2009年8月29日土曜日

安志杰(アンディ・オン)のおかあさん 続

〔ちょっとお耳に〕

どうも。
トド@のりピー激やせよりも上島竜兵激やせの方が気になるです。

このところ、いろいろな役者さんの訃報が相次いでいますが、香港でも先日、成奎安先生がお亡くなりになりますた。
享年54歳。まだまだお若い…。
不肖せんきち、成奎安先生というと、なぜかいつもこの映画を思い出します。

さて、3ヶ月ほど前、安志杰のお母さん(金燕)が日本で芸能活動を行っていた旨のコネタ記事(安志杰(アンディ・オン)のおかあさん)を書きましたが、この間、某ヤフオクで日本でのデビューシングル(「遠く消えた恋」)を捕獲したので、そのご報告でも。

前回の記事で書いた通り、日本での芸名は
キャンディ・シュー。
ジャケットは2つ折になっていて、


広げると、ポスターに変身!
いつでもあなたのお部屋にキャンディが!


呼んだ?


歌詞カードには「金燕」の表記も。
楽譜も付いていますた。

ちなみに、上記デビューシングルに収載の2曲(「遠く消えた恋」「恋はいじわる」)は、下記のCDにて比較的気軽に聴くことができます。

「遠く消えた恋」収録。


「恋はいじわる」収録。

この他のシングルはどうやらかなりのレア物のようで、入手困難らしいのですが、機会があったら捕獲を試みてみることにいたします。

2009年8月25日火曜日

NHKBSハイビジョンシネマにて

〔ちょっとお耳に〕


どうも。
トド@アフラックのCMの招き猫怖いです。

取り急ぎ、告知のみ。

9月6日(日)から10日(木)まで、NHKBSハイビジョンの「ハイビジョンシネマ」にて、昨年の第9回NHKアジア・フィルム・フェスティバルで上映された作品が一挙放映されます(『キネマの天地』を除く)。
放映スケジュール
は、下記の通り。

9月6日(日)
『追憶の切符 (車票)』(2008年 中国、香港)
午後11:35~午前1:19

9月7日(月)
『My Son~あふれる想い~(My Son)』(2007年 韓国)
午後11:05~午前0:55

9月8日(火)
『僕たちのキックオフ(Kick Off)』(2008年 イラク・クルディスタン地域、日本)
午後11:05~午前0:27

9月9日(水)
『Orzボーイズ!(囧男孩)』(2008年 台湾)
午後11:05~午前0:50

9月10日(木)
『パンドラの箱(Pandora's Box)』(2008年 トルコ・フランス・ドイツ・ベルギー)
午後11:05~午前1:00

「うちじゃあ、まだハイビジョンが観られないんだよなあ」とお嘆きのあなた、この機会にデジタル対応の録画機器をお買い求めになってみてはいかがでしょうか(って、テレビ局と電器会社の回し者かよ、オレ)。

追記:上記の作品群、10月にはBS2でも放映予定です(なんだ、アナログでも観られるんじゃん)。

2009年8月21日金曜日

香港屋簷下 (The Looks of Hong Kong)

〔えいが〕

みんなであぶりをやりました。

1974年、香港(馬氏)。馮淬帆監督。柯俊雄、徐楓、唐菁、胡錦、丁珮、他。

どうも。
トド@立秋後に夏バテです。

先日、酒井"悪"のりピー事件に関して、「夫が隠し持っていた覚醒剤を調べようとした警察官に対し、のりピーは「下半身の薬なので見せられない」と言い訳したそうですけれど」と書きましたが、夫は夫で

下の病気でズボンを脱ぎたくない

とゴネていたそうな。
いくら別居中とはいえ、

下の病気の夫を持つ元アイドル

ってのも、なんか…いやだよねえ…。
そうまでして罪を逃れたかったのか、あんたら。

…本題に入ります。

馮淬帆の監督デビュー作…らしいっす。
タイトルは1964年の中聯作品と同じですが、中身は別物。
ただし、1964年版もこちらも、『巴黎屋簷下(Sous les toits de Paris、巴里の屋根の下)』を踏まえたタイトルであることは確か。



表向きは「性産業、麻薬、賭博撲滅」を叫びながら、裏では手下(馮淬帆)を使ってそれらの産業で私腹を肥やしている悪徳立法委員(唐菁)一味と、彼らの毒牙に係りそうになる貧乏人たち(柯俊雄、徐楓、他)の人間模様を描いていますが、DVDのパッケージにあるような「貧乏人たちが悪徳立法委員をやっつける」のではなく、警察が立法委員の裏稼業を一網打尽にするものの、立法委員は政庁幹部と通じており、彼にはお咎めがなかったどころかまたぞろ同じ裏稼業で金儲けを始める、というかなり皮肉なオチになっています。

香港映画とは言いながら、メインの役者さんたちはほとんどが台湾系の皆さん(柯俊雄、徐楓、唐菁、胡錦、丁珮、武家麒、葛小寶、他)で、北京語発声だった模様(どのみち声優さんが声を当てているのですけれど)。

監督のみならず、脚本も書いて出演もこなしている馮淬帆。
この時点(1974年)で既にハゲかけている・・・ということは、
その後のあの髪型はヅラだったってことか!


胡錦の絵の先生として登場するこの御仁(クレジットなし)、
ひょっとして、あなたは方圓さんですか?


ちなみに、メイクは全く別の方が担当。

社会派映画としては寒いギャグが多すぎ、さりとて人情喜劇としては物足りない、というきわめて中途半端な映画でしたが、ムダに豪華なキャスト(沈殿霞まで出てました)で、まあ、そこそこ楽しめましたです。


おまけ:『巴里の屋根の下』と言えば主題歌も有名ですけれど、不肖せんきちが子供の頃よく聴いていたのがジャクリーヌ・フランソワ(Jacqueline François)版。
もちろん、彼女の代名詞であるところのこの曲も大好きです。

2009年8月15日土曜日

なぜか何湄 嘉禾電影編

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕
チョメチョメ逝く…。
不肖せんきち、中学時代、クラスメイトに「松方弘樹と山城新伍が好き」と話したら、
「男の趣味が悪い」と一笑に付された経験がございます。合掌。


どうも。
トド@今年の盆踊りは「のりピー音頭」で決まりだ!です。

さて。

ここのところ集中掲載中の丘ナオミさんネタ、先日、いつもお世話になっている「香港電影之館」のToruさんより丘さんの特集記事(嘉禾新星何湄)が掲載された『嘉禾電影』1974年8月号の情報をご提供いただきましたので、その記事に関してちょいと気づいた点をメモしておきます。

1、日本国籍の華人女優

記事中には丘さんについて「日籍華裔女星」とありましたが、先だっての『映画秘宝』のインタビュー記事やトークイベントでもそのようなことは一言もおっしゃっていなかったので、おそらく、これは香港の観衆に親しみを持ってもらうための嘉禾のウソということになるかと思います。
それと、邵氏が自前の脱星を使って映画を撮っていた手前、日本人の助っ人を呼んだと正面切って言うと、営業上不利になると考えたのかも知れません。
とはいうものの、池さんや衣麻さんになると、「日本の東映からやって来た助っ人女優」であることを全面的に打ち出すようになっちゃうんですけれど。

2、デビュー作は『おさな妻の告白 陶酔 クライマックス』

記事中では丘さんの映画デビュー作が『少妻的自白(おさな妻の告白 陶酔 クライマックス)』になっていますが、これは日活での第1作。
デビュー作はもちろん『女番長ゲリラ(十三太妹)』(東映)です。
これは丘さんの出演に協力してくれたであろう日活の顔を立てたのではないか、と考えられます。

