〔えいが〕
1967年、台湾(永新)。湯浅浪男監督。金玫、石軍、張清清、川辺健三、津崎公平主演。
どうも。
トド@お腹が痛いです。
さっそく本題に入ります。
湯浅浪男(湯淺浪男)監督の台湾語映画……なのですが、現存するプリントは北京語版のみらしく、DVDの音声は北京語オンリーでした(いちおう『懐念的人』と、検索用に日本の漢字表記も書いておきます)。
超アバウトなストーリーは、下記の通り。
ダンスホールでバイオリンを弾きながら作曲家を目指す正雄(DVDのパッケージでは「政雄」。石軍)は、歌手の春美(金玫)に思いを寄せていましたが、正雄の親友である啓明(川辺健三)も春美のことを愛していました。
啓明は、今度の春美の誕生日に、2人の内どちらが春美にふさわしいかを決めようと正雄に告げます。
そして迎えた春美の誕生日、正雄は春美に捧げた曲を作りピアノで演奏します。
その曲を聴いた啓明は正雄が春美に寄せる深い思いに心を打たれ、また、春美も正雄のことを愛していることを悟り、自らは身を引く決意をするのでした。
一方、病の床にある春美の父親(郭夜人)に金を貸していた楊(津崎公平)は、春美と結婚させてくれれば借金を帳消しにしてやろうと父親に迫ります。
事情を知った正雄は、台北へ引っ越して2人で借金を返し、生活が軌道に乗ったら父親も呼び寄せようと春美を説得、春美もこれを承諾します。
しかし、ある雨の晩、「自宅へ送る」と言う楊の車に乗った春美は、車内で楊に無理やり手篭めにされてしまいます。
その翌日、正雄は駅で春美のことを待ちますが、結局彼女は現れず、1人寂しく台北へ向かうのでした。
「自分はもう先が長くない。死ぬ前にお前の花嫁姿が見たい」という父親の願いを受け入れた春美は、泣く泣く楊に嫁ぎますが、まもなく父親もこの世を去り、楊の女癖の悪さと暴力に耐えかねた彼女は楊の家を飛び出します。
その頃、春美のことをあきらめきれない正雄は、台北で酒びたりの日々を送っていました。
そんな彼の姿を見かねた啓明の妹・淑娟(張清清)は、再び作曲家への道を目指すよう正雄を励まし、彼もそれに応えて作曲を再開します。淑娟は、彼のことを愛していたのでした。
楊の家を出た春美は、食堂に住み込みで働き始め、出前先で淑娟と再会します。
正雄の消息を尋ねる春美に、彼とはしばらく会っていないと一度は嘘をついた淑娟でしたが、やはり本当のことを話すべきだと思い直し、正雄と共に食堂を訪ねます。
しかし、春美は食堂を辞めた後でした。
食堂の仕事を辞めた春美に、楊は自分とよりを戻すよう執拗に迫り、春美を追い回しますが、出会いがしらに車にはねられて命を落とします。
やがて美容院で働くようになった春美は、客が持ってきたラジオから聞き覚えのある曲が流れてくるのを耳にします。
それは自分の誕生日に正雄が送ってくれた、あの思い出深い曲「懷念」でした……。
と、まあ、ストーリーをお読みいただければわかるとおり、ベタベタコテコテのすれ違いメロドラマで、先だって観た『悲器』と比べても、
コテコテ度45%増(当社比)
でした。
ただ、これを思いっきり西洋風のしつらえにして、白景瑞(李行でも可)監督、甄珍&秦祥林主演にしたら、北京語の文芸愛情映画でもけっこういけるのではないか…という感じではありました(父親役は葛香亭でよろしく!)。
当時の報道によると、本作は湯浅監督が台湾で撮った5本目の映画で、1967年3月8日にクランクインしていますが、監督は1966年11月23日に台湾に渡っていますから、そこから計算すると、わずか3ヶ月ほどの間に4本の映画を仕上げていたことになります。
台湾語映画は、一般に、北京語映画と比べて「安く早く」が身上の映画だったらしいので、短期間でそこそこ観られる映画を撮る湯浅監督が、台湾で重宝がられたのもむべなるかなという気がいたします。
ただ、「安く早く」の弊害がストーリー面で現れていたのもまた事実。
冒頭のダンスホールのシーンを当時台北にあった金谷飯店というナイトクラブで撮っていたにも関わらず、正雄が春美に「台北へ行こう」と迫るのはなんだか奇妙です。
しかも、春美の家、北投なんだよ。
ナイトクラブや春美の家の場所は、せめて新竹あたりの設定にしてほしかったところです。
ところで。
劇中、「懷念」がバカ売れして一躍人気作曲家となった正雄は、第2弾として「台北歸來的春美」なる曲を発表しますが、これがなんと「上海帰りのリル」のカバーですた。
たぶん未だに著作権料払っていないと思うけど。
急げ、JASRAC!
付記:撮影担当のはずの中條伸太郎がキャストとしてもクレジットされていたので、よーく観てみたところ、どうやら津崎公平のかばん持ちやってた人(台詞なし)が彼ではないかと思いました。