2008年12月31日水曜日

台北で観た映画など

〔えいが〕〔たび〕〔ちょっとお耳に〕

『一八九五』予告編。

どうも。
トド@頭痛いです。

さて、2009年を迎える前に、積み残しのネタを総括。

既に1か月以上が経過しますたが、11月22日(土)に授賞式が行われた「第10回 TBS DigiCon6 Awards from Marunouchi」において、香港電台とPostgal Workshopが製作したアニメ『鏗鏘集之隱蔽老人(Hidden Elders)』が最優秀賞を受賞しました。
DigiCon6の公式サイトでも英文字幕版が閲覧可能ですが、中文字幕がいい、という方は、香港電台の公式サイトからご覧下さい。
ちなみに、せんきちは、惜しくも受賞は逃しましたものの、この参加作品もけっこう気に入りますたです。

で。

台北で観た映画の話もまだ終わっていなかったので、メモ程度の感想でも。

・『渺渺(Miao Miao)』
程孝澤監督。柯佳嬿、張榕容、吳慷仁、范植偉、他。

ホテル(京都商務旅館)の近くの映画館(欣欣)では既に朝の上映がなかったため、徒歩10分の學者(いつもお世話になってます)で鑑賞。
さわやかガーリームービー。
甘酸っぱい清涼飲料水のような、観終わって少し切ない気分になる映画ですたが、せんきちにはそのさっぱり加減がちいとばかし物足りなかったかも。
この日観た3本の内、本作以外の2本(『一八九五』『海角七號』)は日本語が出てくることを知っていますたが、全くの予備知識なしに観たこの映画でもいきなり日本語が出てきてびっくり。
渺渺のお祖母ちゃん(日本語世代)が、認知症患った後も統治時代の初恋の思い出をずっと忘れずにいる、というか、それのみが彼女の生きるよすがになっている、というのが、映画の本筋よりもなんだか胸に沁みましたねえ。
そして、「認知症のお祖母ちゃん」というキャラに、当然のことながら、せんきちは家に残してきた婆さん(この頃はまだ存命)を思い出してしまったのでありますた。
婆さんの初恋って、どんなもんだったんだろか。

・『一八九五(1895)』
洪智育監督。温昇豪、楊謹華、他。

1895年、日本による台湾領有のさい、日本軍に抵抗した呉湯興率いる客家の男たち(途中から福佬人と原住民も合流)とそれを支える女たちの姿を、軍医として渡台していた森歐外の視点も交えつつ描いた映画(欣欣にて鑑賞)。
日本では『海角七號』ほど話題になっていないものの、台湾では「『海角七號』の次はこれだ!」といった感じで、大変な話題になっていました(現在も上映中)。

不肖せんきち、11月23日(日)の午前中に『渺渺』を観た後、阿妹のファンミに出席、それが終了してからこの映画と『海角七號』を観たのですが、ファンミの折に「『一八九五』を観に行く」と話したところ、現地の妹迷の皆さんから「呉湯興の末裔も阿妹のファンなんだよ」だの、「あれはいい映画だよ」だのと、いろいろご教示を賜りますた。

登場人物が登場人物だけに北京語の台詞は皆無、客家語、福佬(台湾)語、日本語の台詞のみという、ある意味画期的な映画で、自分たちの土地を守るために立ち上がる客家の男たちも去ることながら、呉の妻である黄賢妹をはじめとする客家の女たちの芯の強さが、深く印象に残りますた。


今日まで尾を引き続けている台湾の帰属権の問題は、全てこのときから始まったのだなあ、と改めて深ーく認識。

2009年には日本のどこかの映画祭で上映されるに違いないであろう作品ではありますが、できれば、一般公開してほしいものです。

どっか買ってよ。

・『海角七號(Cape No.7)』
魏德聖監督。范逸臣、中孝介、梁文音、田中千絵、林曉培、他。

言わずもがなの1作(學者にて鑑賞)。
9月の幕張で見損ね、ようやく観ることができました。

噂によれば、日本での買い手もついたとかつかないとかいう話ですけれど、寄せ集めの箸にも棒にもかからない集団が一致団結して一つのものを作り上げていく過程は『フラガール』に通じるものがありますし、日本統治時代の悲恋は『初恋のきた道(我的父親母親)』に袖を絞ったおじさまおばさま方にも十分アピール可能ですので、日本では中高年層をターゲットにすると意外にいい線行くのではないかと思いますですよ。
宣伝は、きみまろさんにお願いしましょう。

田中千絵の演技は正直言ってかなーりきつい部分があるものの(特に後半の林曉培とのやりとり)、よく頑張っていました。

欣欣の当日券(左奥)は、お菓子付ですた。

・『雨が舞う~金瓜石残照~(雨絲飛舞~金瓜石殘照~)』
林雅行監督。語り:黄毓亭。

これは台北で観た作品ではありませんが、2007年に製作されたドキュメンタリー映画『風を聴く~台湾・九份物語~(傾聽風聲 ~台灣・九份故事~ )』に続く新作の完成試写会(12月13日〔土〕、亀戸カメリアホール)に潜入してきたので、ちょっこしご報告。

台湾人経営の金鉱であった九份に対し、日本人経営の金鉱だった金瓜石の当時と今を追ったドキュメンタリー

日本人職員が本土の貧しい日本人には想像もつかないような超文明的生活を送っていたのに対して、台湾人職員は冷遇されていたという植民地の縮図のような構造がそこにはあったことや、戦時中にはイギリス人捕虜までもが掘削に動員されていたこと、中国大陸からの出稼ぎ鉱夫との関係を疑われた(大陸の政府と通じているのではないか)台湾人が不当に逮捕され、収監されていた台北の刑務所で米軍の空襲に遭って亡くなったこと等、隠れていた史実を掘り起こした点は大いに評価できますが、できれば、イギリス人捕虜にも取材してほしかったなあ、と、これは欲張りすぎですかねえ。

2009年4月から東京や大阪他、各地の映画館で上映予定だそうですので、ぜひ一度ご覧になることをお勧めしますです。

というわけで、せんきちは婆さんの喪に服しつつ新年を迎えますが、皆様も、どうぞよいお年を。

2007年12月の『色.戒』以来、
ほぼ1年ぶりに訪れた學者戯院。
女子トイレが(前回よりもはるかに)
きれいにお掃除されていると思ったら、
こんなお墨付きが。
これからも清潔を心がけてね。

2008年12月29日月曜日

台湾再発見

〔ちょっとお耳に〕〔テレビ〕

先月の渡台のさい遭遇した、
深夜のドッグショー。

どうも。
トド@引き続き睡眠障害です。

さて、今日はテレビ番組の告知を。

明日(30日)の午後3時30分から、せんきちのお友達がコーディネイトを担当した旅番組が放映されます。

「台湾再発見」

12月30日(火)午後3時30分~4時55分まで、テレビ東京系列全国ネットにて。
レポーター:斎藤とも子、新井晴み
(以下は、番組公式サイトからの引用)


昨年開通した台湾新幹線は、今まであまり知られていない台湾の魅力を体験することを可能にした。(略)
旅の行程は台北から新幹線で一気に南の高雄へ。名物の海産物に舌鼓を打つ。さらに南下して、墾丁の海でリゾート気分を味わい、夜市では熱帯のフルーツを満喫する。
また内陸にも足をのばし、台湾の山里で茶畑の農家の人や遊びに来ていた台湾の人に出会い台湾のお茶や家庭料理を堪能する。
首都台北に戻り、台湾文化を体験、故宮博物院、陶芸や木彫りの町なども紹介。



これまでの旅番組であまり紹介されることのなかった南部地方や山間部へも足を延ばす、なかなか意欲的な内容の番組のようです(飛輪海や田中千絵も出るらしいっす)。

ぜひご覧下さい。

2008年12月27日土曜日

続 香港の純情歌手

〔ちょっとお耳に〕

これが表紙。

どうも。
トド@睡眠障害です。
年末のワイドショー、どこの局も飯島愛一色になっていますが、せんきち的には、

藤田憲子が改名宣言「憲子」から「紀子」に

が、この暮れの超特大B級芸能ニュースです。

ついでに姓も花田に戻してみたらどうでしょう?

