2005年11月30日水曜日

流れてアンコールワットへ

〔ちょっとお耳に〕


製品情報です。

松竹映画『あの橋の畔で』第3部でおま。
第1部から完結篇まで計4本ある大河ロマン(なのか?)の内、第3部ではカンボジアやタイでロケーションを行っております。

おなじみ『花様年華』に出てくるカンボジアは1966年。
こちらは1962年の撮影です。
チャウさんがあの貸間にお引っ越ししてきた頃ね。

チャウさんは香港から流れ流れてカンボジアへやって来ますが、こちらも負けておりません。
数寄屋橋公園からカンボジア(!)です。

レンタルもあるようですので、興味のある方はぜひご覧下さい。

2005年11月29日火曜日

血ぬられた庖丁(『銭形平次』第50話)

〔橘ますみ〕

いきなり死体役。

1967年4月12日、東映・フジテレビ。佐々木康監督。大川橋藏、八千草薫主演。

えー、本題に入る前に本日のビッグニュース。

女優山村紅葉さん殴られる、

京都で収録中に男が乱入 素手で左ほおを


大変です!われら(って、誰だよ)が紅葉さんが殴られました!
まさに、

紅葉狩り!(爆)

・・・・くれぐれもおだいじに。

というわけで、本題に入ります。

橘ますみたんがゲスト出演した『銭形平次』第50回。
1967年4月といえば、映画デビュー後(デビュー作の『博奕打ち』、12月14日(水)~20日(火)まで浅草名画座にて上映!また観に行こうかな)ですので、前回のゲスト出演時よりは大きな役だろうと期待して観ていたところ、なんと、

死体役でした。

がちょーん。

今回の役どころは、は組の頭の娘・お妙だったのですが、冒頭から既に死体として登場、回想シーンでちょこっと顔が映るものの、それもわずかに1分ほど。
この日のメインゲストは、ますみたんのストーカーを演じていた曾根晴美でした(は組の若い衆の中に拓ぼんもいました)。

がっかり。

次回(第64回)に期待します。

(於:時代劇専門チャンネル)

2005年11月28日月曜日

癡情奇女子 (Kill For Love)

〔えいが〕

今度は腹血ブー。

1982年、台湾(永昇)。陳耀圻監督。陸小芬、趙樹海、張富美主演。

先だってご紹介した『上海社會檔案』と同じく『台湾黒電影』に登場した作品。
おおまかなストーリーは、下記の通り。

友人と生まれ故郷から台北へ出てきた陳信妹(陸小芬)は、最初の就職先で騙されてホステスにさせられそうになり、客と喧嘩騒ぎを起こしてクビになります。
その後工場で働き始めた信妹は、友人と別れて1人暮らしを始めようとしますが、そんなときに知り合ったのが同じ工場で働く同郷の青年・方俊良(趙樹海)。
俊良は彼女のために自分の住むアパートの空き部屋を提供、2人はルームメイトとして一緒に暮らし始めます。
俊良は昼間は働き、夜は大学に通うという実直な青年でした。
やがて2人は恋に落ちるものの、そんな折、工場の理事長の娘である陶聖睴(張富美)と知り合った俊良は、聖睴と結婚して出世するという野望にとりつかれるようになります。
聖睴と俊良との関係に気づいた信妹は彼の子供を身ごもりますが、密かに堕胎します。
しかし、2度目の妊娠に気づいたとき、ついに耐えられなくなった信妹は聖睴に詰め寄り、信妹のことが邪魔になった俊良は信妹を殺すことを決意、湖畔のホテルに彼女を誘い出すのでした・・・・。

先日ちょっこし書きましたが、実際に中身を観てみて、俊良が信妹を殺そうとして湖畔にボートを漕ぎ出す辺りまでは、やはり『陽のあたる場所』からのいただきでした。
その後が全く違うんだけど。
なにしろ、



こんな風に沈んじゃったのに、




生きてるんですよー!ひょえー!!
しかも、なぜ生きてたのかに関する説明、一切なし。
いきなり男に襲い掛かり、




お定まりの無理心中。

全編を通して、陸小芬のキレっぷりにはすさまじいものがありましたが(なにしろ「奇女子」ですんで)、この間の東京国際映画祭における『恋人』の李康宜や『深海』の蘇慧倫のキレ方を思い起こすと、なにやら

台湾キレ女の原点(?)

