2006年10月30日月曜日

アフリカの熱帯雨林にゐました (その壱)

〔しようもない日常〕

止まって下さい。

お久しぶりです。
誰からも呼ばれていませんが、しつこく帰ってきました。

いつもはヒマーなお仕事がこの時期に限って忙しくなり、その上東京国際映画祭見物も重なり・・・・で、ちいとばかしごぶさたしてしまいますた。
というわけで、まずは在庫一掃とばかり、東京国際映画祭で見物した映画のメモでも。

10月25日(水)

お仕事の関係で映画祭参戦が遅れに遅れ、週も半ばになってからようやく参戦。
この日は昼間に1本観てから一旦帰宅して仕事の続き&夕食の支度を済ませ、その後もう1度外出して2本観ました。

『アリスの鏡(愛麗絲的鏡子)』
2005年、台湾。姚宏易監督。 謝欣穎、歐陽靖、段鈞豪主演。

女の子同士(曉鏡と阿咪)のカップルに1人の男(小豪)が介在することにより、2人の関係に亀裂が生じ始めるんですけど、阿咪が小豪のことを好きになったために曉鏡が嫉妬しているのかと思いきや、実は小豪は曉鏡の元カレ(カレだよ、カレ!)でしかも今でも未練たっぷりということがわかった時点であっしの頭は大混乱。

あんたら、ゲイなのか、バイなのか、それとも彼氏がいない間の場繋ぎに女の子と付き合ってみましたー!なノンケなのか、一体全体何者なのさ?

まあ、百歩譲ってバイだったとしても、たった1人の男のせいでこんなにもあっけなく関係が壊れてしまう女同士の絆って何なんでしょう。

斎藤綾子でも読んで、出直して下さい。

(於:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン2)

『I'll Call You(得閒飲茶)』
2006年、香港。林子聰監督。 方力申、梁慧嘉主演。

タカビーわがままギャルともてない君のカップルがすったもんだの末、別れてからようやくお互いの大切さに気付くもののなかなか本心を言い出せず・・・・といったお話ですが、もてない君とその親友たちの(男3人の)濃密な関係を見ていると後半の林家棟の台詞じゃないけれど、やっぱりこれなら彼女なんて必要ないよなあと思い、ひょっとして、これは隠れたゲイ映画なのでは?などとも思ってしまいますた。

(於:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン2)

『永遠の夏(盛夏光年)』
2006年、台湾。陳正道監督。張孝全、張睿家、楊淇主演。

男同士の絆に女性が介在してそこからストーリーが展開するというパターンは『アリスの鏡』と似てなくもないけれど、こちらは幼馴染の親友の片方(正行)が片方(守恆)に片思いして、その片思いしている男の子(正行)に女の子(惠嘉)が恋をするものの彼の秘密を知ってしまい、で、思われている方の男の子(守恆)は女の子(惠嘉)のことを好きになって2人は大学入学後に付き合い始める・・・・という比較的受け入れやすい流れ(ありがちといえばありがちですが)。

ただ、守恆が正行とベッドを共にしながらそれでもなお「お前は俺の1番の親友だ!」と言い続けるその姿には、かなりの違和感が・・・・。
守恆の方がイニシアチブ握っていたにも関わらず、だよん。
親友を失いたくないという思いはわかるんですが、でも、そこまでやるか、おい?

正行の秘密を知りながらも彼を見守り、その後彼に対する罪の意識を抱きつつ守恆と付き合う惠嘉が男2人よりも魅力的でした。

(於:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン5)

(つづく)

2006年10月22日日曜日

茶呑み話のつれづれに

〔ちょっとお耳に〕


今日は他愛のない雑談ネタでも。

1、ひばり in 台湾

昨晩(21日)、テレ朝で放映された美空ひばりのスペシャル番組において、ひばり(雲雀)の台湾公演(1965年)に関するエピソードを取り上げていましたが、わたくしが美空ひばりが台湾でも公演を行っていたことを知ったのは今から17年前のこと。
彼女の死後刊行された写真集の中に国賓大飯店のバルコニーから手を振るひばりの写真が掲載されており、「へえ、ひばりって、台湾でも公演をしていんだ」と思ったのでした。
その後歳月は流れて2004年、台湾の超太っ腹デジタルアーカイブ「國家文化資料庫」で尤敏の資料を漁っていたわたくしは、ふと、「あ、そういえば、ひばりも台湾公演していたんだよな。それならここにも何か資料があるだろう」と思い、「美空雲雀」で検索したところ(UTF-8なので日本語入力でOK)、そこには台湾公演のさい松山空港に降り立ったひばりの映像が残されていました。
テレビでは「日本初公開」と銘打って放映されたこの映像、ネット上ではいつでも閲覧することができます。
見逃した方は、ぜひ國家文化資料庫にアクセスの上、美空雲雀で検索してこの貴重な映像をご覧になってみて下さい。

ところで。

昨年の東京国際映画祭で上映された台湾映画『月光の下、我思う(月光下、我記得)』では、日本語世代の母親(楊貴媚)が美空ひばり好きという設定になっていましたが、残念ながら著作権のこともあってひばり自身の歌声が流れることはありませんでした。
そのとき監督(林正盛)に伺ったところによると、やはり「お金の問題」が一番ネックになったとのこと。
パチンコもいいけど、こういう映画で曲を使わせてあげる方がもっと効果的だと思うんだけどねえ。

2、渡鬼は続くよどこまでも

「岡倉のお父さん」藤岡琢也さんが死去

この日は奇しくも坂口安吾生誕100年の日。
なにゆえに安吾かといえば、坂口の夫人・三千代さんの手記『クラクラ日記』のドラマ化作品(TBS。毎週水曜21:30~22:30〔水曜劇場〕。1968/1/31 ~ 1968/4/24。13回)で安吾を演じたのが藤岡琢也だったからなのです。
三千代夫人を演じた若尾文子はともかく、藤岡琢也の安吾というのはちょっと想像がつきません。
今年は生誕100年ということで「坂口安吾映画祭」(っても、5本きりなんだけど)も開催されているようですけど、せっかくの機会なのですからこのドラマの映像でも発掘上映してほしかったところです。

ジャズ好きだった藤岡さんがかつて(25年ほど前)司会をしていた月いち番組(土曜深夜) 『ミッドナイト・ジャズ』も好きでした。

とにもかくにも合掌。

それでも渡鬼は続く。

3、いろいろあります

17日の記事で取り上げた台湾歴史博物館の映像資料
よくよく調べてみたら、記録映画だけでなく、劇映画やアニメもありました。
わかった範囲でメモしておきます。

『海底王』=『海底王キートン』
『生活之歌』=『動物となり組
『生活之歌』(全八第一~第八)=『生活の歓び
『砂煙り高田のグラウンド』=『砂煙高田のグランド
『森のお醫者と白衣の勇士』=『森とお医者と白衣の勇士
『第二出發』(全八第一、第六~第八)=『第二の出発
『明サ行く純愛の一夜』=『明け行く純愛の一夜

『明サ行く純愛の一夜』ではカタカナの「サ」とひらがなの「け」を間違って用いていますが、日本語のわかる人ならこれでは意味が通じなくなるとすぐに気付くはず。
ひょっとして、デジタル化に関わるスタッフの中に日本語を解する人がいないのではないかという、一抹の不安が・・・・。

4、花と竜
これも少し前、1日の記事で『純情きらリ』のオチに対して、「どうせなら、(あおいちゃんが)ピン子にのりうつってほしかったよ」と書いたことに関する捕捉。
わたくしがこう書いたのも、あながち根拠のない話ではございません。

『純情きらリ』は、音楽家を目指しながらも時代に翻弄され夢かなわず若くして亡くなったある女性の一生を通じて、

意味のない人生なんてない。

ということを訴えようとした作品でしたが、これって実は『純情きらリ』の前にやはり浅野妙子脚本・宮﨑あおい主演で放映されたドラマ、『ちょっと待って、神様』の平凡な主婦・竜子(泉ピン子)の姿を通して既に提示されていたテーマなのであります。
天国へ行った桜子がみんなを見守っているというラストも、『ちょっと待って、神様』で秋日子(宮﨑あおい)が「きっとおばさん(竜子)が見守っていてくれる」と、竜子の存在を感じるラストを想起させるものでしたし。

そう考えながら改めて『純情きらり』の桜子を観察してみると、桜子ちゃんって、なんだか秋日子の身体を借りた竜子のキャラに似ています。

いつも前向きで、ひたむきで、ちょっぴり(かなり?)おせっかいで、自分のことよりも家族のことばかり考えている。

宮﨑あおいは、この後再来年の大河ドラマ『篤姫』で主役を張りますが、このドラマの脚本もてっきり浅野妙子が書くものだと思い込んでいた不肖せんきち、二度あることは三度あるとばかり、

意味のない人生などないのじゃ。BY:篤姫(はあと)

のようなオチにならないようにしてもらいたいもんだ、と危惧していたら、何のこたあない、これは別の方(田淵久美子)が書くんですね。
でも、放送前情報に、


大河ドラマ「篤姫」は、時代に翻弄されながらも、自らの運命を前向きにとらえ力強く生き抜いた“薩摩おごじょ”の一生


とあるからには、やっぱり『純情きらり』の延長線上に位置するドラマになりそうな予感。
これじゃまるで、『ちょっと待って、神様』→『純情きらり』→『篤姫』と、

宮﨑あおいの成長小説

を見せられているような気分ですわ。

和宮との嫁姑バトルはあるのか?

