2008年12月31日水曜日

台北で観た映画など

〔えいが〕〔たび〕〔ちょっとお耳に〕

『一八九五』予告編。

どうも。
トド@頭痛いです。

さて、2009年を迎える前に、積み残しのネタを総括。

既に1か月以上が経過しますたが、11月22日(土)に授賞式が行われた「第10回 TBS DigiCon6 Awards from Marunouchi」において、香港電台とPostgal Workshopが製作したアニメ『鏗鏘集之隱蔽老人(Hidden Elders)』が最優秀賞を受賞しました。
DigiCon6の公式サイトでも英文字幕版が閲覧可能ですが、中文字幕がいい、という方は、香港電台の公式サイトからご覧下さい。
ちなみに、せんきちは、惜しくも受賞は逃しましたものの、この参加作品もけっこう気に入りますたです。

で。

台北で観た映画の話もまだ終わっていなかったので、メモ程度の感想でも。

・『渺渺(Miao Miao)』
程孝澤監督。柯佳嬿、張榕容、吳慷仁、范植偉、他。

ホテル(京都商務旅館)の近くの映画館(欣欣)では既に朝の上映がなかったため、徒歩10分の學者(いつもお世話になってます)で鑑賞。
さわやかガーリームービー。
甘酸っぱい清涼飲料水のような、観終わって少し切ない気分になる映画ですたが、せんきちにはそのさっぱり加減がちいとばかし物足りなかったかも。
この日観た3本の内、本作以外の2本(『一八九五』『海角七號』)は日本語が出てくることを知っていますたが、全くの予備知識なしに観たこの映画でもいきなり日本語が出てきてびっくり。
渺渺のお祖母ちゃん(日本語世代)が、認知症患った後も統治時代の初恋の思い出をずっと忘れずにいる、というか、それのみが彼女の生きるよすがになっている、というのが、映画の本筋よりもなんだか胸に沁みましたねえ。
そして、「認知症のお祖母ちゃん」というキャラに、当然のことながら、せんきちは家に残してきた婆さん(この頃はまだ存命)を思い出してしまったのでありますた。
婆さんの初恋って、どんなもんだったんだろか。

・『一八九五(1895)』
洪智育監督。温昇豪、楊謹華、他。

1895年、日本による台湾領有のさい、日本軍に抵抗した呉湯興率いる客家の男たち(途中から福佬人と原住民も合流)とそれを支える女たちの姿を、軍医として渡台していた森歐外の視点も交えつつ描いた映画(欣欣にて鑑賞)。
日本では『海角七號』ほど話題になっていないものの、台湾では「『海角七號』の次はこれだ!」といった感じで、大変な話題になっていました(現在も上映中)。

不肖せんきち、11月23日(日)の午前中に『渺渺』を観た後、阿妹のファンミに出席、それが終了してからこの映画と『海角七號』を観たのですが、ファンミの折に「『一八九五』を観に行く」と話したところ、現地の妹迷の皆さんから「呉湯興の末裔も阿妹のファンなんだよ」だの、「あれはいい映画だよ」だのと、いろいろご教示を賜りますた。

登場人物が登場人物だけに北京語の台詞は皆無、客家語、福佬(台湾)語、日本語の台詞のみという、ある意味画期的な映画で、自分たちの土地を守るために立ち上がる客家の男たちも去ることながら、呉の妻である黄賢妹をはじめとする客家の女たちの芯の強さが、深く印象に残りますた。


今日まで尾を引き続けている台湾の帰属権の問題は、全てこのときから始まったのだなあ、と改めて深ーく認識。

2009年には日本のどこかの映画祭で上映されるに違いないであろう作品ではありますが、できれば、一般公開してほしいものです。

どっか買ってよ。

・『海角七號(Cape No.7)』
魏德聖監督。范逸臣、中孝介、梁文音、田中千絵、林曉培、他。

言わずもがなの1作(學者にて鑑賞)。
9月の幕張で見損ね、ようやく観ることができました。

噂によれば、日本での買い手もついたとかつかないとかいう話ですけれど、寄せ集めの箸にも棒にもかからない集団が一致団結して一つのものを作り上げていく過程は『フラガール』に通じるものがありますし、日本統治時代の悲恋は『初恋のきた道(我的父親母親)』に袖を絞ったおじさまおばさま方にも十分アピール可能ですので、日本では中高年層をターゲットにすると意外にいい線行くのではないかと思いますですよ。
宣伝は、きみまろさんにお願いしましょう。

