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2011年5月15日日曜日

証言 日中映画人交流

〔ほん〕〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕

近頃の世間では「無口で不器用な男」と思われている健さんが、
この本のインタビューでは「僕、自分では不器用だと思っていませんけどね」
ときっぱり。私もおしゃべりな健さんが好きです。

2011年、集英社(集英社新書)。劉文兵著。

2006年に出版された『中国10億人の日本映画熱愛史 ― 高倉健、山口百恵からキムタク、アニメまで』の姉妹編といえる、劉文兵氏の新著
今回は「日中関係史でも大きな役割を演じた」日本の映画人へのインタビューを中心に、幻に終わった木下恵介監督の日中合作映画『戦場の固き約束』に関する考察等も収載しています。
全体の構成は下記の通り。

はじめに
第一章 高倉健
第二章 佐藤純彌
第三章 栗原小巻
第四章 山田洋次
第五章 木下恵介
一、木下恵介と中国
Ⅰ 目撃者・加担者としての贖罪意識
Ⅱ 羨望の眼差し-一九五六年の訪中
Ⅲ 心の故郷を探して-『戦場の固き約束』における中国のイメージ
二、木下恵介関係者インタビュー
Ⅰ 「木下さんはやっぱり天才でした」-脚本家・山田太一
Ⅱ 『戦場の固き約束』の中国ロケ-プロデューサー・脇田茂
Ⅲ 晩年の木下恵介-最後の助監督・本木克英
おわりに
参考文献

本書の白眉は何と言っても第一章の高倉健インタビュー。
内田吐夢監督とのエピソードを始め、「網走番外地」シリーズ等多くの作品でコンビを組んだ石井輝男監督のことを、

女の裸が好きで、何か、女の裸ばっかり撮っていたらしいんですけど。

と評したり、ぶっちゃけトーク炸裂。
また、

向こうが力任せに来るなと思ったら、もう徹底的に抵抗する。徹底的にしてやるよ、この野郎、って出て来るんですよ、そういうね、不思議な反抗心が。何を言ってやがる、この野郎って。


と、自身の性格を語っている件では、「なんだか、『網走番外地』の橘みたいだなあ」と思いました。
そして、そんな健さんが「何でもしてあげたい」と思ったという宋之光氏との交流は、まるで橘と鬼寅親分の関係のようにも思えましたです。

インタビュー後半の中国映画に関する部分では、「"大きな声で言わない"っていうような映画」というコメントが特に印象に残ります。

そういえば、健さんも第二章の佐藤監督も共に東映出身ですけれど、東映時代の映画は一部を除いて中国本土では全くメジャーでないというのが不思議な共通点と言えるでしょう。
東映好きの私としては、大いに不満なのですが(まあ、難しいと思うけど)。

その佐藤監督のインタビュー、東映でも東大出身の監督さんたちはけっこう理屈っぽい方が多い印象があるのですが、佐藤監督もやっぱり理屈っぽいなあと思いました。
でも、「不良性感度」映画を確立した岡田茂名誉会長も東大出身なんですけどね。

というわけで、健さんのインタビューを読むだけでも、この本を購入する価値は大いにあるのですが、通読して若干違和感を感じたのが栗原小巻のインタビュー。
今でも本気で共産主義マンセー!社会主義マンセー!と思ってのコメントなら致し方ないものの、ただただ中国と彼の国の文化人を褒めちぎるコメントのみで、具体的な内容に乏しい気がしました。
陳沖や劉曉慶に関する見解も、どの作品のどんな演技が素晴らしかったのか、印象深かったのかについて語ること、それこそが読者の求めている内容だと思うのですが。

最後に、健さんインタビューを読んで残念だと思ったことを一つ。
それは、樂蒂に関する質問がなかったこと。
ご存知の通り、制作中止にはなりましたが1962年の東映・邵氏の合作映画『香港旅情』で2人は共演することになっており、記者会見及びスチール撮りのさいに1度だけですが顔を合わせています。
樂蒂と日本映画人というと『最長的一夜』で共演した宝田明が有名で、インタビューも残されていますが、現時点において健さんのコメントは全くありません。
今でも樂蒂のことを覚えているか、覚えているとしたらどんな女優さんだと思ったか、それを知りたいと思っているのは私1人だけではないと思います。

ということで、今1度取材するチャンスがあったら、今度はぜひ樂蒂のことも聞いて下さい。
よろしくお願いします。

2010年3月5日金曜日

高慢と偏見とゾンビ (Pride and Prejudice and Zombies)

〔ほん〕〔ちょっとお耳に〕

「おばさま、わたしは戦士なのよ。少林三十六房を突破して、
カンシェンタンの免許皆伝書をたまわったのよ」

2009年。ジェーン・オースティン(Jane Austen)、セス・グレアム=スミス(Seth Grahame-Smith)著。

どうも。
トド@今日は誕生日です。

さっそく本題。

ジェーン・オースティンの『高慢と偏見(Pride and Prejudice)』にゾンビをぶちこんだマッシュアップ小説(って言うらしい。知らんかった)。
よくわからない方のために一応、尼尊の解説をコピペ。

18世紀末イギリス。謎の疫病が蔓延し、死者は生ける屍となって人々を襲っていた。田舎町ロングボーンに暮らすベネット家の五人姉妹は少林拳の手ほどきを受け、りっぱな戦士となるべく日々修行に余念がない。
そんなある日、近所に資産家のビングリーが越してきて、その友人ダーシーが訪問してくる。
姉妹きっての優秀な戦士である次女エリザベスは、ダーシーの高慢な態度にはじめ憤慨していたものの……。
ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』をベースに、ゾンビという要素を混ぜ合わせることで、まったく新しい作品に生まれ変わった、全米で誰も予想だにしない100万部の売上げを記録した大ヒット作、ついに日本上陸 !


まあ、ようするにIFDやフィルマークのニコイチ映画(サンプルはこちら)の小説版みたいなもんだろうと思って読み始めたのですが、ニコイチの方が元の映画の筋は全く無視して無理やりゾンビやニンジャ映画に仕立てているのに比べ、こちらはあくまでも『高慢と偏見』の筋を生かしつつそこにゾンビと功夫とニンジャ風味を加えているので、けっこう楽しめる読み物に仕上がっておりました。

で。

原典の『高慢と偏見』と同じく、こちらでもヒロインのエリザベス・ベネット (Elizabeth Bennet.リジー〔Lizzy〕)とミスター・ダーシー(Fitzwilliam Darcy)が、誤解と衝突を経てやがて恋に落ちていくのですけれど、原典では2人の間に立ちはだかる障害として家柄の違いとリジーの家族の問題があったのに対し、こちらではさらにリジーが戦士としての訓練を受けた土地が少林寺(中国)だったから、という新しい(のか?)要素が加わっています。
日本嫌いで娘たちを連れて少林寺で修行をしたベネット氏(Mr. Bennet)とは対照的に、ミスター・ダーシーの一族は日本のキョート(京都)の一流の道場で修行をすることに最高の価値を見出しており、特にダーシーの叔母のレディ・キャサリン (Lady Catherine.屋敷ではニンジャを何人も抱えており、道場の壁には「合気道」と「諸行無常」の掛け軸が!)はあからさまに中国を軽蔑、少林寺で修行をしたというリジーを、

「中国ですって。あの坊主どもは、いまだにあのつたないカンフーのわざを英国人に売りつけているのね」

と馬鹿にします。
そんなこんなの行き違いがあって、最後にレディ・キャサリンとリジーの死闘(!)が繰り広げられるのですが、ここはなかなか読み応えがありました。
ただ、せっかく少林寺や京都(のどこだよ!)で修行をしたのに、ゾンビ退治には安易に銃を用いてしまう大英帝国の皆様の軟弱ぶりには少々がっかりいたしました。

もっと拳を使え、拳を!

