2005年8月6日土曜日

苦しみの海を脱して(トクホンぐらいで可能なのか?)

〔しようもない日常〕


毎日暑くて仕方がないので、冷房を借りに国会図書館へ行ってきました(電気代節約)。
いま、本業の方で調査し始めたことがあるのですが、調べだしたらさあ大変、見なけりゃいけない資料が山ほど。
おいおい片付けます。

さてさて。

先日、ようやっとマルチDVDプレイヤーを買いました。
さっそく観てみようと思った後で、そういや、リージョンコード違いのDVDなんてうちに無かったよなあ(そりゃそうさ。買ったって観られないんだから)と気付きましたが、その後、台湾の樂迷(樂蒂ファン)のお友達から頂いた『花田錯』の台湾版DVD(リージョン3)があったことを思い出し、いそいそと再生。

ああ、きれいだわ、樂蒂小姐。

でも、お金が無いので、今後もきっとDVDよりはVCDを買い続けることでしょう。

愚か者。

付記:明日から京都へ行ってきます。さらに暑そうだわ。

2005年8月5日金曜日

Gメン対香港カラテ軍団 PART2

〔テレビ〕

1979年4月14日、TBS・東映。小松範任監督。倉田保昭、沢井桃子、楊斯主演。

『Gメン'75』名物「香港カラテ・シリーズ」から。
いよいよ今回、あの草野刑事(倉田さん)の生い立ちが明かされます(前回はこちら)。
例によって、くわしいストーリーは、こちらからよさそうなのを見繕ってご覧下さい(「香港カラテ・サーガ」がおすすめ)。

麻薬密売組織(香港コネクション)に囚われた父を救うため、Gメンを裏切った草野刑事でしたが、実はこれ、潜入捜査だったのでした。
にしても、監禁されてシャブ漬けにされるわ、断崖絶壁から投げ落とされるわ、いくらなんでもこんな潜入捜査ってないと思うけど、それにもめげず無事生還(あんな高いところから落下しても無傷。おまけに医者にも行かずシャブ中克服)しちゃう草野刑事って、並の人間じゃないな。

しかし、この潜入中、草野刑事は父である孫老人(といいつつ、ほんとは日本人)が、実は麻薬精製の技術者であることを知ってしまうのでした。
草野刑事は絶望し父への怒りの念に萌えますが、もとい、燃えますが、孫老人は全てを打ち明ける手紙を彼に託します。
そこには、草野刑事の秘められた生い立ちがしたためられていました。

ということで、草野刑事の生い立ちの話になるんですけど、なんと彼は孫老人の実の子ではなく、戦時下の空襲で孤児になった中国人で、猛火の中で泣き叫んでいた彼(赤ん坊)を救い、我が子として育てたのが孫老人夫婦だったのでした。

そんな草野刑事の本名は、汪雲龍。

なんだかこんなものこんな人を連想させる名前ですが、空襲で家族を亡くして泣き叫んでた赤ん坊の本名が、なんですんなりわかったんだか。
名札でも付けてたんでしょうか。
それとも、知り合いの中国人家族の息子だった、とか?

手紙を読んで孫老人の深い愛情(じゃあ、なぜ日本へ帰らずに子育て放棄しちゃったのさ)に気付いた草野刑事は、父を救うべく麻薬精製工場へ急ぎます。
しかし、時すでに遅し。
工場を爆破させた父は、瀕死の状態で横たわっていました。

で、ここでお邪魔虫・楊斯が登場、お楽しみカラテ対決になるんですが、びっくりしたのは組織のボスの愛人兼クラブ歌手兼カラテ使いだとばかり思っていたギャル・江秀蘭が、インターポールの潜入捜査官だったこと。
インターポールの捜査官って、芸達者&床上手じゃないと務まらないのね。

楊斯、今回は対決途中で片足を痛め、足を引きずりながらの奮闘です。
が、クライマックスではあれだけ痛そうにしていた足の負傷はどこへやら、思い切り全力疾走していました。

そして。

父の死を知った草野刑事は、中国人・汪雲龍として香港に留まり、難民救済に尽力する決心をするのでした(おしまい)。

んー。

なぜお父さんが中国人・孫として香港で生きなければならなかったのか、そして麻薬の精製に手を染めなければならなかったのかという疑問には、一つも答えていないわね。
それがきちんと描かれていれば、もっとお話に深みが出たと思うのだけれど。

さて。

前回、「虎豹別墅」を「麻薬密売組織のボスの邸宅」として大胆利用していたTBS&東映、なんと今回はあの有名レストラン

金島燕窩潮州酒樓

を、

ボスの弟が経営する舞廳(ダンスホール)

としてご利用なさっていました。

しかも、名前そのまんま(「金の島」と日本風に読んでいましたが)な上に、看板もそのまんま映ってるし。

香港での放映時に問題にならなかったのか、今さらながら心配になりましたです、はい。

(於:ファミリー劇場)

2005年8月4日木曜日

程思遠氏死去

〔ちょっとお耳に〕


程思遠氏死去 元全人代常務副委員長

程思遠氏(てい・しえん=中国の元全国人民代表大会常務副委員長)新華社電によると、28日、病気のため北京市内で死去、96歳。広西チワン族自治区出身。1930年、抗日戦争の英雄として知られる国民党第4集団軍総司令官、李宗仁の秘書となった。国民党の中央執行委員などを歴任、国共内戦後は一時香港に暮らしたが、65年に帰国。中国和平統一促進会会長や中国人民政治協商会議副主席などを歴任し、93年から全人代常務副委員長を務めた。(7月29日 共同)

先週の話ですが、今頃知ったもんで。
チョー今さらの情報で、すんません。

さて。

「程思遠」と聞いてピンと来る方は、あまりいらっしゃらないと思います(おそらく)。
彼の長女の名前が「程月如」である、と聞いても、やっぱりピンとくる方はごく少数かもしれません。

が。

程月如=林黛

とわかれば、多くの方はご納得されることと思います。

そう、程思遠氏は、あの大女優・林黛のお父さんであります。

林黛が死して、はや41年。
娘が亡くなった7月に、父もこの世を去りました。

ようやく叶った父子再会です。

で。

現地報道を捜索していて、不思議に思ったことが一つ。

香港広東の報道には、程思遠氏が林黛の父であることがちゃんと明記してあるのに、内地の官製メディアでは、なぜかいっさい言及なし。

「林黛=右派の女優」だったから。

なんてことはないよね、中国共産党さん。

2005年8月3日水曜日

網球雙鳳

〔ちょっとお耳に〕

毎晩熱帯夜で、うんざりです。

以下は、昨日の続き。

辛口ついでに、間違いを一つ。

291ページ、1965年5月の項に「香港日本人學校創校」とありますが、これ、実際には翌1966年5月のこと。
当時、日本人学校創設のために奔走した佐々淳行の『香港領事 佐々淳行 香港マカオ暴動、サイゴン・テト攻勢』(2002年、文春文庫。親本は1997年刊行の『香港領事動乱日誌』〔文藝春秋〕)にも、はっきり、


一九六六年五月十日、香港日本人学校の始業式がとり行われた。
五月七日に着任早々の遠藤又男総領事、日本人会理事ら多数列席の下に日本人学校が発足した。


と書いてあります。

データ入力のさいのミスかしらん?