を見るような思いもいたしましたです。


これが限界。


気になる(?)エロ描写に関しては、やっぱりどうってことなし。
(えげつない言い方ですが)乳首恐怖症なのかと思いたくなるくらい、「露點」を避けていますね。
途中、男を迎えに夜の街に出た陸小芬が暴走族に絡まれてレイプされそうになるという、本筋とは全く関係のない場面が出てくるのですけど、これも到底サービスカットにはなり得ないレベルのもので、正直言って「いらねーよ」な場面でした。
「いらねーよ」と言えば、陸小芬がかつて乱闘騒ぎを起こした客と湖畔のホテルへ向かう列車の中で鉢合わせという件も、ギャグとしてほとんど機能していなかったため、これも「いらねーよ」に終わっていました。

ところで。

監督の陳耀圻って、どこかで聞いたことのある名前だなあと思っていたら、ジュディさんの映画『ジュディのラッキージャケット(無價之寶)』の監督さんでしたわ。

うひょー。

『上海社會檔案』も、王菊金(『六朝怪談』)だしなあ。

奥が深いわ。


おまけ:今と変わらぬ通勤風景。

山村、もとい、京都紅葉狩り (四)

〔たび〕


(前回の続き)
午後5時20分頃に店を出て永観堂に戻ると、すでに長蛇の列ができていました。
てなわけで、あっしも最後尾に並びます。
前に並んでいた女の子が、

夜間拝観料が1人600円でしょ。それでこの人数だと・・・・・。

と、計算を始めたのには笑いました。



永観堂を拝観したのは高校時代、与謝野晶子の歌碑を見に来て以来ですから、かれこれ○十年ぶりのことになります。
ライトアップされた紅葉は、なかなか幻想的なものでした。




小1時間ほど夜の紅葉をめでた後、バスで四条烏丸へ向かおうと思いましたが、渋滞がひどかったので三条京阪で降り、そこから地下鉄を乗り継いで四条駅で下車、今夜のお食事処へ。
小さな洋食屋さんですが、味はとびきりです。

満腹になったら再び地下鉄に乗車、京都駅へ出てお土産を買い、新幹線で帰途につきました。
めでたしめでたし(おしまい)。


おまけ:京都駅のクリスマスツリー。

2005年11月27日日曜日

山村、もとい、京都紅葉狩り (参)

〔たび〕

疎水越しに動物園を望む。

(前回の続き)
祇園からバスに乗って東山仁王門で降り、疎水沿いにてくてく歩いて南禅寺へ。
ここは車も人もすごかったっす。
大型観光バスが大量乗り入れ。
狭い参道大混雑。

不肖せんきち、前々から京都と台北って似てるよなあと思っているのですが、その理由は下記の3点。

1、主たる公共交通機関がバス。
2、それほど高い建物がない。
3、ちょっと行くとすぐ山。

このうち、1と2に関しては、台北においては当てはまらなくなりつつあるものの、京都の方は相変らずの模様。
といっても、台北みたいに新交通システムなんか作ろうものなら、景観論争大勃発だろうし。
バスも専用レーンがあるわけじゃないので、渋滞になるとそりゃもう大変です。
この時期など特に「混んでる上に渋滞」という極限状況の連続でしょうから、京都市民の皆様、お騒がせしてどうもすいません。

南禅寺といえば三門。


「バカと煙は・・・・」の喩えどおり、


登ってみました。気分はもう五右衛門さん


ここの三門も壮観ですが、知恩院の三門もすばらしいですよ。


水路閣。


方丈の紅葉。


同じく。

三門と方丈を拝観して計1000円(500円ずつ)。
拝観料もバカにならないものだと思いつつ、永観堂へ。
昼間の公開時間はすでに終了、夜の特別拝観(ライトアップ)は午後5時30分からとの由。
あと40分ほどあるので、近くにあった喫茶店でマンデリンなど飲み、読書をして時間をつぶすことにいたしました。(つづく)

山村、もとい、京都紅葉狩り (弐)

〔たび〕

飛び降りてみる?