2006年10月19日木曜日

心有千千結 (The Heart With A Million Knots)

〔えいが〕

互いに反発しながらも惹かれあう2人なのでありました。

1973年、台湾(大衆)。李行監督。甄珍、秦祥林、葛香亭主演。

遅ればせながら、「侯孝賢映画祭」勝手に協賛企画。
侯監督が監督として一人立ちする以前の作品を取り上げてみますた。
一応、手持ちのソフトが何本かあったのですが、有力候補は「甄珍&秦祥林」もしくは「林鳳嬌&鍾鎮濤」の組み合わせで、せんきち的には「林鳳嬌よりも甄珍の方が好き」だったのと、どうせなら最初期の作品にした方がよかろうとも思い、この作品に決定いたしました(男優はハナから無視)。

本作では記録を担当。

でもせっかくですので、他の作品のクレジットだけでもご覧下さい。

『悲之秋』(助監督)。
王童が芸術指導。

『早安台北』(脚本)。

『天涼好個秋』(脚本)。

同上(助監督)。

本作は瓊瑤作品の映画化です。
超おおざっぱなストーリーは下記の通り。

看護婦の江雨薇(甄珍)は、気難しく癇癪持ちの孤独な富豪・耿克毅(葛香亭)の担当となりますが、誠意を以て患者に接する雨薇を耿は気に入り、自分の専属看護婦として自宅に招きいれます。
耿には3人の息子がいましたが、長男と次男は父の財産をあてにするだけで父子の間には諍いが耐えませんでした。
一方、三男の若塵(秦祥林)は正妻の子ではなく、耿と彼の秘書との間に生まれた息子でした。
秘書は息子の将来を考えて我が子を耿に託して自分は身を引き、若塵は耿の家で育てられるものの、家族の仲はうまくいきませんでした。
ある日、耿に結婚を反対された若塵は出奔、それっきり消息を絶ってしまいます。
3人の息子の中で若塵を最も気にかけていた耿は、何とかして若塵に戻ってきて欲しいと願っていましたが、雨薇の尽力によってようやくそれが適い、父子は再び共に暮らし始めます。
が、これに不満を持つ長男と次男が何かと干渉するようになり、その最中、耿は発作を起こして倒れ帰らぬ人となります。
死後、弁護士によって耿の遺書の内容があきらかにされましたが、それは意外なものでした・・・・。

登場人物を見ればおわかりの通り、紆余曲折がありつつも甄珍と秦祥林が結局はピッタンコくっ付くというお約束のキャスティングなんですけど、秦祥林は生身の甄珍を愛しているというよりは、甄珍に母親の面影を見ているという傾向の方が強いので、最後に立派な青年実業家となった秦祥林が甄珍と再会する件は、

ママ、見てみて!僕、こんなに成長したんだよ!

と母親からの承認を求める元不良息子のようにも思えました。

同じように、葛香亭が甄珍を気に入るのも、彼女を娘のように感じてというよりは無意識の内に妻や愛人の代わりを求めているような感じで、もしもこのお父さんがもうちょっと若くて元気だったら、父子と甄珍の三角関係成立!な展開になったであろうと容易に推測できます。

看護婦っていう職業がまた母性を象徴するような職業ですしねえ。

ついでに言うと、秦祥林の生母は葛香亭からは何も求めることをせず、自らは日陰の身に甘んじ、ついには息子を父親に託して異国の地(日本)で淋しく死んでゆくという、どこまでも男にとって都合のいい女に描かれています。
何ゆえに葛香亭とこの女性が愛し合うに至ったのかという、肝心の経過が全く描かれていないだけになおさらです。
それがまあ当時の愛人としてのあるべき姿だったのかも知れませんが。

映像的にはプロデュースを担当した白景瑞の生霊が李行にのり移ったのか(六条御息所じゃないんだから)、かなり過剰な描写が目白押しで、特に葛香亭が発作を起こして倒れる件は一言「くどい!」と叫びたくなりました。

顧嘉煇の音楽は、同時代の日本のテレビドラマにクリソツ。
思わず岡崎友紀の顔が眼に浮かびました。

ところで。

侯孝賢映画祭のパンフに掲載されたインタビューの中で、監督が海外からの帰国組に大変影響を受けた旨のコメントがありましたが、侯監督のような土着のたたき上げ組と楊徳昌をはじめとする帰国組、これに張艾嘉のような香港組が加わっての台湾ニューシネマという構図は、ちょうど李行の世代、つまり1960年代から70年代にかけての台湾の北京語映画全盛時代にも当てはまるような気がします。
すなわち、李行(たたき上げ組)、白景瑞(帰国組)、李翰祥、胡金銓(香港組)という構図がそれで、歴史は繰り返すということなのでしょうか。
となると、また同じようなムーブメントが(台湾映画に)やって来るのかしらん?

2006年10月17日火曜日

片格轉動間的台灣顯彰

〔ちょっとお耳に〕

お金には縁がないので。

今日の『朝日新聞』朝刊。
「週刊アジア」の隅っこに、


植民地時代語る映像
【台北】台湾歴史博物館は、日本の植民地時代に台湾で上映された記録映画などのデジタル化を進めている。本数は約170本。台湾内の収蔵家から買い取って、カビが生えていたり切れていたりしたフィルムを手作業で修復した。修復が終わった作品を、このほど博物館のホームページで公開を始めた。(後略)


とあったので、早速探索してみました。
ちなみに、台湾歴史博物館は台北にある国立歴史博物館とは別物。
台南にて目下快感、じゃなくて、開館準備中のおニューの博物館でおます。
台北は大陸、台南は台湾、という棲み分けなのかしらん。

かんじんの映像資料は、「片格轉動間的台灣顯彰」というコーナーにありました。
公開済みの作品リストはこちらになります。
リストによると、全部で168本あるみたいですけど、70本ほどはすでに公開されている模様。

國家文化資料庫もそうですが、こうやって貴重な映像資料やら画像資料やらを気前よくドーンとネット上で公開してくれるのは、外国に住む者にとっては何ともありがたいことです。

これからゆっくり観てみます。

2006年10月15日日曜日

反省だけなら猿でもできる

〔しようもない日常〕

これは香港版日本でも発売されるようです。

毎日暴飲暴食のせんきちです。

昨日はシネマヴェーラ渋谷で『風が踊る(風兒踢踏踩)』を観た後、いったん銀座へ行って友人が出展している書の展覧会を鑑賞、それからまた渋谷へ戻って別の友人と『HHH:侯孝賢(HHH:Portrait of Hou Hsiao-hsien)』を観てから夕食へ。

が。

その友人もわたくしも大変な酒飲みゆえ、必然的に酒が主でつまみは従という結果になり、帰り際、勘定書きを見たら、

席料:400円(1人200円)、つまみ代(4品で)2590円

なのに対して、

酒代:4400円

になってましたわ。

これでもセーブしたんだけどねえ。

これからは酒代の安いところで飲むようにします(とりあえず反省)。

ところで。

シネマヴェーラの受付で1200円というそこそこお手頃な値段で販売されていた『百年の恋歌 侯孝賢』なる今回の映画祭のパンフレット、ざっと目を通してみただけでも黙って見過ごすわけには行かないいくつかのミスを発見。

1、まず最初のインタビューの3頁:「ホウ・シャオシェン監督の作品は、日本では1988年に第7作目の『童年往事‐時の流れ』(85)が最初に公開され、そしてその後遡る形で全ての監督作が劇場公開されています」とありますが、これは前にも取り上げた通り、1984年の『坊やの人形』の公開(10月6 ~7日広島映像文化センター、10月18~11月4日東京下北沢・鈴なり壱番館、11月1~5日名古屋シネマテーク、11月16~17日大阪浪速開放会館)を全く無視した発言。
しつこいようですが、この事実を敢えて無視するのであればその根拠(例えば「1984年のそれはいわゆる『自主公開』と看做されるので『一般公開』とは区別した」ですとか)を示してほしいところです(『坊やの人形』日本公開の経緯に関しては、こちらをご参照下さい)。
2、同じくインタビューの4頁:《光陰的時光》は《光陰的故事》のことでしょう、きっと。
3、侯監督のプロフィール(60頁):「国立芸術学院」(現・台北芸術大学)とあるのは「国立芸専」(現:台湾芸術大学)の誤り。国立芸術学院の卒業生は呉倩蓮や陳湘琪ら。
4、侯監督のフィルモグラフィ(61頁):出演作品の欄に「1986年『ソウル』(監督:舒琪)1986年『老娘夠騒』(陶徳辰)」とありますが、『ソウル』の原題が『老娘夠騒』であるのはご周知のとおり。よって、後者のタイトルは正しくは『福徳正神』。

いくらお手頃値段だからといって、校正には万全を期してほしいものです。

そういや、わたくしが銀座へ行っている間、シネマヴェーラでは『フラワーズ・オブ・シャンハイ(海上花)』カンヌバージョンを上映していましたが、あんなに女性客の含有率が多く、また、女子トイレに行列が出来ているシネマヴェーラというのを、あたしゃ初めて見ましたよ。

トイレは空いてるほうがいいね。

2006年10月13日金曜日

人斬り観音唄

〔えいが〕

音楽はこちらで聴けます。

1970年、東映京都。原田隆司監督。菅原文太、大木実、若山富三郎主演。

本題に入る前に、例によって前置き。

8日の記事で、

常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾート・ハワイアンズ)の椰子の木は、台湾からやってきた。

と書きましたが、その後、知人のKさん(こないだ桜鍋を一緒に食べに行ったKさん。台湾系華僑)がなんとわざわざスパリゾート・ハワイアンズに問い合わせてくれた結果、それはあくまで映画(『フラガール』)の中での話で、じっさいには、

鹿児島、宮崎、沖縄から持ってきている。

とのことでした。

考えてみりゃ、そりゃそうだよな、いざ輸入するとなったら検疫とか大変そうだし。

ところで、せんきちが子供の頃、常磐ハワイアンセンターへ行ってきたご近所の方からよくお土産に頂いたのがメヒコのシーフードピラフ。


当時は、「すごいなあ。福島にはハワイだけでなくメキシコまであるんだ」と思ったものです。

でもなんでカニなんでしょ?

