2007年5月28日月曜日

あやしいトップモデル

〔ちょっとお耳に〕

お腹が空いているわけではありません。

ご無沙汰しております。

先週の金曜、左眼の上まぶたがお岩さん(累でも可)並みに腫れ上がり、泡食って眼科へ行きましたが、特に重篤な病ではなく、皮膚が炎症を起こしたのみとの由。
貰った軟膏を塗っているうちにだいぶよくなりました。

で。

うれしいお知らせと悲しいお知らせを一つずつ。

まずはうれしいお知らせ。
某ミクシィで得た情報ですが、『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』のアメリカ盤DVDがこの夏いよいよリリースされる模様です(日本語のお買い物サイトはこちら)。
さすがは自由の国アメリカ(なのか?)。
日本が二の足踏んでる間に、東映の許可を取ってとっととDVD化を決めちまいました。

そして悲しいお知らせ。
台北駅前地下のレトロミュージアム「台灣故事館」が、経営不振のため閉館してしまいました。

この看板ともお別れ。


淋しいねえ。

これから台北に行かれる方、ご注意下さい。

さて、いよいよ本題。
前回の記事で『花團錦簇』の話が出たついでに、劇中に登場するあやしい日本人モデルのご紹介でも。

件の「自称・日本のトップモデル」さん(氏名不詳。演じているのは丁寧)、陳厚演じるデザイナーの名声を慕いはるばる香港へやって来たらしいのですが、初登場時のいでたちはというと・・・・


お約束の和服姿なれど、なんなんだ、そのでかい簪は!

さゆりかよ!

と、一抹の危惧を感じたせんきちでありましたが、次の登場場面では、


ごくふつーの和服姿で一安心。
着付けもちゃんとしていました。

陳厚にぜひ自分の服をデザインして欲しいと熱望する彼女、宿泊先である東宝映画でおなじみ國賓酒店の自室に陳厚を呼び、打ち合わせと相成ります。

さすがは日本人。
とりあえずビール、じゃなくて、お辞儀。


言葉の通じない部分は筆談でカバー。
漢字の国で良かったね。


しかし、彼女の書いた文字を見て唖然とする陳厚。

そこには・・・・

謎の日本語が!

現代の精神調劑?

なんすか、それ?(とりあえずは必須ね)

このあとおもむろに真っ赤なコスチュームに着替えた彼女、陳厚の前でエッチな美容体操を披露して彼(妻あり)を誘惑、

大和撫子神話崩壊!

たまげた陳厚は、這う這うの態で逃げ帰ります。

しかし、その後。


彼女は何事も無かったかのように、陳厚が所属する店のファッションショーに出演するのでありました。

あんた、いったい何がしたかったんだよ?

(おしまい)

2007年5月19日土曜日

村木忍、中国芸術と東方電影について語る

〔ちょっとお耳に〕

『花團錦簇』より。
まるっきり東宝ミュージカル映画なセット。

久々の古新聞ネタですが、その前にお知らせ。

5月10日に発売されるはずだった『異國情鴛』のDVDですが、延期になった模様です。
いつの間にかリストから外れていました。

ほんとに出るの?

てなわけで、本題。
「勝手に國聯特集」関連企画(こじつけ)。

1963年12月31日付『聯合報』に「日籍佈景設計師村木忍談中國藝術和東方電影」なる記事があり、それによれば、國聯の映画『一代妖姫』の美術を担当するため李翰祥監督の招きで11月20日から台湾に来ていた村木忍が昨日帰国、村木は来年(1964年)1月下旬に再び来台して今度は国際映画祭に出品する予定の國聯の新作映画の美術を担当する、とありました。

が。

今日残っている國聯の作品リストを見ても『一代妖姫』というタイトルの作品は見当たりませんし、1964年1月の『聯合報』には村木忍来台の記事を見いだすことはできませんでした。

これはいったい・・・・?

せんきちが思うに、『梁山伯與祝英台』ではわざわざ日本で「化蝶」を撮ったにも関わらず、仕上がりが気に入らなかったのかばっさりカットしちゃった李監督のこと、今回の件でもいざ撮影の段になって「やーめた!」と放り出してそのままお蔵入りになったのではないかと。

ちなみに、記事によると『一代妖姫』は中国上古時代の物語で、国際映画祭に出品予定の作品(タイトル不詳)は『聊斎志異』に材を取った作品だったそうです。

と、まあ、そんな具合で製作されることのなかった(らしい)村木忍の國聯映画でしたが、この記事の中には「彼女は大学時代に中国絵画に興味を持ち、香港の邵氏に招かれて『千嬌百媚』の美術を担当したさいには、劇中劇の『孟姜女』において中国の山水画を応用したセットをデザインした」との記述があって、以前拙ブログで書いた莫蘭詩が村木忍の変名であり、『千嬌百媚』の他にも『花團錦簇』と『萬花迎春』の美術を受け持っていたことがこれではっきりといたしました。



どちらも『千嬌百媚』より。
『孟姜女』の場面。

さらに、記事中において村木忍は李監督の『倩女幽魂』を絶賛、溝口健二監督と稲垣浩監督もこの映画を観て藤本真澄に「たいへん素晴らしい映画だ」と語っていたという話をしていますが、そもそも1956年に亡くなった溝口監督が『倩女幽魂』(1960年)を観ることは不可能でして、これがもし本当ならば、

まさにゴースト!

なエピソードになってしまいます。

おそらく、溝口監督が観たのは『倩女幽魂』と同じく『聊斎志異』から材を取った陶秦監督の『人鬼戀』だったのではないかと思います。
陶秦監督は『楊貴妃』の脚本も担当していますし、一般公開されることはなかったものの『人鬼戀』の日本における上映権は大映が持っていたそうですので。

以上、なかなか興味深い内容の記事でありましたが、『一代妖姫』の美術がどのようなものだったのか、製作されなかったのが非常に惜しまれますです。

(無理やりなオチで強制終了)

2007年5月13日日曜日

しょーもない台湾ネタ2連発

〔ちょっとお耳に〕

こんなんで、東大生やってましたー?