(前回の続き)
五条通のだらだら坂を上り、東大路通を渡って五条坂に突入、そこから茶わん坂に折れて清水寺を目指します。
途中には体験舞妓のお店もあり、即席舞妓の皆さんがおぼつかない足取りで坂道を歩いていました。
足、挫かないようにね。

清水の舞台から子安塔を望む。

ひーひー言いながら石段を登って、ようやく清水寺に到着。
ここの紅葉はまだら模様、というか、散るものはもう散ってしまい、かと思うとまだ青々とした葉も多いしで、トータルで見るとなんだかバラバラでおました。


↑『バンコックの夜(曼谷之夜)』で星由里子と張美瑤が休憩していたところ・・・・かな?
加山さんが張美瑤にプレゼントした京人形を買ったお店は、うっかり特定作業を怠っていたため、次回以降に再度訪問することにいたしました。
清水坂もすんごい人出で、韓国や台湾のお客様も大挙押し寄せていました。

大雲院・祇園閣と紅葉。

清水寺の後は、清水坂から三年坂、二年坂を通って、円山公園へ。

円山公園。


八坂神社。こちらも『バンコックの夜』に登場。

歩き詰めで疲れたので、四条通に出てちょっこしお茶しました。
以前は八坂神社を出たところに八百文というフルーツパーラーがあり、そこのレトロな雰囲気が大好きだったのですが、バブル崩壊後に閉店、戦前に建てられたお店も取り壊されてしまいました(今のローソン)。
濃い目の珈琲を飲みながら休憩した後、次なる標的である南禅寺を目指し、勇躍(?)出発いたしました。(つづく)

2005年11月26日土曜日

山村、もとい、京都紅葉狩り (壱)

〔たび〕


帰ってきますた。
京都に行ってきますた。

初日(23日)は京都市郊外にて1日中秘密会議、会議終了後は最寄り駅(阪急線某駅)から真っ直ぐ大阪へ。
京都のホテルが満員で予約が取れず、やむなく心斎橋のホテルに荷を解きました。

そして翌日(24日)。

ホテルをチェックアウト後、京都へ戻り、まずは東福寺へ。
すんごい人出でした。

東福寺と言えばこれ。
通天橋と紅葉。

以前、東福寺へ行ったときには真冬だったため、人っ子1人いませんでしたが、なんですかこの日の混み様は。

ああ、やっぱり観光地なのね、京都って(今さら気づく)。

苔生した土地に映える紅葉。


もう少し近寄って撮ってみました、通天橋。


安政丙辰(安政3年〔1856〕)仲春に楓千株を植えた旨が記されている碑。
全てはここから始まったのかと思いきや、お寺の公式サイトによれば、
元々は聖一国師が宋から持ってきたものだとか。
うーん、わかんねえ。


こちらの本堂の用材は、阿里山檜ざます。
台湾の皆様、ぜひご覧下さい。


と、ここまで見学した時点で既にお昼。
京阪東福寺駅そばの食堂で定食を食した後、京阪線で五条へ。
そこからぶらぶら歩いて、やっぱり激混み必至の清水寺へ向かったのでありました(つづく)。

2005年11月22日火曜日

『癡情奇女子』届く

〔しようもない日常〕

イモ姉ちゃんが・・・・。

夕方帰宅したら、注文しておいたVCDが届いていました。
黒電影4本の内、在庫のあった2本がお先に到着。
『台湾黒電影』で紹介されていた『癡(痴)情奇女子』(注)と、倉田さんが出てる『黒玫瑰』です。

残念ながら明日からちょっとお出かけするので、内容のご紹介は帰ってきてからになりますが、初めのほうだけちょこっと観てみました(上の写真)。
アディダスのパッチモン着てる陸小芬がその後どのように変貌するのか、なかなか楽しみです。
ただ、パッケージのあらすじだと、まるで『陽のあたる場所』の翻案みたいなんですけど・・・・。
陸さんは勿論シェリー・ウィンタースの方ね。
ま、復讐譚だから、死にやしないのだろうが。
なにしろ、キャッチコピーは、

あたしの心をもてあそんだ男、あんたを殺したるー!(超訳)

ですので。

悦ちゃん?


で、こちらは『黒玫瑰』から。
冒頭、香港の街が登場しますが、その後いきなり日本のお寺にワープ。
陸さんがむくつけき男たち相手に稽古をつけている場面となります。
これもどうなるんでしょ、この後・・・・。

ところで、陸さんの髪型を見ていると、思い出すのはやっぱりこの方。



お手本だったのかしらん。

(注)『台湾黒電影』で紹介されていた作品は、下記の8本。
『錯誤的第一步』『上海社會檔案』『瘋狂女煞星』『癡(痴)情奇女子』『女王蜂』『女性的復仇』『凌晨六點槍聲』『少女集中營』。

お知らせ:てなわけで、明日から少しお休みします。帰ってきたら、またお会いしましょう。

2005年11月21日月曜日

尤敏を担ぎ出せ!