といったところで本題。

若山富三郎の『極悪坊主』シリーズで、主人公・真海にしつこく付きまとっていた宿敵・了達を主演に据えた外伝なのですけれど、せんきち的には了達が

拳法と鞭の使い手

であるところから、「早すぎたカラテ映画」ではないかと考えている作品でおます。

鞭といえばこの映画
佩佩ちゃんと文太のムチムチ対決!


内容的には、了達に付き従う小坊主・林太郎(念のために申し添えると2人とも盲目)の母親探しや、林太郎の目の治療といったメインの要素はいつの間にか雲散霧消してしまい、通りすがりの琉球人を助けるという行きがかり上引くに引けなくなったお話のみ解決、というなんだか消化不良な映画なんですが、とりあえずはひたすら鞭を振り回し、敵に目潰しや飛び蹴り(これが拳法なのか否かは意見の分かれるところでしょうけれど)を食らわす文太の根暗なアクションに注目!ということでよろしいのではないかと。

この映画では琉球人を騙す悪い日本人とそれを救う主人公という構図ですが、その他の仁侠映画でもアイヌや満州の中国人といった異人さんが悪い日本人に迫害されていると、主人公がそれを救う、といったパターンがしばしば見受けられます。
ただ、どちらかと言えば主人公の立場(正義)をより強めるための設定で、人種問題がどうこうというものではないと思うのですけれど。

若山富三郎は、ここでは大酒飲みの目医者(自称:ヘボンの弟子)役で登場。林太郎の目は治る見込みがあるとの診察をするものの、治療のための勉強をしにドイツへ行くとかで、あっさり退場。
いつもシーバスリーガルをラッパ飲みしていますが、その時代(1877年)にはまだシーバスリーガルはなかったはず(1891年誕生)。

その時代になかったといえば、拓ぼんと同じぐらい目立っていた福本清三の髪型もその時代には・・・・。

色黒(エログロじゃなくて)坊主の文太の横顔、誰かに似てると思ったら、古天樂でしたわ。

2代目了達、よろしく。

2006年10月11日水曜日

2人合わせて李香蘭

〔しようもない日常〕

どうもここんとこ身体の調子が悪くて困ります。
特にお肌が・・・・。
お肌が不調だと気分までユーウツになってしまいますわ。

そんなわけで、今日はつまらない日常雑記。

先月末から、テレ東深夜の「シネ・ラ・バンバ」枠でコソーリ悦ちゃんの『女必殺拳』シリーズが放映されています。
先週は、シリーズ2作目の『女必殺拳 危機一発』でした。


第1作では兄が犠牲になった悦ちゃん扮する李紅竜ですが、本作では姉が犠牲に。
思わず「あんたのおかげで一家全滅」と言いたくなりますけれど、姉を演じていたのがこちらでも何度か取り上げております光川環世こと李月隨さん
役名は李白蘭。
姉妹2人で『紅白歌合戦』ができそうな名前です。
また、音的には、

姉:りびゃくらん
妹:りこうりゅう


で、2人の名前をいいとこ取りして合体すると

りこうらん

になるという、すてきな仕掛けが施されております。
たしかお兄さんの名前は李万青でしたから、3人合わせるとあら不思議、


フランス国旗の出来上がりです。

李紅竜を助ける謎の男・『アンコ椿は恋の花』の椿俊輔(実は香港人)を演じていたのが、倉田さん。
いつも口笛で『太湖船』を吹いていますが、これはやはり倉田さんご自身のアイデアでしょうか。
血なまぐさい陰謀にのどかなメロディーがミスマッチというか、いったいこの人は強いのか弱いのかわからない、得体の知れない謎の男であることを印象付けるという意味では効果的な選曲なのかもしれません。
『香港の星』では、難民診療所の待合室で女の子が歌ってた曲なんですけどね。

強いのか弱いのかわからないと言えば、敵役の本位田3兄弟(猪一郎、鹿二郎、蝶三郎)と羅内幻十郎(力也怪演)も謎の男たちです。
一気にやっつけるのかと思いきや、肝心なところになると捨て台詞を残してさっさと退散、特に羅内幻十郎は暴れるだけ暴れたわりにはあっけなく殺されてジ・エンド。

先々週、先週と見逃した皆様、明日の深夜は第3作『帰ってきた女必殺拳』が放映です。
今直ぐ録画予約することをおすすめいたします。

2006年10月8日日曜日

ファイナル・ウォー (For the Cause)

〔えいが〕

お願いですから、もうこれっきりにして下さい。

2000年、アメリカ。デヴィッド・ダグラス、ティム・ダグラス監督。ディーン・ケイン主演。

猴、もとい、猿、じゃなくて、去る10月2日はミシェル・クルジーク(Michelle Krusiec 、楊雅慧)のお誕生日だったので、お祝いを兼ねて出演作のDVDを鑑賞しますた。

TSUTAYA onlineの商品説明には、


2XXX年。100年に及んだ世界戦争で地球は崩壊寸前だった。終結の見えない戦いに疲労しきっていた僅かに生き残った人類は宇宙へ未来を託す。そして人類は新たな希望を見出すため、地球から遠く離れた惑星に建造された2つのコロニーに移住したのだが…。
「ブリザード・ウォー」「U.S.シールズ」のヌー・イメージが描く近未来戦争アクション。監督・脚本・SFXは大ヒット作「スピード」でSFXを手掛けたデヴィット・ダグラスとティム・ダグラス。荒廃した未来の地球で、人類が繰り広げる戦いを描く。


とあり、一方、TSUTAYA DISCASでは、


『ブレイク・スルー』のディーン・ケインが出演した、宇宙を舞台に人類たちの最終戦争の恐怖を描く近未来戦争アクション。100年に及んだ世界戦争で荒廃した地球を諦めた人類は宇宙のコロニーで生活しているが、2つのコロニー間の争いは絶えなかった…


と紹介されていますが、他の惑星なんかにゃちっとも見えないし(寒そうな冬のアメリカにしか見えないよ)、近未来の話なのに兵器や装備はアナログだし、何より、この人たちがなぜ戦っているのかの理由が全く不明なトンデモ戦争映画。
一応、SFらしいんですけど、物好きな戦争ごっこを通じてもっともらしく反戦を訴えた映画というのが関の山でしたわ。

ミシェル・クルジークの役どころは、レイトンという名の戦闘プログラマー。
よく見るとガレッジ・セールの川ちゃんに似ているディーン・ケイン(Dean Cain)扮するマッド将軍の手先になって裏切り行為に走り、それがばれて射殺されてしまいます。
この戦闘プログラマー、魔女という別名の通り、魔法を駆使して敵を倒すこともできるんですが、彼女たちが後生大事に肩からぶら下げているメカがまたダサい。
博品館トイパークで売っているおもちゃ(対象年齢3歳以上)みたいでした。

何もかもがチャチすぎる内容とは裏腹な『ファイナル・ウォー』という大げさなその邦題、「お願いだから、こんな物を作るはもうこれっきりにして」という意味においては言いえて妙のタイトルであったと言えましょう。

ところで。

気になるミシェル・クルジークの新作ですが、タイトルは『トゥルー・ノース(True North)』。
共演は楊紫瓊とショーン・ビーン(Sean Bean)、監督はアジフ・カパディア(Asif Kapadia)。
堂々の主演ざます。

日本公開に期待しましょう。

上記の話題とは何の関係もないおまけ:先だって『フラガール』を観て、常磐ハワイアンセンターの椰子の木が台湾からやって来たことを知りましたが、松雪泰子演じるまどか先生のモデルとなったカレイナニ早川さんも台湾生まれだったんですね。

台湾発ハワイ経由いわき往き。

以前、海南島に行ったとき、いつも椰子の木と一緒にビンロウの木が植えられていたので「なんでいつも一緒なんだ?」と尋ねたところ、「椰子の木とビンロウの木は夫婦なので(椰子が雄でビンロウが雌)、だから雌雄一緒に植えるんだよ」と現地のお姉ちゃんが教えてくれたことがありましたが、どこでもそういう風な植え方をしているのでしょうかねえ。

2006年10月6日金曜日

鄧麗君もの2種

〔えいが〕

看板に偽りあり(こちらは香港盤)。


中秋節ですが、東京は大雨です。
不肖せんきち、お腹壊してました。
ビールの飲み過ぎかしらん。

橋本聖子議員、第3子は「とりの」君

web版ではカギカッコが付いていますが、紙面ではカギカッコが無かったもんで、うっかり

とりのきみ

なんて読んじまいましたよ。
「イタリアの街」というよりは「馴染みの焼き鳥屋」みたいなネーミングですけど、長男の名前は

亘利翔(ぎりしゃ)

なんですね。
まさに、

仏恥義理

なそのセンス、次の女の子の名前は

茶偉名(ちゃいな)

夜露死苦!

