「吾妻八景」の「佃の合方」が延々と流れる中、ひとしきりチャンバラが終わると、そこは映画の撮影現場。 例の安兵衛と婆さんも息せき切って駆け付けるものの、「お呼びでない」とばかりに「狼なんか怖くない(Who's Afraid Of The Big Bad Wolf?)」(言っとくけど、石野真子じゃないよ)が流れる中、2人は退場(安兵衛はいつの間にやら三輪車に乗っていました)。 と、そこへあけみの恩人である芝居小屋の座元の女性が面会にやってきます。 撮影の休憩時間に語り合う2人、あけみがここまで来るのには苦しい下積みの時代があったのでした…。
先だって、ちまちました記事を書いたアジア映画祭、すなわち現在のアジア太平洋映画祭(Asia-Pacific Film Festival.1983年〔一説に1984年〕に現名称に改称)、この映画祭を中華圏では亞太影展と呼び習わしておりますが、実は1970年代にもう1つ「亞太影展」と呼ばれる映画祭がありました。 それは、1966年、韓国で設立されたアジア太平洋協議会(ASPAC.亞洲暨太平洋理事會。設立当時の加盟国は、韓国、日本、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、タイ、マレーシア、南ベトナム、中華民国〔台湾〕、ラオス〔オブザーバー参加〕。1972年以降に自然消滅)のプロジェクトである文化社会センター(亞洲太平洋文化社會中心)が主催していた"Asian and Pacific Film Show"(日本語での呼称は不詳)のことで、1970年に第1回が催されたようです。 目下のところ、データが確認できたのは第5回、第7回、第9回の3回分だけなのですが、とりあえず、判明している分だけを下記に掲げておきます。