で。

本文中に登場する日本のテレビドラマのうち、『網球雙鳳』というのがどうしてもわからなかったんですが、いろいろ調べてみたら、どうも『コートにかける青春』(フジテレビ。紀比呂子主演。原作は漫画『スマッシュをきめろ!』)らしいことがわかりました。

しかし、これ、あっしの記憶にほとんど残っていません。
紀比呂子といえば『アテンション・プリーズ』だしな、あっしにとっちゃ。

んー、それにしても、香港でもスポ根ドラマはバカ受けだったのですなあ。

根性もいいけど、あんまり無理すると熱射病にかかるので、くれぐれも気をつけてね。

2005年8月2日火曜日

香港日本關係年表

〔ほん〕

あたしたちも、載ってます!


陳湛頤、楊詠賢編著。2004年、香港教育圖書公司。

ようやく届きました。

1842年から1999年までの香港と日本との交流をまとめた年表。

新聞記事からこまめにトピックを拾っているようですが、いかんせん、漏れがあるのも事実。
ま、この手の本の常として、下調べ及びデータ入力は院生その他教え子にやらせて、ご当人はその結果をチェックするだけでしょうから、いたし方ないですね。

それに、香港大学所属の日本学者の共編著なのに、人名誤記があるのはいただけません。
佐田啓二が啓義になってますけど、こんなのネットで調べられますよん。

と、つい辛口の評価になってしまいましたが、それでもこれ、大変な労作です。
下調べをした(であろう)教え子の皆さん、お疲れ様でした。

当方、まだ戦後の部分をざっと読んだだけですが、ちょっと気付いた事項を取り上げてみましょう。

まずは、1960年8月20日。
テレビドラマ『怪傑ハリマオ』のロケ隊が香港で撮影を行っております。
これが、日本で最初に香港ロケをしたテレビドラマだそうです。
テレビもかなり早い時期から香港でロケしてたんですね。

1962年2月1日には、柳内滋氏と伊達正之氏(詳細不詳)が、日本語の専門学校を香港で開校していますが、その場所がなんと九龍砵蘭街(ポートランド・ストリート)。
今じゃ考えられない立地条件です。

同じ年の10月30日、津川雅彦と原知佐子が『夫婦的秘密』の香港ロケのため来港。

えっ?そんな映画、知らないけど。

ということで、さっそくチェック。
空と海の結婚』という松竹映画でした。
でも、主役は田村高廣と水谷良重(二代目八重子)なんだけど。

ふーん、こういう香港ロケ映画もあったんだ。
衛星劇場にリクエストしよう。

時代はとんで、1971年11月18日。
サインはV(青春火花)』映画版の宣伝のため、中山麻理が来港。
サインはV』、香港でも大人気でした。
だから、岡田可愛は『冷面虎』に出たのね。

翌1972年1月25日。
今度は『美しきチャレンジャー(紅粉健兒)』のヒロイン、新藤恵美が来港。
ちなみに、新藤恵美は『姿三四郎(柔道龍虎榜)』にも出ていました。
きっと『チャイナスキャンダル 艶舞(狂情)』は、「あの新藤恵美が脱ぐ!」と話題になったんでしょうな、香港でも。

そういや、あさってから香港では山田洋次の特集上映があるようですが、1992年にも「山田洋次作品展」なる特集があった模様。
日本映画祭も断続的に開催されており、特に1970年代半ばから80年代にかけては、ほぼ毎年行われていました。

じゃ、なんで、今度の特集上映は「第1回香港日本映画祭」なの?

・・・・この本読んで下さい。

付記:この本読んでようやく思い出したけど、1982年って、教科書問題勃発の年だったのね。つまり、同年製作の『レスリー・チャン 嵐の青春(烈火青春)』の反日ネタの裏には、この問題が隠されていたのだわ。ふふん。ついでにいうと、日本赤軍は香港でも悪さしようとしてたみたい。これもこの本で知りました。

2005年8月1日月曜日

続 吉右衛門とオパーイ

〔えいが〕

オパーイの話でおしまいにするのもなんなので、一応、昨日観た分のメモ。

『一谷嫩軍記』
1950年、プレミアピクチュア。マキノ正博監督(パートカラー)。

冒頭だけ褪せ褪せカラー(フジカラー)。
「東京劇場を1950年1月28日と29日の2日間借り切り、初代中村吉右衛門(1886-1954)の当たり狂言「熊谷陣屋」を撮影した記録映画(撮影前日までは17世中村勘三郎の襲名披露興行が同劇場で行われていた)。マキノ正博が監督、岡崎宏三等がキャメラを担当しており、キャメラ8台(9台という記録もある)を操作しながら同時録音で撮影された」(解説より)。
カメラがときどきあらぬ方向を撮影しているのも、ご愛敬でしょうか。
「送り三重」で杵屋栄二さんが登場したのは、うれしいおまけ。

『歌麿』
1952年、秀映社。住田暎介監督(カラー)。

「浮世絵師・喜多川歌麿(1753-1806)の繊細な技法を解き明かしてゆく記録映画」で、摺りや彫りの過程の映像はありがちだけど有用でした。
しかーし!
昨日も触れた通り、歌麿再現映像のつもりで出したオパーイギャルが、すべてをぶちこわしにしております。
再現どころか、あれじゃ幻滅。
最後なんか、赤い腰巻だけつけた海女さんたちが素潜りしている映像が流れて、「お願いだから、前を向いてくれるな」と思っていたら、岩場に座ってオパーイ(垂れてる)ベローン。

勘弁してください。
ほんとに吉田暎二先生が考証指導だったのか?

いくらオパーイ好き(おいおい)のあっしでも、見たくないものは見たくないもんで。

『菅原伝授手習鑑』
1950年、プレミアピクチュア。マキノ正博監督(パートカラー)。

「マキノ正博が『一谷嫩軍記』に引き続き中村吉右衛門後援会の依頼で監督した初代中村吉右衛門の記録映画。1950年5月27日に名古屋御園座で吉右衛門一座が公演していた「寺子屋」を撮影している」(解説より)。
後から撮影したアップの映像を合間合間に挿入したりして、ちょこっとですが、前作よりも映画的になっております。
お子ちゃま時代の当代幸四郎&吉右衛門も出ておりました。
カラー映像は、冒頭だけでなく「首実検」の件でも登場。
まず白黒映像の「首実検」の後、「それでは、カラーでもお楽しみください」とばかりに、今度はカラー映像による「首実検」となります。

「熊谷陣屋」「寺子屋」ときて、この後に「先代萩」がきたらもう卒倒ものなんですが、さすがにそれはありませんでした。ほっ。

ところで。

映画の後、銀座シネパトスで『ベルベット・レイン(江湖)』の前売り券を買い、特製プレスをゲットいたしました。

なれど。

いたしかたのないことながら、あっしの好きな小倩(呉倩蓮)の扱いが小さいね。

フンッ!

