2009年7月31日金曜日

再び『よろめき迷探偵(東京尋妻記)』のこと

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕

日本映画ではありません。

どうも。
トド@ばね指さらに悪化です。

さて、先日の記事で取り上げた『よろめき迷探偵(東京尋妻記)』。
日本公開の時期について、何かヒントになることはないかと思い、『映画秘宝』の2007年7月号を引っ張り出して再読したところ、「戦後インディペンデントフィルムとエロダクション黄金時代(日本エロ映画年表2)」の1961年の項に、


国映、台湾との合作映画『世界桃色全集』でドラマ演出にも挑戦。


なる記述があり、「矢元照雄、初期国映作品を語る2」でも、矢元照雄氏が、


…これ(『世界桃色全集』・せんきち注)は台湾との合作映画。日本から俳優の八名信夫なんか連れて行ったんだ。女優も何人かと監督やスタッフもね。それで台湾に1カ月位行って撮った。もちろん僕も行ってた。ショーとドラマと両方って感じの映画だね。ところが向こうの女優が下手で話しにならない。こっちに持ってきたら、こんな下手な芝居が入っていたら商売になんないよってことでオクラになったんだよ。契約書には撮影するって書いてあったんだけど、こっちでは中止。台湾でだけ上映しているはずだね。


と語っておられ、そこから考えると、オクラ入りした『世界桃色全集』(なんちゅータイトル)の代わりに急遽調達されたのが『よろめき迷探偵(東京尋妻記)』だったのではないか、つまり、1961年に日本で公開されたのではないか、という推測にたどり着きました(かなり無理がありますけど)。

ちなみに、『世界桃色全集』が台湾で公開されたかどうかもちょっこし調べてみましたが、それらしい映画を見出すことはできませんでした…っていうか、このタイトルと内容では検閲で引っかかるのではないかと思います、当時の台湾では。
おそらく、台湾語映画陣営との合作で、公開されたとすれば台湾語映画としてだったと考えられますが、1961年頃の『聯合報」はだいたいチェックしているものの、この映画の記事は…見たことないなあ。
ま、そのうちまた調べてみます。

2009年7月27日月曜日

最近DVDで観た映画

〔えいが〕〔しようもない日常〕

虎のぬいぐるみと死闘!

どうも。
トド@眠いです。

すでにいろいろな方がお書きになっていらっしゃいますけれど、いやあ、びっくらこきますた、ヤスミン・アハマド(Yasmin Ahmad)監督の訃報
石川県で撮影する予定だった次回作(『ワスレナグサ』)は、永遠に幻の映画になってしまうのでせうか。

さて。

最近の休日、せんきちは横着しておうちでゴロゴロしていることが多いので、その間に観たDVDのメモ。

『乾坤三決鬥(A Valiant Villain)』
1968年、台湾(中影)。陳洪民監督。田野、左艶蓉、葛香亭、魏蘇、他。

ならず者の周處(田野)が心優しい女性・十娘(左艶蓉)とその父(葛香亭)に出会って改心、村人たちを悩ませていた虎と孽蛟(下の写真を見てね。日本の皆さんの苦労の結晶です)を退治して過去の悪行を詫び、将軍に仕えてお国のために戦う、というお話。
八木正夫、三上睦男、黒石恒生が特技を担当しています(クレジットなし)。

これが孽蛟だ!

このお話の原拠は京劇でもおなじみの『除三害』だそうですが、粗暴だが心根は優しい男という田野演じる周處のキャラクターは、『冬暖』の彼の役柄と若干被っている気がいたしました。
ストーリー的には「ちょっといい話」のはずなんですけれど、オチが「改心して軍に入隊、お国のためにご奉公」という辺りが、いかにも中影的であります。
ラスト、出陣する田野のバックになぜか「ツァラトゥストラはかく語りき(Also sprach Zarathustra)」が大音量で流れます。
さては『2001年宇宙の旅』のパクリか?とも思いましたが、何か深ーい意図でもあったのかしらん?

