2006年6月28日水曜日

台湾の三船敏郎

〔ちょっとお耳に〕

書きたいことや書かねばならないことは山ほどあるのですが、ここんとこ急に暑くなったもんでバテ気味です。
ゆえに、今日も軽めのネタにて。

『週刊平凡』1964年12月24日号に、

日本の流行歌がいっぱい 台湾で歌った梓みちよ

という、グラビア記事が掲載されていました。

これは、今もある五つ梅ホテル国賓大飯店の開業祝賀会に招待された梓みちよの台北での日々をまとめたものなんですが、その中に、中影のスタジオを訪問した梓みちよが、

台湾の三船敏郎

と言われている某男優とご対面したさいの写真がありました。

が。

意外だったのが、この「台湾の三船敏郎」氏。

いったい誰だと思いますか?

この人?


それとも、この人?


ひょっとして、この人かしらん?


おいおい・・・・。

残念ながら、全員不正解。
こんなお若い方々(あくまでも当時の年齢です)ではございません。

となると・・・・

この人なんて、どうかしらん?


ちょっと老け過ぎね。


いけねえ、間違えた!

といったところで、正解です。
正解は、この方。

朱牧さんでした。

梓みちよはちょうどこのとき撮影中だった『西施』のセットを訪問、朱牧と記念撮影をしたのですが、「台湾の三船敏郎」って『週刊平凡』が付けたんでしょうか。
つい先だって来日した郭品超は、日本のマスコミによれば「台湾のもこみち」だそうですけれど、この頃から「台湾の○○」「香港の○○」と付けるのがお好きだったようです。

にしても、朱牧が三船敏郎ねえ。

どう思います?

2006年6月26日月曜日

秋決 (Execution in Autumn)

〔えいが〕


1971年、台湾(大衆)。李行監督。歐威、唐寶雲、葛香亭、傅碧輝主演。

第10回金馬奨作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、脚本賞、撮影賞受賞作品
李行監督本人が自らの代表作と認めている通り、監督の作品の中で最も評価の高い作品です。
香港の「最佳華語片一百部」では、83位にランクインしています。

早くに両親を亡くし、祖母(傅碧輝)に溺愛されて育った裴剛(歐威)は、長じて手の付けられない乱暴者となり、裴剛の子供を生んだと迫る春桃(李湘)と、春桃と共に裴剛を脅した男2人の計3人を殺害、死刑を宣告されます。
祖母はなんとか死刑を回避させようと裏で工作しますが、それも徒労に終わります。
裴家の血筋が絶えることを恐れた祖母は、牢頭(葛香亭)を説得、自分の養女で裴剛の幼なじみである蓮兒(唐寶雲)を獄中の裴剛に嫁がせるのでした。
獄中でも改心することのない裴剛でしたが、蓮兒の献身により、その心に少しずつ変化が現われ始めます・・・・。

タイトルの「秋決」とは、いにしえ、中国において死刑は通常秋に執行されていた、そのことからきた言葉だそうです。
映画は、裴剛が死刑を宣告されてから翌年の秋、死刑が執行されるまでの晩秋、冬、春、夏、そして秋の1年弱の物語です。

自らの犯した罪を省みることなく、自分を甘やかして育てた祖母を恨み、死を恐れ、脱走することばかり考えていた裴剛は、蓮兒と夫婦の契りを交わし、彼女との触れ合いの中で徐々に人間性を取り戻し、彼女の妊娠によって生命の連環を悟り、ついには自分の死を受け入れるようになります。
そこで重要な役割を果たすのはもちろん蓮兒の犠牲を省みない愛、つまりは母性愛でしょうが、しかし見逃してならないのはそんな2人を見守りながら、裴剛を正しい道に導こうとしていく牢頭の存在です。
裴剛と同じ年頃の息子を亡くし、裴剛に亡き息子の面影をだぶらせる牢頭の父性愛も、父親のいない裴剛にとって不可欠のものであったに違いありません。
また、何度裴剛に面罵されながらも辛抱強く生と死の道理を説き続けた牢獄仲間の書生(武家麒)の友情も、やはり得がたいものといえましょう。

