2015年3月30日月曜日

せんきち的観点からみた「安藤昇伝説」

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕

いのちしらず。

どうも。
トド@あったかくなって桜満開と同時にまたぞろ花粉症も満開……です。

さて。

来たる4月4日(土)からシネマヴェーラ渋谷にて開催される特集上映「祝・芸能生活50周年 安藤昇伝説」について、とてつもなく偏った映画ファンであるせんきち的観点による見どころをご紹介。

・『阿片大地 地獄部隊突撃せよ!』ニュープリント上映!!!

以前、旧ブログでも取り上げましたが、ペギー潘こと潘迎紫(ジミー先生の腕をちょん切った命知らずのじゃじゃ馬娘にして今ではアンチエイジング女優)がヒロインに抜擢され、安藤昇先生(こちらも先生)と共演した作品。
戦中派三部作の一作であるばかりでなく、満映OBである加藤泰監督による大陸映画というのも、見どころのひとつであると言えましょう。
もちろん、潘迎紫の初期作品であるという点においても。
せんきちがラピュタ阿佐ヶ谷で観たときには落命寸前のボロボロプリントだったのですけれど、このたび、ニュープリントで復活!、これを記念した山根貞男氏によるトークショーも開催されます(4月4日〔土〕18:00から)。

・湯浅浪男監督作品(『血と掟』『逃亡と掟』)の上映

後に台湾へ渡って彼の地に帰化、湯慕華となった湯浅浪男監督と安藤昇先生が組んだ3作品(『血と掟』『やさぐれの掟』『逃亡と掟』)の内、2作品が上映されます。
『血と掟』は、言わずと知れた安藤昇先生の映画デビュー作。
安藤先生が映画界入りしたいきさつに関しては、『映画俳優 安藤昇』(山口猛、2002年、ワイズ出版)にくわしいので ここでは割愛いたしますが、結論だけ簡単に言うと、映画界入りのきっかけを作ったのが湯浅監督だったという次第。
その後立て続けに3本の映画で湯浅監督と組むことになる安藤先生でしたが、その後は野村芳太郎監督や井上梅次監督、加藤泰監督といった一線の監督と組むことになり、やがて東映へ、という流れになることは周知の通り。
その安藤先生による湯浅監督評が『映画俳優 安藤昇』にありますが、

「湯浅は素人の俺が見ても、ひどい監督だもの。最初こそ俺は初めての体験で分からなかったけれども、映画の仕事を続けていれば分かるわな。俺でさて、これが映画なのかと思ったほどだった。」(96頁)
と、さんざんです。
しかし、その後も湯浅監督と安藤先生の縁は完全に切れたわけではなく、湯浅監督が台湾から一時帰国したさい、ひょっこり安藤先生の許を訪ねてきたことがあるそうです。

「…だけど、 一〇年くらい経って、忘れた頃に(恐らく湯浅がいったん帰国した昭和五〇年だと思われる)俺の家に遊びに来たことがあった。台湾の女優を連れてきて、俺に紹介したが、たいした女優ではなかったな。」(97頁)

台湾女優と共に帰国して、もう一度日本映画界で一旗挙げようとしたのでしょうか、その辺りのことは謎のままです。

ところで、拙ブログでは、これまで湯浅監督に関して何度か詳しく取り上げてまいりました。
以下は、それらの記事の一覧です(別ネタにちょこっと出てくるものも含む)。

朱洪武續集劉伯温傳 (A Story of "Lou Bo-Wen")〔2007年7月11日水曜日〕
湯浅浪男監督超不完全作品リスト(その1)〔2009年2月23日月曜日〕
湯浅浪男監督超不完全作品リスト(その2)〔2009年2月25日水曜日〕
湯浅浪男監督超不完全作品リスト(補遺)〔2009年5月15日金曜日〕
懷念的人〔2009年6月7日日曜日〕
一見鍾申(意味不明)(その2)〔2009年12月25日金曜日〕
一見鍾申(意味不明)(その3)〔2009年12月27日日曜日〕
原びじつかんへ行ってきました〔2011年7月8日金曜日〕
原びじつかんへ再び行ってきました〔2011年8月5日金曜日〕

