〔ちょっとお耳に〕〔たび〕〔これでも食らえ!〕
どうも。
トド@疲れてます。
さて、本日は今回の旅で出会った、意外においしいスナック菓子のご紹介。
それは、日本でもおなじみドリトスの
三杯雞味。
アメリカ生まれのスナック菓子を無理やり台湾化してしまった力技の一品で、日本で言えば、
もつ煮込み味
みたいなものでしょうが、これがなかなかどうして、くせになる味なのですよ。
お値段もお手頃価格(70円ぐらい)なので、旅先で食べるもよし、バラマキ土産にもよしの一品だと思います。
これに比べると、日本のドリトスはメキシカン・タコス味とナチョ・チーズ味のみという、全く工夫のないラインナップですねえ。
もつ煮込み味が無理なら、せめてすき焼き味でも作ってほしいものです。
おまけ:グルメ話ではありませんが。
せんきちの宿泊先(京都商務旅館)のMRT最寄駅は中山駅だったのですが、その途中にあるのが名高い日系ホテルであるところの老爺大酒店(最近は台湾でも「酒店」が幅を利かせてるね)。
こちら、せんきちの台北におけるお気に入りホテルの1つでありますが、先だっての東京国際映画祭で上映された『ビューティフル・クレイジー(亂青春)』では、援助交際の現場として登場しておりました。
そんなわけで、この間中山駅に行くため前を通った時も、せんきちの脳裏には「エンコー、エンコー、エンコー」と「援交」の2文字が駆け廻り続け、お気に入りホテルの座から滑り落ちること必定の事態に陥っております。
しかし、なんでああいうネタで撮影許可したかねえ。わからん。
2008年11月29日土曜日
夜更けの誠品
〔たび〕
おまけ。
この時代に出会っていても、
林煕蕾は彼を捨てただろうか。
どうも。
トド@肥満道まっしぐらです。
せんきちが旅に出るたびに具合が悪くなる婆さん。
今回も帰ってきたら、床ずれの状態が悪化していますた。
てなわけで、帰国後、皮膚科の往診、内科の往診(また熱を出しますた)、通常のマットレスからエアマットレスへの交換、医者の勧めで訪問看護師に来てもらうことになったその打ち合わせ等々、婆さんの介護漬けの一週間を過ごしますた。
おかげさまで、看護師さんは来週の金曜日から来てくれることになりますた。
床ずれのケアは、毎日(傷口を洗浄した後で)薬を塗ったガーゼを取り換えねばならず、なんだか大変ですわ。
そんな中、切符を無駄にするのも何なので、行ってきますたフィルメックス。
杜琪峰監督の『文雀』ざます。
去年の『放・逐』は「西部劇」ですたが、今年は「街で見かけたちょっといい話」ですた。
なんだかんだ言って、最後は女そっちのけで「男の勝負!」になっちゃうのね、あんたら。
盧海鵬が金子信雄に見えますた(クーッキン、クーッキン、クーッキン←『楽しい夕食』挿入歌の一節)。
音楽が気に入ったので、さっそくサウンドトラック盤を注文しますたが、到着まで3週間から5週間だって。
とほほ・・・・。
林煕蕾が金庫の鍵を待つシーンで思いがけず王星璉旧居跡が映り、尤敏迷であるせんきちは雌伏、もとい、私腹のひと時を過ごしますた(一瞬だけだけど)。
帰りがけ、有楽町駅前の中園亭でお友達と食事を摂ろうとしていたら、フィルムセンター帰りのもんぞうさんとばったり。
もんぞうさんも合流して、4人で食卓を囲みますた。
酔っぱらったサラリーマンのおやじが、ホール係のお兄ちゃん(中国人)を「○ャンコロ!」と罵倒、一瞬店内の空気が凍りつきますたが、お兄ちゃんも負けずに「出てけ!」とおやじを追い出していますた。
しかし、いまだにこんな日本人がいるとは。
恥ずかしい・・・・。
さて。
旅行の報告をちょっこし。
11月22日(土)
午前9時半の飛行機(全日空と長榮の共同運航便)に乗るため、午前4時半に起床。
眠いよ、眠いよ、眠いよ。
ずっと寝ていくつもりだったけれど、機内でなぜか香港映画(『七月好風』)をやっていたので鑑賞。
お話自体は悪くありませんでしたが、お母さんの年と香港へやってきた時代背景の計算が合わず、そのことがずーっと気になって気になって仕方がありませんですた。
12時半過ぎに桃園国際空港着。
携帯電話を借りた後、國光客運のバスに乗って國賓大飯店バス停で下車、ホテルへ。
今回のお宿は、昨年暮れにもお世話になった京都商務旅館。
このたびは、1人でダブルルームに宿泊です。
前回よくしていただいたお礼にお土産を持参したところ、社長さん直々に名刺とお茶を下さり、「ぜひお友達にも宣伝して下さい」と頼まれますた。
はい、宣伝しますたよ。
何だかんだあって、ホテルへ着いたのは午後2時過ぎ。
先に台北入りしていたA*mei-projectのjingさん(今回の旅ではいろいろお世話になりますた)と連絡をとり、待ち合わせ場所である誠品信義旗艦店へ。
DVD売り場でお買い物をした後、本日のイベント(台灣啤酒巨星演唱會 愛上青ㄟ地球)会場である台北展演二館(旧・台北世貿二館)に移動。
朝から並んでいた羅志祥迷にして妹迷でもあるMさんからチケットを受け取り、遅ればせながら我々も列の最後尾に合流(午後4時過ぎ)。
で。
午後6時開場、午後7時に開演して、前座の皆さんの歌の後、台湾ビールのバスケットボールチームのゆるーいパフォーマンスに続いてようやくメインに突入、蕭敬騰、羅志祥、そして大トリである阿妹が登場したのが午後9時前。
更年期が近い中年デブに長時間の立ちっぱなしは「辛い」の一言に尽きますたが、阿妹が出てくればそんなことは関係なし、年甲斐もなく終演(午後10時)まで発狂し続けますた。
東京のライブでは歌ってくれなかった「三天三夜」も、アンコールで歌って盛り上げてくれ、うれしい限り。
ところで、今回のダンサーさん、六本木春美似の人が多かったですけど、狙ったんですか、あれ。
六本木春美について知りたい方は、
この映画をご覧下さい。
終演後、遅れて到着した関西の妹迷・Iさんとも合流して、現地の妹迷の皆様の先導で近くの華納威秀にあるフードコートにて機内食以来のお食事。
イカのすり身とするめ入りのとろみ麺(名前失念)がうまかったっす。
お腹がいっぱいになったら、ホテルへ帰る前に昼間のお買い物の続き。
週末は午前2時まで開いている誠品へ再び潜入。
また本やらDVDやら買い込んでしまいますた。
以下は、その一部です。
気づいたら、胡金銓まつりに。
新旧取り混ぜてみますた。
李行の本は、買わなければと思いつつ
ついそのままになっていた物。
今回、ようやく購入。
そんなこんなでホテルへ戻ったのは午前1時近かったっす。
眠いよ、眠いよ、眠いよ。
(たぶん続くと思う)
この時代に出会っていても、
林煕蕾は彼を捨てただろうか。
どうも。
トド@肥満道まっしぐらです。