牢頭を演じる葛香亭が、厳しい中にも深い慈愛を湛えた演技で、やっぱりいい役者さんだなあと再認識いたしました。
台湾映画の中のお父さんというと、少し前に亡くなった郎雄あたりが有名ですが、郎雄が娘の下着も洗うし若い女性と再婚もする、一見頑固だけど結構さばけたお父さんだったのに対し、葛香亭はもうちょっと伝統的なお父さんのイメージです。

ところで、以前にも少し書いたことがありますけど、この映画の音楽を担当しているのが斎藤一郎。


耳慣れた旋律ゆえ、音楽だけ聴いているとなんだか日本映画のような・・・・。

ちなみに、『第二十四屆香港電影金像獎頒獎典禮特刊』では、齊一郎になってます。
お持ちの方、ご訂正下さい。

いつも不幸な李湘。
『寂寞的十七歳』や『再見阿郎』では柯俊雄に貢いだ挙句に捨てられ、
ここでは「あんたの子よ~」と歐威に迫ってお手打ちに・・・・。


付記:こんな舞台もあったみたいっす。

2006年6月23日金曜日

裕次郎、『不了情』を歌う

〔ちょっとお耳に〕

映画は観てないと思うけど。

石原裕次郎と台湾の結びつきと言うと、まずは日活と中影の合作映画である『金門島にかける橋(海灣風雲)』の主演、そして1970年代初頭、台北は中山北路沿いに高級喫茶店(フジコーヒー、富士花咖啡)を開いていたことがよく知られていますが、今日は1963年3月、『太陽への脱出』撮影のためタイへ赴く途中台北に立ち寄った、そのおりのエピソードをご紹介したいと思います。

1963年3月21日午前11時台北に降り立った裕次郎は、到着後さっそく中影の董事長・蔡孟堅に電話を入れますが、今回の来台は事前の連絡がない訪問だったため、急に電話を受けた蔡はびっくり仰天、急遽翌22日に金谷飯店にて歓迎の宴が催されることになりました。
出席者は『金門島~』で裕次郎と共演した王莫愁(華欣)ら中影関係者の他、香港の邵氏から鄒文懐と范麗も出席、席上、裕次郎は『金門島~』の台湾ロケのさいに習ったという『不了情』を歌い始めました。

そもそも裕次郎は、前回の来台のときに訪れた白玉樓酒家のホステスさんから『不了情』を教えてもらったのだそうで、この曲がすっかり気に入った彼は、監督を説得して『金門島~』に挿入歌として流れるようにしてもらったのだそうです(そういや流れてますね)。
しかし裕次郎の『不了情』への偏愛ぶり(?)はこれだけに留まらず、なんと自ら日本語詞を作詞してシングルレコードに吹き込み、皆に配るために台湾へ持ってきたとの由(ただし、税関の都合でこれは持ち込めませんでした)。

このとき、映画『不了情』を製作した邵氏の鄒文懐が「作曲者の代わりに著作権料を貰わないとね」と冗談交じりに切り出すと、裕次郎も「(日本での)この曲の宣伝費を貰いたいよ」と切り返し、その後仲良く乾杯してお金の件は丸く収まったのだとか。

翌23日昼、裕次郎は慌しかった台北滞在を切り上げて日航機でタイのバンコクへ向かいましたが、このときも王莫愁が空港へ見送りに駆けつけています。
実は、今回の来台は当時独立プロ設立の準備中だった裕次郎が、新作『日月潭之姫』の脚本を王莫愁と検討する、という目的もあり、実際に製作された暁にはぜひもう一度王莫愁と共演したいと願っていたそうです。
残念ながら、この映画が製作されることはありませんでしたが、同じ年の9月には王莫愁の方が東レの招きで来日(東レが台湾で作った合弁会社の広告モデルを務めていました)、2人は旧交を温めたのでありました。

以上、ざっとですが1963年4月の裕次郎来台に関してまとめてみました。

それにしても、『不了情』の日本語版レコードって、市販されたんでしょうか。
プライベートで吹き込んだだけのものだとしても、テイチクの倉庫にマスターテープとか残っていないですかねえ。
聴いてみたいもんです。