田中千絵の演技は正直言ってかなーりきつい部分があるものの(特に後半の林曉培とのやりとり)、よく頑張っていました。

欣欣の当日券(左奥)は、お菓子付ですた。

・『雨が舞う~金瓜石残照~(雨絲飛舞~金瓜石殘照~)』
林雅行監督。語り:黄毓亭。

これは台北で観た作品ではありませんが、2007年に製作されたドキュメンタリー映画『風を聴く~台湾・九份物語~(傾聽風聲 ~台灣・九份故事~ )』に続く新作の完成試写会(12月13日〔土〕、亀戸カメリアホール)に潜入してきたので、ちょっこしご報告。

台湾人経営の金鉱であった九份に対し、日本人経営の金鉱だった金瓜石の当時と今を追ったドキュメンタリー

日本人職員が本土の貧しい日本人には想像もつかないような超文明的生活を送っていたのに対して、台湾人職員は冷遇されていたという植民地の縮図のような構造がそこにはあったことや、戦時中にはイギリス人捕虜までもが掘削に動員されていたこと、中国大陸からの出稼ぎ鉱夫との関係を疑われた(大陸の政府と通じているのではないか)台湾人が不当に逮捕され、収監されていた台北の刑務所で米軍の空襲に遭って亡くなったこと等、隠れていた史実を掘り起こした点は大いに評価できますが、できれば、イギリス人捕虜にも取材してほしかったなあ、と、これは欲張りすぎですかねえ。

2009年4月から東京や大阪他、各地の映画館で上映予定だそうですので、ぜひ一度ご覧になることをお勧めしますです。

というわけで、せんきちは婆さんの喪に服しつつ新年を迎えますが、皆様も、どうぞよいお年を。

2007年12月の『色.戒』以来、
ほぼ1年ぶりに訪れた學者戯院。
女子トイレが(前回よりもはるかに)
きれいにお掃除されていると思ったら、
こんなお墨付きが。
これからも清潔を心がけてね。

2008年12月29日月曜日

台湾再発見

〔ちょっとお耳に〕〔テレビ〕

先月の渡台のさい遭遇した、
深夜のドッグショー。

どうも。
トド@引き続き睡眠障害です。

さて、今日はテレビ番組の告知を。

明日(30日)の午後3時30分から、せんきちのお友達がコーディネイトを担当した旅番組が放映されます。

「台湾再発見」

12月30日(火)午後3時30分~4時55分まで、テレビ東京系列全国ネットにて。
レポーター:斎藤とも子、新井晴み
(以下は、番組公式サイトからの引用)


昨年開通した台湾新幹線は、今まであまり知られていない台湾の魅力を体験することを可能にした。(略)
旅の行程は台北から新幹線で一気に南の高雄へ。名物の海産物に舌鼓を打つ。さらに南下して、墾丁の海でリゾート気分を味わい、夜市では熱帯のフルーツを満喫する。
また内陸にも足をのばし、台湾の山里で茶畑の農家の人や遊びに来ていた台湾の人に出会い台湾のお茶や家庭料理を堪能する。
首都台北に戻り、台湾文化を体験、故宮博物院、陶芸や木彫りの町なども紹介。



これまでの旅番組であまり紹介されることのなかった南部地方や山間部へも足を延ばす、なかなか意欲的な内容の番組のようです(飛輪海や田中千絵も出るらしいっす)。

ぜひご覧下さい。

2008年12月27日土曜日

続 香港の純情歌手

〔ちょっとお耳に〕

これが表紙。

どうも。
トド@睡眠障害です。
年末のワイドショー、どこの局も飯島愛一色になっていますが、せんきち的には、

藤田憲子が改名宣言「憲子」から「紀子」に

が、この暮れの超特大B級芸能ニュースです。

ついでに姓も花田に戻してみたらどうでしょう?