ちなみに、この小説、ナタリー・ポートマン(Natalie Portman)が映画化権を取得したらしいです。
映画版ではぜひ、拳の魅力を前面に押し出して欲しいものです、はい。

付記:小説の中で特に笑った箇所。
・ウィカム(Mr. Wickham)からダーシーの悪口を聞かされたリジーが言う台詞。
「なんてひどいかたでしょう!座頭市の仕込杖で叩っ斬られればいいんだわ!」
・ダーシー家の屋敷はキョートの特に豪壮な城を模して造られた建物で、邸内ではナレズシ(なれ寿司)が珍味として供される(たしかに珍味だけどさあ…)。

「お忘れにならないで。わたしは少林派の弟子
なんですよ。七星拳の達人なんです」




2010年1月11日月曜日

「阿魯雲伝」3部作

〔ほん〕〔えいが〕


どうも。
トド@眠いけど眠れないです。

さて、これも去年から積み残しになっていた宿題(前回の記事はこちら)。
金綺泳(キム・ギヨン、김기영)監督の『玄海灘は知っている(玄海灘은 알고 있다)』の同名原作小説に始まる「阿魯雲伝」3部作(『玄海灘は知っている』『玄海灘は語らず』『勝者と敗者』)のご紹介。

まず第1部である『玄海灘は知っている』ですが、3分の2ほどの筋は映画と同じで、前回も書いた通り、後半、軍を脱走してからのストーリーが大きく異なります(原作→秀子の女学校時代の先輩を頼って彦根に逃走)。
つまり、映画にある名古屋大空襲下の逃亡劇とその後の群衆大殺到は、映画独自のものということです。
もちろん(?)、観客から笑いが漏れたあの迷場面「ひな祭りの不思議な日本舞踊」や「風呂場で湯女体験」も、原作には登場しません。

また、人物造型も原作と映画とでは異なる部分があり、映画では人間性のかけらもなかった(そのわりに滑稽味漂う人物だったりするのですが)森が、原作では阿魯雲に命を助けられたことによって、人間らしさを取り戻していくという件が見られ、また、阿魯雲に会いに日本へやって来た女性・鄭京姫も、ただ彼に会うためだけでなく、当時、抗日武装闘争の根拠地であった北間島に阿魯雲が脱出をするよう勧める目的を持っていた、ということになっています。
さらに、李家も原作では酒と女をこよなく愛する大男という、かなり豪快な人物に描かれていました(当初は阿魯雲と反目し会うものの、後に大親友になります)。

映画では空襲で亡くなったかと見えた阿魯雲が息を吹き返し、秀子と手を携えて去っていくところで終わりますが、原作は彦根へ逃れた2人のその後を描く第2部『玄海灘は語らず』、終戦後が舞台の第3部『勝者と敗者』へと続きます。
以下は、そのおおまかなストーリー。


『玄海灘は語らず』
秀子の女学校時代の先輩・道代を頼って彦根に来た2人でしたが、やがて居づらくなり、滋賀県大郷村(現・長浜市。このドキュメンタリードラマの舞台になった村です)の朝鮮人集落に身を寄せます。
集落に住む金山の好意で「方泰山」という偽名の協和会会員章を手に入れた阿魯雲は、干拓工事現場で働いた後、金山の仕事を手伝い始めますが、ある日突然徴用されて、秀子と離れ離れの生活を余儀なくされます。
徴用先を脱走した阿魯雲は秀子と2人で愛知へ戻り李家と再会、李家はなじみの女郎・カオルに2人の世話を頼みます。
その後、秀子は病に倒れた母を連れて瀬戸の親戚の許を訪れますが、そこで母の容態が急変、彼女は帰らぬ人となります。
一方、秀子が瀬戸にいることを知らない阿魯雲は彼女を探す途中で機銃掃射を受けて昏倒、軍によって助け出されるのでした。
死んだはずの阿魯雲が生きているとわかり、彼は軍法会議にかけられることになりますが、傷を治すために入院していた陸軍病院でついに終戦を迎えます。

『勝者と敗者』
終戦により軍法会議にかけられることを免れた阿魯雲は、原隊へ戻ることとなりました。
その後、秀子は男の子を出産しますが、李家等の説得に従い、自分と息子(知道)は日本へ残り、阿魯雲が再び日本へやって来る日を待つことにし、阿魯雲には故郷へ帰って祖国建設のために尽力するよう勧める手紙をしたためます。
阿魯雲は李家たちと船に乗り、1人故郷へ帰るのでした。


日本語版『勝者と敗者』は原語版の3分の1弱を削った短縮版になっていますが、第1部で人間性を取り戻したかに見えた森が、原隊に復帰した阿魯雲殺害を企てる件等、登場人物の性格にやや整合性が見られない点が気になりました。
また、秀子と阿魯雲の別れも、「あれしか方法がなかったのかなあ、あの頃は」と思いつつも、その後本当に阿魯雲は妻子を迎えに来ることができただろうかと考えると、少々暗い気持ちにもなりました。
阿魯雲のあの性格だと、故郷へ帰ってからもまた危ない橋を渡りそうですし。

ところで、映画で秀子を演じた孔美都里(コン・ミドリ、인물정보)は、1963年の『玄海灘の雲の橋(현해탄의 구름다리)』では終戦後朝鮮半島に置き去りにされた日本人女性に扮しており、共演した申星一(シン・ソンイル、신성일)との仲が取りざたされたそうです。
ちなみに、1964年6月4日付『読売新聞(夕刊)』掲載の「韓国の映画事情」では、この映画が「好日映画」として紹介され、当時東映で助監督を務めていた韓国出身の朴英勲氏の「統治者の日本は憎かった。しかし、いまの日本に対しては、もっと友好の度をつよめなければと、みな言っているのです。征服者と被征服者の間柄ではなく、お互いに理解し合った形でね」とのコメントが併載されています。

ということで、とりあえず、原作を読んでみてのご紹介でした。
『玄海灘は語らず』、アマゾンのマーケットプレイスだととんでもない値段がついていますが、「日本の古本屋」でなら良心的な値段でお買い求めできますので、皆様もぜひお手に取ってみて下さい。

2008年3月21日金曜日

よれよれです

〔しようもない日常〕〔ほん〕
台湾はいずこへ?

どうも。
せんきち@よれよれです。
この間の日曜(16日)の朝から咽喉に違和感があり、家でおとなしくしていればよかったのですが、久しぶりに映画でも観に行くかと思いシネマヴェーラで米八のおこわ(我が家では固くなったおこわのことを「ハードコア」と呼んでいます←ウソです)を食べながら若松孝二作品を3本観たら容態が悪化(あ、別に映画のせいではありません)、通院&投薬治療を続けておりました。
ようやく快方に向かってきたところです。

そういえば、今度の香港國際電影節でも若松孝二監督の小特集(『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(赤軍殘酷內鬥暗黑史)』『赤軍-PFLP・世界戦争宣言(赤軍: PFLP 世界戰爭宣言)』『壁の中の秘事(隔牆有秘)』『ゆけゆけニ度目の処女(二度處女Go Go Go)』『天使の恍惚(天使之恍惚)』)があるようですね。



てなわけで、よれよれ期間中に購入したつまらない古本の話でも。

今回せんきちが購入したのは、世界文化社から1964年に出た『世界文化シリーズ24 ハワイ・香港』。

ええっ?なにゆえにハワイと香港なんですか?