さて。

南国ネタに行く前に、まだまだ寄り道。

2006年、こちらのブログで「香港の純情歌手」というタイトルの記事を書きますたが、その中で取り上げた沈夢さんの詳しいプロフィールが先日入手した古雑誌(『週刊朝日』1962年8月24日号)に掲載されていましたので、今回改めて執筆することにいたしました。

で。

件の古雑誌のモノクログラビア「沈夢小姐 香港から飛んで来たウグイス」には、彼女の略歴が、こんな風に記されています。




・・・・広東語、北京語、英語の達者な彼女は、上海生まれの香港育ち。五年前イートン・イングリッシュ・スクールを卒業、作曲家梁楽音氏に歌の指導をうけ、ナイトクラブ「月宮」などに出演して売れっ子になり、ミュージカル映画「臥薪嘗胆」や、尤敏といっしょに映画「零雁」に出演、香港のテレビやラジオでは、すでにおなじみのスターである。約三ヵ月間の日本滞在中、松竹映画「学生芸者」出演もきまり、ビクターからレコードも売出すそうだ。(略)


なるほど、梁樂音のお弟子さんなのですね、ふむふむ。
そこで、香港で出演したという2本の映画(いずれも1956年。『臥薪嘗膽』は広東語版ではなく、北京語版〔馬徐維邦監督〕の方)を『香港影片大全 第4巻』(2003年、香港電影資料館)で調べてみますたが、彼女の名前はなく、どうやら端役での出演だった模様。
しかし、松竹の『学生芸者 恋と喧嘩』には、たしかに本人役でゲスト出演していました。
ただし、日本でレコードを出していたか否かに関しては、目下調査中であります。

ところで、この沈夢小姐が何故に日本へ呼ばれることになったのか、その経緯も同じ雑誌の「日本のタレントに輸出ブーム? 興行師は「呼び屋」から「送り屋」へ」に詳しい記述があります。


少し長くなりますが、引用してみましょう。


・・・・ところで、このビクター芸能(ビクター芸能株式会社・せんきち注)であるが、この会社は、日本のショー・ビジネスの海外市場開拓について、ちょっと面白い構想を持っている。一口でいうと、日本人にこだわらず、広く東南アジアの隠れたタレントを発掘、それを国際スターに仕立てた上で、海外のルートに乗せようというのである。
最近、ラスベガスを起点に、サンフランシスコ、ホノルル、東京、大阪を経て、那覇、香港、マニラ、シンガポール、シドニー、メルボルンに至るという一大ルートが、国際ショー・ビジネスの世界に結ばれつつあるので、このルートにドンピシャリ通用するタレントを育成しようというわけだが、日本の芸能界にはめずらしく規模雄大なところが、なにより取柄というべきだろう。
もっとも、この"國際ルート"で通用させるのには、タレントにいくつかの条件が要求される。第一に、英語がたんのうであること。第二に、アメリカのポピュラー曲が歌えるということ。そして、女性の場合とくに、美人でグラマーで東洋的なエキゾチシズムにあふれていなければならない。だが、そんななにもかもそろったタレントなど、せまい東京の空の下に、そうたくさんいるものじゃない。
そこで目をつけたのが、香港のナイト・クラブで歌っていた無名のジャズ歌手、沈夢小姐だ。
七月末、来日したばかりだが、二十歳のはち切れそうな肢体に、中国女性特有の妖しさをただよわせているせいか、たちまちジャーナリズムから騒がれ出した。日本でのスケジュールは十月中旬までマンパイとかで、"ジャズ界のユーミン"になりかねまじきいきおいである。
「東京で、人気スターになればしめたもの。彼女をシンに、日本の歌手やダンサー、足芸や奇術を加えて"ファーイースト・ショー"を編成して、ラスベガスだろうが、メルボルンだろうが、打って出るよ」
と佐藤邦夫ビクター芸能企画課長(付記参照)は、えらい鼻息で吹きまくっている。(略)



結局、沈夢小姐がその後本当にラスベガスへ行ったのかどうかはわからないままですが、映画界だけでなく、歌謡界も45年も前からアジアを股にかけた交流が行われていたのでありますた。

(付記)佐藤邦夫氏はその後フリーとなってからは韓国のエンターテインメントを日本で紹介することに尽力、「韓流の父」とされている人物です(詳しい略歴はこちらをお読み下さい。また、下記のような本もあります)。


ちなみに、「日本のタレントに輸出ブーム?~」は音楽評論家・安倍寧氏の署名記事です。

2008年12月24日水曜日

さよならコマ東宝

〔しようもない日常〕〔えいが〕


どうも。
トド@じんましん治りませんです。

さて。

せんきちが傷心旅行していた南の国とは、前回記事の写真でもおわかりの通り、シンガポールでやんしたが、アバウトな国民を規則でがんじがらめにしているあの国で、こんな事件がおきたようです。

シンガポールで世界最大の観覧車が6時間停止

不肖せんきち、シンガポールに着いた晩、さっそく例の観覧車に乗りますたが(叔母とその友人の観光旅行に、ボランティアガイド兼インチキ通訳として同行しておりますた)、6時間停止はきついっすねえ、ハッキリ言って。

トイレはどうするんですか?

窓からやっちゃうよ、我慢できなくて。

ま、しかし、そんなニュースも、夕刻飛び込んできた「飯島愛死去」の一報で全てが吹き飛んでしまった模様です。

で。

南国ネタへ行く前に、国内ネタを。

昨日、盟友・リネンさんと今月いっぱいで閉館する新宿コマ東宝で、『椿三十郎』を観てきますた。



映画館が入っている建物のメインの劇場であるコマ劇場には、幼少の頃、母親に連れられて何度も美空ひばり公演を観に来たことがあり、 地下のシアターアプルも、杮落し公演(アメリカンダンスマシーン〔The American Dance Machine〕のミュージカル『ジャック(JACK)』)に足を運んだことがあったりと、思い出満載なのですが、コマ東宝に足を踏み入れるのは実はこの日が初めてでありますた。


せんきちたちが鑑賞したのは午後4時からの回でしたが、休日ということもあり、館内は名残を惜しむ映画ファンの皆さんで結構な入りですた(年齢層高め)。
ここのキャパは586席という、昔ながらのいわゆる「映画館らしい映画館」で、無くなるのは淋しい限りですが、これも時代の流れゆえ致し方のないことなのでしょう。


映画が終わった後、写真のようなお別れ画面が出て、上映は終了。

思い返せば、有楽座、日比谷映画劇場、丸の内ピカデリー、スカラ座、みゆき座(以上、いずれも昔のそれ)、日劇文化、松竹セントラル、渋谷パンテオン、渋谷東急(これも昔のそれ)・・・・等々、せんきちが子供の頃に慣れ親しんだ映画館は、そのほとんどが姿を消してしまいますた(一番慣れ親しんでいたのは、うちの近所にあった東映の封切館と武蔵野館なんだけど)。
今じゃ「汚い」だの「ボロい」だのと悪評ふんぷんの有楽町スバル座も、せんきちにとっては子供の頃の思い出が残る数少ない映画館なので、できればこのままオンボロ道を突き進んでほしいものです。

でも、それじゃ客が来なくなっちゃうわね。

2008年12月22日月曜日

近日カムバック予定

〔しようもない日常〕


どうも。
トド@日光じんましんに罹りますた。

お休みを頂いていた間、南の国に傷心旅行していますた。

近々、復帰いたします。

2008年12月2日火曜日

しばらくお休みします

〔しようもない日常〕

どうも。
トド@虚脱状態です。

さて。

婆さんが今日の昼、眠るように息を引き取りました。
というわけで、いろいろばたばたしております関係上、しばらくお休みいたします。

ではまた。

2008年11月30日日曜日

お手軽三杯雞

〔ちょっとお耳に〕〔たび〕〔これでも食らえ!〕


どうも。
トド@疲れてます。

さて、本日は今回の旅で出会った、意外においしいスナック菓子のご紹介。

それは、日本でもおなじみドリトス

三杯雞味

アメリカ生まれのスナック菓子を無理やり台湾化してしまった力技の一品で、日本で言えば、

もつ煮込み味

みたいなものでしょうが、これがなかなかどうして、くせになる味なのですよ。
お値段もお手頃価格(70円ぐらい)なので、旅先で食べるもよし、バラマキ土産にもよしの一品だと思います。

これに比べると、日本のドリトスはメキシカン・タコス味とナチョ・チーズ味のみという、全く工夫のないラインナップですねえ。
もつ煮込み味が無理なら、せめてすき焼き味でも作ってほしいものです。


おまけ:グルメ話ではありませんが。
せんきちの宿泊先(京都商務旅館)のMRT最寄駅は中山駅だったのですが、その途中にあるのが名高い日系ホテルであるところの老爺大酒店(最近は台湾でも「酒店」が幅を利かせてるね)。
こちら、せんきちの台北におけるお気に入りホテルの1つでありますが、先だっての東京国際映画祭で上映された『ビューティフル・クレイジー(亂青春)』では、援助交際の現場として登場しておりました。
そんなわけで、この間中山駅に行くため前を通った時も、せんきちの脳裏には「エンコー、エンコー、エンコー」と「援交」の2文字が駆け廻り続け、お気に入りホテルの座から滑り落ちること必定の事態に陥っております。
しかし、なんでああいうネタで撮影許可したかねえ。わからん。

