけ。
電懋作品に見る制服ギャル。

スッチー(やや地味目)。〔『空中小姐』〕


女子高生(セーラー服)。〔『體育皇后』〕


女子高生(ネクタイ&ブレザータイプ)。〔『玉女私情』〕

2005年7月25日月曜日

見たい映画をつなぐタスキ (中華限定らしいの)

〔えいが〕

浦川留的雑記帖」の浦川留さんから強奪、じゃなかった、頂戴いたしました。
でも、よく見たら「中華電影限定」という「注」が。
ちょっと「注」から外れてしまうかもしれませんが、なるべく「中華」の範囲内で考えてみたいと思いますです。

では、始めますだ(エスメラルダみたいだ、音が)。

1、過去1年間で一番笑った映画
フツーにいくと『カンフーハッスル』なんすが、全く違った意味で実は『LOVERS』にも激しく笑いのツボを刺激されたあっしなのでした。
劇中人物がマジになればなるほど、笑いが止まらなくなり・・・・。
ファンの皆様、ごめんなさい。って、あっしも子怡ちゃん贔屓だったよ。

2、過去1年間で一番泣いた映画
もっと涙腺を刺激された映画があったはずだがと思いつつ、とりあえず『星星 月亮 太陽』を挙げておきます。
1961年の電懋の大作映画。
尤敏演じる薄幸の娘・亞蘭(自ら不幸を招いてるようなところもあるんだが)の臨終シーンで、涙。
ちなみに、前述の『カンフーハッスル』のラストでも泣いたあっしです。
と、ここまで書いて、去年東京国際映画祭で一挙上映された『春田花花幼稚園』を思い出したんですが、あれ、テレビなんですよね。
じゃ、駄目か。

追記(29日):先ほど、きたきつねさんのお書きになった「観たい映画(以下略)」を拝読したところ、『LOVERS』のラストのクレジットに泣いた、との記述があり、そういやあっしもさんざん笑った後にあそこでどっと涙が溢れたことを思い出しました。泣き笑いの映画。

3、心の中の5つの映画
もっと重要な映画を外している可能性も大なのですが。
中華限定といいながら、無理やり中華に分類した映画も含みます。

『紅粉煞星』
1976年の邵氏作品。
ここ1年間に観た映画の中で、いちばん「お買い得」だったもんで。
「暴力とエロ」好きの方におすすめいたします。

『野玫瑰之戀』
1960年の電懋作品。
近松の心中物にもどこか通じるような、地獄へ堕ちて行く男と女の物語。

『ならず者』
1964年の東映作品、って、日本映画なんですけど、香港&マカオロケですし、邵氏が撮影協力をしてますし、なにより、呉宇森に多大な影響を与えた映画ですんで、そのへんはご勘弁を。
何も知らない南田洋子が、マカオの内港にある香港行きの船の乗り場で健さんを待っていると、そこを健さんの亡骸を乗せた警察の車が通り過ぎていく、切ないラストが印象的でございます。
三原葉子の何言ってるかわかんない北京語(この人、英語は得意なのにね)と「いつでもどこでも丹波哲郎」な丹波ちゃんも、ポイント高し。
赤木春恵の強欲ババアは、『渡鬼』のルーツか?

『飛一般愛情小説』
何年でしたっけ。
好きなんですよ、これ。
最近、「スー・チー in なんちゃらかんちゃら」とかいうわけわからん邦題のDVD&ビデオがけっこう出てますが、これも「スー・チー in ミニスカポリス」なんて邦題でいいので国内盤出してください。

『恋人たちの食卓』
1994年の中影作品。
小倩(呉倩蓮)の映画の中では、これと『等着你回來』が一番好きなので。

4、見たい映画
不可能系でセレクト。

『女真珠之挑戰』
前田通子が台湾で撮った『女真珠王の復讐』の続篇。
あのヘレン南のその後を、皆さん、知りたくありませんか?
またぞろ男だけの島に流されてたりしたら、金返せモノですけど。

『富士山之戀』
粤劇映画。
ほんとに富士山が出てくるのか・・・・?

『海女の怪真珠』
日本・台湾合作映画。
たぶん、いや、確実にとほほだと思うけど。

『嘆煙花』
張美瑤が台湾語映画に出ていた時期に主演したドロドロ復讐劇。
ネガが残ってない、という話をどっかで聞きましたが・・・・。

『東京・香港 蜜月旅行』
日本・香港合作映画。
野村芳太郎監督追悼でやってくんないかしら。

5、このタスキをつなぐ方々
これが一番悩むところでして、また後ほど考えます。
すんません。
「われこそは」という方、コメント欄にて名乗りを上げてくだされば幸いです。

2005年7月24日日曜日

さよなら、ガスホール

〔ちょっとお耳に〕

今日は朝から浴衣姿でおでかけ。
都内某所で三味線なんか弾いていました。
馴れないことをしたせいか、頭の芯がズキンズキン痛いっす。
血管切れなきゃいいけど。

というわけで、某ミクシィとカブるネタでご容赦。

ここんとこ、香港の新光戯院がなくなるというニュース(こんなのや、こんなの)に心痛めていたあっしですが、な、なんと、一足お先に7月いっぱいで銀座ガスホールが閉館しちゃうんですって。

全く知りませなんだ。

ここにはよくお仕事で常磐津や地歌筝曲を聴きにいったものですけれど、閉館理由が「施設老朽化ならびに建物の老朽化」とあるところから見て、いずれビルも建て替えるということなのでしょうか?
もう竣工から50年以上も経つビルなので、致し方ないのでしょうが、仮に建て替えるとして、新しいビルにもホールはできるのかしらん?
古典芸能公演(並びにお浚い会)向きのホールが年々減少しているので、新しいビルにもぜひホールを作ってほしいものです。

ところで、ガスホールというと、石井輝男監督の『黄線地帯』に、神戸に着いた三原葉子が銀座ダイアナ神戸店でパンプスを買う場面がありますが、あれはほんとは銀座7丁目にあったダイアナの支店で撮っているようで(神戸で撮影する予算がなかったらしいわ)、バックには「銀座ガスホール」の看板もばっちり見えます。

神戸にもあった銀座ガスホール(ないない)。

ちなみに、お隣のヤマハホールは、今のところ閉館の予定はないみたいです。
尤敏が『家有喜事』(注)で主演女優賞を受賞した1960年の第7回アジア映画祭(現・アジア太平洋映画祭)の主会場だったヤマハホール、 これからもがんばってちょーよ。

注:王天林監督も監督賞を受賞。

2005年7月23日土曜日

兇悪の壁

〔テレビ〕

1975年11月13日、NET・東映。永野靖忠監督。天知茂、吉行和子、山村聡主演。

『非情のライセンス』第109話(第2シーズン第57話)。

日本で亡命生活を送りながら祖国の独立運動を続けていたジョ・コウメイ氏(漢字表記不詳)が、滞在先のホテルから拉致されるという事件が発生、その後、拉致現場を目撃したホテルのボーイも警察での取調べ後に何者かによって射殺されてしまいます。
しかし、日本政府がジョ氏の祖国を統治する政府との間で政治的な決着を図ったため、事件の真相はうやむやのまま一件落着となり、警察の捜査本部はもう1人の目撃者である女性(吉行和子)の保護を取りやめるのでした。
これに不満を抱いた矢部警視(山村聡)は、会田刑事(天知茂)に女性の身辺警護を指示、捜査上の必要から本名を名乗ることが出来ず、仮に「鈴木よし子」と名付けられたその女性は、会田刑事のマンションで潜伏生活を送ることになりました。
目に見えぬ敵から狙われる生活の中で2人は恋に落ちますが、そんなある日、会田刑事の部屋のライフラインが全て断たれてしまい、止む無く2人は車で逃亡を企てます。
が、女性の命を狙う魔の手は、すぐそこまで迫っていたのでした・・・・。

