2011年5月2日月曜日

裕次郎、『不了情』を歌う 再考

〔ちょっとお耳に〕

こちら、オリジナル。

どうも。
トド@ごぶさたしてますです。

えー、今年は心を入れ替えて1週間か2週間に1回はブログを更新すると宣言したにもかかわらず、すっかり放置状態で、いやはや面目ございません。
震災以来、すっかり気が動転しておりまして、おまけに毎日の生活に追われ、そんなこんなでご無沙汰してしまった次第です。

で、今日は久しぶりの更新。
5年前の宿題の答え合わせです。

5年前、拙ブログにて石原裕次郎と『不了情』の深ーい関係について取り上げましたが(「裕次郎、『不了情』を歌う」)、そのさいにはわからなかった裕次郎が歌う『不了情』の日本語カバー曲が『忘れじの瞳』というタイトルであることが判明しましたので、その調査結果のご報告をちょっこし。

石原裕次郎による『不了情』の日本語カバー曲『忘れじの瞳』のシングルが発売されたのは、1963年5月のこと(テイチク NS-700)。
A面が裕次郎の『忘れじの瞳』、B面が三条江梨子(魔子)の『湖畔の乙女』というカップリングによるものでした(注1)。

『忘れじの瞳』(2曲目ね)。

実際にお聞き頂くとわかるように、イントロはオリジナルのようなピアノソロではなくオーケストラによる演奏、そしてまず原語で歌いだした後すぐに日本語歌詞に移りますが、その後の第二段では原曲の第一段の歌詞をそのまま引用してサビに入ります。
また、原曲が女性の歌だったのに対し、この歌は美蘭(「みーらん」と発音しています)という女性との別れを歌った男性の歌に生まれ変わっています。
ただ、美蘭というと『金門島にかける橋(海灣風雲)』におけるヒロイン(華欣〔王莫愁〕)の妹の役名と同じで、まさか映画の中で華欣が亡くなったから唐寶雲(妹役)に乗り換えたというわけではないでしょうが、どうせなら麗春(華欣の役名)にすればよかったのに、とも思いました。

裕次郎はこの曲がよほどお気に入りだったらしく、1974年10月に30cmLP10枚組のアルバム『石原裕次郎の世界』を発売したさいには、再びこの曲を吹き込んでいます。
ちなみに、このアルバムには『草原情歌』も収録されており、裕次郎は意外と中華圏の歌を好んでいたということがわかります。

ところで、一つ気になったのが、『忘れじの瞳』の作詞・作曲者のクレジット。

シングル盤では「大高ひさを作詩、久慈ひろし採譜編曲」となっており、2009年に出た23回忌記念のメモリアルボックス「YUJIRO ISHIHARA 23rd MEMORIAL」では「中国民謡、訳詞:大高ひさを、採譜・編曲:久慈ひろし」に発展(?)していました(注2)。
そこから窺えるのは、どうやら今に至るまで著作権の問題をクリアーしていないのではないか、ということ。
シングル盤が発売された当時は、香港や台湾での(特に台湾)日本の歌謡曲の無断カバー&海賊盤発売が横行していましたから、「そっちがそうなら、こっちも同じように」と考えたとしても不思議はありませんが、今の今まで実際の作曲者の名前(王福齢)を伏せたままというのはどうにも頂けません。
しかも、2009年のボックスの「中国民謡」というクレジットには、あくまで「作者不詳」で押し切ろうという意図があるのではないだろうか?とまで思えてしまいます

ここはひとつ、正式に許可を取ってきちんと「王福齢作曲」というクレジットに改めて欲しいと思います。
『不了情』は中国民謡などではなく、1961年の同名映画の主題歌なのですから。
おそらくは、それがこの曲をこよなく愛した裕次郎のためにもなることだと、私は思います。

注1:三条江梨子(魔子)は1966年10月に来台、15日から5日間、台北の国賓大飯店のナイトクラブで公演を行っています。
注2:JASRACのデータベースでは「大高ひさを作詞、久慈ひろし作曲」の「内国作品」になっています。

追記:『金門島にかける橋』に関しては、こちらもご参照下さい。

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

この歌、大好きです。裕次郎が歌っている、しかも中国語で!ってビックリです。
…でも、彼の声には、あってない曲のような気がします(爆)
王福齢の名前が伏せられているなんて、残念。
作曲したものは好きだし、とても興味がある方です。
思えば、せんきちさんのサイトを最初に拝見したのは、王福齢を検索していたときだったように思います。
貴重な情報を、いつもありがとうございます。