〔ちょっとお耳に〕

こちらは『工商日報』の見出し。

今日の午前中、妙な電話がかかってきました。

「○○区役所税務課の××と申します。突然のお電話で失礼いたしますが、お宅の税務状況をお伺いしたくてお電話しました」

なんだか怪しいなあと思ったので、

「すいません。担当の者が留守ですので、戻り次第折り返しお電話します。区役所の方ですよね?電話番号をお教えくださいますか?」

と言うと、とたんにしどろもどろになって電話は切れてしまいました。
念のため、後ほど本物の区役所税務課に問い合わせてみたところ、最近この手の電話をかけて個人情報を不正に引き出したり、現金を振り込ませたりする詐欺が発生中とのこと。

皆さまも、お気をつけあそばせ。

さて、ひさびさの古新聞ネタです。

しばらくぶりで台湾の古新聞漁りをしていたところ、1965年12月7日付『聯合報』に、

楚覇王故事將搬上銀幕 國聯台製東寶合作 三船敏郎尤敏主演

なる見出しの記事があるのを発見いたしました。

それによると、台湾の國聯及び台製と日本の東宝は合作映画『楚覇王』を製作することで合意し、楚覇王(項羽)は三船敏郎、虞姫は尤敏が演じることになったとの由。
これは國聯を率いる李翰祥が新作映画の編集作業のため東京へ赴いたさい、川喜多長政と話し合って決めたもので、三船は楚覇王役に大いに興味を示し、川喜多も三船を起用することに同意したものの、ただ三船を起用するのであれば尤敏に虞姫を演じてほしい、という条件を李翰祥に提出してきたのだそうです。
ご周知の通り、このとき(1965年)すでに尤敏は結婚・引退して一児の母となっていましたが、尤敏も三船と共演できることを大変喜び、出演を承諾したのだとか。

しかし、記事には映画完成後の配給の問題や興行収入の分配方法等がまだ決定していないため、國聯と台製はこの合作映画計画の正式発表を控えている旨の記述もあり、ということは、どうやらこの記事、内々で慎重に進めていた交渉を『聯合報』が先走ってすっぱ抜いちゃったもののようです。

案の定、12月10日付同紙には、

尤敏復出拍片事可能性極微

と、尤敏がカムバックする可能性は低いという記事が掲載され、結局、前述の合作映画計画もおじゃんになってしまいました。

合作映画計画に関わっていた映画会社もそうですが、この頃、低迷する業績を回復するため尤敏担ぎ出しに奔走していた國泰にとっても、『聯合報』のすっぱ抜き記事は「ふざけやがってこの野郎!」なものだったに違いありません。

中華圏のマスコミの体質って、なんだかあんまり変わっていないような・・・・。

2005年11月19日土曜日

王天林と愉快な仲間

〔しようもない日常〕


タイトルには何の意味もありません。

えー、今日は『スリー・タイムズ(最好的時光)』を観てきました。
愛らしい第1話(「戀愛夢」。彼女探して台湾北上。高雄から新營へ)、植民地台湾の解放という自由を夢見る男と自らの生活に根ざした自由を夢見る女とのすれ違いを描く第2話(「自由夢」)。
ここまでは絶品。
でも、すいません、第3話(「青春夢」)が・・・・。
もうちょっと女同士の関係を観たかったところ。
第3話(2005年)→第2話(1911年)→第1話(1966年)という全く逆の順序で観たら、また違った印象になったのかも。
ただ、第3話も2度3度観るごとに新しい発見がありそうなので、一般公開時にまた観直してみることにします。
第3話はともかく、第1話と第2話はここ最近の侯監督作品の中では出色でした。


映画鑑賞後は、同行のお友達とこちらで630円均一のタイ料理を食しました。
定食630円はたしかに安いけど、生ビールは600円なので、呑んべえにはあんまり関係ないかも。

てなわけで、今日は情報のみ。

「星光大道」增十手印 嘉玲感光榮

香港名物(なのか?)「星光大道」に新しい仲間が加わります。

北京語映画の俳優さん:葛蘭、關山、石慧、傅奇、鮑方
広東語映画の俳優さん:嘉玲、林家聲、紫羅蓮
スタッフさん:王天林、劉家良

現在タイにお住まいの嘉玲さんも駆けつけて、「手形ペッたんこ式」(勝手に命名)が行われました。
葛蘭や紫羅蓮は欠席だったけど、ぜひ手形押してくださいね。

お写真はこちらに画質の悪いのがたくさんあります。

2005年11月18日金曜日

上海社會檔案 (On The Society File Of Shanghai)