ストーリーを読んでおわかりの通り、1973年に発生した金大中拉致事件をモデルにしたエピソードです。
このドラマが製作された1975年の7月24日には、日本政府と韓国政府との間で第2次政治決着が図られており、よくもまあこんな時期にこんなドラマを作ったもんだと思いましたですわ。
ただ、拉致されるジョ・コウメイ氏が「長く日本で亡命生活を送り、祖国独立運動を行っていた」という、金大中というよりはむしろ台湾の王育徳を連想させる設定となっている点に、放映後のクレーム(圧力?)対策を見る思いがいたしました。

あえてオチをばらしちゃうと(いつもばらしてるけど)、吉行和子演じる目撃者・鈴木よし子(仮名)は実はダミーで、本当の目撃者は捜査本部によって保護されており、鈴木嬢(仮名)は捜査に協力するため危険な囮役を進んで引き受けた独立運動の女闘士だったのでした。
ラスト、射殺された鈴木嬢(仮名)の亡骸を前に、「彼女の本当の名は?」と尋ねる会田刑事に向かって、矢部警視は「それは言わないでほしいと。彼女との約束だ」と告げて去っていきます。
国家権力に対しては全くの無力だった警察という組織が、ここでは事件解決のために名もない個人を平気で利用する、そんな矛盾を苦い思いで噛み締めながら会田刑事は1人佇むのでありました(『昭和ブルース』流れる)。

ちなみに原作では、鈴木嬢(仮名)は男性(鈴木君)だったそうですけれど、美女の方がテレビ的にはやっぱり花があるのかしらん。
仮名も鈴木よし子って、どこにでもありそうでそこそこきれいな名前でしたし。

途中、会田刑事のマンションにかかってくる謎の脅迫電話の声の主が、刑事コジャックそっくり。
コジャックが会田を脅迫。
ただし、キャストに森山周一郎の名前はありませんでしたが。

しかし、会田刑事って優秀なのか間抜けなのかわからん部分も多いですね。
敵の尾行を撒くため、とある喫茶店に鈴木嬢(仮名)と立ち寄った会田刑事、何を血迷ったかここで潜伏中の食材調達を決意、ウエイトレスを呼んで、

「ここは、ハンバーグもやってるんだね。ということは、肉もあるわけだ。じゃあ、その肉と、ハムと、野菜と、パンと、それから、珈琲とジュースも貰おう。全部だよ、全部。紙袋か何かに包んでくれ」

と告げると、いぶかるウエイトレス(当たり前だよな)に向かって、

「あ、心配しなくていい。私は、こういう者だ」

と言いつつ、内ポケットから警察手帳を取り出して見せるのでした。

言っちゃあなんだが、すっごく心配です。

(於:東映チャンネル)

2005年7月22日金曜日

「沈黙」観に行って「沈没」

〔しようもない日常〕

あせも、痛いです。
今朝さっそく薬屋さんに行き、昨日ご紹介した薬ではなくスプレータイプのこんな薬を買ってきました。
シャカシャカ振って、首にシューッ!

ああ、真っ白だよ、首・・・・。
しかも、くさいし。

治るまでの我慢ですわね。

さて、今日は岩波ホールに行って『とべない沈黙』を観てきました(こちらもどうぞ)。
が、ここんとこ寝不足だったため、「沈黙」どころか「沈没」してしまい、冒頭と中盤、計5分ほど意識不明になっておりました。
あ、でも、いびきをかいて爆睡していたのはあっしじゃありません、決して。

けなげに葉っぱ食ってる虫くんがはるばる香港まで旅するので、「どこが出てくるかな」と期待しながら観ていましたが、大して長くなかったですね、香港のエピソード。
1人でしゃべり続けるおっさんは香港人だったみたいで、ネイティブの広東語を話してましたわ。
原爆や元日本兵の話が出てくるから、香港でもてっきり日本軍が軍政布いてた頃のことに触れるのだろうと思いきや、いきなりアクション映画!な展開になっておしまい。

映像はきれいでしたけど。

おまけ:香港といっても、こんなところは出てきませんでした。

2005年7月21日木曜日

そういや、この国の方がヤバそうだ

〔しようもない日常〕

夏です。
あせも大発生中です。

以前はこのような塗り薬を愛用していたのですが、その名(ホワイト)の通り、首に塗ると立派(?)な

白首女

の出来上がりとなってしまうため、今年は使用を控えておりました。

が、汗が沁みて、痛い・・・・。

明日、薬を買ってきます。

ホルムアルデヒドで子供部屋7割がシックハウスに

「北京市の子供部屋のうち7割以上がシックハウス」という衝撃的な調査結果が発表された。原因物質は最近、中国製ビールをめぐり波紋を呼んだホルムアルデヒドだ・・・・

「○ahooのデザインパクッたんじゃないか?」と思うぐらい、似たよなレイアウトのサイトにリニューアルしたサーチナのニュースから。

あっしはよくわからんのですけど、なんだか「ホルムアルデヒドを長時間吸入すれば、白血病が容易に誘発される」んだそうで、それを裏付けるかのように「中国では白血病の患者は毎年4万人増えているが、そのうち半数は子供で、2-7歳児が多い。北京市児童病院で治療を受けた白血病にかかった子供のうち、90%近くが家を改修したばかりだったというデータもある」のだとか。

「未来ある子供たちになんたることを!」と憤りたくなりますが、そういや、この国ってアスベストの問題はどうなんでしょ?

そっちの調査も頼みます。

付記:懸案だったBook Batonのお次の方、「なんだか粤っぽい ~小心ものは地を滑る」の胤雄さんにお渡ししようかなあと思っていたところ、なんとテレパシー(邪念?)が通じたらしく、早速にお書き下さいました。
ありがとうございます。

2005年7月20日水曜日

Gメン対香港カラテ軍団

〔テレビ〕

1979年4月7日、TBS・東映。小松範任監督。倉田保昭、沢井桃子、楊斯主演。

『Gメン'75』名物「香港カラテ・シリーズ」から(DVD〔BOX〕ございます)。
倉田保昭扮する草野泰明刑事の生い立ちがついに明らかになる、「さすらいの草野刑事(?)」完結編です。
詳しいストーリーは、こちらからよさそうなのを選んでご覧下さい(「香港カラテ・サーガ」がおすすめ。ただし、草野刑事の父が「上州で商売をしてました」という件は、「徐州」の誤り)。

中国で戦死したと思われていた父が、香港で中国人・孫として生きていることを聞いた草野刑事は、急遽香港へ渡り、父のことを日本に知らせた香港娘(内地からの移民)・李麗蓉の案内で父と34年ぶりの再会を果たします。
ところが、この李麗蓉ちゃん、手紙に書いてあった住所は「九龍城」(九龍半島)なのに、草野刑事との待ち合わせ場所はなぜか「香港仔(アバディーン)」(香港島)。手漕ぎ舟を漕ぎながらの登場です。
で、そこから「九龍の小鳥屋」(モチ九龍半島。麗蓉ちゃんとご近所みたいなので、やっぱり九龍城あたりか)である孫老人の住まいへ徒歩(!)で移動、その後、父との対面を果たした草野刑事と彼を見送る麗蓉ちゃんがそぞろ歩くのは、先ほど出てきた「香港仔」の街頭(かんたんな地図は、こちら)。

あんたたち、「どこでもドア」でも持ってるのか?(ないない)

それに、孫老人が住むという一角、どこかで観たことがあると思ったら、シリーズ前回の『香港カラテ対Gメン』で「香港チャイニーズコネクション」のアジトとされていた場所じゃん。

お父さん、そんなところに住んでいたなんて・・・・。

気を取り直して(?)お話の方に目を移すと、やっぱり麻薬ネタ。
香港の密売組織が日本への密輸ルートを確立すべく暗躍しますが、組織の頭目の豪邸へと車が入っていく、その場面に映るのが、

HAW PAR MANSION

というプレート。

こ、これはもしかして、日本では「タイガーバーム・ガーデン」の名称でおなじみ「虎豹別墅」のことざますか?