と、疑問を抱いたあなた、そうでしょうそうでしょう、不詳せんきちも全く同じ疑問を抱き、中身を確認するためにわざわざ大枚はたいて(ないない)購入したのであります。

で。

まえがきによると、これから身近な海外旅行先として最も脚光を浴びそうなのがハワイと香港なので、特にこの2つの土地を一緒に取り上げた・・・・らしい。
なるほど、日本人の海外旅行が自由化されたのはこの年だし、そんなことも背景にあるのでしょう、きっと。

でも、やっぱり変だよな。

表紙はセクシーなハワイ美女。
となると、
裏表紙は香港美女か?・・・・と思いきや、


水上居民ですた。
なんなんだ、この落差は?


ハワイと香港という
組み合わせが生んだ変則的な地図。
向かって右がハワイ、左が香港。


ハワイ群島の面積と人口の下にひっそりと
香港・マカオの面積と人口が。
まるでハワイ群島の一部のようだよ。


組み合わせだけでなく本文までもが変ですた。
ナザーン・ロード(Nathan Road)ペンギンスラー(Peninsula)と、
どこをどう間違えたらそんな風に読めるのか、
脳みそがウニになりそうな誤読が頻出。
香港きっての超高級ホテルでは、
ペンギンがお客様をお出迎え!って、
旭山動物園かよー!!!!


(何のオチもないまま終了)

おまけ:3月13日(木)発売の『週刊文春』。

そこには・・・・


ついに4コマ漫画のネタにされてしまった


あの人の姿がありました。
合掌。

2007年10月1日月曜日

新刊2種

〔ほん〕〔ちょっとお耳に〕

『台湾光華』8月号の表紙。
メイン特集のタイトルが、なんとも挑発的。
かつて"Sinorama"(光華)といったこの雑誌、最近
"Taiwan Panorama"(台湾光華)に姿を変え、脱中国化が着々と進行中。
この特集タイトルも
あたしらはあんたらのようにはならないよ
という宣言のように読めます。

どうも。
急に寒くなったので、風邪気味のトドです。
おかしいなあ、北の湖(辞任しろ)、じゃなくて、北の海出身のはずなのに・・・・。

本題に入る前に1つお知らせ。

紀平重成さんの「銀幕閑話」がお引越ししました。
毎日新聞のweb版がお引越しすることに伴う措置だそうです。
新しい住所は、

http://mainichi.jp/enta/geinou/asianenta/ginmaku/

です。

でも、あれ?
これ、無署名記事になってますよん。
あくまで暫定的な状態であることを祈ります。

で、本題。
せんきちもさっき注文したばかりの新刊を2種。

一、李香蘭の恋人 キネマと戦争


田村志津枝著。筑摩書房。2310円。

著者である田村先生からもご案内を頂いたのですけれど、すいません、今さっきになってようやく注文しました。
そんなわけでちょっくら手抜きをして、ここは版元の宣伝文句でも。


民族と国家のはざまに生きたふたり!
戦意昂揚の国策映画で活躍した李香蘭。今も李香蘭の恋人と噂され、非業の死を遂げた台湾出身映画人・劉吶鴎。戦争に翻弄された映画人と、その活動の実態に迫る。



映画人として、また文学者として、近年その研究が着実に進んでいる劉吶鷗と、これもまた最近になって新しい回顧録の出版や伝記ドラマの放映が続いている李香蘭(山口淑子)。
まことにタイムリーな出版と言えそうです。

二、香港・日本映画交流史 アジア映画ネットワークのルーツを探る


邱淑婷著。東京大学出版会。7140円。

今朝の新聞広告で発見。
こちらも版元の宣伝文句を。


近年めざましい発展を見せるアジア映画のルーツは、第二次世界大戦期にまで遡る香港・日本の映画交流にあった。1950年代後半以降に日本の映画人が香港で多くの映画制作に携わった経緯など、広範な文献調査と当時の映画人への貴重なインタビューをもとに掘り起こされる,日中の映画人ネットワーク形成史。


昨年6月に香港・天地圖書から出た『港日電影關係 尋找亞洲電影網絡之源』の日本語版。
といっても、大元は東京大学に提出された博士論文なので、こっちの方がオリジナルと言えなくもないのですけれど。

中文版は60香港ドルと、1000円札1枚でお釣が来るとってもリーズナブルな価格だったのに対し、日本語版は7000円強という、学術書としてはお安いとはいえ、かなり対照的な価格設定でおます。
ま、そんなことを言って迷ってもいられないので、先ほどアマゾンでポチッとな!しました。

中文版巻末の附録「香港日本交流作品目録(1923-1973)」は非常に有用な作品リストですが、『無責任遊侠伝(澳門風雲)』が『日本一のホラ吹き男』になっていたり、陳寶珠の『紅葉戀』が抜けていたりと訂正すべき点がいくつか見られます。
今回の日本語版でそれらの点がクリアーされているかどうか、要チェックですわね(いじわるババアみたいだけど)。

それから邱氏のご研究で大変貴重なのは、もう1人の賀蘭山・柿田勇や井上梅次といった実際の映画人に聞き取り調査を行っている点で、中文版では残念なことにそれらの取材記事が活字化されることはなかったのですが、日本語版では、さあ、どうなっているか。
ぜひとも活字化してほしいのですけれど。

本が届くのを待ちましょう。

2007年3月13日火曜日

JALスチュワーデスのトラベル中国語会話

〔ほん〕


1991年5月、キョーハンブックス。

1週間ぶりのご無沙汰でございます。
台湾の友人、昨日無事に帰国した・・・・はずですが、先週さんざん振り回されたおかげで、精も根も尽き果てたせんきちです。

さて。

有名建築家やふくろう先生、はたまた前宮城県知事と、候補者乱立気味の東京都知事選挙。
しかし、肝心の

あの人が足りない

と思っているのは、せんきちだけでしょうか。

黄泉の国から立候補しておくれ(←すいません。まだご存命でした)。

といったところで、本題。

先日、散歩の途中に立ち寄ったブックオフにて、105円で購入した中国語会話本のご紹介。
今から16年前の1991年、第2次天安門事件の余韻覚めやらぬ頃にJALが出した旅行用会話集です。

表紙で微笑むのは、本文執筆を担当した(らしい)香港出身の客室乗務員・王美珍(Anna Wong)さん。
プロフィールによると「乗務歴9年」で、


私の場合父が北京語しか話さず、香港っ子の私も自然に北京語を覚えてしまいました。


との由。

1991年に乗務歴9年ということは、1982年入社として1960年頃の生まれ。
「北京語しか話さない」という王さんのお父さんは、大躍進の頃に内地からやって来た北方人か、はたまた国共内戦に敗れて香港へ流れ着いた元国府軍兵士(調景嶺在住)か、気になるところです。

気になるといえば、先日読んだ『トオサンの桜』にも「1941年、10歳の頃に広東省から台北へ移住した」という多桑(劉添根さん)が出てきて、日中戦争真っ只中の時代に何ゆえわざわざ日本の植民地である台湾へ引っ越してきたのか、その理由が知りたかったのですが、その辺りの事情は見事なまでにスルーされていて、がっかりいたしました。

で。

会話本の内容ですが、左ページに日本語と英語、右ページに中国語というレイアウトで、中国語に声調記号は付いているものの、ピンイン表記は難しいため怪しいカタカナ表記で代用してあります。
ですので、例えば「初めまして」は、


初次見面(ツウツジィェンミェン)


と、ツーツーレロレロ状態になるといった按配。

ま、それでも、以前ご紹介した日本語教則本(こちらこちら)よりは数段ましなのですけれど、ちいとばかり衝撃を受けたのがこちら。


いいえ」が、



ブスだよ、ブス!