最近お疲れ気味のせんきちです。
しょーもないネタでお茶を濁しますです。

その一 日本東京大学進学

先日、メインサイトの方に書いた柯俊雄のプロフィールをちょっと手直ししようと思い、いろいろお調べ物をしていたところ、立法院のサイトにある柯桑の紹介ページにこんな記述が!


学歴
高雄市立第二高等学校卒業
日本東京大学進学
香港聖約林書院進学
国立芸術専門学校

(当該サイトより。国立芸術専門学校は現在の台湾芸術大学)


ええーっ?

東京大学進学?

まじっすか?


だってもさ(「お姐ちゃん」シリーズの中島そのみ調)、柯桑の学歴、ここのサイトじゃ「中卒」になってるし、もう一つのサイトじゃ「高校に入ったけど喧嘩ばかりしていて、転校を重ねた末に2年で休学」って書いてあって、

東大のとの字もありませんよ。

それとも、ここで言う「進学」というのは、「東京見物のついでにキャンパスを散策したことがある」とか、「東京大学病院に入院あるいは通院したことがある」という意味なのでせうか

日本だったら今ごろ「学歴詐称か?」と大騒ぎになりそうなもんですが、特に誰も疑問に思わないあたり、なんだか大らかですわね、おほほ。

で。

柯桑の話題が出たついでに上映情報です。

京橋のフィルムセンターにて、柯桑が出演した今村昌平監督作品『女衒』が上映されます。
といっても、第1回目の上映(4月26日)は既に終了、残りの回は5月18日(金)午後7:00~と6月9日(土)午後1:00~の上映となります。
この映画、台湾(九份や基隆等。中影のスタジオも利用。但し劇中では香港)で撮影を行い、現地スタッフとして王童が協力しています。
なお、かつて邵氏からの誘いを断ったという黒木和雄監督の香港ロケ映画(って、それがメインじゃないんだけどさ)『とべない沈黙』も上映(5月23日〔水〕午後3:00~、6月8日〔金〕午後7:00~)。

この映画(今村監督が脚本を担当)が
日本で上映される日は来るのでせうか?



その二 まんげ

摘発必至(?)の店名。

お下劣なタイトルで恐縮ですが、ムダ毛研究家としては避けて通ることのできないネタだったもので。

少し前、近所のブックオフで購入した『プレイタウン台湾PART2』という1986年に出た台北のガイド本に載っていたお土産屋さんの中に、

まんげ荘

なるお店がありました。


ガイド本所収の紹介文に拠れば、


民族路は中山北路3段と交差しており、民族西路を淡水線の鉄道がまたいでいる。鉄道の踏切と承徳路の間に、おみやげ品なら何でもそろう包羅(Paul Art)の店がある。この店は"まんげ荘"という通称をもっていて、こちらの方が店名としては知られている。(略)
外貨交換の公認店でもあるので、安心して日本円での買物ができるのもうれしい。
とにかく、なんでもそろう便利な店である。


とあり、ひょっとして通常のお土産以外にも何か特別なお土産(どんな土産だよ)を売っているのではないか?とあらぬ想像をしたくなりますが、このお店、当時台湾観光協会が出していた公式ガイドブックにも掲載されているれっきとした普通の土産店なのでありました(現存はしていない模様)。

それにしても、保羅(Paul)が何ゆえにまんげ荘に変貌してしまったのか。

謎です。

2007年5月7日月曜日

薔薇の標的

〔えいが〕

でぃすかばー・じゃぱん

1972年、東京映画(配給・東宝)。西村潔監督。加山雄三、甄珍、岡田英次主演。

GWも終わりましたが、今度の夏休みには(もう先の話かよ)ここへ行ってみたいなあと思っているせんきちです。

というわけで、本題。
一応、放映予告をした手前、ごく簡単にさくっと感想文でも。

東宝ニューアクション(日活ニューアクションと間違えそうだ)系列に連なる1作ですが、とりあえず、

ガンマニア及び鉄分の濃い皆様

にはおすすめの映画と言ってよいかと存じます。
せんきちは鉄欠乏性貧血の気があるので、残念ながら今ひとつピンと来ませんでしたが。

前半の殺し屋養成編&殺しの実行編(ここでちょっこし香港ロケあり)の後、加山雄三と甄珍のSL求めて愛の逃避行という、愛情文芸映画も真っ青のロマンチックモードに突如路線変更、

雄三&甄珍の『遠くへ行きたい ~SL旅情編~』

に入ります。

鉄くずにされる無残なD51の姿に己の姿を重ね合わせる加山さんの孤独な心象風景が、その後の不幸な展開を予測させますが、そんなことよりはSLの走行音をオープンリールテープに録音するという、殺し屋らしからぬ加山さんの鉄分の濃さ(じっさい、鉄道模型オタクらしいですし)の方が深く印象に残りましたです(懐かしいねえ、デンスケ)。

ラストの岡田英次との対決は、「第四帝国を巡る攻防」云々よりも銃に魅せられた者同士の愛の交歓のように見えました。
特に、岡田英次は加山さんのことをほんとは愛していたんじゃないかしらん?

ところで、尤敏には劇中で主題歌を歌わせ(『香港の夜』『香港の星』)、張美瑤の『バンコックの夜』では『相思河畔』を使っていた東宝が、ここでは甄珍に『忘不了的你』を歌わせていました。

で。

甄珍扮する香港娘・李玲玲は、報道カメラマンだった兄をラオス戦線で失い、天涯孤独の身となったという設定だったのですが、これって、

『香港の夜』の宝田明

じゃないの!