参考:『聯合報』1963年3月23日、24日付記事、『週刊明星』1963年9月29日号。

追記:その後の調査で『不了情』の日本語版が『忘れじの瞳』というタイトルの歌であることが判明しました。くわしくは、こちらをご参照下さい。

2006年6月21日水曜日

美艷玉女

〔ちょっとお耳に〕


遅ればせながら、W杯ですね。
「サムライ・ブルー」と「マタニティ・ブルー」は同じ種類の言葉なんじゃないか、と思う今日この頃。
せんきちは風邪がぶり返してしまい、鼻水じゅるじゅる状態です。

さて。

24日からの新文芸坐における特集上映「脇役列伝」にて、『女巌窟王』が上映される(6月27日)のを記念(?)して、今日は同作品の台湾公開時の新聞広告をご紹介。


台湾でけっこう人気のあった大蔵新東宝作品にふさわしく(?)、中央にはデカデカと

大製片家 大藏貢

の文字が。

はっきり言って、主演俳優よりも目立ってます。

で、その主演俳優に目を向けると、

「愛染桂」男主角 吉田輝雄
美艷玉女     三原葉子
性感肉彈     万里昌代

と、名前に先行してキャッチフレーズがくっ付いていましたけど、けっこう意外だなあと思ったのが、三原葉子が「美艷玉女」で、万里昌代が「性感肉彈」だということ。

日本だったら、逆さまじゃないかと。

先だってご紹介した前田通子の「腋毛」といい(ああ、これでまた腋毛で検索してくる人が増えちゃうわ)、このキャッチフレーズといい、「お国変われば萌えどころ変わる」なのでありましょう。

三原葉子は、尤敏の仲間(玉女)だったんだね。

ちなみに、この新聞広告が掲載されたのは1963年4月24日付『聯合報』。
新東宝がつぶれてから既に2年近い歳月が流れているのに「日本新東寶最新出品」とは、台湾の宣伝マンもよく言ったものだと思います。

なお、最後に一言付け加えておきますと、この映画、万里昌代のサービスカットに注目(シャワーシーンを見逃すな!)の一品でございます。

お楽しみに。

2006年6月19日月曜日

治ったことにします。

〔えいが〕

激萌え

長らくのご無沙汰でした。
だいぶ調子もよくなったので、ぼちぼち再開します。

まずは最近観たDVD&VCDの在庫整理から。

『裏門(後門)』
1959年、香港(邵氏)。李翰祥監督。胡蝶、王引、王愛明主演。

1960年、東京で開催された第7回アジア映画祭で作品賞を受賞した作品。そのおり、『裏門』という邦題が付いていたので、ここでもそれを採用いたしました。

胡蝶と王引の子供のいない夫婦が王愛明を養子に引き取って、つかの間、生活に潤いがもたらされますが、その後現われた実の母(李香君)のもとに彼女は戻り、また平凡な毎日が戻ってくる・・・・というお話ですが、なんとか子供を取られたくない王引夫妻が実の母に道理を説いて諦めさせようとする件などには、痛ましさすら感じましたです。
何年も一緒に生活したのならともかく、ほんの数カ月共に寝起きしただけの王引夫妻&養女と、憎くて別れたわけではない実の母子とでは、どう考えても後者に分があります。

胡蝶、王引の大ベテラン2人を相手に物怖じしない王愛明(後の七公主の1人ね)の名子役ぶりが見もの。
李監督ならではの豪華なゲスト(後年のUFO作品に通じるものが)の一員として浮気な奥さん役で樂蒂が出ていましたが、これ、コアな樂迷にはあんまり評判がよくないものの(長城時代を引きずったような役どころです)、せんきち的には

激萌え

でおました。

なお、映像は修復できたものの音声は修復不可能だったらしく、台詞、ナレーション、音楽、全て新たに録音しなおしたものでした。
戦前の作品ならともかく、1950年代の作品ですらこの状態って、いったいどういう保存の仕方をしてたのだか。

『寂寞的十七歳 (Lonely Seventeen)』
1967年、台湾(中影)。白景瑞監督。唐寶雲、柯俊雄、李湘主演。

第14回アジア映画祭主演男優賞、第6回金馬奨監督賞、撮影賞、美術デザイン賞、編集賞、録音賞、等を受賞した台湾映画史における「経典」の一つ、なんですけど、他に白景瑞監督の経典と言われる作品(『家在台北』『新娘與我』)と同様、これもかなーり不思議な映画でした、というか、当時の金馬奨の選考基準ってどこにあるのよ、え?