というところで本題。

鄧麗君関連の映画を2本観たので、記憶喪失になる前にメモ。

看見你就笑(Everybody Is Laughing)


1972年、台湾。陳洪民監督。鄧麗君、王莫愁、その他大勢。

こないだの台北からの帰りがけ、空港で買ったDVD
配給会社(金世紀)のクレジットはあるんですけど、製作会社がどうしてもわかりませんでした(「台灣電影資料庫」にもデータなし)。

「鄧麗君が出ているというフレコミのくだらない映画がある」という話はかねてから聞いていたものの、これがもう聞きしに勝るくだらなさ。
お金と時間の無駄なので、買わない方が身の為だと思います。

お話は民国初期、とある軍閥のどスケベ将軍をめぐるすったもんだを描いたベタ過ぎる喜劇ですが、中身のくだらなさに反してキャストは豪華。
王莫愁、唐寶雲、柯俊雄、歐威、秦漢、蒋光超・・・・等々、よくもまあこんな映画に出たもんだと思うような役者が勢ぞろい。
特に、王莫愁は将軍様の第一夫人役で登場頻度高でおました。
この時期の彼女って、なんだかリニューアル後の山本リンダに似てますわ。

テレサは狂言回しのような役どころ。
彼女の出てくる場面のみが現代です。

愛情一、二、三(Love Styles XYZ)

1971年、台湾(大衆)。李行監督。張美瑤、柯俊雄、歐威、林嘉主演。

タイトルを読んでピンと来る方も多いと思いますが、あの曲が主題歌の映画
3話からなるオムニバスで、第1話はプレイボーイ(柯俊雄)と付き合った純情娘(張美瑤)の恋の行方、第2話はオートバイ修理工場の主人(歐威)が起こした詐欺事件とその妻(張美瑤)との偽装離婚の顛末、第3話はオールドミス(林嘉)と男やもめ(歐威)の恋にオールドミスが勤める歯科医の医者夫婦(柯俊雄、張美瑤〔歐威の妹という設定〕)の離婚騒動が絡む、というもの。

大人のラブコメを狙った感じのお話でそこそこ楽しめましたが、何より、柯俊雄と張美瑤の役柄にその後の2人の姿を重ね合わせてしまい、映画の中身よりもそっちの方が気になってしまいました。
第1話ではいやがる張美瑤を追い回す柯俊雄が色魔みたいでしたし、第2話では張美瑤を寝取る男の役が柯俊雄、第3話では喧嘩ばかりしている夫婦という設定でしたしねえ。

第3話で歐威と林嘉が恋に落ちるきっかけとなる、その舞台は停電中のエレベータ。
どこかで見たようなパターンです。

この時期、台湾の男優と言えば柯俊雄か歐威かといったあんばいで、本作でも2人仲良く共演していますが(2人とも本省人で台湾語映画出身)、このわずか2年後に歐威は亡くなってしまうわけでして、その早すぎる死が改めて惜しまれます。

2006年10月1日日曜日

デブを見ていた午後

〔しようもない日常〕

桜子の忘れ形見・きいち君は、長じて
立派な画家になりましたとさ。
めでたしめでたし(別人だよ!)。


じゃ、こっちか?(どのみち別人)

昨日最終回を迎えた『純情きらり』。
物語は一気に50年後に飛び、老けメイクをしたあおいちゃんが登場するのかと思いきや、胸を病んで

死んじまいましたしー!

不肖せんきち、数年前に年下の親友を突然亡くして以来、主要な登場人物が若死にする映画やドラマを観るとどーにもやり切れない気分になるので、これ以上の言及は避けますです。
どうせなら、そのままピン子にのりうつって欲しかったよ。

ということで、同じ日(つまり昨日ね)。
早朝から都内某所のチケットぴあにお友達と一緒に並んで東京国際映画祭のチケットをゲット(希望通り買えました)したせんきちはその足で両国国技館へ直行、

和歌乃山引退山分襲名披露大相撲(よーするに断髪式ね)

を観てまいりました。

本日の主役・元小結和歌乃山関。

国技館へ行くのは寺尾の断髪式以来。
4人マスを3人で使い、比較的余裕のある環境にて鑑賞。

花相撲名物の初切(しょっきり)では、口に含んだ水を吹きかける反則技やボクシング、柄杓で相手を殴る等のお約束のネタの他、

ハンカチ王子の物真似

が新たなネタとして加わっていました(いつまで通じるのか、このネタ)。

相撲観戦のさいの三種の神器。
ビール、焼鳥、すもうあんぱん。

十両の取組の後、いよいよ断髪となりますが、ここで髷切ってくれた人の数が多ければ多いほどご祝儀もガッポリなので、1時間近くだらだらと切り続け、途中にはお約束の著名人ゲストが登場。
一番の有名どころは吉川晃司、意外なところでは呉汝俊がチョメチョメ、じゃなくて、チョキチョキしておりましたわ。

チョキチョキする吉川晃司。


最後に師匠の武蔵川親方(ゴローちゃん)が留めバサミをいれて髷とおさらば、愛児3人からの花束贈呈を以て断髪は終了。
続いて幕内と横綱土俵入りがあってから幕内の取組、最後に整髪を済ませた和歌乃山改め年寄山分からのごあいさつがあるのかと思っていたのに、結びの一番(朝青龍対白鵬)が終わったらとっとと弓取り式。
ごあいさつは無しでした。

終了が午後4時と早かったので、同行のお友達と共に対岸の浅草橋駅までぶらぶら散歩。
両国橋を渡り、柳橋界隈をうろついてしばし江戸情緒に浸りました。

柳橋の舟宿・小松屋。
亀清楼も健在でした。

駅のそばのやなぎばし逸品會でお買い物してから、地下鉄で浅草へ。
逸品會のお菓子は、かつてよく長唄のお稽古場でいただいた思い出の味(2人目のお師匠さん。最初のお師匠さんのお稽古場での思い出の味は、花月のかりんとうや空也の最中)。

観音様にお参りをした後は、先だって行かれなかった神谷バーの2階へ。
ビールを飲みながら軽く食事をして、7時半頃おひらきとなりました。

観音様。

結局、だらだらと昼間から酒を飲み続け、それでいて悪酔いはしなかった1日でおました。

2006年9月29日金曜日

感恩歳月 (Honor Thy Father)

〔えいが〕


1989年、台湾(中影)。何平監督。午馬、鈴鹿景子(楊貴媚〔声の吹替〕)、馬景濤、石雋主演。

「王貞治監督病気平癒祈念企画」ですが、その前に少し別の話を。

先日亡くなった丹波哲郎、香港でも大きな扱いの記事が出ましたが、残念ながら『ならず者(雙雄喋血記)』に関する言及は無し。

『水滸伝(水滸傳)』の丹波さん。

この映画を観て『東京ギャング対香港ギャング』を観て『戦後秘話 宝石略奪』を観ると、丹波さんはマカオでひょっこり生きているのじゃないかという気がしてきます。

と、そんなおり、『ならず者』が上映されます(新文芸坐の「映画作法―澤井信一郎の世界」にて。中学生の頃、澤井監督にサイン貰ったことがあります)。
10月5日(木)平日1日限りの上映ですが、最終が午後8時50分からなので何とかその回だけでも観られないかなあと思っております。
ちなみに、明後日は『華麗なる追跡』と『0課の女 赤い手錠』の2本立。
これも見逃せません。

といったところで、本題。

1989年、台湾で製作された王監督の伝記映画(門間貴志氏の『アジア映画にみる日本1 中国・香港・台湾編』に詳しい解説があります)。
原作は、1984年に出版された王監督の母・登美さんの著書『ありがとうの歳月を生きて』。
王監督の父・仕福さんを午馬、母を鈴鹿景子、王さんの役は馬景濤が演じており、京都でロケーションが行われています。
脚本は、監督である何平と呉念眞の共同執筆。

実は1960年代半ばにも、王さんの後援会幹部である在日華僑の大物・劉天禄(東映の台湾における代理店・永昌のオーナー)が王さんの伝記映画を台湾で製作しようと計画、李翰祥監督に話を持っていったりしたのですが、結局製作されることはありませんでした。

映画は1986年の旧正月、王さんの回想という形で、自らの生い立ちから一本足打法の完成までを辿っていますが、物語の中心をなすのは常に王さんを見守り励ます家族と近所の人々との絆、そして荒川コーチとの師弟愛であり、とりわけ両親が王さんにそそぐ深い愛情を丹念に描いています。

草野球のヒーローだった王さんの試合を偶然見ていた荒川博(映画では高名なプロ野球コーチとなっていましたが、正確には当時はまだ現役選手)が、右打ちから左打ちにすることをアドバイスした話や、選抜大会で指に怪我をした王さんを父が中国の民間療法で治療した話、日本国籍でなかったために国体に出られなかった話、また、一本足打法を生み出すために行った日本刀を用いた特訓&畳の上での素振りで畳が擦り切れてしまった話・・・・等々、王さんのファンならば皆知っている超有名エピソード(せんきちも勿論知っております。子供の頃、大ファンでした)もきちんと登場しますが、父が中華人民共和国籍だったのに対し、父以外の家族は皆中華民国籍だったことや、仕福さんが1人だけで足しげく生まれ故郷の中国大陸へ里帰りしていたこと等は一切出てきません。
が、こうした複雑な事情は抜きにして、あくまでも王さんと彼を巡る人々の心温まる「ちょっといい話」にしている点は、ある意味無難と言えるのかもしれません。

王さんの父は周囲の日本人ときわめて良好な関係を築き(戦時中、罵倒される場面がありますが)、日本人も彼とその家族を支え続けますが、仕福さんは常日頃から日本人の信頼を得るために並々ならぬ努力をしていたらしいので、逆にそうまでしないと平穏無事に暮らせないのかなあとも思ってしまいますた。

終戦直後の東京ということで、王さんの実家である五十番(中華料理店)のかいわいは京都で撮影されていますが、映画の中で五十番のある場所は二年坂の角。
どこが墨田区なんだか・・・・。

一本足打法の生みの親である荒川コーチは石雋が演じているせいなのか、なんだか川上哲治並みの大家になっておりました。

それから、不思議だったのが五十番のラーメンのレシピ。
家族や師弟の絆を深める小道具としてきわめて重要な役割を果たすこのラーメンの具が、なぜか知らんけどトマトのスライス2切れと刻んだ葱なのよ(調理場にはトマトが山積。牛肉麺とごっちゃになってるような気が)。

