2005年10月31日月曜日

秋でも盆踊り

〔しようもない日常〕


昨日の記事に書いた「秘密のミッション」が今日復活してしまったため、一日遠出をしておりました。
ちかれたびー(死語)。

さて。

29日の阿妹のステージの興奮がいまださめやらぬせんきちですが(やってくれ!日本での単独コンサート。君ならできる!)、中華圏でも報道が出ております。

阿妹裙底春光拼外交 熱舞壓酒井法子 王力宏日語巴結

ふふふ。
やっぱり阿妹が一番さ。

で、記事中にもあります通り、彼女、『東京音頭』まで歌ってくれたんですよ、振りまで付けて(あっしも一緒に歌っちゃいました)。

時ならぬ「秋の盆踊り」でございました。

不肖せんきち、小中学校時代は盆踊りで太鼓を叩く子ども連に属していたため、『東京音頭』や『大東京音頭』、『炭坑節』、『常磐炭坑節』、『相馬盆唄』・・・・等は踊れたはずなのですが、だめですねえ、もうすっかり忘れちまいました。
かろうじて『東京音頭』だけは覚えていましたが。

ところでこの『東京音頭』、なにゆえに台湾でもメジャーなのか。

その答えは、昨日の記事の最後でちらりと触れた2003年の台湾映画『跳舞時代』の中にあります。
この映画に関しては以前少し感想を書きましたが、植民地時代の台北に花開いたモダン文化を追ったドキュメンタリーで、あっしは非常に面白く観たのですけれど、残念ながら、今回の東京国際映画祭の台湾映画特集には選ばれませんでしたねえ。

『東京音頭』と台湾の秘密に迫りたい方は、ぜひこの映画をご覧下さい。

(オチがつかないので強制終了)

付記:29日の歌謡祭をキャンセルした劉歡さん、実は同じ日に別の場所で開かれた同じ番組(同一首歌)の収録に参加していたのでした。ダブルブッキングの末のキャンセルなんて、よもやこの母子を見習ったわけではありますまいな。

2005年10月30日日曜日

サボった理由

〔しようもない日常〕

今日はこれ。

おサボり終了いたしました。
以下、おサボり期間中の報告なんぞを。

29日(土)の「日中友好歌謡祭」に阿妹(張惠妹)が出るもんで、怠惰な阿妹ファンである不肖せんきちも前日(28日)から歌謡祭モードに突入、昼前からの『深海』を観て映画祭はひとまず打ち上げとし、秘密のミッションに参加すべく準備を進めていたところ、突然ミッションは中止に。

がーん。

実はその晩の『ドラゴン・プロジェクト 精武家庭』のチケットを入手していたのですが、ミッション参加のため友人にチケットを進呈していたのでした。
今さら「返して」とも言えず、その日は悄然として自宅にいたところ、当の友人から電話が。
「ありがとう。おもしろかったよ」とのこと。

ま、よしとしましょう。

そして迎えた29日。

午後からお仲間と集結して本番は横1列に並んで鑑賞しましたが、いやあ、

やっぱり、阿妹はすげえや!

トリとして登場した阿妹が歌ったのは、『姊妹』『聴海』『站在高崗上』という、彼女の曲の中でもスーパースタンダードな3曲。
せんきちも共に歌い、共に踊りました。
あんまり興奮しすぎて、後ろの方から苦情が出るほど(すいません)。

だって、うれしかったんだもん。

王力宏のときもすごかったけど、阿妹のときも大盛り上がりで、舞台前に観客が殺到、そりゃもう大変な熱気、というか、無法地帯と化していました。

無法地帯といえば、華人の皆様(ほとんどが内地の方々)の掟破りな行動の数々にも目を見張りましたわ。
客席でインタビューする蔡國慶の周りを取り囲み、勝手に記念撮影(番組の収録中にですよ)を繰り広げたかと思えば、舞台に上がっての花束贈呈等、いろいろ楽しませていただきました。

オリンピック、たいじょぶか?

そういや、靖国問題の影響か、当初予定されていた斯琴格日樂や劉歡の出演はキャンセル、斯琴格日樂の出演取りやめなんか、何のおことわりもなかったっす。
阿妹や力宏は台湾だし、結局、内地の主力メンバーはほとんどキャンセルという事態になっておりました。

てなわけで、この話にはまだまだ続きがあるのですが、それはまた機会があったら、ということにいたしたいと思います。

で、今日。

昨日新文芸坐に行かれなかったので、今日こそはということで、『徳川女刑罰史』と『徳川女系図』を観てまいりました。
見事なまでに、場内、男だらけでした。
男子トイレの激混みぶりも、あいかわらず。

『徳川女刑罰史』を観た後でどじょう鍋を食べる」というイベントを、次回はやってみたいものだと思いました。

(以上、おしまい)

付記:歌謡祭の途中、阿妹が『東京音頭』を歌い踊ってくれましたが、台湾でこの曲が伝播していった過程に関しては、ドキュメンタリー映画『跳舞時代』に詳しいです。

2005年10月27日木曜日

ちょっとさぼります

〔しようもない日常〕



ちょっと日曜まで更新をさぼります。

映画祭、昨日は『無米楽』と『AV』、今日は『恋人』を観て、このあと『浮気雲』も観ますが、それらの感想はまた改めて。

とりあえず、『恋人』、あれだけリアルな腰の動きをしておきながら露點は無しとは、

ものすごく不自然

でした。

あと、萬芳、老けたね。

2005年10月26日水曜日

嗚呼、快樂!

〔ちょっとお耳に〕


今日もリリース情報。
明日、尤敏小姐主演作『快樂天使』のDVD(リージョン3)&VCDが発売になります。
久々の尤敏小姐作品のリリース、たいへん嬉しいです。

映画の内容自体は、いかにも電懋らしい愛すべき小品ですが、瞳で全てを伝える尤敏小姐の演技スタイルはここでも健在です。
ただ、喬宏はあの役にはごつすぎるような・・・・。

途中、喬宏の友人役に扮する蒋光超が「ヌードデッサン」と称して会費を徴収、しかし、蓋を開けてみたら「ヌードモデル=骨格標本」で、参加者一同「ふざけんな!」状態になる件では、『セクシー地帯』の「ビザール・クロッキー・クラブ」を思い出してしまいました。

いづこの殿方も、ハダカがお好きなようで。

付記:どうでもいいけど、DVD発売元のサイト、製品情報が未だにアップされていません。どうなってるの?