2008年11月29日土曜日

夜更けの誠品

〔たび〕

おまけ。
この時代に出会っていても、
林煕蕾は彼を捨てただろうか。

どうも。
トド@肥満道まっしぐらです。

せんきちが旅に出るたびに具合が悪くなる婆さん。
今回も帰ってきたら、床ずれの状態が悪化していますた。
てなわけで、帰国後、皮膚科の往診、内科の往診(また熱を出しますた)、通常のマットレスからエアマットレスへの交換、医者の勧めで訪問看護師に来てもらうことになったその打ち合わせ等々、婆さんの介護漬けの一週間を過ごしますた。
おかげさまで、看護師さんは来週の金曜日から来てくれることになりますた。
床ずれのケアは、毎日(傷口を洗浄した後で)薬を塗ったガーゼを取り換えねばならず、なんだか大変ですわ。

そんな中、切符を無駄にするのも何なので、行ってきますたフィルメックス。
杜琪峰監督の『文雀』ざます。
去年の『放・逐』は「西部劇」ですたが、今年は「街で見かけたちょっといい話」ですた。
なんだかんだ言って、最後は女そっちのけで「男の勝負!」になっちゃうのね、あんたら。
盧海鵬が金子信雄に見えますた(クーッキン、クーッキン、クーッキン←『楽しい夕食』挿入歌の一節)。


音楽が気に入ったので、さっそくサウンドトラック盤を注文しますたが、到着まで3週間から5週間だって。
とほほ・・・・。


林煕蕾が金庫の鍵を待つシーンで思いがけず王星璉旧居跡が映り、尤敏迷であるせんきちは雌伏、もとい、私腹のひと時を過ごしますた(一瞬だけだけど)。

帰りがけ、有楽町駅前の中園亭でお友達と食事を摂ろうとしていたら、フィルムセンター帰りのもんぞうさんとばったり。
もんぞうさんも合流して、4人で食卓を囲みますた。
酔っぱらったサラリーマンのおやじが、ホール係のお兄ちゃん(中国人)を「○ャンコロ!」と罵倒、一瞬店内の空気が凍りつきますたが、お兄ちゃんも負けずに「出てけ!」とおやじを追い出していますた。
しかし、いまだにこんな日本人がいるとは。
恥ずかしい・・・・。

さて。

旅行の報告をちょっこし。

11月22日(土)

午前9時半の飛行機(全日空と長榮の共同運航便)に乗るため、午前4時半に起床。
眠いよ、眠いよ、眠いよ。
ずっと寝ていくつもりだったけれど、機内でなぜか香港映画(『七月好風』)をやっていたので鑑賞。
お話自体は悪くありませんでしたが、お母さんの年と香港へやってきた時代背景の計算が合わず、そのことがずーっと気になって気になって仕方がありませんですた。

12時半過ぎに桃園国際空港着。
携帯電話を借りた後、國光客運のバスに乗って國賓大飯店バス停で下車、ホテルへ。
今回のお宿は、昨年暮れにもお世話になった京都商務旅館
このたびは、1人でダブルルームに宿泊です。
前回よくしていただいたお礼にお土産を持参したところ、社長さん直々に名刺とお茶を下さり、「ぜひお友達にも宣伝して下さい」と頼まれますた。
はい、宣伝しますたよ。

何だかんだあって、ホテルへ着いたのは午後2時過ぎ。
先に台北入りしていたA*mei-projectのjingさん(今回の旅ではいろいろお世話になりますた)と連絡をとり、待ち合わせ場所である誠品信義旗艦店へ。
DVD売り場でお買い物をした後、本日のイベント(台灣啤酒巨星演唱會 愛上青ㄟ地球)会場である台北展演二館(旧・台北世貿二館)に移動。
朝から並んでいた羅志祥迷にして妹迷でもあるMさんからチケットを受け取り、遅ればせながら我々も列の最後尾に合流(午後4時過ぎ)。

で。

午後6時開場、午後7時に開演して、前座の皆さんの歌の後、台湾ビールのバスケットボールチームのゆるーいパフォーマンスに続いてようやくメインに突入、蕭敬騰、羅志祥、そして大トリである阿妹が登場したのが午後9時前。
更年期が近い中年デブに長時間の立ちっぱなしは「辛い」の一言に尽きますたが、阿妹が出てくればそんなことは関係なし、年甲斐もなく終演(午後10時)まで発狂し続けますた。
東京のライブでは歌ってくれなかった「三天三夜」も、アンコールで歌って盛り上げてくれ、うれしい限り。
ところで、今回のダンサーさん、六本木春美似の人が多かったですけど、狙ったんですか、あれ。

六本木春美について知りたい方は、
この映画をご覧下さい。

終演後、遅れて到着した関西の妹迷・Iさんとも合流して、現地の妹迷の皆様の先導で近くの華納威秀にあるフードコートにて機内食以来のお食事。
イカのすり身とするめ入りのとろみ麺(名前失念)がうまかったっす。

お腹がいっぱいになったら、ホテルへ帰る前に昼間のお買い物の続き。
週末は午前2時まで開いている誠品へ再び潜入。
また本やらDVDやら買い込んでしまいますた。
以下は、その一部です。

気づいたら、胡金銓まつりに。


新旧取り混ぜてみますた。


李行の本は、買わなければと思いつつ
ついそのままになっていた物。
今回、ようやく購入。

そんなこんなでホテルへ戻ったのは午前1時近かったっす。
眠いよ、眠いよ、眠いよ。

(たぶん続くと思う)

2008年11月26日水曜日

台北に行ってきますた

〔たび〕〔しようもない日常〕

王朝大酒店にて。

どうも。
トド@六一〇ハップ製造中止ショックです。

婆さんの介護生活1周年を記念(?)して休暇を頂いたので、2泊3日という強行軍で無理やり台北に行ってきますた。
今回の旅の最大の目的は愛する阿妹に会うことですたが、映画もどうにかこうにか3本(『渺渺』『一八九五』『海角七號』←幕張に行けなかったもんで)観ることができますた。
ま、それらの話は追々することにいたします。

ではでは。

2008年11月19日水曜日

東洋のハリウッド

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕


どうも。
トド@風邪ひきますたです。
頭が痛いっす。

日曜日(16日)の朝。
いつもの休日より少し早起き(午前6時30分)したせんきちがテレビをつけると、「あ、そう」総理が記者会見をしていますた。
チャンネル変えるのも面倒なので、そのままにして朝食を摂っていたところ、海原お浜、じゃなくて、バラク・オバマ(Barack Obama)次期アメリカ大統領について外国人記者に聞かれた総理が、

インテリジェンスがえらく高そうな英語だった

とコメント、せんきちは食べかけのパンをのどに詰まらせそうになりますた。
KY総理にかかると、アメリカの次期大統領も「下々の皆様」の1人に成り下がってしまうようです。

これまでの良好な日米関係をフシュウして、ハンザツに往来してね!

さて。

えー、すでに昨日(18日)の話で恐縮なんですが、『朝日新聞』朝刊の「歴史を歩く」(「週刊アジア」所収)で、香港映画が取り上げられています。
タイトルは、「東洋のハリウッド」(ありきたりだけど)。

朝日新聞購読者の方は既にお読みになっているかと思いますが、そーでない方は、新聞専売所でお求めになるか、図書館に縮刷版が入るまで気長にお待ちください。
なんと、ウェブ版でも「朝日新聞購読者」じゃないと見られないのよ~ん。
商売、商売。

記事中、陳可辛監督の、

「今世紀に入ってタイ、韓国、日本、台湾などと共同で映画製作を進めてきた。各国の映画界が力を合わせれば、市場はもっと広がる」

というコメントを読んで、かつて日本映画界が斜陽を迎えたときの対応とほとんど違わない発想に唖然、とまでは言いませんが、この道はいつか来た道~、と、感慨にふけってしまいますた。
記事ではこの後、

今は狙いを大陸に定め、北京に事務所を開くために年の半分を首都で過ごす。

とあって、大陸の巨大マーケットへの売り込みに腐心する陳監督の姿が描かれております。
かつて左派と右派に分かれてしのぎを削っていた日々がうそのようですわね。


他にも舒琪せんせいへのインタビュー等が載っていますたが、人名表記が漢字のみ、カタカナと漢字併記、カタカナのみ、とばらばらで、わかりにくいことこの上なかったです。
ちなみに、陳可辛監督と舒琪せんせいの表記は、カタカナのみですた。

全部漢字で書いて下さい。

2008年11月12日水曜日

空飛ぶロダン

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕

元祖まりもっこり

どうも。
トド@人生に疲れますたです。
ちょっと目を離したすきに婆さんの床ずれが悪化、ドレッシング材を貼って気長に完治を待つ日々です。

さて。

学芸員Kさんのブログ「香港つめホーダイ」で教えていただいた雑誌『イラストレーション』11月号。
1950年代の香港映画の特刊(で、いいのかな。一応、ここではそう呼びます)の表紙写真が多数掲載されているというので(「画家 大竹伸朗が選んだ創作を刺激する本50 理性編・本能編」の内、「本能編」所収。雑誌内では「中国映画」とされていますが、どこからどう見ても香港映画です)、さっそく購入いたしました。