そうか、宝田さんの妹だったのか(違うよ!)

付記:脚本の桂千穂は、その後テレビドラマ(『香港からの手紙』)でも香港を舞台にしています(こちらこちらこちらこちらこちらこちらを参照)。また、『昨夜星光』日本語版刊行に尽力したことも特筆すべきでしょう。


(於:チャンネルNECO)

2007年5月3日木曜日

アンドリュー兄弟

〔ちょっとお耳に〕

2月号で澳門、5月号で香港。アジアづいてます。

思いがけず失踪期間が長くなってしまいましたが、おかげさまで、どうにかこうにか宇宙の果てから帰還しました。
危うくブラックホールに呑み込まれるところでした。

さて。

先月の下旬に届いた、JCBカードの会員の中でもそのまたさらに登録制のJ-Basketメンバー向けの同名雑誌5月号の特集「雑貨天国香港でお買い物三昧」で、劉偉強監督の弟であるデザイナー・劉偉文氏が取り上げられていました。


兄貴絡みの話はほとんど抜き(プロフィールのところにちょこっとだけ出てくるのみ)で、デザイナーとしての彼のお仕事に全面的に昇天、もとい、焦点を絞った記事で、特に下の写真の書籍(『香港極品』)のことを写真入りで詳しく紹介しておりました。


『香港極品』の他にも、劉偉文氏のお仕事としてはLiving@hkなる雑貨や衣料品の系列がよく知られているようですが、調べてみたところ、ふむふむ、DFSなんかで扱っているのね、これ。

今度行ったら買ってみましょう。

ところでこの兄弟、2人とも英文名は「アンドリュー(Andrew)」。

ほれほれ、この通り。
なぜか漢字表記が「偉文」ではなく「偉民」になってるけど。
(広東語だと)発音が同じだから間違えちゃったんだろか。

紛らわしいことこの上ないざます。

ちなみに、こちらはアンドリュー星野さん

おまけ:先日、何気なく立ち寄った下北沢の古本屋さんで下記の本をついふらふらと購入。

コバルト文庫だよん。


ふさふさ。

2007年4月12日木曜日

ネット通販で尤敏のプロマイドを買おう

〔ちょっとお耳に〕

向かって左から、杉江敏男監督、尤敏、小林桂樹(1962年、箱根にて)。

3年前、旧ブログにてマルベル堂で扱っている尤敏のプロマイド(マルベル堂では「ブ」は濁音ではなく半濁音)のことについてちょっとだけ書きましたが、このほど、ネット上でその一部が購入できることになりました。

今のところ購入できるのは、12種類あるうちの5種のみ

ただ、その中にはせんきちがよくご贈答用(?)に注文する『続社長洋行記』の折の着物姿と旗袍姿のプロマイドもありまして、それなりのセレクトと言えば言えなくもありません。

ところで、この通販サイトにある尤敏のプロフィール、どこかで読んだことがあるなと思ったら、せんきちのサイトからパクった、もとい、引用したものでありました。
天下のマルベル堂様に参考にしていただけるとは光栄の極みですが、できれば一言ご挨拶の欲しかったところです、はい。

さて。

カムバックからまだ間もないというのに、来週ちょっこし野暮用があって多忙になるため、

一時失踪します。

再来週には戻ってこられると思います。

では!

2007年4月9日月曜日

黒牛與白蛇 (Black Bull and White Snake)

〔えいが〕

牛と蛇でも夫婦になれるんだー!

1970年、台湾(國聯)。林福地監督。江青、田野、金滔主演。

皆様、どうも。
「しばらくお休みする」と申しましたが、書かずにいることにも耐えられず、身体の調子はあんまりよくないんですけど戻ってきました。
というわけで、帰ってきた「勝手に國聯特集」。
おおまかなストーリーは、下記の通り。

民国期。
緑柳坊に男女2人組の旅芸人が現われ、その風貌から男は黒牛(田野)、女は白蛇(白娘子。江青)との異名を取るようになります。
2人は土地の名家・楊家の屋敷の一角にある廃屋に一夜の宿を乞いますが、その翌日、白娘子の妊娠が発覚、2人はそのまま楊家に住み着き、やがて白娘子は男の子を産み落とします。
男の子は、楊家の若当主(金滔)によって思樂と名付けられました。
黒牛こと馬志標の一家はその後も楊家で暮らし続けますが、ある日、羊の放牧に出かけた思樂が浚われるという事件が発生します。
思樂を浚ったのはかつて白娘子に懸想をして楊家を追放された男(孫越)で、この男は今土匪の一味になっていました。
土匪から思樂を奪還すべく、馬たちの戦いが始まりました・・・・。

前半はともかく、後半の土匪と馬たちの戦いがかったるいのなんのって。
カメラも編集も息切れ状態、ただひたすらだらだらと戦闘場面が続くので、途中で飽きちゃいました。

で、この土匪というのは単なる反政府ゲリラではなくて、どうも抗日戦の混乱に乗じてのさばってきた共産党系のゲリラみたいです、たぶん。

しかし、この頃の孫越って、ろくな役やってないね。
でも、彼の顔を見ると、なぜか田中邦衛を思い出します。

馬(馬なのに黒牛だよ)の子供が失踪した後、楊家の者総出で捜索に出るんですけど、皆して、

馬思樂(マスラ)ー!