〔えいが〕

もっともらしい献辞。

1981年、台湾(永昇)。王菊金監督。陸小芬、崔守平、彭君暉主演。

陸小芬の出世作にして、先日の東京国際映画祭及び早稲田大学における台湾映画シンポジウムで上映された『台湾黒電影』で取り上げられていた作品。
原作は内地の人である王靖(卜安利)が1979年に発表した、いわゆる「傷痕文学」に属する脚本『在社會的檔案裡』で、これが香港の『爭鳴』誌上に転載された後、本作の製作者である江日昇が映画化の意思を固め、当時の新聞局長・宋楚瑜に直談判してその名も『上海社會檔案』と改めた脚本を『假如我是真的』の脚本と共に提出、審査をパスさせちゃったのだそうです。
おおまかなストーリーは、下記の通り。

共産党の大物である「首長」(葛天)の長男・王海南(崔守平)は香港への密出国を計り当局に逮捕されますが、首長の息子ということでお咎めを免れて上海へ流れ着きます。
上海の街を当てもなく彷徨う海南は、かつての恋人・李麗芳(陸小芬)と再会しますが、麗芳は昔の面影を留めぬほど堕落し荒んだ生活を送っていました。
海南は、麗芳の不良仲間によって暴行を加えられ、瀕死の重傷を負います。
この罪により麗芳と仲間は逮捕され、公安局の尚琪(彭君暉)が捜査に当りますが、海南はひたすら麗芳の身を案じ、自分と彼女との関係を尚琪に話し、自分の日記を尚琪に託します。
海南の日記を読んだ尚琪は、この事件には何か重大な秘密が隠されていると睨み、周辺人物への聞き込みを進めるものの、その矢先に海南が死亡、激怒した首長と海南の腹違いの弟・小京は即裁判を開いて麗芳を処刑せよと迫るのでした。
そして裁判の日。
今まで頑として供述を拒んでいた麗芳に、尚琪は海南が亡くなったことを告げます。
麗芳はようやく口を開き、自分が転落するきっかけとなった忌まわしい出来事について語り始めるのでした・・・・。

この脚本には一応モデルがあり、首長は林彪、海南は林彪の私生児(ほんとにいたのかよくわからんのですが)、小京は林彪の息子である林立果、麗芳は林立果の妻になるべく選抜された女性たちの内の1人、だそうです(梁良著『看不到的電影 百年來禁片大觀』〔2004年、時報文化出版〕による)。
ただ、モデル問題で揉めることを恐れたのか、台詞の中には首長とは別の人物として「林副主席」の名前が登場、てきとーにカモフラージュ(?)してありました。

で、全編観ての感想ですが、思っていたよりもフツーの映画でした。
エロ描写はそれほど大したことない(せいぜい乳首が透けて見える程度)、というか、日本や香港のそれに比べるとかなりおとなしいものでしたし、まあ、暴力描写が少し痛い程度です。
あっしにとってはむしろそんなことよりも、事件の捜査をしていた尚琪が浜辺で一言、

もう長いこと、海水浴もしていないなあ。

と同行の部下につぶやくと、やおらむくつけき男2人(うち1人大デブ)がパンツ一張になって海に飛び込んでいく、そのホモヲタ臭プンプンの展開の方が衝撃的でしたわ。
何もそんなところまで撮らなくても・・・・。

台湾で衝撃を呼んだ場面その1。
傷痕を見せる陸小芬。
でも、すぐに後姿になっちゃうのよ。


衝撃場面その2。
自らの身体に刃物を突き立てる陸小芬。


鼻血ブーならぬ胸血ブー。

この映画の陸小芬は首長に頭カチ割られ、ならず者に腹部を刺され、自分で自分の胸を突き刺して、それでも元気ピンピンの不死身の女でした。

映画の主な舞台は1970年の上海でしたが、当時はもちろん上海ロケなんて不可能だったので(今でもこの中身じゃ不可能だろうけど)、上海らしさを出すためになぜか日本でロケを行っています。

横浜税関こんにちわ。


赤レンガ倉庫。


どっちがほんとのタイトルなのさ、と言いたくなる
タイトルの背景に映るのは大阪市中央公会堂。


寒い地方に海南が送られる、
この雪景色も東北か北海道ですね。


あれ?京阪電車?