ざっと見渡したところ広東語映画が中心で、中でも新聯と光藝が多く、特に光藝作品が目立ちました。
で、光藝といえばニコパパ(謝賢)ですんで、『情賊』『999 廿四小時奇案』といったニコパパが表紙の特刊がそこここに。

追記:『999 廿四小時奇案』の特刊は、方保羅の『圖説 香港電影史』(1997年、三聯書店)102頁にも掲載されていますが、そちらが「写真:黒、タイトル:緑」だったのに対して、『イラストレーション』掲載の特刊は「写真:青、タイトル:赤」と、どうやら別本のようです。
って、なんだか書誌学的領域に入ってしまいますた・・・・。

不肖せんきち、電懋作品の特刊は何冊か所有しているのですが、それらの表紙がカラー写真なのに比べて、こちらの表紙はいかにもキッチュな2~3色刷。
でも、そこが逆に何とも言えぬ郷愁を誘います。

新聯と光藝作品以外ですと、邵氏の広東語映画も何本かありましたが、中でも『寶島神珠』(1957)は日本ロケを行った作品で、タイトルと特刊表紙(ビキニ姿に水中メガネのお姉ちゃんが網を持って立っている)から察するに、日本の海女映画の影響下にある作品のようです。

素晴らしきかな、海女映画!

また、日本映画の特刊も数冊ありましたので、中文タイトルと原題を対照させてみますた。

『飛天怪獣(空の大怪獣 ラドン)』


『地球防衛軍(地球防衛軍)』


『太空飛俠 大戦怪星人(鋼鉄の巨人 怪星人の魔城)』
『太空飛俠 大戦宇宙怪人(スーパー・ジャイアンツ 宇宙怪人出現)』
『海底覇龍(大巨獣ガッパ)』


『惹火美人魚(女真珠王の復讐)』
『絶海裸女(絶海の裸女)』
『四谷怪談之二 驚魂鬼火(東海道四谷怪談)』



特撮物&大蔵新東宝人気大爆発!

の様相を呈していますが、せんきちが以前取り上げた1961年4月14日付『報知新聞』の記事(海外へ進出する邦画)によれば、新東宝の作品は1本あたり360万円で香港や台湾へ輸出されており、他の5社作品に比べるとかなり単価が低かったせいもあって、「安く買ってたくさん儲ける」にはうってつけの映画だったのでしょう。
当時の香港映画にはない、エログロ描写も満載でしたし。

上記の日本映画群は、大半が1950年代後半の作品ですが、なぜか1本だけ1967年の『大巨獣ガッパ』がありますた。
これも香港における特撮物の人気を物語る現象の一つ、と言えるでしょうか。
ちなみに、『飛天怪獣(空の大怪獣 ラドン)』の特刊表紙は、『跨界的香港電影』(2000年、康楽及文化事務署)の113頁にも、図版(白黒)が掲載されていますが、なぜか英文表記が、

RODAN

になっています。

考える人が空を飛ぶ・・・・(あ、でも、ロダンはRodinか)。

さらに、『絶海裸女(絶海の裸女)』は新東宝作品であるにも関わらず、

日本東寶公司出品

と、思いきり間違えており、表紙には

オパーイ丸出しのお姉ちゃんが2人

波間に漂っているイラストが掲載されていますた。
はたして実際の作品に、オパーイポロリがあるのかどうか、不肖せんきち、当該作品を未見なので、確認できておりません。

『イラストレーション』内の説明によれば、大竹氏が所蔵している特刊は全部で約100冊。
誌上には70冊の表紙が掲載されており、(同じものもあるそうですが)今回掲載されなかった他の作品の特刊も見てみたいものですし、資料的にもかなり価値のあるものだと思います。

付記:学芸員Kさんもお書きになっていらっしゃいますが、「理性編」のトップに『大図解 九龍城』が登場しています。
この本の著者である九龍城探検隊・隊長のSさんは、3年ほど前、お亡くなりになりましたが、晩年、当方も親しくお付き合いさせていただきました。
Sさんがお元気だったら、この雑誌をお見せしたかったです。

2008年11月7日金曜日

アメリカを湧かせた朝丘雪路・・・よりも葛蘭が気になる

〔ちょっとお耳に〕

朝丘雪路といえば、これよねえ、やっぱり。

どうも。
トド@発狂する婆さんを薬で眠らせましたです。

今日は、困ったときの古雑誌ネタ。

1959年、葛蘭がアメリカで「ダイナ・ショア・ショウ」に出演したとき、日本代表として一緒に出演していたのが朝丘雪路であることは、葛蘭のファンサイトにおいても紹介されていますが、今回、その折のことを取り上げた『週刊平凡』1959年12月2日号が見つかったので、ちょっこしご報告。
記事のタイトルは、

アメリカを湧かせた朝丘雪路

泣かせた、じゃないよ。


全体像。

残念ながら、記事本文は、


十月二十五日、アメリカNBC放送局に招かれ、ミュージカル番組「ダイナ・ショア・ショウ」に出演、好評を得て三十日帰国した朝丘雪路の出演当日の最新カラー写真が到着した。(略)
主演者のダイナ・ショアに大変可愛がられた雪路は、ショウマンとしての実力も買われ、この番組では「最高の視聴率」と絶賛された。(後略)



と、朝丘雪路の動向オンリーで葛蘭に関する言及はないのですが、2枚あるカラー写真の内1枚に葛蘭も写っており、

写真右からグレース・チャン、ダイナ・ショア、朝丘雪路

と、ちゃんと名前も書いてありますた。


朝丘さん、このときのこと、ちゃんと覚えているかしらん?

2008年11月5日水曜日

追憶の切符 (車票)

〔えいが〕


2008年、中国・香港(驕陽電影有限公司・北京稻草熊影視文化有限公司)。張之亮監督。左小青、呉奇隆、葉童、午馬、他。

11月3日、文化の日。
『放・逐』舞台挨拶つき試写会招待状を盟友・リネンさんに託し、あっしは生じぇいこぶの姿を拝むため、NHKふれあい広場ホールにて『追憶の切符(車票)』を鑑賞。
ストーリーは・・・・すいません、NHKアジア・フィルム・フェスティバル公式サイトから引用(一部加筆・改変)します。


テレビ局のレポーターとして北京で働く雨桐(左小青)。実は赤ん坊の頃、教会の前に捨てられ、孤児として育っていた。今でも自分を捨てた両親にわだかまりを持っているのだが、育ての母であるシスター(葉童)が亡くなったことで実の親を捜すことになる。雲南省の雄大な風景をバックに、幼馴染みの志軒(呉奇隆)、ちょっぴり愉快な運転手兼ガイド(午馬)の助けを得てわずかな手がかりをたどっていく雨桐。その旅は自分が成長する旅でもあった・・・・。


原作(李家同の短編『車票』)の舞台は台湾(原作者が育ったのはこちら)だったのに、中国大陸の巨大マーケットを意識した結果、中国に舞台を移すことになり、そのため設定にかなりの無理が見られますた。
根掘り葉掘りが大好きないやらしい中年女・せんきちが、この映画を観ていてどうにも気になった点を、以下に挙げると・・・・。

・今なお公式にはバチカンとの断絶状態が続いている中国において、カトリックの教会を物語の支柱に据えたことにより、ヒロインの親探しもさることながら、シスターが何故に神に出会い、何故に信仰を持つに至り、何故に修道女となったのか、そのことがとても気になってしまうのでありますた。
映画化にあたって、原作者からは「宗教的な背景はいっさい変えてくれるな」との要請があったそうですが(上映後のQ&Aにおける監督のコメント)、当初、監督は哈爾濱で撮影することも考えていたといい、となると、東方正教の可能性も出てくるわけで(←「もしも哈爾濱で撮影を行っていたら、東方正教の教会が選ばれていた可能性もあるのではないか」の意)、よけいやっかいなことになっていたのではないかしらん?(哈爾濱じゃ、文革のときには教会が丸ごとぶっ壊されてるしねえ)
また、実際の雲南少数民族の間において、カトリックがどれだけ浸透しているのか(台湾は原住民のカトリック率高し)、そのことも知りたくなってしまったっす。