と叫ぶもんだから、せんきちはついこれ↓を思い出してしまいました。

イントネーションは違うけどね。

なお、この映画も他の國聯作品と同じく、


林福地の他に、


李翰祥にも導演の肩書がありました。

(疲れたのでおしまい)

2007年4月1日日曜日

あちこち、壊れ中

〔ちょっとお耳に〕

『薔薇の標的』の甄珍。

先週から体調不良で、昨日は夕方からずっと寝てました。
今日も絶不調。
てなわけで、元通りのコンディションに戻るまで、しばらくこちらもお休みします。
あしからず、ご了承下さい。

お休み前にコネタを2つ。

その一:熟年女優

昨日、朝日新聞の夕刊を読んでいたら、下記のような記事がコソーリ載っておりました。

台湾の富豪、再婚相手募集中 「仕事だけ、むなしい」

台湾のお金持ち・郭台銘の醜聞記事ですが、林志玲は写真入りで紹介されていたにも関わらず、劉嘉玲は、

42歳の女優

とその他多勢扱い。

実年齢はいいから、名前ぐらい出してあげなよ。

あたしよ、あたし!


その二:『薔薇の標的』放映

先月、衛星劇場にて東宝の甄珍もの『卒業旅行』が放映されたばかりですが、今度は5月にチャンネルNECOでやはり東宝の甄珍ものである『薔薇の標的』が放映されます。
この映画では、加山さんと共演しています。

『薔薇の標的』より。
加山さんと甄珍。

詳しい放映スケジュールは未定ですので、後ほどわかり次第お知らせいたします。

では、ちょっと療養してきます。

おまけ:4月14日(土)から開催される「アジアン・クイア・フィルム&ヴィデオ・フェスティバル」にて、2000年の第37回金馬奨で最優秀短編作品賞を受賞した台湾映画『旅行(邦題:トラベル)』(張國甫、陳大昱監督)が上映されます。せんきち的にはオープニング作品『紅門』にも注目。

2007年3月26日月曜日

雪花片片 (Falling Snowflakes)

〔えいが〕

国民党命!

1974年、台湾(中影)。劉家昌監督。秦祥林、胡錦、張沖、湯蘭花、岳陽主演。

足が治ったと思ったら、今度はお腹の具合が悪くて、引きこもり状態が続いております。
今日は、そんな引きこもり生活の中で観た映画をご紹介。

第23回アジア映画祭(アジア太平洋映画祭)において、最感人影片奨、演技優異男女主角奨、優異攝影講奨、最動人主題音樂奨(何と訳せばよいのだ?これらの賞)を受賞した作品ですが、一言でいってしまえば、

愛情文芸映画と反共映画の幸福な出会い(?)によって生まれたトンデモ反共メロドラマ

であります。
さすがは台湾映画界が誇るヒットメーカーにして、せんきち的にはトホホ映画の巨匠である(なにしろ初めて観た作品が『梅花』だったもんで)劉家昌監督、期待を裏切らない(?)見事なお仕事ぶりです。

大まかなストーリーは下記の通り。

国共内戦下の中国東北部。
医師である秦(秦祥林)は戦いの最前線に留まり、患者の治療に明け暮れていましたが、妻の小蘭(マダムヤンこと湯蘭花)と父(魏蘇)を一足先に瀋陽へ避難させることを決意、2人を知人の陳に託します。
やがて秦の住む街は共産党軍の手に落ち、秦の許へ現われた共産党軍の荒くれ者たちは患者の中から国民党軍の兵士を連れ出すと、有無を言わさず一斉に処刑しまうのでした。
このことにショックを受けた秦はうつ状態に陥りますが、かつて彼が助けた共産党軍幹部・李(岳陽)の恋人・金鳳(胡錦)は彼を励まし、金鳳の尽力によって通行証を手に入れた秦は妻たちを追って瀋陽へと向かいます。
途中、共産党軍に捕らえられて無理やり軍の一員にされたりした秦でしたが、隙を見て逃走、ようやく瀋陽に辿り着くものの、そこも既に共産党に支配され、妻は去った後でした。
瀋陽で金鳳と再会した秦は、今度も彼女の助けを得て街を脱出、ようやく妻と再会します。
妻たちの一行は、国民党軍の軍人・張(張沖)と行動を共にしていました。
その後、東北部は完全に共産党の支配下となるものの、李の功績は完全に無視され、ここに至って李はようやく自分が党に利用されていただけであったことを悟るのでした。
しかし、李と金鳳の生命の危険は、すぐそこまで迫っていました。
一方、秦たちは共産党支配地域からの脱出を目前にしていましたが、そこでは共産党軍の埋めた地雷が彼等を待ち受けていました・・・・。

瀋陽を巡る国共の攻防戦と言うと「遼瀋戦役」ですが、実際の戦闘は1948年の9月から11月にかけてですので雪なんかないはずなのですけれど、ここでは常に雪が舞っています(推定韓国ロケ)。

万年雪かよ。

そんな雪の中で男と女がくっ付いたり離れたりしながら物語は展開しますが、主人公の秦は妻にラブラブのはずだったのに、金鳳にやさしくされてついフラフラしてしまったかと思えば、秦の妻も妻で、自分を守ってくれる張と何となくいい仲になっちゃうという、このご夫婦は目の前のニンジンに弱い人たちのようです。
特に秦は、瀋陽で妻の置手紙を読みながら涙を流していたくせに、そこへ金鳳が現れるやいなや「君に逢いたかった」とか言って(金鳳を)抱きしめるという変わり身の早さを見せていました。

また、あくまでも反共映画なので、国民党軍の隊長さん(張沖)が軍服姿もりりしい立派な人物なのに対して、共産党軍の方はマタギみたいな格好をして字もろくに読めず、平気で無辜の市民を皆殺しにする野蛮人の集まりにされちゃっています。

映画の終盤になっていきなり江青そっくりのおばさん(もちろん毛沢東夫人の方ね。劉監督の前妻じゃなくて)が登場、彼女たちの一派(四人組?)が李と金鳳を粛清しちゃうんですけれど、遼瀋戦役において大活躍したのが林彪だったことを考え合わせると、これは文革をおちょくった趣向のようです。