イケメンの従兄(柯俊雄。内妻を捨ててヒロインの姉と逆玉の輿結婚を目論む悪い男)に思いを寄せるヒロイン(唐寶雲。かなり無理のある17歳)が、自動車事故死した従兄の死の原因が自分にあると思い込み、やがては精神に異常をきたしていく・・・・という壊れゆく少女ものなんですが、にっちもさっちもいかなくなったヒロインが精神病院に入院してからの展開がすご過ぎ。

葛香亭演じる精神科の先生ったら、カウンセリングもせずにいきなりヒロインに電気ショックを施し、しまいにはやはり自分を責めた末にノイローゼになって入院してきた柯俊雄の内妻(李湘)と一緒に密室に閉じ込めて「ガチンコ対決」をさせるという荒療治ぶり。
結局、「誰のせいでもなかったのね」ということに落ち着いて2人は立ち直るんですけど、内妻の存在を知らなかったヒロインが、

「何よ!この女狐!あんたが彼を殺したのね!」

と怒り出し、内妻は内妻で

「ふん!小娘が大人のことに口出しするんじゃないわよ!」

と言い返して取っ組み合いの大乱闘になっていた可能性も無きにしも非ずで、かなりデンジャラスな治療法(っていうか、治療してるのか、これで?)だと言えましょう。

この他、ヒロインのことを「小天使」と慕うキチ○イ爺さんがまき起こす騒動も、なんだか・・・・。

この当時の中影の映画って、政治的なメッセージとは無縁のような映画にもその手の記号がひょっこり顔を出すのが特徴みたいなんですが、この作品でも「愛を以って青少年を正しく導きましょう」と大人に説教垂れるついでに、病が癒えたヒロインが

中國青年反共救國團

の冬合宿に参加して元気にスキーをするというオチが青少年の立ち直りの象徴として用いられていました。

総統様、万歳!

ところで、白景瑞監督は言うまでもなく、李翰祥監督、胡金銓監督、李行監督と並ぶ台湾の「四大導演」の1人ですが、他の3人と比べるとだいぶ肌合いが違う、というか、観るたびに過剰過ぎるエネルギー(&懲りすぎの映像)を感じます。
ただ、少なくとも『再見阿郎』に関してはその過剰さがうまく中和されて、味わい深い佳作になっておりました(黄秋生もこの映画好きらしいよ)。
日本で白監督の作品を紹介する機会があったら、ぜひ『再見阿郎』をやってほしいもんです。

『飛躍、海へ(飛躍情海)』
2003年、台湾(果昱)。王毓雅監督。林依晨、周群達、王毓雅主演。

第18回福岡アジア映画祭2004でグランプリを受賞した作品

陳國富監督の『我的美麗與哀愁』は『牡丹亭』が下敷きになっていましたが、こちらは『梁山伯與祝英台』が下敷き。
前半の静かな展開とは対照的な終盤の過激なストーリー展開には、やや唐突感が否めず。
ま、たしかに、静かな中にも何かが起りそうな気配はあったんですけどね、前半から。

思ったよりも周群達がよかったです。
この映画の林依晨は、初期の頃の呉倩蓮にちょっと似てます。

しかし、あれだけ邵氏版『梁祝』を引用しておきながら(林依晨が歌う歌う)、何のクレジットもないというのはどうなんでしょ?

