2006年5月31日水曜日

令女の世界

〔しようもない日常〕

令女といへば・・・・。

本題に入る前に、どうでもいいYou Tubeネタ。
内田ロッケンロール裕也の政見放送があるなら、きっとこの人のもあるだろうと思い、探してみたところ、やっぱりありましたよ。
この人は、選挙公報もすごかった記憶があります。

ということで。

うちの近所にある、1970年代で時が止まったような化粧品屋兼雑貨屋さん。
そこの店先に陳列されていた気になる製品を、先日ようやくゲットいたしました。
もはや使う人も少なくなったであろう、ヘアーネットざます。

まずはこちら。その名も「令女」。
製品だけでなく、製品名も絶滅危惧種。
その割には色々なサイズがあって、
これは一番小さなもの。税込221円也。


袋から出してみました。
全部で6枚入り。髪を結った時、
お団子になった部分に被せたり
するサイズのようです。


気になる「令女」さんのお顔はというと・・・・。
なんだ、意外と不細工じゃん。
カストリ雑誌の表紙にでもなりそうな顔だ。


上記の品は国産品(どこで作っているのかも気になるな)でしたが、お店のおじさん曰く、

これはお出かけ用です。

という舶来品(死語)がありましたので、そちらも購入してみました。

さすが舶来品、たった3枚で税込368円也。
モデルの女性も白人さんです。


でもこの方、どう見てもデボラ・カー(Deborah Kerr)。
ご本人は知りっこないだろうけど。


「高級」「手編」「輸入品」と殺し文句3連発。

で、この舶来品、いったいどこで作ったのかしらん?と、パッケージをよくよく見てみたところ、

いいのか?今どき、こんな表示。
中共に知れたら大変なことになるぞ(爆)!


(オチのないままおしまい)

2006年5月29日月曜日

冬暖 (The Winter)

〔えいが〕


1969年、台湾(國聯)。李翰祥監督。歸亞蕾、田野主演。

そろそろ記憶が薄れてきているのですが、李翰祥率いる國聯の代表作であるというだけでなく、台湾映画史に残る名作の1つなので、ちょっこし取り上げておきますです。
ちなみに、昨年の金像奨のさいに選出された「最佳華語片一百部」では、48位にランクインしております。

彰化出身の阿金(歸亞蕾)は、台北で薬屋を営む親戚の家に住み込みで働いていました。
阿金は隣家で小さな食堂を営む老呉(田野)の衣服を洗濯したり、何かと世話を焼くようになります。
互いのことを憎からず思う2人でしたが、お人よしで気が小さい老呉は自分の思いを阿金に打ち明けることが出来ません。
その後、彰化へ里帰りした阿金はそれっきり台北へ戻ることはありませんでした。
ようやく決心のついた老呉は、彰化へ阿金を迎えに行くことにするものの、そんな彼にもたらされたのは、阿金が結婚するという知らせでした。
やがて老呉の店は立ち退きに遭い、彼は別の場所で屋台を始めました。
ある冬の夜、赤ん坊を抱いた若い女性が麺を食べに老呉の屋台を訪れます。
それは、夫を亡くした阿金でした・・・・。

李翰祥監督というと、歴史大作や黄梅調映画、あるいは「風月片」と呼ばれたエロチックな作品群が日本では知られていますが、こういう市井の人々の哀感を描いた作品も撮っており、その代表作が本作と『裏門(後門)』です。

老呉と阿金の主人公2人が、徐々に互いの距離を縮めてゆき、ついにささやかな幸せを掴むまで、物語は静かに進行します。
台北へ子連れで舞い戻ってきた阿金が家政婦として働くため、仕事の間は老呉が親代わりとなって面倒を見ることになるという顛末等、老呉の人のよさにはいささか度を越したものがあると感ぜざるを得ないものの、ラストではタイトル通りの暖かい気持ちにさせられる作品でした。

特に、無学で粗野だけれど心優しい老呉を演じた田野がよかったです。

ところで、最近台湾では中影を始めとする旧作のDVDリリースが盛んですが、國聯や台製作品は未だその範疇には入っていないようです。
権利関係がどうなっているのか、そのあたりはよくわからないのですけれど、國聯の他作品も観てみたいものです。