せんきちが旅に出るたびに具合が悪くなる婆さん。
今回も帰ってきたら、床ずれの状態が悪化していますた。
てなわけで、帰国後、皮膚科の往診、内科の往診(また熱を出しますた)、通常のマットレスからエアマットレスへの交換、医者の勧めで訪問看護師に来てもらうことになったその打ち合わせ等々、婆さんの介護漬けの一週間を過ごしますた。
おかげさまで、看護師さんは来週の金曜日から来てくれることになりますた。
床ずれのケアは、毎日(傷口を洗浄した後で)薬を塗ったガーゼを取り換えねばならず、なんだか大変ですわ。
そんな中、切符を無駄にするのも何なので、行ってきますたフィルメックス。
杜琪峰監督の『文雀』ざます。
去年の『放・逐』は「西部劇」ですたが、今年は「街で見かけたちょっといい話」ですた。
なんだかんだ言って、最後は女そっちのけで「男の勝負!」になっちゃうのね、あんたら。
盧海鵬が金子信雄に見えますた(クーッキン、クーッキン、クーッキン←『楽しい夕食』挿入歌の一節)。
音楽が気に入ったので、さっそくサウンドトラック盤を注文しますたが、到着まで3週間から5週間だって。
とほほ・・・・。
林煕蕾が金庫の鍵を待つシーンで思いがけず王星璉旧居跡が映り、尤敏迷であるせんきちは雌伏、もとい、私腹のひと時を過ごしますた(一瞬だけだけど)。
帰りがけ、有楽町駅前の中園亭でお友達と食事を摂ろうとしていたら、フィルムセンター帰りのもんぞうさんとばったり。
もんぞうさんも合流して、4人で食卓を囲みますた。
酔っぱらったサラリーマンのおやじが、ホール係のお兄ちゃん(中国人)を「○ャンコロ!」と罵倒、一瞬店内の空気が凍りつきますたが、お兄ちゃんも負けずに「出てけ!」とおやじを追い出していますた。
しかし、いまだにこんな日本人がいるとは。
恥ずかしい・・・・。
さて。
旅行の報告をちょっこし。
11月22日(土)
午前9時半の飛行機(全日空と長榮の共同運航便)に乗るため、午前4時半に起床。
眠いよ、眠いよ、眠いよ。
ずっと寝ていくつもりだったけれど、機内でなぜか香港映画(『七月好風』)をやっていたので鑑賞。
お話自体は悪くありませんでしたが、お母さんの年と香港へやってきた時代背景の計算が合わず、そのことがずーっと気になって気になって仕方がありませんですた。
12時半過ぎに桃園国際空港着。
携帯電話を借りた後、國光客運のバスに乗って國賓大飯店バス停で下車、ホテルへ。
今回のお宿は、昨年暮れにもお世話になった京都商務旅館。
このたびは、1人でダブルルームに宿泊です。
前回よくしていただいたお礼にお土産を持参したところ、社長さん直々に名刺とお茶を下さり、「ぜひお友達にも宣伝して下さい」と頼まれますた。
はい、宣伝しますたよ。
何だかんだあって、ホテルへ着いたのは午後2時過ぎ。
先に台北入りしていたA*mei-projectのjingさん(今回の旅ではいろいろお世話になりますた)と連絡をとり、待ち合わせ場所である誠品信義旗艦店へ。
DVD売り場でお買い物をした後、本日のイベント(台灣啤酒巨星演唱會 愛上青ㄟ地球)会場である台北展演二館(旧・台北世貿二館)に移動。
朝から並んでいた羅志祥迷にして妹迷でもあるMさんからチケットを受け取り、遅ればせながら我々も列の最後尾に合流(午後4時過ぎ)。
で。
午後6時開場、午後7時に開演して、前座の皆さんの歌の後、台湾ビールのバスケットボールチームのゆるーいパフォーマンスに続いてようやくメインに突入、蕭敬騰、羅志祥、そして大トリである阿妹が登場したのが午後9時前。
更年期が近い中年デブに長時間の立ちっぱなしは「辛い」の一言に尽きますたが、阿妹が出てくればそんなことは関係なし、年甲斐もなく終演(午後10時)まで発狂し続けますた。
東京のライブでは歌ってくれなかった「三天三夜」も、アンコールで歌って盛り上げてくれ、うれしい限り。
ところで、今回のダンサーさん、六本木春美似の人が多かったですけど、狙ったんですか、あれ。
この映画をご覧下さい。
終演後、遅れて到着した関西の妹迷・Iさんとも合流して、現地の妹迷の皆様の先導で近くの華納威秀にあるフードコートにて機内食以来のお食事。
イカのすり身とするめ入りのとろみ麺(名前失念)がうまかったっす。
お腹がいっぱいになったら、ホテルへ帰る前に昼間のお買い物の続き。
週末は午前2時まで開いている誠品へ再び潜入。
また本やらDVDやら買い込んでしまいますた。
以下は、その一部です。
ついそのままになっていた物。
今回、ようやく購入。
そんなこんなでホテルへ戻ったのは午前1時近かったっす。
眠いよ、眠いよ、眠いよ。
(たぶん続くと思う)
2008年11月26日水曜日
台北に行ってきますた
〔たび〕〔しようもない日常〕
王朝大酒店にて。
どうも。
トド@六一〇ハップ製造中止ショックです。
婆さんの介護生活1周年を記念(?)して休暇を頂いたので、2泊3日という強行軍で無理やり台北に行ってきますた。
今回の旅の最大の目的は愛する阿妹に会うことですたが、映画もどうにかこうにか3本(『渺渺』『一八九五』『海角七號』←幕張に行けなかったもんで)観ることができますた。
ま、それらの話は追々することにいたします。
ではでは。
どうも。
トド@六一〇ハップ製造中止ショックです。
婆さんの介護生活1周年を記念(?)して休暇を頂いたので、2泊3日という強行軍で無理やり台北に行ってきますた。
今回の旅の最大の目的は愛する阿妹に会うことですたが、映画もどうにかこうにか3本(『渺渺』『一八九五』『海角七號』←幕張に行けなかったもんで)観ることができますた。
ま、それらの話は追々することにいたします。
ではでは。
2008年11月19日水曜日
東洋のハリウッド
〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕
どうも。
トド@風邪ひきますたです。
頭が痛いっす。
日曜日(16日)の朝。
いつもの休日より少し早起き(午前6時30分)したせんきちがテレビをつけると、「あ、そう」総理が記者会見をしていますた。
チャンネル変えるのも面倒なので、そのままにして朝食を摂っていたところ、海原お浜、じゃなくて、バラク・オバマ(Barack Obama)次期アメリカ大統領について外国人記者に聞かれた総理が、
「インテリジェンスがえらく高そうな英語だった」
とコメント、せんきちは食べかけのパンをのどに詰まらせそうになりますた。
KY総理にかかると、アメリカの次期大統領も「下々の皆様」の1人に成り下がってしまうようです。
これまでの良好な日米関係をフシュウして、ハンザツに往来してね!