シスターといえば・・・・。


・ヒロインと幼馴染は少数民族ですが、かたやテレビ局のレポーター、かたや外資系企業(推定)勤務(共に北京在住)という、いわば「スーパーエリート」達です。しかも吹替のせいでとってもなめらかな普通話を話しており、そのことが二人のエリート色をいっそう強めることともなっています(ヒロインはテレビ局勤務だから、ちゃんとした普通話を話す必要があるとは思うけど)。
しかし、二人の故郷である雲南省には、そんな右肩上がりの人生とは無縁の、昔ながらのくらし(というと聞こえはいいが、経済的にはもちろん赤貧)を送っている人たちが無数にいるのです。
そのような状況の中、なぜ二人が(中共にとって)選ばれし民となり得たのか、その理由がすっげー気になります(本人の努力だけじゃないと思うよ、たぶん)。
そして、あの貧しいお母さんは、どうやって北京行きの切符を調達したのでしょうか。
・先にもちらりと述べた通り、この映画の役者さんの台詞は吹替で、その理由はといえば、茶通さんのブログによると、「香港の役者だと吹替なしの場合、シリアスな場面でも観客から笑いが起こってしまうから」との由(監督のコメント)。
そうはいっても、この映画は雲南省が舞台なのですから、別に吹替じゃなくてもいいと思うのですが。
もしも監督のおっしゃる理由が事実だとすると、台湾映画で台湾の役者が話す台湾国語はどうなるんでしょうかねえ。これも笑われちゃうんでしょうか。

そんなわけで、「台湾が舞台なら、もっと素直に感情移入できたのになあ」と非常に残念に思いますたが、人探し&ヒロインの心の成長というパターンは、あっしの大好きな張監督作品『自梳(女ともだち)』と非常に似通っており、『自梳』では恋愛や友愛、こちらの作品では親の愛を描きながら、張監督が常に追い求めているのは「無償の愛」なのだなあ、としみじみ感じ入った次第。
そしてその無償の愛は、父なる神の愛に繋がっていくのでしょう、きっと。
日本ですと、親が子に寄せる愛情、というと、どうしても母親のそれを考えがちですが、この映画では父親の愛情もきっちりと描いていて、それも神の愛とリンクするのかしらん、とも考えますた。

上映後、監督と左小青を迎えてのQ&Aを経て、ロビーでフェスティバル恒例(?)のサイン会が行われ、せんきちは、もちろん監督にサインを頂きますた(だってそのために来たんだもん)。
そしてずっと言いたかった一言、

「監督の『自梳』が大好きです」

とお伝えすることができますた。
実は監督も、『自梳』が一番好きな作品なんですって。

あたしたち、気が合うわね(おいおい)。

左小青嬢は、映画では落ち着いたイメージですたが、素で見るとかなりキャピキャピ(死語)した感じのお方でした。

付記:どーでもいいけど、葉童が真黒だったのと、銭小豪が大澄賢也化しつつあるのも、ひじょーに気になりますた。

2008年11月2日日曜日

台湾映画史研究の空白を埋める

〔ちょっとお耳に〕


2008年11月5日(水)、早稲田大学にて「台湾映画史研究の空白を埋める」と題された(大きく出たねえ)シンポジウムが開催されます。
「平日の昼間開催」という、勤め人の映画ファンを全く無視した催しですが、お時間のある方は足をお運びになってみてはいかがでしょうか。
詳しい内容は、下記の通りです。

10:00~12:30 シンポジウム(主催:早稲田大学台湾研究所、交流協会助成プロジェクト)
発表予定者(通訳あり):
戸張東夫氏(国際教養大学)「もうひとつの台湾映画史」
廖祥雄氏(映画監督)「1987年の戒厳令解除前後の台湾主流映画の動向」
井迎瑞氏(国立台南大学音楽映像学院院長)「台湾映画史研究の構築」
道上知弘氏(慶応大学講師)「台湾映画黎明期の台湾語映画」

14:00~18:00 映画上映会
李行監督『両相好』(1961年)
廖祥雄監督『真假千金(ニセのお嬢さん)』(1971年)

ところ:早稲田大学早稲田キャンパス1号館4階406教室(地図
共催:財団法人交流協会、台湾資料センター

午後の上映作品は、いずれもDVDリリース済の作品です。
後者は、2003年、東京国際映画祭のジュディ・オング(翁倩玉)特集でも上映されました。
『両相好』は拙ブログでも取り上げたことがありますが、台湾版「南北シリーズ」とでもいうべき作品ながら、香港のそれとは異なり、どことなく(本省人と外省人の融和という)国策臭のする映画です。     

禁じられた魔子 (その二)

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕

パッチモンとしては、ぎりぎりセーフなのか?

どうも。
トド@なんだか疲れたです。

今朝、渋谷で観てきた『Orzボーイズ!(囧男孩)』、お祖母ちゃん役を梅芳(侯孝賢監督や楊德昌監督作品でおなじみ)がやっていたのも、せんきちのお楽しみの1つですたが、監督はこの映画のためにアメリカで引退生活を送っていた梅芳をわざわざ台湾に呼び戻して出てもらったとの由。
今回、梅芳は金馬奨の助演女優賞にもノミネートされていますが、受賞するといいっすね。
黄韻玲が音楽担当なのも、個人的にはツボですた。
ちなみに、校庭の銅像を見てハナ肇を連想した方も多かったようですが(あっしもその1人)、この銅像はタレントの納豆(林郁智)をモデルにして作ったのだそうで、日本でも台湾でも考えることは同じだなあと思った次第(こちらに製作過程が)。

というわけで、前回の続き。
原題が判明(及び推定できた)映画を会社別に整理してみると、下記のようになりました。

東映
7. 1965 KU NO ICHI GESHO(くノ一化粧) 甲
26. 1966 DANI (ダニ)甲
37. 1966 KAWAIKUTE SUGOI ONNA(可愛いくて凄い女)甲
44. 1966 NYOHAN-HAKAI(女犯破戒) 丁
61. 1967 KAMO(かも) 甲
92. 1968 HISTORY OF JAPANESE TORTURE AND PUNISHMENT,THE (徳川女刑罰史?)丁
109. 1968 YORU NO AKUJO(夜の悪女)甲
130. 1969 INOCHI KARETEMO(夜の歌謡シリーズ 命かれても)甲
191. 1970 SEX AND LIFE (〔秘〕性と生活) 甲
256. 1971 TATTOOS OF HELL (徳川いれずみ師 責め地獄?)甲

日活
30. 1966 GATE OF FLESH(肉体の門) 甲
34. 1966 HUNTER'S DIARY, THE(獵人日記) 甲
48. 1966 UNHOLY DESIRE (赤い殺意)甲
54. 1967 BRUTE, THE (野獣の青春) 甲 
86. 1968 BRANDED TO KILLER (殺しの烙印) 甲
134. 1969 LADY HUNTER, THE (夜の最前線 女狩り?) 甲
150. 1969 WORSHIP OF THE FLESH, THE(艶説 明治邪教伝)甲 (配給作品)
199. 1970 TOKYO BATHS (女浮世風呂?) 甲(配給作品)
224. 1971 HAUNTED LIFE OF A DRAGON . TATTOOED LASS, THE (怪談昇り竜)甲

松竹
81. 1967 YORU O NERAE(日本ゼロ地帯 夜を狙え?) 甲
118. 1969 CURSE OF THE BLOOD (怪談残酷物語) 甲
127. 1969 HOUSE OF THE SLEEPING VIRGINS,THE(眠れる美女)甲 (配給作品) 
136. 1969 LOST SEX (本能)甲 (配給作品)

大映  
200. 1970 UKIYOE (浮世絵残酷物語)甲 (配給作品)

その他
23. 1966 ATSUI YORU(熱い夜) 甲
36. 1966 JOTAI RAKUIN(女体烙印) 甲
55. 1967 CHAINED WOMEN  (鎖の女)甲
62. 1967 KONJIKI NO HADA(金色の肌) 甲
79. 1967 VICE DOCTOR, THE (悪徳医 産婦人科日記)甲
94. 1968 JONE(情炎) 甲 
168.1970 KEGAREI (汚れ?) 甲

東宝の作品が1本もないのがミソですが、1965年から74年ということで、あたしゃてっきり日活ロマンポルノ満載のリストになるのかと思いきや、これも皆無なのでありますた。
思うに、1972年に入って香港のメジャー映画会社・邵氏が色情電影製作に本格的に乗り出したことにより、香港でのその手の映画の基準も若干緩和されたと考えられ、そんなこともあって、ロマンポルノにも待ったがかからずに済んだのでしょう。

で。

上記リストをざざっと見渡して気づくのは、東映の梅宮辰兄イ(『ダニ』『かも』『夜の悪女』『夜の歌謡シリーズ 命かれても』)と緑魔子たん出演作品(『くノ一化粧』『可愛いくて凄い女』『かも』『夜の悪女』)の意外な多さ。
夜シリーズは、香港当局から監視対象に指定されていたのでしょうか。

それから、石井輝男監督作品も健闘(?)しています(『徳川女刑罰史?』『徳川いれずみ師 責め地獄?』『怪談昇り竜』)。
『ならず者(雙雄喋血記)』が呉宇森監督に多大な影響を与えた他、『東京ギャング対香港ギャング』等のすぐれた香港ロケ作品を撮り、また、邵氏と東映の合作映画の監督にも白羽の矢が立ったことのある(結局はボツになりますた。こちらをご参照下さい)石井監督ですが、意外にも異常性愛路線以降の作品は香港での興行と相性が悪かったようです。
しかし、1973年の『ポルノ時代劇 忘八武士道』は、『肉林・浪子・快刀』の中文タイトルで、香港でも無事に上映されております。