目の前でブスブス連発された日にゃあ、あたしだったら(図星だけに)どつきますよ。

ところで。

先ほどもちらりと書いた通り、この本が出た1991年は1989年の第2次天安門事件のわずか2年後。
だもんで、あたしゃてっきり事件のおかげで激減した日本人旅行者を呼び戻すためにこういった本が出たのだとばかり思っていたら、

1989年:358,828人、1990年:463,265人(29.1%増)、1991年:640,859人(38.3%増)

と(こちらを参考にしました)、何のこたあない、本の力なんぞ借りなくともそれなりに順調に増えていました、日本人旅行者。

喉もと過ぎれば・・・・なのですなあ。

(オチらしいオチもなく終了)

2007年1月26日金曜日

一生分のスピッツ

〔しようもない日常〕

いらっしゃ~い!(桂三枝風に)

こんにちわ。
おかげさまで、折れた骨がくっついてきました。
といっても、まだまだ完全ではないので、当分の間、松葉杖生活が続きそうです。

さて。

骨折以来、初めて映画館へ行ってきました。
ユーロスペースでのレイトショー、『海でのはなし』。

まず映画の前に同行の知人・Kさん(こちらこちらの日記にも登場した台湾系華僑の方)と、映画館近くにある台湾料理屋へ。
「台湾料理」といいながら従業員のほぼ全員が大陸の方というありがちな店でしたが、これも骨折以来ひさびさとなる台湾ビールや紹興酒をぐびぐび。
つまみはお約束の香腸など。
Kさんも暮れに虫垂炎を患っていたので、彼女にとってもひさびさのお酒となりました。

ホール係のねーちゃんの巻き舌のきつい國語(ほぼ全てアール化)を聞いたKさん、それが國語だとはまるでわからなかったらしく、

「ねーねー、あれ、何語?」

と尋ねてくるので、

「國語だよ。巻き舌がきつ過ぎて、何言ってるのかさっぱりわかんないけど」

と返答、しばらく耳を澄ませた結果、Kさんもようやく國語だと気付いたらしく、

「ああ、ほんとだ」

と納得しておりました。

ある意味、台湾國語とは対極の國語でしょうなあ、あれは。

そして、映画。

「はじめにスピッツありき」の映画だということはわかっていたものの、はっきり言って、

うるせーよ!音楽!

無理やり音楽をはめ込むんじゃねーよ!

もう一生スピッツは聴かないでいいな。
お腹いっぱい。

あおいちゃんがCDウォークマンで『ロビンソン』を聴く迷場面(一応、あれがクライマックスなのか?)は、molmotさんのブログで読んで既に知っていたので、思わず、

ロビンソン キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!

とほくそえんでしまいますた。

それから、「しがない非常勤講師」のくせに個人研究室を持ち、両親にも相応の仕送りをしている西島さん演じる博士、

お前はどうみても専任講師にしか見えんぞ!(百歩譲って助手)

とまあ、ここまでくさしておきながらなぜこの映画を観たのかといえば、あおいちゃんの母親役でとんちゃん(毬谷友子)が出ていたから。
とんちゃん、母親役をやる年になったのねえ。
でも、相変らずとんちゃんはとんちゃんでした。

(おしまい)

付記:館内で購入したブックレットに載っていたとんちゃんのプロフィール、出演映画が『夢二』だけだったけど、『東京上空いらっしゃいませ』は彼女の中では封印作品になっているのだろうか。・・・・なにゆえに。

2006年4月8日土曜日

見たくない

〔ほん〕


しゃおがんさんの『実録 亞細亞とキネマと旅鴉』でも取り上げていらっしゃいましたが、今年に入って丸善から出た『台湾映画のすべて』、ようやく読み始めました。

が。

細かいことにあんまり目くじらを立てたくないのですけれど、序章において既に、

ショウブラザーズ(香港)の黄梅調映画『梁山與祝英台』(24ページ)

や、

ヒロイン祝英台を演じた凌波(25ページ)

というようなありえねー!誤記を発見、いささかげんなりしております。

素人が書いた本ならいざ知らず、まがりなりにも研究書なのですから、このような初歩的なミスはもう見たくないというのが本音です。

また、日本で公開された作品には原題の後に括弧して邦題が明記されているのですが、一般公開こそされていないものの映画祭ではもう何度も公開されているので、ここは『梁山伯與祝英台(梁山伯と祝英台)』と書いた方が親切ですし、同様に『江山美人』(25ページ)も1962年に日本で劇場公開されているので、『江山美人(江山美人)』とすべきでしょう。

というわけで、ひとしきり問題点を指摘したところで最後まで読むことにします。

これにて撤収。

2005年12月6日火曜日

越境するポピュラー文化と〈想像のアジア〉

〔ほん〕


土佐昌樹・青柳寛編、定価2800円(本体)、2005年11月、めこん。

新刊紹介です。
(株)めこんから上記のような本が出版されました。
内容は下記の通りです(さらに詳しい内容はこちら)。

序章 「ポピュラー文化が紡ぎ出す<想像のアジア>」(土佐昌樹・青柳寛)

第1部 日本から
第1章 ソフト商法とハード・キャッシュ--―J?カルトのマーケティング戦略(ブライアン・モーラン)
第2章 新オリエンタリズム--―人種の超越と文化的友愛(シャロン・キンセラ)
第3章 琉ポップの越境が物語る沖縄性(青柳寛)

第2部 アジアへ
第4章 映画が国境を越えるとき--―アジアの"ハリウッド"が築いたムービーロード(松岡環)
第5章 スポーツ文化から見る台湾のポピュラー文化(清水麗)
第6章 イデオロギーと脱イデオロギーの狭間から--―韓国の青少年が夢中になる日本のポピュラー文化(張竜傑)
第7章 <韓流>はアジアの地平に向かって流れる(土佐昌樹)

アジア映画ファンにおなじみの松岡環さんも、映画における越境に関する論考をお寄せになっておられます。
基本的に学術論文なので、やや難解な言い回しも多いのですが、なかなか興味深い論考集だと思います。
ぜひ皆様もお手に取ってみて下さい。

2005年10月18日火曜日

en-taxi 第11号

〔ほん〕


2005年9月、扶桑社。柳美里、福田和也、坪内祐三、リリー・フランキー責任編集。

今朝の新聞広告で発見。
大特集が、

「七〇年代東映」蹂躙の光学

こいつを見たあっしは、昨日の「香港映画フォーラム」で王晶監督が、「現在の香港映画界が置かれている状況は、70年代の日本映画界と似ている」というコメントをしていたのを思い出し(ただし、70年代にはDVDはなかったけど)、「まあ、なんとタイムリーな!」と思い、さっそく購入いたしました。