だいぶつ。

2006年5月28日日曜日

温泉みみず芸者

〔えいが〕

みみずさんって、とっても働き者なの。

1971年、東映京都。鈴木則文監督。池玲子、杉本美樹、小池朝雄、松井康子、名和宏主演。

東映「温泉芸者」シリーズ第4作

日本最初のポルノ女優・池玲子のデビュー作ということで、のっけから海女の装束を脱ぎ捨てた池さんがオールヌードで泳ぎまくるという、

池玲子イメージフィルム

なタイトルバックで映画は始まります。

池さん、このとき16歳(公開時は17歳)。

今なら誰か捕まるな、東映。

主人公が名器の持ち主である点や、クライマックスのセックス勝負は、第3作『温泉こんにゃく芸者』を踏襲した設定であるものの、そこは鈴木監督、前作に比べてバカ度120パーセント増で楽しませてくれます。
それに、『温泉こんにゃく芸者』がどこか突き抜けていない、というか、屈折した映画だったのに対して、こちらはあっけらかんとあくまでも明るく前向きで、観終わってすがすがしい気分になりましたわ。

名和さん演じる竿師段平は、この後の『温泉スッポン芸者』でも大活躍(?)しますが、山城新伍の大人のおもちゃ屋も、やはり『温泉スッポン芸者』における人体改造研究家のルーツと言えましょう。

池さんは、まだデビューしたてで初々しく、ムダ毛の処理もアバウトだったのか、わきの下が微妙に黒ずんでおりました。
それも、全く処理していないというのではなく、

あたしさあ、除毛クリーム使ってるんだけど、なかなかうまくいかないのよねえ。

的な状態で、ムダ毛研究家のせんきちとしては「目が釘付け」な展開でおました。

ラスト、母親役の松井康子が、

女はみんな神様さ。

と言いますが、たしかに、浜辺で小池朝雄を抱きしめる池さんには神々しさすら感じましたわ(褒めすぎ)。

これもやはりデビュー作の杉本美樹(最近、美樹ティっていうらしい)は、セーラー服姿で拳法、もとい、憲法第9条を読んでいる姿が可愛かったっす。

それから、シリーズ名物の著名人ゲストも大幅グレードアップ。
田中小実昌、清水正二郎(胡桃沢耕史)といったいつもの顔に加えて、団鬼六、辻村隆(石井輝男監督の「異常性愛路線」で緊縛指導を担当)、そして菅原文太までがノンクレジットでちらりと顔を見せておりました。

ちなみに、温泉場の主たる舞台は土肥でしたが、温泉街のシーンで出てくるのは修善寺。
若山牧水ゆかりの宿・牧水荘土肥館の女将が三原葉子というのには、びっくらこきましたけどね。

「みみず」といいながら中身は「たこ」満載なこの映画(その訳はもちろん岡田さんにあり)、昨年一部で話題となった『海魔陸を行く』と一緒に、

タコ映画2本立

で上映してほしいものです。

(於:シネマヴェーラ渋谷)

2006年5月24日水曜日

ヤッたら泣くな、泣くならヤルな

夢見る恋人たち。

再開したはいいものの、あんまりやる気が出なくて困っております。
とりあえず、最近DVDで鑑賞した映画の感想をサクッと。

一個女工的故事 (Fly with Love)』
1979年、台湾(中影・永昇)。張蜀生監督。陳秋霞、秦祥林主演。

そのタイトルから、あたしゃてっきり陳秋霞演じる貧しい女工さんと秦祥林演じるエリートの悲恋物語だとばかり思っていたら、なんのこたあない、ハッピーエンドでやんの。

しかも、陳秋霞だけじゃなくてそのお友達2人の恋の行方も描いた群像劇で、じっさいには

三個女工的故事

でおました。

秦祥林の励ましにより、政府から融資を得て造花の製造を始めた陳秋霞の事業の行方が?なままだったり、突っ込みどころはいくつかあれど、何より陳秋霞が可愛いし歌も堪能できるので、よしとしましょうな映画。