『輕煙(Love Is Smoke)』
1972年、香港(文藝)。宋存壽監督。柯俊雄、胡燕妮、李湘、秦祥林、他。

えー、わかりやすく言うと、ボーイフレンド(秦祥林)の叔父さん(柯俊雄)と不倫の恋に落ちてしまう若い女性(胡燕妮)のお話。
ま、叔父さん、といっても、秦祥林の父親(出てこないけど)よりも10歳年下という設定なので、40そこそこのおっさんと20代の娘っ子との恋ってとこでしょう。

冒頭、とあるレストランに入ったヒロイン・馬珊(胡燕妮)が、店内でかつて不倫関係にあった裘謹(柯俊雄)を目撃、彼との出会いと別れを回想する、という筋立てで、このような場合、通常は冒頭の場面に戻って終わるはずなのですが、この映画ではなぜか戻らずに傷心の馬珊が中環の埠頭を1人歩く場面で終わります。

互いにためらいながらもずるずると深みにはまっていくのが不倫物のお約束ですけれど、馬珊の気持ちを知った裘謹がいきなりスケベ親父モードに突入、「オレのバズーガ暴発寸前(お下劣)」状態で馬珊に迫るのはいただけません。

「それ、どこで買ったの?」と思わず聞きたくなる李湘のド派手なストライプのジャケットや、緑色のタートルネックのセーターに同じく緑色のタイツ(スカートはグレーのミニ)をまとった「歩くクレヨン」状態の胡燕妮等、女優陣のありえねーファッションが見ものです。
また、裘謹の昔の恋人である台湾在住のやり手の女社長がなぜかおっぱい怪獣で、裘謹とハダカの商談を試みるという、余計なお世話のサービスカットもありました。

ちなみに、柯さんとテレママ、実際には同い年です。

追記:映画のタイトルは、コトが終わった後に柯さんが吸う煙草の煙に(寝タバコは危険です!よい子のみんなはマネしないでね!)、テレママが自分たちの恋を重ね合わせる(煙のように儚いってことね)ことから来ています。

『八番坑口的新娘(The Bride In The Fading GoLaser Goldmine)』
1985年、台湾(高仕)。金鰲勳監督。許不了、張艾嘉、他。

台北から九份に赴任した(というよりは、飛ばされた)お人好しの警官・江萬水(許不了)と、夫を鉱山事故で失った後精神に異常をきたしてしまった子持ちの女・阿鳳(張艾嘉)の不思議な縁を描いた作品。
「吳念真九份電影系列」(勝手に命名)の1本。

今ではすっかり観光地と化した九份ですが、この映画では「時代に取り残された、閉鎖的で陋習に充ちた町」として描かれており、かなりネガティヴな印象を受けます。

おなじみの石段。


昇平戯院。

町の人から蔑まれるのみならず、若い男たちの慰み者になって父親のわからない子供を身ごもる阿鳳(鳳と瘋が掛かっています)を張艾嘉が熱演していますが、彼女の都会的な持ち味とははっきり言って合っていません(たぶん、本人のたっての希望で演じた役だとは思いますが)。

しかし、精神障害者の親を持つ子供というのは、『Orzボーイズ!(囧男孩)』でもそうでしたけれど、基本的に行政は関与しないのでしょうか、台湾では。

何ともほろ苦いラストには、同じ吳念真&張艾嘉の『台上台下』と共通するものがありました。

2009年7月24日金曜日

なぜか何湄 お答え編

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕


どうも。
トド@ばね指悪化です。

えー、約4年前(ムダに生きてるな、オレ)、拙ブログにて「なぜか何湄」なるタイトルの丘ナオミ=香港女優・何湄に関する考察を執筆いたしましたが(出演映画の感想文は、こちらこちら)、『映画秘宝』2009年8月号に掲載された丘さんへのインタビューの中で、香港へ渡ったいきさつや何湄という芸名の由来についてご本人が語っておられますので、こちらでもちょっこし取り上げてみたいと思います(一応9月号が出たので、勝手に情報解禁。そういや、8月号に載ってたトー先生の写真、どうみてもヤムヤムなんだけど)。
以下、丘さんのインタビューから核心部分の引用。