さて。
えー、すでに昨日(18日)の話で恐縮なんですが、『朝日新聞』朝刊の「歴史を歩く」(「週刊アジア」所収)で、香港映画が取り上げられています。
タイトルは、「東洋のハリウッド」(ありきたりだけど)。
朝日新聞購読者の方は既にお読みになっているかと思いますが、そーでない方は、新聞専売所でお求めになるか、図書館に縮刷版が入るまで気長にお待ちください。
なんと、ウェブ版でも「朝日新聞購読者」じゃないと見られないのよ~ん。
商売、商売。
記事中、陳可辛監督の、
「今世紀に入ってタイ、韓国、日本、台湾などと共同で映画製作を進めてきた。各国の映画界が力を合わせれば、市場はもっと広がる」
というコメントを読んで、かつて日本映画界が斜陽を迎えたときの対応とほとんど違わない発想に唖然、とまでは言いませんが、この道はいつか来た道~、と、感慨にふけってしまいますた。
記事ではこの後、
今は狙いを大陸に定め、北京に事務所を開くために年の半分を首都で過ごす。
とあって、大陸の巨大マーケットへの売り込みに腐心する陳監督の姿が描かれております。
かつて左派と右派に分かれてしのぎを削っていた日々がうそのようですわね。
他にも舒琪せんせいへのインタビュー等が載っていますたが、人名表記が漢字のみ、カタカナと漢字併記、カタカナのみ、とばらばらで、わかりにくいことこの上なかったです。
ちなみに、陳可辛監督と舒琪せんせいの表記は、カタカナのみですた。
全部漢字で書いて下さい。
どうも。
トド@風邪ひきますたです。
頭が痛いっす。
日曜日(16日)の朝。
いつもの休日より少し早起き(午前6時30分)したせんきちがテレビをつけると、「あ、そう」総理が記者会見をしていますた。
チャンネル変えるのも面倒なので、そのままにして朝食を摂っていたところ、海原お浜、じゃなくて、バラク・オバマ(Barack Obama)次期アメリカ大統領について外国人記者に聞かれた総理が、
「インテリジェンスがえらく高そうな英語だった」
とコメント、せんきちは食べかけのパンをのどに詰まらせそうになりますた。
KY総理にかかると、アメリカの次期大統領も「下々の皆様」の1人に成り下がってしまうようです。
これまでの良好な日米関係をフシュウして、ハンザツに往来してね!
さて。
えー、すでに昨日(18日)の話で恐縮なんですが、『朝日新聞』朝刊の「歴史を歩く」(「週刊アジア」所収)で、香港映画が取り上げられています。
タイトルは、「東洋のハリウッド」(ありきたりだけど)。
朝日新聞購読者の方は既にお読みになっているかと思いますが、そーでない方は、新聞専売所でお求めになるか、図書館に縮刷版が入るまで気長にお待ちください。
なんと、ウェブ版でも「朝日新聞購読者」じゃないと見られないのよ~ん。
商売、商売。
記事中、陳可辛監督の、
「今世紀に入ってタイ、韓国、日本、台湾などと共同で映画製作を進めてきた。各国の映画界が力を合わせれば、市場はもっと広がる」
というコメントを読んで、かつて日本映画界が斜陽を迎えたときの対応とほとんど違わない発想に唖然、とまでは言いませんが、この道はいつか来た道~、と、感慨にふけってしまいますた。
記事ではこの後、
今は狙いを大陸に定め、北京に事務所を開くために年の半分を首都で過ごす。
とあって、大陸の巨大マーケットへの売り込みに腐心する陳監督の姿が描かれております。
かつて左派と右派に分かれてしのぎを削っていた日々がうそのようですわね。
他にも舒琪せんせいへのインタビュー等が載っていますたが、人名表記が漢字のみ、カタカナと漢字併記、カタカナのみ、とばらばらで、わかりにくいことこの上なかったです。
ちなみに、陳可辛監督と舒琪せんせいの表記は、カタカナのみですた。
全部漢字で書いて下さい。
2008年11月12日水曜日
空飛ぶロダン
〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕
元祖まりもっこり。
どうも。
トド@人生に疲れますたです。
ちょっと目を離したすきに婆さんの床ずれが悪化、ドレッシング材を貼って気長に完治を待つ日々です。
さて。
学芸員Kさんのブログ「香港つめホーダイ」で教えていただいた雑誌『イラストレーション』11月号。
1950年代の香港映画の特刊(で、いいのかな。一応、ここではそう呼びます)の表紙写真が多数掲載されているというので(「画家 大竹伸朗が選んだ創作を刺激する本50 理性編・本能編」の内、「本能編」所収。雑誌内では「中国映画」とされていますが、どこからどう見ても香港映画です)、さっそく購入いたしました。
ざっと見渡したところ広東語映画が中心で、中でも新聯と光藝が多く、特に光藝作品が目立ちました。
で、光藝といえばニコパパ(謝賢)ですんで、『情賊』『999 廿四小時奇案』といったニコパパが表紙の特刊がそこここに。
追記:『999 廿四小時奇案』の特刊は、方保羅の『圖説 香港電影史』(1997年、三聯書店)102頁にも掲載されていますが、そちらが「写真:黒、タイトル:緑」だったのに対して、『イラストレーション』掲載の特刊は「写真:青、タイトル:赤」と、どうやら別本のようです。
って、なんだか書誌学的領域に入ってしまいますた・・・・。
不肖せんきち、電懋作品の特刊は何冊か所有しているのですが、それらの表紙がカラー写真なのに比べて、こちらの表紙はいかにもキッチュな2~3色刷。
でも、そこが逆に何とも言えぬ郷愁を誘います。
新聯と光藝作品以外ですと、邵氏の広東語映画も何本かありましたが、中でも『寶島神珠』(1957)は日本ロケを行った作品で、タイトルと特刊表紙(ビキニ姿に水中メガネのお姉ちゃんが網を持って立っている)から察するに、日本の海女映画の影響下にある作品のようです。
素晴らしきかな、海女映画!
また、日本映画の特刊も数冊ありましたので、中文タイトルと原題を対照させてみますた。
『飛天怪獣(空の大怪獣 ラドン)』
『地球防衛軍(地球防衛軍)』
『太空飛俠 大戦怪星人(鋼鉄の巨人 怪星人の魔城)』
『太空飛俠 大戦宇宙怪人(スーパー・ジャイアンツ 宇宙怪人出現)』
『海底覇龍(大巨獣ガッパ)』
『惹火美人魚(女真珠王の復讐)』
『絶海裸女(絶海の裸女)』
『四谷怪談之二 驚魂鬼火(東海道四谷怪談)』
特撮物&大蔵新東宝人気大爆発!