2005年10月25日火曜日

それなりにチェック

〔ちょっとお耳に〕



今日会った人の中に風邪引きさんが多かったせいか、あっしも夕食後、風邪かな?と思うような兆候が。
それゆえ、軽めのネタにて失敬。

来年の話をして恐縮ですが、1月27日に『香港クレージー作戦』のDVDが出ます。
クレージー映画の中ではそれほどいい出来ではない本作ですが、香港ロケ映画としてはやはり見逃せない1本です。
元祖台流スター・林沖先生もご出演なさっています。


ただ、杉江監督が好んでロケする場所って、いつも同じなのよね(動植物公園とか)・・・・。

石山健二郎扮する張大人が、先の大戦以来一度も笑ったことがないという設定には、「やっぱり、日本の軍政の悲惨な記憶がそうさせてしまったのかしらん?」と、いささかドキリとさせられます。

同じ日には他に『クレージー黄金作戦』『クレージー・メキシコ大作戦』のDVDも同時発売、「3つまとめて面倒見たよ!」なDVDボックスも発売予定です。

次は『無責任遊侠伝』、お願いします。

こちらは、9月発売分

2005年10月24日月曜日

私の目も細いです

〔しようもない日常〕

女囚やくざ、久々にマスコミに登場・・・・と思いきや、大変なことになってるみたいですね。
お金はちゃんと払いましょう。

さて。今日は『細い目』を観てきました。
松岡環さんの「東南アジア映画講座」でちらりとさわりを見せて頂いて以来、全編観てみたいなあと思っていた作品です。
例によって、軽く感想を。

『細い目(Sepet)』
2004年、マレーシア。ヤスミン・アフマド監督(キャストはなぜか英文表記のままのため、略します)。


想定内のオチとはいいながら、やっぱり、

そりゃないぜ!チチョリーナ!(死語)

でありました。

金城武とウー先生が好きなマレー人少女と海賊版VCD売りの華人青年の純愛物語ながら、反対するのかと思ったヒロインの母ちゃんは、家政婦さんと毎晩香港ドラマを観、『上海灘』を口ずさむという、娘に負けず劣らずの中華サブカルチャー好きで、娘の恋を後押しします。
一方、青年の母もプラナカン(ニョニャ)という出自ゆえ(家ではマレー語と広東語と北京語が飛び交っています)、息子の気持ちを理解するのでした。

しかーし!

そんな恵まれた環境の微笑ましい恋愛・・・・になるはずだったのに、この彼ったら、とんでもねーことやらかして、そこからこの映画はどうしたことか、「異民族の恋愛→憎みきれないろくでなしとお嬢様の純愛」へとシフトしちゃうんですよ。

そして、これはあっしの頭がかたすぎるのかも知れませんが、ヒロインには誠実で一途な愛を捧げ続けた彼が、他方では別の女性を(理由の如何はどうであれ、結果的には)傷つけている、そのギャップがどうにも釈然としなかったのでありました。
それでも互いのことを思う、それが恋というものなのでしょうけれど・・・・。

(VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ スクリーン6)

付記:昨晩、林正盛監督と遭遇しました。
不肖せんきち、監督の『青春のつぶやき(美麗在唱歌)』がとても好きなので、その旨お伝えしましたが、サインを頂いたのは『天馬茶房』のVCDでした。ははは。


あ、そうそう、『月光の下、我思う』で流せなかったひばりの歌、なんと言う歌だったのかも聞いたのですけれど、「自由がどうとかこうとか・・・・」とおっしゃるのみで、曲名は失念なさった模様。
監督が思い出して下さるようにと、その場で『リンゴ追分』『港町十三番地』『花笠道中』のさわりを歌ってしまった、おバカなせんきちだったのでした・・・・。

2005年10月23日日曜日

映画祭初日

〔しようもない日常〕

映画祭初日。
この日観たのは3本。軽めの感想なんぞを。

『長恨歌(長恨歌)』
2005年、香港。關錦鵬監督。鄭秀文、梁家輝、胡軍主演。

サミーの歌う『香格里拉』は今風でした。

サミー版『嫌われ松子の一生』(ウソ)。

しかし、どうしてこの女性、あれだけ男を惹きつける魅力を持ちながら、あれだけあっさり捨てられちゃうのか。
自分から追いかけるということをしない(変に物分りがいい)人みたいなので、その辺の押しの弱さが敗因(?)なのか。
サミーは、そんな曖昧模糊としたヒロイン像をそれなりによく表現していたと思いますが、彼女を見守る梁家輝の男の情念にこそ心打たれますね、あっしは。

時代背景に関しては暗示するのみの描写が多く、国共内戦のときには窓外で銃撃戦が行われているとか、文革のときには大音響のシュプレヒコールが聴こえるとか、そんな感じでした。

こんなのは、ナシね。

かつて国民党幹部の愛人だったヒロインが、文革のときに吊るし上げを食らわなかったのは、ラッキーだったのか、それともそこは原作でも映画でも敢えて避けたのか、やや疑問が残りました。

そして疑問と言えば、最大の疑問は、なぜこのヒロインは、何度も上海を脱出するチャンスがあったのに(上海に)留まり続けたのか。
彼女にとっての上海とは、一体なんだったのか・・・・。
となると、この映画の主人公は、ヒロインではなく上海そのものということになるのでしょう。
去年の映画祭で上映された『ジャスミンの花開く(茉莉花開)』も、なんだかんだいって上海が主人公の映画でしたし。
ただ、ヒロインと上海の関係性、というか、結びつきみたいなものが今ひとつ感じられなかったのもたしかです。

あ、そうそう、映画の本筋とは全く関係のないことながら、ヒロインの親友(なのか?)で香港へ移住した麗莉が、口を開けば「香港人蔑視発言」をしているのを観て、「こういう考え方が省籍矛盾を生む原因になったんだよなあ」と、嘆かわしい気分(?)になってしまいました。

『飛び魚を待ちながら(等待飛魚)』
2005年、台湾。曾文珍監督。王宏恩(Biung)、Linda主演。


蘭嶼島を仕事で訪れた台北のキャリアガールが、原住民の青年と出会い、やがて彼女の心の中に変化がおきてゆく・・・・というありがちなストーリーながら、そこそこ楽しく観ることが出来ました。
青年の友人たちも、いい味出してます。

ただ、だからなんなの?と言われれば、それまでの気もするのですが。
それに、窓もない家にみんな平気で住んでるのどかな島で財布を盗まれるなんて、ちょっと設定としては無理がありますね(後で種明かしがあるが)。

最後の美容院シャンプー頭脱走事件、できれば島へ着いてもシャンプー頭のままでいてほしかったです。
違う映画になっちゃうけど。

阿妹の歌、ノンクレジットでした。

『月光の下、我思う(月光下、我記得)』
2004年、台湾。林正盛監督。楊貴媚、施易男、林家宇主演。


李昂の小説(『西蓮』)の映画化。
映画の中で特に説明をするわけではないので、主人公たちの小道具、あるいは使用言語からその背景を類推することになるのですが、冒頭、まず初期の何莉莉が表紙の雑誌『今日世界』が映り、これが1960年代の台湾であることが提示されます。