…香港映画に出たのは、私が最初なんですよ。ブルース・リーで有名な香港のゴールデンハーベストから女優さんを探しに来たんです。当時は、むこうの女優さんはまったく脱がなかったから。香港の芸名は何湄(ホウメイ)、ブロマイドも作ってくれました(笑)。私が行った後に、池玲子さんなんかも行ったみたいですね。名前の"ホウ"というのは、ゴールデンハーベストの副社長の名前、メイというのは美しいという意味らしくて。


1、まず、「香港映画に出たのは、私が最初なんですよ」というご発言ですが、これはどうも契約は一番最初だったけれど、撮影や公開スケジュールの都合のせいで池さんよりも後になってしまった、というのが実態のようです。
ただ、1974年11月に香港で公開された『女番長ゲリラ』には丘さんも出演しているので(デビュー作です)、そう考えると池さんと同時に香港上陸を果たした、と言えるかもしれません。
んー、でもわざわざ日本まで1本釣りに来たのか、嘉禾。

2、「ブロマイドも作ってくれました」
池さんは「特製カレンダー」でしたが、丘さんは「ブロマイド」ですか。
負けたよ、嘉禾。

3、芸名の由来
なるほど、何湄なる芸名は丘ナオミ(奈保美)の強引な語呂合わせではなく、

何冠昌

の何から何を取ったのですか。
嘉禾側の力の入れようがわかるようなエピソードですけれど、ただし、湄は女偏だとたしかに「美しい」という意味ですが、水偏(さんずい)では「みぎわ」ですとか「ほとり」といった意味になります。
ま、当時(少し前か)は李湄なんていう大スターもおりましたし、あるいはそちらにあやかったのかなあなんて気もいたします。

というわけで、長いこと胸につかえていた疑問が一つ解決いたしましたが、何ゆえに丘さんだけが中国名で映画出演したのかに関しては未解決のままであります。
もしかして、監督が韓国人だったから…だったりして。

(思わせぶりに終了)

2009年7月20日月曜日

『よろめき迷探偵(東京尋妻記)』のこと

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕

「よろめき」のルーツ

どうも。
トド@昼間のビールはおいしいねです。

えー、先週の土曜日(18日)、こちらでも上映会の告知をいたしましたが、新橋のTCC試写室(旧ビザール・クロッキークラブそば)にて『黒と赤の花びら』を鑑賞してまいりました。
暴風雨なのに揺れない船(その後遭難)で起こった殺人事件を発端に、三原葉子(腋毛なし)=ガガーリンという衝撃の展開を見せるサスペンスで、天知茂が事件の謎を追う過程で麻薬密売や売春組織が絡むというパターンは、かつての「地帯」シリーズの焼き直しのようでもありました。
しかし、悪役が弱いのと、展開が遅いのと、何より三原葉子がちっともキュートではないのが残念至極。
とはいえ、これらの不満も映画を観られたからこそのこと。
貴重な機会をお与え下さった上映会スタッフの皆様に、心から感謝申し上げます。

ビザール・クロッキークラブについて
お知りになりたい方は、この映画
ご覧下さい。三原葉子がキュートです。


さて。

今回の上映会会場であるTCC試写室。
こちらはあの国映経営の試写室であり、不肖せんきち、恥ずかしながら初めて足を踏み入れたのですが、ロビーに掲示されていた1枚のポスターにふと目が留まりました。
それは国映配給の倉田文人監督の映画でした。