張純芳が同僚役でちらりと顔を見せています。

白屋之戀 (Love in A Cabin)』
1972年、台湾(中影)。白景瑞監督。 甄珍、鄧光榮主演。

こちらは前作以上に、というか、全編突っ込みどころ満載の愛情文芸映画。
白監督お得意の懲りすぎの映像による、主役2人がいちゃいちゃしてる場面が、これでもかこれでもかと続きます。

年下の恋人(鄧光榮)を子ども扱いしていた甄珍が、いたしちゃった後で涙を流しながら言う台詞が、

あたしたち、まだ結婚していないわ。

ですと。

やる前に言えよ。

で、その後、甄珍の住む掘っ立て小屋で2人きりの結婚式が繰り広げられるわけですが、今観ると失笑もののこんな場面も、おそらく当時は、

なんてロマンチックなの。

と、乙女たちの憧れを誘ったに違いなく・・・・。

ラストはお定まりの悲恋ながら、これもかなーり過激な展開。

いったいどうやったらあんなふうに事故れるんだ、鄧光榮?

ところで。

上記2本に登場する主人公(秦祥林、甄珍)は、子供の頃両親を失い、親戚(決まって金持ち)に引き取られて養育され、ゆくゆくはその親戚の実子と結婚して跡を継ぐように定め付けられている、という、自由恋愛(死語)もままならない身である点が共通しております。
そんな主人公が、苦難にもめげず愛を貫き通すという姿に、当時の若者は涙したのでしょうなあ。
現実世界においても、まだまだ親の決めた縁談が多かったのでしょうし。

ま、ロマンチック・ラブがすばらしいだなんて、幻想に過ぎないと思いますけどね、正直言って。

2006年5月22日月曜日

世辞で丸めて

〔ちょっとお耳に〕


ちょっとお休みしてました。
今日からぼちぼち再開します。

先月、三百人劇場で上映された『東京‐香港 蜜月旅行』(1955年)に、来日した厳俊&林黛を佐田啓二が歌舞伎見物に案内する件があります。
「国際劇場でSKDを観た後、木挽町で歌舞伎見物なんて、いかにも松竹らしいわ」と思ったものですが、ここでちらりと映る演目が長唄・清元掛合の「喜撰」で、喜撰法師を演じているのが七代目坂東三津五郎だということはすぐにわかりました。
が、この手のシーンの場合、たいていは舞台と客席は別撮りなので、それじゃあいったいいつ頃の公演の映像かしらんと思い、ちょっくら『歌舞伎座百年史 資料編』(1995年、松竹・歌舞伎座)を紐解いてみたところ、


(1955年)1月2日~30日 寿初春大歌舞伎
第1部
六歌仙容彩 「喜撰」清元連中 長唄囃子連中 
       清元梅吉(三代目・せんきち注)、杵屋栄蔵(三代目・せんきち注)出演
       喜撰法師 三津五郎(七代目・せんきち注)
       お梶 歌右衛門(六代目・せんきち注)

2月2日~22日 二月興行大歌舞伎
第1部
1月と同じ


とありまして、どうやらこのときのものが使われたようです。 
つまり、映画のクランクインは2月ですから、あらかじめこちらを先に撮っておいて、本編に当てはめたわけですね。

それにしても、すごい顔ぶれです。
歌右衛門もさることながら、踊りの名人(七代目三津五郎)の映像がほんの一瞬(チョボクレの「釈迦牟尼仏~お経文」の辺りまで)とはいえ拝めるとは。  

地方は連名が書かれていなかったので詳細がよくわからないのですが、この時代で栄蔵が立三味線だとすると立唄は七代目芳村伊十郎あたりか、あるいは芳村伊千十郎(後の五郎治)か、いずれにせよ、こちらも錚々たる顔ぶれといえましょう。