の様相を呈していますが、せんきちが以前取り上げた1961年4月14日付『報知新聞』の記事(海外へ進出する邦画)によれば、新東宝の作品は1本あたり360万円で香港や台湾へ輸出されており、他の5社作品に比べるとかなり単価が低かったせいもあって、「安く買ってたくさん儲ける」にはうってつけの映画だったのでしょう。
当時の香港映画にはない、エログロ描写も満載でしたし。
上記の日本映画群は、大半が1950年代後半の作品ですが、なぜか1本だけ1967年の『大巨獣ガッパ』がありますた。
これも香港における特撮物の人気を物語る現象の一つ、と言えるでしょうか。
ちなみに、『飛天怪獣(空の大怪獣 ラドン)』の特刊表紙は、『跨界的香港電影』(2000年、康楽及文化事務署)の113頁にも、図版(白黒)が掲載されていますが、なぜか英文表記が、
RODAN
になっています。
考える人が空を飛ぶ・・・・(あ、でも、ロダンはRodinか)。
さらに、『絶海裸女(絶海の裸女)』は新東宝作品であるにも関わらず、
日本東寶公司出品
と、思いきり間違えており、表紙には
オパーイ丸出しのお姉ちゃんが2人
波間に漂っているイラストが掲載されていますた。
はたして実際の作品に、オパーイポロリがあるのかどうか、不肖せんきち、当該作品を未見なので、確認できておりません。
『イラストレーション』内の説明によれば、大竹氏が所蔵している特刊は全部で約100冊。
誌上には70冊の表紙が掲載されており、(同じものもあるそうですが)今回掲載されなかった他の作品の特刊も見てみたいものですし、資料的にもかなり価値のあるものだと思います。
付記:学芸員Kさんもお書きになっていらっしゃいますが、「理性編」のトップに『大図解 九龍城』が登場しています。
この本の著者である九龍城探検隊・隊長のSさんは、3年ほど前、お亡くなりになりましたが、晩年、当方も親しくお付き合いさせていただきました。
Sさんがお元気だったら、この雑誌をお見せしたかったです。
どうも。
トド@人生に疲れますたです。
ちょっと目を離したすきに婆さんの床ずれが悪化、ドレッシング材を貼って気長に完治を待つ日々です。
さて。
学芸員Kさんのブログ「香港つめホーダイ」で教えていただいた雑誌『イラストレーション』11月号。
1950年代の香港映画の特刊(で、いいのかな。一応、ここではそう呼びます)の表紙写真が多数掲載されているというので(「画家 大竹伸朗が選んだ創作を刺激する本50 理性編・本能編」の内、「本能編」所収。雑誌内では「中国映画」とされていますが、どこからどう見ても香港映画です)、さっそく購入いたしました。
ざっと見渡したところ広東語映画が中心で、中でも新聯と光藝が多く、特に光藝作品が目立ちました。
で、光藝といえばニコパパ(謝賢)ですんで、『情賊』『999 廿四小時奇案』といったニコパパが表紙の特刊がそこここに。
追記:『999 廿四小時奇案』の特刊は、方保羅の『圖説 香港電影史』(1997年、三聯書店)102頁にも掲載されていますが、そちらが「写真:黒、タイトル:緑」だったのに対して、『イラストレーション』掲載の特刊は「写真:青、タイトル:赤」と、どうやら別本のようです。
って、なんだか書誌学的領域に入ってしまいますた・・・・。
不肖せんきち、電懋作品の特刊は何冊か所有しているのですが、それらの表紙がカラー写真なのに比べて、こちらの表紙はいかにもキッチュな2~3色刷。
でも、そこが逆に何とも言えぬ郷愁を誘います。
新聯と光藝作品以外ですと、邵氏の広東語映画も何本かありましたが、中でも『寶島神珠』(1957)は日本ロケを行った作品で、タイトルと特刊表紙(ビキニ姿に水中メガネのお姉ちゃんが網を持って立っている)から察するに、日本の海女映画の影響下にある作品のようです。
素晴らしきかな、海女映画!
また、日本映画の特刊も数冊ありましたので、中文タイトルと原題を対照させてみますた。
『飛天怪獣(空の大怪獣 ラドン)』
『地球防衛軍(地球防衛軍)』
『太空飛俠 大戦怪星人(鋼鉄の巨人 怪星人の魔城)』
『太空飛俠 大戦宇宙怪人(スーパー・ジャイアンツ 宇宙怪人出現)』
『海底覇龍(大巨獣ガッパ)』
『惹火美人魚(女真珠王の復讐)』
『絶海裸女(絶海の裸女)』
『四谷怪談之二 驚魂鬼火(東海道四谷怪談)』
特撮物&大蔵新東宝人気大爆発!
の様相を呈していますが、せんきちが以前取り上げた1961年4月14日付『報知新聞』の記事(海外へ進出する邦画)によれば、新東宝の作品は1本あたり360万円で香港や台湾へ輸出されており、他の5社作品に比べるとかなり単価が低かったせいもあって、「安く買ってたくさん儲ける」にはうってつけの映画だったのでしょう。
当時の香港映画にはない、エログロ描写も満載でしたし。
上記の日本映画群は、大半が1950年代後半の作品ですが、なぜか1本だけ1967年の『大巨獣ガッパ』がありますた。
これも香港における特撮物の人気を物語る現象の一つ、と言えるでしょうか。
ちなみに、『飛天怪獣(空の大怪獣 ラドン)』の特刊表紙は、『跨界的香港電影』(2000年、康楽及文化事務署)の113頁にも、図版(白黒)が掲載されていますが、なぜか英文表記が、
RODAN
になっています。
考える人が空を飛ぶ・・・・(あ、でも、ロダンはRodinか)。
さらに、『絶海裸女(絶海の裸女)』は新東宝作品であるにも関わらず、
日本東寶公司出品
と、思いきり間違えており、表紙には
オパーイ丸出しのお姉ちゃんが2人
波間に漂っているイラストが掲載されていますた。
はたして実際の作品に、オパーイポロリがあるのかどうか、不肖せんきち、当該作品を未見なので、確認できておりません。
『イラストレーション』内の説明によれば、大竹氏が所蔵している特刊は全部で約100冊。
誌上には70冊の表紙が掲載されており、(同じものもあるそうですが)今回掲載されなかった他の作品の特刊も見てみたいものですし、資料的にもかなり価値のあるものだと思います。
付記:学芸員Kさんもお書きになっていらっしゃいますが、「理性編」のトップに『大図解 九龍城』が登場しています。
この本の著者である九龍城探検隊・隊長のSさんは、3年ほど前、お亡くなりになりましたが、晩年、当方も親しくお付き合いさせていただきました。
Sさんがお元気だったら、この雑誌をお見せしたかったです。
2008年11月7日金曜日
アメリカを湧かせた朝丘雪路・・・よりも葛蘭が気になる
〔ちょっとお耳に〕
朝丘雪路といえば、これよねえ、やっぱり。
どうも。
トド@発狂する婆さんを薬で眠らせましたです。
今日は、困ったときの古雑誌ネタ。
1959年、葛蘭がアメリカで「ダイナ・ショア・ショウ」に出演したとき、日本代表として一緒に出演していたのが朝丘雪路であることは、葛蘭のファンサイトにおいても紹介されていますが、今回、その折のことを取り上げた『週刊平凡』1959年12月2日号が見つかったので、ちょっこしご報告。
記事のタイトルは、
アメリカを湧かせた朝丘雪路。
泣かせた、じゃないよ。
全体像。
残念ながら、記事本文は、
十月二十五日、アメリカNBC放送局に招かれ、ミュージカル番組「ダイナ・ショア・ショウ」に出演、好評を得て三十日帰国した朝丘雪路の出演当日の最新カラー写真が到着した。(略)
主演者のダイナ・ショアに大変可愛がられた雪路は、ショウマンとしての実力も買われ、この番組では「最高の視聴率」と絶賛された。(後略)
と、朝丘雪路の動向オンリーで葛蘭に関する言及はないのですが、2枚あるカラー写真の内1枚に葛蘭も写っており、
写真右からグレース・チャン、ダイナ・ショア、朝丘雪路
と、ちゃんと名前も書いてありますた。
朝丘さん、このときのこと、ちゃんと覚えているかしらん?