表紙は、『脱獄広島殺人囚』の松方弘樹。

内容はというと、ざっとこんな感じ。


「現代暴力論-もしくは、ヤタケタな東映映画作品について」福田和也
対談「脚本家・笠原和夫の『反』」荒井晴彦×絓秀実
「美能幸三に初めて会った夏。」岡田純良
特別取材「『仁義なき戦い』の頃を思い出すと・・・・・・」松方弘樹
「つるりとした気品-成田三樹夫の俳句」石井英夫
「飲み、書き、演じたオトウさんたち-殿山さんとコミさんのこと」内藤 誠
「東横映画史略 -満映後史・東映前史」田中眞澄
追悼:石井輝男監督「キング・オブ・カルト 不死鳥の死」リリー・フランキー


これに「別冊付録」(昔のお子様雑誌みたい)として、笠原和夫の『実録・共産党(未映画化シナリオ)』と『日本暗殺秘録』が付いてきます。

しめて860円也(レジのあるお店では859円みたい)。

で、中島貞夫監督(来月、これやります!)へのインタビューも収められた福田氏の評論の最後には、


今年の春、フジテレビの衛星放送の番組で、東映の岡田茂相談役にインタビューする機会があった。いろいろ伺った最後に、結局プログラム・ピクチャーが復活しないかぎり、映画は復活しません、とおっしゃった。


とあり、やはりここでも、昨日の王晶監督の「娯楽至上」発言を思い起こしたせんきちなのでありました。

王晶監督、岡田さんと気が合うと思うよ、きっと。

付記:福田氏の評論の中で「京都の『T撮影所』に、『温泉たこつぼ芸者』という作品のためにやってきた、と『三文役者のニッポンひとり旅』、「京都のパラダイス」と題された回で殿山泰司は書いている。『T撮影所』が、東映京都撮影所だろうということはすぐに推察できるが、『温泉たこつぼ芸者』という作品はよくわからない」という件がありましたが、これはご周知の通り『温泉みみず芸者』の当初のタイトル。岡田さんが「たこつぼ」を「みみず」に変えちゃったらしいです。

2005年9月15日木曜日

『古典美人樂蒂』、到着

〔ほん〕

黄玥晴編著。2005年9月、大塊文化出版(台湾)。

先月末にちょっこしご紹介しましたが、台湾に本拠を置く「樂蒂國際影友會」のコア・メンバーの皆さんが中心になってまとめられた楽蒂の研究書である『古典美人樂蒂』、本日我が家に到着いたしました。
影友會コア・メンバーのお一人・Annabelleさんが、わざわざ送って来て下さいました。
巻末の「特別鳴謝」の項に、あっしの名前も載せていただいております。
ありがたいことです。

で、上に掲げたのは表紙ですが、下は裏表紙。


この他にも、↓このような美しい写真が満載。


役者時代に樂蒂と何度も共演した胡金銓の知られざる写真も、数多く収録されています。

また、樂蒂の3番目の兄である雷震をはじめ、凌波、任潔、張沖、鄒文懐、王天林といった縁の人々へのインタビュー記事が大変有用です。

まだあちこち拾い読みしただけですが、樂蒂と凌波が互いのことを「樂蒂桑(さん)」「凌波桑(さん)」と呼び合っていたという、興味深い事実が凌波によって明かされています。
これは『梁山伯と祝英台』の撮影中、西本(正)さんが2人をそう呼んでいたことに倣ったのだそうです。

それから、樂蒂と尤敏が「姉妹のように仲が良かった」という雷震の話にも、しみじみいたしました。
尤敏が結婚して引退した後、映画界の人たちと距離を置くようになった(ご主人の意向だったらしいです)ことも、樂蒂にとって少なからずショックな出来事だったようです。

さて、気になる本のお値段は、台湾のネット書店(金石堂)ですと約1300円弱。
送料が約850円(1冊の場合)ほどかかりますが、yesasia(右のリンク参照)でお買い求めになるよりもかなーり安いので、安さ追求でしたらこちらの会員になって注文されることをおすすめいたします。
あるいは、yesasiaで他の物品も大量にお求めになって送料を浮かす、という手もアリかも知れません。

ぜひともお手に取ってみて下さい。

2005年9月3日土曜日

絵日記 東南アジアの印象

〔ほん〕

夕べから尾藤イサオが歌う『非情学園ワル』の主題歌(『ワルのテーマ』)のサビ部分(俺はワル、ワル、ワルでなぜ悪い)が癖になっているせんきちです。

さて、本題に入る前に、昨日の朝日新聞朝刊で見つけた気になる情報。

13版33面下段に「文化庁舞台芸術国際フェスティバル」(こちらで去年の公演の模様が視聴できます)の広告が掲載されていたのですが、その中の「『ポップアジア2005』丸の内スペシャル~Enjoy! Asian Pops~」の出演者に、

チャン・ヤートン(中国)、ヴィッキー・チャオ(中国)

の名前が。

「むむ、張亞東に趙薇。いったい幾ら取るんだ?」と思い、確認したところ、「入場無料」の表示が。

ほんまでっか?

ちなみに、公式サイトでは「出演(予定) ポップアジア2005出演アーティスト&音楽評論家」となっておりまして、上記のお名前はございませんでした。

後で問い合わせてみます。

それでは、いよいよ本題に入りましょう。

昨日、近所の古本屋さんで面白い本を買いました。

『絵日記 東南アジアの印象』 田中鼎三著

絵はがきやグリーティング・カード印刷の老舗・尚美堂(2002年に自己破産)の社長だった著者が、1958年12月に2週間の予定で香港、シンガポール、クアラルンプール、バンコクを視察旅行した際の旅行記です(1959年、尚美堂、非売品)。
と、ここまででしたら特にどうということもない、海外旅行がまだ珍しい時代の洋行記で終わってしまうのですが、そこは絵はがき出版のパイオニア、旅先で著者の撮った写真を絵はがきに仕立てたものや、あるいは写真そのものをアルバムに貼り付け、その合間に著者自筆の絵日記が収められているという、かなりユニークな代物に仕上がっております。

トップに表紙の写真を掲げましたが、


こちらは、香港の公営アパートを写した写真に彩色を施して、絵はがき風に仕立てたものです。
実物が貼ってあります。


こちらは、香港の街頭写真(カンバンの町)。
やはり、写真そのものが貼ってあります。


こちらは、絵日記本文(香港にて)。飲茶に関する記述です。
文中にある「カスタープリンのようなものが最中のカワのようなものに這入っているもの」とは、蛋撻のことでしょうか。
昔の方なので崩し字が多いですが、読みやすい崩し方&新仮名遣いなので、比較的すらすらと読めます。

ちなみに、これでお値段は1000円。
いい買い物をしました。

お知らせ:明日からまた京都に行ってきます。帰ってきたらまた更新いたします。

2005年8月23日火曜日

こがぁな本が売れとるようじゃ 続

〔ほん〕

東方三侠@MIYAKOの芸者(ヨーさん、一瞬、研さんかと・・・・)

というわけで、たまには「即断、即決、即実行」もいいのではないかと思い、今日、本屋さんで買ってきましたよ、あの本

さっそく読みました。

・・・・・。

かなり急いで作ったみたいですね。

いろいろ指摘したいことはあるのですが、とりあえず、重要と思われることだけ。

○珠海の買春騒動を報じる現地紙(44ページ)の部分に切り貼りしてある記事、これって、全くかんけーのない両岸関係に関する記事ですわよ。
50~51ページにかけての西安留学生寸劇事件の新聞記事部分にも、44ページと同じものが切り貼りしてあったので、「いったいどこから引っぱってきたんだろう?」と思い、よーく見てみたところ、端っこに小さく、

亞洲週刊

という文字が。

あらら、アジア・ウィークから持ってきちゃったのね。
で、元の記事を探してみました。

奥さん、これでしたよ。

違った方面(台湾)からクレームがつきそうな気が。

なお、これらと同種のことは203ページ(「中国の軍事紙に掲載された記事」なる切り貼り)でも行われており、そこには『亞洲週刊』の別の記事が貼り付けてありました。

○「一九二六年の二月でしたわよねえ (蒋介石は・せんきち注)反共クーデターを起こして共産党員を次々逮捕したの」(119ページ)→おそらく「中山艦事件」のことでしょうけれど、これって3月じゃありませんでしたっけ?