あんまり食いたくないな。

付記:鈴鹿景子の吹替の声が楊貴媚にクリソツだったんですが、後でクレジット見たら「對白」のところに楊貴媚の名前が。やっぱり彼女だったのね。

映画と一緒にぜひこの本もお読み下さい。
後援会幹部が王さんと張美瑤を結婚させようと
していたなんていう驚きの事実も出てきます。

2006年9月25日月曜日

魔都・香港の密航ルートを探る

〔ちょっとお耳に〕

えー、約1週間のご無沙汰でした。
まだまだバテバテ中ですが、そろそろ再開いたします。

はじめにお知らせ。
メインサイト、超お久しぶりにおニューの記事を書きました。
某有名ブログではすでに取り上げ済みのネタらしいんですけど、ま、改めて仔細に検討ということで。

さて、本題。
前回に引き続き、今回も古本ネタ。
『週刊読売』1958年1月26日号の巻頭特集「魔都・香港を探る 読売記者の密航ルート潜入記」のご紹介。
この記事、大阪読売新聞社会部・曽我部道太記者が密航者に化けて香港に潜入、1ヶ月間彼の地に潜伏した、その間の取材記録であります。

先ず前段として、


神戸、大阪、横浜など日本の主要港湾都市を不良外人たちは"ハニー・ポート"と呼ぶ。密入国は思いのまま、荒かせぎは仕放題、そしてあぶなくなれば、いつでも"犯罪者の安全地帯"香港へ飛べるところから、このカゲ口が生れた。
だが、不良外人だけではない。ここ数年来日本人の犯罪者、ヤミ商人たちが港湾当局の目をかすめてヤミ船でドシドシ香港通いをしている。



なんていうセンセーショナル(でもないか)な現状を提示、続いて香港への密航の手段に関する記述に入ります。
曰く、

1、貨物船に荷物となって潜り込む。
2、客船の船員と結託して海上で落ち合い、こっそり船に乗せてもらう。
3、遠洋漁船に乗り込む。

の3種類の手段が紹介されていますが、このうち曽我部記者が選択したのは第1の方法。

1957年10月某日、関西の某港から貨物船に乗りこんだ曽我部記者の触れこみは、

欧州生まれの台湾人・李泰明

だったそうですけど、なぜわざわざ台湾語の出来ない台湾人に化けたのか、その理由は謎のまま。

約1週間後、香港に着いた船から無事脱出(脱出手段の説明もなし。この記者さん、肝心なところは全て省略する人のようです)して今度は香港市民に化けた曽我部記者をまず驚かせたのは、公称250人とされている在港日本人の人口よりもさらに多くの日本人が香港にいた、という事実でありました。
曽我部記者によればその人数は約1500人で、ほとんどが女性。
彼女たちは主にダンスホールの踊り子やマッサージ師として働いているものの、中には生活のため売春に手を染める者もおり、自分の意志で密航してきた者もいれば男に騙されて売り飛ばされた者もいるとの由。

記事中には密輸船で香港に売られてきた茨城出身の女性(王惠。日本名不詳)へのインタビューが掲載されていますが、そこには一緒に売られてきた友人のシゲ子はマカオに転売されて娼婦をしている旨の記述があり、『ならず者』の南田洋子もあながち絵空事ではないのだなあと実感いたしました。

この他、九龍城砦への潜入ルポや黒社会(三合会)に関するかんたんな解説もありましたが(14Kも登場)、当時すでに

香港には九龍城砦という一度入ったら生きて出て来られないとっても怖いところがあって、三合会というとっても怖いヤクザさんの組織がある。

という、この後大部分の日本人が共有することになる香港に対しての基本認識が出来上がっていたのには、正直びっくり(と言うべきか、がっかりと言うべきか)しました。

記事は曽我部記者のルポの後、「わたしたちの見た『香港』」のタイトルのもと、野村芳太郎や十返肇等々、香港を訪れたことのある著名人がコメントを寄せておしまいになりますが、気になったのは曽我部記者がどうやって日本に帰ったのか、そのことに関する記述が全くなかったこと。

先ほども述べたとおり、「肝心なことを省略する」傾向のある曽我部記者ですが、荷物になって潜り込んだのならば帰りも荷物にならなければならないはずで、そうでないのならば正直に警察に出頭して強制送還されたのか、あるいは領事館に泣きついたのか、それとも実のところは読売サイドからあらかじめ香港政庁に取材許可を申請済の、いわば出来レースによる密航だったのか、大きな謎が残る潜入取材でありました。

っつーことは、取材内容もみんなヤラセなのか?

2006年9月19日火曜日

長閑なることつつじの如し(意味不明)

〔ちょっとお耳に〕

これが問題の『明星』だ!

もっと前に書くはずだったネタを、今さら。

7月から8月にかけて東京のデパートでは古書展が開催される機会が多く、せんきちはこのうち銀座松坂屋、新宿京王、東急東横店のそれに足を運びましたが、そこで出会ったのが今回ご紹介する月刊『明星』1962年5月号。
不詳せんきち、『週刊明星』は尤敏の載っていそうな号について全てチェックしたのですが、月刊に関しては未チェックの号も多く(これもそんな1冊)、巻頭グラビアに尤敏が掲載されていたため、「日本一の尤敏ファン」を目指すせんきちとしては「速攻買い!」となった次第。

で、気になる記事の内容はというと、

尤敏のホリデー・イン・ジャパン

なるタイトルのもと、司葉子とツーショットで微笑む尤敏の写真と『香港の星』の北海道ロケの折のスナップが掲載されていました。


記事中には、


香港スター尤敏は今や日本のアイドルです。『香港の星』『社長洋行記』2本の東宝映画出演のため来日、わずか滞日1週間のいそがしいスケジュールでしたが、その間に、花と雪にいろどられた日本をエンジョイしました。
大の仲良しの司葉子さんと早ざきの山つつじの花咲く山の公園で、淡いピンク色の支那服姿も清らかな尤敏さんは、かわいらしい花々のような微笑をうかべて語りあいます。(以下略)



とあり、一瞬「おお、『香港の星』の時も司葉子に会っていたんだなあ」と思ってから、はたと気がつきました。

『社長洋行記』のスチール撮りと『香港の星』の北海道ロケのために尤敏が来日したのって、たしか2月だったはず(→たしかに2月でした)。

となると、もし仮に1962年の冬が記録的な暖冬だったとしても、こんな満開のつつじの中で写真撮影をするのは不可能になります。

そこで、再び仔細に写真を眺めてみると、おや?
司葉子が着ている服、これって、『香港の夜』の雲仙温泉の場面で着てた服じゃん。
それに尤敏の髪型、これはまぎれもなく1961年の髪型ざます(1962年はも少し短い)。

動かぬ証拠。

なんのこたあない、1961年の『香港の夜』雲仙ロケのさいに撮影した写真を流用しただけの代物でおました。

がっかり。

「本誌独占特写」なんて誇らしげに謳っちゃって、東宝からクレームは来なかったのかしらん。
映画の宣伝になれば何でもOKだったのでしょうかねえ。


今と違い、芸能マスコミがまだまだ長閑だった時代を偲ばせる記事でありました。

付記:当時の芸能人のファンレターの宛先って、今では信じられないことですがほぼ全てが「自宅の住所」。ストーカーなんていなかったんだろうか。

2006年9月17日日曜日

サクラ咲く

〔しようもない日常〕

ウマ、ウマ、ウマーい!

こんにちわ。
グエムルとムニエルの区別がつかないせんきちです。
たまにはつまらない日常雑記を。

この夏中ずーっと、

どじょう鍋(もちろん丸鍋)が食いたい!

と思い続けていた不肖せんきち、知人のKさんに、

ねえ、どじょう鍋食べに行こうよ。

と切り出したところ、

どじょう鍋は苦手です。

と即刻却下、次善の策として桜鍋を食べに行くことでなんとか合意、

どうして精のつくものばかり食べたがる?

と嫌味を言われつつもさっそく予約を入れて行ってまいりました、土手の中江。

浅草からタクシーを拾って日本堤へ。
吉原大門前で下車。
お隣のいせや(天ぷらやさん)には行列ができていました。

中江に来るのは何年かぶり。
初めて来たのは20年ほど前。

引き戸をがらりと開け、下足番のおじさんに名前を告げて1階入れ込みの座敷に案内されたところでまず生ビールを1杯。
続いてお料理を注文。
鍋(ロース)を2人前とザク、盛り合わせ(野菜やお豆腐)、これに刺身を1人前という組み合わせ。
先に来た刺身をまず賞味。

ああ、ウマいわ。

牛肉なんかよりもあっさりしていて、あっという間に胃袋に入ってしまいます。
ちなみに、熊本へ行くと焼肉屋さんにも桜肉のメニューがあって、これも柔らかくてあっさりしていて美味です。

刺身を堪能したところでいよいよお鍋。
お酒もビールから燗酒にチェンジ。
先にお肉を食べてから、ザクと盛り合わせを煮て食べるという段取り。
柔らかいお肉を卵に潜らせて一口、また一口、こちらもあっと間に胃袋行きで、残りのおつゆに溶き卵を入れて煮た後、それを熱々のご飯にかけて食べる「あとごはん」まで、一気に味わってしまいました。

その間、わずか1時間。

食後のお茶を飲んだ後、満ち足りた気分でお会計を済ませて中江を後にし、ぶらぶら歩いて浅草へ戻ることにしました。
当初は国際通りの方から戻ろうとおもっていたのですが、ガソリンスタンドのところに淋しく佇む見返り柳が、

おいでおいで

と囁くのが聞こえたので、そのままKさんと一緒に吉原に突入、見返り柳や衣紋坂の由来だの、道路が蛇行しているのはほぼ近世そのままの面影を留めているからで、それは『吉原細見』を見ればわかるだの、元は人形町の方にあったんだけどその後こっちに移転してきただのとくだらない薀蓄を傾けながらソープ街を突っ切り(くわしくはこの本でも読んで下さい)、吉原神社でお参りして浅草へ帰還、折から開催中の燈籠会を見物しました。