また、湯浅監督作品で助監督を務め、湯浅監督の台湾での第1作『霧夜的車站』で主役(!)を演じた安藤達己監督(1938~2013)のインタビュー記事(「安藤達己監督インタビュー 幻の日台合作映画のこと、主演映画『霧夜的車站』のこと」)を台湾映画の研究誌『台湾映画 2009』(2009年、東洋思想研究所)に寄稿させて頂きました。

今回の特集上映で取り上げられる作品をご覧になる前に、ぜひともお読み下されば幸いです。

付記:湯浅浪男監督についてここのところ殆どブログで取り上げていなかったので、 「久しぶりに何か書くかー!」と思い、何気なく検索してみたところ、ウィキペディアに湯浅監督の項目ができていることを発見いたしました。
拝読する限りかなり充実した内容で、確認してみると、どうやら昨年(2014年)の8月から9月頃にかけて書かれたものであるようです。
監督の生年及び生地(注1)や台湾での作品リスト等、拙ブログや安藤監督へのインタビューを参考にして下さったと思しき記述も多く、当方の趣味の調べ物が少しでもお役に立ったとしたら嬉しいことだわと思い、注記と参考文献を確認したところ、どうしたことか拙ブログや安藤監督インタビューに関しては全く触れられていませんでした。
無論、「おたくのブログやインタビューは一切読んでいない。あくまで独自に調べたものだ」と言われてしまえばそれまでなのですけれど、少しでもこちらをご覧になっておられたのでしたら、どうかその旨明示して頂きたく存じます。
よろしくお願い申し上げます。

(注1)監督の生年及び生地を明記したのは『安藤達己監督インタビュー』が最初で、武久康高氏の「映画「神童桃太郎」「桃太郎斬七妖」(1970、台湾)について 戦後台湾における「桃太郎」」における記述はこれを踏襲したものです。ちなみに、監督の生年と生地に関しては、『中國時報』の報道にその記載があります。


2015年3月22日日曜日

大阪アジアン映画祭で観た映画のことなど(後編)

〔えいが〕

宿泊していたホテルの近所に
ある喫茶店「珈琲の名門 ジャバ」の
オーナー・ジャバ男さん(ウソ)。


どうも。
トド@牡丹餅地獄です。

というわけで、前回の続き。

(3月15日(日)に観た映画)
この日観た映画は、全てQ&A無し。

単身男女2(單身男女2)
一言で言うと、「トー先生、内地で資金回収映画」(爆)。
でも、こんなやっつけ仕事(スマソ)のラブコメでもそこそこ水準以上の仕上がりにしちゃうところが、やはり師匠(王天林)譲り。
前作に続き、今回もやっぱり高圓圓が全く魅力的に見えないのよ。
もしや、彼女のよさは見た目よりも…(以下自粛)。
古天樂がいろいろな意味で「ファイト!一発!」していますた。

バングラシア(猛加拉殺手)』(ツイッターのつぶやきまとめ)
本国(マレーシア)では検閲で上映に待ったがかかったという旧正月映画ですが、KLのインド人街でバングラデシュ人とマレー人が繰り広げるチープなソング&ダンスシーン等、インド映画ファンにもお薦め。
 「出稼ぎ労働者は出て行け!」と叫ぶ華人の名前がハン・グオレン(韓国人)で、先祖の名前がハン・トゥア(Hang Tuah)という点にもバカ受け。
そしてあのウェスタンルックは、『アリババ(Ali Baba Bujang Lapok)』辺りの引用なのでしょうか。
4月にシネマート六本木のクロージング企画として開催されるマレーシア映画特集でぜひ上映して欲しいっす。