どうも。
トド@発狂する婆さんを薬で眠らせましたです。
今日は、困ったときの古雑誌ネタ。
1959年、葛蘭がアメリカで「ダイナ・ショア・ショウ」に出演したとき、日本代表として一緒に出演していたのが朝丘雪路であることは、葛蘭のファンサイトにおいても紹介されていますが、今回、その折のことを取り上げた『週刊平凡』1959年12月2日号が見つかったので、ちょっこしご報告。
記事のタイトルは、
アメリカを湧かせた朝丘雪路。
残念ながら、記事本文は、
十月二十五日、アメリカNBC放送局に招かれ、ミュージカル番組「ダイナ・ショア・ショウ」に出演、好評を得て三十日帰国した朝丘雪路の出演当日の最新カラー写真が到着した。(略)
主演者のダイナ・ショアに大変可愛がられた雪路は、ショウマンとしての実力も買われ、この番組では「最高の視聴率」と絶賛された。(後略)
と、朝丘雪路の動向オンリーで葛蘭に関する言及はないのですが、2枚あるカラー写真の内1枚に葛蘭も写っており、
写真右からグレース・チャン、ダイナ・ショア、朝丘雪路
と、ちゃんと名前も書いてありますた。
朝丘さん、このときのこと、ちゃんと覚えているかしらん?
2008年11月5日水曜日
追憶の切符 (車票)
〔えいが〕
2008年、中国・香港(驕陽電影有限公司・北京稻草熊影視文化有限公司)。張之亮監督。左小青、呉奇隆、葉童、午馬、他。
11月3日、文化の日。
『放・逐』舞台挨拶つき試写会招待状を盟友・リネンさんに託し、あっしは生じぇいこぶの姿を拝むため、NHKふれあい広場ホールにて『追憶の切符(車票)』を鑑賞。
ストーリーは・・・・すいません、NHKアジア・フィルム・フェスティバル公式サイトから引用(一部加筆・改変)します。
テレビ局のレポーターとして北京で働く雨桐(左小青)。実は赤ん坊の頃、教会の前に捨てられ、孤児として育っていた。今でも自分を捨てた両親にわだかまりを持っているのだが、育ての母であるシスター(葉童)が亡くなったことで実の親を捜すことになる。雲南省の雄大な風景をバックに、幼馴染みの志軒(呉奇隆)、ちょっぴり愉快な運転手兼ガイド(午馬)の助けを得てわずかな手がかりをたどっていく雨桐。その旅は自分が成長する旅でもあった・・・・。
原作(李家同の短編『車票』)の舞台は台湾(原作者が育ったのはこちら)だったのに、中国大陸の巨大マーケットを意識した結果、中国に舞台を移すことになり、そのため設定にかなりの無理が見られますた。
根掘り葉掘りが大好きないやらしい中年女・せんきちが、この映画を観ていてどうにも気になった点を、以下に挙げると・・・・。
・今なお公式にはバチカンとの断絶状態が続いている中国において、カトリックの教会を物語の支柱に据えたことにより、ヒロインの親探しもさることながら、シスターが何故に神に出会い、何故に信仰を持つに至り、何故に修道女となったのか、そのことがとても気になってしまうのでありますた。
映画化にあたって、原作者からは「宗教的な背景はいっさい変えてくれるな」との要請があったそうですが(上映後のQ&Aにおける監督のコメント)、当初、監督は哈爾濱で撮影することも考えていたといい、となると、東方正教の可能性も出てくるわけで(←「もしも哈爾濱で撮影を行っていたら、東方正教の教会が選ばれていた可能性もあるのではないか」の意)、よけいやっかいなことになっていたのではないかしらん?(哈爾濱じゃ、文革のときには教会が丸ごとぶっ壊されてるしねえ)
また、実際の雲南少数民族の間において、カトリックがどれだけ浸透しているのか(台湾は原住民のカトリック率高し)、そのことも知りたくなってしまったっす。
シスターといえば・・・・。
・ヒロインと幼馴染は少数民族ですが、かたやテレビ局のレポーター、かたや外資系企業(推定)勤務(共に北京在住)という、いわば「スーパーエリート」達です。しかも吹替のせいでとってもなめらかな普通話を話しており、そのことが二人のエリート色をいっそう強めることともなっています(ヒロインはテレビ局勤務だから、ちゃんとした普通話を話す必要があるとは思うけど)。
しかし、二人の故郷である雲南省には、そんな右肩上がりの人生とは無縁の、昔ながらのくらし(というと聞こえはいいが、経済的にはもちろん赤貧)を送っている人たちが無数にいるのです。
そのような状況の中、なぜ二人が(中共にとって)選ばれし民となり得たのか、その理由がすっげー気になります(本人の努力だけじゃないと思うよ、たぶん)。
そして、あの貧しいお母さんは、どうやって北京行きの切符を調達したのでしょうか。
・先にもちらりと述べた通り、この映画の役者さんの台詞は吹替で、その理由はといえば、茶通さんのブログによると、「香港の役者だと吹替なしの場合、シリアスな場面でも観客から笑いが起こってしまうから」との由(監督のコメント)。
そうはいっても、この映画は雲南省が舞台なのですから、別に吹替じゃなくてもいいと思うのですが。
もしも監督のおっしゃる理由が事実だとすると、台湾映画で台湾の役者が話す台湾国語はどうなるんでしょうかねえ。これも笑われちゃうんでしょうか。
そんなわけで、「台湾が舞台なら、もっと素直に感情移入できたのになあ」と非常に残念に思いますたが、人探し&ヒロインの心の成長というパターンは、あっしの大好きな張監督作品『自梳(女ともだち)』と非常に似通っており、『自梳』では恋愛や友愛、こちらの作品では親の愛を描きながら、張監督が常に追い求めているのは「無償の愛」なのだなあ、としみじみ感じ入った次第。
そしてその無償の愛は、父なる神の愛に繋がっていくのでしょう、きっと。
日本ですと、親が子に寄せる愛情、というと、どうしても母親のそれを考えがちですが、この映画では父親の愛情もきっちりと描いていて、それも神の愛とリンクするのかしらん、とも考えますた。
上映後、監督と左小青を迎えてのQ&Aを経て、ロビーでフェスティバル恒例(?)のサイン会が行われ、せんきちは、もちろん監督にサインを頂きますた(だってそのために来たんだもん)。
そしてずっと言いたかった一言、
「監督の『自梳』が大好きです」
とお伝えすることができますた。
実は監督も、『自梳』が一番好きな作品なんですって。
あたしたち、気が合うわね(おいおい)。
左小青嬢は、映画では落ち着いたイメージですたが、素で見るとかなりキャピキャピ(死語)した感じのお方でした。
付記:どーでもいいけど、葉童が真黒だったのと、銭小豪が大澄賢也化しつつあるのも、ひじょーに気になりますた。
2008年、中国・香港(驕陽電影有限公司・北京稻草熊影視文化有限公司)。張之亮監督。左小青、呉奇隆、葉童、午馬、他。
11月3日、文化の日。
『放・逐』舞台挨拶つき試写会招待状を盟友・リネンさんに託し、あっしは生じぇいこぶの姿を拝むため、NHKふれあい広場ホールにて『追憶の切符(車票)』を鑑賞。
ストーリーは・・・・すいません、NHKアジア・フィルム・フェスティバル公式サイトから引用(一部加筆・改変)します。
テレビ局のレポーターとして北京で働く雨桐(左小青)。実は赤ん坊の頃、教会の前に捨てられ、孤児として育っていた。今でも自分を捨てた両親にわだかまりを持っているのだが、育ての母であるシスター(葉童)が亡くなったことで実の親を捜すことになる。雲南省の雄大な風景をバックに、幼馴染みの志軒(呉奇隆)、ちょっぴり愉快な運転手兼ガイド(午馬)の助けを得てわずかな手がかりをたどっていく雨桐。その旅は自分が成長する旅でもあった・・・・。