「その他」は、いわゆるピンク映画ですが、香港でもかなり知名度のあった腋毛の女王(勝手に命名)・三原葉子の『金色の肌』がランクイン(違うって)しているのが、注目に値するでしょうか。
公開されていたら、けっこういい線いったのではないかと思います。

ところで、日活ロマンポルノの話が出たついでに、以前にもちらりと書いたことを、しつこくまた指摘しておきます。
香港と日本の色情電影を比較検討する際、必ずと言っていいほど「日本代表」として引き合いに出されるのがロマンポルノですが、邵氏の風月片のように、メジャー映画会社が売れっ子監督を起用して、ふんだんに金を掛けた時代物を撮る、という感覚は、むしろ東映のエロ時代劇に近いと考えられます。
また、邵氏がBirtie Tove(カタカナだとなんて書くのさ)を使って『丹麥嬌娃』や『女集中營』を撮ったのも、東映がサンドラ・ジュリアン(Sandra Jullien)やクリスチナ・リンドバーグ(Christina Lindberg)を呼んだ手法と非常に似たものを感じます。

以上、とりとめのないことをつらつらと書いてきました。
何か新たに気付いたことがありましたら、再びこちらで取り上げてみたいと思います。

(暫定終了) 

2008年10月31日金曜日

禁じられた魔子 (その一)

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕

高世章が尤敏のせがれだってことに
つい最近気がついた間抜けなあたくし。
パパに似なくてよかったね(爆)。

どうも。
トド@婆さん、再び発狂中です。

香港政府の新聞広報「立法會十六題:被禁在香港公開放映的影片」の項に「1965年至1974年不獲批准公開放映的電影」という名のリストがあり、当該期間、香港での一般上映に待ったがかかった映画のタイトルを知ることができます。
例によって物好きなせんきちは、この中から日本映画をピックアップ、原題を調べた上で独自のリストを新たに作ってしまいますた。
で、以下がその一覧でおます。

7. 1965 KU NO ICHI GESHO(くノ一化粧) 甲
23. 1966 ATSUI YORU(熱い夜) 甲
26. 1966 DANI (ダニ) 甲
29. 1966 FOUR GIRLS EXPOSED  甲
30. 1966 GATE OF FLESH(肉体の門) 甲 1996年公開(修正なし)
31. 1966 GODDESS OF THE NIGHT 甲
32. 1966 GREAT REVENGE, THE  甲
34. 1966 HUNTER'S DIARY, THE(獵人日記)  甲
36. 1966 JOTAI RAKUIN(女体烙印)  甲
37. 1966 KAWAIKUTE SUGOI ONNA(可愛いくて凄い女) 甲
40. 1966 LOST PARADISE, A  甲
43. 1966 NIGHT HUNTER  甲
44. 1966 NYOHAN-HAKAI(女犯破戒)  丁
48. 1966 UNHOLY DESIRE (赤い殺意) 甲
54. 1967 BRUTE, THE (野獣の青春) 甲 
55. 1967 CHAINED WOMEN  (鎖の女)甲 
61. 1967 KAMO(かも) 甲
62. 1967 KONJIKI NO HADA(金色の肌) 甲
67. 1967 PETTY GIRL, A  甲
75. 1967 THIS MAN DIED IN PASSION  甲 
79. 1967 VICE DOCTOR, THE (悪徳医 産婦人科日記)  甲
81. 1967 YORU O NERAE(日本ゼロ地帯 夜を狙え?) 甲 1967年公開(修正あり)
86. 1968 BRANDED TO KILLER (殺しの烙印) 甲 1968年公開(修正あり・中文タイトル『迷你煞星』)
90. 1968 GIRL WHO IS LOST, THE 甲
92. 1968 HISTORY OF JAPANESE TORTURE AND PUNISHMENT,THE (徳川女刑罰史?)丁
94. 1968 JONE(情炎) 甲(中文タイトル『情炎』)
109. 1968 YORU NO AKUJO(夜の悪女) 甲 1968年公開(修正なし・中文タイトル『東京應召女郎』)
111. 1969 AFTER 2ND WORLD WAR VICTIM IN TOKYO  甲
118. 1969 CURSE OF THE BLOOD (怪談残酷物語) 甲
121. 1969 DEVIL’S DAUGHTER, THE 甲
127. 1969 HOUSE OF THE SLEEPING VIRGINS,THE(眠れる美女) 甲
130. 1969 INOCHI KARETEMO(夜の歌謡シリーズ 命かれても) 甲
134. 1969 LADY HUNTER, THE (夜の最前線 女狩り?) 甲(中文タイトル『女狩』)
136. 1969 LOST SEX (本能) 甲
143. 1969 SACRIFICE, THE 甲(中文タイトル『犠牲』)
148. 1969 WOLF GIRL 甲
150. 1969 WORSHIP OF THE FLESH, THE(艶説 明治邪教伝)甲
165. 1970 JAPANESE SISTERS, THE 甲(中文タイトル『東瀛姐妹花』)
168. 1970 KEGAREI (汚れ?) 甲
190. 1970 SEDUCTION NINJA STYLE  甲
191. 1970 SEX AND LIFE (〔秘〕性と生活)甲
199. 1970 TOKYO BATHS (女浮世風呂?) 甲  
200. 1970 UKIYOE (浮世絵残酷物語)  甲(中文タイトル『浮世繪殘酷物語』)
203. 1970 WILD PICKPOCKETS, THE 甲
212. 1971 DARING GIRLS  甲
219. 1971 FORBIDDEN LOVES   甲
224. 1971 HAUNTED LIFE OF A DRAGON . TATTOOED LASS, THE (怪談昇り竜)甲 
253. 1971 SONG OF ROSES,THE  甲
256. 1971 TATTOOS OF HELL (徳川いれずみ師 責め地獄?) 甲
298. 1972 SEX URANAI  甲

原題が分からないものは英文タイトルのみ、これではないか?という推定分に関しては「?」を付しています。
作品名の最後の「甲」や「丁」といった符号は、待ったがかかった理由を示しているのですが、具体的には、     

甲:有傷風化、引起嚴重震驚或反感、鼓吹犯罪及暴力罪行等 
乙:煽動本港不同種族、膚色、階級、國籍、信仰、利益的人士互相憎恨
丙:破壞本港與其他地區間的友好關係
丁:無故攻撃宗教團體

といった分類になっています。
日本映画の場合、その多くは「甲」ですが、92の"HISTORY OF JAPANESE TORTURE AND  PUNISHMENT,THE"(徳川女刑罰史?)が「丁」になっているのは、この映画がせんきちの推定通り『徳川女刑罰史』であったならば、おそらく、第3話のキリシタン弾圧(に名を借りた単なるゴーモン)の場面が宗教コードに引っ掛かったものと考えられます。



また、待ったがかかったものの、どうにか一般公開にこぎつけた映画に関しては公開年度と修正の有無も明示してあります(注)。
『肉体の門』(鈴木清順版)が1996年になって思い出したように修正なしで公開されているのは、清順監督の特集上映でもあったのでしょうか、その頃(香港で)。

ここまで、一覧をずらずらっと並べてみましたが、次回は、原題の判明した作品を会社別に分類したリストに整理、そこから見えてくる問題を考察(とまではいかないけど)してみたいと思います。

注:34の『獵人日記』は、『一生誤我是風流』の中文タイトルで香港でも公開されているはずなのですが、このリストでは待ったがかかったままになっています。その理由は不明ですが、一応、リストの内容を尊重してそのままにしておきます。

(思わせぶりにつづく)

2008年10月30日木曜日

ゴールデンタイムのTBSに林建明が出てた

〔ちょっとお耳に〕

お金をちょうだい
(名前の字、間違ってるね)。

どうも。
トド@婆さんの具合はだいぶ良くなりますたです。

今日は、『スマステ』でも『スマスマ』でもない、限りなくじみーな香港明星出演情報。

昨日の昼下がり。
いつものように婆さんに飯を食わせてから、残り物のコロッケをおかずにTBSを見ながら昼食を摂っていたせんきちの眼に、見覚えのあるおばさんの姿が飛び込んできますた。

「あれ?もしかしてこの人、林建明?」

と思っていたところへ、

××で○●した(聞き取れませんですた)香港女優

というナレーションが被り、せんきちのもしかしては確信に変化、そんなわけで「××で○●した香港女優」が出るという件の番組、『水曜ノンフィクション』を観てみますた(世襲俳優・関口宏が司会なのが気に食わんけど、そんなこと言ってる場合じゃない)。
この日の番組のテーマは「金融危機」、そして林建明に付されたキャッチフレーズは、

リーマンショックで2億6千万円失った香港女優

というもの(まるで「歌う借金王」のようだよ)。
番組の中で、林建明は自分の窮状を切々(でもなかったな。早口でまくし立てていたし)と訴えていましたが、「日本のテレビに出たってお金は戻ってこないよねえ」と思いつつも、「これでなにがしかの謝礼が入れば、少しは生活の足しになるのかも」と思い直しますた。
ま、テレビ局のギャラなんて焼け石に水だろうけど。

これを見て起用を決めたのか、TBS?