2005年7月31日日曜日

吉右衛門とオパーイ

〔しようもない日常〕

今日は、フィルムセンターで『一谷嫩軍記(熊谷陣屋)』と『菅原伝授手習鑑(寺子屋)』を観てきました。
どちらも初代中村吉右衛門の当たり役をフィルムに記録したもの。
杵屋栄二さんの姿を拝めたのももうけものでした。

その後、銀座でお酒と食事を楽しんで帰宅。

が!

合間に上映された記録映画『歌麿』の意味なし実写映像(いけてないギャルのオパーイ、大氾濫)があまりに強烈で、酔っ払い状態のあっしの頭の中は、オパーイの洪水になっております。

頭冷やして寝るとするか。

2005年7月30日土曜日

尤敏、駄々をこねる

〔ちょっとお耳に〕

目下、お尻についた火を消すべく奮闘中です。

さてさて。

今日も知られざるB級芸能ニュース。
尤敏が、美智子妃殿下(当時)に会わせろと駄々をこねた(?)という記事です。


美智子妃と尤敏

東宝が二千五百万円の現ナマを使って、ハデに売りまくった香港女優尤敏は、藤本(真澄・せんきち注)東宝重役にいわせると、「戦後の日本で、美智子妃についでマスコミを騒がせた女性」という。
ところが、この話をきいた尤敏が、「そんならぜひ、プリンセス美智子に会わせてちょうだい」といい出した。
これには藤本重役もおおあわて。そのうちきっと会わせてあげるからと急場をしのいだが、それからというもの、藤本重役の顔をみるたびに、「まだか、まだか」ときつい催促。
七月七日までの尤敏の滞在中にはこの顔合わせは実現しなかったが、「このつぎ日本に来たときには」ということで、九月来日予定にあわせて、その筋の関係者に折衝中というから、秋には実現するかもしれない。
(『週刊平凡』1961年7月19日号所収)


あの謙虚な尤敏が「会わせてちょうだい」などとわがままを言ったのか、にわかには信じがたい記事ですが、記事本文中にある「戦後の日本で、美智子妃についでマスコミを騒がせた女性」という形容は、尤敏の日本における人気を物語るエピソードとしていまだに香港で語り継がれているもので、なるほど、これの発信元は藤本真澄だったのですね。
ちなみに、記事には「九月来日予定」とありますが、じっさいに尤敏が来日したのは翌1962年の2月。
しかし、このときにも対面はなく、結局、彼女が美智子妃と会うことはありませんでした。

やっぱりこれって、東宝の宣伝用デマなのかしらん?

2005年7月29日金曜日

萬世流芳 (萬世流芳)

〔えいが〕

1942年(公開は43年)、中国(中聯・中華電影・満映)。卜萬蒼、朱石麟、馬徐維邦、張善琨、楊小仲監督。高占非、陳雲裳、袁美雲、王引、李香蘭主演。

今日は蒸し暑かったですね。
蒸し暑いので、フィルムセンターに行ってきました(かんけーないけど)。

午前中、本業の方の用事があったのですが、そこを途中でフケて(すいません)、駅のコンビニでおにぎりとパンを買い、急ぎ京橋へ。
絶対に混むと思っていたので、早め早めにと考え、午後1時15分過ぎに着きました。

しかし。

すでに20人ほどの老老(老若じゃなくて)男女が待っておられました。
あっしも列の最後尾に加わり、そのときはまだ椅子に腰掛けられたのでそそくさと昼食を摂ります。
そうしている間にも人は増え続け、今度は玄関ホールに移動、並んで待つことになりました。

でも、こうやって立ちっぱなしで待ち続けるのって、あっしのような中年女子はまあいいとしても、他のお客様(70代~80代が大半)にはかなりしんどかったのではないかと思います。
玄関ホールから階段に移動したところで、老老男女の皆様は案の定口々に「しんどい」とつぶやき始めましたが、それに対するケアは特になし。

そのあたり、もう少し工夫できませんか?フィルムセンターさま。

その後、通常の開場時間(2時30分)よりちょっとだけ早めにようやく入場可となり、さっさとお金を払って入場、真ん中より少し前の席に陣取りました。

で、映画です。

内容その他については、山口淑子の『李香蘭 私の半生』に詳しいので、そこからちょこっと引きます。


一九四二年(昭和十七年)は、阿片戦争で中国がイギリスに敗れ、屈辱の南京条約締結を強いられて百周年にあたる。それにちなんだ企画で、阿片撲滅のためイギリスと闘った林則徐を描いた古装片(時代劇)である。タイトルは、"林則徐の義挙は永遠(萬世)に薫りつづける(流芳)"-という史劇のサワリから引用し、『萬世流芳』と決まった。(略)
物語の中心は高占非演ずる林則徐で、袁美雲はその貞淑な妻の役。陳雲裳扮する張静嫻は林則徐に恋をするが、思いがかなわず、阿片の害を防ぐ薬作り(戒煙丸。阿片中毒を治す薬・せんきち注)に励むことによって林則徐を支援する。そして最後には男装してイギリスに対するレジスタンス運動の先頭に立つという『木蘭従軍』ばりの活躍である。私の役は、阿片窟でアメを売りながら阿片の害毒を歌でキャンペーンする人気娘、というサイド・ストーリーのヒロインだった。


多くの文献で触れられている通り、本作は、日本人が観れば野蛮な西洋人に立ち向かう東洋人の映画となり、中国人が観れば日本軍に蹂躙されている祖国を救うために中国人よ立ち上がれという映画になる、いわゆる「借古諷今」の作品です。
そう考えてみると、あのほとんどギャグと言いたくなるほど徹底的に戯画化されたイギリス人(うち1名厳俊)の姿も、もしかしたら日本人に対する痛烈な皮肉なのかも知れないと思いました。

タイトルバックから、あっしの大好きな「賣糖歌」がインストルメンタルで流れ、老老男女お目当ての李香蘭は中盤になって登場(ここで会場内沸く)、名曲「賣糖歌」を華麗に歌い上げます。
劇中の李香蘭は、父が阿片中毒になって身代をつぶし、ために飴売りをして生計を立てている鳳姑という可憐な娘の役で、愛する潘達年(王引。林則徐の友人)の阿片中毒を治すために献身的に尽くします。
ただ、尽くすといっても、かいがいしく仕えると言うよりはむしろ彼を叱咤激励して阿片の罠から救い出すという、主動的な役割を演じています。

陳雲裳演じる張静嫻も、林則徐との縁談が破談になった後、悲しみにくれるのではなくそこから逆に自分の人生を積極的に切り開き、最後は義勇軍のリーダーとして敵弾に倒れるりりしい女性ですし、袁美雲演じる林夫人も単なる貞淑な妻ではなく張静嫻と夫との過去を知りながら彼女を高く評価し、林が振った女性がどれほど素晴らしい人物であったかを改めて彼に認識させるという度量の大きな女性です。

つまりこの映画、林則徐が主人公とは言いながら、実は彼(及びその友人・潘)を巡る女性たちを描いた映画でもあったのでした。
だもんで、タイトルの由来となった"林則徐の義挙は永遠(萬世)に薫りつづける(流芳)"も、劇中では張静嫻の行為を称える言葉として使われています。