○「いい 一九四三年に中共七全大会が開かれて」(139ページ)→1945年ですよね(汗)。

○「スプラトリー諸島でも経済水域をめぐりフィリピンと争い 南沙諸島では南シナ海諸国と争う・・・・」(196ページ)→あのー、スプラトリー諸島=南沙諸島では・・・・(滝汗)。

○「識字率は人口の二五%」(218ページ)→公式発表では95%に達しているはずなんですが。どちらのデータなんでしょう?(やっぱり汗)

○プーチンの似顔絵が「眉毛アリ」と「眉毛ナシ」の2バージョン存在するため(手分けして書いたのね)、それらが同一人物と気付くまでにけっこう時間がかかりました。
似てない似顔絵も多いし。いまだに誰なんだかわからん人も数人存在。

○金正日の似顔絵が この本の金正日にどことなく似ているみたいなんですけど、気のせい?

たしかに、あの国の政治体制にはかなり問題があるとあっしも感じていますが、でも、批判するならこういう基本的な事項はきちんとおさえておいた方がいいと思いますよ。

1575円、はっきり言って損したかも。

こうなったら『嫌韓流』も買ってみますわ。

2005年8月22日月曜日

こがぁな本が売れとるようじゃ

〔ほん〕



なにかと話題の『マンガ嫌韓流』の次は中国だ!とばかりに売れてるみたいです、この本
うちの近所の本屋にも平積みになっていました。

でもねえ、「監修:黄○雄」という時点で「読まなくてもわかったような」状態に。

こちらに詳しい紹介がありますけれど、絵も見難そうだな、『アシュラ』系(ジョージ秋山)だし。

ま、そのうち読んでみます。

それにしても、しばらくはこんな状態が続くのか知らん。

ふう・・・・。

おまけ:今朝の日刊スポーツに松田聖子台湾公演の記事が載っていましたが、「松田聖子の台湾公演のもようを大きく報じる現地紙」という写真の中に、

松田聖子開唱 黃牛半價拋售入場券

なる見出しを掲げた新聞も混じっていました。

ヤバすぎ。

2005年8月2日火曜日

香港日本關係年表

〔ほん〕

あたしたちも、載ってます!


陳湛頤、楊詠賢編著。2004年、香港教育圖書公司。

ようやく届きました。

1842年から1999年までの香港と日本との交流をまとめた年表。

新聞記事からこまめにトピックを拾っているようですが、いかんせん、漏れがあるのも事実。
ま、この手の本の常として、下調べ及びデータ入力は院生その他教え子にやらせて、ご当人はその結果をチェックするだけでしょうから、いたし方ないですね。

それに、香港大学所属の日本学者の共編著なのに、人名誤記があるのはいただけません。
佐田啓二が啓義になってますけど、こんなのネットで調べられますよん。

と、つい辛口の評価になってしまいましたが、それでもこれ、大変な労作です。
下調べをした(であろう)教え子の皆さん、お疲れ様でした。

当方、まだ戦後の部分をざっと読んだだけですが、ちょっと気付いた事項を取り上げてみましょう。

まずは、1960年8月20日。
テレビドラマ『怪傑ハリマオ』のロケ隊が香港で撮影を行っております。
これが、日本で最初に香港ロケをしたテレビドラマだそうです。
テレビもかなり早い時期から香港でロケしてたんですね。

1962年2月1日には、柳内滋氏と伊達正之氏(詳細不詳)が、日本語の専門学校を香港で開校していますが、その場所がなんと九龍砵蘭街(ポートランド・ストリート)。
今じゃ考えられない立地条件です。

同じ年の10月30日、津川雅彦と原知佐子が『夫婦的秘密』の香港ロケのため来港。

えっ?そんな映画、知らないけど。

ということで、さっそくチェック。
空と海の結婚』という松竹映画でした。
でも、主役は田村高廣と水谷良重(二代目八重子)なんだけど。

ふーん、こういう香港ロケ映画もあったんだ。
衛星劇場にリクエストしよう。

時代はとんで、1971年11月18日。
サインはV(青春火花)』映画版の宣伝のため、中山麻理が来港。
サインはV』、香港でも大人気でした。
だから、岡田可愛は『冷面虎』に出たのね。

翌1972年1月25日。
今度は『美しきチャレンジャー(紅粉健兒)』のヒロイン、新藤恵美が来港。
ちなみに、新藤恵美は『姿三四郎(柔道龍虎榜)』にも出ていました。
きっと『チャイナスキャンダル 艶舞(狂情)』は、「あの新藤恵美が脱ぐ!」と話題になったんでしょうな、香港でも。

そういや、あさってから香港では山田洋次の特集上映があるようですが、1992年にも「山田洋次作品展」なる特集があった模様。
日本映画祭も断続的に開催されており、特に1970年代半ばから80年代にかけては、ほぼ毎年行われていました。

じゃ、なんで、今度の特集上映は「第1回香港日本映画祭」なの?

・・・・この本読んで下さい。

付記:この本読んでようやく思い出したけど、1982年って、教科書問題勃発の年だったのね。つまり、同年製作の『レスリー・チャン 嵐の青春(烈火青春)』の反日ネタの裏には、この問題が隠されていたのだわ。ふふん。ついでにいうと、日本赤軍は香港でも悪さしようとしてたみたい。これもこの本で知りました。

2005年7月19日火曜日

Book Baton (いろんなBatonがあるのね)

〔ほん〕

DriftingcloudsのKEIさんからありがたく頂戴。
さっそく本題に入りましょう。
Onsen Batonなんか、あるといいけどね。

1、今、持っている本の册数

不明。本棚から溢れた本が、寝床の周囲を取り囲んでいる状態です。

2、最近、最後に買った本

香港日本關係年表』 陳湛頣、楊詠賢著
なんだか粤っぽい ~小心ものは地を滑る」の胤雄さんから教えていただいた本。
先月、香港の商務印書館に注文したけど、船便なのでまだ届いていません。
到着が待ち遠しい。

3、最近読んでいるorこれから読みたい本

・最近読んでいる本←日本語変じゃないの?(そういや、2の日本語も?)
 というわけで、「最近読んだ本」に変更
昭和キャバレー秘史』 福富太郎著
戦前の記述はややおざなり。
戦後の方が、やはり著者の実体験に基づくものだけあり、読み応えがあります。
ほんとはピンサロのことも知りたかったのだけれど、それについてはなし。
ピンサロとキャバレーは違うしね。

