どうも。
トド@SUNTORY×暴れん坊将軍のCM(店頭ヴァージョン)、ワロタです。
ここのところ、「貧乏暇なし」状態が続いておりまして、この連休もちょこちょこと仕事をこなしております。
そんなこんなで更新も滞りがちですが、7日に1遍でも10日に1遍でもこつこつと更新していく心積もりでおりますゆえ、皆さま辛抱強くお付き合い下されば幸いです。
さて、前回の記事で特撮映画が出てきたので、今回も特撮ネタを。
ただし、最初にお断りしておくと、不肖せんきち、いわゆる特撮物に関しては明るくありません。
その道のエキスパートによる継続調査を期待して、無理を承知で敢えて執筆する次第です。
その旨、ご了承下さい。
1970年代前半、香港や台湾でも『ウルトラマン』や『仮面ライダー』等といった日本の特撮ヒーロー物が人気を集めましたが、1972年の日台断交以降、台湾で日本映画の上映が禁止(日本とその他の国との合作映画、日本人が投資した香港映画も含む)になると、香港映画界では苦肉の策として日本の特撮物から特撮場面を流用し、演技部分のみは香港の役者を使って撮影、これらを繋いだ作品を「國片」と称して台湾へ持って行くという抜け道を編み出しました(注1)。
しかし、1975年には長弓が製作した『鐵超人』が「ニセ國片」の疑いをかけられ、上映後に再審査を命ぜられるという事件が発生(注2)、この抜け道は曲がり角を迎えます。
ちょうど同じ頃(1975年8月)、三上睦男が特技(クレジットなし)、西本正(賀蘭山)が撮影をそれぞれ担当した『中国超人インフラマン(中國超人)』が台湾で上映されているところから考えると、この再審査事件は「姑息な手段を使うよりは、日本人を呼んでもいいから自前の企画で特撮映画を撮れ」という台湾当局のサインのようにも受け取れますが、それ以後、日本人スタッフが参加した香港映画の台湾での上映や台湾映画への日本人スタッフの参加に関しても、徐々に規制が緩和されていったようです(注3)。
このような流れの中、台湾の製作会社である美鴻企業機構有限公司は、高野宏一を招いて『海魔』という特撮映画を製作、撮影に当たって高野宏一は日本から20人ほどのスタッフを引き連れて参加、その技術は高く評価されました(注4)。
当時の報道(注5)によれば、『海魔』は民間故事に基づく古装片で、人間に災いをもたらす妖魔との戦いを描いた作品のようですが、しかし、どういうわけか台湾映画のデータベースである「台灣電影資料庫」にはこの映画のデータがありません。
仔細に調べてみると、どうやら1975年の『金刀斬怪魔』がそれに当たるのでは?と見られますが、新聞局のデータでは(『金刀斬怪魔』は)1980年製作となっています。
追記:上記の件に関して、「孟飛城」の管理人・JUNOさんより貴重なご教示を賜りました。
孟飛ご本人によれば、『海魔』と『金刀斬怪魔』はやはり同一作品だそうです。
JUNOさん、そして孟飛さん、ありがとうございました。
以上、わからないままに高野宏一が特技を担当した映画『海魔』をちらりとご紹介しましたが、『海魔』と同時期には同じような特撮物古装片が何本か製作されており、それらの作品との関連や(『海魔』が)台湾で公開されたのか否かについて、今後調査していく必要があると考えております。
(尻切れトンボのまま終了)
(注1)『跨世紀台灣電影實錄 1898-2000』中巻(2005年、文建會・國家電影資料館)及び1975年7月26日付『聯合報』(「特技鐵超人原屬改頭換面」)による。ちなみに、邵氏はフィルムを繋ぐのも面倒だったのか、チャイヨの『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団(The 6 Ultra Brothers vs. the Monster Army)』を輸入、これにに広東語吹替を施した作品を『飛天超人』の中文タイトルで上映しています(下の画像)。
「キネ旬データベース」で『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』の原題が『飛天超人』となっているのは、おそらくここからきているものと考えられます。
また、前回の記事で触れた『火星人』(1976年、太子)の「チャイヨ特撮+台湾俳優」という組み合わせ(?)は、香港映画における「日本特撮+香港俳優」の悪しき応用と言えましょう。
(注2)注1に同じ。
(注3)西本正(賀蘭山)の会社が製作した『風流女福星(勾魂艶星)』は、「日本人が投資した香港映画は日本映画と見做す」との理由で、1974年4月に台湾での上映が禁止されており(『跨世紀台灣電影實錄 1898-2000』中巻による。しかし、なぜか今村昌平等の日本人スタッフは問題にされていないのですが。あるいはクレジットなしでの参加だったのでしょうか)、その西本が撮影を担当した『中國超人』が台湾で上映されたという点からも、規制緩和の兆しが伺えます。
(注4)1976年3月25日付『華僑日報』(「『海魔』特技出色 孟飛子可觀」)及び1976年3月26日付『香港工商日報』(「海魔特技比美超人」)による。
(注5)1976年3月19日付『華僑日報』(「余漢祥費盡惱筋 導演新奇特技片海魔」)による。
おまけ:『クレヨンしんちゃん』の父・臼井儀人氏の訃報、なんとも痛ましい限りですが、「決して顔出ししない漫画家」であるはずの臼井氏の「写真」が、なぜか中華圏の新聞報道やテレビニュースでは露わに。
こ、これって、本当にご本人なんですか…?(お答え:いいえ)
6 件のコメント:
こんにちは、孟飛城というマニアックサイトを運営しております、JUNOと申します。
この程、約十年ぶりにサイトを更新しようとデータ収集及び修正をしておりましたところ、
こちらの「海魔」についての記事を発見致しました。
以下、既にご存知かも知れませんが、ご報告申し上げます。
中文電影資料庫に於きましては、ご指摘の「金刀斬怪魔」は1975年作と記されております。
香港影庫に於ける「海魔(1975年)」のスタッフとの一致もあり、同一作品の可能性が高いかと思われます。
改めて twitter にメッセージを入れさせて頂きたいと思っております。
貴重な情報をありがとうございます。
JUNOさん
こんにちは。
こちらこそ、ご教示ありがとうございます。
やはり同一作品の可能性が高いのですね。
今後ともよろしくお願いいたします。
記事と画像の掲載許可を頂きまして、ありがとうございます。早速ですが、このようになりました。
真ん中より少し下
画像はそのまま使わせて頂こうと思ったのですが、判りにくかった為、一度クレジットを塗り潰して横に書かせて頂きました。
問題がございましたら、どうぞご指摘下さい。
ありがとうございます!
JUNOさん
こんにちは。
拝見いたしました。
拙ブログの記事をご紹介下さり、恐縮です。
こちらこそ御礼申し上げます。
ありがとうございました。
ご無沙汰しております、孟飛城 のJUNOでございます♪
本日はご報告に上がったのですが、twitterよりこちらの方が宜しいかと思いまして…
先程、「海魔」と「金刀斬怪魔」に関しまして、主演の孟飛さま御本人に直接、確認致しましたところ、やはり同一作品ということでした。
余りにコアな質問なので、驚いておられましたwww
実況はこちらでございます。
それから、ご報告しておりましたでしょうか?「愛のさざなみ」にリンクを張らせて頂いております。こちら中程です。
では、失礼致します♪
JUNOさん
こんにちは。
こちらこそ、ご無沙汰しております。
貴重な情報、ありがとうございます。
早速こちらにもアップいたします。
また、リンクも恐縮です。
メインサイトだけでなく、ブログもいまや脳死状態なのですが…。
今後ともよろしくお願いいたします。
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