さては胡一族、表向きは萬金油を売りながら、裏ではコソーリ麻薬を商っていたのか!(違うってば)

こんな設定で使われると知っていたなら、果たして貸したかなあ、ロケ場所に(虎豹別墅の悲しき現状は、こちら)。
でも、萬金油も元々は阿片を抽出するさいに出る廃油を利用して作られていたらしいので、あんがい「当たらずとも遠からず」かも。

で、この組織の用心棒が楊斯。
あれ、前回(『香港カラテ対Gメン』)草野刑事にあの世行きにされたはずなのに、と思っていたら、あの世に行った楊斯の弟でした。
顔どころか筋肉の付き方まで同じ兄弟。
現われる場所(トラムの車庫。西環の屈地街電車廠)まで同じだわ。
違うのは髪形だけ。
『男たちの晩歌』も真っ青。

あ、そうそう、実は香港濃度の高い藤木悠、今回はロケに参加していました。
前回、楊斯にぼこぼこにされた自称「姿三四郎よりも強い」伊吹剛は、今回もやられっぱなし。

結局、ストーリーとは全然かんけーのないところで異様に反応してしまいましたが、気になる続篇は、

来週を待て!(おいおい)

(於:ファミリー劇場)

2005年7月19日火曜日

Book Baton (いろんなBatonがあるのね)

〔ほん〕

DriftingcloudsのKEIさんからありがたく頂戴。
さっそく本題に入りましょう。
Onsen Batonなんか、あるといいけどね。

1、今、持っている本の册数

不明。本棚から溢れた本が、寝床の周囲を取り囲んでいる状態です。

2、最近、最後に買った本

香港日本關係年表』 陳湛頣、楊詠賢著
なんだか粤っぽい ~小心ものは地を滑る」の胤雄さんから教えていただいた本。
先月、香港の商務印書館に注文したけど、船便なのでまだ届いていません。
到着が待ち遠しい。

3、最近読んでいるorこれから読みたい本

・最近読んでいる本←日本語変じゃないの?(そういや、2の日本語も?)
 というわけで、「最近読んだ本」に変更
昭和キャバレー秘史』 福富太郎著
戦前の記述はややおざなり。
戦後の方が、やはり著者の実体験に基づくものだけあり、読み応えがあります。
ほんとはピンサロのことも知りたかったのだけれど、それについてはなし。
ピンサロとキャバレーは違うしね。

・これから読みたい本
金欠ゆえ、いまだ注文しないままになっている2冊を。
邵氏巨星 - 零距離接觸』 柏姜著
邵氏光影系列 - 文藝‧歌舞‧輕喜劇』 呉昊著
ううっ、来月こそ・・・・。

4、思い出に残る5册
二度と読みたくない5冊にしようかと思ったけど、いちおう、普通に「思い出に残」っている5冊にいたします。

『写真 映画百年史』全5巻(たぶん) 筈見恒夫編著
家にあった本。
中学時代の愛読書。
1955年刊(鱒書房)なので紙質が悪く、すっかりぼろぼろです。
第3巻や第4巻における戦前・戦中の中国映画への言及(「写真」と銘打っているだけあって、スチール写真も豊富)は、今読んでも勉強になります。
筈見恒夫の著書だと、他にはオリヴィア・デ・ハヴィランド&ジョーン・フォンテーン姉妹の父と同じ歯医者に通っていたという自慢話ばかりが思い出される『女優変遷史』(1956年、三笠書房)が印象に残っています。

『珍奇 絶倫 小沢大写真館』 小沢昭一著
これも家にあった本。
やはり中学時代の愛読書(1974年、話の特集)です。
気になる内容ですが、目次からご推察下さい。

記念写真、人物アルバム(桐かほる、天狗対こけし、ローズ秋山夫妻、カルーセル麻紀)、看板・はり紙、つわものどもが夢の跡-東京・旧赤線めぐり(玉の井、千住〔通称コツ〕、洲崎、品川、新小岩〔通称丸健〕、鳩の街、東京パレス、亀戸、新宿二丁目、新宿花園街、亀有、武蔵新田、立石、吉原)、風景、写真屋の父と私、東京ゲイボーイショー、一条さゆりさんの魂、トルコ嬢アンケート、レ痔ビアンショー、"残酷"入門 団鬼六氏に聞く、人肌に彫る 彫清さんに聞く、スポーツ・ヨシワラ、看板・はり紙、吉原・女郎屋の証言、パンツーマンの傾向と対策、写真のどこが面白い 細江英公さんと、あとがき

我ながらとんでもない本を読んでいたものだと思いますが、当時、この本と併せて『陰学探検』(小沢昭一、永六輔著。1972年、創樹社)なる本も愛読しておりました。
『陰学探検』の中には戦前の祇園でならした元舞妓さんとの対談も収録されていましたが、その中で元舞妓さんがセックスのことを「おはめはめ」と呼んでいたのが妙に記憶に残っています。

子怡ちゃん、『さゆり』の中でちゃんと「おはめはめ」と言ってるだろうか・・・・(ムリムリ)。

ついでに言うと、一条さゆりさんは香港電影迷の間で有名な2代目ではなく初代のさゆりさんで、彫清さんとは梵天太郎さんのことです。

中原中也詩集』 中原中也著 河上徹太郎編
高校時代の愛読書。
他にも青春時代(?)ならではのこっぱづかしい愛読書があるのですが、とりあえずこれだけでご容赦。
かつてうちにいた猫の名前も「中也」でした。
哀れ、飼い主のエゴの犠牲に。

中華人民生活百貨遊覧』 島尾伸三、潮田登久子著
この本(1984年、新潮社〔とんぼの本〕)と『香港市民生活見聞』(1984年、新潮社〔新潮文庫〕)は、大学時代に愛読しました。
島尾伸三さんの本は他にも面白いものが多く、今でも新刊が出るとつい購入してしまいます。

日本探偵小説全集(10) 坂口安吾集』 坂口安吾著
数ある安吾文庫本の中から、大好きな短編『アンゴウ』が入っている、これを。
涙なくしては読めない佳作です。
ちなみに、『小沢大写真館』に出てくる東京パレスの潜入ルポを安吾が書いていて(「田園ハレム」。『安吾巷談』所収)、それもなかなか面白いです。

で、次の方に廻さなければならんのですが、どういたしましょう。
しばし思案。
決まり次第、またこちらでお知らせします。

2005年7月17日日曜日

原住民がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!

〔ちょっとお耳に〕


毎日、暑いですね。
昨日の台湾の国民党主席選挙、「顔だけ男」(好みじゃないけど)と敢えて呼びたくなる馬英九が当選しました。
この方、香港生まれですが籍貫は湖南省。
そして、親民党主席の宋楚瑜は湖南省生まれ。
台湾の外省人社会も「湖南・ザ・グレート」なのかしらん?

