2008年8月23日土曜日

娘の下着を洗う父

〔しようもない日常〕〔えいが〕

私たち洗濯嫌いです。

どうも。
トド@引き続きおなか壊れ中です。

今日からシネマート六本木で始まった「台湾シネマ・コレクション2008」(はたして2009があるのか?)。
その前哨戦(?)として開催されていた李安特集にて、デジタル上映ではありますたが、ひさびさにスクリーンで観たかったので、『恋人たちの食卓(飲食男女)』を鑑賞。
以前に何回も観たヴァージョンはクレジットが英文表記だったけれど、今回のは中文表記。
そして、冒頭と尻尾にはぬあんとMGMのライオンさんが。


せんきちはてっきり、

あんな映画や


こんな映画、

はたまた、

こんな映画や


あんな映画が

始まるのかと思っちゃいますた。

海外での版権を(現在では)MGMが持っている、ということなのでせうか。

ちなみにタイトルも、

かつて観ていたヴァージョン


ただいま流通中のヴァージョン

といった違いがありますた。

さて、この映画での小倩の役どころは二女・家倩と朱お父さんの妻、すなわち三姉妹の母の二役ですが、写真で登場するのみの母の姿がどんどん若い頃のものに遡っていき、やがて厨房に1人立つ二女の姿に収斂されていきます。
そして、二女が母のレシピ通りに作ったスープを飲んで朱お父さんが味覚を取り戻したことを悟り、娘と見つめあうという美しいラストへと繋がっていくのですが、このラストにおいて朱お父さんは二女との和解を果たしただけでなく、亡き妻とも再会しているのであります。
つまり、この家の最後を看取るのは二女、ではなく、実は朱お父さんの亡き妻なのではないでせうか。

小倩が紫藤盧で高山茶飲むシーンを観て、「いつか同じ場所に座って高山茶を飲むわ!」と誓ったのも懐かしい思い出です(その後、無事実現いたしますた)。

ところで、李安は侯孝賢や楊徳昌よりは一世代下、とまではいかないにしろ、いわゆる台湾ニューシネマ以降に映画を撮り始めた世代に当たります。
李安も侯孝賢や楊徳昌と同じく外省人ですが、侯監督や楊監督が本省人の世界を描いた映画を撮ったのとは対照的に、これまで全く本省人の映画を撮っていません(いわゆる「父親三部作」の父親は、大陸の中国人か外省人)。
また、その作風もニューシネマのスタイルを継ぐもの、というよりは、國片全盛時代の作品群に(ニューシネマを飛び越えて)直接繋がっているような気がしてなりません。
郎雄や歸亞蕾、王玨といった國片全盛時代の役者たちを好んで使っている、というせいもあるのかも知れませんが。
李安はこれからも本省人の映画は撮らないのか、撮るつもりなどないのか、あるいはそんなことを疑問に思うこと、それ自体がナンセンスなのか、ふと考えましたです。

も一つ言うと、今回、台北に帰ってきてほっとしている歸亞蕾の姿を見て、せんきちは『家在台北』での彼女を思い出していました。
あら、やっぱりこれも國片全盛時代の映画ですね。

それにしても、劇中、あれほど父親のことを嫌っている娘たちが自分の下着を平気で父親に洗ってもらっているシーンを観て、毎度「変なの」と思うせんきちでありますが、「父親の下着を自分が洗うのはいやだけれど、自分の下着を洗わせるのはぜんぜんオッケー!」とかいうきわめて身勝手で理不尽な論理に基づく行動なのかしらん、とこの頃思い始めてきますた。

パンツぐらい、自分で洗おうや。

(オチのないままおしまい)

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