ここも引用。

ちなみに、物語の舞台は台北近郊の漁港でしたが、劇中に登場する映画館は台北市通化街の湳山戯院でした。

2006年6月12日月曜日

コマンド・フューリー 女囚戦士 (少女集中營)

〔えいが〕

やっぱりナチスもどき。

1983年、台湾(銀海)。王重光監督。陳麗雲、劉嘉芬、崔守平主演。

帰ってきた台湾黒電影(これまでの記事はこちら→その1その2その3その4その5その6その7その8)。

その8で取り上げた『新・悪魔のえじき 暴虐女傑復讐魔(瘋狂女煞星)』と同じく、悪名高き香港IFDによる英語吹替ヴァージョンのため(ニコイチじゃない点がせめてもの救い)、ビデオのパッケージには「1986年作品 香港映画」となっておりますが、実際には『台湾黒電影』でも紹介されていた1983年の台湾映画『少女集中營』ざます。
ただ、ここに出てくる女囚の皆さん、ちっとも

少女じゃありません。

今すぐ

熟女集中營

に改題してほしいもんです。

かなり強引なストーリー展開なので、いちおうビデオのパッケージにあった紹介文からそれらしき件を引用。


黄金三角地帯の奥深く、女だけを監禁する刑務所があった。そこを支配するのは、残忍な所長チーフと、美しく非情な助手ヘレンである。彼らは人質として捕らえた外交官の娘、ドナが持つ機密のマイクロフィルムを狙っていた。
過酷で危険に満ちた強制労働、暴行、拷問と、女たちに執拗な責めが続く。耐え切れず脱出する者は、容赦なく処刑されるのだった。
遂に、女囚たちは勇敢な女戦士、テリー・ユーをリーダーに脱走を決行する。しかし、刑務所の周囲は、想像を絶する密林地獄だった・・・・。


設定やタイトルは邵氏の『女集中營』のパクリ、女だらけのアクション映画という点から見ると大ヒットした『アマゾネス・コマンドー 美女脱獄囚:地獄のX作戦(紅粉兵團)』のような「噱頭集錦片」の流れを汲む作品と思われます。

先ほども触れた通り、ストーリーの展開はかなり強引です。
何より、収容所長が狙うマイクロフィルムにどんな機密が隠されているのかがわからないですし、ドナとマイクロフィルムを守るため女囚に化けて収容所に送り込まれたテリー・ユーが属する組織レイダース(なんちゅう名前じゃ)の実態も不明なまま。
ただひたすら、暴力場面が延々と続きます。

また、『女集中營』にあったようなエロ味もほぼ皆無のため、この手の映画につきものの強姦場面はほんのちょっと出てくるだけ。
看守の男たちが、やけにストイックに見えましたわ。

ところで、『アマゾネス・コマンドー 美女脱獄囚:地獄のX作戦(紅粉兵團)』や『ドラゴン特攻隊(迷你特攻隊)』と同じく、本作でも悪玉の格好はナチスもどきの軍服姿。
ごていねいに、女囚にはダビデの星の焼き鏝を押してましたし。
当時これが流行していたのか、それともこうしないと新聞局の審査をパスできなかったのか、ちょっと調べてみる価値はありそうです。

ヘレン(実は彼女もレイダースの一員)の
なりはそこそこファッショナブルなのに、


女囚はイケてないスタイル。要工夫。


『女集中營』で収容所長やってた王俠が、レイダースの
頭目タイガー・チャン役でひょっこり登場。
正義の人を装いつつ実は敵側と通じていて、
女たちをあっさり裏切ります。
さすが王俠、期待を裏切らない役どころ。


これは王傑


一番キモかった場面。
普通の縫い針&糸で傷口を縫合。
後で泣いても知らないよ。

2006年6月11日日曜日

通りすがりの旅の者です

〔しようもない日常〕


京都に行ってきました。
日帰りで。

午後から京都市郊外でヒミツ会議だったので、ちょっと早めに行って午前中の2時間ほどを使い、駅周辺を探索。
その間、2人のジモティに道を聞かれました。

質問その1
渉成園の土塀沿いを歩いていたら、黒服着たおっちゃんが、

ここは、高倉花屋町ですやろ?

????
・・・・ああ、そうか、縦の道は高倉通、横の道は花屋町通か?と聞いているのね。
でも、全然わかんないので、

さあ・・・・ちょっと・・・・。

と言って、逃げました。

質問その2
その後鴨川の河川敷沿いに南下、JRのガードを潜ってから地上へ出て、路地をぶらぶらしていると、自転車に乗ってやって来た少年が一言、

稚松(わかまつ)公園って、どこですか?