さて。

1950年代から60年代にかけて、日本映画は台湾でも大変人気がありましたが、『週刊明星』1963年10月20日号掲載の「歌手・前田通子の新しい出発 自由中国の大スター・前田通子」には、こんな記述が見えます。


昨年(1962年・せんきち注)12月26日、クリスマスをナイトクラブの舞台で過ごしたばかりの彼女(前田通子・せんきち注)は、因縁の深い志村(敏夫・せんきち注)監督とともに台湾へ飛んだ。
あちらでは、『女真珠王の復讐』が戦後興行史上ベスト・2という大ヒット。「ぜひ続篇を」という現地のプロダクション(『華利影片』)の熱望にこたえ、『女真珠王の挑戦(女眞珠之挑戰・せんきち注)』(製作費3千万円)を撮ることになったのである。
映画はまたしても大当たりで志村監督の表現を借りれば、「高砂族(原住民・せんきち注)まで山をおりて劇場へ押し寄せた」ほど。
その舞台挨拶に立った前田は、妖艶な中国服姿で主題歌を歌いまくり、嵐のような拍手を浴びた。
大喜びの『華利影片』にひきとめられた彼女は、さらにメロ・ドラマ『別離(愁風愁雨割心腸・せんきち注)』のヒロイン役をつとめ、クランクアップ翌日の4月7日に帰国した。


元新東宝の女優・前田通子(くわしくはこちらをお読み下さい)が、台湾へ呼ばれて2本主演作品(台湾語映画)を撮ったという話ですが、フィルムが残っていたらいつか観てみたいものです。
しかし、今回注目したのは、志村監督の

「高砂族まで山をおりて劇場へ押し寄せた」

というコメント。
「(その多くが山地に住むという)台湾の原住民が、わざわざ街の映画館まで観に来たほど大人気だった」という意味らしいのですが、この記事から約10年経った1974年に出版された『誰も書かなかった台湾 「男性天国」の名に隠された真実』(鈴木明著。サンケイ新聞社出版局)にも、実は類似の記述があるのです。


台湾における日本映画の最もモニュメンタルな事件は、嘗ての新東宝が作った「明治天皇と日露大戦争」の上映であったといわれている。(略)
特に、この映画に対する「高砂族」の反応は異常なものがあったと伝えられている。彼らはめったに都会に出てくることはないが、この映画見物の為に大挙して都市の映画館にやってきた。台東地区(ここには主としてパイワン族が居住しているが)では、山地にいた高砂族がこの映画のために大挙移動し、そのために社会的な反響までまき起こして、遂に「政府の強い示唆」により、この映画は「自主的に上映をとりやめる」という結果になったといわれている。


「山を下りて来た」どころか、「民族大移動」という事態にまで発展しています。
『週刊明星』と鈴木氏の著書、両者共に、台湾における映画興行成否のバロメーターが、あたかも「原住民がいかなる反応を示したか」にあるかのような書きぶりです。
ここでは日本における例だけを取り上げましたが、「原住民が山を下りて観に来たほどヒットした」という(原住民に対して)あまりにも類型的過ぎる表現が、はたして台湾においても日常的に用いられていたのかどうか、ちいとばかり気になるところです。


ところで、『明治天皇と日露大戦争(明治天皇與日俄戰爭・せんきち注)』に関しては、この他にも「アラカン演じる明治天皇が登場した瞬間、(台湾人の)観客が直立不動になった」や「『天皇陛下、万歳!』を叫んだ」といった伝説(?)が知られていますが、これって、どこかに典拠があるのでしょうかねえ。
文部大臣の「娘義太夫まかりならん」言説みたいな、いつの間にか定説になってしまった幻伝説なのかどうか、一度きっちりウラを取る必要があると思うのですが。
で、これらもろもろの出来事がもとで、映画は上映中止になってしまったらしいのですけれど、呂訴上の『台湾電影戯劇史』(1961年、銀華出版部)によれば、『明治天皇と日露大戦争』は、1957年に30日間上映されて、101万8116.2元の総収入をあげています。

なんだい、1ヶ月も上映されてたんじゃないの。

この辺も要調査ですね。

ちなみに、先だって、台東在住のピュマ族のおじいさんとお話する機会があったのですが、「戦後は、日本人の顔が見たくて日本映画を観に通っていた」というおじいさんにとって、映画の内容や出来は二の次だったらしく、「最も印象に残っている日本映画」としてタイトルを挙げてくれた『青い山脈』についても、

主役は美空ひばり

だと思い込んでおられました。

『明治天皇と日露大戦争』の話は、うっかり聞くのを忘れてしまいましたが・・・・(ざんねん!)。

2005年7月16日土曜日

もう夏バテ

〔しようもない日常〕

もう夏バテしてしまったのか、夕刻急に具合が悪くなり、さっきまで横になっておりました。
書きたいネタもあるのですが、とりあえず、今日はこれで寝ることにします。

ところで、先ほど資料(というか、紙くず)を漁っていたところ、「アイホーン」なる昭和6年誕生(!)の二重瞼形成器の広告を発見(1963年の『週刊明星』)、今でもあるのかなあと思い調べてみたら、なんとありましたよ、奥さん。
誕生以来、なんと74年。

びっくりしたなあ、もう。
80年近くも一重瞼とぺちゃんこの鼻に悩んでいるのか、日本人(あっしもその1人だけど)。

で、1963年の「強力最優秀品」のお値段が1480円、普及品が980円(共に送料込み)なのですが、今日では「基本品」である「クリスタル・アイホーン」が10300円(送料込み)。

お値段も、順調に歳月を重ねている模様です。

おまけの画像1:1964年の映画『萬花迎春』(7月30日〔土〕、台湾公共電視にて放映!)から。樂蒂、陳厚、李昆、胡金銓(向かって左より)。

おまけの画像2:同じく『萬花迎春』から。藍娣。曾江の最初の奥さん。ちょっこし林翠(曾江の妹)に似てる気が。曾江って、シスコンだったの?

2005年7月15日金曜日

石綿金網のなぞ

〔しようもない日常〕



暑いですね。
全然かんけーありませんが、今、NHKの関東ローカルニュースを観ていたら、アナウンサーの髪型がすっかり変わっており、しかも毛量が異様に増えています。

もしや、カ○ラ・・・・。

さて、連日の報道でおなじみのアスベスト(石綿)問題。
「アスベストが危険だ!」と騒がれ始めた頃、あっしは真っ先にかつて理科の実験で愛用(?)していた「石綿金網」を思い出して恐怖に震えたものですが、今日のワイドショーで「身近な製品でかつてアスベストが使われていたもの」の中には、なぜかこれが取り上げられていませんでした。

なにゆえに?

というわけで、ちいとばかり疑問に思ったので、さっそくググってみたところ(困ったときはググるに限る)、あっしと同じように石綿金網のことを危惧している方々がいらっしゃいました。

ほらね。

と納得していたら、こんな本を発見。

泉麻人のなつかしい言葉の辞典

見出し語にばっちり「石綿金網」が入っています。
2003年刊ということは、アスベストの危険性がすっかり知れ渡るようになってからのことざますよ。
中身を確認していないので何とも言えないのですが、でも、いいのかなあ、こういうものを「なつかしい」にカテゴライズしちゃって。
ま、金網自体には危険性がないらしいことが、今回の調査でわかったけどさ(「燃えないゴミ」で出せるって。ちょっぴり安心)。

あ、そういや、小学生の頃、理科の時間に先生がじっさいの石綿(鉱物)を見せてくれたような記憶が。

やっぱり不安。

付記:今日の同じワイドショーによれば、将軍様の国では、ただいま石綿スレート大好評増産中らしいっす。自分のいる所には使わせないだろうけど。

2005年7月14日木曜日

湖南・ザ・グレート

〔ちょっとお耳に〕

昨日。
『ワンナイ・ロックンロール』、じゃなかった、『ワンナイト・イン・モンコック(旺角黒夜)』、キネカ大森で観てきました(まだの方はぜひお早めに。必見ですぞ)。
(映画館の)隣りのインド料理屋のおかみさんが、乳飲み子抱きながらランチタイムの呼び込みをしていて、なんとなくフラフラと店に入りそうになりましたが、既に昼食を食べていたことを思い出し、今回は断念しました。

ごめんね、おかみさん。

てなわけで、あっちこっちで話題になっている「セシリア吹替問題」の確認を遅ればせながらいたしましたが、たしかにベースは吹替でしたね。ときどき本人だったけど。
映画を観終わってから、「そういや、『パイラン』で北京語しゃべってたよな、彼女(ところどころ広東語なのですが)」と思い出し、改めてビデオを観てみたところ、まあ、たしかに彼女の北京語はいわゆる標準(びゃおじゅん)な発音ではないけれど、湖南省の貧しい農村から出てきたギャルなら、むしろ訛りまくってた方が正解なんじゃないかとも思いましたです、正直。
なにせ、湖南省と言えば、湖南(湘語)訛りがひどすぎて何言ってるのかわからない北京語をしゃべっていたと言われている毛沢山、もとい、毛沢東の故郷であります。