尤敏が表紙の『今日世界』。

夫と離婚した後、女手一つで娘を育てあげた母親(楊貴媚)は、日本の植民地時代に高等教育を受け、日本語と台湾語を話し、部屋には日本画と原節子のポスターを飾り、寝巻きも浴衣、聴く音楽は美空雲雀(ひばり)なのに対して、戦後の国民政府の教育を受けた娘(林家宇)は、北京語と台湾語を話し、香港製の北京語映画を愛し(部屋に置かれた雑誌は、凌波が表紙の『南國電影』。ラジオの傍らには凌波と林黛の写真が飾ってあります)、ジェームス・ディーンのポスターを貼り、『亂世佳人(風と共に去りぬ)』を読み、聴く音楽は台語歌謡と、2人の間にある世代間の断絶がここから垣間見えます。
さらに、いとことの恋に破れた娘が、今度は同僚の外省人教師(施易男)と恋仲になったと知った母親が、娘に対して外省人への悪感情を吐露する、そこには今も台湾が抱えている問題である住民間の断絶(省籍矛盾)が登場します。
また、別れた夫が政治犯(政府の批判をして捕らえられた)として囚監されている緑島の対岸に住む母子の姿には、夫婦間(そして娘)の断絶をも見ることが出来ます。

そういった様々な断絶をはらんだままストーリーは進行するのですが、娘の恋人が緑島へ赴任した後、彼から娘宛に届く熱烈なラブレターを盗み読みした母親が、自分の若き日の恋をそこに重ねあわせ、やがて緑島にいる別れた夫と娘の恋人とを同一化させていく・・・・と、ここからは、天下御免の李昂ワールドが炸裂。

娘を訪ねて緑島からやって来た外省人教師が、母親との会話が成立しないため(母親は北京語ができないし、彼は台湾語ができない)筆談で意思の疎通を図るのも、断絶の象徴の一つといえましょう。

とにかく、楊貴媚なしには成立しなかった映画とだけ申しておきます。

「ラブレターに萌える楊貴媚」という描写は、彼女がハイミスの化学教師を演じた『恋人たちの食卓(飲食男女)』にも出てきますけどね。

残念だったのは、使用権の問題で揉めたせいで、美空ひばりの曲が流せなかったこと。
『黃櫻桃(黄色いサクランボ)』に対抗するひばりの歌とは、はたして・・・・?

付記:こちらに、『月光の下、我思う』のロケ地案内があります。

(VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ スクリーン2、Art Screen)

2005年10月21日金曜日

黛緑年華 (The Splendor of Youth)

〔えいが〕


1957年、香港(電懋)。左几監督。紫羅蓮、梅綺、吳楚帆、張瑛主演。

いよいよ明日から「東京国際映画祭」ですが、今日は先だって観た映画の紹介を軽く。
電懋が製作した広東語映画です。
超大まかなストーリーは、下記の通り。

香港島の高台にある大邸宅。
女主人である翁范夫人(黎灼灼)は、自宅で夜毎華やかなパーティーを開催、香港の名士たちが多数かけつけていました。
しかし、その裏で夫人は自分の3人の娘(梅綺、方華、丁櫻)を彼らにセックスパートナーとして提供、暴利を貪っていました。
ひょんなことからこの家へ居候することになった長女の友人・湘瑩(紫羅蓮)も夫人の仕掛けた罠に嵌まり、パーティーの常連である薛(劉克宜)に貞操を奪われてしまいますが、彼女を優しく見守る建築家・龍立群(吳楚帆)の励ましによって立ち直り、新たな人生を歩むことを誓うのでした・・・・。

ぶっちゃけ、「ミッドレベルの金持ち族の乱脈な私生活を暴く!」とか「ふしだらはあかん!」といったご教訓めいた内容が中心の映画と言えなくもないのですが、その設定のあまりのエグさにまずはお腹いっぱいの作品でありました。
なにしろ、長女・黛妮は客の子を妊娠するものの流産、そのときの出血がもとで死亡、次女・黛敏は「こんな生活やってられん!」とばかりに母親の財産を持ち逃げして失踪、三女・黛瑜は病気持ちの客から梅毒を移されて失明ですから、いやはや、なんと言ったらいいのやら・・・・。

でも、なんでこういうお話だと女ばかりがつらい目に遭うのかしらん。
男はいつもやり逃げでさ。

ただ1人、やり逃げにならなかったのが張瑛演じる譚尊尼(ジョニーよ、ジョニー。2時間待ってても来ないジョニー←古すぎ)。
彼が夫人のジゴロ(死語)であることを知らない湘瑩は彼に一目ぼれしますが、やがて本性を剥き出しにした尊尼は、彼女をホテルに誘い込んで、

おらおらおら、もったいぶってねーでやらせろや!初めてじゃねーくせによー!(創作入ってます)

と強姦未遂、最後は夫人の手によって葬り去られます(華麗なる階段落ちで絶命)。

ラスト、立群によって救い出された湘瑩と黛瑜の眼前に新生の象徴とも言うべき日出が現われておしまいになりますが、はっきり言って、

後味悪すぎ。

でも好きだけどね、こういう映画(結局、褒めてんのかい!)。

2005年10月20日木曜日

股、裂けてませんか?

〔えいが〕

遅ればせながら、『ベルベット・レイン(江湖)』観てきました。
主人公たちが立ち向かうべき不条理(理不尽)、あるいは絶対的な悪が不在のこの手の映画って、なんか乗れませんわ。
男同士の心中物語としては、まあまあ面白かったけど。

ま、あっしとしては、スクリーンで小倩が拝めただけでもありがた涙だったんすが。

「ショーンの母ちゃん・惠英紅」(「お前の母ちゃん出べそ」みたいだけど)は、『無間道Ⅱ』の「ショーンの腹違いの姉ちゃん・惠英紅」をびみょーに意識しているのでせうか。

その他、あっしの大注目は左手の母ちゃんやってた夏萍さん。

初め電話の声だけだったので、

「誰か知らん?・・・・きっと夏萍よ。夏萍に違いないわ!」

と勝手に予想、その後珍しく予想が当たり、夏萍さんがちらりと映ったので、鼻高々でしたわ。


こちらも夏萍さん(柯德莉夏萍)。台湾では奥黛利赫本ですが。


さて。
話題はがらりと変わって。

東映監督シリーズ DVD-BOX 石井輝男篇」、いよいよ明日発売です。
我らが(?)橘ますみたん主演作は、下記の2本。


徳川女刑罰史


徳川いれずみ師 責め地獄


以前もご紹介しましたが、特に後者はあっしの大好きな作品。
冒頭の首チョンパからラストの股裂き(『刑罰史』にも登場)まで、見せ場満載の構成です。

股裂きといえば、最近、チャルメラのCMでチャルメラおじさんがマダムたちに手足を引っ張られておりますが、あっしはあれを観るたびになぜか上記2作品を思い出してしまうのでありました。

皆様も、よろしければ、ぜひ。

2005年10月19日水曜日

『亡命記』ロケ地メモ 補遺

〔ちょっとお耳に〕

先だってビデオ録画に失敗した『亡命記』、今日の再放送でようやっと成功、ひさびさに再見いたしました。

しかし。

以前観たときには、まず、

文部省選定

と出た後で、

撮影協助 国際影片発行公司

の但し書きが入り、

松竹マーク

になったのですが、今回はいきなり、

松竹マーク

でした。

省略しちゃったの?