・これから読みたい本
金欠ゆえ、いまだ注文しないままになっている2冊を。
邵氏巨星 - 零距離接觸』 柏姜著
邵氏光影系列 - 文藝‧歌舞‧輕喜劇』 呉昊著
ううっ、来月こそ・・・・。

4、思い出に残る5册
二度と読みたくない5冊にしようかと思ったけど、いちおう、普通に「思い出に残」っている5冊にいたします。

『写真 映画百年史』全5巻(たぶん) 筈見恒夫編著
家にあった本。
中学時代の愛読書。
1955年刊(鱒書房)なので紙質が悪く、すっかりぼろぼろです。
第3巻や第4巻における戦前・戦中の中国映画への言及(「写真」と銘打っているだけあって、スチール写真も豊富)は、今読んでも勉強になります。
筈見恒夫の著書だと、他にはオリヴィア・デ・ハヴィランド&ジョーン・フォンテーン姉妹の父と同じ歯医者に通っていたという自慢話ばかりが思い出される『女優変遷史』(1956年、三笠書房)が印象に残っています。

『珍奇 絶倫 小沢大写真館』 小沢昭一著
これも家にあった本。
やはり中学時代の愛読書(1974年、話の特集)です。
気になる内容ですが、目次からご推察下さい。

記念写真、人物アルバム(桐かほる、天狗対こけし、ローズ秋山夫妻、カルーセル麻紀)、看板・はり紙、つわものどもが夢の跡-東京・旧赤線めぐり(玉の井、千住〔通称コツ〕、洲崎、品川、新小岩〔通称丸健〕、鳩の街、東京パレス、亀戸、新宿二丁目、新宿花園街、亀有、武蔵新田、立石、吉原)、風景、写真屋の父と私、東京ゲイボーイショー、一条さゆりさんの魂、トルコ嬢アンケート、レ痔ビアンショー、"残酷"入門 団鬼六氏に聞く、人肌に彫る 彫清さんに聞く、スポーツ・ヨシワラ、看板・はり紙、吉原・女郎屋の証言、パンツーマンの傾向と対策、写真のどこが面白い 細江英公さんと、あとがき

我ながらとんでもない本を読んでいたものだと思いますが、当時、この本と併せて『陰学探検』(小沢昭一、永六輔著。1972年、創樹社)なる本も愛読しておりました。
『陰学探検』の中には戦前の祇園でならした元舞妓さんとの対談も収録されていましたが、その中で元舞妓さんがセックスのことを「おはめはめ」と呼んでいたのが妙に記憶に残っています。

子怡ちゃん、『さゆり』の中でちゃんと「おはめはめ」と言ってるだろうか・・・・(ムリムリ)。

ついでに言うと、一条さゆりさんは香港電影迷の間で有名な2代目ではなく初代のさゆりさんで、彫清さんとは梵天太郎さんのことです。

中原中也詩集』 中原中也著 河上徹太郎編
高校時代の愛読書。
他にも青春時代(?)ならではのこっぱづかしい愛読書があるのですが、とりあえずこれだけでご容赦。
かつてうちにいた猫の名前も「中也」でした。
哀れ、飼い主のエゴの犠牲に。

中華人民生活百貨遊覧』 島尾伸三、潮田登久子著
この本(1984年、新潮社〔とんぼの本〕)と『香港市民生活見聞』(1984年、新潮社〔新潮文庫〕)は、大学時代に愛読しました。
島尾伸三さんの本は他にも面白いものが多く、今でも新刊が出るとつい購入してしまいます。

日本探偵小説全集(10) 坂口安吾集』 坂口安吾著
数ある安吾文庫本の中から、大好きな短編『アンゴウ』が入っている、これを。
涙なくしては読めない佳作です。
ちなみに、『小沢大写真館』に出てくる東京パレスの潜入ルポを安吾が書いていて(「田園ハレム」。『安吾巷談』所収)、それもなかなか面白いです。

で、次の方に廻さなければならんのですが、どういたしましょう。
しばし思案。
決まり次第、またこちらでお知らせします。

2005年5月12日木曜日

邵氏巨星 零距離接觸

〔ほん〕



柏姜著、2005年5月5日、星島出版(香港)。

まだ購入していないのですが、先日発売された新刊本
このところ怒涛の勢いで発売されている邵氏本に、また新たな仲間が加わりました。
作者は、邵氏のデジタルリマスターDVDを出している天映娯楽の方です。
一応、内容をご紹介しておきます。

目錄
1. 鄭佩佩 女俠「金燕子」
2. 劉家輝 從「光頭和尚」到「白眉道人」
3. 凌 波 為自己征戰的「花木蘭」
4. 姜大衛 我的「哥哥」
5. 狄 龍 永遠的大俠
6. 惠英紅 一位隨緣的武打影后
7. 林 黛 中國影壇之神話與傳奇人物
8. 樂 蒂 「中國最美麗的女明星」
9. 谷 峰 一顆永遠發亮的性格演員
10. 井 莉 惹人憐愛的「美少女」
11. 邵音音 柏姜心裡的「真英雄」
12. 黃卓玲 原來她是這樣的
13. 羅 莽 香港觀眾忽略了的功夫片國際偶像
14. 王 羽 迷人的「獨臂刀大俠」
15. 陳觀泰 好朋友的師伯
16. 許冠文 「他是天才?」「他不是天才?」
17. 汪 萍 天秤座VS天秤座
18. 林 沖 聚光燈以外,鑽石依然明亮
19. 李麗麗 不為藝術而「犧牲」
20. 甘國亮 我曾幻想要嫁給他
21. 吳宇森 「做兄弟・・・・・」
22. 蔡 瀾 你是我的偉大目標

許冠文と姜大衛が序文を寄せています。
YesAsiaでも購入できるようですが、ちと割高かも。
でも、他の製品とまとめ買いをして送料を浮かせば、割高分もチャラになるかな?

いずれにせよ、買わねば。

2005年3月27日日曜日

さいきん読んだ本

〔ほん〕

今日はだいぶ調子がいいです。
が、まだ長い記事を書く気にならないので、さいきん読んだ本のメモでも。

『童月娟:回憶錄暨圖文資料彙編』(電影家系列2)
左桂芳、姚立群著。2001年12月、國家電影資料館。

"ムービー・キング"こと張善琨の夫人にして、自身も女優・プロデューサーとして活躍した童月娟(2003年没)の聞き書きによる回顧録。
香港でも同種の書物が出ていますが、こちらは台湾の國家電影資料館が出版したもの。
夫・張善琨と川喜多長政の篤い友情と、川喜多に対する童の感謝の言葉に心打たれます。
また、張が急逝した後、彼の意思を受け継いでプロデューサーとして映画を製作し続けた、その奮闘ぶりを綴った部分にも読み応えがありました。
なお、本書の中で童は「改革解放後、大陸にいる友人から『中国に戻ってきたら』との誘いを受けたけれども、自分は国民党を支持し続けてきたので大陸へ行く気はない」と語っていますが、亡くなった時は上海にいましたから、結局は自分のルーツに帰ってその生涯を終えたのでした。
巻末の写真集及び作品リスト(新華、中華電影)も貴重。


