1977年、香港(嘉禾)。鄭昌和監督。茅瑛、梁小龍、陳惠敏主演。
某ミクシィの嘉禾コミュで本作に丘なおみ(何湄)が出演しているとの指摘を受けたので、さっそくチェックしてみたところ、たしかに出てましたわ。
(まちゃまちゃではありません)
・・・・すいません、別の映画でした。
(一気に増毛)
で、気になるストーリーはというと・・・・。
劉大雄(關山)は、謀反を目論む仇魁(張佩山)の放った4人の刺客に殺され、夫の復讐を試みた劉の妻・綺梅(丘なおみ〔何湄〕)も捕らえられて島流しにされてしまいます。
大雄との子供を身ごもっていた綺梅は難産の末女の子を産んでこの世を去りますが、今わの際に自分たちの仇を我が子に討って欲しいと言い残します。
綺梅から赤ん坊を託された千手娘(王萊)は、出所後、寺に赤ん坊を預け、潔蓮と名付けられた赤ん坊はやがて武芸に秀でた美しい娘(茅瑛)に成長します。
その後、殺戒を犯した潔蓮は寺を去ることになり、千手娘の許に身を寄せますが、千手娘から自らの生い立ちを聞かされた潔蓮は両親の仇を討つことを決意、こうして潔蓮の復讐が始まるのでした・・・・。
一読してすぐにピンと来る方もいらっしゃるかと思いますが、これって、ようするに、
茅瑛版『修羅雪姫』
なんですねえ。
(その「しゅら」じゃねえよ!)
てなわけで、
父:關山
母:丘なおみ
という眩暈がするような血縁関係のもとで生まれた茅瑛が繰り広げる復讐劇ですが、前半はともかく、後半はあくまでも立ち回り主体の展開ゆえ怨念や情念とは比較的無縁の世界で、茅瑛の必殺技も「さそりの毒」という危険な割には案外他力本願な秘密兵器だったりいたします。
(ネクラな小動物マニアみたいだけど)
もちろん、梁小龍が仇の息子だった、なんていうどんでん返しも無し。
ところで、池玲子や小林千枝といった東映女優が本名で嘉禾作品に出ていたのに対して、何ゆえに丘なおみは中国名で出ていたのか、という問題ですけれど、考えられる線としては、
1、池さんたちは東映、つまり会社を通した契約だったが、丘なおみは個人契約だった。
2、日本からの助っ人女優が出演していることを売り物にしても興行的には大したプラスにはならなかったので、それならいっそ邵氏方式を見習って日本臭を消した方がよいと考えた。
といった辺りが妥当なところなのかしらんと、せんきちは考えております。
しかし、そもそも丘なおみを使おうと考えたのは誰だったのでしょう?
やっぱり鄒文懐だったのでしょうか。
(中途半端なオチで終了)
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