しかし、ここまで国民党命!な映画を作る劉監督、両岸関係、特に国共の関係が劇的に変化した今でも国民党一筋なのでしょうか、ご本人に聞いてみたい気がします。

ともあれ、ここんとこ憂うつな毎日を送っていたせんきちでしたが、この映画を観てなんだか元気が出てきましたわ。
そういう映画じゃないんだけどさ、ほんとは。

2007年3月21日水曜日

無罪放免

〔しようもない日常〕

溜まった血液を抜くために開けた穴の痕。
なんだか妙に毛深いわ・・・・。

今日は全国的に休日。
朝からテレ東で『海を渡った新幹線』という台湾新幹線に関するスペシャル番組が放映されていたので、録画しがてら観ました。
ちょうど17日(土)から『朝日新聞』夕刊でも「異郷の新幹線」なる同種の特集記事の連載が始まりましたが、朝日のそれは比較的ネガティヴな情報が多いのに対して(読んでいてちょっと不安になります)、テレビの方は困難に見舞われながらもそれを一つずつクリアーしてついに営業運転に漕ぎつける、という前向きな内容でありました。

さてさて。

昨日、3ヶ月以上通った整形外科のセンセイからお墨付きを頂き、ついに無罪放免となりました。
と言っても、骨折線はまだかすかに残っているし、飛んだり跳ねたりは厳禁なのですけれど。
とりあえず、これからは日常生活の中で徐々に慣らしていく、ということのようです。

現在の足。向かって右が骨折した方、左は無傷。
右側はまだなんとなくむくんでいるやうな。


せんきちとしては、目下のところ一番困るのが正座が出来ないこと。
ヘタレではありますが、いちおう箏や三味線などをたしなんでおりますので、これが出来ないと本当に困るのです。
今は椅子に座ってお稽古をしているものの、いつまでもそんなわけにはゆかず・・・・。

焦らずいくしかありませんね。

(取り急ぎご報告、ということにして終了)

2007年3月17日土曜日

香港ウシシ旅行団!

〔ちょっとお耳に〕

1987年当時の香港観光協会発行のガイドブック。
『香港観光83のコースガイド』。

私生活でもネット上でもトラブル続きで、いささか疲弊気味のせんきちです。
木曜日に買ったばかりの鉢植えを玄関前に置いておいたら、今朝さっそく盗まれました。
ツイていません・・・・。

気を取り直していきましょう。

今日は、拙ブログおなじみ(?)の古雑誌ネタ。
『平凡パンチ』1987年2月26日号の特集「香港 パンチ・ウシシ旅行団が行く!」のご紹介でおます。

『平凡パンチ』と香港、と言いますと、1969年4月の『平凡パンチデラックス』第22号に掲載された「香港の顔」なるグラビア特集を以前ご紹介しましたが、今回の特集記事はそれを凌ぐ大規模なものでして、「香港の顔」では取り上げられていなかった映画女優さん方のお写真もばっちり載っております。
その名も、

現地特写!香港美女セクシーショット

登場する女優さんはと言えば、

葉蒨文、鍾楚紅、關芝琳、朱寶意、張曼玉、開心少女組、倪淑君、王祖賢、劉嘉玲、林青霞、楊紫瓊、梅艶芳

の面々。
倪淑君ってのが何だか渋い人選です。

今もご活躍の劉嘉玲さんは、

太すぎる眉毛が時代を偲ばせます。

今や押しも押されぬハリウッド女優となったミシェール姐さんは、

カラオケで『恋におちて』を歌っちゃいそうな印象です。

ムダ毛研究家のせんきちとしては、

文字通り「脇が甘い」王祖賢のわきの下が
非常に気になりますた。

映画関連では「ザ・香港人 スゴイ人の生活と意見」なるコーナーでも潘廸生と鄒文懐が取り上げられていましたが、ミシェール姐さんと潘廸生はこの当時はまだ結婚直前のラブラブ期、だったのでせうか。

また、「香港青年、日本文化を大いに笑う」という香港の若者たち(男女4人)による座談会では、中山美穂が、


男A(鍾さん・大学2年):この人のカオは中国でもチベットに近いほうの自治領にいる人のカオに似ている感じ(笑)。
女A(楊さん・短大2年):この人が向うから歩いてきたら、やっぱりマレーシアの人とかフィリピンの人みたいに見える。目も上がってて、キツネみたいなカオだから。


とさんざんコケにされていました。

特集ではこの他、蛭子能収らのスペシャルエッセイや岡崎京子の漫画(『香港コーリング』)、お約束(?)の現地フーゾクガイド、九龍城砦潜入ルポ等が掲載されていましたが、このうち、岡崎京子の『香港コーリング』は、山本鈴香という若い女性が香港で財閥令嬢・李香蘭(!)の誘拐事件に巻き込まれ・・・・というもので、その後鈴香は香蘭の双子の姉・香鈴だとわかり、「リンリン・ランランⅡ」なる姉妹デュオを結成、超人気アイドルになるという無理やり過ぎるオチの漫画でおました。

「香鈴」といえば思い出す・・・・。

てなわけで、某ヤフオクで何気なく見かけて大した期待もせずに落札したこの雑誌、なかなかどうして、興味深い情報が満載でした。

(無理やり終了)