3、つるつるにもなりました、怪我もしました

前記の通り、デビュー作のタイトルこそ日活の顔を立てているものの、『女番長ゲリラ』の撮影のために髪を剃った話やバイクの事故で怪我をした話等、東映時代のエピソードもきちんと紹介されています。

4、マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)に似ている

「彼女を見た人は、みなマリリン・モンローにどこか似ていると言う」云々とありますが、似ていますか?(丸投げ)

5、37インチ、25インチ、36インチ

丘さんのスリーサイズ。センチに換算すると、バスト:約94センチ、ウェスト:約63.5センチ、ヒップ:約91.4センチになります。

6、撮影時期について


この記事には、丘さんがいつ頃『艶窟神探』撮影のために香港に赴いたかが書かれていました。
それによると、「1974年5月末に3週間の予定で香港に到着、6月中旬には日活での撮影があるため香港を離れた」との由。
ということは、以前せんきちが推測したような

契約は一番最初だったけれど、撮影や公開スケジュールの都合のせいで池さんよりも後になってしまった」(誤)

のではなく、

契約も撮影も一番最初だったけれど、公開スケジュールの都合で池さんよりも後になってしまった」(正)

というのが、本当のところでありました。
つまり、丘さんの発言(「香港映画に出たのは、私が最初なんですよ」)は、まぎれもない真実だったのであります。

ということで、いろいろ興味深い事実が判明した記事でした。

Toruさん、ありがとうございました。

2009年8月8日土曜日

なぜか何湄 突撃編

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕

送ってあげて、キングさん。

どうも。
トド@「のりピーやっぴー」の「や」はヤクの「や」だったのか!です。
当初、夫が隠し持っていた覚醒剤を調べようとした警察官に対し、のりピーは「下半身の薬なので見せられない」と言い訳したそうですけれど、この話を聞いて昔うわさになった元アイドル歌手・YK(KYでもいいけどさ)の「電動民芸品事件」を思い出したのは、わたくしだけでせうか?

例の甲状腺腫瘍の件、現在通院中の病院からはぶじ脱出できそうなのですが、多額の検査代を負担した影響がじわじわと出てきまして、ただいまビンボー暮らしです。
少し余裕が出来たら、今度は甲状腺専門の病院に行きたいと考えております(検診で引っかかったさいに紹介してもらった最初の病院〔←脱出中の病院ね〕は、某大学病院耳鼻科ですた)。

さて。

先だって、丘ナオミの中国名・何湄の由来について書きましたが、現在、ラピュタ阿佐ヶ谷にて開催中のレイトショー「THE恐怖女子高校」にて、丘さんのトークイベントがあるというので、不肖せんきち、突撃してまいりました。



この日上映されたのは、シリーズ第1作『恐怖女子高校 女暴力教室』。
丘さんの役どころは、聖光学園の女子高生・王メイ子。
神戸の女子高が舞台の映画にふさわしく(?)華僑の子女(勝手に推定)という、このとき(デビュー2作目)すでに将来の香港行きを思わせるような国際色豊かな役を演じています。

上映後のトークイベントの大部分は、『映画秘宝』掲載のインタビューの折の話題と被っていたものの(美空ひばりとのエピソードは、やっぱりすごい!)、丘さんが中国名を名乗った理由が、

「李香蘭(山口淑子)のような<日本人でありながら中国人>という存在に憧れがあったので、自分も中国名を名乗りたい、と嘉禾に希望した」

からという、新たな事実が判明したのは大きな収穫でした。
となると、香港における第1作『艶窟神探』での丘さんの役名が「淑子」だったのも、嘉禾の粋な計らいだったのかも知れません。

イベント終了後、不肖せんきちは1階のロビーに下りられた丘さんをずーずーしく追っかけ、持参した『香港工商日報』(1974年9月17日付)の丘さん掲載記事のコピーを進呈、すると丘さんは、

「まあ、何が書いてあるか全然わからないけれど、とてもうれしいわ」

と大変喜んで下さったので、すかさず、

「監督(鄭昌和)が、丘さんのことをたいそう褒めていらっしゃる記事です」

と申し添えておきますた。

そして、ここぞとばかりに「サインいただけますか?」とおねだり、『艶窟神探』のVCDにサインをしていただきました。




そういえば、丘さんは『破戒』の日本盤DVDリリースを全くご存知なかったようで、てっきりリリースのさいにキングレコード側から丘さんサイドにはきちんと連絡が行っているものとばかり思い込んでいたせんきちは、これってどうなのか知らん?と正直疑問に感じましたです。
いちおうご本人には、香港では『艶窟神探』も『破戒』もソフト化されていること、特に『破戒』は日本盤があるので日本語字幕でご覧になれる旨お伝えしておきましたが、今からでも遅くないので、キングレコードの方、ぜひ丘さんに『破戒』のDVDを進呈して差し上げて下さい。
お願いします。

というわけで、最初の丘さんネタ執筆から足掛け4年近くの歳月が流れましたが、丘さんの中国名の由来やその理由を知ることができただけでなく、まさかご本人にもお目にかかることができようとは、不肖せんきち、望外の喜びであります。
昨夜は、せんきちにとって貴重な「難忘的一夜」となりますた。

最後に、何度もしつこいようだけど、DVD、送って下さいね!

(おしまい)



追記:王メイ子さんって、実在するんですね・・・。

2009年7月31日金曜日

再び『よろめき迷探偵(東京尋妻記)』のこと

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕

日本映画ではありません。

どうも。
トド@ばね指さらに悪化です。

さて、先日の記事で取り上げた『よろめき迷探偵(東京尋妻記)』。
日本公開の時期について、何かヒントになることはないかと思い、『映画秘宝』の2007年7月号を引っ張り出して再読したところ、「戦後インディペンデントフィルムとエロダクション黄金時代(日本エロ映画年表2)」の1961年の項に、


国映、台湾との合作映画『世界桃色全集』でドラマ演出にも挑戦。


なる記述があり、「矢元照雄、初期国映作品を語る2」でも、矢元照雄氏が、


…これ(『世界桃色全集』・せんきち注)は台湾との合作映画。日本から俳優の八名信夫なんか連れて行ったんだ。女優も何人かと監督やスタッフもね。それで台湾に1カ月位行って撮った。もちろん僕も行ってた。ショーとドラマと両方って感じの映画だね。ところが向こうの女優が下手で話しにならない。こっちに持ってきたら、こんな下手な芝居が入っていたら商売になんないよってことでオクラになったんだよ。契約書には撮影するって書いてあったんだけど、こっちでは中止。台湾でだけ上映しているはずだね。


と語っておられ、そこから考えると、オクラ入りした『世界桃色全集』(なんちゅータイトル)の代わりに急遽調達されたのが『よろめき迷探偵(東京尋妻記)』だったのではないか、つまり、1961年に日本で公開されたのではないか、という推測にたどり着きました(かなり無理がありますけど)。

ちなみに、『世界桃色全集』が台湾で公開されたかどうかもちょっこし調べてみましたが、それらしい映画を見出すことはできませんでした…っていうか、このタイトルと内容では検閲で引っかかるのではないかと思います、当時の台湾では。
おそらく、台湾語映画陣営との合作で、公開されたとすれば台湾語映画としてだったと考えられますが、1961年頃の『聯合報」はだいたいチェックしているものの、この映画の記事は…見たことないなあ。
ま、そのうちまた調べてみます。

2009年7月27日月曜日

最近DVDで観た映画

〔えいが〕〔しようもない日常〕

虎のぬいぐるみと死闘!

