2017年5月14日日曜日

『女性的復仇』と蔡揚名監督のことなど

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕


現在はガラス工芸作家として
ご活躍中の楊惠姍さん。
日本でも、こちらで作品を
見ることができます。



どうも。 トド@更年期まっしぐら!です。

さて。

一昨年の秋、台湾黒電影(社会写実映画)の代表作の一つである『女性的復仇』を鑑賞した不肖せんきち、ツイッターの方ではいくつか感想をつぶやいたものの、その後ブログ記事にまとめようと思いながらいたずらに時は流れ、今に至っております。

が。 

先日出版された『激闘!アジアンアクション映画大進撃』で結城らんなさんが台湾写実映画に関する秀逸な文章をお書きになっているのに触発され、「こりゃあ、いっちょう、おい らも書かねばなんめー!(何語?)」と一大決心(大げさ)、約1年半の歳月を経て、ようやく『女性的復仇』の紹介記事を書く次第です。

 (『女性的復仇』について)
 1981年、台湾。歐陽俊(蔡揚名)監督。楊惠姍主演。

 早速、おおまかなあらすじを。 

元女子体操香港代表で、現在はダンス教室を主宰する顧玲玲(楊惠姍)は、ある日、日本に住む親友から妹 美鳳のことを頼むという内容の手紙を受け取ります。
その後、親友は謎の死を遂げ、玲玲は親友の死の真相と美鳳の行方を探るべく来日、友人 三郎の助けも得てようやく美鳳を探し出しますが、美鳳は日本のヤクザに騙され、売春を強要されるようになってしまいます。
ヤクザの手から美鳳を救い出すため一味とのサイコロ勝負に挑んだ玲玲は、博打に勝って美鳳を奪還しますが、騙まし討ちに遭い再び美鳳は拉致され、玲玲も片目を失います。
その後、亡くなった親友がヤクザの麻薬取引に絡んで命を落としたことが判明、玲玲は再度美鳳を救うため、かつてのライバル(元女子体操日本代表。水野結花)の力も借りて、ヤクザへの復讐を開始するのでした……。 

あらすじからもわかる通り、物語の舞台は殆どが日本。 タイトルバックでは歌舞伎町のネオンが映り、売春組織に売られた女たちのシーンでは郊外のラブホテルが登場します。



 歌舞伎町の夜景をバックに
楊惠姍の名前が!

ただ、主人公を助ける三郎が住む木造アパートや、ヤクザと博打をするシーンの和室等は、北投の日本旅館で撮影している模様です。 
日本で理不尽な目に遭うアジア人女性の敵であった日本人ヤクザが、やがて日本人をも含めた全ての女性達の敵となり、復讐の対象となっていく……と書くと何やら意味ありげですが、露出度の高いコスチュームで日本刀を振り回しながら拳銃を持ったヤクザに立ち向かう女性たちの姿がクライマックスの見所になっている辺り、そんなことは最早 どうでもいいのかもしれません。
当たり前(?)のことながら、「なぜ、元女子体操の選手がツボ振りを?」なんていう疑問も言いっこなし!

そして、もう一つの見所(?)が、無許可撮影の数々。 
主人公が国技館で相撲観戦をしながら自分の現役時代を思い出す件(段違い平行棒をする楊惠姍!すげー!すごすぎる!)では朝潮が登場、そしてバックには『ロッキー』の 音楽が流れます(もちろん、無断使用)。
さらにそれよりもすごいのが、ヤクザのパーティーシーンでなぜか顔を見せるこの方。


総理の父ちゃん、なぜそこに!


黒い交際発覚!ですわね……。

 (『女集中營』と社会写実映画) 
ところで、『女性的復仇』の監督である蔡揚名が、1970年代の一時期、香港の邵氏に所属していたことはよく知られていますが、当時の報道によれば、今日では桂治洪監督の代表作の一つとされている『女集中營』も、当初は蔡監督の作品として撮影に入っていたといいます。 



蔡監督が『女集中營』を撮ることになった
旨を伝える1973年7月9日付『華僑日報』。
目下のところ男優中心の香港で、
あえて女優中心の映画を撮りたい!
という監督の強い意気込みが窺えます。




こちらは撮影中の記事(1973年9月1日付『工商日報』)。


 しかし、『女集中營』の撮影半ばで蔡監督は突如として台湾へ帰り、邵氏とは契約の件で裁判に突入、しばらくは歐陽俊という別名で映画を撮ることを余儀なくされます。 
蔡監督がなぜ台湾へ帰ったのか、その真の理由は定かではありませんが、そのような経緯からこの『女性的復仇』をみると、蔡監督は香港では果たせなかった夢(女優中心の映画を撮る)を、1980年代に入ってようやく台湾で実現させたのだとも考えられます。 
また、『女性的復仇』には同タイトルの台湾語歌謡を元にした台湾語映画(1969年、林福地監督)が存在しており、両者の内容が同一であるかどうかは定かではないものの、かつての台湾語映画のエッセンスをも受け継いでいる作品であったのかも知れません。

 (『錯誤的第一歩』と『血と掟』) 
台湾の社会写実映画は、1979年、蔡監督が実在する元ヤクザ 馬沙の手記『錯誤的第一歩』(実際にはかなり虚構が交じっているらしいのですが。この手記と馬沙を巡るもろもろに関しては、こちらをご参照下さい)を、馬沙本人の主演で映画化した同名作品に始まるとされています。 
かつて裏社会に身を置いた人物が、自らの伝記的作品の主役を務めて映画デビューする―、旧作邦画に詳しい方ならすぐにピンとくるでしょうが、そう、これはまるで安藤昇主演の『血と掟』のようではありませんか。
『錯誤的第一歩』と『血と掟』の影響関係は明らかではありませんが、蔡監督は男優時代(芸名・陽明)には『血と掟』の湯浅浪男(湯慕華)監督が渡台後に撮った作品にも出演したことがあり、湯浅監督の口から直接『血と掟』の話を聞いていた可能性もあります。 
ちなみに、蔡監督が主役を務めた湯浅監督作品は『法網難逃』(1968年)という、何やら犯罪もののような匂いのするタイトルで、この作品の内容も気になるところです。

 (おまけ) 

以上、つらつらと『女性的復仇』と蔡監督にまつわるあれこれを書いてきましたが、拙ブログではこれまでにも社会写実映画に関していくつかの記事を執筆していますので、 そちらもお読み下されば幸いです。   

蔡揚名監督が香港へ渡る前後に撮った女性の復讐物。
その後の社会写実映画における復讐物を考える上で、重要な作品と考えられます。  
地獄のニンジャソルジャー (Ninja 8:Warriors of Fire)
社会写実映画『女王蜂』を無理やりニンジャ映画に仕立て上げた、悪名高きニコイチ映画の金字塔。
誰敢惹我 (Who Dare Challenge Me)

(ひとまずおしまい)