こちらは1987年当時のマカオ政府観光局発行のガイド。
「中国の大河に浮かぶ小さなポルトガル」だそうです。

2007年3月13日火曜日

JALスチュワーデスのトラベル中国語会話

〔ほん〕


1991年5月、キョーハンブックス。

1週間ぶりのご無沙汰でございます。
台湾の友人、昨日無事に帰国した・・・・はずですが、先週さんざん振り回されたおかげで、精も根も尽き果てたせんきちです。

さて。

有名建築家やふくろう先生、はたまた前宮城県知事と、候補者乱立気味の東京都知事選挙。
しかし、肝心の

あの人が足りない

と思っているのは、せんきちだけでしょうか。

黄泉の国から立候補しておくれ(←すいません。まだご存命でした)。

といったところで、本題。

先日、散歩の途中に立ち寄ったブックオフにて、105円で購入した中国語会話本のご紹介。
今から16年前の1991年、第2次天安門事件の余韻覚めやらぬ頃にJALが出した旅行用会話集です。

表紙で微笑むのは、本文執筆を担当した(らしい)香港出身の客室乗務員・王美珍(Anna Wong)さん。
プロフィールによると「乗務歴9年」で、


私の場合父が北京語しか話さず、香港っ子の私も自然に北京語を覚えてしまいました。


との由。

1991年に乗務歴9年ということは、1982年入社として1960年頃の生まれ。
「北京語しか話さない」という王さんのお父さんは、大躍進の頃に内地からやって来た北方人か、はたまた国共内戦に敗れて香港へ流れ着いた元国府軍兵士(調景嶺在住)か、気になるところです。

気になるといえば、先日読んだ『トオサンの桜』にも「1941年、10歳の頃に広東省から台北へ移住した」という多桑(劉添根さん)が出てきて、日中戦争真っ只中の時代に何ゆえわざわざ日本の植民地である台湾へ引っ越してきたのか、その理由が知りたかったのですが、その辺りの事情は見事なまでにスルーされていて、がっかりいたしました。

で。

会話本の内容ですが、左ページに日本語と英語、右ページに中国語というレイアウトで、中国語に声調記号は付いているものの、ピンイン表記は難しいため怪しいカタカナ表記で代用してあります。
ですので、例えば「初めまして」は、


初次見面(ツウツジィェンミェン)


と、ツーツーレロレロ状態になるといった按配。

ま、それでも、以前ご紹介した日本語教則本(こちらこちら)よりは数段ましなのですけれど、ちいとばかり衝撃を受けたのがこちら。


いいえ」が、



ブスだよ、ブス!

目の前でブスブス連発された日にゃあ、あたしだったら(図星だけに)どつきますよ。

ところで。

先ほどもちらりと書いた通り、この本が出た1991年は1989年の第2次天安門事件のわずか2年後。
だもんで、あたしゃてっきり事件のおかげで激減した日本人旅行者を呼び戻すためにこういった本が出たのだとばかり思っていたら、

1989年:358,828人、1990年:463,265人(29.1%増)、1991年:640,859人(38.3%増)

と(こちらを参考にしました)、何のこたあない、本の力なんぞ借りなくともそれなりに順調に増えていました、日本人旅行者。

喉もと過ぎれば・・・・なのですなあ。

(オチらしいオチもなく終了)

2007年3月6日火曜日

無責任ABC

〔ちょっとお耳に〕

『無責任遊侠伝』撮影の合間に
あやとりをして遊ぶ莫愁。
ハナ肇、犬塚弘、藤本真澄の顔が見えます。

先日の「お知らせ」で予告した通り、台湾の友人がやってまいりました。
さっそくこき使われております。
そんなわけで大物ネタに取り組む気力も体力もないため、今さらな感のある製品情報でお茶を濁しますです(スマソ)。

香港クレージー作戦』と同時期(1963年)に香港・澳門ロケを行ったクレージーキャッツのもう1つの中華映画『無責任遊侠伝(澳門風雲)』のDVDが、昨年暮れにリリースされました。


お馴染の無責任男・植木等がここではギャンブルの天才に扮し、澳門で一か八かのギャンブル勝負に打って出るというお話。
クライマックスとなる平田昭彦(悪役)との決戦では、澳門が舞台というのになぜか丁半勝負の壺ふり対決なのがご愛敬です。

杉江敏男監督から壺ふりを教わる白冰。
向かって一番左は馬力。

当時、東宝と深い関係にあった電懋から白冰、莫愁、高翔、馬力が参加していますが、悪役である平田昭彦が中国人ではなく実は敵前逃亡した元日本兵、つまり日本人だったという設定になっているのは、おそらく電懋側への配慮ではないかと考えられます。
谷啓(白冰の兄役)の元恋人でありながら、彼を捨てて平田昭彦の情婦となっている莫愁も100%悪い女ではありませんでしたし。
『香港の夜』で中村哲の用心棒をやっていた天本英世が、ここでも平田昭彦の用心棒に扮していました。

そして。

社長シリーズの追尾を飾る作品である『社長学ABC』のDVDについて。
こちらこちらのDVDレンタルのサイトには情報があるのですが、なぜかセルDVDのリリース情報はありません。
レンタルオンリーということなのでしょうか。


森繁社長が会長に勇退し、小林桂樹が社長に昇進する本作は、台湾ロケが売り物の1本。
日月潭でロケを行っている点が、日本映画としてはきわめて珍しいと言えます(今の九族文化村みたいな原住民のテーマパークも登場)。
ま、そうは言っても、単なる観光映画からは一歩も出ていないのですけれど。

また、香港へ渡って邵氏に加入する前の恬妮が、ちょうど『社長洋行記』における尤敏のような役どころで出演しているのも見もの。
『社長洋行記』での尤敏の婚約者は三船敏郎ですが、恬妮の婚約者はなんと王貞治(写真のみの出演)でした。

それでは、またこき使われてきます。

2007年3月2日金曜日

松葉杖卒業 (又名:人類の進化)