原作(李家同の短編『車票』)の舞台は台湾(原作者が育ったのはこちら)だったのに、中国大陸の巨大マーケットを意識した結果、中国に舞台を移すことになり、そのため設定にかなりの無理が見られますた。
根掘り葉掘りが大好きないやらしい中年女・せんきちが、この映画を観ていてどうにも気になった点を、以下に挙げると・・・・。
・今なお公式にはバチカンとの断絶状態が続いている中国において、カトリックの教会を物語の支柱に据えたことにより、ヒロインの親探しもさることながら、シスターが何故に神に出会い、何故に信仰を持つに至り、何故に修道女となったのか、そのことがとても気になってしまうのでありますた。
映画化にあたって、原作者からは「宗教的な背景はいっさい変えてくれるな」との要請があったそうですが(上映後のQ&Aにおける監督のコメント)、当初、監督は哈爾濱で撮影することも考えていたといい、となると、東方正教の可能性も出てくるわけで(←「もしも哈爾濱で撮影を行っていたら、東方正教の教会が選ばれていた可能性もあるのではないか」の意)、よけいやっかいなことになっていたのではないかしらん?(哈爾濱じゃ、文革のときには教会が丸ごとぶっ壊されてるしねえ)
また、実際の雲南少数民族の間において、カトリックがどれだけ浸透しているのか(台湾は原住民のカトリック率高し)、そのことも知りたくなってしまったっす。
・ヒロインと幼馴染は少数民族ですが、かたやテレビ局のレポーター、かたや外資系企業(推定)勤務(共に北京在住)という、いわば「スーパーエリート」達です。しかも吹替のせいでとってもなめらかな普通話を話しており、そのことが二人のエリート色をいっそう強めることともなっています(ヒロインはテレビ局勤務だから、ちゃんとした普通話を話す必要があるとは思うけど)。
しかし、二人の故郷である雲南省には、そんな右肩上がりの人生とは無縁の、昔ながらのくらし(というと聞こえはいいが、経済的にはもちろん赤貧)を送っている人たちが無数にいるのです。
そのような状況の中、なぜ二人が(中共にとって)選ばれし民となり得たのか、その理由がすっげー気になります(本人の努力だけじゃないと思うよ、たぶん)。
そして、あの貧しいお母さんは、どうやって北京行きの切符を調達したのでしょうか。
・先にもちらりと述べた通り、この映画の役者さんの台詞は吹替で、その理由はといえば、茶通さんのブログによると、「香港の役者だと吹替なしの場合、シリアスな場面でも観客から笑いが起こってしまうから」との由(監督のコメント)。
そうはいっても、この映画は雲南省が舞台なのですから、別に吹替じゃなくてもいいと思うのですが。
もしも監督のおっしゃる理由が事実だとすると、台湾映画で台湾の役者が話す台湾国語はどうなるんでしょうかねえ。これも笑われちゃうんでしょうか。
そんなわけで、「台湾が舞台なら、もっと素直に感情移入できたのになあ」と非常に残念に思いますたが、人探し&ヒロインの心の成長というパターンは、あっしの大好きな張監督作品『自梳(女ともだち)』と非常に似通っており、『自梳』では恋愛や友愛、こちらの作品では親の愛を描きながら、張監督が常に追い求めているのは「無償の愛」なのだなあ、としみじみ感じ入った次第。
そしてその無償の愛は、父なる神の愛に繋がっていくのでしょう、きっと。
日本ですと、親が子に寄せる愛情、というと、どうしても母親のそれを考えがちですが、この映画では父親の愛情もきっちりと描いていて、それも神の愛とリンクするのかしらん、とも考えますた。
上映後、監督と左小青を迎えてのQ&Aを経て、ロビーでフェスティバル恒例(?)のサイン会が行われ、せんきちは、もちろん監督にサインを頂きますた(だってそのために来たんだもん)。
そしてずっと言いたかった一言、
「監督の『自梳』が大好きです」
とお伝えすることができますた。
実は監督も、『自梳』が一番好きな作品なんですって。
あたしたち、気が合うわね(おいおい)。
左小青嬢は、映画では落ち着いたイメージですたが、素で見るとかなりキャピキャピ(死語)した感じのお方でした。
付記:どーでもいいけど、葉童が真黒だったのと、銭小豪が大澄賢也化しつつあるのも、ひじょーに気になりますた。
2008年11月2日日曜日
台湾映画史研究の空白を埋める
〔ちょっとお耳に〕
2008年11月5日(水)、早稲田大学にて「台湾映画史研究の空白を埋める」と題された(大きく出たねえ)シンポジウムが開催されます。
「平日の昼間開催」という、勤め人の映画ファンを全く無視した催しですが、お時間のある方は足をお運びになってみてはいかがでしょうか。
詳しい内容は、下記の通りです。
10:00~12:30 シンポジウム(主催:早稲田大学台湾研究所、交流協会助成プロジェクト)
発表予定者(通訳あり):
戸張東夫氏(国際教養大学)「もうひとつの台湾映画史」
廖祥雄氏(映画監督)「1987年の戒厳令解除前後の台湾主流映画の動向」
井迎瑞氏(国立台南大学音楽映像学院院長)「台湾映画史研究の構築」
道上知弘氏(慶応大学講師)「台湾映画黎明期の台湾語映画」
14:00~18:00 映画上映会
李行監督『両相好』(1961年)
廖祥雄監督『真假千金(ニセのお嬢さん)』(1971年)
ところ:早稲田大学早稲田キャンパス1号館4階406教室(地図)
共催:財団法人交流協会、台湾資料センター
午後の上映作品は、いずれもDVDリリース済の作品です。
後者は、2003年、東京国際映画祭のジュディ・オング(翁倩玉)特集でも上映されました。
『両相好』は拙ブログでも取り上げたことがありますが、台湾版「南北シリーズ」とでもいうべき作品ながら、香港のそれとは異なり、どことなく(本省人と外省人の融和という)国策臭のする映画です。
2008年11月5日(水)、早稲田大学にて「台湾映画史研究の空白を埋める」と題された(大きく出たねえ)シンポジウムが開催されます。
「平日の昼間開催」という、勤め人の映画ファンを全く無視した催しですが、お時間のある方は足をお運びになってみてはいかがでしょうか。
詳しい内容は、下記の通りです。
10:00~12:30 シンポジウム(主催:早稲田大学台湾研究所、交流協会助成プロジェクト)
発表予定者(通訳あり):
戸張東夫氏(国際教養大学)「もうひとつの台湾映画史」
廖祥雄氏(映画監督)「1987年の戒厳令解除前後の台湾主流映画の動向」
井迎瑞氏(国立台南大学音楽映像学院院長)「台湾映画史研究の構築」
道上知弘氏(慶応大学講師)「台湾映画黎明期の台湾語映画」
14:00~18:00 映画上映会
李行監督『両相好』(1961年)
廖祥雄監督『真假千金(ニセのお嬢さん)』(1971年)
ところ:早稲田大学早稲田キャンパス1号館4階406教室(地図)
共催:財団法人交流協会、台湾資料センター
午後の上映作品は、いずれもDVDリリース済の作品です。
後者は、2003年、東京国際映画祭のジュディ・オング(翁倩玉)特集でも上映されました。
『両相好』は拙ブログでも取り上げたことがありますが、台湾版「南北シリーズ」とでもいうべき作品ながら、香港のそれとは異なり、どことなく(本省人と外省人の融和という)国策臭のする映画です。
禁じられた魔子 (その二)
〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕
パッチモンとしては、ぎりぎりセーフなのか?
