〔ちょっとお耳に〕
昨日、『傷痕二二八』という二二八事件をテーマにしたドキュメンタリーを観ました。
再現映像中心の構成ながら、その後の白色テロを題材にしたドラマ『台灣百合』が、ドラマとしての面白さを重視するあまりやや脚色過多(?)になっていたのに比べると(といっても、高一生のエピソードしか観ていないんですけれど)、はるかにリアルではありました。
ラスト近くに「(事件の当事者が)誰も法的な裁きを受けていない」云々のナレーションがありましたが、下手に責任追及なんか始めちゃうと、国民党の存亡に関わる問題にまで発展しかねないので、なかなか難しいのでしょう。
いずれはきちんと究明されなければならないと思いますが・・・・。
さてさて。
今日は、日港合作映画のヒロインと日台合作映画のヒロイン、すなわち尤敏と王莫愁(華欣)が、実は子供の頃から知り合いだったというお話です。
2人は共に広東人で、父親同士(尤敏の父・白玉堂、王莫愁の父・王可均)が旧友だったため、ベトナム生まれ(1941年)の王莫愁が広州を経て香港へやって来たときには、一時期尤敏の家に居候していたこともあったのだそうです。
その後、1958年に王莫愁は台湾へ移住しますが、彼女が香港にいた頃、尤敏はすでに女優としてデビューしており、その姿を見て知らず知らずのうちに影響を受けていたのか、1962年、大学在学中に『金門島にかける橋(金門灣風雲)』のオーディションに合格、王莫愁も女優としての第一歩を歩み始めたのでした。
1962年10月、東宝の砧まつりに出席するため来日した尤敏は、やはり『金門島にかける橋』撮影のため日本に滞在していた王莫愁と密かに会い、「王玉蘭!」「畢玉儀!」と互いを本名で呼び合って、旧交を温めたそうです。
1964年、結婚した尤敏は映画界を去りますが、それと入れ替わりに王莫愁は人気女優に成長、台湾映画界の屋台骨を支えるスターになりました。
尤敏(畢玉儀)と王莫愁(王玉蘭)。
日本にゆかりの女優2人は、このような縁で結ばれていたのでありました。
参考:1962年11月2日付『聯合報』。
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