 『ファニーを探して(Finding Fanny)』(ツイッターのつぶやきまとめ)
46年前に出した手紙を発端にしてお話が始まるというのは『海角七号』みたいだけれど、話の中身はまったく異なります。
老いた郵便局長・ファーディが初恋の女性に出した手紙が戻って戻ってきたことで彼が心の中にずっと閉まっていた秘密が露わになるわけですが、彼に限らずサビオもロージーもアンジ-も皆、それぞれの心の中に秘密を抱えています。
彼らの秘密はファーディの初恋の女性を探す旅の過程で徐々に明らかになっていきますが、そのきっかけとして重要な役割を果たすのがよそ者である画家のドン・ペドロ。 つまり、彼らの秘密は全て外部からもたらされるもの(戻ってきた手紙、ドン・ペドロ)によって明らかになっていきます。
そして、あの不幸な猫の出来事も、あまりにあっけないといえばそれまでなのですが、あの出来事をありのままに受け入れることにより、ロージーは自分の秘密に真正面から向き合うことができるようになったのではないでしょうか。 そう考えると、あの猫の果たした役割はとても大きいのであります。

アンジーはサビオよりも2歳年上という設定。
それゆえ、あの後の台詞も大胆かつ率直、そして姉さん女房的。
でも、ああいう台詞を口にするべっぴんさんもすこぶるかわゆい。
ちなみにアンジーはうんと年上の友人であるファーディに対しても母親のように接しています。
一方、ロージーは集落の長のような存在で、女性でありながら父権の象徴のようでもあります。
そしてこれは、彼女の女性としての内面が実は空っぽであることも表現しているように思うのです。

『ファニーを探して』のファニーとはファーディの初恋の女性であるステファニーのニックネームですが、この旅はファニーを探す旅であると同時に、それぞれの登場人物が、それぞれの人生の忘れ物を捜しに行く旅でもあったのだと思います。

ホイにおまかせ(let Hoi Deside)
カバちゃん系ゲイが主人公の、ベトナムの抱腹絶倒コメディ。
ホイだけに(?)、かつての香港おバカコメディ映画を髣髴とさせるベタなギャグ満載。
惚れた男性に接近するはずがノンケの女性に惚れられて…というお約束の展開を挟みつつ、最後は病院でのありえねー!バトルに持ち込む。
そういえば、麻酔薬のギャグは邵氏の艶笑喜劇にもあったような(追記:似たような別のギャグでした)。

そんなこんなで観た映画は9本。
うっかり京都に行ってしまい観られなかった『光と陰の物語:台湾新電影(光陰的故事 - 台灣新電影)』『ガルーダ・パワー(Garuda Power - The Spirit Within)』を観ればよかったと、今になって後悔しております。

東京国際映画祭のディスカバー枠でやってくれないかしらん……。

(ひとまづおしまい)

2015年3月20日金曜日

大阪アジアン映画祭で観た映画のことなど(前編)

〔えいが〕

あでやか!
邵音音姐!

どうも。
トド@ちょっと怒っていることがありますです。
ということで、忘れる前に大阪アジアン映画祭で観た映画のメモなんぞを。
9本あるので、前後編に分けてお届けいたします。

(3月13日(金)に観た映画)
すこーん!と突き抜けた青空のような、痛快娯楽青春映画。
ここに登場する少年たちは、貧困、家族の失踪、DV等、様々な問題を抱えていますが、「明日に向かってやったるでー!」という気概に充ちた姿勢が実にあっぱれ。
また、いついかなる時でも直立不動の姿勢を崩さない国父孫中山もあっぱれ。
易監督の原石発掘の才に、またしても舌を巻きました。
易智言監督と主役の2人。


『父の初七日(父後七日)』フィリピン編とでも呼びたい内容でしたが、コメディではなく、非常に丁寧で手堅い作りの作品でした。
家族の葛藤を描きつつも、舞台であるマリキナの主要産業であった靴(製靴)が主役の映画とあって、イメルダ・マルコス(ヒロインの名前もイメルダ!)ご本人が出てきたのにはびっくり。
ヒロインの子供時代を演じる子役の女の子が、アーリア・バットにクリソツでした。
しかし、なぜか長じて江角マキコに!
ミロ・スグエコ監督。