というわけで、七代目三津五郎&六代目歌右衛門の「喜撰」が観たい方にも必見の映画であります。
上映期間過ぎちゃったけど・・・・(遅かりし由良之助だわね)。

2006年5月17日水曜日

香ばしい女

〔しようもない日常〕


ただいま、かちかち山の狸状態にあるため、しばらく更新をお休みさせていただきます。
あしからず、ご了承下さい。

2006年5月15日月曜日

兩相好

〔えいが〕

ドッジボールは必須科目

1962(61)年、台湾(自立)。李行監督。穆紅、魏平澳、戽斗主演。

毎日何となく観ている『純情きらり』。
今週はヒロイン・桜子を苛める金持ちお嬢様が出現、

ピアニストを目指す貧乏人 VS 意地悪ご令嬢

という古のキョンキョンドラマ『何も少女に起こらない』、じゃなかった、『少女に何が起ったか』のような図式に。

こうなったら、宮﨑あおいには、

紙のピアノ



ショパンの『革命』



弾いてもらうしかないわね。

今なら、こんな秘密兵器もあることだし。

というわけで、本題に入ります。

東京大学出の西医(本省人)と中国大陸からやって来た中医(外省人)のお隣さん同志がまき起こす騒動をコミカルに描いた、台湾版『南北和』
台詞は北京語と台湾語のチャンポンです。
李行監督が中影で活躍するのは、この後のことになります。

電懋の「南北シリーズ」は、敵対する家同士の子弟が恋に落ちるというのが趣向の一つでしたが、こちらでも陳家(中医)の長男は黄家(西医)の長女と、次男は黄家の養女で黄家の長男の許婚とそれぞれ恋に落ち、一方、黄家の長男も陳兄弟の従妹とラブラブになるという、なんだかもうめちゃくちゃなことになっております。
ただ、電懋のような父親同士の意地の張り合いによる丁々発止のやり取りはなく、両家が対立することになるきっかけも、黄夫人が夫と陳夫人の仲を疑うという、いわゆる「省籍矛盾」とは全く関係のないレベルの話です。
それゆえ、本省人と外省人の間に横たわる深ーい溝も「なかったこと」になっており、陳家の当主がノー天気に


と言えば、黄家当主も


と答えるといったあんばい。
両家の子女の結婚にいったんは黄夫人が反対する、その理由も

外省人は、いつかは中国大陸に帰ってしまう人たちだから。

というものでした。

当時の政治状況を考えると、こうなるのも仕方がないかと思いつつ、しかし、李行監督はそれから20年以上経った『唐山過台灣』でも相変らず「咱們都是中國人」だったしなあとも思い、なんだか複雑な気分になりやした。

ま、内容はこんな具合でしたが、今は無くなってしまった台北の名所が出てくるのは、この映画の大きな魅力と言えましょう。
まずは圓山の兒童樂園と動物園(現・兒童育樂中心)。



そして、中華商場。







それから、3組のカップルがレビューを鑑賞する場面では、


こんな踊りが出てくるのですが、この映画の撮影当時、東宝歌舞団(NDT)が台北公演を行っていることから考えると、これって、ひょっとしたら東宝歌舞団なんでしょうかねえ。
ちなみに、音楽は後から別のものを被せたようで、

ゲイシャワルツ

が流れてました。

とほほ・・・・。

2006年5月14日日曜日

腋毛旋風、吹き荒れる

〔ちょっとお耳に〕

ワキ、あいあい

鬱陶しいお天気が続きますね。
昨日はシネマヴェーラ渋谷で『エロ将軍と二十一人の愛妾』を観てきました。
則文監督もお見えでした。
スクリーンで観るのは初めてだったのですが、いやあ、ほんとに・・・・。

帰りがけ、一緒に観に行った友人と香港ロジなる店に立ち寄り、料理などつまみながら話をしているうちに気分はもう居酒屋状態となって、最終的には料理は食わずに酒だけ飲んでました。

で、『エロ将軍~』のことに話を戻しますが、この時期になると既に腋毛の処理は当たり前になっていたらしく、皆さんきちんと剃り剃り(抜き抜き?)なさっていましたが、腕の産毛はそのままで、いったいいつから腕のムダ毛処理は始まったのだろう?という新たな謎に直面してしまいました。
ま、今でも腕に関してはナチュラル派(あるいは夏のみ派)の方がけっこういらっしゃいますので、そう古いことではないと思うのですけれど。