『春花夢露 正宗台語電影興衰録』
葉龍彦著。1999年9月、博揚文化事業有限公司。

台湾語映画の成立からその末路までを辿った書物。
台湾語映画の監督に関するくわしい記述が、大変役に立ちました。
特に、戦後初の台湾語映画を撮った邵羅輝が、1962年、大蔵映画との合作映画を撮るために来日した、その裏には戦後のどさくさで生き別れになった奥さん(日本人)を探す目的もあった、という記述には、ちいとばかり切なくなりましたです。
「若い頃、あなたはどんな映画を観ていましたか?」という聞き取り調査の結果も、なかなか興味深いものがありました。
小林旭と石原裕次郎はダントツの人気ですが、(新東宝ないしは松竹の)海女映画に強烈な思い出のある人がいて、彼の地でもこの手の映画に根強い支持があったことを改めて知ったのでありました。

2005年3月21日月曜日

中華電影戯劇海報精選

〔ほん〕



洪述棠編。2003年3月、中華民國電影戯劇協會。

1950年代~2001年までの台湾映画ポスター集。
といっても、この団体(中華民國電影戯劇協會)の性格が「促進三民主義文化建設、完成反共複國大業」という国民党の政策に乗っ取ったものであるため、いきおい官製映画会社、特に中央電影のポスターが中心になっており、台湾語映画のポスターはほとんど収載されておりません。
そんなわけで、巻頭を飾るポスターは1962年の大映&中影による日台合作映画『秦始皇帝(秦始皇)』、以下、『海辺の女たち(蚵女)』『あひるを飼う家(養家人家)』と続きます。

しかし、不思議なのは侯孝賢作品のポスターが、『童年往事 時の流れ(童年往事)』と『恋恋風塵(戀戀風塵)』の他は、『冬冬の夏休み(冬冬的假期)』の日本版ポスターしか掲載されていないこと(『坊やの人形(兒子的大玩偶)』もあったけど、あれはオムニバスですし)。
それに、『金門島にかける橋(海灣風雲)』のポスターもないですね。どんなポスターだったのか、興味があるのだけれど。
李翰祥作品のポスターが見られないのも、なんとも惜しいところです。

加えて、香港のこの種の本においてはポスターに精緻な解説が添えられて、(ポスターの)画像を見、(解説の)文章を読みながら、映画史のお勉強ができるのに対して、こちらはただ年代順にポスターを並べてあるだけなので、画像はきれいですが内容的には物足りなさが残ります。
さらに中央電影以外の作品になると、1962年の『呉鳳』(台湾電影製片廠。香港・日本から主要スタッフ・キャストを招いて製作されたカラー作品。カメラを山中晋、照明を関川次郎が担当しています。VIVA!新東宝!)が1968年になっていたり、1981年の『頑皮偵探三遊龍』が1964年になっていたりと、映画史のお勉強どころか足を引っ張るような誤記が目立ちました。

が、そうは言っても、これだけのポスターを集めた本は貴重だと思いますし、これを見ると日本では本当にごく一部の台湾映画しか紹介されてこなかったことがよくわかります。

もっともっと、娯楽映画が観たいものですねえ。

付記:収載作品の内、『蛇魔女大鬧都市』って映画がすっごく気になったんですが、どんな映画なんでしょう?蒋光超や田豐が出ています。

2005年3月7日月曜日

同じ釜の飯

〔ほん〕



中野嘉子・王向華著。2005年、平凡社。

サブタイトルは、「ナショナル炊飯器は人口680万の香港でなぜ800万台売れたか」。
長すぎだっちゅーの!

だいぶ前に「読んだらまた感想でも書きますです」と書いておきながら1ヶ月以上も放置、忘れた頃にコソーリご紹介です。

この本、もともとは2003年に香港大学出版社から出た『由樂聲牌電飯煲而起 蒙民偉和信興集團走過的道路(全てはナショナルの炊飯器から 蒙民偉と信興グループが辿った道のり)』なる社会学ないしは人類学の研究書なのですが、日本語版を出すにあたって大幅に改稿、「中国ビジネスの種本及びプロジェクトX(オヤジ号泣)本」に変貌を遂げております。
なんせ、帯には、

弘兼憲史氏大推薦!!

の文字が躍ってますし、版元が付けた分類も「ビジネス・中国」になっておりました(バブルの落とし前もいまだつけず、行く先々で現地女性に手を出しまくるクソリーマン島耕作の推薦なんか貰っても、何にも嬉しくないけどな)。

で、本の内容はというと、長崎華僑の子として香港に生を受けた蒙民偉が、松下電器の香港総代理商信興)として電化製品、なかんずく電気釜(死語)を売って売って売りまくったその苦労話と、日本製品がいかにしてアジア市場を制していったかというサクセスストーリーを通じて、「彼の国と日本、双方の国情と国民性に通じた現地の人材をもっといかしましょう」てなビジネスのヒントが提示されていました。
つまりは「中国ビジネスを円滑に進めるために、現地の人、特に日本留学経験のある人たちをもっともっと登用してはいかが?現地のことは現地の人に任せるのが一番!」ということありまして、これを読んで「おお!そうじゃったのか!」と膝を叩くおじ様方もいらっしゃるのでしょうね、きっと。

しかし、しかしですよ。

実は当の蒙さん、とっくのとうに中国ビジネスからは撤退しておりまして(松下は、中国では別の現地法人を設立しています)、本書の中には蒙さんの腹心の、

「私たちは、中国ビジネスのことをモンキービジネス(水商売)と呼んでいました。すごくうまくいっているかと思うと、突然ダメになる。波が激しいんです。
だから、蒙会長は、いつも私たちに、こうおっしゃっていました。
中国市場は不安定だから、儲かっても棚ボタと思え。信興の主力市場は香港であって、地元香港の安定した市場こそ、信興がビジネスを展開すべき場所なんだ、と」(205~206ページ)

なるコメントも掲載されております。

あのー、これって、中国ビジネス本としての日本語版の体裁と矛盾してやしませんか?
それとも、「泥沼に嵌まる前にいさぎよく撤退するのも、賢い道の一つ」とでも言いたかったのかしらん?
ちょっと?ですわ。

当方としては中国ビジネス云々よりも、蒙さんのバイタリティ溢れるキャラクターにまず魅せられましたし、松下のショウルームが重慶大廈(!)にあったとか、香港のカリスマ主婦・ミセスフォン(方太)がナショナル電子レンジのシェア拡大に一役買ったとか、そんな些細な事実の方が面白かったです。
また、本文中に掲げられている新聞広告が「華僑日報(60年代)→星島日報、明報、東方日報(70年代~)」へと変化していく、そこに香港の新聞メディアの栄枯盛衰が見えて、大変興味深いものがありました(中国へのお土産家電の新聞広告が『文匯報』〔左派系〕というのも、いかにもですね)。
そういや、かつて華僑日報がやっていた映画スターの人気投票というのも大変権威があって、1962年に東映が樂蒂(ロー・ティー)を日本で売り出そうとしたときにも、この人気投票で尤敏(ユー〔ヨウ〕・ミン)より順位が上だったことを有効活用、「現地では尤敏をしのぐ大スター」と喧伝されたものでした。

変に中国ビジネス本に衣替えしなくても十分楽しめる本だと思いますが、ま、売り上げのことを考えて日本仕様(?)にモデルチェンジしちゃうのも、商売の手としてはアリなんでしょう。

さて、最後に一つだけ疑問が。

本文201ページ及び巻末年表274ページに、台湾から中国への里帰りの開始が「1986年」となっていましたが、当方の記憶が確かならば、探親の解禁は「1987年」ではなかったでしょうか?

うむむ・・・・。