だから訛ってた方がリアルなんだよな、ほんとは。

どうせ吹替えるのなら、湖南訛りの北京語で吹替えてほしかったっす。

ちなみに、文革の犠牲になった劉少奇も湖南の人。
大物生んでも民が貧○(自粛)ではねえ。


毛沢東のせいで、こんな目に・・・・。

ところで、湖南訛りというと思い出すのが『恋人たちの食卓(飲食男女)』の梁おばさん(歸亞蕾)。
湖南省長沙市出身で、戦後上海へ引っ越し、さらにそこから台湾へ移住したという梁おばさん、湖南訛りのきつい北京語をまくしたてて、三姉妹のお父さん(郎雄)を閉口させます。
梁おばさんを演じた歸亞蕾自身、じっさいに長沙生まれですので、劇中の湖南訛りはおそらく彼女の両親が話していた北京語をそっくりそのまま真似したものなのでしょう。

ま、吹替問題はこのくらいにして、以下、どうでもいいチェックポイントを。

1、詳しいことはよくわからないのですが、内地版では「湖南省から来た」が「越南(ベトナム)から来た」に変更されていたとか(ここにもその辺りのやりとりが)。
映画を観れば、ここに出てくる内地の人たちが決して興味本位に描かれているわけではないことが、よーくわかると思うんですけどね。
2、ヒコ(あんだけ貧○なら、まず村を出て沿海部の都市で民工やってそうだが)が恋人の載っている新聞を見つけて、それをセシリアに読んでもらう場面→ということは、彼って、字が読めないんでしょうか?あ、でも、看板の字は読んでたから、広東語の文字化が読めないって意味だったのかしらん。ごめん。
ご参考までに、中国の公式データ(ごまかしあるかも)によると、「15歳以上の非識字者は(略)8500万人(略)、非識字率は(略)8.72%」らしいです。
3、ヒコの恋人のお祖母ちゃん(で、よかったんすよね?)のルックス、なんだか漢族ではないような気も。
4、内地の農村におけるクリスマスの認知状況について。
不肖わたくし、フォスタープランで陝西省の農村の小学生と文通しているんですが、去年のクリスマスにはポインセチアの絵を描いて送ってきてくれました。徐々に認知されつつあるのでしょうか。

他にも生野菜(サラダ)問題やら肉(ろう、よっ)問題やら、いろいろ思うところがあったのですが、まずはこのへんで。

何度もしつこいようだけど、やっぱり湖南訛りにしてほしかったっす、はい。

2005年7月13日水曜日

貴女は誰と契りますか?

〔とほほ事件簿〕

「理想の夫」1位はキムタク 専業主婦調査

通信教育のユーキャン(日本通信教育連盟、東京)が専業主婦に「理想の夫像の有名人」を聞いたところ、1位はアイドルグループSMAPの木村拓哉さん、2位は俳優の中村雅俊さんだった。3位には俳優の唐沢寿明さんとタレントの所ジョージさんが入った・・・・

調査結果の詳細は、こちら

「専業主婦の意識調査」中の調査項目らしいですが、回答者が300人(少ないのか多いのか、よくわからん数だな)で上位10名の顔ぶれは下記の通り。

第1位:木村拓哉(27人)、第2位:中村雅俊(25人)、第3位:唐沢寿明、所ジョージ(それぞれ11人)、第5位:中村トオル(9人)、第6位:古田敦也、的場浩司、薬丸裕英(それぞれ7人)、第9位:高橋英樹、浜田雅功(それぞれ6人)。

木村拓哉と中村雅俊で終了、って感じの調査結果ですけど、皆さん、いかがですか、この結果。

あっしは・・・・よくわかりましぇん(と、取り上げておいて逃げる)。

2005年7月12日火曜日

バンコックの夜 (曼谷之夜)

〔えいが〕

張美瑤小姐。

1966年、日本・台湾・香港(東宝・台製・國泰)。千葉泰樹監督。加山雄三、張美瑤、星由里子主演。

寳島玉女・張美瑤、東宝での主演映画第2弾
ただし、香港ではこちらの方が前作(『香港の白い薔薇』)よりも先(1967年3月)に上映されました(『香港の白い薔薇』は1967年5月)。
今回は、宝田明と尤敏の香港3部作(『香港の夜』『香港の星』『ホノルル・東京・香港』)を手がけた千葉泰樹監督がメガホンをとり、いささか古風ではありますが、手堅い仕上がりのメロドラマにまとめています。
わたくし的には、『香港の白い薔薇』よりもこちらの方が好きです。

この作品、千葉監督の起用の他にも、『香港の星』で脚本を担当した笠原良三がやはり脚本を執筆しており、そんなこんなで香港3部作、中でも『香港の星』及び『香港の夜』との間にいくつかの共通点を見出すことが出来ます。

1、主人公が医師
『香港の星』では、尤敏演じるヒロイン・王星璉が日本で医学を学んだ後、シンガポール(及びクアラルンプール)で結核治療に取り組む医師を演じていましたが、本作では加山雄三がインターンとして登場、バンコクで風土病研究に打ち込みます。
ちなみに、『香港の星』シナリオ第1稿では、結核ではなく東南アジアの風土病研究を学ぶためにシンガポールに行く、という設定になっていました(没ネタ復活?)。
本作で加山の上司となる田崎潤は、『香港の星』でも東大医学部の教授役で登場。
尤敏と加山が学ぶキャンパスも、同じ場所でロケしているのですが、どこなんでしょ、あそこ。

追記:問題のロケ地、今はなき昭和薬科大学世田谷校舎ですた。
現在の姿は、こちらをご参照下さい。


おまけ:同じく、今はなきホテル・エンパイアも登場。


2、命の恩人
『香港の星』では、尤敏の父・王引が、戦時中に砲弾を受けて負傷した日本軍兵士・山村聡(団令子の父)の手術を行い、それに恩義を感じた山村が日本留学中の尤敏の面倒をみるという設定でしたが、本作では植民地時代の台湾で医師をしていた加山の父(戦死)が、張美瑤の祖父の胃潰瘍を手術したということになっています。
尤敏も加山も2代目の医師なのですね。

3、恋のライバル
『香港の夜』では宝田明の幼馴染である司葉子が、『香港の星』では尤敏の親友である団令子が恋のライバルとなりますが、本作では加山に家庭教師をしてもらっていた張美瑤の親友・星由里子がライバルとなります。『夜』と『星』の折衷案といったところでしょうか。
ただ、本作の2人は『香港の星』のように黙って身を引くようなことはせず、女同士の話し合いで加山との間をどうするのか選択する点が、少しは現代的かも。
星由里子がピアノに専念するため恋を諦めるのは(勿論、加山の気持ちが張美瑤に傾いているという理由もあるのですが)、『香港の夜』で絵の勉強に専念する司葉子の姿と少しダブります。

4、友達はいつも藤木悠
『香港の夜』『香港の星』で宝田明の友人(同僚)役だった藤木悠が、ここでも加山の友人役として登場、あやしいタイ語を操っています。
藤木悠と香港経由でタイへ向かう途中、ふと思い立って加山は香港から台湾へ飛び、張美瑤と会うのですが、香港啓徳空港の着陸シーンは、『ホノルル・東京・香港』あたりからパクってきている可能性大。

5、ムーディな歌と踊り
『香港の夜』『香港の星』では尤敏が歌い、本作ではほんのちょっとだけですが、張美瑤が『相思河畔』を歌っています(原曲がタイの歌〔らしい〕であることから使われたのだと思います)。
さらに、本作ではピーター、もとい、越路吹雪大先生が歌うためだけにご出演なさっています。
ナイトクラブのダンス&ショウタイムも、なぜかいつも登場。

6、やけ酒
『香港の星』では尤敏に拒絶された宝田明がやけ酒かっくらった後に草笛光子に迫られ、本作では張美瑤の縁談を知った加山がやけ酒飲みつつバンコクの夜を満喫(?)、ホステスの家で目を覚まします。

