どうも。
トド@脂肪ますます蓄積中です。
昨晩、池袋の東京芸術劇場にて開催中の「アジア舞台芸術祭2009東京」で、台湾の世紀當代舞團と日本のニブロールとの共同制作による『Pub, APAF 2009 version』(振付:姚淑芬)を観てきましたが、最前列で鑑賞していた不肖せんきち、客席に下りてきた台湾人ダンサーのお姉さん(阿妹似)に促されるまま、その場で、
トドのタコ踊り
を披露する羽目に…。
知り合いがいなくてよかったわ。
さて。
24日、男優・映画監督の陳鴻烈が急逝しましたが、1979年に刊行された『生きている台湾 知られざる自由中国』(小久保晴行著。20世紀社)に、彼のインタビューが掲載されているので、追悼がてらその紹介をしたいと思います。
この本の中で陳鴻烈が登場するのは、「第10章 文化と芸能界」の第3節「芸能界は花ざかり」の件。
ここでは彼の他、楊麗花、紫茵等にも取材を試みており、また、谷名倫の自死や成龍が台湾で人気急上昇中であること等が取り上げられています。
とりあえず、ここでは陳鴻烈のインタビュー部分を一部引用しておきます。
―陳鴻烈さんは何本くらい監督するのですか?
陳 年2本です。
―始めてから何年くらいですか。
陳 監督は3年で、その前15年間は俳優です。
―監督していて、一番問題なのはどんなところですか。
陳 台湾は新聞局の権限で、検閲されていますが、ホンコンでは何でも自分の思ったようにやりました。台湾は国情の関係でいろいろ制約があります。
―自由な映画を作るのはホンコンに行くのですか。
陳 中国は5千年の歴史の関係で、例えば、半裸身でも禁止されているので、儒教思想も強くて制約があるのはやむをえないです。色気が少し多くてもなかなか難しいです。
―どちらの生まれで、おいくつですか。
陳 37歳で上海市の生まれです。
(略)
―これからどんな映画を作りたいですか。
陳 中国の武劇(チャンバラ)が得意なのですが、これからは現代劇をやりたいと思います。
―台湾にはどうして170以上の映画会社があるのですか。
陳 財力と実力のあるものが勝ちです。170の会社があっても、実質的にはそんなに多く活動していません。
(略)
―日本ともっと交流したらいかがですか。
陳 まったくそう思います。交流すべきです。
(略)
―将来の映画についてどう考えられますか。
陳 世界各国をよく見て、先進国の良いところを学んで水準を突破しなければならないと思います。
質問の内容はごく初歩的ではあるものの(「日本との交流」って、当時は日本映画が上映禁止だったことを知っていたのだろうか)、性描写に関するコメントは彼の監督作品である『狼吻』が成人映画だったらしいことと関連する内容となっており、また、「現代劇をやりたい」という抱負も、当時の流行とリンクした愛情文芸映画が彼の監督作品の多くを占めることと関係があるのではないかと考えられます。
本の中では、陳鴻烈の監督作品として『我是一片雲』、『我伴彩雲飛』、『花落水流紅』が挙げられていますが、これまでに確認できた監督作品を参考までに明記しておきます。
1975年:『狼吻』(アジア映画祭撮影賞受賞)
1976年:『我是一片雲』
1977年:『沖天炮』(73年、74年説あり)
1978年:『我伴彩雲飛』
1979年:『辣手小子』『花落水流紅』
このときのインタビューの会場は德威影藝公司という映画会社の台北オフィス(本社は香港)、陳鴻烈はこの会社の次回作『白色的忘憂草』(林青霞、秦漢主演)を監督する予定でしたが、残念ながらこれは製作されなかったようです。
ところで、ご存知の通り、陳鴻烈の前妻は女優の潘迎紫。
潘迎紫と離婚後、彼女の陰謀(?)によって陳鴻烈は台湾での仕事が激減したそうですけれど、恐るべし小龍女の怨念・・・っていうか、『片腕必殺剣(獨臂刀)』のキャラそのまんまじゃねえか!
可愛い顔してキツすぎや、あんた。
ということで、改めてご冥福をお祈りします。