これもわからん。
なんでこんなことをわしに聞くのだと思いつつ、

ごめんな。おばちゃんもわかんないよ。別の人に聞いて。

と、ここでも逃走。

念のため、帰宅後それぞれの場所を確認すると、高倉花屋町は質問現場の一つ辻北、そして稚松公園もその近くにあることがわかりました(渉成園へ行く時、前を通り過ぎてたのに気づかなかったわ)。

でもあの少年、八条で稚松公園の場所なんか聞いてたよ。
方向音痴だな(人のこと言えないけど)。

通りすがりの旅の者に道を聞くのは勘弁して下さい。

渉成園のお庭。バックがラブホで興ざめ。
京都は岡崎がラブホ街のはずだけど、
街中にも点在しているのか。


おまけ:先だっての劉家昌演唱會、せんきち的に気になったのは御大よりも奥様の方。言いだしっぺの夫妻と一緒に納まったこの写真、なんだか太ったわねえ。かつては加山さんとも共演した台湾を代表する美人女優でした(あ、張美瑤じゃないよ)。

2006年6月9日金曜日

コールガール (應召女郎1988)

〔えいが〕

DVDもありますけど。

1988年、香港(好朋友)。林德祿監督。張曼玉、陳奕詩、馮寶寶、余倩雯、吳家麗主演。

今さらネタですが、先だってレンタル落ちビデオを

50円

でゲットしたのと(「泣けます!」なんてシールが貼ってありましたよ)、ここんとこ龍剛版『英雄本色』のリメイクが話題になってるので「そういやこれもオリジナルは龍剛だったよなあ」と思ったこともあり、オリジナルと比較してみるのもまあ面白かろうと考え、取り上げてみました。

オリジナル同様、複数のコールガールのエピソードが同時進行で描かれます。
メンツは5人ですが、エピソードは4つ。

この内、張曼玉はオリジナルにおける恬妮の、馮寶寶はオリジナルにおける金霏のエピソードを、細かいディテールの違いはあるもののほぼそのまま踏襲しています。
オリジナルの金霏同様、馮寶寶のエピソードが悲惨です。

余倩雯のエピソードは、李琳琳と陳曼玲のエピソードを合体したようなお話。
オリジナルにあった「トイレで赤ん坊産み捨てて逃走」はありませんでしたが、陳曼玲がやってたチン○詰めは衝撃度アップで再登場、これが一番の見せ場になっておりました。

陳奕詩と呉家麗はクラブのホステス役で、これはオリジナルにはない趣向。
ただ、仕事にせっせと励む陳奕詩の前向きキャラは設定やストーリーこそ違え、オリジナルで丁佩が演じた役柄に通じるものがあります。この陳奕詩、実は内地からやってきて不法滞在していたいわゆる「大陸妹」だったことがばれて強制送還になるんですが、そこで彼女が叫ぶ台詞が、

1997年になったらまた来るわ!

という、いかにも時代を感じさせるもの。

その後、ほんとに来たんでしょうか、もう一遍。

オリジナルにあるような問題意識を持ったマスコミや善意の第3者の存在はここにはなく、ただ淡々と4つのエピソードが出てくるというだけの映画でしたが、せんきちとしては、んー、オリジナルの方が面白い、というか、あの時代に(1973年)ああいう映画を作ったという心意気の方を買いたいと思いました。

とりあえず、マギーファンは観といた方がいいかもね。

2006年6月7日水曜日

葛蘭だった?