ところで。

『李香蘭 私の半生』の中に、李香蘭が王引の潜む山小屋に駆けつけるシーンを撮影するさい、卜萬蒼の上海訛りのきつい北京語が聞き取れず李香蘭が困っていると、王引がノックをする仕草をして「敲門(ちゃおめん)」と言っていると教えてくれたという件が出てきますが、じっさいの作品ではこのような場面はなく、阿片窟で騒動を起こして逃げてきた李香蘭と王引が、彼女の祖父が住む家に身を寄せる、そのときに李香蘭が祖父の家の扉をノックをする芝居がありました。
おそらくは、ここのことなのだと思います。

(於:フィルムセンター)

2005年7月28日木曜日

ごめんね、李嬪華さん

〔ちょっとお耳に〕


えー、例のタスキ、「なんだか粤っぽい ~小心ものは地を滑る」の胤雄さんと「ごった煮の記-徒然なるまま-」のkatetakeさんもお引き受けくださいました。
ありがとうございます。
自主引き受け、まだまだ募集中ですので、コメント欄かミニBBSにて参戦表明してください。
よろしくお願いいたします。

さて(いつもこれだよ)。
昨日の続きです。

あと一歩でジウ姫になり損ねた李媚華さんのことですが、いつもお世話になっている「DAY FOR NIGHT」の映画館主・Fさんから、「李嬪華(イ・ビナ〔イ・ビンファ〕)では?」とのご教示を賜りました。
で、調べてみたところ、はい、たしかに、

李嬪華さんでした。

『週刊平凡』、字、間違ってるぞ。

その後ハングル表記もわかったので、韓国のサイトを検索、翻訳ソフトのとほほな訳を深読みしながら得たのが、下記のプロフィールです。


李嬪華(이빈화)
1934年2月3日ソウル生まれ。本名は李淑翰(리숙한)。
女学校時代から舞踊と音楽に才能を示し、その後、国立国楽院古典舞踊研究所に在籍、ここでの3年間の修練によって彼女は優雅さを備えただけでなく、映画に出演するチャンスも得ることとなりました。
1952年、『成仏寺(성불사)』のヒロイン役でスクリーンにデビュー(って、ここでも『週刊平凡』、間違ってるじゃん)。
1956年、『青春双曲線(청춘쌍곡선)』で演じた奔放な金持ち娘の役が好評を得、翌1957年の『殉愛譜(순애보)』で女優としての地位を確固たるものとしました。
彼女が1961年に来日したとき、ちょうど『青い目の蝶々さん』の撮影で日本に滞在していたイヴ・モンタンと対面、モンタンが「韓国にも、あなたのように背の高い女性が多いのでしょうか?」と質問したというほど長身の東洋人離れしたプロポーションで、あるときにはジーナ・ロロブリジダ、あるときにはソフィア・ローレンに喩えられました。
しかし、古典的なメロドラマにおいては、彼女の現代的でグラマーなスタイルはヒロインのそれとはマッチせず、次第に脇役に甘んじることが多くなっていきました。
1969年までの彼女の女優としてのキャリアの内、今日そのピークと考えられているのは、(登場時間は決して長くはありませんが)1967年の『霧(안개)』だそうです。
その他の出演作品には、『雨降る日の午後3時(비 오는 날의 오후 3시)』(1959年)、『土(흙)』(1960年)、『殺人魔(살인마)』(1965年)等があります(フィルモグラフィは、こちら)。
2002年11月4日から8日にかけて、韓国映像資料院において回顧上映が行われました(「韓国映画名優回顧展」の一環)。

なんだ、すごい女優さんじゃん。
でも、写真やプロフィールから類推するに、どうやら若林映子タイプみたいだから、日本ではあまり受けなかったかも知れん。
にしても、惜しいことしたな、東宝。

2005年7月27日水曜日

李媚華さん、連絡ください

〔ちょっとお耳に〕

今日は暑かったですね。
せっかく治りかけたあせもが・・・・。
ああ、汗が沁みるし、痛痒いわ。

ここんとこ、ギリギリまで手を付けていなかった案件の締切が迫っておりまして、尻に火がついてる状態なんですが、それなのに、今日も紙くず漁り(芸能雑誌の調査)をしてしまいました。

反省。

で、見つけたのがこんな記事。


韓国女優"李媚華"で『京城の夜』

香港のピカ一女優尤敏を主演にした、『香港の夜』は、七月のお盆興行を独走するヒットぶりをみせたが、これに勢いを得た東宝では、こんどは韓国との合作映画『京城の夜』を企画している。
『香港の夜』が、尤敏を中心にして考えられたように、『京城の夜』も韓国映画界の第一線女優を起用する。彼女の名は李媚華。スラリとした長身は、児島明子(元ミス・ユニバースにして宝田明の元奥さん。当時は恋人同士でした。今じゃ何の説得力もない喩えになっちまったな・せんきち注)を少し小柄にしたような美人だが、韓国ではつねに人気投票の上位を占めている人。ソール(原文ママ)(京城)の京城大学出身というから、日本流にいえばインテリ女優。しかし、インテリ的な線の細さはないそうで、七年前『青春双曲線』でデビューしてから、もう百本を数える作品に出演しているというたくましさだ。ウワサによると、六本の作品を同時にカケもちして、いささかのネもあげなかったという。(略)
「日本映画には、前から出演したいと思っていた。ミスター・クロサワと同じ東宝で働けるとは、思いもしなかった光栄です」といまからたいへんな張りきりようだというが、再び尤敏ほどの話題を呼ぶことができるかどうか。
(『週刊平凡』1961年8月9日号所収)


東宝ったら、「柳の下のどじょうを総すくいするぞ!」とばかりに、香港の次は韓国の女優さんを担ぎ出してきて一発当てようとしていたんですね。
いやはや、びっくり。
ただし、香港の場合と違い、韓国となるといろいろ難しい問題もあったようで、この企画、結局は実現しなかったようです。

「早すぎた韓流」だったのか。

で、このジウ姫のご先祖様みたいな女優さんである・李媚華さんとはいかなる人なりやと思い、ちょっこし調べてみたのですが、残念ながらデータを見つけることができませんでした。
というか、あっしが韓国映画にはそれほど明るくないのと、ハングルがてんで駄目なせいもあるんですけどね。
ちなみに、デビュー作の『青春双曲線』は、韓瀅模(ハン・ヒョンモ)監督の作品。

というわけで、ここで呼びかけ。

李媚華さんについてお心当たりのある方、コメント欄にご連絡ください。
よろしくお願いいたします。

付記:『京城の夜』といえば、同じ年(1961年)に こんな2人組が同名の歌を歌ってレコードデビューしています。

2005年7月26日火曜日

台風が来る前に

〔えいが〕

昨日の「観たい映画をつなぐタスキ」、DriftingcloudsのKEIさんがお持ち帰りくださいました。
ありがとうございます。
てなわけで、ひとまずこちらからのご指名は無しということで。

さて。

台風が来る前に、フィルムセンターに行ってきました。

『民族の叫び』
1928年、松竹蒲田。野村芳亭監督(白黒・無声・不完全)。

解説曰く「親子二代に渡って日中友好に尽くした日本人と中国人の物語」なのだけれど、つまりは、

日本人と中国人、仲良く手を携えて満蒙開拓に邁進しようぜ!ベイベー!