どうも。
トド@眠いです。

すでにいろいろな方がお書きになっていらっしゃいますけれど、いやあ、びっくらこきますた、ヤスミン・アハマド(Yasmin Ahmad)監督の訃報
石川県で撮影する予定だった次回作(『ワスレナグサ』)は、永遠に幻の映画になってしまうのでせうか。

さて。

最近の休日、せんきちは横着しておうちでゴロゴロしていることが多いので、その間に観たDVDのメモ。

『乾坤三決鬥(A Valiant Villain)』
1968年、台湾(中影)。陳洪民監督。田野、左艶蓉、葛香亭、魏蘇、他。

ならず者の周處(田野)が心優しい女性・十娘(左艶蓉)とその父(葛香亭)に出会って改心、村人たちを悩ませていた虎と孽蛟(下の写真を見てね。日本の皆さんの苦労の結晶です)を退治して過去の悪行を詫び、将軍に仕えてお国のために戦う、というお話。
八木正夫、三上睦男、黒石恒生が特技を担当しています(クレジットなし)。

これが孽蛟だ!

このお話の原拠は京劇でもおなじみの『除三害』だそうですが、粗暴だが心根は優しい男という田野演じる周處のキャラクターは、『冬暖』の彼の役柄と若干被っている気がいたしました。
ストーリー的には「ちょっといい話」のはずなんですけれど、オチが「改心して軍に入隊、お国のためにご奉公」という辺りが、いかにも中影的であります。
ラスト、出陣する田野のバックになぜか「ツァラトゥストラはかく語りき(Also sprach Zarathustra)」が大音量で流れます。
さては『2001年宇宙の旅』のパクリか?とも思いましたが、何か深ーい意図でもあったのかしらん?

『輕煙(Love Is Smoke)』
1972年、香港(文藝)。宋存壽監督。柯俊雄、胡燕妮、李湘、秦祥林、他。

えー、わかりやすく言うと、ボーイフレンド(秦祥林)の叔父さん(柯俊雄)と不倫の恋に落ちてしまう若い女性(胡燕妮)のお話。
ま、叔父さん、といっても、秦祥林の父親(出てこないけど)よりも10歳年下という設定なので、40そこそこのおっさんと20代の娘っ子との恋ってとこでしょう。

冒頭、とあるレストランに入ったヒロイン・馬珊(胡燕妮)が、店内でかつて不倫関係にあった裘謹(柯俊雄)を目撃、彼との出会いと別れを回想する、という筋立てで、このような場合、通常は冒頭の場面に戻って終わるはずなのですが、この映画ではなぜか戻らずに傷心の馬珊が中環の埠頭を1人歩く場面で終わります。

互いにためらいながらもずるずると深みにはまっていくのが不倫物のお約束ですけれど、馬珊の気持ちを知った裘謹がいきなりスケベ親父モードに突入、「オレのバズーガ暴発寸前(お下劣)」状態で馬珊に迫るのはいただけません。

「それ、どこで買ったの?」と思わず聞きたくなる李湘のド派手なストライプのジャケットや、緑色のタートルネックのセーターに同じく緑色のタイツ(スカートはグレーのミニ)をまとった「歩くクレヨン」状態の胡燕妮等、女優陣のありえねーファッションが見ものです。
また、裘謹の昔の恋人である台湾在住のやり手の女社長がなぜかおっぱい怪獣で、裘謹とハダカの商談を試みるという、余計なお世話のサービスカットもありました。

ちなみに、柯さんとテレママ、実際には同い年です。

追記:映画のタイトルは、コトが終わった後に柯さんが吸う煙草の煙に(寝タバコは危険です!よい子のみんなはマネしないでね!)、テレママが自分たちの恋を重ね合わせる(煙のように儚いってことね)ことから来ています。

『八番坑口的新娘(The Bride In The Fading GoLaser Goldmine)』
1985年、台湾(高仕)。金鰲勳監督。許不了、張艾嘉、他。

台北から九份に赴任した(というよりは、飛ばされた)お人好しの警官・江萬水(許不了)と、夫を鉱山事故で失った後精神に異常をきたしてしまった子持ちの女・阿鳳(張艾嘉)の不思議な縁を描いた作品。
「吳念真九份電影系列」(勝手に命名)の1本。

今ではすっかり観光地と化した九份ですが、この映画では「時代に取り残された、閉鎖的で陋習に充ちた町」として描かれており、かなりネガティヴな印象を受けます。

おなじみの石段。


昇平戯院。

町の人から蔑まれるのみならず、若い男たちの慰み者になって父親のわからない子供を身ごもる阿鳳(鳳と瘋が掛かっています)を張艾嘉が熱演していますが、彼女の都会的な持ち味とははっきり言って合っていません(たぶん、本人のたっての希望で演じた役だとは思いますが)。

しかし、精神障害者の親を持つ子供というのは、『Orzボーイズ!(囧男孩)』でもそうでしたけれど、基本的に行政は関与しないのでしょうか、台湾では。

何ともほろ苦いラストには、同じ吳念真&張艾嘉の『台上台下』と共通するものがありました。

2009年7月24日金曜日

なぜか何湄 お答え編

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕


どうも。
トド@ばね指悪化です。

えー、約4年前(ムダに生きてるな、オレ)、拙ブログにて「なぜか何湄」なるタイトルの丘ナオミ=香港女優・何湄に関する考察を執筆いたしましたが(出演映画の感想文は、こちらこちら)、『映画秘宝』2009年8月号に掲載された丘さんへのインタビューの中で、香港へ渡ったいきさつや何湄という芸名の由来についてご本人が語っておられますので、こちらでもちょっこし取り上げてみたいと思います(一応9月号が出たので、勝手に情報解禁。そういや、8月号に載ってたトー先生の写真、どうみてもヤムヤムなんだけど)。
以下、丘さんのインタビューから核心部分の引用。


…香港映画に出たのは、私が最初なんですよ。ブルース・リーで有名な香港のゴールデンハーベストから女優さんを探しに来たんです。当時は、むこうの女優さんはまったく脱がなかったから。香港の芸名は何湄(ホウメイ)、ブロマイドも作ってくれました(笑)。私が行った後に、池玲子さんなんかも行ったみたいですね。名前の"ホウ"というのは、ゴールデンハーベストの副社長の名前、メイというのは美しいという意味らしくて。


1、まず、「香港映画に出たのは、私が最初なんですよ」というご発言ですが、これはどうも契約は一番最初だったけれど、撮影や公開スケジュールの都合のせいで池さんよりも後になってしまった、というのが実態のようです。
ただ、1974年11月に香港で公開された『女番長ゲリラ』には丘さんも出演しているので(デビュー作です)、そう考えると池さんと同時に香港上陸を果たした、と言えるかもしれません。
んー、でもわざわざ日本まで1本釣りに来たのか、嘉禾。

2、「ブロマイドも作ってくれました」
池さんは「特製カレンダー」でしたが、丘さんは「ブロマイド」ですか。
負けたよ、嘉禾。

3、芸名の由来
なるほど、何湄なる芸名は丘ナオミ(奈保美)の強引な語呂合わせではなく、

何冠昌

の何から何を取ったのですか。
嘉禾側の力の入れようがわかるようなエピソードですけれど、ただし、湄は女偏だとたしかに「美しい」という意味ですが、水偏(さんずい)では「みぎわ」ですとか「ほとり」といった意味になります。
ま、当時(少し前か)は李湄なんていう大スターもおりましたし、あるいはそちらにあやかったのかなあなんて気もいたします。