燈籠さんたち。


お手手の皺と皺を合わせて幸せ。

燈籠を見物した後は、神谷バーへ寄って軽く1杯。
冷奴食べながら黒生を飲みました。


神谷バーは、ご存知の通りバーというよりはビヤホールみたいな雰囲気のお店。
お腹が空いている時は、2階でビールを飲みながら食事をするのもよいでしょう。

子供の頃、親と一緒に映画を観に行った帰りはたいていライオンやピルゼン、ミュンヘン、ニュートーキョーといったビヤホールに連れて行かれて、「親はビールで子は食事」という段取りになっていたせいか、こういうビヤホール風のお店に行くといつも懐かしい気持ちになりますです。
そういや、当時(昭和40年代後半から50年代初頭)、銀座7丁目のライオンには1000円のビフテキ(ビーフステーキじゃなくてあくまでもビフテキ)というメニューがあって、それがせんきちにとって世界一の高級料理でした。

というわけで、中江で隣りのテーブルにいたソープ帰りのオヤジとその隣りのテーブルにいた関西のオッサンのシモネタ話が鬱陶しかったけれど、久しぶりに浅草の夜を堪能した一日でおました。

次は鰻とぼたん鍋だわ(やっぱり精のつくもんだよ)。

2006年9月14日木曜日

行くだけ行った in 台北 (その7)

〔たび〕

買っちまったよ・・・・。

よく降りますね。
駒大苫小牧の田中くんを見るたびに張世を思い出しているせんきちです。
すっかり記憶が薄れてきているので、今日で旅日記を終わらせてしまわないと・・・・。

8月28日(月)
昨夜は荷造りを途中で止めて寝てしまったので、午前7時に起きてとっとと朝食を済ませてからせっせと荷造り。
よって、朝のお散歩はなし。

一段落ついた後、例によってだらだらとニュース鑑賞。
総統関連ニュース、国旗剥奪事件は相変わらずの大騒ぎ。
そして、阿嬌盗撮事件も。

ところで、盗撮というと思い出すのが5年前に台湾で起こった璩美鳳盗撮VCD事件。
台北市議の閨房の秘密をVCDにして雑誌付録としてばら撒いちゃったという、前代未聞の事件でした。
そう考えると、台湾のマスコミもえらそーなこと言ってらんないよな。

午前10時半に迎えのハイヤー(大荷物なので頼みました)が来るので10時過ぎにチェックアウト、ロビーで新聞を読みつつ車を待っていると、しばらくして運転手さんが現われ、車に乗り込んで空港へ。
行きは渋滞に巻き込まれましたが、帰りは快適そのもの、1時間もかからずに空港に到着。

チェックイン後、昨日1日中京劇を観ていたせいで少しばかり小遣いが余っていたため、最後のお買い物とばかりに空港ターミナル内の玫瑰唱片へ突入。
そこで私を待ちかまえていたのが、「懐舊電影経典」のVCDボックス。
全部で6セットありましたが、なにしろ壊れ物の荷物が既にあるため、考えに考えた末「1」のみを購入。
他に、DVD少々と免税店でお土産をすこし購入してから出国手続。
お腹が空いていましたが、飛んだらすぐに機内食が出るので缶コーヒーを飲み飲みぐっと我慢。

というわけで、無事に搭乗、13時過ぎに離陸。
帰りの映画は『伊莎貝拉』か『シャンハイ・ドリームズ(青紅)』だったんですが、ここは前者を選択。
杜汶澤が火野正平に見えて仕方がなかったっす。
梁洛施(おそるべき娘!)は角度によって高橋英樹の娘に似てると思ったけど、こないだのビジットジャパン香港親善大使の写真を見たら、ちっとも似てないわね。
もう一遍スクリーンで観てみたい。

映画を観てからひと寝入りしたところで、17時過ぎに成田着。
入国、税関を済ませて品川方面行きのリムジンバスに乗り、ホテルラフォーレ東京で下車。
ここからタクシーで家へ帰りましたが、タクシーの運ちゃんはかつて台北の天母に5年間住んでいたそうで、私が台湾へ行ってきたと知るとうれしそうにいろいろ話しかけてきました。
なんでも、檳榔が大好きで9月には台南へ檳榔を求める旅に出るのだとか(檳榔小姐の話でひとしきり盛り上がりました)。
しかし、天母に住んでいたということはかつては日本企業の現地駐在員だったのでしょうが、なんでまたタクシーの運ちゃんなんかやってるんでしょう。
「人に歴史あり」ですな。
日本でも檳榔咬み咬みタクシーを運転して下さい(そこらじゅう真っ赤になりそうだ)。

なんだかあわただしい旅でしたが、友人とも会えたし、うまいもん食っていいもん観たので、ま、よしとしましょう。

また行くわよ。

(おしまい)

2006年9月11日月曜日

『禁男の砂』4種

〔えいが〕

"On The Sunnyside Of The Street"聴くなら、
やっぱりトミー・ドーシー(Tommy Dorsey)がいいね。

今週の『純情きらり』(すいません、なんだかんだいって毎日欠かさず観てます)。
『二十四の瞳』が終わったと思ったら(途中に『寺島しのぶの「サザエさん」』もあったけど)、今度は、

『穐吉敏子物語』

ですか?

劇中、ヒロイン・桜子ちゃんの好きな曲としてしばしば"On The Sunnyside Of The Street"が演奏されますが、この曲はもともと大恐慌の折のヒット曲。
たしかに、聴いていると(歌詞の内容も)元気が出てくる曲ですし、これまで数多くの人々がレコーディングしていますが、せんきち個人としては、トミー・ドーシー楽団(Tommy Dorsey and His Orchestra)とセンチメンタリスツ(The Sentimentalists)による演奏がベストだと思います。

さて、今日は旅日記はお休み。
先月こちらでもお知らせした、東アジアの隠れたスーパースター・泉京子の代表作である『禁男の砂』シリーズ全4作が9日・10日に上映されましたので、メモ程度の感想を4本一気にお届けいたしやす。

『海人舟より 禁男の砂』
1957年、松竹。堀内真直監督。大木実、泉京子、石浜朗、瞳麗子主演。

シリーズ第1作(中文タイトル:『男人禁地』)。
泉京子演じるあばずれ海女・ナギと昔の恋人・作治との愛憎を軸に、ナギに思いを寄せる年下の純情男・勇と作治に思いを寄せるお高、さらには勇に思いを寄せるトシも加わって、最後は悲劇を迎えます(『情婦マノン』チックなラスト)。
芥川賞受賞作の映画化ですが、ま、そんなことはどーでもよくて、海女の衣裳から透けて見える乳首をひたすら胆嚢、もとい、堪能する映画。
ナギが歌い踊る(歌がもう・・・・なんというか、ヘタレで)『バナナボート』の出来損ないみたいな海女の歌も、見もの(なのか?)。
香港の殿方が悩殺されたのもうなづけるざます。
以前取り上げた香港映画『紅葉戀』における唐突な海女さんサービスカットも、この映画の印象の強烈さを物語るものといえましょう(どうせなら陳寶珠にも海女役やってほしかったな)。
でも泉さん、あの踊りの実力のまま台湾へも行ったのだろか。

『続禁男の砂』
1958年、松竹。大木実、泉京子、瞳麗子主演。

シリーズ第2作(中文タイトル:『男人禁地續集』)。
「嵐の襲来、潜ってはいけない場所の存在、誰かが溺れる、村の祭礼、敵対する海女グループの争い、恋の鞘当、キャットファイト」等々、第1作で登場した要素をほぼそのまま踏襲しつつ、逃亡中の銀行強盗犯と海女の恋が描かれます。
舞台が北陸の孤島という点が、なかなかユニーク。
前作の『バナナボート』もどきに懲りたのか、本作での踊りは民謡系になり、歌も大木実が担当していました。
台湾人に大人気の和倉温泉・加賀屋も、ちょっこし登場。
ラスト、ヒロインは泣きながら(相手の男が刑期を終えるまで)「待ってるわ、いつまでも」とか言うんですけど、この男、不可抗力とはいえ相方も殺しちゃってますし、かなり長くかかるんじゃないのかなあ。

『続々禁男の砂 赤いパンツ』
1959年、松竹。岩間鶴夫監督。大木実、泉京子、小山明子主演。

シリーズ第3作(中文タイトル:『紅衭子』)。
以前にも書きましたが、1960年、本作が香港で公開されたさいに泉京子本人が訪港、宣伝にこれ努めたという映画です。
また、1966年には台湾で『海女紅短褌』という、あきらかに本作からヒントを得たと思われる映画が製作されています。
「嵐の襲来、誰かが溺れる、村の祭礼、敵対する海女グループの争い、恋の鞘当、キャットファイト」といった前2作の主要要素は残しつつ、今度は東京のモダンガール(死語)をキーパーソンとして配置し、彼女の来訪によってもたらされる悲劇が、物語の中心となります。
タイトルの『赤いパンツ』とは、東京からやって来た画家・小山明子の穿いていた赤いショートパンツのことで、下着ではありませんでした(あらぬ想像をしていたわたくし。ただし、その後に海女さんも皆赤いパンツを穿き始めるというおまけがあるのですけれど)。
この小山明子が、大木実が殺してしまった男の婚約者だった、とわかるあたりから話がずんずん飛躍し始め、男の親友役として渡辺文雄までもが参戦してきて最後に大演説をぶつという、なんだか大騒ぎの展開。
初めこそ大木実に対して親分風を吹かせていたものの、すぐに弟分になってしまった大泉滉もそこそこ笑かしてくれました。