という(ありえねー!)映画でした。
中国人男性に嫁いだ日本人女性が出てくるんですが、多かったんですかね、留学生と結婚して大陸へ渡る女性って。
で、舅の世話をかいがいしく焼く嫁(日本人)の姿を描いた後、駄目押しで「日本の娘さんの孝行なことには云々」という台詞がかぶさるのは、貞節なる日本女性をアピールする目的だったのかしらん。
途中、大連のヤマトホテルらしきところが出てきたのですが、今回も、途中で昇天(沈没改め)してしまったため、きちんと確認がとれず・・・・。

『九條武子夫人 無憂華』
1930年、東亜京都。根津新監督(白黒・トーキー版・不完全版)。

九條武子夫人の生涯を描いた作品。
エキストラとして参加している真宗の信徒の皆さんの顔を見ながら、「日本人の顔って、実は大して変わってないのね」と妙に納得。
敗血症に倒れた武子夫人が入院した病室の美術、すっごいわ。
武子夫人の奉仕活動にスポットがあてられていましたが、調べてみたら、京都女子大の前身(京都女子高等専門学校)を設立したのも武子夫人なのね。
ここって、『女の園』のモデルじゃない?
・・・・ふーん(勝手に納得)。

以下は、おまけ。
電懋作品に見る制服ギャル。

スッチー(やや地味目)。〔『空中小姐』〕


女子高生(セーラー服)。〔『體育皇后』〕


女子高生(ネクタイ&ブレザータイプ)。〔『玉女私情』〕

2005年7月25日月曜日

見たい映画をつなぐタスキ (中華限定らしいの)

〔えいが〕

浦川留的雑記帖」の浦川留さんから強奪、じゃなかった、頂戴いたしました。
でも、よく見たら「中華電影限定」という「注」が。
ちょっと「注」から外れてしまうかもしれませんが、なるべく「中華」の範囲内で考えてみたいと思いますです。

では、始めますだ(エスメラルダみたいだ、音が)。

1、過去1年間で一番笑った映画
フツーにいくと『カンフーハッスル』なんすが、全く違った意味で実は『LOVERS』にも激しく笑いのツボを刺激されたあっしなのでした。
劇中人物がマジになればなるほど、笑いが止まらなくなり・・・・。
ファンの皆様、ごめんなさい。って、あっしも子怡ちゃん贔屓だったよ。

2、過去1年間で一番泣いた映画
もっと涙腺を刺激された映画があったはずだがと思いつつ、とりあえず『星星 月亮 太陽』を挙げておきます。
1961年の電懋の大作映画。
尤敏演じる薄幸の娘・亞蘭(自ら不幸を招いてるようなところもあるんだが)の臨終シーンで、涙。
ちなみに、前述の『カンフーハッスル』のラストでも泣いたあっしです。
と、ここまで書いて、去年東京国際映画祭で一挙上映された『春田花花幼稚園』を思い出したんですが、あれ、テレビなんですよね。
じゃ、駄目か。

追記(29日):先ほど、きたきつねさんのお書きになった「観たい映画(以下略)」を拝読したところ、『LOVERS』のラストのクレジットに泣いた、との記述があり、そういやあっしもさんざん笑った後にあそこでどっと涙が溢れたことを思い出しました。泣き笑いの映画。

3、心の中の5つの映画
もっと重要な映画を外している可能性も大なのですが。
中華限定といいながら、無理やり中華に分類した映画も含みます。

『紅粉煞星』
1976年の邵氏作品。
ここ1年間に観た映画の中で、いちばん「お買い得」だったもんで。
「暴力とエロ」好きの方におすすめいたします。

『野玫瑰之戀』
1960年の電懋作品。
近松の心中物にもどこか通じるような、地獄へ堕ちて行く男と女の物語。

『ならず者』
1964年の東映作品、って、日本映画なんですけど、香港&マカオロケですし、邵氏が撮影協力をしてますし、なにより、呉宇森に多大な影響を与えた映画ですんで、そのへんはご勘弁を。
何も知らない南田洋子が、マカオの内港にある香港行きの船の乗り場で健さんを待っていると、そこを健さんの亡骸を乗せた警察の車が通り過ぎていく、切ないラストが印象的でございます。
三原葉子の何言ってるかわかんない北京語(この人、英語は得意なのにね)と「いつでもどこでも丹波哲郎」な丹波ちゃんも、ポイント高し。
赤木春恵の強欲ババアは、『渡鬼』のルーツか?

『飛一般愛情小説』
何年でしたっけ。
好きなんですよ、これ。
最近、「スー・チー in なんちゃらかんちゃら」とかいうわけわからん邦題のDVD&ビデオがけっこう出てますが、これも「スー・チー in ミニスカポリス」なんて邦題でいいので国内盤出してください。

『恋人たちの食卓』
1994年の中影作品。
小倩(呉倩蓮)の映画の中では、これと『等着你回來』が一番好きなので。

4、見たい映画
不可能系でセレクト。

『女真珠之挑戰』
前田通子が台湾で撮った『女真珠王の復讐』の続篇。
あのヘレン南のその後を、皆さん、知りたくありませんか?
またぞろ男だけの島に流されてたりしたら、金返せモノですけど。

『富士山之戀』
粤劇映画。
ほんとに富士山が出てくるのか・・・・?

『海女の怪真珠』
日本・台湾合作映画。
たぶん、いや、確実にとほほだと思うけど。

『嘆煙花』
張美瑤が台湾語映画に出ていた時期に主演したドロドロ復讐劇。
ネガが残ってない、という話をどっかで聞きましたが・・・・。

『東京・香港 蜜月旅行』
日本・香港合作映画。
野村芳太郎監督追悼でやってくんないかしら。

5、このタスキをつなぐ方々
これが一番悩むところでして、また後ほど考えます。
すんません。
「われこそは」という方、コメント欄にて名乗りを上げてくだされば幸いです。

2005年7月24日日曜日

さよなら、ガスホール

〔ちょっとお耳に〕

今日は朝から浴衣姿でおでかけ。
都内某所で三味線なんか弾いていました。
馴れないことをしたせいか、頭の芯がズキンズキン痛いっす。
血管切れなきゃいいけど。

というわけで、某ミクシィとカブるネタでご容赦。

ここんとこ、香港の新光戯院がなくなるというニュース(こんなのや、こんなの)に心痛めていたあっしですが、な、なんと、一足お先に7月いっぱいで銀座ガスホールが閉館しちゃうんですって。

全く知りませなんだ。

ここにはよくお仕事で常磐津や地歌筝曲を聴きにいったものですけれど、閉館理由が「施設老朽化ならびに建物の老朽化」とあるところから見て、いずれビルも建て替えるということなのでしょうか?
もう竣工から50年以上も経つビルなので、致し方ないのでしょうが、仮に建て替えるとして、新しいビルにもホールはできるのかしらん?
古典芸能公演(並びにお浚い会)向きのホールが年々減少しているので、新しいビルにもぜひホールを作ってほしいものです。