というわけで、長いこと胸につかえていた疑問が一つ解決いたしましたが、何ゆえに丘さんだけが中国名で映画出演したのかに関しては未解決のままであります。
もしかして、監督が韓国人だったから…だったりして。

(思わせぶりに終了)

2009年7月20日月曜日

『よろめき迷探偵(東京尋妻記)』のこと

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕

「よろめき」のルーツ

どうも。
トド@昼間のビールはおいしいねです。

えー、先週の土曜日(18日)、こちらでも上映会の告知をいたしましたが、新橋のTCC試写室(旧ビザール・クロッキークラブそば)にて『黒と赤の花びら』を鑑賞してまいりました。
暴風雨なのに揺れない船(その後遭難)で起こった殺人事件を発端に、三原葉子(腋毛なし)=ガガーリンという衝撃の展開を見せるサスペンスで、天知茂が事件の謎を追う過程で麻薬密売や売春組織が絡むというパターンは、かつての「地帯」シリーズの焼き直しのようでもありました。
しかし、悪役が弱いのと、展開が遅いのと、何より三原葉子がちっともキュートではないのが残念至極。
とはいえ、これらの不満も映画を観られたからこそのこと。
貴重な機会をお与え下さった上映会スタッフの皆様に、心から感謝申し上げます。

ビザール・クロッキークラブについて
お知りになりたい方は、この映画
ご覧下さい。三原葉子がキュートです。


さて。

今回の上映会会場であるTCC試写室。
こちらはあの国映経営の試写室であり、不肖せんきち、恥ずかしながら初めて足を踏み入れたのですが、ロビーに掲示されていた1枚のポスターにふと目が留まりました。
それは国映配給の倉田文人監督の映画でした。

「おや?倉田監督って、ピンク映画も撮っていたのかしらん?」

と思いつつ、ポスターにあるキャストの表記に目を移すと、「唐菁」と「美雪節子」の名が。

「こ、これって、もしかして、台湾の第一が製作した『東京尋妻記』のこと?」

まるでわたくしがここへ来るのを待ち構えていたかのような貴重な映画ポスターとの出会いに一人秘かにコーフンしつつ、メモ帳にポスターの記載事項を手短に書き写しました。

で。

以下が、ポスターにあったスタッフ・キャスト。

脚本:町新吉
監督:倉田文人
撮影:井上莞
音楽:伊藤宣二

主演:青木笑児、唐菁、美雪節子、谷川英子

ちなみに、『東京尋妻記』の台湾側(台灣電影資料庫)のデータは、下記の通り。

製片(製作):黃銘
導演(監督):倉田文人
編劇(脚本):孟壎
演員(出演):唐菁、美雲(原文ママ)節子
出品年:1958
國別:台灣
片長:2100

脚本が孟壎になっていますが、この方は本作以外の脚本執筆はなく、どうやら町新吉(この方のこともよくわからんのですけれど)の変名のようです。

この映画、左桂芳氏の「台灣電影微曦期與國際合作交流史(1900-1969)」(『跨界的香港電影』所収、2000年、康樂及文化事業署)には、


1957年(1958年の誤り・せんきち注)出品的《東京尋妻記》(日名:《東京滞在七日間》←この邦題も誤りね。せんきち注)、由台灣第一企業公司影業部在日本投資拍攝、導演倉田文人、男主角唐菁、女主角爲日本"新東寶"的美雪節子。全片在日本攝製、最初想以風景紀錄片形式、後來改成彩色大銀幕的劇情長片。


とあり、同論文の英文ヴァージョン("Cross Border Exchanges in Taiwan Cinema between 1900-69".『跨界的香港電影』所収)にスチール写真が掲載されています。
左氏の論文の記述から、不肖せんきち、てっきりシリアスな内容の映画なのかとばかり思っていましたが、ポスターの惹句は、


美しい人妻を追う迷探偵のよろめき奇行をお色気とユーモア溢れる娯楽ワイド作品


てな按配で、セクシー美人のスケスケ乳首写真がどーんと据えられており、どうやらコメディタッチの作品だった模様です。

となると、気になるのが日本公開の時期。
『跨世紀台灣電影實錄 1898-2000』(2005年、行政院文化建設委員會・國家電影資料館)の「1958年1月」の項には、


第一公司與日本東亞影片公司、東方影片公司(これらの会社に関しては詳細不明・せんきち注)聯合出品,倉田文人執導,唐菁與新東寶公司女星美雪節子主演的《東京尋妻記》殺青,將安排於近期在日本、台灣同步發行。


とあり、1958年に日本で公開される予定だったようですが、「キネ旬データベース」等を見ても『よろめき迷探偵』の情報がないため、実際にはいつ頃公開されたのか、現時点では全くわからない状態です。
ただ、そのタイトルに付された「よろめき」という言葉から類推すると、1958年から1961年前後、つまり国映がピンク映画に本格シフトする以前に配給・公開されたのではないか、と考えられます。
とはいうものの、ポスターのスケスケ乳首がちょいと引っかかるのですが、もしかしたら国映に何か他の資料が残っているかもしれないので、これからも引き続き調査していきたいと思います。

フィルムもあるといいのになあ…。

2009年7月17日金曜日

学芸大学でもつ焼きを食らう

〔しようもない日常〕

塩味スープのさっぱり風味で
頂くもつ煮込みもイケます。

どうも。
トド@引き続き生活に追われてますです。
ただいま、甲状腺腫瘍(良性)の件で新しい担当医と揉めに揉めておりまして、病院を変えることを決意、深く静かに脱出計画進行中です。
そんなこんなでしばらく更新が滞るかと思います。
あしからず、ご了承下さい。

さて。

ぼやぼやしている間に既に2週間が経過してしまいますたが、先々週の金曜、即ち7月3日、友人である趙怡華さんの弟さんご夫婦が切り盛りするもつ焼きの店「もつやき 大膳」に、怡華さんや知人のKさん(ひさびさに登場)等と共に行ってまいりました。



台湾の方が、日本で、よりにもよってもつ焼きの店だなんて、と驚かれる方もいらっしゃるかと思いますけれど、お店の方は至ってふつーの居心地のよい飲み屋さんで、

串もの1本100円均一

という

超明朗会計

がうれしいお店です。

レバもシロもカシラもみんな100円!

不肖せんきち、幼少の頃近所に立ち食いのもつ焼き屋さんがあった関係で、物心ついたときからレバだのシロだのナンコツだのといったもつ焼きに親しんでおりましたが、今回、1本100円のもつ焼きを食して、子供時代の思い出にしみじみひたることができましたわ。

怡華さんの指令(?)で、チャンジャや
ナムル等の朝鮮半島系グルメも充実。


キャベツに添えられたコチュジャンも美味。
お土産用に販売して欲しいものです。

と、ここまで読んでなんとなく興味を持ったそこのあなた!
ぜひぜひお店へ行ってみて下さいましね。

もつやき 大膳

〒152-0004 東京都目黒区鷹番3-10-8 ☎03-3713-9489
場所:東急東横線「学芸大学」駅西口より徒歩1分(地図
営業時間:17時から23時まで(なくなり次第終了)