「おや?倉田監督って、ピンク映画も撮っていたのかしらん?」

と思いつつ、ポスターにあるキャストの表記に目を移すと、「唐菁」と「美雪節子」の名が。

「こ、これって、もしかして、台湾の第一が製作した『東京尋妻記』のこと?」

まるでわたくしがここへ来るのを待ち構えていたかのような貴重な映画ポスターとの出会いに一人秘かにコーフンしつつ、メモ帳にポスターの記載事項を手短に書き写しました。

で。

以下が、ポスターにあったスタッフ・キャスト。

脚本:町新吉
監督:倉田文人
撮影:井上莞
音楽:伊藤宣二

主演:青木笑児、唐菁、美雪節子、谷川英子

ちなみに、『東京尋妻記』の台湾側(台灣電影資料庫)のデータは、下記の通り。

製片(製作):黃銘
導演(監督):倉田文人
編劇(脚本):孟壎
演員(出演):唐菁、美雲(原文ママ)節子
出品年:1958
國別:台灣
片長:2100

脚本が孟壎になっていますが、この方は本作以外の脚本執筆はなく、どうやら町新吉(この方のこともよくわからんのですけれど)の変名のようです。

この映画、左桂芳氏の「台灣電影微曦期與國際合作交流史(1900-1969)」(『跨界的香港電影』所収、2000年、康樂及文化事業署)には、


1957年(1958年の誤り・せんきち注)出品的《東京尋妻記》(日名:《東京滞在七日間》←この邦題も誤りね。せんきち注)、由台灣第一企業公司影業部在日本投資拍攝、導演倉田文人、男主角唐菁、女主角爲日本"新東寶"的美雪節子。全片在日本攝製、最初想以風景紀錄片形式、後來改成彩色大銀幕的劇情長片。


とあり、同論文の英文ヴァージョン("Cross Border Exchanges in Taiwan Cinema between 1900-69".『跨界的香港電影』所収)にスチール写真が掲載されています。
左氏の論文の記述から、不肖せんきち、てっきりシリアスな内容の映画なのかとばかり思っていましたが、ポスターの惹句は、


美しい人妻を追う迷探偵のよろめき奇行をお色気とユーモア溢れる娯楽ワイド作品


てな按配で、セクシー美人のスケスケ乳首写真がどーんと据えられており、どうやらコメディタッチの作品だった模様です。

となると、気になるのが日本公開の時期。
『跨世紀台灣電影實錄 1898-2000』(2005年、行政院文化建設委員會・國家電影資料館)の「1958年1月」の項には、


第一公司與日本東亞影片公司、東方影片公司(これらの会社に関しては詳細不明・せんきち注)聯合出品,倉田文人執導,唐菁與新東寶公司女星美雪節子主演的《東京尋妻記》殺青,將安排於近期在日本、台灣同步發行。


とあり、1958年に日本で公開される予定だったようですが、「キネ旬データベース」等を見ても『よろめき迷探偵』の情報がないため、実際にはいつ頃公開されたのか、現時点では全くわからない状態です。
ただ、そのタイトルに付された「よろめき」という言葉から類推すると、1958年から1961年前後、つまり国映がピンク映画に本格シフトする以前に配給・公開されたのではないか、と考えられます。
とはいうものの、ポスターのスケスケ乳首がちょいと引っかかるのですが、もしかしたら国映に何か他の資料が残っているかもしれないので、これからも引き続き調査していきたいと思います。

フィルムもあるといいのになあ…。

2009年7月17日金曜日

学芸大学でもつ焼きを食らう

〔しようもない日常〕

塩味スープのさっぱり風味で
頂くもつ煮込みもイケます。

どうも。
トド@引き続き生活に追われてますです。
ただいま、甲状腺腫瘍(良性)の件で新しい担当医と揉めに揉めておりまして、病院を変えることを決意、深く静かに脱出計画進行中です。
そんなこんなでしばらく更新が滞るかと思います。
あしからず、ご了承下さい。

さて。

ぼやぼやしている間に既に2週間が経過してしまいますたが、先々週の金曜、即ち7月3日、友人である趙怡華さんの弟さんご夫婦が切り盛りするもつ焼きの店「もつやき 大膳」に、怡華さんや知人のKさん(ひさびさに登場)等と共に行ってまいりました。



台湾の方が、日本で、よりにもよってもつ焼きの店だなんて、と驚かれる方もいらっしゃるかと思いますけれど、お店の方は至ってふつーの居心地のよい飲み屋さんで、

串もの1本100円均一

という

超明朗会計

がうれしいお店です。

レバもシロもカシラもみんな100円!