ところで、ガスホールというと、石井輝男監督の『黄線地帯』に、神戸に着いた三原葉子が銀座ダイアナ神戸店でパンプスを買う場面がありますが、あれはほんとは銀座7丁目にあったダイアナの支店で撮っているようで(神戸で撮影する予算がなかったらしいわ)、バックには「銀座ガスホール」の看板もばっちり見えます。

神戸にもあった銀座ガスホール(ないない)。

ちなみに、お隣のヤマハホールは、今のところ閉館の予定はないみたいです。
尤敏が『家有喜事』(注)で主演女優賞を受賞した1960年の第7回アジア映画祭(現・アジア太平洋映画祭)の主会場だったヤマハホール、 これからもがんばってちょーよ。

注:王天林監督も監督賞を受賞。

2005年7月23日土曜日

兇悪の壁

〔テレビ〕

1975年11月13日、NET・東映。永野靖忠監督。天知茂、吉行和子、山村聡主演。

『非情のライセンス』第109話(第2シーズン第57話)。

日本で亡命生活を送りながら祖国の独立運動を続けていたジョ・コウメイ氏(漢字表記不詳)が、滞在先のホテルから拉致されるという事件が発生、その後、拉致現場を目撃したホテルのボーイも警察での取調べ後に何者かによって射殺されてしまいます。
しかし、日本政府がジョ氏の祖国を統治する政府との間で政治的な決着を図ったため、事件の真相はうやむやのまま一件落着となり、警察の捜査本部はもう1人の目撃者である女性(吉行和子)の保護を取りやめるのでした。
これに不満を抱いた矢部警視(山村聡)は、会田刑事(天知茂)に女性の身辺警護を指示、捜査上の必要から本名を名乗ることが出来ず、仮に「鈴木よし子」と名付けられたその女性は、会田刑事のマンションで潜伏生活を送ることになりました。
目に見えぬ敵から狙われる生活の中で2人は恋に落ちますが、そんなある日、会田刑事の部屋のライフラインが全て断たれてしまい、止む無く2人は車で逃亡を企てます。
が、女性の命を狙う魔の手は、すぐそこまで迫っていたのでした・・・・。

ストーリーを読んでおわかりの通り、1973年に発生した金大中拉致事件をモデルにしたエピソードです。
このドラマが製作された1975年の7月24日には、日本政府と韓国政府との間で第2次政治決着が図られており、よくもまあこんな時期にこんなドラマを作ったもんだと思いましたですわ。
ただ、拉致されるジョ・コウメイ氏が「長く日本で亡命生活を送り、祖国独立運動を行っていた」という、金大中というよりはむしろ台湾の王育徳を連想させる設定となっている点に、放映後のクレーム(圧力?)対策を見る思いがいたしました。

あえてオチをばらしちゃうと(いつもばらしてるけど)、吉行和子演じる目撃者・鈴木よし子(仮名)は実はダミーで、本当の目撃者は捜査本部によって保護されており、鈴木嬢(仮名)は捜査に協力するため危険な囮役を進んで引き受けた独立運動の女闘士だったのでした。
ラスト、射殺された鈴木嬢(仮名)の亡骸を前に、「彼女の本当の名は?」と尋ねる会田刑事に向かって、矢部警視は「それは言わないでほしいと。彼女との約束だ」と告げて去っていきます。
国家権力に対しては全くの無力だった警察という組織が、ここでは事件解決のために名もない個人を平気で利用する、そんな矛盾を苦い思いで噛み締めながら会田刑事は1人佇むのでありました(『昭和ブルース』流れる)。

ちなみに原作では、鈴木嬢(仮名)は男性(鈴木君)だったそうですけれど、美女の方がテレビ的にはやっぱり花があるのかしらん。
仮名も鈴木よし子って、どこにでもありそうでそこそこきれいな名前でしたし。

途中、会田刑事のマンションにかかってくる謎の脅迫電話の声の主が、刑事コジャックそっくり。
コジャックが会田を脅迫。
ただし、キャストに森山周一郎の名前はありませんでしたが。

しかし、会田刑事って優秀なのか間抜けなのかわからん部分も多いですね。
敵の尾行を撒くため、とある喫茶店に鈴木嬢(仮名)と立ち寄った会田刑事、何を血迷ったかここで潜伏中の食材調達を決意、ウエイトレスを呼んで、

「ここは、ハンバーグもやってるんだね。ということは、肉もあるわけだ。じゃあ、その肉と、ハムと、野菜と、パンと、それから、珈琲とジュースも貰おう。全部だよ、全部。紙袋か何かに包んでくれ」

と告げると、いぶかるウエイトレス(当たり前だよな)に向かって、

「あ、心配しなくていい。私は、こういう者だ」

と言いつつ、内ポケットから警察手帳を取り出して見せるのでした。

言っちゃあなんだが、すっごく心配です。

(於:東映チャンネル)

2005年7月22日金曜日

「沈黙」観に行って「沈没」

〔しようもない日常〕

あせも、痛いです。
今朝さっそく薬屋さんに行き、昨日ご紹介した薬ではなくスプレータイプのこんな薬を買ってきました。
シャカシャカ振って、首にシューッ!

ああ、真っ白だよ、首・・・・。
しかも、くさいし。

治るまでの我慢ですわね。

さて、今日は岩波ホールに行って『とべない沈黙』を観てきました(こちらもどうぞ)。
が、ここんとこ寝不足だったため、「沈黙」どころか「沈没」してしまい、冒頭と中盤、計5分ほど意識不明になっておりました。
あ、でも、いびきをかいて爆睡していたのはあっしじゃありません、決して。

けなげに葉っぱ食ってる虫くんがはるばる香港まで旅するので、「どこが出てくるかな」と期待しながら観ていましたが、大して長くなかったですね、香港のエピソード。
1人でしゃべり続けるおっさんは香港人だったみたいで、ネイティブの広東語を話してましたわ。
原爆や元日本兵の話が出てくるから、香港でもてっきり日本軍が軍政布いてた頃のことに触れるのだろうと思いきや、いきなりアクション映画!な展開になっておしまい。

映像はきれいでしたけど。

おまけ:香港といっても、こんなところは出てきませんでした。

2005年7月21日木曜日

そういや、この国の方がヤバそうだ

〔しようもない日常〕

夏です。
あせも大発生中です。

以前はこのような塗り薬を愛用していたのですが、その名(ホワイト)の通り、首に塗ると立派(?)な

白首女

の出来上がりとなってしまうため、今年は使用を控えておりました。

が、汗が沁みて、痛い・・・・。

明日、薬を買ってきます。

ホルムアルデヒドで子供部屋7割がシックハウスに

「北京市の子供部屋のうち7割以上がシックハウス」という衝撃的な調査結果が発表された。原因物質は最近、中国製ビールをめぐり波紋を呼んだホルムアルデヒドだ・・・・

「○ahooのデザインパクッたんじゃないか?」と思うぐらい、似たよなレイアウトのサイトにリニューアルしたサーチナのニュースから。

あっしはよくわからんのですけど、なんだか「ホルムアルデヒドを長時間吸入すれば、白血病が容易に誘発される」んだそうで、それを裏付けるかのように「中国では白血病の患者は毎年4万人増えているが、そのうち半数は子供で、2-7歳児が多い。北京市児童病院で治療を受けた白血病にかかった子供のうち、90%近くが家を改修したばかりだったというデータもある」のだとか。

「未来ある子供たちになんたることを!」と憤りたくなりますが、そういや、この国ってアスベストの問題はどうなんでしょ?