以上、思いつくまま記してみましたが、まだ他にもあるはずです。

張美瑤は、今回は天然系お嬢様。
日本の短大を出た後、父の会社の日本支社(叔父が支社長)で働いていますが、勤務中に爪磨きなんかしている窓際OLです。
が、天然系だけに、愛する加山と一緒になれないとわかった時にとる行動も無茶そのもの。
助かってよかったけど。
彼女、一応「タイ華僑」という設定なのですが、生まれは植民地時代の台湾で、つまり本省人。
戦後、親子でタイへ移住、貿易会社を興して成功した(らしい)、新興の華僑ということになります。
彼女の両親がタイの公爵家との縁談に狂喜乱舞したのは、いわば新参者である自分たちが、タイ社会へより深く食い込むためのステップアップの手段としてこれほど有効なことはない、といった打算も多分にあったのでしょう。
どうやらここでは、『香港の夜』にあったような、国籍や民族の違いが恋愛の妨げになるといった問題は存在していないようです。
ただし、本省人であれば、本来なら家庭内での会話は台湾語(ホーロー語。客家だとしたら客家語)になるはずですが、ここでは全て北京語での会話となっています。
張美瑤の祖父があっさり「日本語を忘れた」と言うのも、ちょっとおかしいですし。
あの時代の台湾の言語政策が透けて見えるようです。

星由里子は、可愛げゼロのわがままお嬢。
清水寺を3人(張、星、加山)で観光するシーンがありますが、あそこであっしは清水の舞台から突き落としたくなったほどです。
ま、損な役回りなんですけどね。
映画の中盤で、早々に加山を張美瑤に譲って(物じゃないんだから)、自分はリタイア。

加山雄三は、明るくない方の彼の魅力がよく出ていたと思います。
以前、タイ映画祭の折に観たとき、上原謙(星由里子の父)が「君のお父さんは、立派な方で」とか言うたびに場内大爆笑になっていましたが、その手のネタで言えば、上原謙が青大将の父親役をやっていた『日本一の若大将』の方が、爆笑度が上かも。

ところで、張美瑤の叔父を演じていた李嘉、『海辺の女たち(蚵女)』や『雷堡風雲』の監督(『海辺~』は李行と共同)と同姓同名なのですが、同じ人なんでしょうか?
こちらの写真を見る限りでは、別人のようなのですけれど。

(於:チャンネルNECO)

2005年7月11日月曜日

花は蹴らないで

〔とほほ事件簿〕

まだ、ネット上には記事があがっていないようなのですが。
いちおう、速報。

最近、何かと話題の杉田・回し蹴り・かおるさんが、「台湾フラワーセレブ」(ようわからんな、このネーミング)に選ばれて、今日の12:30から(彼女にとっては因縁の場所〔夫に回し蹴りを食らわせた?現場〕である)六本木ヒルズアリーナで開催された「台湾フラワー&フルーツフェスタ2005」に出席したそうです。
夕方のニュース(某日テレ)で観た限りでは、台湾フラワーとは胡蝶蘭のことなのだそうですけれど・・・・。

しかし、なぜ、この人?

少なくとも、いろいろな意味でタイムリー(?)な人選であることだけは確かです。

ちなみに、「台湾フルーツセレブ」はこの方

これも謎の人選。
というか、あたくし、この方を存じ上げませんの(汗)。
おほほほ。

詳しい記事が出ましたら、また補足いたしますです(ぺこり)。

追記(12日):記事、出ました。

杉田かおる「友人悪いと人間腐る」

杉田かおる「夫は腐っている」

杉田かおる、胡蝶蘭の花のようにセレブ続けます!

そして今回、杉田さんをフラワーセレブに選んだ犯人、もとい、主催者はこちら(日本の広告屋が間に入っているはずだが)。

花はどこへ行った?

2005年7月10日日曜日

速攻、買い!

〔橘ますみ〕

超お久しぶりの橘ますみたんネタ。

10月にますみたん主演映画のDVDが出ます!

徳川女刑罰史
異常性愛路線シリーズ第3作。
成人映画ながら、1968年の日本映画興行成績第9位を記録しました。
前作『温泉あんま芸者』でヒロインに抜擢されたますみたんにとっては、2本目の石井監督作品。
3話からなるオムニバスの内、ますみたんは第1話に登場、上田吉二郎に犯され、吉田輝雄(兄役)と近親相姦、果ては輝雄の自殺幇助をしてとっ捕まり、渡辺文雄からさんざん拷問を受けた末、波打ち際で逆さ磔にされてジ・エンド。
石井監督作品のますみたんは、いつもけなげで可憐な薄幸キャラですが、ここでも絵に描いたような薄幸娘です。
サディスト与力・渡辺文雄が、あぶない目つきでパツキン姉ちゃんを拷問にかける第3話の「ずばり責めまショー」も見ものでございます。

徳川いれずみ師 責め地獄
異常性愛路線シリーズ第6作。
シリーズ第5作の『異常性愛記録 ハレンチ』が興行的にあまり振るわず(あっしは好きだけど、この映画)、状況打開のため発奮した結果、ものすごいことになっちゃった1本(ヒロイン失踪事件や助監督ボイコット騒動等、有名なエピソードも数々ありますが、それらはここでは省略)。
この作品は『徳川女刑罰史』や『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』のような3話オムニバスではなく、通しのストーリーになっているものの、ヒロインから観ると、

第1部・お由美(片山由美子)編→第2部・お鈴(ますみたん)編→第3部・ハニー(ハニー・レーヌ)編

という3部構成になっていることがわかります。

ますみたんは、中盤のヒロイン(最初から出てるけど)・お鈴。
江戸一番の刺青師だった父・彫五郎を父の一番弟子である彫辰(小池朝雄)に殺され、その罪を着せられた彫辰の弟弟子でお鈴の恋人・彫秀(吉田輝雄)は島流しに。
お鈴も騙されて長崎に連れて行かれ、「中国のハーレムに置く処女の刺青女」(ありえねー!)にするべく彫辰の手で無理やり墨を入れられてしまいます。
ついに刺青が完成した夜、お鈴は服毒自殺を図りますが、そこへ島抜けして長崎に潜伏していた彫秀が助けに来ます。
しかし時すでに遅し、お鈴は彫秀の腕の中で息を引き取るのでした。

あれだけ陵辱されながらそれでも生娘という理不尽すぎる(?)薄幸娘が、今回の役どころ。
自力で江戸へ戻ろうと盲目の娘・おゆき(尾花ミキ)と脱走、迷路のような長崎の新開地を女2人で彷徨う場面は圧巻。
逃走の途中、可愛い子犬の姿を見て今まで怯えていたますみたんの表情が一瞬ほころぶ、そのときの笑顔こそがあっしにとっての「ザ・ベスト・オブ・ますみ」ざます。
絶命シーンも、ますみたん一世一代の名場面。

上記のDVDに『徳川女系図』『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』『ポルノ時代劇 忘八武士道』(←こちら、香港でも公開されております。中文タイトルは『肉林.浪子.快刀』。1981年3月13日から20日まで上映されて、144万1956香港ドルを稼ぎました)をプラスした「東映監督シリーズDVD-BOX 石井輝男篇」も同時発売になるざます。

でも、なんで『元禄女系図』が仲間外れになったんだか・・・・。
『徳川~』じゃなくて、『元禄~』の方を入れて欲しかったっす。
ま、輝ける(?)異常性愛路線第1作だしね。

気になるお値段は、DVD-BOXが23625円、単品だと4725円。

4725円×5=23625円・・・・。

BOX割引ってものはないのね、東映ビデオさん。

どっちにするか、考えます。

2005年7月9日土曜日

香港でも五輪開催

〔ちょっとお耳に〕

お出かけ前にちょこっと更新。

08年北京五輪、馬術会場は香港

8日に行われたIOC総会で、08年北京五輪の馬術が香港で実施されることが決まった。IOC、同五輪組織委員会、国際馬術連盟が合意した。当初予定の北京では国外から連れてきた馬からの疫病感染を防ぐための十分な環境が整わない。組織委は検疫体制が整備されている香港に会場を移して行うよう交渉していた。これまででは1956年メルボルン五輪の馬術がストックホルムで分離開催された・・・・