2009年7月9日木曜日

中国人の見た『虞美人』 補遺

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕


どうも。
トド@生活に追われてますです。

今日、新聞を読んでいたら、下記のようなシンポジウムの紹介が掲載されていますた。

放送文化基金設立35周年事業
国際シンポジウム「テレビがつなぐ東アジアの市民~交流から対話に向けて~」


詳しい内容はこちらをご参照頂くとして、一般参加可能(要申し込み)とはいいながら、7月17日(金)という平日昼間のシンポジウムですので、例によって(言い方は悪いけれど)普通のお勤め人の事情は全く無視な催しのようです。
それと、これも例によってなのか、パネリストの顔ぶれを見る限り、日中韓3カ国の輪から台湾は仲間外れにされているようですね。
あるいは、「中」の中に「台」も含まれている、ということなのでしょうか。
ま、何はともあれ、興味とお時間のある方は参加なさってみてはいかがでしょう。

さて。

先だって易文監督に関する記事を書いたさい、うっかり書き漏らしてしまったことがあったので、ちょっこし補足を。

先の記事でも触れた『櫻都艶跡』の日本ロケの折、李麗華の特別通訳を務めたのは、俳優の伊豆肇でした。
1955年4月7日付『読売新聞』夕刊にはその辺りの事情について、


…日本ロケに当っては、藤本プロが協力しているが、李麗華の特設通訳の役は東亜同文書院出身で戦時中七年間も大陸で送った伊豆肇が進んでひきうけ、演技の相談はもちろん、衣装、カツラの世話まで伊豆肇が手伝っている。しかし東宝撮影所で日本の着物を着た彼女から腰ヒモが痛いがどうしたらラクになるかと相談されたが、これにはどう答えていいかわからずにひと汗かいたという。


とあります。

たしかに、女性であれば腰紐に関するアドバイスもできるでしょうが、男性ですと難しいでしょうなあ。
それに、変に緩くしてしまうと今度は着崩れる心配もありますし。

ところで、引用した記事では伊豆肇のことを「東亜同文書院出身」としていますが、実際には「北京大学出身」のようです。
彼がもう少し若かったら(1917年生)、あるいは日港合作映画の主役に起用されていたかも……知れません。

2009年7月2日木曜日

発掘!幻の大宝映画 『黒と赤の花びら』上映会

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕


どうも。
トド@毎日疲労困憊です。

さて、今日は上映会のお知らせです。

幻の大宝株式会社配給作品である『黒と赤の花びら』の上映会が、来たる7月18日(土)・19日(日)の両日、新橋TCC試写室にて開催されます。

そもそも「大宝って何よ?」という方にはこちらの上映会特設サイトをご参照頂くとして、せんきちが旧ブログで取り上げていた元祖台流(死語)スター・林沖の映画デビュー作も大宝の『大吉ぼんのう鏡』でした。
今回は残念ながら『大吉ぼんのう鏡』のプリントは発見されなかったようですが、これまで失われたとされていた大宝作品のプリント(16ミリ版)が一挙3本発掘されたのを機に、シリーズでこれら3本の作品を上映していく予定とのことです。

上映会の詳細は下記の通り。

「発掘!幻の大宝映画 第一弾!天知茂 デビュー60周年&追悼企画
『黒と赤の花びら』上映会」


『黒と赤の花びら』
(1962年 佐川プロ製作 大宝配給作品 モノクロ シネマスコープ)

〔スタッフ・キャスト〕(特設サイトからの引用)
製作:佐川滉 監督:柴田吉太郎 原案:牧源太郎 脚本:宮川一郎/柴田吉太郎 音楽:菊村紀彦 美術:宮沢計次 撮影:須藤登 助監督:山際永三
出演:天知茂/上月左知子/丹波哲郎/三原葉子/安井昌二/松尾和子/細川俊夫/大友純/沖竜次/扇町京子/松浦浪路 他
〔解説〕(同上)
テレビのケンちゃんシリーズで知られる柴田吉太郎監督のデビュー作にして唯一の劇場作品。脚本の宮川一郎をはじめスタッフ、キャスト共に殆どが新東宝のメンバーによって固められている。なお、同じく佐川プロ製作・大宝配給の『狂熱の果て』で一足先に監督デビューを果たしていた山際永三監督が「世話になった先輩の応援のために」と、チーフ助監督として参加している。
〔あらすじ〕(同上)
激流の洋上で起きた船舶遭難事故。遭難による保険金の詐欺の疑いを持った海上保険の調査官田代は調査を進めていく内に、その背後にある別の事件の存在に気がつく。 事件の真相を突き止めようと更に調査を進めていく田代であったが....。

〔上映スケジュール〕
7月18日(土):12時30分開場、13時より上映(14時30分終映予定)。
7月19日(日):12時30分開場、13時より上映(14時30分終映予定)。
※7月19日(日)は、終映後の14時40分より本作のチーフ助監督であった山際永三監督をゲストにお招きしてのトークショーがあります(15時30分終了予定)。
※トークショーに関しては若干時間が前後する可能性があります。また、実はこの作品の正確な上映時間が判っていません。その為、両日共にタイムテーブルはあくまでも予定となります。ご了承ください。

〔上映カンパ金〕
7月18日(土):1800円
7月19日(日):2300円

〔会場〕
新橋TCC試写室
住所:東京都中央区銀座8丁目3番先 高速道路ビル102号

〔ご予約について〕
予約なしの当日来場も受け付けるそうですが、満席の場合には入場不可となる場合もあるそうですので、皆様ぜひともこちらの予約フォームにてご予約の上、ご来場下さい。

というわけで、貴重な作品の上映です。
この機会をお見逃しにならぬよう、皆様お揃いでおでかけ下さい。

2009年7月1日水曜日

中国人の見た『虞美人』

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕

「旧アーニーパイル劇場」とあるのが、
いかにも時代を感じさせます。

どうも。
トド@毎日疲れていますです。

じゃいけるジル逝去のことは、いまさらなので書きませんが、ジルが亡くなったとき、なぜどのマスコミも中村晃子の所へ行かないのよ?
ジルと言えば中村晃子でしょ?
ジェミーと言えば田島令子、のように(年がばれるね)。

さて。

香港で開催されていた易文監督の回顧上映はとっくに終わってしまいますたが、遅ればせながらこちらでも易文監督のコネタを。

易文監督は日本ともけっこう縁の深かった監督さんで、1955年に『小白菜』が『佳人長恨』の邦題で日本公開されている他、1957年には新華と東和の合作映画『海棠紅(海棠紅)』も日本で上映されています。
このうち、『佳人長恨』は横浜の映画館で「1日限り」の特別上映というかなり特殊な形での公開だったのですが、『海棠紅』は3月9日から15日まで、当時の最高級館と言ってよいテアトル東京(現・ホテル西洋銀座)で上映されており、公開初日には午後7時30分から「中国服モードと歌の夕」なるイベントも開催され、日本公開に当たって東和もかなり力を入れていたことが伺えます。

また、監督作品が日本で上映された他にも、日本でロケーションを行った作品があり(『蝴蝶夫人』『櫻都艶跡』)、1955年4月、『櫻都艶跡』の撮影で日本に滞在していた折には東京宝塚劇場で宝塚歌劇団の『虞美人』を鑑賞、その感想を「中国人の見た『虞美人』」と題した文章にまとめ、『読売新聞』(1955年4月28日付夕刊)に寄稿しています。
以下、少々長くなりますが、その文章からの引用です。