そっちの調査も頼みます。

付記:懸案だったBook Batonのお次の方、「なんだか粤っぽい ~小心ものは地を滑る」の胤雄さんにお渡ししようかなあと思っていたところ、なんとテレパシー(邪念?)が通じたらしく、早速にお書き下さいました。
ありがとうございます。

2005年7月20日水曜日

Gメン対香港カラテ軍団

〔テレビ〕

1979年4月7日、TBS・東映。小松範任監督。倉田保昭、沢井桃子、楊斯主演。

『Gメン'75』名物「香港カラテ・シリーズ」から(DVD〔BOX〕ございます)。
倉田保昭扮する草野泰明刑事の生い立ちがついに明らかになる、「さすらいの草野刑事(?)」完結編です。
詳しいストーリーは、こちらからよさそうなのを選んでご覧下さい(「香港カラテ・サーガ」がおすすめ。ただし、草野刑事の父が「上州で商売をしてました」という件は、「徐州」の誤り)。

中国で戦死したと思われていた父が、香港で中国人・孫として生きていることを聞いた草野刑事は、急遽香港へ渡り、父のことを日本に知らせた香港娘(内地からの移民)・李麗蓉の案内で父と34年ぶりの再会を果たします。
ところが、この李麗蓉ちゃん、手紙に書いてあった住所は「九龍城」(九龍半島)なのに、草野刑事との待ち合わせ場所はなぜか「香港仔(アバディーン)」(香港島)。手漕ぎ舟を漕ぎながらの登場です。
で、そこから「九龍の小鳥屋」(モチ九龍半島。麗蓉ちゃんとご近所みたいなので、やっぱり九龍城あたりか)である孫老人の住まいへ徒歩(!)で移動、その後、父との対面を果たした草野刑事と彼を見送る麗蓉ちゃんがそぞろ歩くのは、先ほど出てきた「香港仔」の街頭(かんたんな地図は、こちら)。

あんたたち、「どこでもドア」でも持ってるのか?(ないない)

それに、孫老人が住むという一角、どこかで観たことがあると思ったら、シリーズ前回の『香港カラテ対Gメン』で「香港チャイニーズコネクション」のアジトとされていた場所じゃん。

お父さん、そんなところに住んでいたなんて・・・・。

気を取り直して(?)お話の方に目を移すと、やっぱり麻薬ネタ。
香港の密売組織が日本への密輸ルートを確立すべく暗躍しますが、組織の頭目の豪邸へと車が入っていく、その場面に映るのが、

HAW PAR MANSION

というプレート。

こ、これはもしかして、日本では「タイガーバーム・ガーデン」の名称でおなじみ「虎豹別墅」のことざますか?

さては胡一族、表向きは萬金油を売りながら、裏ではコソーリ麻薬を商っていたのか!(違うってば)

こんな設定で使われると知っていたなら、果たして貸したかなあ、ロケ場所に(虎豹別墅の悲しき現状は、こちら)。
でも、萬金油も元々は阿片を抽出するさいに出る廃油を利用して作られていたらしいので、あんがい「当たらずとも遠からず」かも。

で、この組織の用心棒が楊斯。
あれ、前回(『香港カラテ対Gメン』)草野刑事にあの世行きにされたはずなのに、と思っていたら、あの世に行った楊斯の弟でした。
顔どころか筋肉の付き方まで同じ兄弟。
現われる場所(トラムの車庫。西環の屈地街電車廠)まで同じだわ。
違うのは髪形だけ。
『男たちの晩歌』も真っ青。

あ、そうそう、実は香港濃度の高い藤木悠、今回はロケに参加していました。
前回、楊斯にぼこぼこにされた自称「姿三四郎よりも強い」伊吹剛は、今回もやられっぱなし。

結局、ストーリーとは全然かんけーのないところで異様に反応してしまいましたが、気になる続篇は、

来週を待て!(おいおい)

(於:ファミリー劇場)

2005年7月19日火曜日

Book Baton (いろんなBatonがあるのね)

〔ほん〕

DriftingcloudsのKEIさんからありがたく頂戴。
さっそく本題に入りましょう。
Onsen Batonなんか、あるといいけどね。

1、今、持っている本の册数

不明。本棚から溢れた本が、寝床の周囲を取り囲んでいる状態です。

2、最近、最後に買った本

香港日本關係年表』 陳湛頣、楊詠賢著
なんだか粤っぽい ~小心ものは地を滑る」の胤雄さんから教えていただいた本。
先月、香港の商務印書館に注文したけど、船便なのでまだ届いていません。
到着が待ち遠しい。

3、最近読んでいるorこれから読みたい本

・最近読んでいる本←日本語変じゃないの?(そういや、2の日本語も?)
 というわけで、「最近読んだ本」に変更
昭和キャバレー秘史』 福富太郎著
戦前の記述はややおざなり。
戦後の方が、やはり著者の実体験に基づくものだけあり、読み応えがあります。
ほんとはピンサロのことも知りたかったのだけれど、それについてはなし。
ピンサロとキャバレーは違うしね。

・これから読みたい本
金欠ゆえ、いまだ注文しないままになっている2冊を。
邵氏巨星 - 零距離接觸』 柏姜著
邵氏光影系列 - 文藝‧歌舞‧輕喜劇』 呉昊著
ううっ、来月こそ・・・・。

4、思い出に残る5册
二度と読みたくない5冊にしようかと思ったけど、いちおう、普通に「思い出に残」っている5冊にいたします。

『写真 映画百年史』全5巻(たぶん) 筈見恒夫編著
家にあった本。
中学時代の愛読書。
1955年刊(鱒書房)なので紙質が悪く、すっかりぼろぼろです。
第3巻や第4巻における戦前・戦中の中国映画への言及(「写真」と銘打っているだけあって、スチール写真も豊富)は、今読んでも勉強になります。
筈見恒夫の著書だと、他にはオリヴィア・デ・ハヴィランド&ジョーン・フォンテーン姉妹の父と同じ歯医者に通っていたという自慢話ばかりが思い出される『女優変遷史』(1956年、三笠書房)が印象に残っています。

『珍奇 絶倫 小沢大写真館』 小沢昭一著
これも家にあった本。
やはり中学時代の愛読書(1974年、話の特集)です。
気になる内容ですが、目次からご推察下さい。

記念写真、人物アルバム(桐かほる、天狗対こけし、ローズ秋山夫妻、カルーセル麻紀)、看板・はり紙、つわものどもが夢の跡-東京・旧赤線めぐり(玉の井、千住〔通称コツ〕、洲崎、品川、新小岩〔通称丸健〕、鳩の街、東京パレス、亀戸、新宿二丁目、新宿花園街、亀有、武蔵新田、立石、吉原)、風景、写真屋の父と私、東京ゲイボーイショー、一条さゆりさんの魂、トルコ嬢アンケート、レ痔ビアンショー、"残酷"入門 団鬼六氏に聞く、人肌に彫る 彫清さんに聞く、スポーツ・ヨシワラ、看板・はり紙、吉原・女郎屋の証言、パンツーマンの傾向と対策、写真のどこが面白い 細江英公さんと、あとがき

