〔えいが〕
1967年、松竹。市村泰一監督。橋幸夫、由美かおる主演。
金子信雄の悪役に藤村有弘のなぞの中国人が登場する、「遅れてきた日活無国籍アクション」みたいな橋幸夫の歌謡映画。
当時まだまだ華人の反日感情が強かったであろうシンガポールでロケをしているにもかかわらず、橋幸夫に先の大戦のことで罵声を浴びせるのはマレー人で、華人はひたすら親日的というねじれた設定になっています。
実際には、大戦中、マレー人には比較的優遇政策がとられたのに対して、華人に対しては中国と交戦中だったこともあり、かなりの迫害が行われたといいますから、本来ならば橋幸夫に罵声を浴びせるのは華人にすべきだったでしょう。
それをあえて逆転させているのは、華人メインなら日本人の役者にその役を振り当てることができるけれど、マレー人だとそれができない、なんていう物理的な理由があったのかもしれませんし、あるいは、ロケに協力しているのがおそらくは華人企業の邵氏(ショウ・ブラザーズ)だったせいもあるのかもしれません。
いずれにしても、あまり深い理由はなかったように見受けられます。
さて、先ほど「遅れてきた日活無国籍アクション」みたいと書きましたが、それ以外にも、シンガポールにいる腹違いの妹の消息を探すという筋は『星のフラメンコ』(1966年)みたいですし、互いに思いを寄せながらも国籍の違いが壁となって立ちはだかるという主人公2人の恋は『香港の夜』(1961年)みたいで、なんだかパッチワークを見ているようでした。
この腹違いの妹も、橋幸夫の父親が戦時中にシンガポールで華人女性と恋に落ち、もうけた子供ということになっていて、日本兵と華人女性の恋なんて、どうみてもかなりハイリスクだったんじゃないかなあと案じてしまいました。
下手すりゃ「漢奸」でしょう。
菅原文太と藤岡弘の華人役という、一見おいしそうなキャスティングも、案外普通でつまらなかったです。
あ、そうそう、ロミ山田演じる今様からゆきさんは、なんとなく『ならず者』(1964年)の南田洋子を連想させました(どのみち借り物のネタだな、やっぱり)。
あっちこっちいろんなところからネタを借りてきて、なんだか消化不良に終わってしまった、そんな映画でございました。
付記:途中、『恋をするなら』にのって海沿いの道をオープンカーで突っ走る場面では、『熱帯魚』(1995年)を思い出しましたわ。
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