現地報道は、こちら

ちなみに、近代五種は北京開催だそうです。
っつったって、あっしは馬術のことはよくわからんのですが。
ともあれ、2008年、香港でも五輪競技が見られます。
「香港ディズニーランド&五輪観戦」なんていうツアーが売り出されるのでせうか。
意外と内地からの観光客が殺到したりして・・・・。
楽しみですわ。

付記:テツandトモ、迷走中

2005年7月8日金曜日

ラーメン食べたい

〔しようもない日常〕

夕食に蟹食ってビール飲んだらすっかりだらけてしまい、今に至っております。
今は、ラーメンが食べたいです。
とりあえず、目の周りがやたらと青い(アイメイク?)石天(ディーン・セキ)さんの画像でもお楽しみ下さい。


明日も更新お休みするかも。

2005年7月7日木曜日

銀座の恋の物語

〔ちょっとお耳に〕

今日の夕刻。
何気なく『香港街道地方指南 2005』を眺めていたところ、119ページ掲載の「天水圍」の地図中に妙な名前のショッピングモールを見つけました。


その名も、嘉湖銀座
ごていねいに、"Kingswood Ginza"なる英文が併記してあります。 

えっ?香港の、それも新界に「銀座」があるの?
と思いつつ、よーく地図を見てみたら、なんと軽便鉄道の駅名も銀座(Ginza)じゃあーりませんか。


・・・・。

さらに調査を進めるため、ちょっこしググってみたところ、このショッピングモール、たしかに日本の東京の銀座を意識して作られたもののようです。

すげえ、すげえよ、香港。
こんなところに熱海銀座戸越銀座の仲間があったなんて(ここにも注目!)。


でもね。
『香港街道地方指南 1998』だと、ここの名前、嘉湖廣場(Kingswood Plaza)になってるよ。
名前、違ってるじゃん。

誰だ?銀座にしたヤツは?

付記:香港の銀座へお立ち寄りのさいのお泊りは、こちらのホテルへどうぞ。気分はもう裕次郎&ルリ子(んなわけないない)。

2005年7月6日水曜日

香港の白い薔薇 (香港白薔薇)

〔えいが〕

1965年、日本・台湾・香港(東宝・台製・電懋〔國泰〕)。福田純監督。山崎努、張美瑤、宝田明、石山健二郎、水野久美、馬驥主演。

宿題になっていた『バンコックの夜』について書く前に、先にこちらのことを書いておきます。
寶島玉女・張美瑤(チャン・メイヤオ)の東宝における主演第1作(初お目見えは、『戦場にながれる歌』)。
香港からの麻薬密輸を捜査する日本及び香港警察の奮闘に、日本人警部と香港女性の悲恋を絡めたサスペンスタッチのメロドラマ(で、いいのか?)。
当初のタイトルは『香港-東京999(スリーナイン。銀河鉄道じゃないよ)』と、犯罪映画色の濃いものでしたが(シナリオ第3稿による)、その後、『香港の白い薔薇』というロマンチックなものに改められました。
タイトルバックには東宝と台製の名前しか出てきませんが、じっさいには電懋(この年7月、國泰機構に改組)もイッチョカミしています。

彼女が東宝映画に出ることになった直接のきっかけは、1964年に台北で行われたアジア映画祭で森岩雄に見出されたことによるのですが、実はこのとき、彼女の後ろ盾で「台製中興の祖」と言われた台湾電影製片廠廠長の龍芳が電懋オーナーの陸運濤らと共に飛行機事故死するという不幸に見舞われています。
あの飛行機事故は、香港映画界のみならず、台湾映画界にとっても大きな痛手となったのでした。

さて、かんじんの映画についてですが、つまらなくもないけど面白くもない、なんだか残念な仕上がりの映画です。
犯罪映画として見せるのか、それとも主人公2人の悲恋に重きを置くのか、そのあたりが中途半端なため、どっちつかずに終わっています。

ただ、これまでの東宝の香港ロケ映画(杉江敏男監督や千葉泰樹監督作品)とは一線を画し、あちこちの街頭でロケをしている点は評価できます。
跑馬地(ハッピーバレー)の競馬場や客家の城壁村(吉慶圍じゃないと思うけど)をはじめ、『東京ギャング対香港ギャング』にも出てくる聖馬利亞堂もちらりと映ります。
太白(タイパック)が登場するのも、『東京ギャング対香港ギャング』と同様。
聞き込みをするシーンでちょこっと映る派手派手な廟は、調べてみたところ、どうも「廟街社壇觀音樓」らしいことがわかりました(っつーことは、廟街なのか、あそこ)。
また、宝田明扮する宇津木が営む貿易会社・宇津木商事が入るビルは、『香港の星』の王星璉(尤敏)の家の並びでした(天文臺道)。
ちなみに、東京での野外ロケシーンは、東京オリンピック後ということもあってか、オリンピック関連施設をバックに山崎努と張美瑤がそぞろ歩く、なんていうシーンがありました。

張美瑤は、モーターボートをぶっ飛ばすジャズ好きお嬢様(アート・ブレイキー登場!)。
『ホノルル・東京・香港』の尤敏ほどかっ飛んではいませんが、怒りのあまり山崎努に往復ビンタを食らわすこともある、かなり気の強い女性です。
当時の映画評を観ても彼女に対してはおおむね好意的な評が多く、事実、よくがんばっているなと思うのですけれど、いかんせん、映画自体が低調過ぎました。

山崎努はなんだか冷静過ぎて、ほんとに張美瑤のことを愛していたのかがよくわからないまま。
台詞の中では「好き」と言っていますけど。

『東京ギャング対香港ギャング』で香港ギャングのボスをやっていた石山健二郎は、今回、日中戦争に従軍経験があるので北京語が出来る警部補という設定でしたが、いやはや、すごいです。

何言ってるのかじぇんじぇんわかりましぇん。

香港ギャングのボス役の時の広東語もすごかったですけど、こちらはそれをも凌ぐ驚異の北京語。
あ、でも、『香港クレージー作戦』のときも中国人役だったな、石山さん。
恐怖の中国語大王。

最後にもひとつ。

『ホノルル・東京・香港』で数寄屋橋交番のおまわりさん役だった藤木悠、本作では海外栄転(?)を遂げて、香港警察のおまわりさん役におさまっていました。

数寄屋橋交番→香港警察→Gメン'75

なるほど、そういうことだったのね。

2005年7月5日火曜日

サスペリアうちわ

〔しようもない日常〕

今日も夕食前に揉んでもらってきました。
そうしたら疲れがどっと出て、帰宅後、ついうとうと。

昼寝ならぬ夜寝でございます。

目覚めたら、午後10時を過ぎていました。

さて。
お仕事帰り、渋谷の紀伊国屋書店に立ち寄ったところ、レジのところに

サスペリアうちわ ご自由にお持ち下さい。

とあったので、新書買ったついでに貰ってきました。



決してひとりでは見ないでください-

こわかったなあ、このコピー
映画館へは1人で観に行かなかったけど、テレビ放映のときはうっかり1人で観てしまいました。
映画がヒットしていた頃(当時、小学生でおました)、うちの兄貴が大音量で(この映画の)テーマ曲のレコードをかけていて、それもこわかったわ。
第三の男』と『花嫁の父』を観てからこの映画を観ると、なかなか味わい深いものが・・・・。

ヒロインやってたジェシカ・ハーパー、『ペニーズ・フロム・ヘブン(Pennies from Heaven)』ではスティーブ・マーティンの奥さん役をやっていて、乳首に口紅塗るシーンにどきどきした記憶がございます(15年以上前に観たので、かなりあいまいな記憶)。

