2010年3月28日日曜日

てきとーにお花見 (その1)

〔しようもない日常〕

この人を見よ!

どうも。
トド@花粉症再び悪化です。

昨夜はRadio-Canadaの生放送で世界フィギュアの女子フリーを途中まで観ていたのですが、寄る年波には勝てず午後11時に敢えなく撃沈、今朝になって真央ちゃんの吉報を知りました。

おめでとう!

しかし、それにしても、五輪を凌ぐ無茶苦茶な採点でした。
ありえねー滑り&ありえねー得点で、終わってみれば銀メダルのあの人って…いったい何者?

そんな中での金メダル、本当におつかれさまでした。

あんたはエライ!

せんきちの永遠のアイドル
伊藤みどり。


さて。

今日(28日)は四谷で用事があったので、そのついでに四谷見附の土手から赤坂見附まで桜の開花状況を勝手に調査してみました。
その結果は、

「ほとんどの木は2~3分咲きですが、木によっては5分咲きのものもあり」

といった状況でした。

ということで、まずは四谷土手の写真から。

5分咲きの木。


拙者、もとい、接写してみますた。


こうして見るとかなり咲いているようですけれど、
実際にはここまで咲いている木はまばら。



気温4度、曇り、北風強という極寒の中、
お花見を楽しむ人もちらほら。
BBQしてる人たちもいました。

紀尾井町・清水谷公園。


赤坂・弁慶橋。
未だ冬枯れ。


近づいてみると、桜が咲いている
木も何本かありますた。


お花見のピークはやっぱり次の週末かなあ。

2010年3月23日火曜日

アメリカン・フィーリング (いつもながら意味不明)

〔ちょっとお耳に〕

「コバルトの風」→「放射性物質を含んだ風」を
連想してしまうあたくし。

どうも。
トド@猫の介護中です。

えー、うちのバカ猫みーちゃん(13歳5ヶ月。雄。タマ無し)、ただいま初期の慢性腎不全と診断されて闘病中なのですけれど、病院で処方された腎臓病用のキャットフードを

全然食べてくれましぇん(泣)。

死ぬぞ、お前。

え?オレのこと?
だって、まずいもん食いたくないもーん!

さて。

先日、某ヤフオクで香港の昔の地図を購入したのですが、中環周辺の建造物をチェックしていたところ、おや?

香港希爾頓酒店(ヒルトンホテル。現・長江集團中心)
の場所に「美國酒店」の文字が。


在りし日のヒルトンホテル。

もしや、ヒルトンの開業前、ここには美國酒店(アメリカンホテル)なるホテルが建っていたのか?と思い、こちらのサイトで他の古地図を探したところ、

1953年。
一帯はグラウンド
(戦前は美利操場)でした。


1963年。
あらやっぱり美國酒店だ。


1967年。
ここでやっとこさヒルトンに。


なるほど、古地図を辿る限りでは、たしかにヒルトン開業以前、そこには美國酒店というホテルがあったようです。
となると、気になるのが「いつからヒルトンに衣替えしたのか」ということ。

てなわけで、同じサイトで今度は古新聞を捜索、するとすると、面白いことがわかりましたよ。

美利操場跡地にホテルを建てようという話になったとき、まず当初の計画段階では、

馬哥孛羅酒店(マルコポーロホテル)

という名前だったのが、1961年のホテル建築中、「香港で初めてのアメリカ人出資によるホテルなのだから」という理由で、ホテルの持ち主である永高有限公司(Wynncor Ltd. この会社はイギリス資本らしいんですけど。また、出資したアメリカ人の素性も不詳)が、

美國酒店(アメリカンホテル)

と改称、しかし1963年のホテル開業時には、

香港希爾頓酒店(ヒルトンホテル)

に落ち着いたらしいのです。

っつーことは、美國酒店として営業した実績はなかったってことね。

おそらくは、持ち主の意向で一度は美國酒店になったものの、ホテルの運営自体はヒルトンが行うので、そんなこんなの理由で香港希爾頓酒店になったといった感じなのでしょうか。
このあたり、東急とヒルトンの合弁だった東京ヒルトンホテル(キャピトル東急ホテル)とおんなじ経営形態ってことになるのか知らん。

ちなみに、1963年6月の開業式典には日本から五島昇(東急のオーナー)夫妻も出席したそうです。
これもヒルトン繋がりね。

以上、1枚の地図から始まった素朴な疑問は、意外とあっさり解消されましたが、もう一度手元の地図をよーく見てみたら、な、なんと、

一九七三年増訂版

の文字が。

……。

ちっとも増訂されてねーじゃねーか!