…まず演出の形式として、私はこの歌劇の「素朴の美」を非常に感心した。私は従来から日本の舞台装置のすばらしさに感服していたが、ここでも、三十場の背景がことごとくわずか数筆をもってする軽妙しゃ脱なもので、しかもなんともいえない風情があり、簡単の中に精細があることに感心した。舞台上の照明と色彩の配合もまたすばらしかった。だが、私はなんだか劇そのもののふんいきが十分に出ていないような気がした。(略)
歌はなかなか美しく、感動的であったが「劇」そのものは、あまりにおだやか過ぎるように思われた。「四面楚歌」の場面は単に「末路の英雄」の悲哀だけを表現し「末路の英雄」の性格と心情の描写に欠けている。(略)
また虞美人が剣を抜いて舞い、自殺する場面の処理がやや平淡に過ぎ、激情の高潮点もつかんでいない感があった。この劇は最初から終りまで素材の選択、編成ともに申分ないが、ただこの一段にいたってなんだか食い足りない気がした。しかし情節の叙述は周到をきわめ実によく出来ている。(略)しかし最後の虞美人自殺の場(これは中国京劇の中でも最も難しい主力的場面であって、おのずから『覇王別姫』の精華をなす大切な一段である)は、ただに「劇」であるばかりでなく、劇の本身が「歌」であり「舞」でなければならない。歌の中には自ら曲々調を伝え、断腸の思いを催させるものがあり、舞の中には自らあだ(婀娜)たる姿が千変万化し、剛あり、柔あり、もってよく東洋古典舞踊の特長を発揮するのである。



なんだか翻訳のせいで最後の方なんかわけわからん日本語になっていますが、ようするに、

よくできたお芝居だけど、中国人の目から見たらちょっと物足りないところがあるね。

ってな感じの感想でしょうか。

この記事には易文監督のプロフィールも紹介されていますが、そこには、


筆者の本名は楊彦岐、新聞記者、作家を経て映画入り。シナリオも書き、現在まで十本以上の作品を演出、現在日本ロケを行った『桜都艶跡』を製作中。


とあります。

不肖せんきち、まだ『有生之年―易文年記』を入手していないため、この文章が「著作年表」で取り上げられているか否かの確認が取れないのですが、いずれにしても、かなり貴重な資料ではないかと考えられます。

そして、易文監督と日本との縁で最も忘れてはならないのが、1965年の映画『最長的一夜』。
ご存知の通り、宝田明が香港に招かれて樂蒂と共演した作品です。
この映画、せんきちは運良く観ることができたのですけれど、日本の映画ファンの多くはその存在を知りながら未だに観ることが適わずにいる作品です。
映画のラスト(ネタばれご容赦)、それまで宝田明への警戒心を解くことのなかった樂蒂が(対する宝田明は、樂蒂に向かって日本語で『君のような女性と結婚できた大亮という男性は幸せだ』とか何とかつぶやいたりして、彼女への思いを吐露しているのですが)、宝田明との別れ際に思わず(宝田明に)駆け寄って彼の手を握り締める場面を観るたびに、いつもせんきちの胸は熱くなります。
宝田さんが亡くなる前に(おいおい)日本での上映が実現して欲しいものだと、切に願っております。

(特にオチのないまま終了)

2009年6月25日木曜日

日本/中国 映画往還

〔ちょっとお耳に〕

ビゲン」って、「美源」じゃなくて、「美人元禄」の略だと、
遅ればせながら先日知った次第。
で、ホーユーは「朋友」なのですと。

どうも。
トド@生活環境激変です。

今日はちょっこし告知。
明治学院大学恒例の「日本映画シンポジウム」のお知らせです(って、大学関係者じゃないけど)。

明治学院大学第14回日本映画シンポジウム「日本/中国 映画往還」

とき:2009年6月28日(日)午前10:00~17:30
ところ:明治学院大学白金校舎1101教室

開会(10:00)
門間貴志「岩崎昶の神話」(10:20~)
岸富美子「満映・新中国・『白毛女』」(11:10~)
休憩(12:00~)
四方田犬彦「満洲引揚げとメロドラマ」(13:00~)
晏妮(アン・ニ)「冷戦の狭間で-1950年代の日中映画交流」(13:50~)
休憩(14:40~)
上野昂志「大島渚と中国(仮題)」(15:00~)
李櫻(リ・イン)監督、自作を語る(15:50~)
晏妮(アン・二)、四方田犬彦「最終討議」(16:50~)

入場無料。くわしくは、こちら

不肖せんきち、のっぴきならない事情で今年も伺うことができませんが、お時間のある方はどうぞ足をお運び下さい。

では。

2009年6月18日木曜日

続 第1回世界映画祭 (大きく出たねえ)

〔えいが〕〔ちょっとお耳に)


どうも。
トド@引き続き取り込み中です。
以前にもちょいと書いたことがあるかと存じますが、2月の定期健診の折に見つかった甲状腺腫瘍(良性)のことで、新しい担当医とのコミュニケーションがどうもうまくいかないもので、今後の対策をいろいろと思案中です。
先日など、ロクな説明もなし(以前の担当医の下でヨード造影剤を用いたCT検査を行った際には、詳しい説明と検査同意書への署名がありますたが、今回は何もなし)に6万円もする検査を受けさせられまして、不信感は絶頂に達しております。

ま、それはともかく、前回の続き。

6日間の上映を無事に終えた映画祭でしたが、通常の映画祭の場合、最終日に各賞授賞式があるのに対し、こちらはなんだかえらくのんびりしておりまして、11月25日になってようやく審査部会を開催、受賞作品が決定するという段取りでありました。
気になる審査部会委員の顔ぶれは、下記の通り(教授等の肩書は当時のもの)。

高橋誠一郎(芸術院会員)、辰野隆(東京大学名誉教授)、尾高邦雄(東京大学文学部助教授)、田口泖三郎(科学研究所員)、吉川英治(作家)、石坂洋次郎(作家)、今日出海(作家)、木村荘八(画家)、滝口修造(美術評論家)、大田黒元雄(音楽評論家)、村岡花子(評論家)、青山杉作(演出家)、東山千栄子(女優)、飯島正(映画評論家)、津村秀夫(映画評論家)、清水千代太(映画評論家)、足立忠(東京映画記者会代表)

審査に際しては「大衆の投票」も参考にしたものの、この大衆の投票とは実際に映画を観た観衆による投票なのか、それとは全く無関係に読売新聞購読者を対象に投票を募ったのか、定かではありません。
いずれにせよ、審査部会の結果、作品賞は『肉体の悪魔』に決まり、その他の各部門賞も下記のように決定しました。

演出賞(監督賞):クロード・オータン=ララ(Claude Autant-Lara)(『肉体の悪魔』)
脚本賞:チェーザレ・ザヴァッティーニ(Cesare Zavattini)(『ミラノの奇蹟』)
撮影賞:ジャック・ヒルドヤード(Jack Hildyard)他 (『超音ジェット機』)
録音賞:矢野口文雄 (『生きる』)
主演男優賞:ジェラール・フィリップ(Gérard Philipe) (『肉体の悪魔』)
主演女優賞:ミシュリーヌ・プレール(Micheline Presle) (『肉体の悪魔』)
特別賞:山田五十鈴 (『現代人』)
音楽賞、美術商:該当作品なし

授賞式は審査部会からさらに1ヶ月以上が経過した12月27日、読売新聞社特別会議室で行われ、川喜多長政が作品賞を代理受賞、夫人のかしこも演出賞や撮影賞、主演男女優賞を代理受賞しました…って、これじゃあまるで、東和のための映画祭みたいじゃん。
まあ何しろ、4部門(作品、演出、主演男優、主演女優)受賞作品と撮影賞受賞作品の2本を配給しているから無理もないと言えば無理もないのですが、映画祭の最高委員に名を連ねている人物の関わった映画が賞を独占というのもどうなのかしらんと思いますです。