〔ちょっとお耳に〕



宝田明と樂蒂が共演した電懋作品『最長的一夜』に関して、かつてせんきちは『週刊平凡』1963年5月9日号にある報道を元に、メインサイトにおいて


また、宝田の香港での人気に目をつけた電懋側も、尤敏の電懋での次回作『最長的一夜』(日本の報道では『長き夜』)に宝田を起用することを決定、宝田も前向きに出演を検討しています(『週刊平凡』による)。


と書き、尤敏が結婚引退した跡を受け継いで樂蒂がヒロインを演じたのだろうと推測しました。

ところが、台湾の報道を見るとどうもそうではなかったらしく、1963年3月5日付『聯合報』には、


電懋向東寶借將寶田明和葛蘭將合演新影片


なる記事が見え、当初は葛蘭が宝田明と共演する予定だったようなのです。

上記記事によると、目下、台湾・香港・シンガポール・マレーシアで最も人気のある男優は中国人俳優ではなく日本人の宝田明で、電懋としては『社長洋行記』に尤敏を貸し出し、さらには東宝ミュージカル『香港』では李湄まで貸し出したのだから、ここらで一つうちも宝田明を借りた上で葛蘭と共演させて1本撮ろうや、ということになった次第。

その後、3月26日付同紙には東宝が宝田明の貸し出し及び映画の内容を承諾した旨の記事があり、『最長的一夜』のストーリーはこのとき既に仕上がっていたことがわかります。
ただ、記事の中には「宝田明がいつ撮影に参加できるかは不明」ともあり、宝田明の渡港が延び延びになっている間に(じっさいには1964年夏に渡港)葛蘭は引退しちゃった、といった経過を辿ったようです。

たしかに、『最長的一夜』の劇中に登場する「明るい農村」みたいな歌唱シーンの唐突感も、葛蘭が当初ヒロインに予定されていたと考えればなんだか納得がいく気がいたします。

ま、ヒロインが尤敏だったのか葛蘭だったのか、いずれにしても2人は1963年から64年にかけて相次いで引退してしまい、それが電懋の凋落の一因ともなったわけでして、してみるとこの『最長的一夜』、なかなか数奇な運命を孕んだ映画だったのだなあと今回改めて思いましたです。

(今日も1人で納得して終了)

2006年6月5日月曜日

宿題いろいろ

〔ちょっとお耳に〕


先だって取り上げたネタの補足情報。

その1 やっぱりつるつるだった

サインボール、プレゼント!

腋毛旋風、吹き荒れる」で取り上げた前田通子のことですが、「でも、たしか『女真珠王の復讐』のとき、前田通子の腋の下ってつるつるだったよなあ」と思い、改めて『女真珠王の復讐』を観てみたところ、やはり、つるつるでした。

んー、いったいどこでどうやって腋毛ぼうぼうになっちゃったんだか。
記者さんの願望でせうか?

で。

上記の話とは別に、知人のKさんからステキな腋毛情報をお寄せいただきました。
それによると、1970年代初頭になってもプールへ行くと腋毛ぼうぼう女性が生息していたそうです。

ちょびちょびじゃなくてぼうぼうですよ、皆さん。

暴暴茶・・・・(かんけーないけど)。


その2 日本東方藝術歌舞團

こちらは『兩相好』の補足。

劇中に出てくるレビュー場面に関して、もしかしたら東宝歌舞団じゃなかろうかと書きましたけど、その後『聯合報』を調べてみたところ、1961年の9月から10月にかけて日本東方芸術歌舞団なる団体が台湾公演を行っていることがわかりました。
で、おそらくは、こちらの方が正しいのではないかと思います。

これね。

この歌舞団、元松竹の女優・泉京子をメインにした寄せ集め集団でしたが、その公演目的は「台北記者之家」に「料羅湾紀念室」を作るためのチャリティーで、そこには1958年の第2次台湾海峡危機で記者を失った読売新聞のバックアップがあったそうです。

8月31日に台北入りした歌舞団一行は9月1日に台北で公演をした後南部に行き、高雄、台南、嘉義、台中でそれぞれ公演をこなして再び台北へ、10月4日から11月2日の予定で遠東戯院で約1ヶ月の公演を行ったそうで、台北での公演ではゲストにディック・ミネも加わっています。

「デイシクミネ」です。

歌舞団の目玉はなんといっても泉京子のセクシーダンスだったようですが、彼女、香港だけでなく台湾でも活躍していたのですね。
1963年の日台合作映画『海女の怪真珠』に主役で出ているのは、そういう縁もあったからなのか。

いやあ、勉強になりました。

(1人で納得して終了)