さて。

南国ネタに行く前に、まだまだ寄り道。

2006年、こちらのブログで「香港の純情歌手」というタイトルの記事を書きますたが、その中で取り上げた沈夢さんの詳しいプロフィールが先日入手した古雑誌(『週刊朝日』1962年8月24日号)に掲載されていましたので、今回改めて執筆することにいたしました。

で。

件の古雑誌のモノクログラビア「沈夢小姐 香港から飛んで来たウグイス」には、彼女の略歴が、こんな風に記されています。




・・・・広東語、北京語、英語の達者な彼女は、上海生まれの香港育ち。五年前イートン・イングリッシュ・スクールを卒業、作曲家梁楽音氏に歌の指導をうけ、ナイトクラブ「月宮」などに出演して売れっ子になり、ミュージカル映画「臥薪嘗胆」や、尤敏といっしょに映画「零雁」に出演、香港のテレビやラジオでは、すでにおなじみのスターである。約三ヵ月間の日本滞在中、松竹映画「学生芸者」出演もきまり、ビクターからレコードも売出すそうだ。(略)


なるほど、梁樂音のお弟子さんなのですね、ふむふむ。
そこで、香港で出演したという2本の映画(いずれも1956年。『臥薪嘗膽』は広東語版ではなく、北京語版〔馬徐維邦監督〕の方)を『香港影片大全 第4巻』(2003年、香港電影資料館)で調べてみますたが、彼女の名前はなく、どうやら端役での出演だった模様。
しかし、松竹の『学生芸者 恋と喧嘩』には、たしかに本人役でゲスト出演していました。
ただし、日本でレコードを出していたか否かに関しては、目下調査中であります。

ところで、この沈夢小姐が何故に日本へ呼ばれることになったのか、その経緯も同じ雑誌の「日本のタレントに輸出ブーム? 興行師は「呼び屋」から「送り屋」へ」に詳しい記述があります。


少し長くなりますが、引用してみましょう。


・・・・ところで、このビクター芸能(ビクター芸能株式会社・せんきち注)であるが、この会社は、日本のショー・ビジネスの海外市場開拓について、ちょっと面白い構想を持っている。一口でいうと、日本人にこだわらず、広く東南アジアの隠れたタレントを発掘、それを国際スターに仕立てた上で、海外のルートに乗せようというのである。
最近、ラスベガスを起点に、サンフランシスコ、ホノルル、東京、大阪を経て、那覇、香港、マニラ、シンガポール、シドニー、メルボルンに至るという一大ルートが、国際ショー・ビジネスの世界に結ばれつつあるので、このルートにドンピシャリ通用するタレントを育成しようというわけだが、日本の芸能界にはめずらしく規模雄大なところが、なにより取柄というべきだろう。
もっとも、この"國際ルート"で通用させるのには、タレントにいくつかの条件が要求される。第一に、英語がたんのうであること。第二に、アメリカのポピュラー曲が歌えるということ。そして、女性の場合とくに、美人でグラマーで東洋的なエキゾチシズムにあふれていなければならない。だが、そんななにもかもそろったタレントなど、せまい東京の空の下に、そうたくさんいるものじゃない。
そこで目をつけたのが、香港のナイト・クラブで歌っていた無名のジャズ歌手、沈夢小姐だ。
七月末、来日したばかりだが、二十歳のはち切れそうな肢体に、中国女性特有の妖しさをただよわせているせいか、たちまちジャーナリズムから騒がれ出した。日本でのスケジュールは十月中旬までマンパイとかで、"ジャズ界のユーミン"になりかねまじきいきおいである。
「東京で、人気スターになればしめたもの。彼女をシンに、日本の歌手やダンサー、足芸や奇術を加えて"ファーイースト・ショー"を編成して、ラスベガスだろうが、メルボルンだろうが、打って出るよ」
と佐藤邦夫ビクター芸能企画課長(付記参照)は、えらい鼻息で吹きまくっている。(略)