『禁男の砂第四話 真夏の情事』
1960年、松竹。岩間鶴夫監督。小山明子、泉京子、石浜朗、瞳麗子主演。

シリーズ第4作(香港で公開されたか否かは不詳)。
海女ネタは3作で早々に尽き、いきなり180度方向転換、シンクロナイズドスイミングに励む乙女たちが主人公になって、泉京子は美貌の未亡人、お相手だった大木実はその兄(特別出演扱い)に収まっていました。
お話も青春ドラマとミステリーをドッキング、そこにちょっぴりエッチなテイストを加えたようなストーリーで、「乳首の透けて見えない『禁男の砂』なんて・・・・」とフラストレーションがたまる一方でおました(何観てるんだか)。
シンクロの場面は、水中撮影中心のため、きれいなお姉さんが浮かんだり沈んだりするのを見たいむきは、エスター・ウィリアムズ(Esther Williams)の映画をご覧になる方がいいのじゃないかと思います。

というわけで、シリーズはこれにて終了。
泉さんはその後大蔵映画(一応日台合作)でもう一度海女になりますが、あまりぱっとせずに終わったのでした。

付記:ここ(川崎市市民ミュージアム)の館内アナウンスの音楽は、なぜかマイナー。これで迷子のアナウンスなんかされた日にゃあ、泣くよ。

(於:川崎市市民ミュージアム映像ホール)

2006年9月8日金曜日

行くだけ行った in 台北 (その6)

〔たび〕

マサジ(正次?)のマッサージ。

蒸し暑いですね。
昨日、『おんな極悪帖』と『怪猫トルコ風呂』を観にシネマヴェーラ渋谷へ行ったついでに、次回開催される「侯孝賢映画祭」のチラシを貰ってきましたけど(素晴らしすぎるラインナップ)、人名表記がカタカナのためカタカナに弱いせんきちは目がチカチカしてしまい・・・・。

ま、それはそれとして、

鈕承澤

のカタカナ表記が『風櫃の少年(風櫃來的人)』では、

ニュウ・チャンザー

になっていたのに対し、『ミレニアムマンボ(千禧曼波)』では、

ニョウ・チェンツー

とかなりの揺れが見られるのが(音も尿検査みたいだし)、少々気になりました。
そんなこんなで、ちょっくら鈕承澤のカタカナ表記に関して調べてみたところ、

ニュウ・チャンザイ、ニウ・チェンザー、ニュウ・チェンザー・・・・

と、現時点では一定していない様子。
せんきち個人の意見としては、

ニウ・チェンザーないしはニュウ・チェンザー

あたりが無難ではないかと思いますが、一番いいのは面倒でも漢字表記を覚えておくことではないかと。
筆談もしやすくなりますし。

さて、とっとと旅日記を終わらせちゃいましょう。

8月27日(日)つづき
夜の部(名段名家清唱會)も無事に終わり、終演後、Fさんに促されてロビーに出ましたが、待てど暮らせどAさんが現われません。
FさんがAさんに電話をしますが、これも繋がらず。
日本の劇場の場合、出入り口は通常一箇所ですが、ここは舞台上手と下手、両サイドにそれぞれ出入り口がある構造なので、どうやら我々は上手側、Aさんは下手側から出てしまい、そのために逸れてしまったもののようです。
Aさんと合流するのを諦め、Fさんと一緒に中正紀念堂駅まで行ってそこからMRTに乗って民權西路で下車、ホテルに帰りました。

帰館後、ちょっと観たいなと思っていたドラマ『深情密碼』をやっていたので、お茶を飲みつつ鑑賞。
途中で『白色巨塔』の長過ぎる次週予告が入り、そこからなし崩し的に『深情密嗎』本編に戻るため、ストーリーをよく把握していない私の頭の中では両者の登場人物が入り乱れて大混乱、しまいには、

『白色密碼』

になっちまったよ。

仕方なくチャンネルを切り替え、いつものようにニュースをだらだら見。
バンコクで開催されていた国際青少年スポーツ大会で優勝した台湾選手が身に着けていた晴天白日満地紅旗が、大陸の参加者に剥奪されたという事件が大きな話題に。
「中国は一つ」という原理原則に基づいた行動なんだろうけれど、相変わらずやることがえげつないな。

1時間ほどニュースを観た後、Aさんに電話。
「今どこにいるの?」と聞くので、Fさんと一緒にMRTで帰った旨伝えるとほっと安堵した様子。
またの再会を約して電話を切りました。
ついでにYさんにも電話をしてみましたが、留守電だったのでこのたびのお礼と明日帰る旨吹き込んでおきました。

テレビを観るのもいいけれど、明日帰るのだからそろそろ荷造りをせねばと思い、午後11時過ぎ、そろそろと荷造りを開始。
大した物は買っていないはずなのですが、それでもかなりの荷物があります。
また、初日に会ったKさんとSさんから頂いたお土産がどちらも壊れ物のため、これは手持ちにしなければならず、結局帰りも大荷物に。
Sさんが下さった功夫茶器は、なんでも譚家明監督の弟さん(ご本人ではありません)が台湾にいた頃愛用していたものだそうで、香港へ帰るさいSさんが貰ったものの、Sさんは茶藝の趣味がないため死蔵品になっていたとの由。
なんか知らんがありがたいものを頂きました。

荷造りの途中、前日買った『跨世紀台灣電影實錄 1898-2000』の上巻をちょこっとチェック。

1955年、シンガポールで開催された東南アジア映画祭(現・アジア太平洋映画祭)の帰途、台湾に立ち寄った三原葉子

なんていう激レア写真も掲載された超充実の内容で、買ってよかったなあとしみじみ思いつつ、ちょこっとチェックのつもりが1時間以上も読みふけってしまい、キリがないので荷造りも止めにしてとっとと風呂に入って寝ました。

(あと1回でおしまい、たぶん。なのでつづく)

2006年9月6日水曜日

行くだけ行った in 台北 (その5)

〔たび〕

真ん中に写ってるハゲ子供さんが
成龍だということは、前に書きましたね。

8月27日(日)つづき
車中でAさんと他愛ないおしゃべりをするうち、10分ほどで國家戯劇院に到着。
地下の駐車場に車を停め、劇場へ。

國家戯劇院に来るのは3度目。
1度目は学生時代(だいぶ前)、大学の先生のお供で「劇場機構の見学」というもっともらしい名目のもとに潜入、係の人に案内してもらいながら、舞台の寸法やら、照明のことやら、いろいろ説明を受けた記憶があります(ほとんど覚えていない)。
2度目は1996年12月、ちょうど「梅花獎大集合 金獎京劇團訪台公演」の千秋楽(22日)に間に合ったので、葉少蘭の『周仁獻嫂』を観ました。

入場後、Aさんの友人でやはり樂蒂ファンであるFさん、そしてAさんのお父さんを紹介され、出演者の皆さんの写真撮影をするというAさんは楽屋裏に消えて(出入りできるのね)、1人残された私はFさんと会話をすることに。
Fさんからは、

「なんで京劇を観るの?」

と外国人が京劇を観ることに対する率直な質問が出ましたが、当方の場合、歌舞伎や文楽との比較から京劇及びその他の地方劇(含む人形戯)を観るようになった(最近どれもとんとご無沙汰だけど)というのが正直なところなので、その旨説明すると、Fさん自身はもともと京劇になど興味はなかったのだけれど、Aさんに影響されたのと例の白先勇の『青春版 牡丹亭』(これは崑劇ですが)を観たのとで古典演劇に目覚めた、という話をしてくれました。

ほどなくして、開演。
10年前にここで京劇を観た時は開演前に起立させられて国歌斉唱に付き合わされたのですが、今はもうそんなことはなし。
この日の演目は、『長坂坡・漢津口』。
日本人大好き『三国志』の中のエピソードでおます。
途中、休憩のさいにAさんが戻ってきて『漢津口』はAさんと一緒に鑑賞。
以前は京劇の公演があるとそれなりに観に行ってたんですが、ここ数年はすっかり足が遠のいておりましたので、久しぶりに堪能いたしました。

終演後、劇場地下にある怒りコーヒー、もとい、イカリコーヒーで軽い食事とお茶。
終わってみたら、Aさん、Fさん、Aさんのお父さんの他にも、Aさんのお母さん、お祖母さん、妹さんまでお見えで、Aさんの家族は一家揃って京劇好きだったことが判明(ご主人とお子さんは欠席でしたけど)、総勢7名によるお食事タイムとあいなりました。

まずはAさんとFさんにお土産の進呈。
日本の女優では三田佳子がお好きだというAさんにマルベル堂で買ってきたブロマイドを差し上げると、大層喜んでいただけたご様子。
台湾における三田佳子は『いのち』のイメージが強いらしく、Fさんも「あのお医者さんのドラマ、よかったねえ」とおっしゃっていましたが、まさかそんな場所で彼女の息子がとんでもないヴァカであるのみならず、母親である彼女もそれに輪をかけたヴァカで・・・・という話もできず、ただ喜んでいただけて何よりと微笑むほかありませんでした。
それから、出発の数日前に仕込んでおいたとっておきのプレゼント(中身は内緒)を切り札として差し出しましたが、案の定、これが一番喜んでもらえました。

三田佳子のブロマイドが出たところでひとしきり日本明星の話になり、Aさんから「いま日本で一番人気のある明星は誰?」と聞かれたので、口から出まかせで「伊東美咲」と返答、他にも松嶋菜々子だの木村拓哉だの浜崎あゆみだのの名前が出ましたが、松嶋菜々子は北京語だとなんだか間抜けな名前になることにこの日ようやく気づきました(広東語だともっと変か)。
浜崎あゆみ(濱崎歩)も「おならを我慢している人」みたいな響きになりますけど。
この他、「東京で一番の繁華街は銀座」「銀座は東京の南にある」と大嘘ばかりついておりました(前者はあながち嘘ではないか。私自身はそう思っているし)。
(大嘘といえば、Aさんがご家族に私のことを「せんきちは日本の伝統楽器を演奏する芸術家なのよ」と紹介してくれて、半分は合っているけれど半分は大間違いだったので「いえいえ」とは言ったものの、訂正するのも面倒になり特に否定もしないままスルーしてしまいました)