さて。

今日の本題も、毛に関する話題です。

1962年から63年にかけて、元新東宝の女優・前田通子が台湾へ招かれて映画に出演したという話は以前にも書きましたが(こちらこちら)、1963年2月11日付『聯合報』には前田通子が出演した2本目の作品『秋風秋雨割心腸』の撮影ルポが掲載されています。
それによると、この映画は高雄医学院に通う男女学生の悲恋物語で、ヒロインは前田通子、お相手は易原(『カミカゼ野郎 真昼の決斗』にも出てました)で、最後はヒロインが愛河に身を投げて命を絶つ、という結末のようです。

記事には、10日午前、件の投身自殺の場面を撮影しようとしたものの、現場である愛河に見物人が殺到、そのために撮影が遅れ、午後3時になってようやく撮り始めることができた、と書かれており、なかなかのフィーバー(死語)ぶりだったことが伺えるのですが、この前田通子を巡る騒ぎを『聯合報』では、なぜか

腋毛旋風

と形容していました。

なにゆえに「腋毛旋風」なる用語が生まれたのか、これより前の紙面にもその謂れを記された記事が見当たらないため、肝心の由来が不明なままのですが、文章から読み取るとセクシーとか肉感的とかいうことを表すために腋毛を持ってきたことは間違いないようです。
ということは、当時の台湾では「女性の腋毛=セクシー」と看做されていた、ということになるのでしょうか。

かの地の腋毛事情に詳しい方、ご教示お待ちしております(ムダ毛研究家かよ)。

2006年5月12日金曜日

そっとしておいて下さい

〔ちょっとお耳に〕

私たち、この映画で出会いました。

今日は前田通子の腋毛話を書こうと思っていたのですが、茶通さんの「香港電影迷宮+blog」で「凌波&金漢 結婚40年」の話題が取り上げられていたので、こちらでもちょっくらそのことを。

2人が結婚式を挙げたのは1966年の6月18日。
新婚旅行は凌波が絶大な人気を誇っていた台湾・台北を訪れた後、日本に滞在するというもので、1966年6月20日付『読売新聞』(夕刊)に2人の来日に関する記事が見えます。


香港のスター凌波が結婚、日本に来る
昨年(一昨年の誤り・せんきち注)のアジア映画祭で最優秀女優賞を得た香港のショー・ブラザーズの映画スター、凌波(リンポウ)さん(二八)が十八日、香港で同じ映画スターの金漢(チンハン)さん(二八)と結婚式をあげた。新婚旅行は、台北から東京というコースで、東京は二十日。「七日から十日間ぐらい日本で過ごしたい。私たちだけの時間をたのしみたいので、騒いでほしくありません」と新郎は語っている。


日本で1本も映画が公開されたことのない2人の結婚に関する記事が掲載されるのも興味深いですが、「騒いでほしくありません」という金漢のコメントもこれまた面白いです。
台北のようなことには、絶対になるはずがないと思うんですけどね。
この記事からは東京でずっと過ごしたのか、あるいは箱根あたりにまで足を伸ばしたのか、定かではありませんが、きっと2人だけの時間をエンジョイしたのでありましょう。

何はともあれ、40周年、おめでとうございます。

2006年5月11日木曜日

お兄さん、色男ね!

〔ちょっとお耳に〕

男の宝って、何?

初夏の候、皆様におかれましてはお変わりなくお過ごしのことと存じます。
さて、本日は、モテたくてもモテない貴方のために、中国から届いたすてきな男性化粧品をご紹介いたしましょう。

若返りたい貴方には、こんなローションがおすすめ。


山東省にある「嘉祥县东方日用化妆品厂」が製造したこちらの製品はビタミンEの他、多くの栄養素を配合、皮膚細胞の活力を強化して新陳代謝を促し、皮膚の老化を呼ぼう、もとい、予防、青春の魅力が甦ります。
日本の高砂香料工業の系列である、こちらの会社の香料が配合されています。

ついでに歌もうまくなっちゃったりして。うふっ。


さて、大人の男を目指す貴方には、これなんかどうでしょう。


上海市にある「天禾日化厂」が製造した金天禾。
こちらの製品も新陳代謝を促して皮膚の健康を維持、ひとたび使えばあっという間に劇団ひとり、じゃなかった、周潤發そっくりの色男に大変身!