〔しようもない日常〕

白色恐怖を描いたドラマ。
一昨日は228事件から60年の日でした。

ごぶさたしております。
おかげさまで松葉杖を卒業、直立二足歩行の訓練を始めたせんきちですが、この数日というもの、花粉症がひどくて、

身も心もボロボロ

になっておりました。

せんきちがボロボロになっている間にも、「似非『無間道』がオスカー受賞」というツッコミどころ満載のニュースが飛び込んでまいりましたが、これはもうすでに多くの方がお取り上げになっておりますので、今さらわたくしのような者が言及するまでもないこと。
むしろ「ムダ毛研究家」のせんきちとしては、「おふくろさん騒動」の当事者である、

川内康範センセイの耳毛

に大注目しております。

初めて見たときは「変わったモミアゲ」かと思ったよ。

聞くところによると、センセイは青森県にお住まいとのことですので、寒冷地においては防寒の見地からあのように自然と長ーい耳毛になるのであろうかと、

気候と耳毛の不思議な関係

という新しいテーマについて考えてみる必要性を感じております(うそうそ)。

で。

先月の25日(日)、午後2時からTBS系列でコソーリ放映されたテレビドラマ『たった一度の雪 SAPPORO・1972年』(北海道放送制作)の感想をちょっとだけ。

詳しい内容等に関しては公式サイトをご参照いただくとして、せんきち的にはメインのストーリーよりも陳柏霖演じる孫台生の人物造型及び言動に興味を持ちました。

台湾北部の田舎町にある小さな食堂の息子として生まれた台生(名前からして台湾の申し子のようだ)は、かつての統治者である日本及び日本人に対して屈折した感情を持つと同時に、蒋介石と国民政府に対する憎悪も人一倍強いという本省人(鶴〔福〕佬人)の若者。
彼の父は、国民政府による北京語強制に反発して日本語で押し通したため警察に捕まったという過去を持っています。
劇中、台生は聖子娘演じるヒロイン相手に蒋介石&国民政府に対する憎しみや、台湾人は自分たちの国を持ったことがない(国民政府はあくまで外来政権)といった心情を吐露するのですが、今ならともかく当時そんなにあからさまに政治批判をして大丈夫だったのだろうかと、観ていてハラハラしてしまいましたよ。
いくら蒋介石が憎いといっても、その憎むべき総統の命に従って札幌に送り込まれたのですから、密告されたらどーするよ?という心配ばかりが先に立ち・・・・。

ラスト、35年後のヒロイン(戸田恵子)が台生を訪ねると、台生にクリソツの息子(陳二役)がやって来て「父も母も亡くなりました」と言うのですが、2人の死の原因が明らかにされないため、せんきちの頭の中では

台生は札幌での言動を密告されたか、あるいはその後民主化運動に身を投じたせいで緑島に送られ、獄中での無理が祟って若死、残された妻は夫の意志を継いで政治活動を開始するも、選挙中に謎の自動車によってひき逃げされて死亡。

という勝手な妄想が渦巻いてしまいました。

ある意味、この孫台生なる人物は1972年というよりも、近年の本土化した台湾を投影した人物、ということができそうです。
また、台湾側の撮影協力が民視だったことも、台生の人物造型に大きく関係しているのではないかと思います。
台視や中視や華視じゃ、こうはならなかったかも。

お知らせ:今週末、またぞろ台湾の友人が来日するため、来週一杯はその接待に忙殺されそうです(というか、そうなるに決まってるんだけど)。てなわけで、またしばらくお休みするかも知れません。あしからず、ご了承下さい。

2007年2月23日金曜日

我女若蘭 (Orchids And My Love)

〔えいが〕

DVDのジャケット及び盤面には
「武家麒」の名前がありますが、
実際には出ていない・・・はず。

1966年、台湾(中影)。李嘉監督。唐寶雲、葛香亭、馮海、謝玲玲、巴戈主演。

第5回金馬奨作品賞、監督賞、子役賞、カラー撮影賞、カラー美術賞、編集賞受賞作。

バレエが得意な少女・孟若蘭(謝玲玲、唐寶雲)は当時不治の病とされていたポリオに侵され、歩行さえも儘ならなくなって自暴自棄に陥りますが、父(葛香亭)や幼なじみの邱文雄(巴戈、馮海)の励ましによって蘭の栽培に打ち込むようになり、やがて彼女の栽培した蘭が高い評価を得るまでを描いています。

葛香亭と唐寶雲の父子物という点から見れば『あひるを飼う家(養鴨人家)』の(脚本も同じ張永祥が担当)、主人公の子供時代を謝玲玲と巴戈が演じ、成長してからを唐寶雲と馮海が演じるという点から見れば『婉君表妹』の、それぞれ延長線上に位置する作品と考えることが出来ます。
が、

健常者=完全
障害者=不完全


という価値観が透けて見えてしまうため、ラストで若蘭が「クララが立った状態」になって文雄との恋も成就するというオチには、今ひとつ納得がいきませんでした。
若蘭の足が不自由なのは、病気のせいだけでなく彼女の心の状態が大きく影響しており、勇気を奮って一歩踏み出すことによってきっと歩けるようになる、といったもっともらしい理由付けもあったんですけれど、しかし、仮に歩けるようにならなくとも、何か(歩行機能)を失うことによって他の何か(生きがい〔蘭の栽培〕と真実の愛〔文雄との恋愛〕)を得たヒロインの物語でもよかったように思うんですが。
何が何でも歩けるようにならないと駄目だったんですかね。

ポリオに侵された当初、主治医(魏蘇)の見立てに納得がいかない若蘭の両親が怪しげな民間療法や加持祈祷にすがるという展開は、闘病ものに付き物の趣向と言えますが、最終的に主治医を信じるようになるきっかけが「中国が生んだ最も有名な医師=國父・孫中山先生」の言葉(内容失念)だったというのは、中影ならではの決着法と言えるでしょう。