で。

前回の記事で、限られた9カ国の参加しかないくせになぜ世界映画祭なの?と書きましたが、その限られた参加国の中でも特にアメリカは、セルズニックの旧作(戦争があったから致し方ないのだけれど)とリパブリックの作品のみという、かなりお寒い出品状況で、1952年12月8日付『読売新聞』夕刊に掲載されたコラム「映画祭とセクト主義」ではその裏事情が明かされています。


…聞くところによると、最初の参加作品としてアメリカから『セールスマンの死(Death of a Salesman)』『探偵物語(Detective Story)』『静かな人(静かなる男。The Quiet Man)』フランスから『肉体の冠(Casque d'Or)』『花咲ける騎士道(Fanfan la tulipe)』など、今年のカンヌやヴェニスで気を吐いた新作が予定されていたということだ。それがアメリカ映画は、旧セントラル系のメージャー八社の不参加意思表明、フランス映画は大蔵省の輸入本数制限のワクにひっかかって、ついに会期に間に合わなかったという。(公開時タイトル及び原題はせんきちが付した)


コラムの執筆者(山井富茂)は、このようなアメリカ側の対応を「排他的、セクト的」と批判し、「来年の第二回には、こんなことがないようにしたいものである」と結んでいますが、結局、2回目の映画祭が開催されることはなかったようで、せっかく実現した国際映画祭もたった1度の開催で終わってしまったのでありました。

(おしまい)

2009年6月14日日曜日

第1回世界映画祭 (大きく出たねえ)

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕


どうも。
トド@取り込み中です。

さて。

これまで、メインサイトやブログで、第1回日本国際映画祭アジア映画祭こちらこちらも)、そして"Asian and Pacific Film Show"といった、現代の日本では忘れられてしまった映画祭(といっても、アジア映画祭は亞太影展〔アジア太平洋映画祭〕として、今でも中華圏ではそれなりに影響力があるのですけれど)を取り上げてきますたが、今回はおそらく、日本で最初の国際映画祭である、

第1回世界映画祭

のご紹介をしたいと思います。

第1回世界映画祭が開催されたのは、1952年11月
主催は読売新聞社、後援が日本映画連合会(現・日本映画製作者連盟)、協賛が外務省、通産省(現・経済産業省)、文部省(現・文部科学省)でした。
この映画祭が開催されることになった詳しい経緯は明らかではありませんが、「大正力」と呼ばれた読売新聞社主・正力松太郎の暗躍……ではなくて、尽力が大きかったのではないかと考えられます。
映画祭開催に当たっては、

岡崎外務大臣、岡野文部大臣、池田通産大臣、藤山東京商工会議所会頭、城戸松竹副社長、永田大映社長、小林東宝代表取締役、佐生新東宝社長、大川東映社長、川喜多東和商事社長、池田日本映画連合会事務局長、安田読売新聞本社代表取締役

を最高顧問とし(肩書はいずれも当時のもの)、11月5日から10日までの6日間、日比谷の第一生命ホールで参加作品の上映を行い、その後の審査部会委員(メンバーは後述)による会議を経て最優秀作品賞であるパール賞の他、各部門賞を授与するということに決まりました。

参加作品及び上映日程は、次の通りです。

11月5日(水)
午後2時 『美女と闘牛士(Bullfighter and the Lady)』(アメリカ)
午後6時 『人生劇場』(日本)

11月6日(木)
午後2時 『生きる』(日本)
午後6時 『肉体の悪魔(Le Diable au corps)』(フランス)

11月7日(金)
午後2時 『現代人』(日本)
午後6時 『ミラノの奇蹟(Miracolo a Milano)』(イタリア)

11月8日(土)
午後1時 『大仏さまと子供たち』(日本)
午後4時 『それはすべて貴女に関係あること(Det gælder os alle)』(デンマーク)
午後7時 『大仏開眼』(日本)

11月9日(日)
午後1時 『清宮秘史(清宮秘史)』(香港…ですが、中華民国名義での参加だった模様)
午後4時 『超音ジェット機(Breaking The Sound Barrier)』(イギリス)
午後7時 『哀愁のモンテカルロ(24 Hours of A Woman's Life)』(イギリス)

11月10日(月)
午後1時 『別離(Intermezzo)』(アメリカ)
午後4時 『忘れられた人々(Los Olvidados)』(メキシコ)
午後7時 『罪ある女(Die Sunderin)』(西ドイツ)

日本、香港(中華民国)、アメリカ、メキシコ、イギリス、フランス、イタリア、西ドイツ、デンマークだけしか参加していないのに、

どこが世界映画祭なの?

というお叱りの声が聞こえてきそうですが(言っとくけど、オレのせいじゃないよ!)、参加作品の上映は一般の観客にも各回300名に限り無料で開放され、読売新聞企画部宛に往復はがきで申し込む、というシステムになっていました(各作品ごとに申し込み、応募者多数の場合は抽選)。

(てきとーにつづく)

2009年6月10日水曜日

香港フェスティバル

〔しようもない日常〕

どっ…どこが香港なんですか?
(答え:お店の名前)

2009年6月7日日曜日

懷念的人

〔えいが〕


1967年、台湾(永新)。湯浅浪男監督。金玫、石軍、張清清、川辺健三、津崎公平主演。

どうも。
トド@お腹が痛いです。

さっそく本題に入ります。

湯浅浪男(湯淺浪男)監督の台湾語映画……なのですが、現存するプリントは北京語版のみらしく、DVDの音声は北京語オンリーでした(いちおう『懐念的人』と、検索用に日本の漢字表記も書いておきます)。
超アバウトなストーリーは、下記の通り。

ダンスホールでバイオリンを弾きながら作曲家を目指す正雄(DVDのパッケージでは「政雄」。石軍)は、歌手の春美(金玫)に思いを寄せていましたが、正雄の親友である啓明(川辺健三)も春美のことを愛していました。
啓明は、今度の春美の誕生日に、2人の内どちらが春美にふさわしいかを決めようと正雄に告げます。
そして迎えた春美の誕生日、正雄は春美に捧げた曲を作りピアノで演奏します。
その曲を聴いた啓明は正雄が春美に寄せる深い思いに心を打たれ、また、春美も正雄のことを愛していることを悟り、自らは身を引く決意をするのでした。
一方、病の床にある春美の父親(郭夜人)に金を貸していた楊(津崎公平)は、春美と結婚させてくれれば借金を帳消しにしてやろうと父親に迫ります。
事情を知った正雄は、台北へ引っ越して2人で借金を返し、生活が軌道に乗ったら父親も呼び寄せようと春美を説得、春美もこれを承諾します。
しかし、ある雨の晩、「自宅へ送る」と言う楊の車に乗った春美は、車内で楊に無理やり手篭めにされてしまいます。
その翌日、正雄は駅で春美のことを待ちますが、結局彼女は現れず、1人寂しく台北へ向かうのでした。
「自分はもう先が長くない。死ぬ前にお前の花嫁姿が見たい」という父親の願いを受け入れた春美は、泣く泣く楊に嫁ぎますが、まもなく父親もこの世を去り、楊の女癖の悪さと暴力に耐えかねた彼女は楊の家を飛び出します。
その頃、春美のことをあきらめきれない正雄は、台北で酒びたりの日々を送っていました。
そんな彼の姿を見かねた啓明の妹・淑娟(張清清)は、再び作曲家への道を目指すよう正雄を励まし、彼もそれに応えて作曲を再開します。淑娟は、彼のことを愛していたのでした。
楊の家を出た春美は、食堂に住み込みで働き始め、出前先で淑娟と再会します。
正雄の消息を尋ねる春美に、彼とはしばらく会っていないと一度は嘘をついた淑娟でしたが、やはり本当のことを話すべきだと思い直し、正雄と共に食堂を訪ねます。
しかし、春美は食堂を辞めた後でした。
食堂の仕事を辞めた春美に、楊は自分とよりを戻すよう執拗に迫り、春美を追い回しますが、出会いがしらに車にはねられて命を落とします。
やがて美容院で働くようになった春美は、客が持ってきたラジオから聞き覚えのある曲が流れてくるのを耳にします。
それは自分の誕生日に正雄が送ってくれた、あの思い出深い曲「懷念」でした……。