食後、妹さんの案内で隣接する誠品書店の映画本とDVDの売り場へ。
これも中文字幕で観たかった『恋人たちの食卓(飲食男女)』と『感恩歳月』のDVDを購入しました。
『恋人たちの食卓(飲食男女)』は、梁おばさんのキョーレツな北京語を中文字幕で解明したかったのですが、梁おばさんっていつも「没有」とは言わずに「冇」と言ってますねえ。
これもやっぱり湖南訛りなんだろか。

Aさんのお父さんとお祖母さんは一足さきに席を外して、残る5人でおしゃべりの続き。
といっても、中身はほとんど京劇の話で、やれ誰が太っているだの、誰の歌はよくないだのという品評会になり、私の北京語能力&京劇の知識では半分もわかりませなんだ。
時折、妹さんが申し訳なさそうに、

「今、台湾では京劇を観る機会がほんとに少ないの。だからこういう機会があるとつい話に夢中になっちゃって、ごめんなさいね」

と話していましたが、なるほど、確かに日本にいれば年に何回かはどこかしらの京劇団が来日公演を行っているけれど、本土化した今の台湾ではそうもいかないのだろうなと思いました。
かつての蒋氏王朝時代に、「京劇(平劇)=國劇」なんていう虚構が堂々と罷り通っていたことを考えると、隔世の感があります。
しかしながら、当時、台湾の京劇好きの人々は内地の京劇を観ることが適わなかったのに対して、その禁が解かれた現在、台湾における京劇は数ある古典演劇の一種でしかなくなっているとは、なんとも皮肉なものです。

「女3人寄れば姦しい」と申しますが、Aさん、Aさんの妹さん、Fさんの「かしまし元娘」にAさんのお母さんを加えた4人のおしゃべりは留まるところを知らず、私もがんばって時折「梅葆玖を観たことあるよ(訪台メンバーの一員である李勝素が彼の弟子だったもんで)」だの「楊赤(やはり訪台メンバーの一員)は日本にもよく来ているよ」だのと発言、その後何気なく、

「10年前、ここで葉少蘭を観たことがある」

と洩らしてしまったところ、Aさんの妹が大興奮、

「あたし、葉少蘭の大ファンなの!DVD観る?」

と発言、続いてAさんのお母さんまでもが、

「あたしは葉盛蘭(少蘭の父)の舞台を観たことがあるよ」

と参戦、そこですかさずAさんが、

「せんきち、今夜は何か予定があるの?」

と聞いてきました。
本来ならば昼の部を観ただけで失礼するはずだったのですが、

「特に何もないけど・・・・」

と答えると、

「だったら、夜の部も観ていかない?」(正確には「聴いていかない?」だったのですが、夜の部〔名段名家清唱會〕は)

とすすめられ、妹さんも「観ていきなさいよ!」とすすめるので、

「じゃあ、観ます」

と返答、その場でAさんがキップを買いに行ってくれ、結局、その日は一日中京劇漬けになったのでありました。

(つづく)

2006年9月4日月曜日

行くだけ行った in 台北 (その4)

〔たび〕

これは飲まなかったな。

ちょっと京都に行ってました。
日差しは相変らず厳しかったですが、吹く風は比較的爽やか。
秋ですね。

さて。

こないだの旅日記に書いた『純情きらり』の禁断の恋の行方、なんのこたあない、

お互い別れ別れになる

ことであっさり終了。

さすが「みなさまのNHK」。
東海テレビで作り直してくれ。

で、今週に入ったら朝ドラお得意の「終盤、怒涛の早送り」状態に突入、時は流れて昭和21年、いつのまにやら、

宮﨑あおいの『二十四の瞳』

になっていました。

週の後半には死んだはずのあの人も帰ってくるみたいだけど、予告で観た限りではちっとも痩せてないわね。
さては○肉食ってた・・・・(以下自粛)。

あとは最終回にあおいちゃんの老けメイクが観られるかどうか、それだけだな、興味があるのは(アフラックのCMキャラクターにも起用されたことだし)。

では本題に入りましょう。

8月27日(日)

午前8時30分に起床。
今日はAさんと京劇を観に行く日。
例によって、だらだらと豆乳飲みながらニュースを観た後、お散歩。
少し時間があるので、ホテルの裏にあったマッサージ屋へ立ち寄り、ちょっと足裏を揉んでもらいました。
以前は台湾だの香港だのシンガポールだのへ行く度にマッサージをしてもらっていたのですが、うちの近所に健康保険のきくマッサージ屋さん(というか、正確には針灸接骨院。患部に低周波をかけた後、スポーツマッサージをしてくれます)ができてからは、とんとご無沙汰しておりました。
てなわけで、旅先でのマッサージは超お久しぶり。

案内に従い足を踏み入れると、薄暗い店内はかなーり怪しげ、というか、はっきり言って怪しい。
しかもやってくれたおばちゃん、足を洗うとか蒸しタオルで拭くとかそういう処理は一切せず、靴下脱いだばかりの足にいきなりローションを塗りたくって揉み始めましたよ。

衛生的にどうなんだろ。

施術的には呉若石のそれとはちょっと違ったものの、そこそこよかったですけれど(たしかに足は軽くなったし。痛いのが嫌いな人でもこのぐらいなら平気かもね)、「清潔第一」の方にはおすすめしませんです。

マッサージ屋を出た後、一昨晩つった足のふくらはぎがまだ痛むので、近くの屈臣氏に寄ってサクランパス、じゃなくてサロンパスを購入。
ついでにお土産になりそうなものを手当たり次第に購入し、「1本買ったら2本目割引」だった阿妹が広告キャラクターをやっている冷泡茶のペットボトルも3種類(砂糖入り緑茶、無糖緑茶、無糖烏龍茶)お買い上げ。
これは後で全部飲んでみましたが、砂糖入り緑茶は全くいただけませんな。
砂糖のベタベタした甘さと香料の人工的な匂いが相俟って、飲み終わる頃には気分がすっかり悪くなります。
烏龍茶も香料が大きなお世話、ふつーに飲めたのは香料も砂糖も入っていない緑茶のみでした。

買い物をしたせいで荷物がどどんと増えたため、これ以上歩くのは止めにして、ホテルの並びのスタバで軽食&コーヒー。
カフェモカ飲みながら、成田で買った文春の続きを読みました。
文春は連載が半分ほど入れ替わり、なんだかいつもと違ってちと読みにくい。
高島俊男の連載が終わっちゃったのはいかにも残念。
ただ、小林信彦と中村うさぎがいればそれでいい、といえばそれまでなのだけれど。
そういや新潮も山口瞳と山本夏彦亡き後、ほんとに淋しくなったものね。

そろそろ待ち合わせの時間が近づいてきたのでホテルに戻り、またしてもお部屋でニュース。
総統を巡るごたごたの報道は相変らず。
阿嬌盗撮事件もかなり大きな扱い。

ほどなくしてAさんから電話があり、自分で車を運転して行くので、近くに着いたらまた電話するから部屋でそのまま待っていてほしい、との由。
ということで、Aさんの言葉に従い部屋で待機。
30分後、当初の予定の時間(午後1時10分)より15分ほど遅れてAさんから再び電話、今着くからロビーにいて、との指示。
ロビーで待つこと5分。
Aさんが現われました。

Aさんとお目にかかるのは、この日が初めて。
Aさんは台湾に本拠を置く樂蒂國際影友會創設メンバーのお1人で、現在は樂蒂紀念館というファンサイトの運営をしていらっしゃる方。
昨年出版された『古典美人 樂蒂』にも企画段階から関わり、私財を投げうって資料をかき集めたという樂蒂ファンの鑑であります。
Aさんとは2年半ほど前からメールのやりとりをするようになり、いずれはお目にかかりたいと思っていたのですがなかなかうまい具合にいかず、この日ようやく会えたという次第。

初めて会うAさんは、パッと見「國聯五鳳」の1人で『星のフラメンコ』にも出ていた汪玲に似ており、日本の女優さんでいうと藤山陽子みたいな感じの方でしたが(どっちにしても喩えが古いわね)、しかし、もっと最近の女優さんで誰かに似ている気がするなあと思い、つらつら考えてみたところ、はっと気が付きました。

李英愛に似てるんですわ。

というわけで、私よりも年上のはずなのに見た目も声も可愛らしいAさんの運転で、不詳せんきち、今日の戦場、もとい、会場である國家戯劇院へと向かったのでありました。

(つづく)

2006年9月2日土曜日

『異常性愛記録 ハレンチ』レイトショー公開終了

〔橘ますみ〕


8月12日(土)から9月1日(金)まで、テアトル新宿にて行われた橘ますみたん主演による幻の石井輝男監督作品『異常性愛記録 ハレンチ』の「3週間限定レイトショー」が無事終了いたしました。
本作は、長いこと再映もテレビ放映もされなかった「封印作品」でしたが、昨年ようやく東映チャンネルにてニュープリントによるテレビ初放映が実現(ロケ地めぐりはこちら→その1その2その3)、今回は石井輝男監督の一周忌を期してついに劇場での再映と相成りました次第です。

また、8月12日(土)、19日(土)、26日(土)には石井輝男監督作品のオールナイト上映も開催されました。
橘ますみたん関連作品としては、

12日(土)
『徳川女刑罰史』(1968年、東映京都)
『徳川いれずみ師・責め地獄』(1969年、東映京都)
19日(土)
『残酷・異常・虐待物語-元禄女系図-』(1969年、東映京都)
『やくざ刑罰史 私刑(リンチ)』
(1969年、東映京都。ロケ地めぐりはこちら→その1その2その3

が上映されました。

なお、『ハレンチ』は今月、東映チャンネルにて再び放映予定です。
劇場にお越しになれなかった方は、この機会にぜひご覧下さい(スカパー!の回し者みたいだな)。