どうも。
トド@なんだか疲れたです。
今朝、渋谷で観てきた『Orzボーイズ!(囧男孩)』、お祖母ちゃん役を梅芳(侯孝賢監督や楊德昌監督作品でおなじみ)がやっていたのも、せんきちのお楽しみの1つですたが、監督はこの映画のためにアメリカで引退生活を送っていた梅芳をわざわざ台湾に呼び戻して出てもらったとの由。
今回、梅芳は金馬奨の助演女優賞にもノミネートされていますが、受賞するといいっすね。
黄韻玲が音楽担当なのも、個人的にはツボですた。
ちなみに、校庭の銅像を見てハナ肇を連想した方も多かったようですが(あっしもその1人)、この銅像はタレントの納豆(林郁智)をモデルにして作ったのだそうで、日本でも台湾でも考えることは同じだなあと思った次第(こちらに製作過程が)。
というわけで、前回の続き。
原題が判明(及び推定できた)映画を会社別に整理してみると、下記のようになりました。
東映
7. 1965 KU NO ICHI GESHO(くノ一化粧) 甲
26. 1966 DANI (ダニ)甲
37. 1966 KAWAIKUTE SUGOI ONNA(可愛いくて凄い女)甲
44. 1966 NYOHAN-HAKAI(女犯破戒) 丁
61. 1967 KAMO(かも) 甲
92. 1968 HISTORY OF JAPANESE TORTURE AND PUNISHMENT,THE (徳川女刑罰史?)丁
109. 1968 YORU NO AKUJO(夜の悪女)甲
130. 1969 INOCHI KARETEMO(夜の歌謡シリーズ 命かれても)甲
191. 1970 SEX AND LIFE (〔秘〕性と生活) 甲
256. 1971 TATTOOS OF HELL (徳川いれずみ師 責め地獄?)甲
日活
30. 1966 GATE OF FLESH(肉体の門) 甲
34. 1966 HUNTER'S DIARY, THE(獵人日記) 甲
48. 1966 UNHOLY DESIRE (赤い殺意)甲
54. 1967 BRUTE, THE (野獣の青春) 甲
86. 1968 BRANDED TO KILLER (殺しの烙印) 甲
134. 1969 LADY HUNTER, THE (夜の最前線 女狩り?) 甲
150. 1969 WORSHIP OF THE FLESH, THE(艶説 明治邪教伝)甲 (配給作品)
199. 1970 TOKYO BATHS (女浮世風呂?) 甲(配給作品)
224. 1971 HAUNTED LIFE OF A DRAGON . TATTOOED LASS, THE (怪談昇り竜)甲
松竹
81. 1967 YORU O NERAE(日本ゼロ地帯 夜を狙え?) 甲
118. 1969 CURSE OF THE BLOOD (怪談残酷物語) 甲
127. 1969 HOUSE OF THE SLEEPING VIRGINS,THE(眠れる美女)甲 (配給作品)
136. 1969 LOST SEX (本能)甲 (配給作品)
大映
200. 1970 UKIYOE (浮世絵残酷物語)甲 (配給作品)
その他
23. 1966 ATSUI YORU(熱い夜) 甲
36. 1966 JOTAI RAKUIN(女体烙印) 甲
55. 1967 CHAINED WOMEN (鎖の女)甲
62. 1967 KONJIKI NO HADA(金色の肌) 甲
79. 1967 VICE DOCTOR, THE (悪徳医 産婦人科日記)甲
94. 1968 JONE(情炎) 甲
168.1970 KEGAREI (汚れ?) 甲
東宝の作品が1本もないのがミソですが、1965年から74年ということで、あたしゃてっきり日活ロマンポルノ満載のリストになるのかと思いきや、これも皆無なのでありますた。
思うに、1972年に入って香港のメジャー映画会社・邵氏が色情電影製作に本格的に乗り出したことにより、香港でのその手の映画の基準も若干緩和されたと考えられ、そんなこともあって、ロマンポルノにも待ったがかからずに済んだのでしょう。
で。
上記リストをざざっと見渡して気づくのは、東映の梅宮辰兄イ(『ダニ』『かも』『夜の悪女』『夜の歌謡シリーズ 命かれても』)と緑魔子たん出演作品(『くノ一化粧』『可愛いくて凄い女』『かも』『夜の悪女』)の意外な多さ。
夜シリーズは、香港当局から監視対象に指定されていたのでしょうか。
それから、石井輝男監督作品も健闘(?)しています(『徳川女刑罰史?』『徳川いれずみ師 責め地獄?』『怪談昇り竜』)。
『ならず者(雙雄喋血記)』が呉宇森監督に多大な影響を与えた他、『東京ギャング対香港ギャング』等のすぐれた香港ロケ作品を撮り、また、邵氏と東映の合作映画の監督にも白羽の矢が立ったことのある(結局はボツになりますた。こちらをご参照下さい)石井監督ですが、意外にも異常性愛路線以降の作品は香港での興行と相性が悪かったようです。
しかし、1973年の『ポルノ時代劇 忘八武士道』は、『肉林・浪子・快刀』の中文タイトルで、香港でも無事に上映されております。
「その他」は、いわゆるピンク映画ですが、香港でもかなり知名度のあった腋毛の女王(勝手に命名)・三原葉子の『金色の肌』がランクイン(違うって)しているのが、注目に値するでしょうか。
公開されていたら、けっこういい線いったのではないかと思います。
ところで、日活ロマンポルノの話が出たついでに、以前にもちらりと書いたことを、しつこくまた指摘しておきます。
香港と日本の色情電影を比較検討する際、必ずと言っていいほど「日本代表」として引き合いに出されるのがロマンポルノですが、邵氏の風月片のように、メジャー映画会社が売れっ子監督を起用して、ふんだんに金を掛けた時代物を撮る、という感覚は、むしろ東映のエロ時代劇に近いと考えられます。
また、邵氏がBirtie Tove(カタカナだとなんて書くのさ)を使って『丹麥嬌娃』や『女集中營』を撮ったのも、東映がサンドラ・ジュリアン(Sandra Jullien)やクリスチナ・リンドバーグ(Christina Lindberg)を呼んだ手法と非常に似たものを感じます。
以上、とりとめのないことをつらつらと書いてきました。
何か新たに気付いたことがありましたら、再びこちらで取り上げてみたいと思います。
(暫定終了)