また、若蘭を愛し慈しみ誰よりも理解する存在はあくまでも父親であり、母親(傅碧輝)は娘と文雄が互いに思いを寄せていることに全く気付かず、若蘭の親友の従兄で医者の卵である大衛(江明)と娘を結婚させたがっているという、かなり無神経なお母さんである点がちょいと気になりました。
日本の場合なら、ふつう母親の方が娘の気持ちを汲み取りそうなものなんだけどねえ。
父子物ゆえの趣向と言うべきか、それとも「家族の気持ちを全て掌握するのは父親の役目」というモーレツな家父長意識の現われなのでしょうか。

ところで、本作の監督である李嘉は日本語が堪能だったらしく(といっても、『バンコックの夜(曼谷之夜)』で張美瑤のおじ役をやっていた同姓同名の俳優さんとは別人の模様)、下山操子の『故国はるか 台湾霧社に残された日本人』には次のような件があります。


・・・・その頃(1969年・せんきち注)のことです。学校でちょっとした珍事がありました。李嘉監督、甄珍、武家麒主演の『高山青』という映画のロケがわたしたちの学校でおこなわれることになったのです。受け持ちの児童がエキストラとして出演することになり、わたしは子どもたちの体操やダンス、歌の指導に大騒動でした。
わたしが日本人だとわかると、ロケの合間に李監督はわたしに日本語で話しかけてくれました。それに、わたしが子連れのときには、俳優さんたちも集まってきて、おもちゃやお菓子をくれたのです。
ロケ隊が去ってから、李監督は三度も手紙をくれました。次に撮る『楓葉師生情』の準ヒロインをやらないかというのです。模範的な教師の役だそうです。小学校五年生のときに、子役で出してもらったことがあって(台湾語映画『青山碧血』のこと・せんきち注)、以来、その方面に少々どころか大いに意欲を持っていたわたしの心は、ときめきました。(以下略)


結局、この映画出演の話は夫の猛反対によって諦めざるを得なくなり、映画自体もお蔵入りになってしまったようです。


話を『我女若蘭』のことに戻すと、本作のDVDソフトに関してyesasiaではPAL方式としていますが、決してそんなことはなく、皆様お馴染のNTSC方式でございます(うちの三菱製プレイヤーで再生できたもん)。
安心してご覧下さい。

2007年2月19日月曜日

春節に臭豆腐を食らう

〔しようもない日常〕〔ちょっとお耳に〕

『緹縈』より。甄珍のどアップ。

昨日は旧暦のお正月。
某サイトのオフ会に参加して、カラオケ&お食事を堪能いたしました。
お食事は新大久保の「美而美」で台湾料理でおましたが、客家小炒がなかなかいけましたです。

ここんとこ、排骨飯が食べたくて食べたくて仕方なかったせんきちはメニューにその3文字を発見、大喜びで注文いたしましたが、これははっきりいって・・・・でした。
かんじんの排骨が、なんと言いましょうか、士林夜市で売っているジャンボなフライドチキンの豚肉版のような感じで、クリスピーなのがお好きな方にはよいのでしょうが、あっしにはちょっと油がきつかったっす。
卵が煮卵じゃなくて目玉焼きだったのもマイナス。
ま、そう言いながらも完食したんですけれど。

15名ほどの面子だったので、お料理はそれぞれ3皿ずつ頼んだのですが、臭豆腐をお召し上がりにならない方が意外と多く、あっしとその他数名の知人が「臭豆腐班」を結成、残った臭豆腐を全て平らげました。

おいしいのにね。

さて。

今朝、茶通さんの「香港電影迷宮+blog」で知りましたが、香港で李翰祥監督の回顧上映があるそうです。
てなわけで、國聯作品も大量上映される模様。
当方のブログでも今年に入って「勝手に國聯特集」を開催(会期無期限)、『菟絲花』と『十萬青年十萬軍』をすでにご紹介(少し前に『冬暖』もご紹介済み)、「次は『黒牛與白蛇』ね!」などと思っていたところでして、さてはあっしの企画をパクッたのか?(←んなわけないない)

上映予定の國聯関連作品の内、『状元及第』『鳳陽花鼓』『黒牛與白蛇』『幾度夕陽紅』『騙術奇譚』はソフト購入済みですので、いずれご紹介できればと思います。
ただ、國聯を代表する名作の一である『破曉時分』は、現在のところソフト入手が困難なためご紹介できません。
それから、台製(台影)&中製絡みの映画(『西施』『揚子江風雲』『緹縈』)や『喜怒哀樂』も同様ね。

こちらも『緹縈』より。甄珍の後姿。


『西施』より。真ん中にいるのが趙雷。

『喜怒哀樂』は、当時(1970年)「台湾四大導演」と称されていた李翰祥、胡金銓、李行、白景瑞が1話ずつ担当したオムニバス映画。
「喜」(白景瑞)、「怒」(胡金銓)、「哀」(李行)、「樂」(李翰祥)の分担になっています。

ちなみに、1980年代に入って李監督が内地で映画を撮るようになると、激怒した國府からは裏切り者の汚名を着せられ、1988年に『梁山伯と祝英台(梁山伯與祝英台)』が台湾で再映されたさいにも冒頭の監督の名前が出てくる部分等がばっさりカットされて、現在流通しているリマスターDVDもカットされちゃったバージョンが底本になっているのだとか(陳煒智『我愛黄梅調』による)。

言われてみればたしかに、

キャストの紹介がたったこれだけで
李監督の名前は出ないまま、


いきなり本編に突入したかと思ったら、


さらに次の場面にぶっ飛ぶという、

かなり強引な編集がなされております。

オリジナル版が観られるようになる日は来るのでしょうか。

おまけ:これも『梁祝』から。
西本さん(賀蘭山)の名前の横にちゃんと
高田秀雄(戴嘉泰)の名前もありました。