ただ、残念ながら製造元の天禾日化厂は、ぶっつぶれちまった模様です。


色男になるためならリスクは顧みないという貴方、今すぐお試しを。

2006年5月10日水曜日

すべての道は

〔ちょっとお耳に〕

台湾ニューシネマを代表する名作の1つである『少年(小畢的故事)』(1983年)。
この映画の中で少年時代の主人公・小畢を演じたのが、鈕承澤。
ところが、小畢が青年に成長すると、これが庹宗華に変身しちゃいます。
つまり、

この顔が、


こんな顔に「成長」。


その6年後。
王童監督の『バナナ・パラダイス(香蕉天堂)』でやはり主人公を演じた鈕承澤でしたが、今度はなんと李昆に変身するという離れ業(?)をやってのけました。

このメガネさんが、


こんなメガネさんに「老成」。

こんな鈕承澤の変身振りを見ていてふと思い出したのが、子供の頃に習った数学の

A=B B=C ゆえにA=B=C

なる定理。

これを上記の変身データに当て嵌めてみると、

庹宗華=鈕承澤 鈕承澤=李昆 ゆえに 

庹宗華=鈕承澤=李昆

ということになります。 

2人とも、行き着く先は李昆なのね・・・・。

そこで本日の格言。

すべての道は李昆に通ず(おいおい)。

2006年5月8日月曜日

続 たのしい日本語教室

〔ちょっとお耳に〕

モノづくり日本神話、崩壊!

好評に付き(?)、続編です。
昨日よりも量を多めにしてみました。

舌を噛みそうです。


目玉親父の診察風景。


ミソブ―で發、サヲサヲ!


鹿児島の方らしいです。


「オメラ」はあと1字間違っていたら、
大変な事態に・・・・。


というわけで、超手抜き企画に
おつきあい下さいまして、
でぅもめりがとうどさいました。

2006年5月7日日曜日

たのしい日本語教室

〔ちょっとお耳に〕

まんづ、たまげた!

いろいろネタはあるんですけど、なんだかつかれたのでこんな脱力ものを。

1994年に西北大学出版社から刊行された『说日语』なる日本語テキストから。
たしかこの本でも取り上げられていたと思いますが、悲しい時に読むとサイコーにハッピーな気分になれる、すてきな教本です。

お父さんは土手にいるようです。

上から中国語、日本語、中国語の振り仮名の順ですが、日本語表記がどんなにおかしくても、中国語の振り仮名はけっこう正確に振られるところがミソで、つまりは、

言文不一致

の日本語テキストという次第。

せんきちがこれを購入したのは1999年、北京にねいてごしたが(いけねえ、うつっちまった!)、役に立ったんですかねえ、こんなテキストでも。

と言いつつ、たぶんまた取り上げると思います。

2006年5月5日金曜日

'60年代東京グラフィティ in SHIBUYA に行ってみた

〔しようもない日常〕

こんなのも買いました。

新聞の折り込み広告が2回も入ってきたのでちょっと気になっていた、「'60年代東京グラフィティ in SHIBUYA」に行ってみました。

せんきちは1960年代後半の生まれなので、もちろんリアルタイムでこの時代を体験したわけでもなく、主たる目的は古本を見に行くことと、実演販売のお惣菜を買うこと。

ああ、ノンポリ。

会場内はあの時代に青春を過ごしたおじさま・おばさま方でけっこう賑っていましたが、展示即売品、特に映画関連品は洋物中心だったため、せんきちが購入したのはほんのちょっぴり。
ま、無駄遣いを控えたこともあるんですけど。

『秦・始皇帝』のパンフレット。
おなつかしや、有楽座。


お富士さんの隣りに唐寶雲が。

この他、もうすぐ誕生日が来る母(ひばり迷)へのプレゼントに『美空ひばり・森進一の 花と涙と炎』のプレスシート、それからこれは自分用に『セックスドキュメント モーテルの女王』のスチールも買いました。
どこが60年代なんだか、ようわからんが。

お惣菜の実演販売会場は東急本店ではなく、渋谷駅上の東横店にて。


「銀座キャンドル」のチキンバスケットに行列ができていましたが、他はぼちぼちといったところ。

が。

正午を回って、「ザ・ハンバーガーイン」が猛烈とダッシュ!