不肖せんきち、幼少の頃近所に立ち食いのもつ焼き屋さんがあった関係で、物心ついたときからレバだのシロだのナンコツだのといったもつ焼きに親しんでおりましたが、今回、1本100円のもつ焼きを食して、子供時代の思い出にしみじみひたることができましたわ。

怡華さんの指令(?)で、チャンジャや
ナムル等の朝鮮半島系グルメも充実。


キャベツに添えられたコチュジャンも美味。
お土産用に販売して欲しいものです。

と、ここまで読んでなんとなく興味を持ったそこのあなた!
ぜひぜひお店へ行ってみて下さいましね。

もつやき 大膳

〒152-0004 東京都目黒区鷹番3-10-8 ☎03-3713-9489
場所:東急東横線「学芸大学」駅西口より徒歩1分(地図
営業時間:17時から23時まで(なくなり次第終了)

2009年7月9日木曜日

中国人の見た『虞美人』 補遺

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕


どうも。
トド@生活に追われてますです。

今日、新聞を読んでいたら、下記のようなシンポジウムの紹介が掲載されていますた。

放送文化基金設立35周年事業
国際シンポジウム「テレビがつなぐ東アジアの市民~交流から対話に向けて~」


詳しい内容はこちらをご参照頂くとして、一般参加可能(要申し込み)とはいいながら、7月17日(金)という平日昼間のシンポジウムですので、例によって(言い方は悪いけれど)普通のお勤め人の事情は全く無視な催しのようです。
それと、これも例によってなのか、パネリストの顔ぶれを見る限り、日中韓3カ国の輪から台湾は仲間外れにされているようですね。
あるいは、「中」の中に「台」も含まれている、ということなのでしょうか。
ま、何はともあれ、興味とお時間のある方は参加なさってみてはいかがでしょう。

さて。

先だって易文監督に関する記事を書いたさい、うっかり書き漏らしてしまったことがあったので、ちょっこし補足を。

先の記事でも触れた『櫻都艶跡』の日本ロケの折、李麗華の特別通訳を務めたのは、俳優の伊豆肇でした。
1955年4月7日付『読売新聞』夕刊にはその辺りの事情について、


…日本ロケに当っては、藤本プロが協力しているが、李麗華の特設通訳の役は東亜同文書院出身で戦時中七年間も大陸で送った伊豆肇が進んでひきうけ、演技の相談はもちろん、衣装、カツラの世話まで伊豆肇が手伝っている。しかし東宝撮影所で日本の着物を着た彼女から腰ヒモが痛いがどうしたらラクになるかと相談されたが、これにはどう答えていいかわからずにひと汗かいたという。


とあります。

たしかに、女性であれば腰紐に関するアドバイスもできるでしょうが、男性ですと難しいでしょうなあ。
それに、変に緩くしてしまうと今度は着崩れる心配もありますし。

ところで、引用した記事では伊豆肇のことを「東亜同文書院出身」としていますが、実際には「北京大学出身」のようです。
彼がもう少し若かったら(1917年生)、あるいは日港合作映画の主役に起用されていたかも……知れません。

2009年7月2日木曜日

発掘!幻の大宝映画 『黒と赤の花びら』上映会

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕


どうも。
トド@毎日疲労困憊です。

さて、今日は上映会のお知らせです。

幻の大宝株式会社配給作品である『黒と赤の花びら』の上映会が、来たる7月18日(土)・19日(日)の両日、新橋TCC試写室にて開催されます。

そもそも「大宝って何よ?」という方にはこちらの上映会特設サイトをご参照頂くとして、せんきちが旧ブログで取り上げていた元祖台流(死語)スター・林沖の映画デビュー作も大宝の『大吉ぼんのう鏡』でした。
今回は残念ながら『大吉ぼんのう鏡』のプリントは発見されなかったようですが、これまで失われたとされていた大宝作品のプリント(16ミリ版)が一挙3本発掘されたのを機に、シリーズでこれら3本の作品を上映していく予定とのことです。