というわけで、再見後、以前ご紹介した「ロケ地メモ」と内容を照合、その結果、気付いたことを少し書きとめておきたいと思います。

S26~S33 ここまでは全て南京の設定。戦中。
S59 上海の設定。戦後、やむを得ず顔紹昌(佐田啓二)と離婚した左千子(岸恵子)が、娘・慧子を連れて日本へ引き上げる途中の映像。
S63~68 南京の設定。戦後、漢奸の容疑をかけられた紹昌が、国府軍から逃げ惑うさいの映像。
S EXTRA やはり南京の設定。鉄道の駅で、逃げ惑う紹昌。九龍鉄道の駅を利用か? 
S 饅頭屋 これも南京。しかし、饅頭屋の主人の話す北京語がたどたどしいので、店頭は香港(永華スタジオ)、店内は日本国内で撮ったものか?

この他、一度は国府軍に捕らえられた紹昌が、護送用のトラックの荷台から逃走、川へ飛び込む場面も、兵士役の俳優の話す北京語の発音から考えて、どうやら香港で撮ったもののようです。

映画には、影佐禎昭がモデルと思われる小久保清忠(笠智衆)や、林柏生(華影〔中華電影〕の董事長でもありました)がモデルと思われる林伯成(佐分利信)が登場しますが、林が漢奸の罪で射殺されるのに対して、小久保は日本に帰って無事生き永らえるという、なんだか対照的な運命で、観ていて複雑な気分になりましたです、はい。

それから、紹昌と左千子の一人娘・慧子を演じていたのは、シリア(シリヤ)・ボール
後のオリーブさんです。
ちょい濃い目の顔の蕭芳芳(子役時代のね)みたいでした。

付記:蕭芳芳といえば、11月11日(金)、広島で『廣島廿八』が上映されます。観たいなあ。

2005年10月18日火曜日

en-taxi 第11号

〔ほん〕


2005年9月、扶桑社。柳美里、福田和也、坪内祐三、リリー・フランキー責任編集。

今朝の新聞広告で発見。
大特集が、

「七〇年代東映」蹂躙の光学

こいつを見たあっしは、昨日の「香港映画フォーラム」で王晶監督が、「現在の香港映画界が置かれている状況は、70年代の日本映画界と似ている」というコメントをしていたのを思い出し(ただし、70年代にはDVDはなかったけど)、「まあ、なんとタイムリーな!」と思い、さっそく購入いたしました。

表紙は、『脱獄広島殺人囚』の松方弘樹。

内容はというと、ざっとこんな感じ。


「現代暴力論-もしくは、ヤタケタな東映映画作品について」福田和也
対談「脚本家・笠原和夫の『反』」荒井晴彦×絓秀実
「美能幸三に初めて会った夏。」岡田純良
特別取材「『仁義なき戦い』の頃を思い出すと・・・・・・」松方弘樹
「つるりとした気品-成田三樹夫の俳句」石井英夫
「飲み、書き、演じたオトウさんたち-殿山さんとコミさんのこと」内藤 誠
「東横映画史略 -満映後史・東映前史」田中眞澄
追悼:石井輝男監督「キング・オブ・カルト 不死鳥の死」リリー・フランキー


これに「別冊付録」(昔のお子様雑誌みたい)として、笠原和夫の『実録・共産党(未映画化シナリオ)』と『日本暗殺秘録』が付いてきます。

しめて860円也(レジのあるお店では859円みたい)。

で、中島貞夫監督(来月、これやります!)へのインタビューも収められた福田氏の評論の最後には、


今年の春、フジテレビの衛星放送の番組で、東映の岡田茂相談役にインタビューする機会があった。いろいろ伺った最後に、結局プログラム・ピクチャーが復活しないかぎり、映画は復活しません、とおっしゃった。


とあり、やはりここでも、昨日の王晶監督の「娯楽至上」発言を思い起こしたせんきちなのでありました。

王晶監督、岡田さんと気が合うと思うよ、きっと。

付記:福田氏の評論の中で「京都の『T撮影所』に、『温泉たこつぼ芸者』という作品のためにやってきた、と『三文役者のニッポンひとり旅』、「京都のパラダイス」と題された回で殿山泰司は書いている。『T撮影所』が、東映京都撮影所だろうということはすぐに推察できるが、『温泉たこつぼ芸者』という作品はよくわからない」という件がありましたが、これはご周知の通り『温泉みみず芸者』の当初のタイトル。岡田さんが「たこつぼ」を「みみず」に変えちゃったらしいです。

2005年10月17日月曜日

にわかヒルズ族

〔ちょっとお耳に〕

好きです、『怪談』。

行ってきました、「香港映画フォーラム」。
六本木ヒルズのタワー49階。
高所恐怖症なのでどうしようかと思いましたが、窓にはブラインドが下りていたので、外を見ないで済みました。

ちゃんと来ましたよ、王晶と張柏芝。
セシ、かわいかったっす。

お題は「香港映画の特色とアジアや世界の映画産業における重要性」というものでしたが、中身はあんまりそれとは関係なかった気も・・・・。

王晶監督が見た香港映画の現状分析は、面白かったです。
で、会場内からの質問に答えて曰く、王晶監督が影響を受けた日本の映画監督及び作品は、

五社英雄監督 『御用金
小林正樹監督 『怪談

だそうです。
テレビ出身の王晶監督が、やはりテレビ出身の五社英雄監督から影響を受けてるってところに、なにやら因縁めいたものを感じるけど・・・・。

詳しい中身はきっと他のblogの方がアップなさると思うので、あっしはこの辺で(って、何も書いてないじゃないの!)。

あ、ついでにいうと、ここ東京は、今から45年前の1960年、王晶監督のお父さんの王天林監督が、アジア映画祭の監督賞を受賞した場所なのでした。
あんまりかんけーないか。