内容的には「共産中国では女は男たち(権力者)に食い物にされ、正義を貫いた者も処罰される」ということにしたかったんでしょうが、正義を貫いた者が処罰されちゃうのは国民党独裁時代の台湾でも似たようなもんだったしねえ。
でもさ、抹殺されてたと言う割には、あの名作(なのか?ほんとに。「迷」の方じゃないのか?)『梅花』よりはずっとトンデモ度が低いような・・・・。
あるいは、『皇天后土』よりも低いかもよ。
正直、なんであんなトンデモ国策映画がきちんと記録されてるのに、この映画が抹殺されていたのかがよくわかりません。

へんなの。

2005年11月17日木曜日

ずべ公番長 ざんげの値打ちもない

〔橘ますみ〕
こちらDVD(ケース。現物)の表。


裏。

1971年、東映東京。山口和彦監督。大信田礼子、渡瀬恒彦、橘ますみ、賀川雪絵、片山由美子主演。

というわけで、さっそく観てみました(詳しい情報は、こちら)。
「ずべ公番長」シリーズ最終作(4作目)です。

内容、というかパターン的にはシリーズ2作目の『ずべ公番長 東京流れ者』と被る部分が多く、それほど新鮮味はありません。
例えば、リカ(大信田礼子)の仲間であるマリ(賀川雪絵)の内縁の夫・大矢(中谷一郎)が、リカの恩人・村木(伴淳三郎)を殺そうとするという展開は、『東京流れ者』でセンミツ(集三枝子)の恋人が蘭子(宮城千賀子)を刺すという設定とほぼ同じです。
また、その後、大矢が組の者によって殺されてしまう点も、『東京流れ者』と同じ。
殴りこみへ向かう場面も、『東京流れ者』のパターンを踏襲しています。
ただ、コスチュームはさらしにホットパンツ(死語)と露出度がややアップしておりますので、こちらのほうが見応えありかも。

橘ますみたんは、いつものようにリカの盟友・八尾長子役。
赤城を出た後は、新宿のキャバレーでホステスをやっています。
途中、『カンフー・ハッスル』の元秋のようないでたちで登場、笑かしてくれます。

悪役の金子信雄は第1作(『ずべ公番長 夢は夜ひらく』)と同じですが、青江のママを参考にしたと思しき和装のおかまっぽい親分という造型(でもストレート。いつもはオネエ言葉なのに、頭に血が上ると男に戻る)で、やり過ぎ演技全開でした。

片山由美子(ええわあ)のヒモ役で滝俊介が出てましたが、この人、明智小五郎だったのに。なさけない。

YUKIO KAGAWAってYUKIE KAGAWAのことか?
怒れ!アマゾネス

2005年11月16日水曜日

池玲子は唄う?・・・・唄うな!!!

〔しようもない日常〕

あへあへ

酔っ払って帰ってきたら、"The Pinky Violence Collection"が届いてました。
15日発売なのに、早いね。

DVD自体はアメリカ仕様(リージョン1)なので、明日DVDプレイヤーで観るとして、今はボーナスCD

REIKO IKE SINGS!

を聴いています。

内容の詳細はこちらのブログにありますが、歌の上手下手はともかく、全編これ、

あっはーん、うっふーん!

の連続でして、エロネタ大好きのせんきちもやや食傷気味であります。

さ、寝るとしよう(詳しくは、また明日)。

2005年11月15日火曜日

『TIME』アジア版を買ってみた

〔しようもない日常〕


負け犬の星・サーヤが嫁に行ってしまいました・・・・。
幸せになるんだよ。

えー、『TIME』アジア版11月21日号で、

"THE MAKING OF A GEISHA"

なる特集が組まれていたので買ってみました。
今のところ、web版でも本文は読めるみたいです。

購入後、早速ぱらぱらと斜め読みしてみたところ・・・・

すげーよ、びっくりした。

一人来て、二人連れ立つ極楽の

って、あんた、

死に装束やないけ!

今年一番の昇天ムービー(文字通りだけど)に決定!!!

それから、"TODAY'S GEISHA"のコーナーに掲載されている舞妓さんの写真、時間(昼間)と場所(三年坂)から考えて、素人さんの体験舞妓ではないかと。

不肖せんきち、子怡ちゃんの今後を鑑みてこの映画に関する発言は控えるつもりでおりましたが、つい悪い癖が出てしまいました。
とりあえず、公開が楽しみ(?)ですね。