上映会の詳細は下記の通り。

「発掘!幻の大宝映画 第一弾!天知茂 デビュー60周年&追悼企画
『黒と赤の花びら』上映会」


『黒と赤の花びら』
(1962年 佐川プロ製作 大宝配給作品 モノクロ シネマスコープ)

〔スタッフ・キャスト〕(特設サイトからの引用)
製作:佐川滉 監督:柴田吉太郎 原案:牧源太郎 脚本:宮川一郎/柴田吉太郎 音楽:菊村紀彦 美術:宮沢計次 撮影:須藤登 助監督:山際永三
出演:天知茂/上月左知子/丹波哲郎/三原葉子/安井昌二/松尾和子/細川俊夫/大友純/沖竜次/扇町京子/松浦浪路 他
〔解説〕(同上)
テレビのケンちゃんシリーズで知られる柴田吉太郎監督のデビュー作にして唯一の劇場作品。脚本の宮川一郎をはじめスタッフ、キャスト共に殆どが新東宝のメンバーによって固められている。なお、同じく佐川プロ製作・大宝配給の『狂熱の果て』で一足先に監督デビューを果たしていた山際永三監督が「世話になった先輩の応援のために」と、チーフ助監督として参加している。
〔あらすじ〕(同上)
激流の洋上で起きた船舶遭難事故。遭難による保険金の詐欺の疑いを持った海上保険の調査官田代は調査を進めていく内に、その背後にある別の事件の存在に気がつく。 事件の真相を突き止めようと更に調査を進めていく田代であったが....。

〔上映スケジュール〕
7月18日(土):12時30分開場、13時より上映(14時30分終映予定)。
7月19日(日):12時30分開場、13時より上映(14時30分終映予定)。
※7月19日(日)は、終映後の14時40分より本作のチーフ助監督であった山際永三監督をゲストにお招きしてのトークショーがあります(15時30分終了予定)。
※トークショーに関しては若干時間が前後する可能性があります。また、実はこの作品の正確な上映時間が判っていません。その為、両日共にタイムテーブルはあくまでも予定となります。ご了承ください。

〔上映カンパ金〕
7月18日(土):1800円
7月19日(日):2300円

〔会場〕
新橋TCC試写室
住所:東京都中央区銀座8丁目3番先 高速道路ビル102号

〔ご予約について〕
予約なしの当日来場も受け付けるそうですが、満席の場合には入場不可となる場合もあるそうですので、皆様ぜひともこちらの予約フォームにてご予約の上、ご来場下さい。

というわけで、貴重な作品の上映です。
この機会をお見逃しにならぬよう、皆様お揃いでおでかけ下さい。

2009年7月1日水曜日

中国人の見た『虞美人』

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕

「旧アーニーパイル劇場」とあるのが、
いかにも時代を感じさせます。

どうも。
トド@毎日疲れていますです。

じゃいけるジル逝去のことは、いまさらなので書きませんが、ジルが亡くなったとき、なぜどのマスコミも中村晃子の所へ行かないのよ?
ジルと言えば中村晃子でしょ?
ジェミーと言えば田島令子、のように(年がばれるね)。

さて。

香港で開催されていた易文監督の回顧上映はとっくに終わってしまいますたが、遅ればせながらこちらでも易文監督のコネタを。

易文監督は日本ともけっこう縁の深かった監督さんで、1955年に『小白菜』が『佳人長恨』の邦題で日本公開されている他、1957年には新華と東和の合作映画『海棠紅(海棠紅)』も日本で上映されています。
このうち、『佳人長恨』は横浜の映画館で「1日限り」の特別上映というかなり特殊な形での公開だったのですが、『海棠紅』は3月9日から15日まで、当時の最高級館と言ってよいテアトル東京(現・ホテル西洋銀座)で上映されており、公開初日には午後7時30分から「中国服モードと歌の夕」なるイベントも開催され、日本公開に当たって東和もかなり力を入れていたことが伺えます。