付記:「写真撮影禁止」とか言っておきながら、結局なし崩し的に無法地帯と化してました。やっぱりな。

2005年10月16日日曜日

仕切り直し

〔ちょっとお耳に〕

一昨日と同じ画像。
1974年に香港で公開された『驅魔人(エクソシスト)』を意識したタイトル。

母親が旅行に行って留守なので、今日は留守番兼電話番で一日中家にいました。
昼間、買ったままになっていたVCDを引っ張り出してきて観たところ、お母さんが3人の娘(女学生)に援助交際をさせているという設定の映画で、そのせいか(?)夜になってまた頭が痛くなり(吐き気も)、さっきまで横になっていました。

さて。一昨日の記事の仕切り直し・・・・の前に、北京マラソンの続報を。

コース間違えたチェロノV 北京マラソン、中崎は3位

チェロノがトップ、距離短く記録無効 北京国際マラソン

結局、失格にはならなかったみたいです、男子トップのチェロノさん。


男子のレースは「1位の順位は有効、記録は無効」という奇妙な結果となった。オリンピック体育センター内に入るときに、先導車がチェロノから離れたうえ、テレビ中継車が近道をしたため、事情を知らないチェロノが中継車の後についていってしまったという。
主催者はミスを認めたうえで「2位との差がかなりあったから」と優勝は認める結論を出した。「平均速度」から割り出した2時間9分15秒を個人参考成績と認めたが、チェロノのマネジャーは「信じられない。大会運営が悪すぎる」とあきれていた。
これ以外にも、一般客が自転車で、男子トップのすぐ後をスタート直後からついて走り「ゴール」する珍事も。沿道の係員らは伴走者と勘違いし、不審に思わなかったという。ゴール直後にやっと取り押さえた大会関係者は「世界の恥だ」。


「中国の恥」と言わずに「世界の恥」と言っちゃうあたりが、大胆というかなんというか・・・・。

で。
いよいよ仕切り直し。

13日、丘なおみが出たという香港映画に関する記事を書いたところ、吳偉明先生より、1974年の『驅魔女(The Seven Coffins)』(嘉禾)に「西橋奈美、原哲子」なる日本人女優が出ているとのご教示を賜りました(ありがとうございます)。
というわけで、さっそく調査してみたところ、この映画は監督が丁善璽、李影、盧國雄、田俊、劉永、森森の主演で、1975年4月11日~4月16日まで公開され、約300,412香港ドルの興収を挙げたホラー映画であることがわかりました。

ただ、この2人の女優の名前、『女子跆拳群英會(ジョン・ウーの龍を征する者)』に出ていた「西条奈美、原啓子」と酷似しているところから見て、どうも同一人物のようです。
っつーことは、西条奈美、原啓子の方が正しい名前ってことになるのでしょうか。
いくらなんでも、タイトルクレジットで人名誤記をするとは、ちと考えづらいので(香港の場合、ありうることではあるけど)。

と、ここまで調べてみて、気付いた点を少し。
嘉禾に助っ人として動員された脱星のパターンを見ると、次の2つの系統に大別されることがわかります。

ホラー+裸(『心魔(悪魔の生首)』『驅魔女』):池玲子、西条奈美、原啓子
アクション+裸(『女子跆拳群英會(ジョン・ウーの龍を征する者)』『艷窟神探』):衣麻遼子、小林千枝、丘なおみ、西条奈美、原啓子

アクションに池さんを使わなかったのはなかなか賢明な選択と言えますが、この当時、一時引退状態にあった杉本美樹がもしも現役だったなら、彼女もきっとアクション部門のリーダーとして香港へ乗り込んでいたことと思います。

ウー先生と杉本さんの奇跡のコラボ、観てみたかった気もいたします。

変な頭痛

〔しようもない日常〕


一昨日の晩からの頭痛、昨日の朝になってさらに悪化、というか、偏頭痛の発作が起こりまして、いやはや、ひどい目に合いました。
午後3時ごろになってようやく収まり、後は普段どおりの生活が送れましたが、一度ちゃんと「頭痛外来」か何かに行った方がよいかな、と思っております。

さて、今朝こちらを覗きましたところ、いつの間にやら9万ヒット達成しておりました。
いつもありがとうございます。

下の書きかけの記事、今日中には手を加える予定ですので、今度とも、てきとーにお付き合い下さいませ。

まずはとりいそぎ、ごあいさつまで。

付記:先ほどまで「北京マラソン」の中継を観ていましたが、男子1位の選手、どうも誘導ミスがあったようです(つまりはコースミスね)。レース中には横を走っている自転車と接触しそうになるし、警備や誘導面でまだまだ有問題ですね。オリンピックまであと3年。課題は少なくないような。でもこのマラソン、冠は日本企業だから、今回の最終的な責任もきっと・・・・(以下自粛)。

2005年10月14日金曜日

頭が痛い

〔しようもない日常〕


お腹を壊したと思ったら、今度は頭が痛いです。
風邪かしら・・・・。

というわけで、今日はメモだけ。
くわしくは、後ほど書き足します。

『驅魔女』(嘉禾)
丁善璽監督。李影、盧國雄、田俊、劉永、森森主演。
1975年4月11日~4月16日まで公開。興収:約300,412ドル。
ホラーだそうな。

2005年10月13日木曜日

なぜか何湄

〔ちょっとお耳に〕


いつも興味深く拝読している吳偉明先生のblog「吳偉明的知日部屋」に、過日、"Japanese Elements in Hong Kong Erotic Films"という、とてつもなくそそられる論考がアップされておりました。
その中に、丘なおみ(丘ナオミ、丘奈保美、岡尚美)が嘉禾の"The Detective and the Prostitute Den"(1974年)なる映画に出稼ぎ出演している旨の記述がありまして、いつものお調べ虫の血が騒いだあっしは、さっそくこの映画について調べてみました。

で、いろいろ調べてみた結果、この映画のタイトルは『艷窟神探(The Association)』で(『1億人のAV』〔1994年、宝島社〕にある『探神艷窟』は間違い)、監督は鄭昌和、主演は兪炳龍、茅瑛、恬妮、動作指導(ついでに出演も)は洪金寶、製作年はたしかに1974年ですが、公開されたのは1975年6月12日(から18日まで)で、約54万6388ドル(たぶん香港ドル)の興収を稼いだ、ということがわかりました。

せっかくなので、調べついでに古新聞漁りもしてみたところ、1974年9月17日付『香港工商日報』にちょこっとだけ記事があり、それによると、丘さんは本名ではなく、なぜか「何湄(ほーめい?)」という中国名で出演していたようです。