2006年6月3日土曜日

DVD3種

〔ちょっとお耳に〕


近々リリース予定、または最近リリースされたDVDの中から、気になるものをちょっこし。

まずは、冒頭の画像にもある通り、"若大将、香港でサッカーをするの巻"『レッツゴー!若大将』(6月23日発売)。
これまでLDやビデオ化済の本作品、当方のメインサイトの方でも詳しくご紹介しましたが、まだ観たことのない方や画質の良いほうがいいという方は、お買い求めになってみてはいかがでしょうか。
ちなみに、星由里子にしつこく言い寄るスケベ専務をやってた太刀川寛は、『香港の星』ではたしかソニーの香港駐在員役でした。

お次は、日活ロマンポルノから。


1973年の『色情旅行 香港慕情』(6月23日発売)。

こちらは、八重子さんのブログで教えていただきました。

不肖せんきち、恥ずかしながらロマンポルノ移行後の日活で香港ロケ映画が撮られていたことを全く知りませなんだ。

というわけで、さっそく予約いたしますです。

最後は、先月25日に発売済みの1本。


島耕二(史馬山)監督の邵氏作品『椰林春戀』です。
主演は林沖(元祖台流スター)、何莉莉という『大盗歌王』コンビ。
ストーリーを読む限り、これは早稲田大学演劇博物館所蔵のシナリオ『柳艶花嬌』を改訂したもののようで、シナリオでは台湾旅行だったものがマレーシアに変更されています。

これもさっそく注文ね(DVDはリージョン3ですので、VCDもおすすめ)。

2006年6月2日金曜日

徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑

〔えいが〕

海外版DVD、ございます。

1976年、東映京都。牧口雄二監督。内村レナ、汐路章、川谷拓三、橘麻紀主演。

タイトルは「女刑罰絵巻」ですが、2話から成る作品の内、第2話は拓ボンの「あるバカ男の一生」という、やや看板に偽りありな映画
メガホンをとるのは、石井輝男監督の『徳川女刑罰史』で助監督を勤めたさい、拷問シーンのあまりのおぞましさに撮影現場からフケたという牧口雄二監督。

第1話はタイトルにもある「牛裂き」がメインの悲恋物語・・・・なんですけど、なにしろオムニバスなもんでストーリーは急ピッチで進行、それゆえ悲劇性は今ひとつ希薄でして、後に残るのは汐路章のやりたい放題ぶりと臓物ばかりでおました。

それこそ最初から最後まで拷問オンパレードでしたが、映画に出てくるような隠れキリシタンを磔にして火あぶりにするという処刑方法は、見せしめとしてはむしろ逆効果だったというのを、以前坂口安吾のエッセイで読んだことがあります。
なぜかというと、転ぶどころか神への感謝の気持ちを述べながら祈りを捧げつつ死んでいくので(本作でもそんな感じでしたね)、見物人はその姿に感動、キリシタンに改宗する者がむしろ増えちゃったんだとか。
だから、当局は何とかしてぶざまな姿で死ぬ方法はないものかと、一所懸命になって考えたのだそうな。

それから、イモリは焼いてから食べた方がいいと思うよ。

第2話は、拓ボンワンマンショー。

行きずりの酔っ払いに、

切れるかな~。

とか言われながら竹の鋸で首を切られちゃう展開には、悲惨というよりもなんだかおかしみすら漂います(それでいて切ないんだけど)。

お話としては、こっちの方がずっといいような。

貞操観念ゼロの淫乱娘・橘麻紀もよかったっす。
妊娠したばっかりにさんざんな目に遭う女郎役で、ちょっぴり好きな城恵美も出てたし。

ところで、拓ボンの鋸引きというと思い出すのがNHK大河ドラマ『黄金の日々』。
当時、『TVガイド』だったか『グラフNHK』だったかのカラーグラビア(見開き)に、

鋸引きにされる拓ボン

の写真が載っていて、それがすっごく怖かった記憶があります。
日曜午後8時の高視聴率番組で鋸引きなんて、今じゃ無理でしょうね、たぶん。

(於:シネマヴェーラ渋谷)