また、監督作品が日本で上映された他にも、日本でロケーションを行った作品があり(『蝴蝶夫人』『櫻都艶跡』)、1955年4月、『櫻都艶跡』の撮影で日本に滞在していた折には東京宝塚劇場で宝塚歌劇団の『虞美人』を鑑賞、その感想を「中国人の見た『虞美人』」と題した文章にまとめ、『読売新聞』(1955年4月28日付夕刊)に寄稿しています。
以下、少々長くなりますが、その文章からの引用です。


…まず演出の形式として、私はこの歌劇の「素朴の美」を非常に感心した。私は従来から日本の舞台装置のすばらしさに感服していたが、ここでも、三十場の背景がことごとくわずか数筆をもってする軽妙しゃ脱なもので、しかもなんともいえない風情があり、簡単の中に精細があることに感心した。舞台上の照明と色彩の配合もまたすばらしかった。だが、私はなんだか劇そのもののふんいきが十分に出ていないような気がした。(略)
歌はなかなか美しく、感動的であったが「劇」そのものは、あまりにおだやか過ぎるように思われた。「四面楚歌」の場面は単に「末路の英雄」の悲哀だけを表現し「末路の英雄」の性格と心情の描写に欠けている。(略)
また虞美人が剣を抜いて舞い、自殺する場面の処理がやや平淡に過ぎ、激情の高潮点もつかんでいない感があった。この劇は最初から終りまで素材の選択、編成ともに申分ないが、ただこの一段にいたってなんだか食い足りない気がした。しかし情節の叙述は周到をきわめ実によく出来ている。(略)しかし最後の虞美人自殺の場(これは中国京劇の中でも最も難しい主力的場面であって、おのずから『覇王別姫』の精華をなす大切な一段である)は、ただに「劇」であるばかりでなく、劇の本身が「歌」であり「舞」でなければならない。歌の中には自ら曲々調を伝え、断腸の思いを催させるものがあり、舞の中には自らあだ(婀娜)たる姿が千変万化し、剛あり、柔あり、もってよく東洋古典舞踊の特長を発揮するのである。



なんだか翻訳のせいで最後の方なんかわけわからん日本語になっていますが、ようするに、

よくできたお芝居だけど、中国人の目から見たらちょっと物足りないところがあるね。

ってな感じの感想でしょうか。

この記事には易文監督のプロフィールも紹介されていますが、そこには、


筆者の本名は楊彦岐、新聞記者、作家を経て映画入り。シナリオも書き、現在まで十本以上の作品を演出、現在日本ロケを行った『桜都艶跡』を製作中。


とあります。

不肖せんきち、まだ『有生之年―易文年記』を入手していないため、この文章が「著作年表」で取り上げられているか否かの確認が取れないのですが、いずれにしても、かなり貴重な資料ではないかと考えられます。

そして、易文監督と日本との縁で最も忘れてはならないのが、1965年の映画『最長的一夜』。
ご存知の通り、宝田明が香港に招かれて樂蒂と共演した作品です。
この映画、せんきちは運良く観ることができたのですけれど、日本の映画ファンの多くはその存在を知りながら未だに観ることが適わずにいる作品です。
映画のラスト(ネタばれご容赦)、それまで宝田明への警戒心を解くことのなかった樂蒂が(対する宝田明は、樂蒂に向かって日本語で『君のような女性と結婚できた大亮という男性は幸せだ』とか何とかつぶやいたりして、彼女への思いを吐露しているのですが)、宝田明との別れ際に思わず(宝田明に)駆け寄って彼の手を握り締める場面を観るたびに、いつもせんきちの胸は熱くなります。
宝田さんが亡くなる前に(おいおい)日本での上映が実現して欲しいものだと、切に願っております。

(特にオチのないまま終了)