丘奈保美→おかなほみ→な「ほみ」→ほーみー→ほーめい→何湄・・・・てな、具合でしょうか。

その理由をつらつら考えてみるに、鄭昌和監督作品ということで韓国での公開を念頭に置いた結果、日本名じゃまずいということで中国名にしたのかしらん、とも思ったのですが、ほぼ同時期にウー先生の韓国ロケ&韓国俳優出演映画(これも韓国市場狙いね)に出稼ぎしていた衣麻遼子や小林千枝らは日本名のままで出演しているので、どうもそういうことではないみたいです。

ほらほらそのまんま

てなわけで、とりあえずは上記のような事項が判明しましたが、日本からの出稼ぎ順で言うと、

池玲子→丘なおみ→衣麻遼子、小林千枝他

という順序のようで、池さんがやっぱりこの手の映画における最初の出稼ぎスターだった模様です。

ま、みんな1974年のことなのですけどね。

(ひとまずおしまい)

2005年10月12日水曜日

香港合作映画の黎明・上映日程

〔えいが〕

『香港の星』より

先だって、こちらでもご紹介した特集上映「香港合作映画の黎明」(於:福岡市総合図書館映像ホール・シネラ)の上映スケジュールが判明しました。

『楊貴妃(楊貴妃)』(1955年、大映・邵氏)
11月 5日(土)14:00、11月10日(木)14:00
『白夫人の妖恋(白蛇傳)』(1956年、東宝・邵氏)
11月 5日(土)11:00 、11月10日(木)19:00
『香港の夜(香港之夜)』(1961年、東宝・電懋)
11月 3日(木・祝)15:10、11月12日(土) 11:00
『香港の星(香港之星)』(1962年、東宝・電懋)
11月 2日(水)14:00、11月12日(土)14:00
『ホノルル・東京・香港(香港・東京・夏威夷)』(1963年、東宝・電懋)
11月 3日(木・祝)11:00、11月12日(土)17:00
『ならず者(雙雄喋血記)』(1964年、東映。撮影協力・邵氏)
11月11日(金)19:00、11月13日(日)14:00
『香港の白い薔薇(香港白薔薇)』(1965年、東宝・台製・電懋)
11月 4日(金)14:00、11月13日(日)11:00
『梁山伯と祝英台(梁山伯與祝英台)』(1963年、邵氏)
11月 6日(日)14:00、11月11日(金)14:00
『大酔侠(大酔俠)』(1966年、邵氏)
11月4日(金)19:00、11月6日(日)11:00
『香港ノクターン(香江花月夜)』(1967年、邵氏)
11月5日(土)17:00、11月9日(水)14:00

そして、宝田明独演会、じゃなかった、宝田明シネマトークも11月3日14:00~あります。
たった1時間では、宝田さん、しゃべり足りないのじゃ・・・・。

チケットは、シネマトークのみ前売券ありで800円(当日1000円)、他は当日券のみで大人600円です。

どうでもいいけど、作品紹介にある『香港の星』の写真(下のほう)、どこかで見たような気がするのだが・・・・。

お近くの方、ぜひ足をお運び下さい。

2005年10月11日火曜日

当選はしたけれど

〔しようもない日常〕

ドタキャンは無しにしてね(願望)。

今日。
夕食後、ついうとうとしてしまい、気付いたら午後10時近く。
「こりゃやばい」と思いながら慌てて飛び起き、パソコンの電源をオン。
いつものようにメールチェックをしたところ、何かと話題の「日中通信社」様からメールが。
その内容はというと・・・・


・・・・先日は弊社主催の「香港-日本交流年2005 特別イベント」へご応募頂き、誠にありがとうございました。
ご応募いただいた皆様の中より厳正なる抽選の結果、せんきち様には下記イベントへご招待させて頂くこととなりましたので、ご通知申し上げます。
イベント名:  ①香港映画フォーラム(以下略)


おや、当たっちゃったよ。
でも、いつだったっけ、これ?
10月17日(月)か。
で、こちらのフォーラムの概要は、ホームページによれば、


香港の映画監督・王晶(ウォン・ジン)氏、女優の張柏芝(セシリア・チャン)氏や、香港映画評論家である東京大学助教授の野崎歓氏をゲストに迎え、香港映画の特色とアジアや世界の映画産業における重要性を討論します。


だそうな。

でも、野崎先生はともかく、ほんとに来るのか、香港側ゲストの面々。
例えば、

こんな王晶さんが来ちゃったりすることはないよね?


それにさ、メールにあったフォーラムの開催時間、


午後1:30開始(2:00開場)


なんだわ。
タイムマシンにでも乗るのか?

・・・・とりあえず、行ってきます。

2005年10月10日月曜日

死人の殺人(『銭形平次』第15話)

〔橘ますみ〕

1966年8月10日、東映・フジテレビ。田坂勝彦監督。大川橋蔵、八千草薫主演。

おなじみのテレビ時代劇『銭形平次』第15話。白黒ざます。
橘ますみたんの超初期作品。
これが一番早いドラマ出演だったのではないでしょうか、おそらく。

ここでのますみたんの役どころは、日本橋の老舗「紅鶴」の娘・お雪。
恋仲だった神田の料亭「酔月」の次男坊・佐吉と晴れて結ばれ、仮祝言を挙げていた最中、佐吉が盗みの疑いをかけられて捕らえられてしまいますが、平次親分の活躍によって佐吉の嫌疑も晴れ、2人は正式に祝言を挙げることが出来たのでした、というお話。

まずみたんの登場場面は、冒頭の仮祝言と最後の本祝言の件の数分間。
台詞は、

あっ!それはっ!

の一言のみ。
でも、仮祝言のときの振袖姿も初々しかったし、最後は白無垢姿だったので、登場時間ほどほんの少しでしたが、なかなかに楽しめました。

お話自体も、派手な立ち回りよりも平次親分の推理を前面に押し出した作りで、サスペンス時代劇として面白く観ることができましたです。

八千草薫もかわいかったっすよ。

付記:橋蔵の濃すぎる目張り、今観ても衝撃的。小さい頃、素顔の橋蔵を知らなかったあっしは、お正月番組に素顔で出てきた橋蔵を観てそのギャップにものすごーいショックを受けた思い出があります。

(於:時代劇専門チャンネル)

2005年10月9日日曜日

『東京-香港蜜月旅行』ロケ地メモ

〔ちょっとお耳に〕

10月5日(水)の『亡命記』ロケ地メモの続き。
『亡命記』と同時期に香港ロケを行った松竹と國際(電懋の前身)の合作映画『東京-香港蜜月旅行』(1955年)のロケ地メモです。
前回同様、『野村組 "亡命記""東京-香港蜜月旅行"香港ロケーション一覧表(準備稿)』(早稲田大学演劇博物館蔵。佐田啓二旧蔵本)を元にしております。
誤記と思われる部分も敢えて訂正しないという点も、前回と同じです。