なんだか京王デパートの駅弁大会みたいになってきたので、せんきちは「餃子老店 泰興楼」のジャンボ餃子を買っただけでその場を後にしました。

そして、夜。

買ってきたジャンボ餃子を焼いて食べましたが、うん、なかなかおいしかったです。

東急本店の展示即売は9日、東横店の実演販売は10日までやっていますので、興味のある方はぜひ足をお運びになってみてはいかがでしょうか。

せんきちも、来週もう一遍行ってみようと思っています。

2006年5月3日水曜日

鬼屋麗人 (The Enchanting Ghost)

〔えいが〕

楊麗花が若いね。

1970年、香港(邵氏)。周旭江監督。張美瑤、楊麗花主演。

今日も本題に入る前に、おまけの話から。

葉偉信監督の『生化壽屍』が、『香港ゾンビ』なる邦題でDVD化されるそうっすね。
これ、たまたま香港へ行ったときに公開されていたので観たことがあるんですけど、李璨琛(李燦森)の好きな女優がたしか、

藤原紀香

という設定だったのには、笑った記憶が。
それと、終盤、「なんだか『吸血鬼ゴケミドロ』みたいやなあ」と思いながら観ていた記憶があります。

金子信雄の血まで吸っちゃう高英男。

せんきち個人の好みとしては、これよりも『廻轉壽屍』の方が好きなんですけど、これは日本版DVD出ないんですかねえ。
羅蘭演じるおばあちゃん(秋生の母役)が出てくる第3話、せんきちは号泣しました。
ま、ホラー観て泣くっていうのもどうかと思いますけどね。

というわけで、本題に入ります。

寳島玉女・張美瑤と歌仔戯の大スター・楊麗花の共演という、せんきち的にはおいしすぎる組み合わせによる、『聊斎志異』(書痴)を下敷きにした古装ホラー
あらすじは、下記の通り。

両親を失い、叔父に財産を奪われた郎玉柱(楊麗花)は屋敷を追い出され、仕方なく幽霊が住むという噂のある孝廉府に移り住みます。
そこで玉柱は、美しい娘・顔如玉(張美瑤)に出会います。
如玉は旅の途上、母が深手を負い、止む無くここに荷を解いていたのでした。
如玉の看病の甲斐もなく母はなくなりますが、天涯孤独の身となった如玉はそのまま孝廉府に居続けることになり、互いに惹かれあった2人は夫婦の契りを交わします。
玉柱が女性と住み始めたことを知った叔父は、後ろ盾である史良金(雷鳴)と共に如玉と会いますが、如玉の美しさに目をつけた良金は、彼女を騙して拉致監禁してしまいます。
如玉を無理やり犯した良金は、自分の妻妾に命じて彼女に毒を盛るのでした。
その頃、如玉がいなくなったことに気づいた玉柱は、懸命に彼女の行方を捜していましたが、毒の作用によって容貌が変わってしまった如玉は、池に身を投げて死んでしまいます。
そして、怨霊と化した如玉の復讐が始まるのでした・・・・。

本作は、邵氏が台湾で撮った作品ですが、どういうわけか、張美瑤のフィルモグラフィからは抜け落ちています。


おデブの葛小寶も出ています。


ストーリー的にはどうということもないし、終わり方もあまりにもあっけなくて余韻も何もない映画なのですが、何より、張美瑤の化けっぷりが見もの。


いつもの張美瑤が、

毒を盛られて


お岩さんに変貌しちゃいます。

死して後は、

人間到るところ張美瑤

な状態となって、


こんな姿や、



こんな姿、



そしてこんな姿になって化けて出ます。

『悪魔の生首(心魔)』の池さんもそうだったけど、この映画の張美瑤もなんか楽しそうに化けてましたねえ。


ちなみに、こちらはまだこの世にいるときの映像。
幽霊に化けて驚かす件での張美瑤。
これもなんだか怖いわ。


その内容はともかくとして、張美瑤に

座布団3枚!

な映画でおました。