この地図、マンダリン(香港文華東方酒店)の
ある場所には「皇后酒店」と書いてあるよ。これも謎だ。


付記:どーでもいいけど、中文版ウィキペディアの「香港希爾頓酒店」の項にある「1961年正式開幕及營業」って、何を根拠にしているのだろうか?

2010年3月17日水曜日

蘭陽戲劇團初来日公演

〔ちょっとお耳に〕


どうも。
トド@やる気なしです。

花粉症の上に、愛猫までもが急病で倒れたりして、すっかり更新意欲が減退しております。

で。

今日もちょこっと告知。
国立劇場に『金門五山桐』を観に行って知りました。

台湾を代表する歌仔戯の劇団である蘭陽戲劇團(日本語の検索にも引っかかるように蘭陽戯劇団とも書いてみる)が、今週末、国立劇場おきなわで初来日公演を行うそうです。


とき:2010年3月20日(土)14:00~
ところ: 国立劇場おきなわ大劇場(舞台形式:プロセニアム舞台)
チケット代金:3500円
演目:「紅絲錯」



不肖せんきち、15年前に南方澳の南天宮で蘭陽戲劇團の「錯配姻緣」を観ますたが、舞台芸術としてかなり洗練された歌仔戯で、いわゆる土着のコテコテ感を求める向きにはちいとばかし物足りないのかも知れませんが、なかなかにクオリティの高い舞台でおました。

今回の初来日公演、残念ながら沖縄限定のようですが、お近くの皆様、ぜひぜひ足をお運び下さいまし。

以上、緊急情報でした。

2010年3月7日日曜日

張沖逝く

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕


どうも。
トド@寒いですね。

えー、ここで取り上げるニュースってなんだか訃報ばかりなんで恐縮なんですけれど、今日もやっぱり訃報です。

かつて邵氏や國泰、嘉禾等で活躍した男優・張沖が先月、直腸がんで亡くなっていたことが判明しました。
享年79歳。
東宝と邵氏の合作映画『お姐ちゃん罷り通る(香港三小姐)』で香港の大富豪の御曹司を演じていたので、日本映画ファンでもご存知の方がいらっしゃるかと思います。

張沖年初五癌症病逝 享年79歲

楚留香第一人選 張沖病逝

肥姐が亡くなる少し前にホストを務めていた番組「友縁相聚」でお元気そうな姿を拝見していたので、まだ台北にお住まいなのだとばかり思っていたら、台北のお店は2006年に閉店、その後はシンガポールで闘病生活を送っていたようです。

不肖せんきち、この方を見るとなぜかいつも三橋達也を思い出しました。
『地獄の饗宴』香港版なんてのを作ったら、きっと主役にぴったりだったのではないかと思います(団令子は誰かなあ?それよりも中北千枝子が問題だ)。

ご冥福をお祈りします。

2010年3月5日金曜日

高慢と偏見とゾンビ (Pride and Prejudice and Zombies)

〔ほん〕〔ちょっとお耳に〕

「おばさま、わたしは戦士なのよ。少林三十六房を突破して、
カンシェンタンの免許皆伝書をたまわったのよ」

2009年。ジェーン・オースティン(Jane Austen)、セス・グレアム=スミス(Seth Grahame-Smith)著。

どうも。
トド@今日は誕生日です。

さっそく本題。

ジェーン・オースティンの『高慢と偏見(Pride and Prejudice)』にゾンビをぶちこんだマッシュアップ小説(って言うらしい。知らんかった)。
よくわからない方のために一応、尼尊の解説をコピペ。

18世紀末イギリス。謎の疫病が蔓延し、死者は生ける屍となって人々を襲っていた。田舎町ロングボーンに暮らすベネット家の五人姉妹は少林拳の手ほどきを受け、りっぱな戦士となるべく日々修行に余念がない。
そんなある日、近所に資産家のビングリーが越してきて、その友人ダーシーが訪問してくる。
姉妹きっての優秀な戦士である次女エリザベスは、ダーシーの高慢な態度にはじめ憤慨していたものの……。
ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』をベースに、ゾンビという要素を混ぜ合わせることで、まったく新しい作品に生まれ変わった、全米で誰も予想だにしない100万部の売上げを記録した大ヒット作、ついに日本上陸 !