S23-29 劇場 佐田(啓二) 厳(厳俊) 林(林黛) 茅(陳又新)
S31 香港空港 日航機到着(着陸) 有馬(稲子) 佐田 岸(恵子)
S32 香港空港 事務室 有馬 佐田
S33 香港空港 表 有馬 佐田 岸 Taxi運転手 
S34 ミラマーホテル前 岸 有馬 高級車1台
S36 カウンター 佐田 事務員
S38 ロビー 佐田 有馬 岸
S39 香港の繁華街 岸 有馬 佐田
 |
S43 別の街角 
撮影場所(上記S39から43までの具体的な地名と思われる・せんきち注)
1の前A 九龍桟橋(入って行く) 佐田
1の前B 連絡船上 佐田
    香港桟橋(出て来る) 佐田
1 香港の繁華街(中国銀行の前) 佐田 通行人
2 胡文虎の庭(S47) 有馬 岸 佐田 クロード・クレマン
3 ケーブルの駅前(始発駅) 有馬 岸 佐田
4 ケーブルの中 有馬 佐田
5 ケーブルの駅 岸 クロード
6 香港の繁華街(クインロード) 佐田 通行人
7 (記載無し・せんきち注)
8 九龍~バス停留所 佐田
9 果物ヤの前 岸 有馬 佐田 果物ヤの主人
S52 香港空港 飛行場の中 厳 林 佐田
S54 香港空港 飛行場 阿媽(紅薇) 茅 厳の親類(結婚式に出席する人)
S55 香港空港 日航機出発

上記の他、S17・19・21(李尾之電話室)、S25・27(新聞社事務所)、S49・50・51(結婚式)が永華スタジオでのセット撮影。
他に、永華スタジオでは九龍バスを借りてのバス内部の撮影も行われています。

ちなみに、香港公開時(1957年)に発行された特刊には、ロケ地に関して、

「東京香港蜜月旅行」一片中所選擇的香港外景、計有佐敦道碼頭、尖沙咀碼頭、九龍與香港的熱鬧街頭、啟德機場、山頂纜車、虎豹別墅、淺水灣、高陸戲院、普慶戲院、以及渡海輪上等、凡是香港的特色、幾乎盡被搬上銀幕。

とありました。

そういえばこの映画、林黛が新婚旅行のついでに生き別れになった日本人の父親を探すという、『香港の夜』のルーツのような趣向もあります。
日港のロマンスはないけど。

ということで、メモメモまで。

付記:昨日の宝田さんの座談会、大盛況だったようですね。会場には静婷や鄧小宇も来ていたとか。うーん、サインほしい。

2005年10月8日土曜日

だって眠いんだもん

〔しようもない日常〕

眠いでちゅ

誠に恥ずかしながら、不肖せんきち、東京国際映画祭チケット獲得結果のご報告なんぞを。
お友達と共闘した結果、希望のチケットは全て購入することができました。
友よ、ありがとう。

一応、下記の作品は観に行く予定でおります。

10月22日(土):『長恨歌』『飛び魚を待ちながら』『月光の下、我思う』
10月24日(月):『細い目』
10月26日(水):『無米楽』『AV』
10月27日(木):『恋人』『浮気雲』
10月28日(金):『深海』『ドラゴン・プロジェクト/精武家庭』

沢山買ったような気がした割には、少ないですね、全然。
『非婚という名の家』と『台湾黒電影』は別の機会に観られそうなので、映画祭ではパス。
29日(土)は「阿妹の日」なので、やはりパスしました。
29日、新文芸坐にも行けそうにないわ(『責め地獄』、観たかったのに、股裂き)。
翌日の『徳川女刑罰史』に賭けます。

待ってろよ!ますみ!!

・・・・なんだか違う方向へ話が行ってしまいますた。
話を元に戻すと・・・・

チケット購入後、一旦家へ戻って昼食を摂ってから再び外出、都内某所での地下上映会に出席いたしました。
なかなかさわやかな青春映画でした(タイトルは内緒。なにしろ「地下」なもんで)。

しかし、それにしても、眠いです。

2005年10月6日木曜日

日本第一美男子

〔ちょっとお耳に〕



金と時間が無いばっかりに、現在好評開催中の「早期港日電影交流展」には行けずじまいの不肖せんきちですが、今回の特集上映に関連して石琪先生がこんな文章をお書きになっていらっしゃいます。

玉女尤敏.港日交流

日本香港交流往事

「玉女尤敏~」の最後には、


明年是她逝世十周年,應該舉行「尤敏電影精選回顧展」。


とありますが、もし実現したらこれほど嬉しいことはないです。
借金しても観に行きます。
ただ、『最長的一夜』は尤敏ではなく樂蒂がヒロインなので、それは訂正したほうがよろしいかと・・・・。

それから、下記のコラムもなかなか面白いです。

擅玩旗袍魔法的尤敏

『香港の夜』は勿論ですが、『香港の星』での旗袍も素敵でした。尤敏は、自前の衣裳がけっこう多いみたいです。

さてさて。

10月2日(日)にたった1回だけ上映された『最長的一夜』ですが、この映画、台湾でロケをしております。
ただし、ロケに参加した俳優は、宝田明1人だけ。
樂蒂は、台湾へは行きませんでした。

当時の報道(『聯合報』)を元にそのロケ地を辿ると、冒頭の部隊壊滅からただ1人生き残った宝田さんが彷徨うシーン及びラストは、台北郊外の木柵で撮っています。
観光茶園で呑気に茶ーしばいてる場合じゃない、というか、あんなに壮大な田舎(?)だったんですね、木柵。

さらに、夜間、一度は日本軍の陣営に戻った宝田さんが、心臓発作で倒れた樂蒂のお舅さんのためにコソーリ心臓の薬を瓶ごとかっぱらい、それを届けるために疾走するシーン。
ここもやはり、台北郊外の景美渓沿いで撮影が行われました。
この撮影のさいにはファンが2万人も押し寄せて道路を塞ぎ、川岸や景美橋、周辺のビルの屋上から撮影を見物したそうです。