かつて金門島に実在した慰安所を舞台にした作品。
この作品を観ながらしきりと思い出したのが、かつて鈕承澤監督が主演した映画『バナナ・パラダイス(香蕉天堂)』。
そう考えてみると、この作品は1980年代から90年代にかけて作られた台湾における外省人の歩みを描いた作品群(『ある女の一生(我這樣過了一生)』『老兵の春(老莫的第二個春天)』『海峽兩岸』『童年往時 時の流れ(童年往時)』『赤い柿(紅柿子)』等)の延長線上に位置する映画のような気もします。
民主化し、本土化した台湾において、一口に外省人といっても、若い世代と一世、二世とでは、中国に対する感情(特に望郷の念)もかなり異なるのではないかと推測され、 そのような状況にある今、こういった作品が台湾の人々にどのように受け止められたのか、むしろその点に不肖せんきちなどは興味を持ってしまうのであります。
勿論、作品の題材としては今でなければ到底作り得なかった題材ではあるのですけれど。
今回の映画祭では美術監督さんがおみえになっていたので、女性たちの部屋の内装の違い(※)について質問をしたかったのですが、 時間切れで質問できなかったのが残念でした。

※慰安所で働く女性たちといっても十人十色で、例えば阿嬌という女性の部屋には鏡台脇に張美瑤の写真が飾られ、枕元には『梁山伯與祝英台』のサントラ盤のジャケットらしき物が貼ってあります。一方、妮妮の部屋には『藍與黑』(『赤と黒』ではありません)のような文学書やギターが置かれ、彼女はそのギターを奏でながら夜毎「帰らざる河(River of No Return)」を歌います。ここから、妮妮がおそらくは外省人のエリート家庭の出であることが暗示されるのです。
台湾ナイトでのフォトセッション。
観客席撮影に夢中の易監督w


(3月14日(土)に観た映画)

想像していたものとは、いい意味においても悪い意味においても全く異なっていた作品。
もっと派手な恐怖シーンやスペクタクルシーンがあるのかと思いきや、とても内省的、というか、個々の人間の心の中に潜む悪や魔性が、嵐の夜にやってきた悪魔憑きの若者によって一気に露わになる 、といった按配の映画でした。
チャリト(チェリト)・ソリスがかつてカルト教団に傾倒していた、というエピソードが登場人物の会話の中に出てきて、映画の内容とは全く関係のないところで感心してしまいますた。

ドド・ダヤオ監督

熱過ぎるバドミントン映画。
同じ負け犬映画として"Happy New Year"と比較してみたくなりました。
また、『きっと、うまくいく』と比べてみるのも面白いのではないかなあと思います。
この作品の結末とHNYや『きっと~』の結末との違いは、成熟社会である香港といまだ発展途上であるインドにおける負け犬の捉え方の違いを表しているように思えてなりません。
そしてこの香港の美しき負け犬たちに昨年の雨傘革命の若き闘士の姿を重ねたくなるのは、私だけでしょうか。
上映後のサイン会で、
念願だった音音姐とご対面。
せんきちが持参した『百媚千嬌』に
びっくり仰天の音音姐。
もちろん、この本に
サインを頂きましたわよ。

(後編につづく)

2015年3月16日月曜日

べっぴんさんを探して

〔ディーピカー・パードゥコーン〕〔べっぴんさん〕〔えいが〕

この映画のポスターは
数種類ありますが、
やはりこれを持って来ましたね!


どうも。
トド@大阪で食べ過ぎますたです。

ということで、行ってきました大阪アジアン映画祭。
今回は3月13日(金)から15日(日)の参加で計8本観る予定でしたが、現地で急遽もう1本観ることにしたので、結局9本観ました。
ちょっと期待していたものとは異なる作品もありましたが、おおむね楽しい作品ばかりで、これらの作品の感想についてはまた後ほど改めてアップするとして、まずはわれらがべっぴんさんことディーピカー・パードゥコーン(Deepika Padukone)嬢主演作『ファニーを探して(Finding Fanny)』 鑑賞を巡る顛末のご報告なんぞを。
3月13日(金)
お昼過ぎにABCホール着。
この日はここで3本(『コードネームは孫中山』『マリキナ』『軍中楽園』)観る予定でしたが、会場に足を踏み入れるなり、ロビー壁面にひときわ輝くべっぴんさんのポスターを発見!
さっそく、お友達に無理を言って写真を撮って頂きました。
いい年こいて
恥ずかしい
ピースサインw