どうも。
トド@なんだか疲れたです。
今朝、渋谷で観てきた『Orzボーイズ!(囧男孩)』、お祖母ちゃん役を梅芳(侯孝賢監督や楊德昌監督作品でおなじみ)がやっていたのも、せんきちのお楽しみの1つですたが、監督はこの映画のためにアメリカで引退生活を送っていた梅芳をわざわざ台湾に呼び戻して出てもらったとの由。
今回、梅芳は金馬奨の助演女優賞にもノミネートされていますが、受賞するといいっすね。
黄韻玲が音楽担当なのも、個人的にはツボですた。
ちなみに、校庭の銅像を見てハナ肇を連想した方も多かったようですが(あっしもその1人)、この銅像はタレントの納豆(林郁智)をモデルにして作ったのだそうで、日本でも台湾でも考えることは同じだなあと思った次第(こちらに製作過程が)。
というわけで、前回の続き。
原題が判明(及び推定できた)映画を会社別に整理してみると、下記のようになりました。
東映
7. 1965 KU NO ICHI GESHO(くノ一化粧) 甲
26. 1966 DANI (ダニ)甲
37. 1966 KAWAIKUTE SUGOI ONNA(可愛いくて凄い女)甲
44. 1966 NYOHAN-HAKAI(女犯破戒) 丁
61. 1967 KAMO(かも) 甲
92. 1968 HISTORY OF JAPANESE TORTURE AND PUNISHMENT,THE (徳川女刑罰史?)丁
109. 1968 YORU NO AKUJO(夜の悪女)甲
130. 1969 INOCHI KARETEMO(夜の歌謡シリーズ 命かれても)甲
191. 1970 SEX AND LIFE (〔秘〕性と生活) 甲
256. 1971 TATTOOS OF HELL (徳川いれずみ師 責め地獄?)甲
日活
30. 1966 GATE OF FLESH(肉体の門) 甲
34. 1966 HUNTER'S DIARY, THE(獵人日記) 甲
48. 1966 UNHOLY DESIRE (赤い殺意)甲
54. 1967 BRUTE, THE (野獣の青春) 甲
86. 1968 BRANDED TO KILLER (殺しの烙印) 甲
134. 1969 LADY HUNTER, THE (夜の最前線 女狩り?) 甲
150. 1969 WORSHIP OF THE FLESH, THE(艶説 明治邪教伝)甲 (配給作品)
199. 1970 TOKYO BATHS (女浮世風呂?) 甲(配給作品)
224. 1971 HAUNTED LIFE OF A DRAGON . TATTOOED LASS, THE (怪談昇り竜)甲
松竹
81. 1967 YORU O NERAE(日本ゼロ地帯 夜を狙え?) 甲
118. 1969 CURSE OF THE BLOOD (怪談残酷物語) 甲
127. 1969 HOUSE OF THE SLEEPING VIRGINS,THE(眠れる美女)甲 (配給作品)
136. 1969 LOST SEX (本能)甲 (配給作品)
大映
200. 1970 UKIYOE (浮世絵残酷物語)甲 (配給作品)
その他
23. 1966 ATSUI YORU(熱い夜) 甲
36. 1966 JOTAI RAKUIN(女体烙印) 甲
55. 1967 CHAINED WOMEN (鎖の女)甲
62. 1967 KONJIKI NO HADA(金色の肌) 甲
79. 1967 VICE DOCTOR, THE (悪徳医 産婦人科日記)甲
94. 1968 JONE(情炎) 甲
168.1970 KEGAREI (汚れ?) 甲
東宝の作品が1本もないのがミソですが、1965年から74年ということで、あたしゃてっきり日活ロマンポルノ満載のリストになるのかと思いきや、これも皆無なのでありますた。
思うに、1972年に入って香港のメジャー映画会社・邵氏が色情電影製作に本格的に乗り出したことにより、香港でのその手の映画の基準も若干緩和されたと考えられ、そんなこともあって、ロマンポルノにも待ったがかからずに済んだのでしょう。
で。
上記リストをざざっと見渡して気づくのは、東映の梅宮辰兄イ(『ダニ』『かも』『夜の悪女』『夜の歌謡シリーズ 命かれても』)と緑魔子たん出演作品(『くノ一化粧』『可愛いくて凄い女』『かも』『夜の悪女』)の意外な多さ。
夜シリーズは、香港当局から監視対象に指定されていたのでしょうか。
それから、石井輝男監督作品も健闘(?)しています(『徳川女刑罰史?』『徳川いれずみ師 責め地獄?』『怪談昇り竜』)。
『ならず者(雙雄喋血記)』が呉宇森監督に多大な影響を与えた他、『東京ギャング対香港ギャング』等のすぐれた香港ロケ作品を撮り、また、邵氏と東映の合作映画の監督にも白羽の矢が立ったことのある(結局はボツになりますた。こちらをご参照下さい)石井監督ですが、意外にも異常性愛路線以降の作品は香港での興行と相性が悪かったようです。
しかし、1973年の『ポルノ時代劇 忘八武士道』は、『肉林・浪子・快刀』の中文タイトルで、香港でも無事に上映されております。
「その他」は、いわゆるピンク映画ですが、香港でもかなり知名度のあった腋毛の女王(勝手に命名)・三原葉子の『金色の肌』がランクイン(違うって)しているのが、注目に値するでしょうか。
公開されていたら、けっこういい線いったのではないかと思います。
ところで、日活ロマンポルノの話が出たついでに、以前にもちらりと書いたことを、しつこくまた指摘しておきます。
香港と日本の色情電影を比較検討する際、必ずと言っていいほど「日本代表」として引き合いに出されるのがロマンポルノですが、邵氏の風月片のように、メジャー映画会社が売れっ子監督を起用して、ふんだんに金を掛けた時代物を撮る、という感覚は、むしろ東映のエロ時代劇に近いと考えられます。
また、邵氏がBirtie Tove(カタカナだとなんて書くのさ)を使って『丹麥嬌娃』や『女集中營』を撮ったのも、東映がサンドラ・ジュリアン(Sandra Jullien)やクリスチナ・リンドバーグ(Christina Lindberg)を呼んだ手法と非常に似たものを感じます。
以上、とりとめのないことをつらつらと書いてきました。
何か新たに気付いたことがありましたら、再びこちらで取り上げてみたいと思います。
(暫定終了)