で。本日のタイトル。

これは『聯合報』が宝田さんに付けたキャッチコピー。

香港の真珠(尤敏)と日本第一美男子(宝田明)の映画だったのですね、香港3部作は。

付記:『最長的一夜』での樂蒂の回想シーン(樂蒂&宝田の「明るい農村」)は、樂蒂が台湾へは行っていないところから見て、新界のどこかで撮ったもののようです。

2005年10月5日水曜日

『亡命記』ロケ地メモ

〔ちょっとお耳に〕

しゃおがんさんのblog「実録 亞細亞とキネマと旅鴉」で、映画『亡命記』の香港ロケ部分に関して「残念ながら出てくるところはわからなかった」とありましたので、『野村組 "亡命記""東京-香港蜜月旅行"香港ロケーション一覧表(準備稿)』(早稲田大学演劇博物館蔵。佐田啓二旧蔵本)に記載されているロケ地をちょこっとメモしておきます。
この一覧表、かなりの誤記がありそうなのですけれど、あくまでもメモですので、このさいそれは敢えて無視することにします。

S26 南京の情景(佐田 岸)
S28 顔邸の表 佐田 岸 (場處青山方面 香港道徳分会)
S29 邸内 顔士龍(陳又新のこと・せんきち注) 阿媽(紅薇のこと・せんきち注) 佐田 岸
S31 顔邸の近く 岸 士龍
S32 或岡上 岸 士龍(中略)※1大埔仔廣培高初両等小学校(1941 Springの時代に合はせること)2蘭樹小学校
S33 門前 情景
S59 乍浦路 岸 EXTRAS (場所はノーザンロード 興仁中浮〔カ?判読困難〕角から海むけ)
S63-68 顔紹昌の逃走 佐田 阿媽 阿媽の母(中略)※濠涌又は西貢
S EXTRA 寒村の駅 佐田(中略)油麻地区(候補地)
S 饅頭屋 佐田 主人(中略)※夜間オープン撮影

ここに出てくる場所、あっしの力ではいくら調べても特定できないのですが、どなたかおわかりの方がいらっしゃいましたらご一報下さい。

写真は、昨日、新大久保で買ったベトナム製マンゴージュースについていた但し書き。
何気なく音読しようとして、すぐその危なさに気付いてやめました。
品名をどこで区切って読むかによっても、いろいろ楽しめ(?)そうです。

2005年10月3日月曜日

かきオンナがやってくる!

〔ちょっとお耳に〕

こんな「かき」もあります。


戦後、日本で最初に上映された台湾映画(合作除く)は胡金銓の『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿(龍門客桟)』で、1968年のことだったそうですが(違ってたっけ?)、それ以前から、日本でも台湾(中華民国)の映画が上映されるようにするための働きかけが、いろいろとあったようです。

呂訴上の『台湾電影戯劇史』(1961年、銀華出版部)によると、1951年には日本政府が毎年2本の中国語映画を輸入することを決定するものの、翌年、国府が中国語映画は自由中国製作(つまり、内地の映画は駄目ってことですか。香港の右派作品は含まれるけど)の映画だけにしろ、だの、うちとこ(台湾)があんたんとこ(日本)の映画を輸入するのと同じぐらい、あんたんとこもうちとこの映画を輸入しろ、でなきゃその間あんたんとこの映画も輸入しないよ、だのと言い出して、交渉自体がうまくいかなかった模様です。

で、今日ご紹介するのは、1964年10月21日付『聯合報』にあった記事。

松竹が、系列の全国800の映画館で中央電影の『蚵女』を来月から順次上映すると発表した、という衝撃(?)のニュースであります。

記事には8万米ドル(固定レートの時代です)を使って上映用に80のコピーを作成、2万米ドルで日本語の吹替を行い、宣伝費に5万米ドルを使うという、やたらにでかい話が載っており、ヒロインを演じた王莫愁の写真を宣伝用に日本へ送った、とも書いてありました。

しかし、その結果はといえば、残念ながらお蔵入りになってしまいました。
というか、この記事自体、ガセなのかマジなのかよくわからないのですけれど。

この映画が日本で陽の目を見るのは、記事が出てから33年後の1997年のことです(邦題は『海辺の女たち』)。

その後、1966年ごろには、李翰祥監督の『西施』も有楽座で上映されかけたみたいですが、これもやはりぽしゃり、そして1968年に至って、ようやく、しかしひっそりと上映されたのが、冒頭の『残酷~』だったのでありました。

おしまい。

2005年10月2日日曜日

終戦後的戦争

〔ちょっとお耳に〕

今週ちょっと忙しいので(普段は暇なくせにね)、更新が滞ることがあるかと存じますが、あしからずご了承下さい。

さて。

以前、メインサイトでご紹介した日台合作ホラー映画の監督をした小林悟監督、この方、後に台湾でも映画を撮っており、「追悼・小林悟監督」のインタビューコーナーにもその折のエピソードが出てきます。
が、その中でどうしてもわからなかったのが、超大作(らしい)『戦争後の戦争』。
鶴田浩二に新藤恵美と、中華圏でもメジャーな2人(ある一定の年齢層より上に限られると思うけど)の他、梅宮辰兄イにスターにしきのまで出ているという、ある意味「なんでもあり」なキャストによる台湾映画だったようですが、今日、何となく台湾映画のデータベースサイトで遊んでいたところ、見つかりました、この映画のデータ。

『戦争後の戦争』じゃなくて『終戦後的戦争』でしたよ、台湾でのタイトル。

でも、そのデータによると、小林監督は特殊効果担当で、監督は韓保璋になっていました。
韓監督は、あのジュディさんのトンデモコメディ『ジュディのラッキージャケット(無價之寶)』の脚本をお書きになった方です。
で、撮影担当の中條伸太郎は1966年に台湾へ渡って以来、ずっと台湾映画界に籍を置き続け、2001年に亡くなったそうです。

そしてそして。

この映画の主演男優である鶴田浩二って、1981年には『愛你入骨』(骨まで愛して)という台湾映画に出ているみたいよ。
主役は秦漢。
恋愛物かしらん?

これも謎ですわ、奥さん。

2005年10月1日土曜日

総統様のおかげです

〔ちょっとお耳に〕

決して、とんねるずのおかげではありません。


先だって取り上げた、「日本からはるばる総統様(蒋介石)のお祝いにやって来た大物芸能人」に関連して思い出したことを少し。

最近は年末に開催されることが多い台湾金馬奨の授賞式ですが(今年は少し早い時期の開催みたいですけど)、その初期はこれも総統様のお誕生日(10月31日)に合わせて開催されていました。
それゆえ、受賞者のコメントも総統様及び国府への感謝の言葉が中心。
第1回影后である尤敏なんか、

このほど帰国(香港の右派芸能人が来台するときにはたいてい「帰る」という表現を用いています)して、偉大な蒋総統の祝賀行事に参加できたことに、とても興奮しています。
今回の受賞は自由祖国の私への励ましであり、今後もよりいっそうの努力をしていく所存です。
政府に感謝します。(超訳)

という、まるで喜○組(1字自粛)みたいなコメントをしています。
こんなコメント、今日び内地の芸能人だってようしませんわ。

さすが、総統様。