ABCホールで肩こりと空腹に耐えつつ無事3本を鑑賞、大阪&東京の映画仲間とするめ天の会をすべく梅田に移動。
大阪駅近くの居酒屋「贔屓屋」でするめ天を食べつつグラスを傾けましたが、ここで不肖せんきちを待っていたのが「べっぴんハイボール」。
桃の味がスイートなハイボールでおました。
他にも「乙女」「おてんば」
「ちょい悪」「ハンサム」が
あなたをお待ちしております。

お約束w

これが話題のするめ天。
文字通り、するめの天ぷらなのですが、
東京の居酒屋ではついぞ見ないメニュー。
大阪行きの楽しみの一つです。


3月14日(土)
この日は午前中から京都へ。
今年も「京の冬の旅」の誘惑に負けました。
建仁寺の塔頭である霊源院で毘沙門天像や枯山水の庭を愛で、写仏もいたしました。
イケてる達磨大師。
その後大阪に戻り、ABCホールで2本鑑賞(『ヴァイオレーター』『全力スマッシュ』)。
昨日、ロビー壁面で輝いていたべっぴんさんが今度は壁を抜け出していたので、やっぱり写真撮影。
暴走中w


この日は『全力スマッシュ』のティーチイン&サイン会で盛り上がり、気づいたら午後10時近くに。
急いで宿泊地の最寄り駅である西田辺に移動、この日初めてお目にかかるインド映画ファンのyamaninさんと駅近くのインド料理店(SURAJ)で遅い夕食。
チーズナン。


午後11時20分頃、お店の方から「そろそろ閉店しますので」と言われたので引き上げようとしたところで、店のモニターにべっぴんさんが登場、「こ、これだけ観てもいいですか?」と思わずお店の方にお願いしてしまいました。
さすがはべっぴんさん。
外してないぜ。


3月15日(日)
この日は『ファニーを探して』の上映日。
その前に2本(『単身男女2』『バングラデシア』)鑑賞して、いよいよ『ファニーを探して』の上映。
インド映画ファンの間では名高い画伯が描いたべっぴんさんの肖像画がロビーに飾られていたので、ここでもさっそく記念撮影。



そして改めて、ポスターとも記念撮影をしました。




気になっていたお客さんの入りも、完売とまではいきませんでしたがほぼ満席の入りで、不肖せんきち、ほっと胸を撫で下ろしました。
この映画、派手な踊りは皆無の淡々としたロードムービーですが、劇中にちりばめられたシニカルなギャグに場内も笑いに包まれ、スクリーンでこの映画を観られたことに改めて感謝したい気持ちになりました。
ただ、上映に感謝すると同時に気になったことが少し。
・当初、監督の来日&舞台挨拶が公式サイトでアナウンスされていましたが、いつの間にやらその情報が削除されておりました。
来日がキャンセルになるのはいたし方のないことなので、できれば、そういう場合には「都合によりキャンセルになりました」とアナウンスした上でサイトから情報を削除して頂ければと思います。

・パンフレットの解説にはアルジュン・カプール演じるサビオのことをべっぴんさん演じるアンジーの「元カレ」としていましたが、ここはやはり「幼馴染」とすべきでしょう。
この2人が6年ぶりに再会してはたしてどうなるのか?というのが、この映画の見所の一つでもあります。
ということで上映も無事終了、 不肖せんきちはシネリーブル梅田に移動して『ホイにおまかせ』を鑑賞後、夜行バスで帰途に着きました。

大阪アジアン映画祭、東京国際映画祭とはまた違った手作り感のあるぬくもりに満ちた映画祭で、この雰囲気はいつまでも大切にしてほしいなあと映画祭を愛する者の1人として切に願うものであります。
そしてまだこの映画祭におみえになったことがない方も、来年はぜひ足を運んで頂きたく思います。
(そんなこんなでとりあえずの報告終了)