と、まあ、ストーリーをお読みいただければわかるとおり、ベタベタコテコテのすれ違いメロドラマで、先だって観た『悲器』と比べても、

コテコテ度45%増(当社比)

でした。

ただ、これを思いっきり西洋風のしつらえにして、白景瑞(李行でも可)監督、甄珍&秦祥林主演にしたら、北京語の文芸愛情映画でもけっこういけるのではないか…という感じではありました(父親役は葛香亭でよろしく!)。

当時の報道によると、本作は湯浅監督が台湾で撮った5本目の映画で、1967年3月8日にクランクインしていますが、監督は1966年11月23日に台湾に渡っていますから、そこから計算すると、わずか3ヶ月ほどの間に4本の映画を仕上げていたことになります。
台湾語映画は、一般に、北京語映画と比べて「安く早く」が身上の映画だったらしいので、短期間でそこそこ観られる映画を撮る湯浅監督が、台湾で重宝がられたのもむべなるかなという気がいたします。

ただ、「安く早く」の弊害がストーリー面で現れていたのもまた事実。
冒頭のダンスホールのシーンを当時台北にあった金谷飯店というナイトクラブで撮っていたにも関わらず、正雄が春美に「台北へ行こう」と迫るのはなんだか奇妙です。
しかも、春美の家、北投なんだよ。
ナイトクラブや春美の家の場所は、せめて新竹あたりの設定にしてほしかったところです。

ところで。

劇中、「懷念」がバカ売れして一躍人気作曲家となった正雄は、第2弾として「台北歸來的春美」なる曲を発表しますが、これがなんと「上海帰りのリル」のカバーですた。
たぶん未だに著作権料払っていないと思うけど。

急げ、JASRAC!



付記:撮影担当のはずの中條伸太郎がキャストとしてもクレジットされていたので、よーく観てみたところ、どうやら津崎公平のかばん持ちやってた人(台詞なし)が彼ではないかと思いました。

2009年6月6日土曜日

『温泉あんま芸者』DVDリリース!

〔橘ますみ〕〔ちょっとお耳に〕


どうも。
トド@阿修羅展に行ってヘトヘトになりますたです。

さて、忘れた頃に帰ってくる橘ますみたんネタ。

9月21日、東映ビデオより、待望の「温泉芸者シリーズ」DVDが一挙リリースされます……といいたいところなのですけれど、なぜか最終作のはずの『東京ふんどし芸者』のDVDリリースは無し。

温泉じゃないからか?

ま、それはそうとして、せんきち的にはもちろん、あの、記念すべき

東映温泉芸者シリーズ第1作

であり、

橘ますみたんの代表作

であるところの、

『温泉あんま芸者』

のDVDリリースがツボでございます。



ますみたんと温泉芸者シリーズといえば、もちろん、第2作の『温泉ポン引女中』もありますが(なぜか岡田真澄も出演。「Wますみ」だわ)、個人的にあまり好きな映画ではないので、とりあえず、『温泉あんま芸者』を一押し、ということで。


と言いつつ、商品へのリンクなど貼ってみる。

また、この他にも、『温泉みみず芸者』や『温泉スッポン芸者』といった鈴木則文監督の作品がおすすめです。
特に、『温泉スッポン芸者』は必見。



今ならアマゾンでお安く予約できますので、皆様ぜひぜひお買い求め下さい。

なお、念のため申し添えておくと、『温泉あんま芸者』と『温泉ポン引女中』はR18です。
よい子のみんなは観られません。
大人になるまで待ってね。

でも、『温泉みみず芸者』は一般指定みたいなんだよな。
この辺の尺度はいったいどうなっているのやら……。

2009年6月5日金曜日

梅雨の虫干し

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕

フィルムセンターの上映作品は王道中心の
ラインナップでしたが、こうして見るとかなり
幅広い作品の配給を行っていたことがわかります。

どうも。
トド@甲状腺腫瘍の経過観察で某大学病院へ行き、痛い検査を受けてきますたです。
石堅先生がお亡くなりになったと思ったら、今度はデヴィッド・キャラダイン(David Carradine)の訃報が。
めまぐるしいことです。

というわけで(?)、今日もテキトーネタ。

ただいま、香港では川喜多かしこさんの生誕100年を記念した特集上映を開催中ですが、中身をチェックすると、なるほど、日本では欧州映画の伝道師としての側面に光を当て、海外では日本映画の伝道師としての側面に光を当てた作品選定になっていることがわかります。
もちろん、わたくしのような中華電影迷にとっては、彼の地の映画人との交流や映画製作への協力といった功績も忘れることができません。

電影節目辦事處のサイトは、上映期間が終了した
特集のページは容赦なく削除しちゃうので、念のため
スクリーンショットを添えておきます。

不肖せんきち、映画好きになった小学校高学年から中学生の頃にかけて、川喜多かしこさんが憧れの女性で、東和の50周年の展覧会(於:大丸東京店)のとき、初めて生かしこさんのお姿を拝見して、とても感激した覚えがございます。
また、その生涯を描いたドラマ『青春を配達した女』もわくわくしながら観たものでした。

で。

今回は、我が汚部屋(おへや。引っ越しても相変わらず汚い)のダンボール箱に埋もれていた東和関連のガラクタ写真を、虫干しがてらダラダラと陳列することにいたします。

東和映画ニュース(1950年代半ば)。


東和友の会会報(1962年)。


眼には眼を(Oeil pour Oeil)』プレスシート。


スパイ(Les Espions)』パンフレット。


リラの門(Porte des Lilas)』パンフレット。


沈黙の世界(Le Monde du Silence)』
赤い風船(Le Ballon Rouge)』パンフレット。

上記パンフレット中の「『赤い風船』について」(野口久光)には、「…尚、二年前、アルベール・ラモリッスはこの映画を東京を舞台に撮影したいと、川喜多氏に相談したことがありますが、川喜多氏はそのシナリオを見て東京よりパリの方がふさわしいように思うという意見を述べたということです」とあり、もしも川喜多長政が「うん、いいね」と言っていたら『赤い風船』は東京の映画になっていたらしい……です。

ノートルダムのせむし男(Notre-Dame de Paris)』ですが、これは
パンフレットではなく公開前の宣伝材料のようです。
どうでもいいけど、キネ旬DBのDVD画像間違ってるね。


遥かなる国から来た男(Le Pays D'ou Je Viens)』パンフレット。
文藝春秋SPECIAL(映画が人生を教えてくれた)』の
「海外の女優ベスト10」で10位に入ってたね、アルヌール。


夏の夜は三たび微笑む(Sommarnattens Leende)』パンフレット。


東和配給作品にはイギリス映画もございます。
夏休みの水曜ロードショーを思い出すわ。


当時はハンマープロと呼んでおりました。
大工さんの集団みたいだな。


(オチのないままおしまい)