でもね、あたしゃむしろ、林建明の前に出てきた、虎の子の蓄えをすべて失ったお爺ちゃん(紅磡在住)の方がかわいそうだったわ。
年寄りをだましちゃいかんよ。

(最後はご教訓で終了)

2008年10月25日土曜日

やっと入手『明報周刊』1469

〔しようもない日常〕〔尤敏〕

これが表紙(の一部)だ!
(メインは林青霞)

どうも。
トド@疲労困憊です。

せんきちの映画祭スケジュールは昨日で終了しますたが、期間中、

「映画なんか観てる場合か!」

という嫌がらせ、じゃなくて、無言の圧力が婆さんからかかりまして・・・・。
よりによってこんな時に熱なんか出しやがったんですよ、婆さん。
もう94年も生きたし、自然の摂理に任せてもよいのですが(よくないって!)、微熱が下がらないので、今日、お医者さんに往診に来てもらいますた。
嚥下障害もあるため、「肺炎じゃないといいがなあ」と危惧しておりますたが、幸いただの風邪のようで、抗生物質等処方されて診察は終了いたしますた。
ただ、

血圧が高いので注意して下さい。

と、釘を刺されてしまいますた。
昔は低血圧だったのにね・・・・。

てなわけで、「ブログ更新意欲著しく低下中」ゆえ、つまらないお買い物ネタでお茶を濁します(スマソ)。

言わずと知れた香港の雑誌『明報周刊』。
これの1469号に尤敏の追悼記事が載っておりまして、「尤敏紀念網頁」にその一部が紹介されているのですが、やはり「日本一の尤敏ファン」を目指す身といたしましては「現物を入手せな!」と捜索していたところ、ようやく日本の(ここ重要)ヤフオクでブツを発見、無事、

100円で

ゲットいたしますた。

「愛吃有味飯」という見出しをみて、何故に
尤敏が鳥ぎんの釜めしを愛したのかを
深ーく理解しますた。

記事の内容はというと、尤敏が金馬影后に輝いた『星星 月亮 太陽』で月を演じていた葛蘭、太陽を演じていた葉楓(尤敏は星ね)、共演作品の多かった王萊へのインタビューが中心で、しかもなぜか記事内容の半分が林翠に関するもの。
尤敏が亡くなる前年に林翠が亡くなったことも関係しているのでしょうが、しかしねえ、尤敏の追悼記事なんだし、尤敏の人と仕事について、もっと詳しく触れてこその追悼記事だったと思うんですけれど。

とはいえ、


↑こんな、今まで観たこともない夫唱婦随写真も掲載されていたので、ま、よしとしましょう。
なんてったって、

100円ですから。(送料240円・・・・)

2008年10月20日月曜日

日中友好講談大会

〔しようもない日常〕

今一番気になる人。
没収された帽子はいずこへ?

どうも。
トド@ますます太ってます。

世の中映画祭らしいですが、せんきちも婆さんの食事と下の世話の合間を縫って、なんとなく1日1本ぐらいずつ鑑賞しております。
シアターN渋谷で観た『邪』、今からでも間に合うのでしたら、邦題はぜひ、

『死霊の裸踊り』

に改めていただきたいものだと思います。

で。

今日は、映画祭とは全く無関係のイベントのことを忘れないうちにメモ。

16日(木)、母と懇意にしている講談師さんもご出演なさるというので、国立演芸場で「第1回日中友好講談大会」を鑑賞してまいりますた。
演目は、下記の通り。

中国講談旅行記:田辺銀冶、宝井梅星、田辺鶴英
中国の故事来歴(西遊記):桃川鶴女
トゥーランドット:神田陽子
天野屋利兵衛:神田松鯉
出世浄瑠璃:宝井琴梅
三国志 こうだんのコウダン:宝井琴星
三国志より 長坂橋の戦い:王池良
水滸伝 こうだんのコウダン:神田照山
水滸伝より 潘金蓮:王瑾、袁小良

評弾は、蘇州方言での上演のため、日本語と普通話の字幕が入ります。
せんきちが一番楽しみにしていたのは「潘金蓮」ですたが、いやあ、おもろかったっす。
講談と浄瑠璃のいいとこどりみたいで、セリフは京劇等の伝統劇のせりふ術の影響もあるのかしらんと思いますた。

ちなみに、せんきちはたまーに講談の会へ行くのですが、そんなおり、必ずといってよいほど耳にするのが落語の悪口。
特によく聞くフレーズが、

講談を聞くとためになるが、落語を聞くとだめになる。

というもの。
講談師の方はギャグのつもりなのかもしれませんけれど、あまりたびたび聞かされると(この日もこのフレーズが!)、正直、あまりいい気持はしません。
講談は講談、落語は落語と、誇り高く己の道を進んでほしいものです。

それから、「日中」といえば「友好」という2文字がお約束のように付いてくるのも、どうなんでしょ。
ただの「日中講談大会」でどこがいけないのかしらん、とも思い。
この会が1回こっきりの打ち上げ花火で終わることなく、5回、10回と続くことで、ようやく「友好」が単なるお題目ではない、本当の意味を持ってくるのではないか、そうせんきちは考えます。

第2回を楽しみにしております。

おまけ:どーでもいいけど、演芸場のお手洗、そろそろ全部洋式にしてほしいもんです(いちいちしゃがむのがしんどくなってきた中期中年者・せんきち)。

2008年10月12日日曜日

百恵ちゃん VS エマニエル夫人

〔ちょっとお耳に〕

百恵たん・・・・。

どうも。
トド@激太りです。

百恵ちゃんが出たついでに、しようもない小ネタでも。

1983年の台湾映画『竹劍少年』(張毅監督)。

港町・基隆でエネルギーを持て余す若者たち。
本日はグループの一員宅でビデオを鑑賞。


テレビでは、うら若き女性が下着を脱ぎ脱ぎ。
誰かしらん・・・・?と思ったら、


あら、百恵ちゃんだわ!


そして、向かい合う友和。
そう、彼らが観ていたのは『潮騒』
だったのでありました。



「なるほどねえ。日本映画の禁映期にも、みんなこうやってちゃっかりビデオで楽しんでいたのねえ」と、せんきちが感心していたところ・・・・。

「こんなのは女子供の観るもんだぜ」(超訳)と、
メンバーの1人が別のビデオを取り出して、


アヘアへビデオに選手交代!


おお、あなたはイマニデル(注)、じゃなくて、エマニエル夫人!





百恵ちゃん、エマニエル夫人に負ける。


男どもはエマニエル夫人に生唾ごっくんですたが、
紅一点の田麗にとってはいい迷惑。
画面から目をそらしてじっと我慢。
今じゃすっかり杉本彩化した田麗も
まだまだウブだったのですた。


注:20年ほど前のパチンコ屋の宣伝コピー。パチンコ台の前で例の籐椅子に腰かけた姉ちゃんが、「イマニデル(今に出る」と大当たりを待っている、ダジャレにもならないとほほな広告でした。

2008年10月6日月曜日

トド哀史

〔えいが〕〔しようもない日常〕

先日、うっかりヤフオクでポチっとな、してしまった
『赤い疑惑』の中国版ストーリーブック。
百恵が死んで思わずピースサインをする友和(おいおい)。

どうも。
トド@やっぱり眠れないです。
昨晩はひさびさに婆さんが発狂、大声で叫ぶのでなだめるのに大変でした。

で。

そんな婆さんを置き去りにし、1人渋谷のシアターイメージフォーラムで『女工哀史(エレジー)(China Blue)』を観てきますた(淋しい中年女トド)。
広東省のジーンズ工場で働く出稼ぎ女工の過酷な実態を描いたドキュメンタリーざます。

西側先進国は中国のことを「自由がない国」だの何だのと好き放題言っていますが、実はそういう先進国のメーカーが強いる厳しいコストダウンが、中国の労働者たちから自由を奪っているという矛盾。
大いに考えさせられますた。

が。

ドキュメンタリーとしてみた場合、編集の方法に疑問が。
主人公であるところの新人女工・小莉(ジャスミン)の映像と、小莉と並行して取り上げられている熟練工・阿蘭(オーキッド)の映像は、別々の時期に撮影を行っている(小莉:旧正月を挟んだ数ヶ月間。阿蘭:夏)にも関わらず、2人の映像を同一の時系列に並べていたため、旧正月に実家(四川省)へ帰るという設定の阿蘭の姿はノースリーブで、出迎える家族たちの服装も半袖、おまけに家の外では蝉が鳴いているという、思わず

熱帯か!