驚くべき貧乳だったけど(この記憶は正確!)。

このうちわがあるお陰で、今年は涼しい夏が過ごせそうです。

2005年7月4日月曜日

痛い日曜日

〔しようもない日常〕

昨日の朝、突然右肩と右鎖骨周辺が痛み出し、「もしやこれは、動物霊の仕業か、はたまた人面疽のいたずらか?」と思い、念のため確認してみましたが、動物の顔も人間の顔も見えませんでした(当たり前だよ)。
今日になっても痛みが取れないため、接骨院で受診したところ、単に「筋を痛めたみたいですね」との由。
電気をかけた後でマッサージをしてもらい、今は湿布を貼っています。
お陰さまで、だいぶ痛みも和らいできました。

そんなこんなで、今日は軽めの話題で。

肩は痛いけれど、無理に動かさなければどうにかなるので、昨日は当初の予定通り、午後、フィルムセンターへ『白夫人の妖恋』を観に行ってきました。

ほぼ満員の入り。

東宝と邵氏の合作映画で、後の香港3部作(『香港の夜』『香港の星』『ホノルル・東京・香港』)にも出演(進行補佐も兼任)している馬力(馬浩中。京劇俳優・馬連良の息子)が考証を担当している作品ですが、お馴染みのSB(邵氏兄弟)マークではなく、邵氏父子時代の邵氏製片廠マークと東宝マークが仲良く並んで登場するオープニングは、とても珍しく貴重です。



本作のストーリーは言うまでもなく『白蛇傳』がベースですが(映画の中文タイトルも『白蛇傳』)、直接の原作は林房雄の『白夫人の妖術』のため、夢幻的というよりは怪異的色彩が濃いような気がいたします。
買わなきゃ買わなきゃと思いつつまだ邵氏版の『白蛇傳』を入手していないため、両者の比較ができないのですが、いづれ邵氏版を観ましたら、こちらでまたご報告いたしたいと思います。
こんな本もあるしなあ・・・・読まなきゃいかんか。

ラストの昇天シーンが、1963年の邵氏作品『梁山伯與祝英台』のラストシーン(本作と同じ円谷英二が特技を担当)で引用されているのは、『邵氏影視帝國』で邱淑婷氏がご指摘なさっている通り。


日本での興行成績はふるわなかった本作ですが、香港、台湾、東南アジア各国では大ヒット、邵氏は多額の収入を得たそうです。
呂訴上の『台湾電影戯劇史』(1961年、銀華出版部)に台北市の興行成績がありますが、それによれば本作は1958年に台北市で公開された日本映画の興行成績第1位で、41日間上映されて111万4071.3元の興行収入を得たそうです。
ちなみに、この年のアメリカ映画の興行成績第1位は『戦場にかける橋』で、55日間上映されて180万7842.7元、北京語映画の興行成績第1位は『貂蝉』で、74日間上映されて74万8285元の興行収入でした。
当時のレートがよくわからないので、日本円でいくらぐらいなのかがまるっきり不明なのですけれど・・・・。

オチがないので、まづはこれぎり。

2005年7月2日土曜日

無我ちゃん、お久しぶり!

〔ちょっとお耳に〕

セリフは創作です。

以下は、どうってことない小ネタ。

先ほど、チャンネルNECOでやってた『神火101 殺しの用心棒』を観ていたら、映画が始まって間もなく赤いオープンカーに乗って登場、竹脇無我に向かって、

ねえ、どうしてゆうべ来なかったの?(日本語吹替)

と迫るセクシーギャル役をやっていた女優さんが、あの羅蘭おばさん にクリソツでした。
もちろん、ノークレジットですけど。

ちなみに、下記の方も羅蘭さんです。

あたし、索菲亞・羅蘭よ。

あと、忘れないうちにもう一つ。

映画の中で吉村実子が住んでいた金巴利大廈、今もありますね。
住所で言うと、柯士甸路15號。
香港の星』のヒロイン・王星璉の家のすぐそばです。

2005年7月1日金曜日

家在台北 (Home Sweet Home)

〔えいが〕



1970年、台湾(中影)。白景瑞監督。柯俊雄、歸亞蕾、張小燕、李湘主演。

書こう書こうと思いながら、例によって鑑賞後、かなりの時が経ってしまいました。
覚え書き程度で失敬。

第8回金馬奨最優秀作品賞、主演女優賞(歸亞蕾)、編集賞、第16回アジア映画祭主演女優賞(歸亞蕾)、脚色賞を受賞した、台湾映画史に残る名作の1つ・・・・なのですけれど、やっぱり国策のにおいプンプンな映画でした。とほほ。

アメリカから台湾(台北)へ一時帰国した台湾人たち(当然のことながら外省人)のドラマが、3話形式のオムニバスで描かれていきます。
第1話は、牧場を経営する両親の元へ帰国した息子(武家騏←たぶん。記憶が・・・・)とその妻(アメリカ華僑)が、台湾の大地に骨をうずめようと決意するまでと、その妹でアメリカかぶれのコギャル(張小燕。ミニスカートがまぶしいぜ、小燕姐!)が巻き起こす大騒動。
第2話は、画家の恋人(馮海)のためにせっせとお金を貯めて帰国、その金で画業に専念してもらおうと思ったら、男の面子に拘る彼は彼女(李湘)を罵倒、2人は別れてしまいましたとさ、というお話。
で、恋人と別れた彼女は、アメリカへは帰らずに、おばが経営する幼稚園で一緒に働くことを決心します。
第3話は、アメリカでちゃっかり現地妻を作って台湾妻(歸亞蕾)と息子をほったらかしにしていた青年建築家(柯俊雄)が離婚のため帰国しますが、妻子への愛に目覚めて台北で家族水入らずの生活を送ることを選ぶ、というお話。

全体を通じて、登場人物たちは最終的には一時帰国のつもりが永久帰国になるという、「さよならアメリカ、ただいま台北」というオチになっており、つまりは、

アメリカかぶれなんてクソ食らえ!台北こそ我がふるさと!国府台湾萬歳!

というテーマに貫かれていることがわかります。
これも、結局は政府の「頭脳流出防止」みたいな国策に基づいているのでしょう。
下手にアメリカで民主化運動に目覚められてもこまっただろうしね、国民党としちゃ。
ただ、おそらく、この映画以前の時代には「中国大陸=ふるさと」であっただろう外省人の概念が、ここに至って「台北=ふるさと」に変化している点は、特筆するに値します。
少しは現実に目覚めてきたと言っていいのでしょうか。

3話からなる作品の内、第2話はサイケな美術と謎のバンド(ナイトクラブで出現。『人蛇大戦・蛇』の「ビューティフル・サンデー・バンド」と双璧の爆笑バンド)が楽しめたぐらいで、ストーリー的には何の面白みもなし。
第1話も、やたらと多用される分割画面(DVD化したときのトリミングの仕方が悪かったのか、端っこバンバン切れてました)と細かいカット割り、岡本喜八ばりの編集センス(ただし1箇所のみ)といった、スタッフの実験精神(?)に見るべきものがあったものの、お話自体はコギャルのミニスカート以外さっぱりしませんでした。
というわけで、ありがちな古めかしい内容ながら、一番よかったのは最後の第3話。
半分以上は歸亞蕾の演技で見せるんですけどね。
柯俊雄の役柄は、今観ると彼の私生活(女房〔張美瑤〕子供ほったらかしにして愛人と同居←ようやく離婚したけどさ)とだぶるような気もいたします。

ところで、白景瑞監督はこの頃李行監督等と独立プロ(大衆電影事業公司)を設立、『再見阿郎』のような台湾の現実に根ざした作品を撮りますが、これはやはり(官製映画会社の)中影では自分の好きなように映画を撮れない、ということがその背景にあったのでしょうか。
そこいらあたり、もう少し自分なりに探ってみたいと思いますです。