我ながらとんでもない本を読んでいたものだと思いますが、当時、この本と併せて『陰学探検』(小沢昭一、永六輔著。1972年、創樹社)なる本も愛読しておりました。
『陰学探検』の中には戦前の祇園でならした元舞妓さんとの対談も収録されていましたが、その中で元舞妓さんがセックスのことを「おはめはめ」と呼んでいたのが妙に記憶に残っています。

子怡ちゃん、『さゆり』の中でちゃんと「おはめはめ」と言ってるだろうか・・・・(ムリムリ)。

ついでに言うと、一条さゆりさんは香港電影迷の間で有名な2代目ではなく初代のさゆりさんで、彫清さんとは梵天太郎さんのことです。

中原中也詩集』 中原中也著 河上徹太郎編
高校時代の愛読書。
他にも青春時代(?)ならではのこっぱづかしい愛読書があるのですが、とりあえずこれだけでご容赦。
かつてうちにいた猫の名前も「中也」でした。
哀れ、飼い主のエゴの犠牲に。

中華人民生活百貨遊覧』 島尾伸三、潮田登久子著
この本(1984年、新潮社〔とんぼの本〕)と『香港市民生活見聞』(1984年、新潮社〔新潮文庫〕)は、大学時代に愛読しました。
島尾伸三さんの本は他にも面白いものが多く、今でも新刊が出るとつい購入してしまいます。

日本探偵小説全集(10) 坂口安吾集』 坂口安吾著
数ある安吾文庫本の中から、大好きな短編『アンゴウ』が入っている、これを。
涙なくしては読めない佳作です。
ちなみに、『小沢大写真館』に出てくる東京パレスの潜入ルポを安吾が書いていて(「田園ハレム」。『安吾巷談』所収)、それもなかなか面白いです。

で、次の方に廻さなければならんのですが、どういたしましょう。
しばし思案。
決まり次第、またこちらでお知らせします。

2005年7月17日日曜日

原住民がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!

〔ちょっとお耳に〕


毎日、暑いですね。
昨日の台湾の国民党主席選挙、「顔だけ男」(好みじゃないけど)と敢えて呼びたくなる馬英九が当選しました。
この方、香港生まれですが籍貫は湖南省。
そして、親民党主席の宋楚瑜は湖南省生まれ。
台湾の外省人社会も「湖南・ザ・グレート」なのかしらん?

さて。

1950年代から60年代にかけて、日本映画は台湾でも大変人気がありましたが、『週刊明星』1963年10月20日号掲載の「歌手・前田通子の新しい出発 自由中国の大スター・前田通子」には、こんな記述が見えます。


昨年(1962年・せんきち注)12月26日、クリスマスをナイトクラブの舞台で過ごしたばかりの彼女(前田通子・せんきち注)は、因縁の深い志村(敏夫・せんきち注)監督とともに台湾へ飛んだ。
あちらでは、『女真珠王の復讐』が戦後興行史上ベスト・2という大ヒット。「ぜひ続篇を」という現地のプロダクション(『華利影片』)の熱望にこたえ、『女真珠王の挑戦(女眞珠之挑戰・せんきち注)』(製作費3千万円)を撮ることになったのである。
映画はまたしても大当たりで志村監督の表現を借りれば、「高砂族(原住民・せんきち注)まで山をおりて劇場へ押し寄せた」ほど。
その舞台挨拶に立った前田は、妖艶な中国服姿で主題歌を歌いまくり、嵐のような拍手を浴びた。
大喜びの『華利影片』にひきとめられた彼女は、さらにメロ・ドラマ『別離(愁風愁雨割心腸・せんきち注)』のヒロイン役をつとめ、クランクアップ翌日の4月7日に帰国した。


元新東宝の女優・前田通子(くわしくはこちらをお読み下さい)が、台湾へ呼ばれて2本主演作品(台湾語映画)を撮ったという話ですが、フィルムが残っていたらいつか観てみたいものです。
しかし、今回注目したのは、志村監督の

「高砂族まで山をおりて劇場へ押し寄せた」

というコメント。
「(その多くが山地に住むという)台湾の原住民が、わざわざ街の映画館まで観に来たほど大人気だった」という意味らしいのですが、この記事から約10年経った1974年に出版された『誰も書かなかった台湾 「男性天国」の名に隠された真実』(鈴木明著。サンケイ新聞社出版局)にも、実は類似の記述があるのです。


台湾における日本映画の最もモニュメンタルな事件は、嘗ての新東宝が作った「明治天皇と日露大戦争」の上映であったといわれている。(略)
特に、この映画に対する「高砂族」の反応は異常なものがあったと伝えられている。彼らはめったに都会に出てくることはないが、この映画見物の為に大挙して都市の映画館にやってきた。台東地区(ここには主としてパイワン族が居住しているが)では、山地にいた高砂族がこの映画のために大挙移動し、そのために社会的な反響までまき起こして、遂に「政府の強い示唆」により、この映画は「自主的に上映をとりやめる」という結果になったといわれている。


「山を下りて来た」どころか、「民族大移動」という事態にまで発展しています。
『週刊明星』と鈴木氏の著書、両者共に、台湾における映画興行成否のバロメーターが、あたかも「原住民がいかなる反応を示したか」にあるかのような書きぶりです。
ここでは日本における例だけを取り上げましたが、「原住民が山を下りて観に来たほどヒットした」という(原住民に対して)あまりにも類型的過ぎる表現が、はたして台湾においても日常的に用いられていたのかどうか、ちいとばかり気になるところです。


ところで、『明治天皇と日露大戦争(明治天皇與日俄戰爭・せんきち注)』に関しては、この他にも「アラカン演じる明治天皇が登場した瞬間、(台湾人の)観客が直立不動になった」や「『天皇陛下、万歳!』を叫んだ」といった伝説(?)が知られていますが、これって、どこかに典拠があるのでしょうかねえ。
文部大臣の「娘義太夫まかりならん」言説みたいな、いつの間にか定説になってしまった幻伝説なのかどうか、一度きっちりウラを取る必要があると思うのですが。
で、これらもろもろの出来事がもとで、映画は上映中止になってしまったらしいのですけれど、呂訴上の『台湾電影戯劇史』(1961年、銀華出版部)によれば、『明治天皇と日露大戦争』は、1957年に30日間上映されて、101万8116.2元の総収入をあげています。

なんだい、1ヶ月も上映されてたんじゃないの。

この辺も要調査ですね。

ちなみに、先だって、台東在住のピュマ族のおじいさんとお話する機会があったのですが、「戦後は、日本人の顔が見たくて日本映画を観に通っていた」というおじいさんにとって、映画の内容や出来は二の次だったらしく、「最も印象に残っている日本映画」としてタイトルを挙げてくれた『青い山脈』についても、

主役は美空ひばり

だと思い込んでおられました。

『明治天皇と日露大戦争』の話は、うっかり聞くのを忘れてしまいましたが・・・・(ざんねん!)。