まあ、ようするにIFDやフィルマークのニコイチ映画(サンプルはこちら)の小説版みたいなもんだろうと思って読み始めたのですが、ニコイチの方が元の映画の筋は全く無視して無理やりゾンビやニンジャ映画に仕立てているのに比べ、こちらはあくまでも『高慢と偏見』の筋を生かしつつそこにゾンビと功夫とニンジャ風味を加えているので、けっこう楽しめる読み物に仕上がっておりました。

で。

原典の『高慢と偏見』と同じく、こちらでもヒロインのエリザベス・ベネット (Elizabeth Bennet.リジー〔Lizzy〕)とミスター・ダーシー(Fitzwilliam Darcy)が、誤解と衝突を経てやがて恋に落ちていくのですけれど、原典では2人の間に立ちはだかる障害として家柄の違いとリジーの家族の問題があったのに対し、こちらではさらにリジーが戦士としての訓練を受けた土地が少林寺(中国)だったから、という新しい(のか?)要素が加わっています。
日本嫌いで娘たちを連れて少林寺で修行をしたベネット氏(Mr. Bennet)とは対照的に、ミスター・ダーシーの一族は日本のキョート(京都)の一流の道場で修行をすることに最高の価値を見出しており、特にダーシーの叔母のレディ・キャサリン (Lady Catherine.屋敷ではニンジャを何人も抱えており、道場の壁には「合気道」と「諸行無常」の掛け軸が!)はあからさまに中国を軽蔑、少林寺で修行をしたというリジーを、

「中国ですって。あの坊主どもは、いまだにあのつたないカンフーのわざを英国人に売りつけているのね」

と馬鹿にします。
そんなこんなの行き違いがあって、最後にレディ・キャサリンとリジーの死闘(!)が繰り広げられるのですが、ここはなかなか読み応えがありました。
ただ、せっかく少林寺や京都(のどこだよ!)で修行をしたのに、ゾンビ退治には安易に銃を用いてしまう大英帝国の皆様の軟弱ぶりには少々がっかりいたしました。

もっと拳を使え、拳を!

ちなみに、この小説、ナタリー・ポートマン(Natalie Portman)が映画化権を取得したらしいです。
映画版ではぜひ、拳の魅力を前面に押し出して欲しいものです、はい。

付記:小説の中で特に笑った箇所。
・ウィカム(Mr. Wickham)からダーシーの悪口を聞かされたリジーが言う台詞。
「なんてひどいかたでしょう!座頭市の仕込杖で叩っ斬られればいいんだわ!」
・ダーシー家の屋敷はキョートの特に豪壮な城を模して造られた建物で、邸内ではナレズシ(なれ寿司)が珍味として供される(たしかに珍味だけどさあ…)。

「お忘れにならないで。わたしは少林派の弟子
なんですよ。七星拳の達人なんです」




2010年3月1日月曜日

陳玉勳來了!

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕


どうも。
トド@ジョアニー・ロシェット(Joannie Rochette)がカルーセル麻紀に見えるです。

さて、某ミクシィで知人のKさん(ひさびさ登場、いつものKさんです)から教えていただいた情報です。

1997年の『ラブ・ゴーゴー(愛情來了)』以来、13年のブランクを経て、陳玉勳監督がついに映画を撮ります!

陳玉勳顧飽肚子 追夢拍《茱麗葉》

陳玉勳重出江湖 參與執導茱麗葉


映画界を離れ、ながーいことCM制作に携わっていた陳監督ですが、今度の映画『茱麗葉(ジュリエット)』は陳監督と侯季然監督、それに沈可尚監督によるオムニバス映画の模様。
制作は李安監督の弟・李崗さんです。

ちなみに、侯季然監督は2005年の東京国際映画祭で上映された『台湾黒電影(台灣黑電影)』の監督さんです。
そのときちょっと酒席でご一緒しましたけれど、どちらかといえば学究派タイプ、というか、学者さんのような方でした。

期待して待ちましょう。