と叫びたくなるような世界が、そこには広がっていました。
また、旧正月後のはずなのに「11月8日 ××レストランオープン」という横断幕を掲げている映像が出てくるのもなんだか変でしたし、工場のオーナー(元警察署長!公権力との癒着がこんなところにも)が、「これから上海に行ってイギリスの客と商談する」と言った後、なぜか上海へは行かずに中山市のホテルでインド人と商談しているのも?ですたわ。

それから、中国に明るくない方が日本語字幕を担当したのか、「広東州」やら「鄧小平首席(主席の誤り?それ以前に、鄧小平は国家主席にはなっていないはずだけれど)」やらといった、目を覆いたくなるような誤植が。
どこまでも悲惨な女工さん・・・・。

ところで。

今年の東京国際映画祭ですが、婆さんがあんな調子(要介護4)なので、今年は無理かなあと思っていますたが、なんとか都合がつきそうなので、一応参戦。
とはいえ、日曜夜のパンさんと水曜夜の『九月の風』はあえなく玉砕(パンさんはともかく、『九月の風』まで・・・・)。
今のところ、下記の通りのスケジュールでおます。

10月19日(日)21:30~23:07
ポケットの花(口袋里的花)TOHOシネマズ六本木スクリーン6
10月20日(月)10:50~12:38
下女(하녀)シネマート六本木
10月21日(火)18:40~20:18
ビューティフル・クレイジー(亂青春)TOHOシネマズ六本木スクリーン5
10月23日(木)11:20~13:00
親密(親密)TOHOシネマズ六本木スクリーン1
10月24日(金)14:50~16:20
生きていく日々(天水圍的日與夜)TOHOシネマズ六本木スクリーン6

あとはシアターN渋谷で『魔』と『邪』を観ようかと思っております。
しかし、日本で紹介される邵氏作品って、ものすごく偏ってますね。
李麗華や林黛は、未来永劫日の目を見ることはないのかしらん?
とほほ。

2008年10月4日土曜日

フェイフェイ VS ウェイウェイ

〔ちょっとお耳に〕

アタシジャナイヨ!
阿妹のライヴに来てた菲菲姐、
相変わらず「歩く熱帯雨林」ですた。

どうも。
トド@睡眠障害です。

昨年。

新大久保のマイク101へカラオケをしに行く道すがら、その姿を初めて目撃した怪しすぎる火鍋屋、

小尾羊

どうせここ(新大久保)でだけコソコソ営業している

なんちゃって小肥羊

だと思っていたら、国際興業の路線バスに広告は出しているわ、池袋のビルの屋上にでっかい看板もあるわで、気になって調べてみたところ、本家に追い付け追い越せ!とばかりに急速に海外展開を進めている、

堂々たるパ○モ○(2字自粛)

ですた(本家:1999年創業、なんちゃって:2001年創業)。

日本版オフィシャルサイトのURLも、本家が

火鍋ドットネット

なら、なんちゃっての方は

しゃぶしゃぶドットネット

と、こんなとこでもパ○モ○臭ぷんぷん。

ちなみに、台湾の火鍋屋さん「天香回味」の日本版オフィシャルサイトのURLは、

てんしゃんふいうぇいドットコム

と、そのまんまでした。

そんなことじゃ、中共に呑み込まれちゃうぞ!(そういうオチかい)

アタシデモナイヨ!
(なぜか菲菲口調)

2008年10月1日水曜日

どこでもハレンチ

〔橘ますみ〕

吉田輝雄がますみたんを抱きかかえている写真、
ますみたんはやけにでっかい乳パッドをしてますが、
実は元の写真は乳パッドなしです。奇妙な自粛。

どうも。
トド@生き物係、じゃなくて、毎日婆さんの世話に追われています。

8月の記事でこんなことを書いたら、奥さん、あっという間に実現しちゃいましたよ。

来年の1月21日、ついについに、あの、

『異常性愛記録 ハレンチ』のDVD

が発売になります。


かつて「幻の作品」と言われたこの映画の実像を追い求め、古雑誌を買ってみたりシナリオを読んでみたり、無駄な抵抗(?)を試みていた日々がまるで夢のようですわ(遠い目をする)。

例によって、今なら割引でお買い求めになれますので、ご予約はお早めに!
ロケ地めぐりも読んでね)

2008年9月27日土曜日

西尾劇場のますみたん

〔橘ますみ〕

阿妹のライヴに来てた太一、こんな恰好してたけど、
一瞬、真っ赤なダースベイダーかと思ってしもうた。

どうも。
トド@快食快便です。

阿妹のライヴ、もちろん2日間参戦しますたが、2日目にうれしいハプニングが!
仕事もろくにせずに特性団扇作りに励んだかいがありますたわ。

で。

先日届いたJCB会員向けの情報誌『J-B style』。


「昭和探偵」という連載企画で、愛知県西尾市の超レトロ映画館・西尾劇場が取り上げられていますた。

その外観といい、内装といい、せんきちが子供の頃、近所にあった映画館にクリソツだわと感慨に浸っていたところ、なな、なんと、ロビーに居並ぶ往年の東映スターの中に、橘ますみたんの姿があるではあーりませんか!

ほれほれ(矢印)。
鶴田浩二、谷隼人と来て、ますみたん、という、
撮影所における序列は全く無視のレイアウト。

ちなみに、こちらの写真では見難くなっておりますが、ますみたんのお写真の下は地元のサウナ(現存しているか否かは不詳)の広告となっており、彼女に似つかわしいのか、似つかわしくないのか、かなりびみょーな感じ・・・・。
とはいえ、せんきちにとっては貴重な世界遺産であるこのお写真、いずれ暇を見つけて劇場探訪したいと思っております。

気づいてよかったわん。

2008年9月17日水曜日

9月22日と23日は阿妹の日です

9月14日、閉店前夜のひげちょうにて。
店の外にはそれなりに行列ができていますたが、
店員の皆さんはいつも通りのやる気なさげな
脱力系の応対でおますた。
せんきちが愛してやまない
ほほ肉をつまみに、生ビールをグビリ。

どうも。
トド@まだまだ汚部屋片付け中です。

引越の日、婆さんは病院を転院したと思いこみ(自分がどこにいるのか、それもわからなくなっています)、せんきちのことを病院の付添婦さんと間違えて「ありがとうございます。また来て下さいね~」と繰り返しつぶやいていますた。
ただ、引っ越してから暴れることも少なくなり、下の世話は相変わらずですが(今日もでっかいう○こが・・・・)、夜中に起こされることもほとんどなくなって、比較的穏やかな毎日を過ごしております。

で。

いよいよ、来週、22日(月)と23日(火)に開催されます、阿妹のライブ。
まだ若干お席があるようですので、迷っているそこのあなた、今すぐチケットをゲットいたしましょう。

とき:2008年9月22日(月) 開場 18:30 開演19:00、23日(火) 開場 15:30  開演16:00
ところ:赤坂ACTシアター

ライブの詳細はこちらをご参照下さい(朝日新聞にも取り上げられました)。

それでは皆さん、会場でお会いしましょう。

2008年9月8日月曜日

さらば、ひげちょう

〔ちょっとお耳に〕

本日の話題とは何のかんけーもありませんが。
浅草じゅらくのハンバーグ&スパゲティ。懐かしい味です。

どうも。
長らくのデブ沙汰、もとい、御無沙汰でした。
トド@段ボールと寝る女です。

まだまだ汚部屋片付け中ゆえ本格カムバックはもう少し先のことになりそうなのですけれど、とりあえず、緊急情報です。

渋谷のひげちょうが15日限りで閉店します!

お店の公式サイトを見ると、未だに「渋谷店 店内改装の為、3月16日から19日まで閉店させていただきます。20日17時よりリニューアルオープンいたします!居心地の良い店内と新しいメニューにご期待下さい!」と、半年近く前の情報しか載っていませんが、改装のかいもなく撤退!ということになった模様です。

不肖せんきち、シネマヴェーラorユーロスペースで映画を観た後、ここで食事(ほほ肉セット魯肉飯ダブルがけ煮玉子プラス)をして、華泰でお茶を買って帰る、というのがお決まりのコースだっただけに、残念でなりません。
なんせ、ついこの間、ポイントが全部貯まってお食事券を貰ったばかりでしたし・・・・。

あの味を堪能できるのもあと1週間。
1月の六本木店閉店に続き、東京のひげちょうはついに全滅です。

さあみんな、渋谷へ急げ!

(もうしばらく失踪します)

2008年8月24日日曜日

長期失踪いたします

〔しようもない日常〕

シネマヴェーラに来てね!

どうも。
トド@引越準備中です。

えー、26日に夜逃げ、じゃなくて、引越するので、こちらも当分の間放置いたします。
稀に来るコメントのレスも、遅くなるかと存じます。

では、箱詰めに戻ります。