結局、沈夢小姐がその後本当にラスベガスへ行ったのかどうかはわからないままですが、映画界だけでなく、歌謡界も45年も前からアジアを股にかけた交流が行われていたのでありますた。

(付記)佐藤邦夫氏はその後フリーとなってからは韓国のエンターテインメントを日本で紹介することに尽力、「韓流の父」とされている人物です(詳しい略歴はこちらをお読み下さい。また、下記のような本もあります)。


ちなみに、「日本のタレントに輸出ブーム?~」は音楽評論家・安倍寧氏の署名記事です。

2008年12月24日水曜日

さよならコマ東宝

〔しようもない日常〕〔えいが〕


どうも。
トド@じんましん治りませんです。

さて。

せんきちが傷心旅行していた南の国とは、前回記事の写真でもおわかりの通り、シンガポールでやんしたが、アバウトな国民を規則でがんじがらめにしているあの国で、こんな事件がおきたようです。

シンガポールで世界最大の観覧車が6時間停止

不肖せんきち、シンガポールに着いた晩、さっそく例の観覧車に乗りますたが(叔母とその友人の観光旅行に、ボランティアガイド兼インチキ通訳として同行しておりますた)、6時間停止はきついっすねえ、ハッキリ言って。

トイレはどうするんですか?

窓からやっちゃうよ、我慢できなくて。

ま、しかし、そんなニュースも、夕刻飛び込んできた「飯島愛死去」の一報で全てが吹き飛んでしまった模様です。

で。

南国ネタへ行く前に、国内ネタを。

昨日、盟友・リネンさんと今月いっぱいで閉館する新宿コマ東宝で、『椿三十郎』を観てきますた。



映画館が入っている建物のメインの劇場であるコマ劇場には、幼少の頃、母親に連れられて何度も美空ひばり公演を観に来たことがあり、 地下のシアターアプルも、杮落し公演(アメリカンダンスマシーン〔The American Dance Machine〕のミュージカル『ジャック(JACK)』)に足を運んだことがあったりと、思い出満載なのですが、コマ東宝に足を踏み入れるのは実はこの日が初めてでありますた。


せんきちたちが鑑賞したのは午後4時からの回でしたが、休日ということもあり、館内は名残を惜しむ映画ファンの皆さんで結構な入りですた(年齢層高め)。
ここのキャパは586席という、昔ながらのいわゆる「映画館らしい映画館」で、無くなるのは淋しい限りですが、これも時代の流れゆえ致し方のないことなのでしょう。


映画が終わった後、写真のようなお別れ画面が出て、上映は終了。

思い返せば、有楽座、日比谷映画劇場、丸の内ピカデリー、スカラ座、みゆき座(以上、いずれも昔のそれ)、日劇文化、松竹セントラル、渋谷パンテオン、渋谷東急(これも昔のそれ)・・・・等々、せんきちが子供の頃に慣れ親しんだ映画館は、そのほとんどが姿を消してしまいますた(一番慣れ親しんでいたのは、うちの近所にあった東映の封切館と武蔵野館なんだけど)。
今じゃ「汚い」だの「ボロい」だのと悪評ふんぷんの有楽町スバル座も、せんきちにとっては子供の頃の思い出が残る数少ない映画館なので、できればこのままオンボロ道を突き進んでほしいものです。

でも、それじゃ客が来なくなっちゃうわね。

2008年12月22日月曜日

近日カムバック予定

〔しようもない日常〕


どうも。
トド@日光じんましんに罹りますた。

お休みを頂いていた間、南の国に傷心旅行していますた。

近々、復帰いたします。

2008年12月2日火曜日

しばらくお休みします

〔しようもない日常〕

どうも。
トド@虚脱状態です。

さて。

婆さんが今日の昼、眠るように息を引き取りました。
というわけで、いろいろばたばたしております関係上、しばらくお休みいたします。

ではまた。